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[3177]

リアルタイムオンライン座席予約処理装置「MARS-1」(マルス1)を読み解く(後編)

列車 発想 建設 国鉄 マルス 通信網 100Mbps ミリ秒 リアルタイムオンライン座席予約処理装置 復元


電信電話に学ぶ
「鉄道電話」を「電電公社」で読み解く(仮)
「200ボー」で『1964年のおはようございます』
いま問う「端局装置」のココロ


 この一連の記事では、国鉄と日立製作所が共同開発したリアルタイムオンライン座席予約処理装置「MARS-1」(マルス1)を題材として、電気・電子の両分野にまたがる「電気通信」「情報処理」、それらにまたがる「情報通信」について、歴史的な流れをふまえた立体的な理解を目指します。

 前編([3179])では、「コンピューターとは何か」「コンピューターと呼べるのはどこからか」を意識しながら、現在の「データベース」につながる歴史的な流れを追います。このため、黎明期の「装置」を読み解くための基礎知識を導入します。

 そして、鉄道博物館における展示内容(説明文)と、情報処理学会「コンピュータ博物館」における説明文を読み比べます。これにより、電気分野としての成果と、情報分野としての成果を切り分けて見ることができるようになることを目指します。

 中編([3178])では、MARS-1で使われた素子など、ひとつひとつの要素技術に着目し、「装置」全体の立体的な理解を目指します。最新の記憶素子についても概観します。(「素子とは何か」を含みます。)

 そして、当時のきっぷの写真を参照しながら、「乗車券センター」「(交)大阪川口」を読み解きます。ここから、「オンラインリアルタイム処理」を実現するための通信網に焦点を移していきます。

 後編([3177])では、電信回線について実感的な理解を目指し、鉄道電話につながる歴史的な流れを追います。通信網の構築における交換局と端局の階層構造についても概観します。(「通信とは何か」を含みます。)

 記事の中では、勉強のため、「仮定」をしながら見ていく部分があります。最後に「日立評論」の(当時の)記事(技報)を参照して、「答えあわせ」をしてみます。


●電信電話に学ぶ


 MARS-1(マルス1)の具体設計を担った日立製作所は、それ以前から電話交換機を手掛けていたことが知られています。電信電話は、明治期に国策として普及および新技術の開発に取り組まれ、その知見が最終的には交換機のメーカーに蓄積されていたと読み解けます。国鉄としては、管轄の異なる旧逓信省系のグループといきなり協同できるはずもなく、とはいえ情報通信の時代を迎えるにあたって、その知見は採り入れたい、しかしあくまで国鉄が主体的に取り組むんだという「自負」のようなもの(国鉄内部や国鉄の研究所で、いわゆる「生え抜き」で「たたき上げ」の職員から、研究者が一種「低く」見られていたという指摘があります=別途まとめます)を満たすべく、いえ、そうした実態もともないつつ、基本設計は研究所、具体設計はメーカー、という態勢ができあがったとみられます。

・NTT技術史料館「地下1階フロア 電信電話ことはじめから(1800年代半ばから)」
 http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/exhibitions/floorguide/history_01.html

 > 3極真空管が登場して発振と増幅が可能になったことは、まさにエレクトロニクスの誕生であり情報通信技術の発展の始まりでした。

 > 1922年から導入された装荷方式には、位相歪、反響、減衰、漏話などの多くの難点はありました。それを克服すべく、1932年に日本の技術者によって提案されたのが無装荷方式です。

 > 1940年に、T形交換機が古都奈良の電話局に導入されました。Tは逓信省の頭文字。A形、H形と輸入技術に頼ってきた自動交換機ですが、逓信省は自主技術の開発を目指したのです。T形交換機の計画には、通話路スイッチや継電器など基本部品の開発と回路構成の開発が含まれていました。しかし、戦雲急を告げるなかでメーカ試作は進行せず、やむなく基本部品開発を断念、回路構成の開発成果のみを活かし、通話路スイッチにはH形用を用いて完成させることになります。

 > ブレゲー指字電信機
 > 磁石式電話機と磁石式自動交換機

・同
 http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/exhibitions/floorguide/history_02.html

 > 逓信省、電気通信省と官営で行われてきた電信電話事業が1952年に日本電信電話公社に引き継がれたとき、日本は戦後復興の途中にあり、設備は荒廃し技術も海外に遅れをとっていました。新生電電公社の課題は、国民のニーズに応える電気電信サービスを提供することであり、具体的には<すぐつく電話>(積滞解消)と<すぐつながる電話>(全自動即時化)の実現でした。

※「電気電信サービス」は原文ママですが「電気通信サービス」だろうと疑いました。

 > しかし、電話不足の解消と自動化の実現には時間が必要です。そこで電報サービスの充実と公衆電話の増設に力が注がれました。電報中継の自動化が進められ、公衆電話の委託制度も始まりました。しかし、長距離通話はなかなかつながらない状態が続いたのです。

 > マイクロ波の伝送路は、数百、数千の電話の声を伝えることができます。マイクロ波は、同軸ケーブルとともに新しい通信のハイウエイとしてネットワークの能力を飛躍的に高めました。

 > 全国自動即時化のためには、それまでのステップバイステップ式に代わる新しい交換機が必要でした。クロスバ交換機の開発が始まり、市外通話を扱う中継局に導入されていきます。

 > 戦後最初に開発された4号機電話機やまだ薄かった東京の電話帳、オリンピックの選手村の電話帳が時代を語る。

 > 音声で計算の答を聞いたプッシュホン600P形電話機。最初期のデータ端末DT-211A宅内装置。そして銀行のテラーマシン。

・「DIALS」
 http://www.geocities.jp/web_royalblue/retro/teleephone/zukan/600p/600p.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/DIALS

・個人のサイト「無装荷搬送式多重通信方式発祥之地」
 http://hamadayori.com/hass-col/comm/Tajutusin.html

 > JR博多駅から南東に400m。NTT西日本新博多ビルの前に,「無装荷搬送式多重通信方式発祥之地」と書かれた 赤御影石の石碑が建っている。

 > 1932(昭和7)年に,逓信省技師であった 篠原登・松前重義 両博士は,共同で『無装荷ケーブルによる通信方式』を提案した。これは中継所におかれる増幅器に周波数特性補正機能を持たせれば,無装荷ケーブルでも 広帯域で多重化回線数を多くでき,反響現象や位相歪等がなく経済的な長距離伝送が可能であるとした。

 > この方式は小山-宇都宮間で実証実験が行われ,1935(昭和10)年に 東京-ハルピン間で長距離無装荷ケーブル架設工事が始まり 1937(昭和12)年に完成した。
 > 延長3000kmにもおよぶ無装荷ケーブルは,東京・中野を基点に ほぼ50km間隔に中継所を設けながら,甲府・名古屋・大阪・広島・福岡を経由して,海底ケーブルで釜山に至り,朝鮮半島を縦断してハルピン(当時満洲国)まで布設された。
 > この時の多重度は 1本の伝送路に僅か6本の電話回線を収容するだけの技術であったが,世界初の通信技術として注目された。

 > この発祥碑は,海底ケーブルの日本側端局が置かれた場所に,ケーブル敷設から約50年後の 1984(昭和59)年に設置された。

 「海底ケーブルの日本側端局」という文脈での「端局」(後述)、ここにも出てきました。

・個人のページ「無装荷ケーブル搬送方式実験の地」
 http://denwakyoku.jp/musoka_jikken.html

 > 栃木県小山市神鳥谷 (NTT小山LMCビル前)
 > 無装荷ケーブル搬送方式実験の地
 > 工学博士 松前重義

 > 当地は、昭和7年(1932年)に、松前重義、篠原登両博士が、小山−宇都宮間複合ケーブルのまだ装荷されていない0.9mmの空心線を用い、折返し7中継458.7kmの長距離無装荷ケーブル搬送電話方式の伝送実験を世界にさきがけて行った地である。
 > 当時は、世界の長距離電話は、装荷ケーブルによる伝送路が大勢を占めていたが、両博士は「長距離電話回線に無装荷ケーブルを使用せんとする提案」の論文を世に問い、装荷ケーブル推進論者との間に白熱的論争が行われた。両博士は、実験データを基礎に内外の反論を逐一論破され、遂に昭和9年新しい無装荷ケーブル方式をもってすべての特性が満足しうるものあることを確認された。以後長距離電話伝送方式として、無装荷ケーブル搬送電話方式が広く用いられることとなったのである。
 > このように、当地における実験は全国自動即時網の完成に貢献した市外電話伝送路としての長距離搬送電話方式の基礎を固めたものであり、この碑はこの世界的偉業を永く世に伝え、かつ新たなる発想への糧とするものである。
 > 小山統制電話交換所全面移送にあたって
 > 昭和57年7月 日本電信電話公社

 論文のタイトル「長距離電話回線に無装荷ケーブルを使用せんとする提案」が何とも時代を語ります。いまなら「無装荷ケーブルを用いた長距離電話回線の多重化手法の提案」などと、もう一声、詳しく書かれたくあります。…いえ、時代っぽいのはそこではなく「使用せんとする提案」のほうですね、わかります。

・(参考)「発明への挑戦−松前重義論文集」東海大学出版会(1969年11月1日)
 http://library.main.jp/index/jst31228.htm

 > 電話回路に於ける反射係数と反射損失に就て(松前重義)(道田貞治)
 > 電話回線及中継線輪の低周波に対する特性と濾波中継線輪及其の応用に就て(松前重義)(吉田正)
 > 松前重義、富田正両君「電話回線及中継線輪の低周波に対する特性と濾波中継線輪及其の応用に就て」に対する質疑討論(抜山平一)
 > 同上抜山平一氏の質疑討論に対する答弁(松前重義)(吉田正)
 > 長距離電話回路に無装荷ケーブルを使用せんとする提案(松前重義)(篠原登)(橋本元三郎)
 > 松前外二君の「長距離電話回路に無装荷ケーブルを使用せんとする提案」を読みて(岩井尊信)
 > 同上岩井尊信氏の質疑に対する答弁(松前重義)(篠原登)(橋本元三郎)
 > 長距離電話回線として無装荷ケーブルを用ひたる実験(松前重義)(吉田正)(篠原登)
 > 松前、富田、篠原氏「長距離電話回線として無装荷ケーブルを用ひたる実験」に対する質疑(大橋幹一)
 > 大橋氏の質疑に対する答弁(松前重義 他)
 > 長距離無装荷ケーブルに搬送式多重電話を重畳したる実験(道田貞治)(松前重義)(篠原登)
 > 電話回線を利用して搬送周波有線放送を行はんとするの試案(松前重義)(和気幸太郎)
 > 千葉茂太郎博士に答ふ(松前重義)(米山正雄)
 > 津軽海峡における超短波による搬送式多重電話の実験に就て(松前重義)(米沢滋)
 > 東京鹿児島間に於ける単側帯波多重無線通信試験に就て(松前重義)(綱島毅)(米山正雄)

 「〜に就て(ついて)」が目立ちます。いまでも伝統的に「〜について」というタイトルでの講演が多いところもありましょう。ただ、一般的には「〜について」というタイトルは、本題を隠そうとするかのような、言い訳っぽい印象がともなってしまいますから、避けられます。

 「に対する質疑討論」→「の質疑討論に対する答弁」や「○○君の〜を読みて」などは、これはもう、たいそう時代を感じさせられます。もっとも、全部が全部、いまでいうところの「論文」ではないでしょうけれども、こうしたやりとりがきちんと文書化され公開されることは重要です。

※いま、セッションの会場での、その場での議論がいかに「白熱!」しようとも、そのようすはまったく記録されないのが普通です。ビデオで撮って会員向けに公開すれば…いえ、まったく不十分です。文字に起こして文書で管理されなくては、著しく検索性に劣ります。それなら最初から、議論はいっさいメーリングリストで、そして、そのアーカイブは公開します(あるいは定期的に編集してジャーナルに転載します)、などと運用するほうが、二度手間が避けられつつ、無意味に「白熱!」することもなく、パラレルセッションで重なっていたので行けなかったという人も参加でき、本質的で濃密な(その場で何となく、よりも、はるかに精緻な、の意)「議論」ができそうに思えます。

 「長距離電話回線として無装荷ケーブルを用ひたる実験」は、いまなら、何ですか、「実験やってみた」だけですか、成果は出なかったんですか、とまで疑われます、たぶん。成果が出る前の講演だとしても、何を目的として実験するのか、いかなる結果を予想しているのか示すことが求められます…などと、いえいえいえ、このタイトルからは読み取りにくいだけで、確かに書いてはあるんですね。「長距離電話回線への無装荷ケーブルの適用に関する一考察」とでも題せば、いまでも講演が許されるのではないでしょうか。(あくまで見解は個人です。)

 「津軽海峡における超短波による搬送式多重電話の実験に就て」のあたりは、後年の鉄道電話にあっても同じで、すなわち通話における距離の問題ではなく、途中の区間に中継局を置けない長大な区間で無線を使っている通話において、品質面でいろいろ難しいんだということです。

 つまり、東京−青森間の通話も、函館−札幌間の通話も大丈夫でありながら、青森−函館間の通話が難しい、ということです。そのため、東京−札幌間の通話で「どなりあう」必要が出てくるわけです。これは電話の問題というよりは、鉄道電話の全国即時網を急ぐにあたって当座は海底ケーブルは敷きませんでした、ということなのかなぁ、と想像されます。(あくまで想像です。)


●「鉄道電話」を「電電公社」で読み解く(仮)


・ウィキペディア「鉄道電話」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E9%9B%BB%E8%A9%B1

※引用部分に西暦を補います。

 > 昭和29年(1954年)、通信網の改善通達が発せられ、函館青森間で運用成績の良かった、マイクロウエーブ回線を増備することになった。 当時、一般家庭の加入電話は少なく、急な連絡手段としては(列車)電報が多くを占めていた。全国即時通話網の構築を、電電公社と国鉄が競い合うことになり、昭和36年(1961年)、国鉄は電電公社よりも早く全国マイクロウエーブ網、自動交換機による全国ダイヤル即時通話を完成させ、200ボーで座席予約システムマルス、放電破壊式プリンタによる文書伝達システムや、初代貨物運用システム(IBM製)の運用を始めた。

 > 国鉄のマイクロ回線設備は、(那須や鈴鹿などの山脈越えを除き)できる限り国鉄用地内に設置する方針で建設され、基本的には駅周辺での利用となるが、JR線から離れたところに引き込む場合、NTTの専用線を最寄の接続点(POI)まで敷設することにより、利用できる。全国の日本交通公社の支店が典型的な例であった。

 > 市外局番が相似しているのは、昭和20年代(1945年〜1954年)、一般公衆通報は、電電公社と国鉄が拮抗しており、どちらも基盤インフラをめざして、同様の市外局番を導入したことにある。市外番号をダイヤルすると、ピー音が鳴り、途中のクロスバ交換機が段階的に接続し、音が止まると接続が完了する。平成に入り、電子交換機へ更新が進み、この音は聞かれなくなった。

 こう、いま端的に、めちゃくちゃな記述ですね、と断じていいのではないかとすら思われてきます。(あくまで感想は素朴です。)

 …チョイチョイ。既に「交通技術」を読み漁ったという『50日後の自分』が「ヒントが書かれた紙」を…(略)。えー、なになに?

 ▼歴史的な順序として「電電公社の電話網より早かった」ということは、国鉄としては大事であっても(回線網を自営する動機のひとつであった)、通信の規格の制定や普及、公衆(回線)網と専用回線(網)の対置という体系的な理解の上では傍題でありましょう。▼「競い合った」というのは通俗的なソレ(『そんなの、新聞が勝手に書いたんだ、そんなもの』[2935]のソレ)ですね。役割が違うのでどちらも必要であったのです。▼「鉄道電話」の項でありながら、電信そして公衆網の話との境目がなく、あたかも市井の人が「懐かしい思い出だよ」といって回顧しているかのようです。制度や態勢の変遷をまとめることが必要で、「電電公社の回線網の整備が遅れた地域(主に北海道)で、国鉄が公衆電報の取次を行なつていた」こと、家庭に電話が普及していない時代には公衆電報が使われていたこと、(北海道では)国鉄の駅に公衆電報の窓口があったこと、などを整理されるといいのだと思います。(一義的には業務用の専用回線でありながら公衆の通信にも役立ったというのは特筆に値すると思われます。)▼各装置の正確な正式名称や、当時の呼称と現在の呼称の対応付けがなされたいと欲張られます。少し調べたところ、「マルス101」、「模写電信」(きわめて初期のファクシミリ:「放電破壊式」の「テレプリンター」が採用されていた)、「貨報集計用電子計算機」(IBM製を買ってきて据え付けたが日本国内での保守の体制が代理店越しでいまいちであったとかなんとか=ごく当初の時期:いまでいうHDDのRMAで云々的なソレ)とわかりました。▼交換機の『ピー音』という「目先のモノ(実体)」にとらわれすぎという印象とともに、市外局番は…うそーん! (それなりに国鉄が電電公社に合わせたんでしょ)と思われました(『要出典』!)。

※「ウナ電」については[3039]を参照。

・(参考)東大阪市「電話局の交換作業」
 http://www.city.higashiosaka.lg.jp/0000008974.html

 > 昭和31年撮影
 > 昭和60年撮影

※「昭和31年」(1956年)の写真では、オペレーターが手動交換を行なっているようすが見られます。そして、見学の学生でしょうか、オペレーターの背後でポカ〜ンと、いえ、たいへん「熱心に見学」されていることがわかります。「昭和60年」(1985年)の写真では、まさにこれ、1985年([3019],[3108])には概ね、どこでもこのくらい整然とした(一種「枯れた」:洗練された、とも[3037])ようすになっていたと思われます。(1985年までの数年間のうちにも大きな差がありますが、1985年にもなれば落ち着いてきていた、の意:あくまで主観です。)


●「200ボー」で『1964年のおはようございます』


・「ボー」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC

 具体的にいかなるデータ通信速度であったのか、よくわかりません。素子の温度を気にするくらいの黎明期ですから、単位時間当たりの変調回数(すなわち「ボー」)が一定だったことは保証されないようにも思えます。いえ、そんな条件下でも保証できる「最低値のようなもの」が「200ボー」だったということ、かもしれません。

 後年のアナログモデムでも、回線の状況(ノイズや減衰)に応じて、エラー訂正や再送がどのくらい起きるのかは全然たいへんちっとも保証がなく、実効の通信速度はかなり大きく変動していたかと、いま痛いほど思い出されます。

・KDDI「音響カプラ」
 http://www.kddi.com/yogo/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0/%E9%9F%B3%E9%9F%BF%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%A9.html

 > 1980年代前半のパソコン通信黎明期に
 > コンピューターで生成された信号を音に変換し、音声信号として、相手に伝え、受信した音声信号をコンピューターで復元する

 > 通信速度は300bps程度に留まっていた。当時は電話回線に接続する端末が自由化されておらず、電話回線のモジュラージャックも標準的ではなく、モデムもたいへん高価だったため、こうした物理的な接続を利用していた。
 > 周囲の雑音に弱いため、すぐに回線の接続が切断されてしまうことが多かった。

 それでも300bps(0.3Kbps)、1バイト文字だけのASCIIなテキストを端から端までパディングして送りつけるような架空の通信を考えますと、毎秒37.5文字となり、テレタイプ(標準的には毎秒1文字)より、「37.5倍!」も速い速度で「データ通信」できたわけです。近年でいえば、10MbpsのLAN(10BASE-Tなど)と、300Mbpsの無線LANを比べるようなものです。

・「テレタイプ」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97%E7%AB%AF%E6%9C%AB

 > 1940年代、5ビットの Baudot Code が普及するとウエスタンユニオンが転送速度を比較する指標として words per minute を採用し、その後数十年に渡って使われた。通常、スタートビットを1ビット、データビットを5ビット、ストップビットを1.42ビットの長さで送る。ストップビットがこのような長さになっているのは、機械式印字機構を同期させるためである。コンピュータは1.42などという時間を容易には生成できないので、1.5で代替するか2.0ビットぶん送信して1.0ビットぶんだけ受信するなどの工夫をした。

 > 例えば、"60 speed" の端末は45.5ボー(ビットあたり22.0ミリ秒)、"66 speed" の端末は50.0ボー(ビットあたり20.0ミリ秒)、"75 speed" の端末は56.9ボー(ビットあたり17.5ミリ秒)、"100 speed" の端末は74.2ボー(ビットあたり13.5ミリ秒)、"133 speed" の端末は100.0ボー(ビットあたり10.0ミリ秒)である。アマチュア無線のRTTYでは、60 speed がデファクトスタンダードとなった。これは、その速度の端末が容易に入手可能だったことと、アメリカ連邦通信委員会 (FCC) が1953年から1972年まで 60 speed のみに制限していたためである。テレックスや通信社のニュース配信サービスなどは 66 speed を使っていた。機器の信頼性向上に伴って 75 speed や 100 speed に移行した例もある。しかし電波では転送レートを上げると誤り率が高くなるため、60 または 66 speed が主に使われ続けた。

 最も普及したもの(や、その時代のもの)で「毎分60word」(1word=スタートビットとストップブットに挟まれた5ビット文字1文字=計7.42ビット)とのことで、いま、お手元のキーボード(ただしパソコンに限る)をご覧いただいて、毎秒1文字ずつパチパチと、キーが自動で押下され、画面に文字が1文字ずつ出てくるのを想像いただければ、だいたいそのようなイメージの通信速度であったということです、たぶん。

 …ということですから、1964年には「200ボー」と記せば通りがよかった(実際にはテレタイプとは相当異なるとみられる、符号表や変調方式など技術的な詳細を一種「隠ぺい」してアピールできた)ことが想像されます。仮に「200ボー」は「267 speed(ビットあたり5.0ミリ秒)」…って、そんな換算ができるのかも不明ですが、そういうことだったとすれば「ワー! 速い!」と受け取られた(当時)と想像されます。いえ、「4.45倍」速いという計算ですから、100MbpsのLAN(100BASE-TXなど)と450Mbpsの無線LANを比べるようなもの…というと、途端に「200ボー」が色あせて見えてしまうのは気のせいでしょうか。(有線で確かに100Mbpsの速度が確保されるならそれで十分で、無線で「最大450Mbps!」といわれても「体感的には変わらないんでしょ」などと一蹴されるかたが多いかもしれません。あくまで想像です。)


●いま問う「端局装置」のココロ


 電気通信、電話網の歴史を踏まえまして、ここで改めて「端局装置」です。

・(再掲)
 http://senshu-railway-club.blogspot.jp/2014/10/50.html

 > 座席予約システム「マルス102」は1965(昭和40)年9月23日から稼働しました。マルス端末は当時、端局装置と呼ばれていましたが、X型端末が用意されました。駅では主に一般駅向けのA形と大規模駅向けのB形が使われていました。

 以下の通り、現在、「端局」には「端局(1)」と「端局(2)」の2つの意味があるように見受けられます。

・ウィキペディア「公衆交換電話網」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E8%A1%86%E4%BA%A4%E6%8F%9B%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E7%B6%B2

 > 1926年にクロスバー交換機が世界で初めてスウェーデンにおいて使用開始され、各国において市外通話・国際電話の全面即時自動化に利用された。柔軟な中継回線接続が可能で、中継回線の効率的な利用が可能になった。そのころの電話網構成は回線・交換設備を有効活用するため、通信量の多い局を直結する網型の斜め回線(direct circuit)と、上位局と結ぶ星型の基幹回線(basic circuit)との複合網であった。

 > アメリカ合衆国・カナダのアナログ電話交換機時代の公衆交換電話網の階層
 > 加入者線・端局(EO:End Office)約7000局・集中局(TC:Toll Center)526局・中心局(DC:District Center)81局・統括局(RC:Regional Center)8局の4階位であった。加入者線・端局・集中局間は2線式回線、集中局で2線 - 4線の変換を行い、集中局・中心局・統括局相互間は4線式回線であった。

 > 1968年にITU-TによってNo.6共通線信号方式が勧告された。これは、最大2040回線に対応し、監視信号や選択信号を28ビット固定長の信号ユニットとして、アナログ回線で2400bpsのモデム信号で伝送するものであった。これにより、より多くの情報がやり取りできるようになり、ダイヤルインなどの付加機能がより提供し易くなり、電話番号の全桁の解釈を各交換機で行えるようになり、料金計算システムとのオンライン接続も行われるようになった。

 > 1980年にITU-TによってQ.700シリーズとしてNo.7共通線信号方式が勧告された。これは、最大4096回線に対応し、監視信号や選択信号を最大272バイトの可変長の信号ユニットとして、4.8または64kbpsのパケット通信で伝送するものである。これにより、無応答・特定番号などの多機能転送、個人電話番号、着信課金電話番号などの、交換機間で多くの情報を双方向でやり取りする付加サービスの提供が可能となった。

・「Introduction to Telecommunications - Unit 2 Sec 1a」
 http://www.webclasses.net/Courses/Telecom/1.0/Demo/units/unit02/sec01a.html

 > Local Exchange Components
 > The Telephone System Hierarchy

 「端局(1)」とは、交換電話網における「EO:End Office」のことで、鉄道電話が交換電話網と同じ(公衆網と同じ≒狭くは電電公社と同じ=しかるべき国際的な標準に沿った)発想で構築されている限り、鉄道電話の「端局」の先が電話機1つとか、マルス端末1台ということはありえず、端局の下に多数の電話機(一般の電話網でいう「加入者線」)をぶらさげる、という階層構造で電話網が構築されていたはずです。

※交換電話網の交換機の階層構造における上流と下流、という見方をしたときに、「EO」より下流には電話交換機を置きません、という意味であります。このことを指して「End」と簡潔かつ直感的に呼べる英語がうらやましいです。

 「端局(2)」とはどういうものかといいますと…

・三菱電機「東南アジア・中東・西欧を結ぶ光海底ケーブルシステムを高速大容量化 SEA-ME-WE 4 の100Gbps 波長増設プロジェクトに陸上端局装置を納入」(2015年3月18日)
 http://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2015/0318.html

 > 1999年には世界初となる10Gbpsの光海底中継器と陸上端局装置を商用化し、15カ国の海底ケーブルシステムに納入しています。

 …これを「端局(2)」と呼びたくあります。すなわち、「海底ケーブルシステム」として「まるっと」(ひとかたまりのものとして)呼ばれる大容量の回線における終端、すなわち陸上の局を指して「端局」と呼ぶようです。

 「マルス端末」を指して「端局装置」と呼ぶのは、現在の感覚では落ち着きません。導入の順序に沿って読み解きましょう。

 まず、鉄道電話の全国即時網を構築する段階で、周辺の駅の回線も収容する「(鉄道電話の)端局(1)」が設けられたはずであります。

 「これからは電話の時代だ!」といって、現に電信を使っている駅だけでなく、あらゆる駅に自営の電話を引こうというわけです。とはいえ、電話網の構築手法としてはきっと、国際的な標準に従ったはずです。すると自動的に「端局(1)」、すなわち「EO」を、どのくらいの配分で設けるのか決める必要に迫られます。

 後に「みどりの窓口」が設置されることも考慮しつつ、▼「端局(1)」の交換機の容量や設置場所と、▼周辺の駅に設置予定の電話機の需要などを「まるっと」勘案して、沿線の具体的にどの駅を「EO」にするか決めたとみられます。

 その後、最初に「みどりの窓口」を展開するにあたっては、鉄道電話の「EO」の設置駅だけで、マルス端末を置いたとみられます。技術的な制約の有無はわかりませんが、運用面では、電話の技術者が巡回できる体制など利点があったのでしょう。逆にいえば、「EO」でない「加入者線」だけが引かれた駅にもマルス端末を置くことは、かなり手厚い体制がなければできないことで、そこまでするからには交通公社にもマルス端末を置きましょうよ(そして技術者をたくさん抱えておくコストの一部を一種「回収」しましょうよ)などと「鉛筆」されたと決めつけたくなってきます。本当でしょうか。

※「鉄道電話に詳しい資料」の探し方がわかっていません。しかるべき資料を参照すれば疑問が「氷かい」! …などと期待されます。

 ▼先に(特定の駅だけが)「EO」であって、まずはそこだけにマルス端末を置いた、その時に、▼「EO」のための設備、あくまで電話の装置が「端局装置」であるところ、▼エンドユーザー(「みどりの窓口」の担当者)からはいっさいがっさい「マルス」だと思われた(呼ばれた)、そして▼「マルス端末」コミコミで「端局装置(が置かれた駅=どうだスゴイだろ、自分の勤務駅のほうがエライんだぞ)」などと想像されます。現在でも、駅の事務室にあって「ATOSを見る」([2478])、工事の業者が「ATOS禁止日」と呼ぶ([3031])など、現場の人のモノの呼び方はたいへん、アテになりません。

※国鉄時代の「みどりの窓口」の担当者(係員)の接客態度がたいへんアレであった、とは、多くの本や記事で指摘されますが実感はありません。ひいては「お客さま目線」などと、なかば自動的に唱えられる([2947])ことにつながるほど、後世いまだに響いているともいえます。前述の通り「ヒョーテイソクド」([3077])も参照。

 もっとも、マルス102において「端局(2)」という一種「気分」もわからないでもなく、いまでいう「おうち光」(FTTH、特にFTTHの宅内装置:回線終端装置)を指して「インターネット端局装置」と呼びたくなるような、たいへんお気持ちはわかります。この装置は電話網のもの、この装置は宅内LANのもの、この装置は…などと一種「切り分け」できるのはよいですが、できないと使えないというのではサービス(のレベル)としていかがなものであるともいえましょう。

・「正しい「電略」。(上)」(2010年1月)
 http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2010/01/post_1189.html

 > 電子メールはもとより、ファックスさえなかった時代、鉄道現場での通信手段は電話か電報でした。電話といっても一般電話ではなく鉄道電話、いわゆる「鉄電」(現在のJR電話。ちなみにRM編集部のJR鉄電番号は058‐4230番)で、通信ケーブルを介してのアナログ時代は距離が離れれば離れるほど通話状態は劣悪となり、例えば東京から北海道の支線の駅に電話をする場合など、さながら怒鳴りあいのような状態が日常茶飯でした。「手動」を「自動」と間違えぬように「てどう」と読み慣わすなど数々の工夫はなされていたものの、いかんせん電話では重大な齟齬をきたしかねず、多くの業務連絡は証拠も残る鉄道電報に依存していました。

 え゛ー、と絶句されます。ダイヤル網の全国あまねく整備を急いだ、そして逓信省に勝ったとはいえ、品質の面ではまったく及んでいなかった(劣悪であったとまで評される)ことがうかがわれます。とすると、階層構造のモデルもきちんとは理解されず「とにかく急げ」と、そしてマルス101の時代に「「乗車券センター」では駅からの問い合わせが集中し電話回線がパンク」(前掲)するような実態であった(需要に見合った回線網を構築するノウハウを持っていなかった:ワーストとしては「買ってきて、見よう見まねでつないだだけ」という状況すら想像される)とすると、なかなか厳しいものがあります。そうしたこともコミコミで、電子情報通信学会においては特記されないのかも、しれませんね。(あくまで勝手な推察です。)


 鉄道電話の時代を中心として国鉄の通信網を読み解きたいなぁ、と欲が出てまいりますが、ソレは稿を改めることといたします。(恐縮です。)


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