・デザイナー頼りのUI開発 ・なりきり! メンデレーエフ ・年代推定法のひそみにならう ・脱「宝探し」 ・「ブルガリアの美術アカデミー」で「8年間」学ぶ話に学ぶ ・標準「17歳」のための「予定された博士へのまわり道」
(約23000字)
[3125]に続き、後編です。
前編([3125])では、これまで「リアルタイム」または「過去の一点」にある対象を研究することが大半であった状況に対し、「時間の経過」を採り入れ、対象を継時的・通時的に観察しようとする新しい動きとして、▼「末弘厳太郎の判例研究方法論とその限界」(2010年)を紹介し、いわゆる「研究方法論」と対比させ、研究を「立体化」させる方策を探りました。
後編([3126])では、駅におけるユーザーインターフェース(UI)の開発がデザイナー頼りであることに関して、研究として取り組む必要があることを指摘します。このため、▼自然科学の発達の歴史、▼研究もできるデザイナーを育てるカリキュラム、の2面から、研究方法を研究する方法を探ります。具体的には、▼メンデレーエフの周期表、▼年代測定法、▼工芸・美術に関する博士後期課程の実情に着目します。
●デザイナー頼りのUI開発
いま、駅でのユーザーインターフェース(UI)は、どのように開発されているのでしょうか。
・日本サインデザイン協会「これからこれからどうなる?駅と列車情報・・・・次代の駅づくり」(2012年12月3日)(再掲)
http://sdainter.exblog.jp/19606161
http://sdainter.exblog.jp/19605349
※「これからこれからどうなる」は原文ママ。
> 優れた表示方法と筐体デザインを条件にデザインコンペを行いました。
> 4つのデザイン案から3台を1/10のモックアップに、さらにその中から2台を実機に仕立てあげました。表示部は液晶ディスプレイを3台並べ、新たな情報伝達ユーザーインターフェイスの研究を行なっています。
> 発車標、ホームドア、車両内情報とのシームレスな情報表示をしています。
> ケータイ用リーダライタからは運行情報・停車駅案内・行先案内・現在位置・列車混雑情報を得ることを想定しています。
> 自立型案内は切替表示を可能としています。将来的にタッチパネル式での試験も検討中。
> コスト面からディスプレイを置くことがなかなか困難であるために、近年普及率の高いスマートフォン向け情報の開発も行い、より多くの利用客へ情報を届ける方法を研究中です。但し、誰もがスマートフォンを持っているわけではなく、駅には一目で理解していただける情報が引き続き必要だとは考えています。
> ここでは駅に関わるさまざまなアイデアを試作していますが、それらを実際の駅に持ち込んで試行錯誤しながら調整するというわけにはいきません。
> ですので、事前にここでトライ・アンド・エラーを重ね、駅でフィールド試験をした後に実導入の可否を問うのです。
> 先程、研究施設でテスト機器をいろいろご覧いただきましたが、このようにアイデアを具現化して実際に動くものとして見せることが重要です。
> JRの営業スタッフや現場スタッフもモノがないとイメージがわかないことが多いので、まずはつくってしまいます。それで初めて同じ土俵で意見交換ができる状況になるのです。
> メーカーの方々と話し合っているときに突然アイデアが出てくることもあります。
> 我々は技術を開発しているというより、技術をいかにうまく活用できるかを考えています。
> ユニバーサルデザインへは最大限配慮しているつもりですが、プロのデザイナーの方々と話をしたり、実際に駅で話をしたりするとさらに気付く部分も多くあります。
> フロンティアサービス研究所では、以前はシステムエンジニアと直接相談しながらものづくりを進めていました。
> その場合モノ(情報システム)は確かにできてくるのですが、何か今ひとつピンとこないものになってしまうことが多かったのです。
> それで何年か前から、必ずデザイナーに初期段階から一緒に入っていただき、開発を進めていくように路線変更しました。
そういう位置づけの「研究所」だったんですね。狭くは「研究はしません(開発が中心です)」ということで、そうした現場に「学問的エレガンス」を求めることは、職域を超える(※)ことです。とはいえ、開発で行き詰まるなら、それは既に研究の領域に足を踏み入れているということに他なりません。研究者が「高度な自律」として「学問的エレガンス」を求めるのとは異なる文脈から、しかし実質は同等の「学問的エレガンスのようなもの」を意識して採り入れてみようとすることは、きっと開発を進める上でも有効な方法であるはずです。
※差別的な言いかたにならないよう注意されたく思いますが、雇用契約において規定された職域(仕事のむずかしさ)を超える、そんな難しいことをさせられるなんて聞いていないぞ、と被雇用者が怒ってよい、ということです。逆に、(会社が)業務として(オプショナルな創意工夫の類でなく、査定の対象として)研究に携わらせるにあっては、少なくとも修士、できる限り博士の学位(※※)を取得させる(30代のうちに取得させる)ことが当然です。学部卒で実務10年、それだけで研究ができるとみなしてはいけません。きちんと訓練を受けないと、やっぱりできないものなのです。「もう一声」といいたくなるような「おしい」会社としては、オプショナルな創意工夫の延長線上で(事実上の)研究成果を求めるという、…それって「ブラックっぽい」んでは、と心配になってきませんか?(青色LEDの人[2937]も参照。)
※※ちょっと古い文脈では「学位取得者」といって「学士=学部卒」を指しているものが(国鉄では)あって、ちょっと「あ然」とさせられます。そして、企業内大学ともみなされる「鉄道学園」で「みなし学士」的な自称「学位」を(ある意味では自組織の構成員に自組織で)授与し、組織内の待遇面では正式な大学の学位(ただし学士)と同等とみなしてきたと説明されます。そして、「生え抜き」と自称する人たちにあってたいへん結束が固かったので、外部からの人材の登用が阻まれた、とする指摘(ただし労使問題でなく、研究開発に関しての指摘:佐藤2005)もありますが、別の話ですので別途まとめることといたします。なお、あくまで国鉄時代の話です。
新しい旅客案内の手法や技術の開発に苦労しているとすれば、それは「技術力」(いまあるものをよりよく作る)しかなく(「東芝ならできる」?[2949]のような広範で基礎的な知見は一朝一夕には蓄積できません)、「研究力」(いまないものを作り出す)が足りないからではないでしょうか。そこを「デザイン力」に頼る(デザイナーのセンスやアイデアに頼る※1)というのでは、なぜ、その案がベストなのか、本当にベストなのかという問いに答えることができず(※2)、エレガントとはいえません。ましてやユニバーサルデザインへの道は遠そうです(※3)。
※1 デザイナーは実務家ですから、あくまで過去の知見を「業界での『常識』」として知っているに過ぎず、新たな知見を生み出す(そして独り占めにせず共有する)こと(=研究)は自分の仕事ではないと考えるでしょう([3010]も参照)。人(≒仕事の忙しさ)によっては、人間工学や心理学などの研究の現場で出てきた最新の知見の採り入れが遅れることもありえます(実績ある=忙しいデザイナーほど、過去と同じものをつくることしか期待されなくなっていき、「自滅」しかねないという矛盾もあるのではないでしょうか)。
※2 「編集部の者より鉄道に詳しい方」([3017])と同じで、自らデザインのよしあしが判定できるためには、デザイナーと同等のデザインに関する知識や感性を(デザイナーではない)自分たちでも持っていることが必要です。その上で、(ものすごくがんばれば)自分たちでもできるが、実務としての経験が足りない(「頭でっかち」状態)、そして(金はあるが)時間がない、といったことから、デザイナーと協業するというのが、おおかたの現場での「実際」ではないでしょうか。(あくまで想像です。)
※3 「最大限配慮しているつもり」という表現が、ちょっとインタビューの記事だけではニュアンスがつかみきれませんが、かなり微妙です。その後の話としては「色」と「身長」の話しか出てこず、ワーストとしては「巷で言われる『ユニバーサルデザイン』とかいうもの=「色覚と車いすへの配慮」でしょ(それさえしていればいいんでしょ)」といった態度…そこまでひどいことはないとして「文字の大きさや多言語対応については当社だけではいかんとも決めかねる」といった、一種の「様子見」的な「温度」のようなものなど、いろいろ考えられます。実際に、どういう受け止めかたがされているのでしょうか。気になります。(そういうところ=いわば「ココロ」をこそインタビューでは聞き出していただきたいものですが、目先のオブジェクト=現物に対して「わあい、これが『研究所』かぁ」的な素朴すぎるオドロキに支配されてしまっているような、いないような、といえます。本当でしょうか。)
(上掲の研究所が)エレガントかどうかはともかくとしまして、いきなり「実機」を起こしてしまうとは、予算がある(使える権限がある)ということは恐ろしい([2403]も参照)、と実感されます。(感想は個人です。)
いま、ユーザーインターフェース(UI)の研究は、まだまだ難しい局面にあるといえるかと思います。UIと利用者の間のインタラクションをいかにしてモデル化し、モデルに基づいて網羅的なデザイン案を試作し、また、試作や実験から、モデルの「抜け」を埋めていく、そういうフィードバックの繰り返しによって、研究が進められています。
●なりきり! メンデレーエフ
エレガントかどうかというのは、気分の問題や(アカデミックな)自己満足ではなく、デザイナーに頼らずに、また自分の力(「わが社」の研究開発力あるいは「競争力」)にも依存せずに、合理的な解決策(手法や技術)を客観的に(なかば自動的に)つくり出していくための要件です。
研究分野の成熟度のようなものを体現しうるものとして、(メンデレーエフの)「周期表」が挙げられます。もし、UIの研究において「周期表のようなもの」がつくられて広く認められる、そんな未来がやがては訪れると仮定しますと、現状はその一歩手前(あるいは、だいぶ手前)といったところでしょうか。
未知の元素がいかにして発見されてきたかを振り返れば一目瞭然で、身の回りのもの(「土」やら「水」やら「火」やら)を素朴に観察して、せいぜい掛け合わせて出てくるもの(酸化物や炭化物)を「発見」していた時代を「原始時代」とするなら、「燃焼」の解明(酸化と還元の発見)、…時代を大幅にスキップしまして、周期表の「発見」によって「現代」が幕開けしたといえます。
いま、メンデレーエフになりきってみましょう。はい、私もあなたもメンデレーエフです。
(こちらに「煙突の人」…ではなく「つけひげ」が6セット、そしてなんと! きょうは特別に「アカデミックガウン」を1着、借りてきました。班ごとに1人ずつメンデレーエフを決めてください。ガウンの着用権は…サイコロで決めましょうか、と呼ぶ者あり。)
・NHK高校講座 化学基礎「元素の周期表 〜周期表の見方を知ろう!」
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/kagakukiso/archive/resume010.html
> メンデレーエフは、当時発見されていた63種の元素だけではなく、まだ発見されていない未知の元素が存在すると考え、原子番号32の元素を空欄として空けておきました。
> メンデレーエフは、この空欄に当てはまる元素を周期表の上下左右の元素の性質から予言し、エカケイ素と名付けました。
> そして、彼が周期表を発表した後、予言通りの性質を持つゲルマニウム・Geが発見されたのです。
> メンデレーエフが予言したエカケイ素の性質は、発見されたゲルマニウムと驚くほど一致しています。
> 密度はほとんど変わらず、他の物質との結びつき方や化学的性質も同じでした。
> メンデレーエフの周期表は、発表された当時は、周囲からあまり関心を持たれませんでした。
> しかし、予言通りの元素が発見されたことにより、多くの人に認められるようになったのです。
「周期表では…と並んでいます」(意味もわからないまま暗記しなさい)というのでなく、「メンデレーエフが並べたところ規則性=周期が浮かび上がってきたのです」(意味さえわかれば暗記しなくていい、そのための周期表=いちいち参照するための=でしょ)というのが正確で、これこそサイエンスだと実感されます。私自身は、周期表を学んだとき、メンデレーエフも感じたのではないかと思われるワクワク感とヨロコビを感じたものです。まさに「追体験」ですね。
・個人のページ「大学入試問題と化学史(その1) メンデレーエフの周期」(2009年4月1日)
http://www8.plala.or.jp/grasia/07daigaku/digakuhistry.pdf
http://www8.plala.or.jp/grasia/frameindex.htm
※高校の化学のセンセイのページのようですね。
> 06年2次試験問題及び07年のセンター試験にメンデレーエフの周期表に関する問題が出題された。前者の2次試験で取り扱った大学は、静岡大学(後期日程)と中央大学(理工学部)である。出題は、メンデレーエフのはたした役割と、周期表を活用し未知の元素の予測まで、言及している。以下、化学史に沿って問題を検討する。なお、08年度の入試問題で、化学史との関連で周期表を取り扱った出題はなかった。
> 資料1 2006年静岡大学入試問題
> 次の二人の会話を読み,下の問いに答えよ。
> 化学部の新入部員の知也君は,部長の未沙さんに周期表について質問しています。
> 知也:周期表って,使ってみるとすごく便利ですよね。いったい誰が作ったのですか?
> 未沙:今のような形のものを初めて作ったのは,ロシアのメンデレーエフという人19世紀の半ば過ぎに、当時知られていた元素を原子量順に並べて,それらの性質について整理していくうちに,似たような性質をもった元素が繰り返し現れてくることに気付いたの。
> (略)
> 未沙:当時は実験の精度も悪かったので,メンデレーエフはテルルの原子量の測定値が間違っていると考えて,無理やり順番を逆転させたみたい。原子番号なんて,まだ誰も知らない時代だったんだけれど,性質の周期性から正しい順番を見破ったのはさすがね。
※「人19世紀」は「人で、19世紀」の脱字でしょうか。
いい出題だと思いますが、いざ解く身となると、「問3」以降はかなり難しいと感じられます。そうした印象を和らげるためもあってか、静岡大学の問題文は、とってもくだけていますね。登場人物の名前も、いかにもです。
・明治安田生命「2005年の読み方ランキング」
http://www.meijiyasuda.co.jp/sp/enjoy/ranking/#/year/2005y/2
自分の力やデザイナーの力に頼るということは、UIの研究にあって「周期表のようなもの」をつくってみよう(そうすれば「予言」ができて、未知の「元素のようなもの」の「発見」が効率化できる)とは考えず、ひたすら、あらゆる「物質のようなもの」を掛け合わせ続けて、いつかは「発見」できる、といって「がんばる」(※)ようなものです。
研究は人のイトナミではありつつも、あたかも事象や技術が自力で育つかのような、人の手(恣意性、思い込み、先入観)から離れたところで進んでいくかのような研究とすることができてこそ、サイエンスというものです。
※いま、バイオサイエンスでは「がんばる」雰囲気がなくもないようで、それが「割烹着姿」の遠因にもなっているのかもしれませんし、なっていないのかもしれません。いろいろな生物の塩基配列は読み取れても、その意味するところを読み解く作業が、到底、追い付いていないのです。また、生物の体内では無数の化学変化が連鎖しており、その過程(シグナル・パスウェイ:signaling pathways, cell signaling)を追うだけでもたいへん(「新薬」の効果や安全性を調べるために必要です)で、まだ「周期表の発見」の段階には至っていないということだと思います。とはいいましても、バイオはまったく専門外です。詳しい方いらっしゃいましたら、フォローいただけますと幸いです。受験の科目として「化学」と「生物」を別々に学び、しかも「物理」は十分に学ばず、といったことでは到底、太刀打ちできないのではないかと心配されます。
> 「資料2 メンデレーエフの周期表では、まったく抜け落ちている「族」がある。抜け落ちた理由としては、それらの元素が気体であることに加えて、もう1つの理由がある。考えられる理由を、15字以内で書け」 > 《当時、不活性元素であるため他の原子と結びつかないため発見できないでいた》
「くまなく掛け合わせていればいつかは『発見』できるだろう」という発想の「落とし穴」ですね、わかります。
・「なりきり!」
http://www4.nhk.or.jp/munyan/x/2015-06-04/31/16038/
余談ですが、元素の周期という情報は本来、立体的な構造になっており、これをきちんと描こうという工夫もあります。
・ウィキペディア「スパイラル周期表(テーオドール・ベンファイ、1960年)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%9C%9F%E8%A1%A8#/media/File:Elementspiral.svg
あ、もう自分に戻っていいですよ。(などと、そういうセンセイ、いますよねぇ。)
・正しい「アカデミックガウン」の着用法
http://www.u-tokyo.ac.jp/stu01/h15_05_j.html
・小学5年・図工「なりきり芸術家」
http://www.sakai.ed.jp/weblog/index.php?id=sakai018&type=1&column_id=1000679&category_id=1078&date=20141220
●年代推定法のひそみにならう
先日、千葉駅の改築に関して、「文書主義」の不徹底によって後年、困った、という話題を取り上げました([3031])。
遡って「文書主義」を云々(あのとき図面をもっとしっかり保管しておけばよかった、などと、延々とクヨクヨ「後で後悔」するような、の意)、とはいえませんから、現に過去の記録がない(不十分である)のであれば、いまあるものから、過去の経緯を推定していかなければなりません(ほかに方法がありません、の意)。
当時を知る人に聞く、というのもひとつではありますが、しかし、記憶は不確かであることもあり、その正しさを検証しきれず、ましてや、聞き取りに伺いながら、その信ぴょう性は疑ってます、などと、当人を相手になかなか言えるものでもありません。それはそれ、として、別の方法で推定を重ねていくことが、聞き取りの信ぴょう性を裏付けることにもつながりましょう。両方とも大事であるわけです。
自然科学(狭くは「地学」や「物理」「生物」)では、どのように扱われているのでしょうか。
・福岡正人「年代測定法とは(Dating Methods)」広島大学大学院総合科学研究科 環境自然科学講座(2015年7月27日、2004年11月26日)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/ES_N.html
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/ES_N_N1.html
年代測定の具体的で近代的な測定法の研究とは別に、そもそも年代の測定や推定にあたって、いかなる考え方があるのか、参考にできましょう。
・「時間間隔」の推定と「前後関係」の推定
・「数値年代(絶対年代)」と「相対年代」
> 原理(Principle)の異なるさまざまな年代測定法(Dating Method)が用いられているが、年代に目盛を付けるために放射年代測定法を組合わせたものが多い。
とのことで、絶対年代の推定に放射年代測定法が欠かせないものであるとわかります。
> 表4.2 第四紀に適用される年代決定の方法
> 増田(1996)による『4 第四紀の気候変動』〔『気候変動論』の第4章〕から
・絶対年代←放射年代
・相対年代←周期現象の計数
・相対年代←ほぼ時間に比例して進む現象
・「差がゼロ」の相対年代←特に同時性を示すもの
表中の「モデル推定」だけはちょっと別格で、モデルがきわめて正確であれば絶対年代とみなせるような推定ができそうですが、どのくらい正確であるかを確かめるのがたいへん難しそうな対象(海底堆積物など)が挙げられていますので、一種「今後の課題」という位置づけで最下段に示した、ということかなぁ、と推察されます。
・「対象期間」と「時間分解能」
この表では、方法ごとの「対象期間」と「時間分解能」が、ともに「「10のn乗年」の指数「n」の形」で示されています。おおまかには、期間が長ければ分解能は低く、という相関がみられます。
※指数表記については[3081],[3099]も参照。傍題になりますが、桁数が大きく異なる数値を適切なスケールを使い分けて読み解く話[2965]、『対数な』分布や事象については[2988],[3051]もどうぞ。
・地磁気:100万年の期間に対し、1〜10万年の分解能 ただし「同時性」しかわからない
・放射年代:原子番号が大きいほど長い期間に適用できるがサンプルが十分に得られない(火成岩は火山にしかない)
※地磁気の極の反転が起こるときは、たいへん短い期間であれよあれよと、一種「臨界現象」のような様相で起きると仮説されていますから、その反転の渦中の時期を指し示すという意味では分解能は高く、しかし、そのほかの期間(=長期にわたって変化のない期間)についてはまるで分解能がなく、ということです、たぶん。
・「臨界現象の理論 1973年度物性若手夏の学校における全体講義の講義ノート」(1998年11月3日)
http://wwwfs.acs.i.kyoto-u.ac.jp/~syuji/mori.pdf
といった、多次元(多くの項目間)で互いにトレードオフな関係にあることがわかります。(つまり、この表に「サンプルの分布の偏り」※を示せば、初学者にもわかりやすい表になるということですね、わかります。専門家にとっては「あたりまえのこと」すぎるので表に入れようとは考えられなかったということだと見受けられます。)
※サンプルの分布の偏りが大きければ、位置の特定という意味で「空間分解能」が高く(地殻変動で原形をとどめていなくても、ここが昔は火山だったとわかるなど)、小さければ、広い地域に対して用いることができるという「対象地域」が広い、と評価できます。
・「1万年と2千年前」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11118536851;_ylt=A2RAqgOhDzpWy2oAx4VDZwB8?pos=1&ccode=ofv
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D10%E5%8D%83%E5%B9%B4%E7%B4%80%E4%BB%A5%E5%89%8D
> 紀元前10,000年頃、ホモ・フローレシエンシスが絶滅。人類はホモ・サピエンスのみとなる。
> 紀元前10,000年頃、縄文時代早期。日本列島の温暖化・温潤化が進む。ハナイズミモリウシや本州のヒグマなどが絶滅し、本州以南では陸上大型動物は消滅した。
> 紀元前10,000年頃、アナトリア南東部ギョベクリ・テペ遺跡にて世界最古級の石造の宗教建築(神殿)が作られる。
うーん、「1万年と2千年前」、いえ、わかりやすくは「2千年と1万年前」に、さして特別な転換点があるようには見えませんが、いえ、きっとあるんでしょうね。
・ナショナルジオグラフィック日本版「人類最古の聖地」(2011年5月18日)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110518/270404/
・「「ギョベックリ・テペ」遺跡の発見で騒然!」
http://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000001063_all.html
> ワイン、チーズ、ビール、パンなどは全て、西アジアが起源だということをご存知でしょうか。チーズやワインはヨーロッパ発祥だと思われがちですが、西アジアが正真正銘のルーツなのです。もし、それらが生れていなかったら、私達の生活は大きく変っていたでしょう。
ワインの原型、チーズの原型、ビールの原型、パンの原型、といったほうがいいのかもしれない、と心配されますが、洗練させただけで「発祥の地」だと思われるというのは、それだけ、洗練させるのもまた大きな功績であるということの裏返しでありましょう。
●脱「宝探し」
鉄道史にあって、いえ、(昔ありました、というだけでなく)現にありながら「史」=明示的な文書での記録が不十分である対象について、年代や、別の対象との前後関係を探るにあたっても、やはり基本のところでは上記に引用しました考え方がいろいろとあてはまってきます。
サンプルが十分に得られるか、というのは重要なことで、この点からは、ありふれたものほど貴重なサンプルであるともいえます。いえ、保存が望まれる貴重な遺構など、それはそれで重要ではありますが、保存が実現できるかどうかは別の問題であります。
仮に「鉄道史」を研究(ただし趣味の『研究』でなく、狭くは学位論文として取り組むソレ、の意)しようとされるのであれば、珍しいもの見たさ、一種「宝探し」(これを指して「第1種宝探し」などと…略)の気分からは抜け出し、いかにして多くのサンプルを集められるか、そこから逆向きに考えて、何に着目すれば、同じ推定法で、より多くのものを、しかも正確に推定できるようにできるか(精度の高い推定法を提案できるか)を考えていかなければなりません(「第2種宝探し」などと…同[3071])。
※ありふれたものに着目するということは、▼適用範囲が広がり、かつ、そのため▼サンプルが多いということから▼信頼性が高まる、という、複合的な利点が出てくるわけです。
※「錬金術」といって、いわゆる「貴金属」の分析に重点を置いてきた時代から、「化学」へと洗練されていく過程とも似ています。ありふれた物質を、より詳細に分析していくことで、あらゆる物質の性質を明らかにすることにつながり、さらには、物質を構成する、より細かい単位へと焦点が絞られていくわけです。
・ウィキペディア「プレオン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3
> プレオン理論は、周期表、そして、より最近の"粒子の動物園"を飼いならした標準模型が多くの現象を説明するのに成功してきたように、より根本的な粒子の周期表を発見することでこの達成を再現するという願望によって動機付けられている。
> プレオン理論は、理論および実験素粒子物理学において得られた結果に対して"より根本的な説明"を与える試みとして提案されてきたいくつかのモデルの中の一つである。プレオンモデルは今日の素粒子物理コミュニティの間で比較的少数の関心を引きつけている。
> "プレオン"という言葉が作られた当初は、主にスピン1/2のフェルミオンの2つのファミリー、レプトンとクォークの性質をその構成物質によって説明するための概念であった。
> プレオンモデルは、観測された素粒子の性質を説明するために観測されていない追加的な相互作用や力学をよく提唱する。これは、この理論的帰結が観測と対立しうることを意味している。そのため、例えば、LHCがヒッグス粒子や超対称性パートナーまたはその両方を観測した場合、その観測はヒッグス粒子の存在に関する多くのプレオンモデルの予想と対立するだろう。反対に、ヒッグス粒子が、標準模型がそこに見つかるであろうと予測する絞られていくエネルギーレベルの環境内に現れない場合、多くの競合する理論が反証されるであろう一方で、プレオン理論は顕著な理論的後押しを得るだろう。
・高エネルギー加速器研究機構(KEK)「キッズサイエンティスト ヒッグス粒子と質量」
http://www2.kek.jp/kids/class/particle/class01-10.html
・同「博士たちの反省会」
http://www2.kek.jp/kids/comic/2nd-34/index.html
・うるの拓也センセイのホームページ
http://www.urutaku.com/campany/03.html
そして、推定法(調査に基づくもの、シミュレーションの両方を含みます)というものは、前提の条件が変わらない限りは、未来に対しても適用できるものとみなすことができます(「超低速」[3109]なるいま「超宝探し」などと…略[3018])(※)。決して懐古趣味から鉄道史に興味を持つだけが鉄道史の入口であるとは決まっておらず、端的には、あ゛ー、この人、ついに国鉄云々しだしたよ終わりだね、などとご心配いただくにはおよびません。
※いま、直接には確かめることができない過去に対して、提案法がなぜ適用できるといえるのでしょうか。提案法が一般性を持つことを、▼少なくとも現在で、また、▼記録ある限りの過去に対して適用してみて確かめることだけが、いま可能です。しかし、そうして確かめられた一般性は、なかば自動的に、▼記録がない過去や、▼未来に対しても、通用するとみなせるわけです。いえ、私がここで何らかの「画期的な新説!」…いえ、新たな推定法を提案するわけではなく、あくまで一般的な話で、仮にあなたが研究されるのであれば、こうしたことを考えなくてはいけませんよ、などと(陰に陽に)ささやこうというわけです。
・「懐古趣味」
http://www.weblio.jp/content/%E6%87%90%E5%8F%A4%E8%B6%A3%E5%91%B3
> レトロ(Retro)とはretrospective(回顧)の略語。懐古趣味(かいこしゅみ)のこと。「徒に古い物を珍しがり懐かしむだけの単なるデカダンス」とも述べられる。
・「デカダンス(2)」
http://www.weblio.jp/content/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9
> 一九世紀末の懐疑思想に影響を受けて,既成の価値・道徳に反する美を追い求めた芸術の傾向。フランスのボードレール・ベルレーヌ・ランボー,イギリスのワイルドなど。退廃派。
「デカダンス(2)」を体現した人々(同時代の人々)というのは、ただひたすらに趣味でありつつ、あるいは後年の「商売上」([3046])の便利な「レッテル」の1つ(!)であったわけですが、そうした人々を観察し、前後のものとのつながりや、その強弱をツマビラカに明らかにし、歴史的に位置づけた「美術史」の研究というのは、(趣味ではなく)まさに研究であることがわかります。
※いま、「国鉄色!」の「復活運転!」や、「レトロな丸窓!」等々、たいへん便利でおトクな「商売上のレッテル」として(事業者や旅行代理店によって)使われていることがわかります。それはそれで楽しみつつも、研究もまた着実に進められ、成果や記録がきちんと残されていくことが期待されます。蒸気機関車を修復するにあたっても、動けばいい(それらしく部品を作って交換すればよい)、というのではなく、現に残されていた部品がいかなる様態であったかを忠実に記録に残すことが先決であるわけです。
●「ブルガリアの美術アカデミー」で「8年間」学ぶ話に学ぶ
歴史(ただし対象を限らず:宇宙や惑星から美術や産業、それに鉄道や坂道、はたまたマンホール…いえ、ジュースの瓶のフタまで)を扱うにあたってはかくあるべし、と、割と誰もが素朴に思うだろうと思われながら、いえ、実際に「その道」(※)で「○○史」の研究者ですかと問われてハイ(※)と答えられるためには、「その道」そのものも極めているかのような(美術史であれば、美術が好きだから取り組んでいるとか、自らも美術を「たしなむ」だとか)ことまで(割と誰もが素朴に)要求してしまっていることに気づいて、ちょっとゾッとします。
※「その道」といって、きわめて俗には、「目をつぶっていても銘柄を言い当てる」とか、「瞬きすることなく全力で坂道を駆けあがる」とか、いえいえ、何かそういう「すごい人」「ヘンな人」の扱いをするのが普通でありましょう、の意。研究者ですかと問われてハイ、における本来の意味としては、「瓶のフタの製造工程や職制を熟知している」「製品や作品に使われる素材(材料)の産地や種類、質や価格の変遷を熟知している」「主要な製品の販売数など大まかなボリュームを、銘柄を問わず網羅的に把握している(自分の好みの製品だけに着目しているのではない)」といったことにハイと答えられる、の意。
そして、多くの人は素朴には興味を持ちつつも、ソレ(文系の「○○史」)を専攻するには至らないわけです。それでもなお「○○史」を専攻(現に専攻)しているとあらば、それはもう、かなりのソレだと偏見されます。(あくまで偏見です。)すると、いよいよもって「普通の人」は遠ざかっていく(定員が充足されない、選抜の倍率が下がり、入学者の「一定の質」が保たれなくなる)わけです。
いわば「普通の人」が「普通の専攻」として「○○史」を選んで、しかし「修士了で『普通に就職』」([3059],[3103])していけるような教育および研究の環境を整えることが一種「使命」であって、既存の文系学部を何が何でも現状のまま維持させようと努めることにどんな意味があるのか(誰のためになるのか)といえば、現に雇われている教員のためぐらいにしかならないだろうと、割と誰もが素朴に理解されましょうが、いえいえ、自分のことは自分ではわからないものです。だからピアレビューしましょうよ、というわけです。
・[3065]
> ・「白い布」
> http://www.praemiumimperiale.org/laureate/music/item/102-christo
> http://www.1101.com/christojeanneclaude/
※リンク先から追加で引用します。
> クリスト
> 私は、第二次大戦後、ブルガリアの美術アカデミーで学んでいました。
> その学校は、19世紀的な美術教育をそのまま踏襲したような厳格な教育システムを持っていました。
> つまり、ものすごく伝統的であり、同時に、ものすごく規律正しい学校でした。
> そして、ものすごく「間口」が広かった。
> 画家もしくは彫刻家、デザイナー、あるいは建築関係‥‥を目指す人たちがいました。
> そのカリキュラムは、8年間に渡るものでした。
> > 最初の4年間で、学生たちは
> > その「すべて」を、学ばねばなりません。
> 絵画、彫刻、装飾美術、建築‥‥解剖学。
> これは、典型的な19世紀西洋世界における美術アカデミーの教育システムです。
> 最初の4年が終わった時点で画家になるのか、建築家か、彫刻家になるのか、
> あるいはデコレイティブ・アーティストになるのかを決めるんですけれど‥‥。
> 私はその前に、ブルガリアから亡命してしまいました。
> > いまだに、何をしていいのか決まっていないんです。
※糸井さんの相づちは略します。ごめんなさい。
※「厳格」「規律正しい」の意図するところを正確に読み解くのはむずかしいですが、仮に(単位制の学校でいえば)単位認定が厳しい(及第とみなすラインが高く設定されてある、必須の単位数が多いなど:「中退率」が高くなろうが、それより大事だと考えられている)ということだと読んでおくことにいたします。
「デザイナー」と呼ばれる人たちが、「ブルガリアの美術アカデミー」での「8年間」に相当する教育(※)を受けてあたりまえ、そして、そうでなければデザイナーなどと称することが許されない(≒私たちが許さない、官公庁や企業にあって、発注の要件とする)環境であれば、いわゆる「エンブレム問題」など、起きようがないといって楽観視できようかと思います。(あくまで私見です。)
※いま日本で、といえば、修士2年、学部2年、高専4年くらいの教育に相当するでしょうが、この8年間、美術だけという学校やコースはありません。
・「京都高等工芸学校 (旧制)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%B7%A5%E8%8A%B8%E5%AD%A6%E6%A0%A1_%28%E6%97%A7%E5%88%B6%29
この学校が、その後も美術を軸に発展できれば、上述のような「8年間」の教育(の一部)を担える学校になっていたでしょうが、一種「時代の要請」によって、「繊維に関する工学」というところへ「選択と集中」されて「京都工芸繊維大学」に改組されています。
・京都工芸繊維大学 デザイン学専攻
http://www.kit.ac.jp/edu_index/sg-science-and-technology-color/g-design/
http://www.kit.ac.jp/edu_index/sg-science-and-technology-color/g-design2/
> これからのデザイナーには、社会の潜在的なニーズを明らかにする深い観察力と、多分野の知を活かして革新的なアイデアを生み出すことの出来る発想力、様々なアイデアから調和のとれた形態や経験を導くことの出来る統合力が、より高いレベルで要求されます。
> 海外のデザイン大学から世界的に活躍するデザイナーや研究者を招き、デザイン工房・研究施設で連携プロジェクトを実施することで、専門をデザインに置きながら、分野を超越する新たな理論と方法論を生み出していきます。
> 博士論文の作成と並行して、研究対象および研究成果をもっとも有効に示すことのできるキュレーション(展示企画)をおこない、そのためのカタログ作成を義務づけます。それにより、みずからの研究を客観視する能力と幅広い発信力を身につけることができます。
うーん、スバラシイです。とはいえ、高校生にあって「美大志望です!」というかたにあって、9年後、27歳まで勉強し続けるキャリアパスなど、到底、魅力的には感じられないことでしょう。
・同 定員(2013年)
http://www.kit.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2013/07/teiin1.pdf
デザイン学専攻について、学部では建築と区別なく110名、修士課程は25名(建築75名と合わせると100名で、多くが修士進学とみられます)、博士課程は5名(建築は7名)となっています。高校生(受験生)からみて6年後、24歳まで勉強し続けることを、魅力だと思っていただくことは、なんとか可能でしょうか。それとも、それもむずかしいのでしょうか。
※いますぐにも「現場」で仕事してみたい、あるいは「本場」に飛び込んで、そのための語学も自力で、とたいへん意欲的なかたもいるのでしょうけれども、しかし、きちんと学ぶには、やはりセンセイが必要です。「現場」や「本場」で「がんばり」さえすればデザイナーになれる、などと考えていてはいけないと思います。
・ムサビこと武蔵野美術大学「実技以外の科目で受験できる学科について」
http://www.musabi.ac.jp/admission/note/y2015_nonpractical/
> 武蔵野美術大学では従来の造形能力だけでなく、語学や数学を中心とした思考力を積極的に評価することで、多彩な人材の獲得を図ってきました。2015年度からは、実技以外の試験科目で受験できる学科も増え、受験生の特性にあわせた入試方式が設定されています。美術・デザインに興味があって美術大学を受験したくても実技に自信がないという方は、ぜひご検討ください。
とのことで、スバラシイ! ぜひご検討ください。6年後に、幅広い素養と実力を備えた(自他ともに認められる)デザイナーが輩出されることを期待します。
…などと、安易に期待しかけたのですが、そうともいえないかもしれません。もう少し慎重に、「美大の大学院」の実情を詳しく見てみます。
・ムサビの博士後期課程
http://www.musabi.ac.jp/course/graduate/doctor/
> 3つの研究領域から成り、それぞれの領域を極めるための横断的な制作・研究環境を整えています。
> (一例として)
> 環境形成研究領域
> 現代社会におけるひと・もの・情報、それらから構成される環境を対象として、相互のより良い関係を目指し、優れた技術と知見によって環境形成を行う研究領域です。コミュニケーションデザイン、プロダクトデザイン、クラフトデザイン、空間デザイン、建築、映像デザイン、情報デザインなどの分野が含まれます。研究テーマは、様々な道具・空間・情報に関係するデザイン研究、また、道具・空間・情報の生産と使用における物質と人間の関わりや環境課題を対象とする研究、人間の認知をはじめとする行動などの評価と研究、環境形成作用と社会・経済構造の関係を見据えた環境設計システム(仕組み)のデザインと研究(マネージメントや政策を含む)などが考えられます。
> 博士学位論文
> 内容の要旨及び審査結果の要旨
これまでに19名の学位を認定しているとのことです。いまどき普通の博士課程だといって安心されましょう。19名の研究内容も地道なもので、きちんとサイエンスされていると見受けられます。タイトルだけを見ると、社会学や、(いろいろな研究分野に内在するメタな分野としての)史学をなぞったような、という印象もありますが、テーマによってはきちんと工学的なアプローチが採り入れられているようです。
・国立障害者リハビリテーションセンター研究所 福祉機器開発部「在籍していた研究員等」
http://www.rehab.go.jp/ri/kaihatsu/zaisekij.html
・「手動車いす自動ブレーキ装置の臨床評価に関する研究〜ブレーキかけ忘れを検出するデータログシステムの開発〜」生活生命支援医療福祉工学系学会連合大会(ABML2011)(2011年)
http://www.jslst.org/documents/Conference/2011/html/pdf/paper_171.pdf
なるほど、ムサビで博士になった後には、こういうキャリアが開けるんですね! といってワクワクされましょう。
・多摩美術大学の博士後期課程
http://www.tamabi.ac.jp/dept/doctor/
> 「実技」と「理論」の調和をもって、領域にとらわれない美術創作研究と美術理論研究の確立を目標としています。
学部、修士課程から、まるで連続性がなく、博士課程(5年間)を通じて獲得すべきスキルも明文化されていません。別のサイトで学位論文の一覧がありますが、あくまで(自作の)作品が主体で、その作品をいかにしてつくったかを述べるような類の学位論文が大半であるように見受けられました。つまり、学位論文における新規性や独創性が、研究の部分ではなく創作の部分で打ち出されているのです。美術にあって美術としての新規性や独創性だということはまったく疑われませんが、これがサイエンスなのかといえば、到底、いえません。
※多摩美術大学は、1950年に短大、1953年に4年制大学、1964年に修士課程設置、2001年に博士後期課程を設置。ムサビは1957年に短大、1962年に4年制大学、1973年に修士課程設置、2004年に博士後期課程を設置ということで、およそ9年のタイムラグがあります。先駆者には先駆者の、後発組には後発組のクロウがあるというもので、どちらが一概にどうのこうの、とはいえません。上記はあくまで、現時点における博士後期課程の形式的な評価を試みたものにすぎませんので、あしからず。それぞれの大学に、それぞれの持ち味があるのは当然のことであります。
・東京造形大学「東京造形大学大学院博士後期課程の開設について」(2015年10月27日)
http://www.zokei.ac.jp/in/news/2015/002.html
> 東京造形大学大学院造形研究科造形専攻博士後期課程の2016年度からの設置開設認可について、
> 10月27日大学設置・学校法人審議会は文部科学省に可とする答申をいたしました。
> 10月30日付認可となりますので、それ以降に2016年度の募集要項等を大学ホームページに発表いたします。
まさにこれから博士後期課程を設置、という大学もあって、「美大で博士了、そして『普通に就職』」というパスの幅(枠)が広がっていくと期待されます。特に、学芸員としては(学部卒で資格を取得するだけでなく)博士了であったほうが、後々、大きな差がつく(研究ができる=よりよい仕事ができる)のではないでしょうか。目先の仕事だけにとらわれることなく広い視野を養えるのは、院生の特権であります。存分に活かして、自分を伸ばしていただきたく思います。
●標準「17歳」のための「予定された博士へのまわり道」
いま17歳(標準「17歳」ともいうべき仮想の17歳を含む)なら、修士2年間までを「リアルに想像」しつつ、霧の中に博士3年間もありつつ(自分は進まないとしても、そういうセンパイ方が身近にいる環境に身を置ける)、といった感じに、パスを描いてみたいなぁ、と思ったりします。大学は大学院で選びましょうということですね、わかります!
・映画「まわり道(Falsche Bewegung)」(西ドイツ、1975年)
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=11660
> (「みんなのレビュー」より)
> ドーロムービー
> まわり道どころじゃないぞ!
・経済産業研究所「企業内研究者のライフサイクル発明生産性」(2012年)
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/rd/080.html
> 新たな技術・製品開発の担い手として、大学院の博士課程で高度な教育を受け、高い能力を身につけた「博士(課程博士)」の活躍が期待される。しかし、現状は、高学歴人材に対する産業界のニーズは決して高くない。一方で、日本企業の中には、博士号を持たずに入社し、職場での研究活動をベースに学位を取得する「論文博士」が多数存在する。それでは、この2種類の博士は、企業内でどれだけの発明を生み出しているのだろうか。それぞれの発明生産性に差異はあるのだろうか。こうした疑問に答えるべく、大西宏一郎・大阪工業大学講師と長岡貞男PD/FF(一橋大学イノベーション研究センター教授)は、客観的なデータを用いて企業で働く博士のライフサイクル発明生産性を分析した。
> 分析結果を述べる前に(略)一部の人の生産性が非常に高く、大部分の人はゼロに近い近辺に分布していることを表しています。このような傾向は、社内の研究者や大学研究者の生産性を分析した先行研究で頻繁に観察されるものです。つまり、社内の研究者でも、個人間でその生産性に大きな差があることを示しています。生産性の差を決める要因は、企業の出願傾向や職場環境、研究に従事した期間など色々あります。我々の問題意識は、そのような要因をコントロールしても、依然として学歴で説明できる部分が残るのかというところにあります。
> 課程博士のライフサイクル発明生産性、つまり生涯的な発明生産性が高いとの知見が得られました。課程博士は(略)発明開始時期が遅れるわけですが、その点を考慮しても特許出願件数、被引用件数の両面で課程博士の生産性は統計的に有意に高く、ライフサイクル全体で修士課程修了者より約63%高いことがわかりました。こうした差は企業間の違い(固定効果)、その特許出願性向や規模の時系列的な変化、職場環境の違い、従事している研究プロジェクトの性格、研究分野間の違いなどに加えて個人のモチベーション、性別、観察できない個人の能力差をコントロールしても依然として残ります。
> 次に、課程博士の発明生産性は論文博士より38%程度高いことがわかりました。ただし、その差は統計的に有意ではなく、課程博士と論文博士は同程度の生産性を持つといえます。これは本研究によって初めて得られた知見です。
> さらに、(1)課程博士は企業に入った直後から高い発明生産性を示し、その高い生産性は長期にわたり持続する、(2)論文博士は企業に入ってから発明生産性が大きく上昇する傾向がある――ことがわかりました。こうした傾向があることは従来から予測されていましたが、本研究で統計的に実証できました。
> 課程博士は論文博士と違い、企業が資金と時間をかけて育成する必要がありません。にもかかわらず課程博士の発明生産性は入社直後から高く、しかもそれが長期にわたって持続するのですから、発明開始時期の遅れを考慮しても、企業にとっては「お買い得」です。企業は「使いにくい」などといわず、課程博士の採用に前向きに取り組み、その能力を経営改善に生かしていくべきではないでしょうか。
> 今回の研究では課程博士の発明生産性が高いことがわかりましたが、それは特許を出願した人、言い換えれば企業に入って活躍している人だけを分析対象にしたためかもしれません。もともと企業に採用されていない課程博士が、新たに採用されたとしても同様の生産性を発揮できるとは言い切れないのです。
> さらに、企業における研究者の役割は研究だけではありません。研究職として入社しても、やがて管理職になって研究活動から離れる人がたくさんいます。特に日本では、優秀な研究者ほど管理職になる傾向があるのです。つまり企業は研究者にマネジメント能力も求めているわけで、それが課程博士の採用に消極的な理由の1つになっている可能性があります。
こうした実感は、それなりにみなさまお持ちのことと思います。もろもろ勘案の上、中間をとったような、といいましょうか、いま、「修士了で普通にご就職(24歳)」そして実務5〜10年の後、「きちんと通学して課程博士!(30代のうちに)」というのが一種「定番」になりつつあるかのように見受けられますが、業界によっても温度差はあるかとも思います。高校生のかたにあってはぜひ、こうした話は学校のセンセイでなく、企業にお勤めのかたに聞くのがよいでしょう。そういう質問ができるような場が学校で設けられるとよいですね。むずかしいでしょうか。(取り繕った「出前講義」でなく、かといって「青田買い」とも疑われぬよう、うまく取り計らっていただかないといけない、の意。)
・文部科学省「第3節 入学から卒業までを見通した系統的なキャリア教育の取組(その1)(PDF:980KB)」(2011年)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2011/11/04/1312820_02.pdf
> 中学校・高等学校における進路指導に関する総合的実態調査(平成18年3月(財)日本進路指導協会) によると,普通科の生徒は,自分の将来の生き方や進路について考えるために,「自分の個性や適性を考える学習」「進路選択の考え方や方法」「将来の生き方や人生設計」「学ぶことの意義や目的」について指導してほしいと答え,卒業生は「自分の個性や適性を考える学習」「進路選択の考え方や方法」「社会人に必要なモラルやマナー」「産業や職業の種類や内容」を指導してほしかったとしている。
「個性や適性」は考えてわかるものではないと感じます。「考え方や方法」というのは、まさに今回の話題(前編・後編を通じて)の軸ですが、重要である割には、それだけを考える(考え方を考えたり、考え方や方法を考える方法を考えたり、の意)人はなかなかいません(端的には、仕事にならないからでしょうか:考えた結果を一種「秘蔵・秘伝」して、○○アドバイザーなり○○コンサルタントなりと自称して一種「暗躍」されるんですね、わかります!)。卒業生が「種類や内容」を指導してほしかったとしているのは深いですね。セカイ全体を知ることができるのが理想で、しかし目の前のわずかな職業や、現に「ご縁」のあった産業のことしか、知る機会がなかったということなのでしょう。
余力ありましたら「ディスカッション・ペーパー」も読み解きたく…うーん。
・同「ディスカッション・ペーパー:12-E-059」(2012年)
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/12e059.pdf
・Wikipedia「Fixed effects model」
https://en.wikipedia.org/wiki/Fixed_effects_model
・ウィキペディア「パネルデータ分析」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%88%86%E6%9E%90
しかるべき『勉強』ののち、読み解きたくあります。恐縮です。
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