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[2983],[2985]の続きです。
ある業界が「原始時代」であればあるほど、「縁起」ばかりが気にされるといって「過言」ではないでしょう。「普通の人」が、どのくらい「原始時代」から抜け出ているかは、どこに「普通」の基準を置くかによっても変わってきますが、全般的には、鉄道よりもほかの業界の人のほうが技術やサイエンスに明るい(※)のではないかと思います。
※技術やサイエンスに明るくても「縁起」ばかり気にする人もいるにはいるでしょうが、全般には、明るければ明るいほど、気にしない人のほうが多くなるように感じます。社内や部署内に1人でもいればアウトという話でもなく、広く見渡しての統計的な分布の上での話であります。とはいっても、そんな統計が実際にあるのかは、よくわからないのですが。
※工事現場の人たちが「縁起」を気にするのであれば、それにあわせてきちんと「縁起よく」工事をマネジメントしていくというのも、労務管理上、大切なことといえます。
・日経ものづくり「JR北海道のトンネル内で脱線・火災事故、車輪の異常を放置したずさんな保守」(2013年10月25日)
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/HONSHI/20131025/311320/?rt=nocnt
> 6両目車両下部から発煙を認めた車掌らは、乗客に対し進行方向前寄りの1〜3両目への移動を促した。その後、車内に煙が充満し始めたため、車掌らは降車してトンネルの進行方向出口へ向かうよう避難誘導を開始した。ただし、その時点で一部の乗客は既に自主的に降車して避難を始めていたという。
突風で脱線、横転という、事故発生が乗客の死傷に直結する事故(時間的な猶予が全くない)と、トンネル内での脱線、発煙(火災)という事故(避難が重要となる)では状況が大きく異なりますが、北海道でのケースでは、ビジネス客、いわゆる「出張族」の乗客が多かったというバイアスが、よい方向(死者・重傷者がゼロ)に作用したといえます。
これを、単に「運がよかった」といった「縁起」の延長線上の話としてしか扱わないようでは、「真っ白」(「学問的エレガンス」をともなっていない[2938])といえます。
乗務員の指示を待たずに的確な判断ができるというのは、それなりの立場で仕事をしている人であれば「あたりまえのこと」といえます。ここでは、「お客様」が乗務員より無知な「普通の人」であるという暗黙の仮定は成り立ちません。いわば「お客様」のほうが、高度な判断ができるレベルにいるのです。逆に、お客様による「乗務員目線」の自主的な避難行動によって、あたふたする乗務員らの安全も確保されたとすらいえます。
北海道の特急の乗客は「普通の人」ではなかったのでしょうか。いえ、日常的に高度な判断を迫られるような仕事をしている「出張族」や「転勤族」の人たちは、全国にいくらでもいる「普通の人」でしょう。では、「出張族」や「転勤族」でなければ、「普通の人」ではないのでしょうか。そんなこともないでしょう。そもそも「普通の人」など、どこにもいないともいえます。そうすると、現にその場にいあわせた人を「普通の人」とみなすしかありません。「普通の人」というのは、場所や時間、状況によって変わるものといえます。
パーソントリップ調査([2939])などを活用すれば、乗客の属性(年齢、性別、職業など)の分布もわかり、時間帯、線区ごとの乗客の構成から、群衆としての乗客が示すとみられるさまざまな特性もしくはリスク(パニックが起きるリスクなど)を算定することも可能でしょう。あらゆる乗客を、その各々の属性を無視して「お客様」とひとくくりにすることは、どこにもいない「普通の人」を指して「お客様」と呼んでいるようなものです。「お客様目線」に立とうというのは、はたして、どのような「お客様」にとっても「自分のことを考えてくれていない」と感じられるような「八方美人」的なもの(「八方不美人」[2467]も参照)にしかなりえないのではないでしょうか。
・「八方美人」
http://ejje.weblio.jp/content/%E5%85%AB%E6%96%B9%E7%BE%8E%E4%BA%BA
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