|
(約3000字)
ここまで、以下の順で述べました。
・[2983] 日常感覚と統計(1) 窓のある指令室
・[2985] 日常感覚と統計(2) 旅客運送と保険
・[2986] 日常感覚と統計(3) 「お客様」の属性
・[2987] 日常感覚と統計(4) ドクターコールと責任
(1)では、指令室に欠けているとみられる日常感覚の例として、「窓」(から見える天候)を挙げました。また、データに基づく運行規制として「強風警報システム」では不十分であることを、繰り返しになりますが改めて指摘いたしました。
(2)では、現状では何ら統計的に扱われていない部分を、いかにしてデータとして活かしていくかという問題提起として、鉄道においても自動車のように、車両や座席ごとのリスクに基づいて保険料率を算定する時代がくるかもしれないという未来像を描いてみました。
(3)では、JR北海道での事故を例に、「お客様」の属性が多様であること、乗務員よりも高度な判断ができる「お客様」もいるということについて述べ、鉄道業界で重要視されているといわれる「お客様目線」という考え方の限界について述べました。
(4)では、特に高度なお客様の例である医師について、航空機や列車内での急病人の発生時に医師の協力を呼びかける「ドクターコール」に医師が応じるまたは応じない場合の法的責任について議論があることを紹介しました。
ここまでを踏まえて、日常感覚(素朴な「直観」)、統計(データ、機械による計測)のどちらにも、各々に限界があるということ、そこから、両者の一方に偏重することなくバランスよく活用していくことが重要であるという話になります。
・三中信宏「前口上――統計学概論」(2003年)
http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/R/preamble.html
> ものごとの因果関係が必ずしも明らかではないあいまいな状況のもとで、変量に関する限られた知見に基づいてある仮説の是非を判定することは日常生活では頻繁に生じます。私たち人間はそういう不確定状況での推論能力(素朴な確率論・統計学)をもちあわせています。しかし、人間がもつ素朴な確率統計の感覚的認知は必ずしもつねに妥当であるとはいえません。
> 統計学の理論を長らく支えてきたのは、人間が行なう直感的判断への健全な懐疑心−すなわち経験主義の哲学−にほかなりません。直感にたよっているかぎり、統計理論の出る幕はないのです。しかし、人間は実際に誤りを犯すことのある生き物であるからこそ、どれくらい人間は確率統計的判断を誤るのか、その誤りを事前に防ぐにはどうすればよいのか
> 統計学をはじめて学ぶ者にとって、いま学んでいる手法が統計界の中のどこに位置しているのかをまったく知らされないまま、数式やソフトをいじらされるというのは、教育上のみならず精神衛生上もよいはずがありません。
「幅広いプライマリケア医学」[2987]と同様の問題意識といえます。これも一種のバタフライな話といいましょうか、複雑な話を俯瞰する話です。
・失敗知識データベース「羽越線脱線事故」(再掲)
http://www.sozogaku.com/fkd/cf/CZ0200715.html
> 国土交通省は、原因の一つとして指摘されている強風が鉄道に与える影響を検証するため、翌年明けに気象専門家を交えた協議会を設置することを決定した。
> 事故調査で、他省庁の職員を任命するのは始めてのことであった。
問題が分野をまたがっているということです。これまで、このような複雑な話は後回しにされてきました。およそ、いろいろな問題が解消されてきたいまになって、残っている問題は複雑な問題ばかり、という話(バタフライな話)です。
このような複雑な話(現象)を前にして、あえて日常感覚(素朴な「直観」)をすべて排除して、統計(データ)だけによって対応しようとすると、どうなるでしょうか。
プライマリケア(初期の診断や簡易な措置)をロボットに行なわせるとすれば、あらゆる症例をリストアップし、症例の分かれ目となる診断項目の優先順位を決め、それらの診断項目に必要となる検査のうち、欠かせないものはどれか、といった、一種のフローチャートのようなものをプログラミングし、それをロボットとして実装するということになるでしょう。
重要な疾病の見逃しがあっては困るといって検査がどんどん増えていく、例えば人間ドックに特定健康診査いわゆる「メタボ検診」を追加するように、検査自体が「メタボ」になっていくという現状があります。一方で、検査の時間が惜しい、あるいは検査に時間をかけること自体が患者の負担になる(重症者や、高齢者、子どもなど)となれば、少ない検査で的確な診断を下さなければならなくなります。これは、暴風警報が出ているからといって、それだけをもって当該区間の全線を運休にするのは避けたいという話とも共通しています。安全と利便性の間でトレードオフがあるということです。
実際の現場では、「こういう属性の人には、こういう症例は少ない(多い)」といった「統計的な日常感覚」とでもいうべきもの、いわゆる「ベテランの勘」を併用して、不必要な検査は行なわず、症例に目星をつけて(予断を持つともいえますが)診断するということになるでしょう。ここで、「普通の人」の日常感覚であっては間違いのもとですが、高度な専門性に裏付けられた日常感覚は、十分に統計を補うものとして機能しえます。
ピンポイントな検査、例えば特定のウイルスへの抗体の有無を調べるような検査では、それ以外のことはまったくわかりません。検査自体の信頼性も、場合によっては問題になるかもしれません。同じことは、鉄道の沿線にしか設置されない風速計にも言えることです。
暴風警報が出ているだけでなく、雷が鳴ったりあられが降ったりしたとなれば、これはかなり天候が悪化していると判断できる情報です。しかし、これは風速計では観測できません。それならレーダーで雷雲(積乱雲)を観測しようというのがJRの方針で、最初にその話を読んだ時には度肝を抜かれました。現場の日常感覚(ポスターが飛んでいった、という例を挙げました)をきちんと活用できる態勢を構築するほうが、よほど低コストで高信頼であり、副次的なメリットも多いのではないかと思ったのです。
・「度肝を抜かれる」
http://ejje.weblio.jp/content/%E5%BA%A6%E8%82%9D%E3%82%92%E6%8A%9C%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%8B
例えば、強風で駅のポスターが飛んでいったという話では、従来のように、これだけを切り出して、ポスターが飛んでいかないようなしかけをつくるということで解決とすることも可能ではあります。しかし、強風でポスターが飛んでいったということは、環境に関する一種の「情報」でもあります。ポスターが飛んでいかないようにしてしまうことは、この貴重な情報が取得されず活用もされないということを意味します。ポスターに限らず、無数の「情報」があちこちに眠っています。
このような無数の「情報」を、その場にいる駅員だけでなく指令員や乗務員、さらには各種のシステムまでもが透過的に共有できるような情報環境を構築できれば、その環境を活用することで、(システムが事前に想定していない:観測に漏れのある)未知の情報をも処理しうる、たいへんインテリジェントなシステム(人を含めた)が実現できるでしょう。
複合的な問題(トレードオフのある問題)に対しては、最初に問題の切り分けを行なうという従来の取り組み方は通用しないのではないか、あるいは、無理に切り分けるよりは複合的なまま取り組んだほうが、経済的、制度的、その他いろいろな面で無理のない、合理的な(バランスの取れた)解決策が得られるのではないか、と考えていくことが重要になってきているといえましょう。
|