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[2983],[2985],[2986]の続きです。
明らかに「普通の人」でないお客様の例として、多くの乗客がいれば、一定の確率で医師が乗り合わせている、という経験則があります。それを前提として、航空機や新幹線には医薬品や医療器具が搭載されています。
・JR東海「東海道・山陽新幹線の全編成への協力医師支援用具の搭載について」(2013年6月27日)
http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000018850.pdf
> JR東海、JR西日本では、平成25年7月中旬以降順次、東海道・山陽新幹線の全編成に、急病のお客さまに応急処置をされる、(車内に居合わせた)医師等にお使いいただく支援用具(4種類 ※1)を搭載いたします。
> これにより、万が一車内でお客さまが急病になられた際、ご協力いただいた医師等に、適切な対処方法(※2)をご判断いただくことにつながり、より安心して新幹線をご利用いただけるようになります。
> ※1 汎用聴診器、手動血圧計、パルスオキシメーター、ペンライト(パルスオキシメーターは脈拍数と動脈血中酸素飽和度を自動測定)
> ※2 現在でも、急病のお客さま自身のご希望や、ご協力いただいた医師等のご助言をもとに、救急車手配や最寄り駅への臨時停車等を行っています。
・コニカミノルタ「指先に洗濯ばさみ?! これがパルスオキシメーターです。」
http://www.konicaminolta.jp/instruments/knowledge/pulseoximeters/quickguide/fingertip.html
> 指先の洗濯ばさみのようなもの、これがパルスオキシメーターです。
> 洗濯ばさみはプローブあるいはセンサーと呼ばれますが、その内側には赤色のLEDがあり、その光を爪に当てることにより、指の内部の動脈に含まれる酸素の量を採血することなく、リアルタイムで測定できる医療用計測機器です。
・同「医科向け医療機器です。」
http://www.konicaminolta.jp/instruments/knowledge/pulseoximeters/quickguide/home.html
> パルスオキシメーターは操作が非常に簡単なので、家庭でも簡単に使える機器のように思われます。しかし、パルスオキシメーターは家庭用血圧計などとは異なり、誰でも薬局や家電量販店で購入し、個人の判断で使用できるものではありません。医科向け医療機器として、医師の指導の下で使用される機器なのです。
> 日本では、薬や医療機器は薬事法という法律で製造・販売を厳しく規定されており、パルスオキシメーターは管理医療機器・特定保守管理医療機器というカテゴリーに分類されています。
> パルスオキシメーターを販売するには、特定保守管理医療機器の販売を行う資格があることを、都道府県に認めてもらう(許可を得る)必要があります。そうした許可を持つ医療機器販売業者でしか取り扱うことが出来ません。
> PULSOX-LiteおよびPULSOX-1はヤマダ電機の店舗(高度管理医療機器販売業許可取得店)でも扱っています。
恥ずかしながら名前も原理も知らなかったのですが、センサーは赤色LEDとのことで、光学式マウスやバーコードリーダーを高精度にして用途を変えたようなものといえます。お値段も、そのくらいのようです。保証期間はありますが、構造上は劣化したり摩耗したりするものでもないようで、これなら無理なく全列車に搭載できますね。
・「航空機内での救急医療援助に関する医師の意識調査〜よきサマリア人の法は必要か?〜」(2004年?)
http://plaza.umin.ac.jp/GHDNet/04/samaritan/
> 1990年代初頭まで,日系航空会社の機内には外傷時の処置の際に用いるファーストエイドキットと大衆薬の入ったメディシンキットが搭載されているのみであった。しかし1993年より国際線に医師用の医薬品・医療器具(以下医療品)が搭載されるようになり,その後も,航空会社,旧運輸省航空局・旧厚生省,航空医学専門家の産官学が一体となって機内に搭載されている医療品を段階的に見直し,通知及び法令の改正を経て,現在では世界のトップレベルにまで充実した内容の医療品が搭載されるようになった。
> これまで機内で発生した急病人の診療に当たった医師に対して医療過誤訴訟を起こされた例はない。刑事法上は緊急避難が適用され違法性が阻却される可能性が高いが,民事法上その位置づけは曖昧で契約,不法行為,事務管理,緊急事務管理などの適用が考えられる。
もっと突き詰めれば、「お客様の中にお医者様はいませんか?」という「ドクターコール」に対して、医師が応じなかった場合にも責任を問われうるか、という話にもなりえます。現実的には、複数の医師が乗り合わせていて、誰かが応じるだろうから自分は応じない、といったジレンマ的なものもあるために、「4回目のドクターコールで応じる」ということにもなってくる面があるのでしょう。
・日野原重明「新幹線車内での急患」(2012年9月5日)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=64408
> 私はまもなく百一歳となるが、今でも健康で、国内、国外での講演活動が多く、忙しく活動しているので、国内では新幹線に乗ることが多い。新幹線に乗ると、車掌が時折、乗客の中に急患がでたのでお医者さんが乗っておられればお知らせ下さいというアナウンスが聞こえてくる。そんな時、私はすぐ反応するが、同じ新幹線に何人か乗っている筈なのに、私のようにすぐ行動する医師は少ない。
> このような患者の症例や処置は、幅広いプライマリケア医学を心得た医師でないと診断も処置もできないのである。私は医師になり70年も診察をやってきたので、この患者への処置ができたのだと思った。
※分野を問わず、専門性が狭くなりすぎて、かえって基礎ができないという問題があるのですね。
・山家智之「新幹線でドクターコール」(2010年12月13日)
http://mec1.idac.tohoku.ac.jp/?sinkansen+DRcall
> 車掌さんから、乗車中にふと吐き気がして、吐き出して、左手が動かなくなって紫色になっていますとのお話。ううん、まずいなあ、脳卒中かな?
> なんと、東北新幹線には、血圧計もないらしい。ううん、持ってくればよかったのかな?・・・ブラックジャックじゃあるまいし、救急セットなんて普通は持って歩けないよ・・・
> 急性期かどうか・・・せめて血圧計が欲しい!
> 車掌さんとお話しすると、宇都宮で途中停車できるかもしれないとのお話。どうしますか?・・・と聞かれる。
> どうしろって、私がこれだけの情報で確定診断して判断しなきゃならないの? ・・・血圧計すらも、なにもないんだよ・・・う〜ん・・・。
> ・・・ここには聴診器もないのよ!!!
> ここで八戸市民病院救急センターの先生もいらして相談し、やっぱりCTのある病院で早めに処置したほうがベター。との結論。
> 新幹線に宇都宮で停まっていただくことにする。
> 宇都宮駅まで救急車が迎えに来るとのお話。ストレッチャーは?・・・ないよね?・・・救急車までは担架で・・・というシステムらしい。
> 宇都宮の臨時停車をお願いしたとたん、少し左の麻痺が回復してきたようで、弱いながらも私の手を握り返せるようになってきた・・・・心なしか、左手のチアノーゼも改善傾向に見える。マーフィの法則じゃないけど・・・停車を決めると治ったりするのかな?
※もっと難しい話(いろいろな意味で)も含まれます。ぜひリンク先を直接お読みください。
このケースでは、列車に乗り合わせていた医師が6名(記事の著者を含む)も集まったということです。実際に「ご協力」した医師からの意見も受けて、新幹線に血圧計、聴診器など最低限の医療器具が搭載されるに至ったというわけです。
・朝日新聞「新幹線に聴診器常備へ 新聞投稿受け乗客の医師救急対応」(2013年6月28日)
http://apital.asahi.com/article/news/2013062800001.html
> 血液中の酸素濃度を測るパルスオキシメーターと、ペンライトも合わせて備える。JR東海によると、東海道新幹線車内の急病人は、昨年度計285人。うち45人は臨時停車したのち救急搬送された。
> 3月4日付朝日新聞朝刊「私の視点」で、医師が「急病人の状態を把握するために最低限必要」と指摘したことを受けての対応という。
新聞の投書という、かなりジェネラルなチャネルでの指摘を受けるまで対応されなかったことには問題が残ります。鉄道業界が航空業界の動向とリンクできていれば20年前に実現できていたことといえます。いまさら医療器具が搭載されても、(搭載されること自体はもちろんよいことではありますが)万事がオーライ、とはいえません。
・JR東海「アニュアルレポート2012」
http://company.jr-central.co.jp/ir/annualreport/_pdf/annualreport2012-02.pdf
> ●1日当たり列車本数 333本
> ●1日当たり輸送人員 391千人
> ●年間輸送人員 143百万人
およそ乗客50万人に1人の割合で急病人が発生し、列車1万本に3.7本の割合で臨時停車して救急搬送しているということになります。多いのか少ないのか、よくわからない数字ですが、実際には乗客が多い列車に急病人が偏っているのではないかとみられ、結果として、医師が乗り合わせる確率も高まり、医師でない人もまた乗り合わせる確率が高くなる、そして「これまでに乗った列車で急病人が発生したことがある」という人は、かなり多いのではないかと思われます。
※私自身は、新幹線ではありませんが、東京近郊の在来線や地下鉄では、この15年間に3回くらい、急病人の発生に遭遇したことがあります。そのくらいの頻度ですので数字でいえば少ないものの、実感としては「結構よくあること」という印象を受けます。バイアスですね。
なお、JR東日本では、東海道新幹線の半年後に、新幹線および特急列車のすべてに、同じ内容の医療器具を搭載しています。
・JR東日本「新幹線・特急列車へ医師支援用具を搭載します」(2014年2月19日)
http://www.jreast.co.jp/press/2013/20140215.pdf
とはいえ、医療器具まで用意されたうえでなお「ご協力」という法的責任があいまいな状況のまま「診断」(いえ、法的にはあくまで「助言」であって、「診断」はしていないということになるのかもしれません)することを迫られる医師としては、たいへんプレッシャーが大きいと想像されます。医師が乗り合わせていることを統計的に期待することも、乗り合わせていた場合に「ご協力」を求めることも、各々は「あたりまえのこと」で正しいように思いますが、その整合性をきちんと考えようとなると、とたんに「難題」に化けるのです。
トンネルの中で自主的に避難行動を開始すること([2986])も、結果によっては責任を問われかねない行為でもありますが、ドクターコールを含め、このような話を明示的に法制化する(責任を免除する、あるいは義務を負わせる)ことは、保険と同様、かなり難しいことのようです。
上掲の記事にあるような既往歴(※)のある人なら、自分の状態(症状の重さ、切迫度)を的確に把握でき、無理な我慢をすることはないだろうと思いますが、初めて罹患する人にあっては「大ごとにしたくない」「人様に迷惑をかけてしまう」といったことを次々に考えてしまい、臨時停車を望まない(本当の希望を口に出しにくい)ということがあろうかと思います。
・国立国語研究所「既往歴」
http://www.ninjal.ac.jp/byoin/teian/ruikeibetu/teiango/teiango-ruikei-b/kioreki.html
臨時停車とはいっても、救急車を手配しやすい駅など、いくつか特定の駅を事前に決めてあるはずで、東海道新幹線でいえば〔こだま〕のみの停車駅に臨時停車することはなく、おそらくは〔のぞみ〕を〔ひかり〕の停車駅に臨時停車させている(=〔ひかり〕や〔こだま〕では臨時停車するまでもなく次の駅で停車できる)のだと思いますが、そうしたことからも、「普通の人」が思うほどには、臨時停車は「大ごと」ではないといえるのではないでしょうか。
仮に、1年に発生する285人の急病人すべてについて、自動的に(医師の「助言」を待たずに)臨時停車して救急搬送するとしても、1.17日に1本の割合です。上述のように、〔のぞみ〕以外では臨時停車が必要ないとすれば、もっと少なくなります。また、急病人の発生には、曜日(休み明けなど)や時間帯などにきっと偏りがあるはずです。その情報を事前に公開しておけば、いっさい遅れに巻き込まれたくない(エンギでもない)と感じる「お客様」が「急病人が発生しやすい曜日や時間帯」を避けて列車を利用するという選択的な行動が可能となります。データが人々の行動を変えるという話は、必ずしも「ナビタイム」のようなアプリケーションに留まるものではありません。
台風などを含めても遅れ時分がほとんどない(東日本については[2929]も参照)ということを誇るのであれば、むしろその余力(ATCの多段化や定速走行装置の導入などによる)を、救急搬送のための臨時停車に使っていくべきではないでしょうか。
・JR東海「ペースを保つこと。長距離を走る鉄則です。」
http://n700.jp/know/a02.html
> N700Aは、新幹線で初となるATC情報を活用した定速走行装置を搭載しています。線路の勾配やトンネルによる影響を予測しながら、速度信号に沿って運行を自動制御。異常時でダイヤが乱れたときには、このシステムが遅れをすみやかに回復し、安定した高速運行を実現します。
終点で「遅れ5分」程度であれば何も問題はない、とされるような、ゆとりある社会になって(戻って?)ほしいものです。年間の平均遅れ時分を0.1秒でも短く、といった方向で「がんばる」ことは、重要ではありますが、それだけに目を奪われてほかのことをないがしろにしてよいという話ではないでしょう。
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