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空から見てみようZERO

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発行:2015/11/5
更新:2017/8/19

[3128]

【空から見てみようZERO】

空から昔の塩浜を見てみよう(1945・1947・1952・1961・1966年)


(約4000字)

 [3127]の続きです。もしもし、そこのくもじい…いえ、国土地理院のサイトで航空写真を閲覧しましょう。

※らじゃー!

・国土地理院「MCB613-C30-1434」(1961年4月28日)
 http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=278126

 当該踏切の南側の陸橋(跨線道)が未着工で、しかし、陸橋に続く道路の用地と見られる東側の部分が更地になっているようすが見えます。そして、当該踏切付近に、現在ある長屋状の建物は見当たりません。「小屋」があるかどうかは、はっきりとは見えません。

・「MKK661X-C10-9」(1966年8月4日)
 http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=408937

 1966年の時点で既に、現状の通りに「小屋」「信号扱い所」「長屋状の建物」だけが建っているようすが見えます。1963〜1964年の貨物線の整備にあわせて云々、というのが正解であるようです。1961年4月よりも後に建てられたということになりますが、とはいえ、「ピカピカの継電連動装置(ただしピコピコでない)」を導入したいとあらば、建屋は早めに完成されたく、最短で1961年度の前半に着工されたかもしれません。いま1961年5月だとして、(2015年でいう)飯田橋駅の「仮駅舎」の着工を心待ちにするのと似たような気分に…なってきませんか?

※この間の時期(1963年や1964年)の、この地点での航空写真は、国土地理院のサービスでは「(データベースには)ない」と回答されます。航空機や撮影隊が全国で(あるいは全国から東京や、新幹線の沿線に集められるという形で)一種「ひっぱりだこ」だったのかなぁ、などと想像されます。

・「USA-M208-199」(1952年11月26日)
 http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=36180

 陸橋となる位置の「至近に迫って」、「大きな建物」が建っていたことがわかります。陸橋の建設のため、より北側の敷地に新しい建物を建てて移転する、という流れであったとみられます。そして、開業から8年しか経っていない(終戦からも7年の)1952年の時点で、当該踏切は確かに(現在地で)あったことがわかります。この時点で、「大きな建物」から踏切まではだいぶ離れていたことから、踏切警手の詰所があったとしてもおかしくありません。

・「USA-R470-15」(1947年11月4日)
 http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=230461

 ありました! 当該踏切の東側にポツンと、白く光る屋根を持つ「小屋」が建っているではありませんか!

・「97E5-C1-45」(1945年4月5日)
 http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=742617

 不鮮明で、「小屋」があるかどうかは見えませんが、当該踏切はあり、そして長細く、白っぽいものが線路に沿ってあります。白っぽい積荷を載せた貨車か、あるいは長屋状の建物か、判別できません。仮に建物であれば、かわらぶきで、片側の面だけが強く日光を反射している(ので細く写る)といったことが想像はされますが、あくまで想像です。

・個人のブログ
 http://livedoor.blogimg.jp/koukendaisuki/imgs/2/9/29c8e921.jpg
 http://blog.livedoor.jp/koukendaisuki/archives/51934096.html

 写真手前の右側にあるような類の、本当に簡易な「小屋」が、1944年〜1947年まで当該踏切にもあった、と見るのが最も妥当と思われます。

・(参考)「金属と金属屋根の歴史」
 http://www.nihonroofkenzai.co.jp/history.html

 > 日本で金属屋根が本格的に普及するのは、明治維新以後のことであり、洋風建築技術の導入と金属圧延技術の進歩により急速に全国へと広がっていきました。
 > 当時使われた材料は、銅・鉛・亜鉛それにブリキ・トタンでありました。
 > ブリキとトタンは輸入品であったにもかかわらず、鉄道建築から住宅・銀行・工場に至るまで、数多くの建物に使われました。
 > ブリキは、1700年頃イギリスで使われたのが最初で、19世紀のはじめにはアメリカで広く普及しました。
 > トタンが使われ始めるのは18世紀前半の事で、1837年にクロホードという人がが溶融亜鉛法の最初の特許を取得して以来、大量に生産されるようになり、今日見られる各種表面処理鋼板の原型はこのときに出来上がりました。

 > ※参考文献 屋根のデザイン百科 武者英二+吉田尚英 編著 彰国社

 とのことで、しかし、かたや「資材供出」といっているときに新規で「トタンをふんだんに使った小屋」を建てることが簡単に許されるとは思えません。それでもなお、1947年の航空写真で白く写るためにはトタンの屋根だったと見るのが自然です。仮に、この小屋が1944年からあったとしますと、踏切警手の小屋であったなら「木造にしなさい」とイッカツされかねず、カクカクシカジカで重要な小屋なんです、中に大事な機械があるんです、などと『説明』されて、転轍手の小屋(ただし係員のためでなく、テコが錆びないようにするための小屋)として建てられた…といったことが想像されます。(あくまで想像です。)一方、1944年にはなく、終戦後に建てられたとすれば、確かにコンクリートブロックの1952年より前ですから、トタンで造るでしょう。そして、この小屋がそのまま1959年にもあったとすれば、「伊勢湾台風」で、この小屋だけが吹き飛ばされたと見るのが自然です。

・日経電子版ライフ「伊勢湾台風から55年 死者・不明者5000人の教訓 当時の予報官に聞く」(2014年9月22日)
 http://www.nikkei.com/article/DGXMZO77225620Y4A910C1000000/

 > 伊勢湾台風襲来時に名古屋地方気象台で予報官を務め、その後テレビの天気キャスターに転じた島川甲子三氏(90)に当時の教訓や防災への心構えを聞いた。(聞き手は編集委員・気象予報士 安藤淳)

 > 「名古屋地方気象台は9月26日午前10時に県庁や電力、鉄道、マスコミの関係者らを集めて説明会を開いた。暴風、高潮、波浪の警報を出す予定であることも伝えた。当時はファクスがなかったので、台風の予想進路や警報内容を書いた紙を直接渡したり、電話で説明したりした」

 > 「台風が通過して数日後、非常用として気象台に備えられていたバイクで、伊勢湾に面した三重県桑名市長島町付近まで3〜4時間かけて被害状況を見に行った。途中、できるだけ学校や役場に立ち寄り、気象情報を事前にどう活用したか聞いて回ったところ、情報を受けたかはっきりしないというような答えばかりだった」

 > 「説明会を開いた26日は土曜日で、官公庁などは半ドンだった。(略)こんなに天気の良い土曜日に人を集めるとは何事だ、と文句を言う人までいた」

 > 「(略)そもそも特別警報が出ないと逃げないようでは困る。めったに出さないくらいの方がいい。1時間に100ミリ以上の豪雨は珍しいというが、観測点が増えたのでわかるようになっただけで、昔も変わらず降っていたと思う」
 > 「昔の人の知恵や、危険な立地などを見分ける目を引き継いだ人が、行政の側にいないといけない。(略)警戒情報などへの理解を深める取り組みが必要だ。天気予報はよく当たるようになったが、気象情報サービスなどに頼りすぎるのもよくない。一人ひとりが五感を働かせて、危険を察知できるようにしておくことが大切だ」

※ここで言われているのは「市民一人ひとり」でなく「行政の防災担当者一人ひとり」です、念のため。

 …というようすだったということですから、一般に被害が拡大した(避難しなかった)ことが知られるほか、当該の「小屋」も、なすすべもなく吹き飛んだ(そんな被害が出るとは予想もされなかった)と想像されます。

 傍題ですが、土曜日だったので云々、というのが、先日の架線柱の一件を想起させられます。

[3030]
 > 報道によれば、10日(※金曜日です)に把握され週明けの13日(※月曜日です)に対応する予定だったところ、12日(※日曜日です)に倒れてしまった、というタイムラインであります。

 (一般に、または官公庁などが)土曜日も完全に休みとなると、より一層、難しくなるわけです。しかし傍題でした。

 ここまででは、「小屋」が「伊勢湾台風」で吹き飛ばされたので、その時点での「現在の水準」である「補強コンクリートブロック造」で復旧された(復旧といって、その実、「豪華に新築」された=ただし建築物でなく工作物とみられます)、と仮定するのが、最も「ありそうな流れ」だと思われるわけですが、真相はどうなのでしょうか。この先は、きちんと資料を探して、ひとつひとつ裏付けなければなりません。


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