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【研究ホワイトボックス】

研究を楽しく「追体験」! 真っ白のキャンバスに虹色の未来を描く方法、教えます。
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発行:2017/4/17
更新:2018/3/17

[3452]

【博物館法SP(仮)】 【研究ホワイトボックス】

研究ホワイトボックス(15) ハイパー・ゼロ:「情報のかかりつけ医」に求められる「メタ知識」とは


「一次資料」の生成を担うには博士号が必須
エンドユーザーこそがユーザーである(かもしれない)
【JR東日本】駅構内のストリートビューを公開
Googleストリートビューで迷子になり、Googleストリートビューの中で「東京駅 案内図」を見るはなし(談)

(約37000字)

 「研究ホワイトボックス」と題して「研究を楽しく「追体験」! 真っ白のキャンバスに虹色の未来を描く方法、教えます。」とのことなのですが、その中でも特に総合的もしくは抽象度が高いテーマについては「ハイパー・ゼロ」との副題を添えればいいらしいと、たぶんこういうわけです。

[3213] 「ハイパー・ゼロ」前回のおはなし
 > 「メタ目次」でいう1章から5章にあたる要素は持たず、それ以前の「ゼロ」なところを走り書きしてみます。
 > 「そうだそうだ! もっといってやれ!」的な気分
 > > 占いの結果はみんなのがんばりで変えられるよ☆

 > 図書館でいう『ゼロ』、すなわち十進分類の「0(総記)」は、1つ2つそして9つまで数える、個々別々の専門性を有する資料群(平たくは冊子体の「本」)をいかにして分類し、配列し、利用者が便利かつ簡便にアクセスできる状態を確保するかという…平たくは「本の片付けかた」「本の探しかた」など、「本に関する本」という意味での「メタ本!」を入れておく、そのまた物理的な本棚としての「0(総記)」であるわけです。
 > 仮に「ゼロ」が発見されていない業界であったなら、「0(総記)」に相当する知識はいっさい明文化されず、ベテランと称して窓際でふんぞり…いえいえいえ、「知恵袋!」と呼ばれて頼りにされる、そうした一部の人の頭の中だけに知識がある状態のままであることでしょう。知識の規模(プログラムでいうステップ数のようなもの、マニュアルのページ数のようなもの)が十分に小さいうちは、頭の中だけで完結するほうが楽であるわけです。しかし、知識が複雑化していくためには、きちんと文字に書くことが必要となり、また、文字に書くことによってどんどん複雑化していく、一種「頭の中」という「ひと」を離れて、あたかも知識が自分で成長していくかのようなソレが、割と自然に生じてくるものだと思われましょう。

 『ぜっ、ぜろをこえてゆけっ!! …お、おぅ。』的な気分を指して「ハイパー・ゼロ」と副題するのだという気持ち的におおらかです!

・Google ストリートビュー 「ぜろをこえてゆけ(北陸編)」のイメージです(2016年12月)
 https://goo.gl/maps/nEvm9zDKwDC2

 ぜろゆけばてつきぶん…じゃなくて、このぜろにみおぼえはありませんか…でもなくて、えーと、「どこへでもいけるきがした」からの「すとーんとすとすとまいる」([3233])っ! これ、ぜろまいるぽすとっていうんですよね☆ちゃんと知ってるよ! …本当でしょうか。その答えはぜひ、お近くの市立図書館のレファレンスカウンターで問い合わせていただいて、ひいてはレファレンス協同データベースに載せていただこうではありませんか。(違)…そっちは汐留ですよぅ。ずぃあろぅ。

・レファレンス協同データベースより京都府立京都学・歴彩館「東海道線の旧線に大塚信号所があった。現在の東海道線の東山トンネルが1921(大正10)年にできて大塚信号所はなくなったが、現在ではどの辺りになるのかを知りたい。」の事例です(2010年7月5日)
 http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000070142

 こう、館<やかた>としてのソレはともかく、高大接続…いえ、図書館と博物館の相互接続が欠かせないとの理解が既に共有されていようかとの認識にございます。特定のテーマについて誰よりも詳しい、あるいは一定のテーマについて網羅的に知っているという博物館と、どの博物館に問い合わせればいいのかという知識を持っているべきである図書館、さらには、単一の所蔵資料や単館の図書館・博物館で調べただけで満足してしまう利用者や学習者に対し、異なる分野からの指摘(≒いわゆる「学際」)や最新の知見のありか(≒まだ研究成果の出ていない研究領域)などを指し示す役割のほうなど、いかなる資格者によって担われていけば質と量(≒継続性や経済性)が担保されていくのでしょうか。

・「学術情報センターニュース」(1999年9月)
 http://www.nii.ac.jp/CNEWS/PDF/No49.pdf

 > 文書館・図書館・博物館--三つどもえの中の三者三様
 > 「大学等の研究活動を総覧する情報提供サービス」の開始

・(個人の日記)「2010年10月11日付近の空気」のイメージです(2010年10月11日)
 http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20101011/1286819263

 > 研究アクセス・・・「使いたかったら自分で探せ」が原則、という現状
 > 博物館出版物の大半は博物館にいかないといけない
 > 「博物館資料は博物館のものではない」という考え

 > 少なくとも20年くらい前の学芸員は、「私が対象としている分野の資料であれば、目録がなければどこに何があるか知っている」という意識。目録については、博物館で整備しているのは半数にいっているか否か。西日本で共通フォーマットで・・・という動きがあるのは恥ずかしながら知らなかったが、それを聞いてかえってびっくりしているくらい。

 形式的には「20年くらい前」とは1990年ごろ(職場によってはPCをまったく使わないかもしれない時代)のことを指していることになりますが、話者が実際にイメージしているのは、もっと古い、仮には1975〜1985年くらいの、そもそも理系の研究室や大企業にしかコンピューターがなかった時代のことかなぁ、とも想像してみます。本当でしょうか。そういう細かいことを確かめずに雰囲気だけで話を進めるのは「落とし穴!」になりうると思いました。(※感想です。)

 > 日本でも京都府立総合資料館は1963年で非常に古い。ネット上でも、徳島県の取組みは1995年で、インターネットが普及していない頃にパソコン通信を利用してやっている。
 > 日本は着想は古いがその後のフォローが不十分。

 「**氏の報告へのコメントと付言」([3406])も参照いただきつつ、数学や物理学など一種「手続き」を重視する分野の研究コミュニティがみがいてきた、じぶんたちの研究を促進するための管理や相互評価の手法が、ほかの分野には普及していない(その場で熱く語れる者の声しか文字化されていかない⇒議論に多様性や並列性が乏しい)ところが重石になっているのかもですぞ。「ダイオウイカ」については[3340]を参照。

・ウィキペディア「データ並列性」「タスク並列性」⇒「並行性」(「Dining Philosophers Problem」⇒「sleeping barber problem」)⇒「セマフォ」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E4%B8%A6%E5%88%97%E6%80%A7
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%82%AF%E4%B8%A6%E5%88%97%E6%80%A7
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A6%E8%A1%8C%E6%80%A7
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E4%BA%8B%E3%81%99%E3%82%8B%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E7%9C%A0%E3%82%8A%E5%BA%8A%E5%B1%8B%E5%95%8F%E9%A1%8C
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%9E%E3%83%95%E3%82%A9

 > ミューテックス
 > セマフォ

 現物としての図書(冊子体)に対して「カード目録」と呼ばれる『分身!』をつくろうという発想とも似ていましょう。そして、図書の場合は現物のほうも可搬であるので、現物の有無がすなわちセマフォ…えーっ。いつまで経っても返却されない図書があるんですけど! …あらあら、まあまあ。返却されていないことがわかるための台帳が必要ですよね。うんうん。

 > データ並列性は、異なる並列計算ノードにデータを分配することに焦点を置いている。並列性の別の形態であるタスク並列性と対照をなす。
 > タスク並列性は、異なる並列計算ノードに実行プロセス(スレッド)を分配することに焦点を置いている。並列性の別の形態であるデータ並列性と対照をなす。

 > 時間的にオーバーラップして実行される計算を伴うシステムの属性であり、そのような計算ではリソースを共有することがある。
 > 並行計算のための数学的モデルとして、ペトリネット、プロセス計算、並列ランダムアクセス機械モデル、アクターモデル、Reo Coordination Languageなどが開発された。

 > 箸ならば、「1人が2本確保しなければ食事ができない」という制限がより自然である。
 > ウェイターを配する解法
 > リソース階層による解法
 > モニタを使った解法

 > Chandy / Misra の解法
 > 最も長く食事にありつけていないプロセスを優先し、最近食事したプロセスの優先順位を下げる効果がある。
 > 彼らはこのシステムを非環状グラフで表せるかもしれないとし、もしそうなら、その動作は環状グラフに変換できないことになる。それは、デッドロックが起きないことを保証しているのと等しい。しかし、システムが最初に完全に対称な状態に初期化される場合、グラフは最初から環状になり、デッドロックを防ぐことができない。

※デッドロックについては[2826],[3064]、「デッドロックに乗り上げ」については[3183]を参照。「再生循環レジスタ」については[3178]を参照いただくとともに、「ただし循環は考えないものとする」([3213])のほうなど参照して、『循環=イコール=排除すべきもの!』との固定観念に過度に支配されぬようにしていこうではありませんか([3302])。構造中に循環があるということにも意味があるのですよ。

 わりとヒマな館長の午後ティー(ここで効果音「バラ色!」入りまーす…いただきましたっ)…じゃなくて、図書館の労働力が1秒たりとも余らぬよう…でもなくて、各地の図書館のすべての蔵書を積み上げたときに圧倒的なダイバーシチが達成されるよう、各々の図書館の選書にあえてばらつきがあってほしいとかなんとか。どこにいってもベストセラーが複数冊あって、しかも短い期間で廃棄されるなんて、とんでもないのですぞ。あえて2年遅れで蔵書していく(蔵書するに足るかどうかを2年の「ウィンドウ」をもって決定する)というのもありだと思いました。(見解です。)小野測器「そこそこのウィンドウで積分っぽく」のイメージのついては[3388]を参照。

・「わりとヒマな館長の午後ティー」っぽいの付近
 https://audiostock.jp/audio/95889
 http://lifemadesweeter.com/wp-content/uploads/How-to-Throw-The-Perfect-Summer-Afternoon-Tea-Party2-700x384.jpg

・「わりとヒマな館長の午後ティー(しゅわしゅわ〜!)」っぽいの付近
 https://audiostock.jp/audio/95818
 http://www.nationalgeographic.com/content/dam/travel/photos/000/Migration/22442.jpg

[3438]ほか
 > (規模の大小こそありすれ)市町村にあって(図書館から独立した形で)「情報コーナー」を名乗るからには、
 > 公共図書館とは異なるポリシーで選書するべく独立させるのですよ、の意。

 > (実際に質問を受ける前に)仮想のレファレンスシナリオを網羅的に作成しておく(=「解釈」は無限でも「資料」は有限個ですから可能です!※)ことが、もはや『夢』ではなくなりつつあるとの認識でございます。『人工知能!』によって作成された「突拍子もない組合せ!(人が見たら斬新なアイデアに見える…気がする!)」に、何らかの何か的なものを認める必要はないんです! …もっと本当でしょうか。
 > そのための途中の計算結果を使って、選書(新しく蔵書する図書の選定)の支援や決定過程の透明化もできるんではないですか?、の意。おお、A図書を入れるとレファレンスシナリオが48通り増えるけれどもB図書では4通りしか増えないなぁ、などと(略)。いえいえいえ、これまでまったくなかったシナリオが4つ増えるのであればB図書もいいぞ☆。そういうとっかえひっかえは有資格者が責任を持って行いつつ、他方、いくら有資格者とはいえ古今東西あらゆる図書について把握できるわけはなく、そこは「人工知能!」の助けを借りようと…ゲフンゲフン。

 仕事そのものは、どんどんヒマになっていこうかとの気配にございます。その代わり、人間が取り組むべき仕事は、とてつもなくむずかしいものばかりになっていくのです。これまでのように型通りの研修を重ねるだけで、本当に取り組めるのでしょうか。現にきちんと取り組めているのでしょうか。…ギクッ。

 管理職になりながら『いつまでも現場主義!』などと言い放ってはいけないのですよ。図書館の館長などというものは、各種の審議会の委員くらいに「中くらいのセンセイ!」が一種「持ち回り!(あたり番!)」で(同一の都道府県などに限って=いつでも参集できることを要件として)「掛け持ち!」すらしてよいくらいの、そういう種類の仕事なのではないかなぁ。(あくまで私見です。)


●「一次資料」の生成を担うには博士号が必須


・「一次資料」は図書館情報学用語です
 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E6%AC%A1%E8%B3%87%E6%96%99-1702231

 > オリジナルか否かの判断の基準は明確ではなく,むしろ二次資料の情報源となるもの,さらには二次資料ではないという相対的な意味でこの語は使われている.

※オリジナルかどうかを厳密に問うことも重要ですが、それだけで決まるものでもなく、二次資料の生成を促したかどうかという結果から逆算的に一次資料として優れていたと評されるものも出てきましょう。

 学芸員(という資格や職域)については、これまでにも断片的に触れてきていることが知られています。

[3180]
 > これはひどい「ガイドらしき人」ですね。学芸員なら研究能力の不足、学芸員でないなら、学芸員を採用しないという事務方の認識不足と断じられます。

[3190]
 > 外国の大学院生([3181])が『温泉アイランド!』について理系の(地学や化学などの)用語混じりで理路整然と質問したとすると

[3336]
 > 中央観光「修学旅行お食事プラン」(1957年3月26日)

[3440]
 > > ●登別観光協会様 ●蔦温泉旅館様 ●乳頭温泉組合様 ●鳴子温泉郷観光協会様 ●塩原温泉観光協会様 ●山代温泉観光協会様 ●濁河温泉管理組合様 ●奥飛騨温泉郷観光協会様 ●龍神温泉協会様 ●道後温泉旅館協同組合様 ●湯原町旅館協同組合様 ●嬉野温泉観光協会様 ●黒川温泉観光旅館協同組合様 ●十勝川温泉旅館協同組合様 ●野沢温泉野沢会様 ●熱海市観光協会連合会様
 > 「魚屋道」について、地元の感覚としては疑う余地のないほどの常識なのであろうと察しつつも、いいえ、厳格な認定なしに安易に「史跡」として紹介することは、神戸市としてはあってはならないといえます。指定文化財としては、調査の時期が古いとみられ「かたいもの(出土品)」に偏重しており、古代から江戸時代中期くらいまでの古道の跡や建物跡(柱の跡)のようなものを探す調査は手つかずに近いのではないかと疑います。「魚屋道」についても、沿道の古い建物が点々と指定されつつも、「魚屋道遺構と沿道建物群」といった、近年ユネスコ的な意味での総合的な見地には、まだ至っていないようすが見受けられます。

 だからといって『かたいせき!(ハード遺跡!)』と『やわらかいせき!(ソフト遺跡!)』などと安易に「2項的にバイナリ!」で捉えてしまっては、「フミン酸」や「名状しがたいアミロイドのようなもの」的なもの([3374],[3428])を考えられなくなるので、ぜひとも「なめらかな連続値!」で「多次元的!」に捉えていってくださいね、と念を押したく思われそうです。本当でしょうか。

[3441]
 > 千葉ポートタワーは観光展望塔でございます。千葉ポートタワーは観光展望塔でございます。
 > なるほど学校などの団体客にあって「きょうは遊びに来たのではなく、学習するために来たのですよ」との言い分が立つよう…あ、はい、いえ、その、メッソウでございます! 千葉ポートタワーは近代史を学ぶには最適なロケーションです。…千葉ポートタワーは近代史を学ぶには最適なロケーションです! これはもう、タモリさんにも上っていただくしかあるまいて。
 > とーざいなんぼく、かざむきりょーこー! なるほど千葉ポートタワー(1986年)で得られたデータ(千葉市内での高さ100〜125mでの風向・風速)を使ってセンシティタワー(1990年3月着工・23階建て・106.65m)が実現されたと&本当ですかっ。わあぃ国語算数理科社会っ。

 > なぜに2回いうし。…なぜに2回いうし!!

 日本の大学院生や留学生は日本国内の事情を承知していて、そういう質問をしてもしかたがないというあきらめがございましょう。そして、大学に入ると勉強しなくなるというひとからみての「学習」とは、かくも視野の狭いものであるのです。学習って、本質的に楽しいんですよ。「観光のついでに学習になる」のでなく、学習すること自体を楽しむ旅行って、あるんですよ。地層すら「話題のパワースポット!(今週の新商品!)」([3393])にしてしまうような日本では、(有資格者などが)何を申しても(国連機関などから申されても)徒労のような気がするとのあきらめにございます! …なんだかなぁ。

[3178]
 > シュトゥットガルト大学(ドイツ)の博物館に所蔵されている「1958年」の「LGP-30」という「計算機」の電源ボタンを押して…延々と待たされるところからの映像です。いかにもな音がいたします。まず冷却ファンが回り、しばらくしてから磁気ドラムが回りだすと説明されています。『コンピューターサイエンス学部の博物館』なら、このくらい整備できてあたりまえだ、といわれそうです。日本でもできたいですね。

[3358]
 > 「てっぱく」でも「MARS-1」のレプリカを動態展示しましょうよぉ。

[3071]
 > > 近くの水族館「うみたまご」
 > > 大学院を出て国立科学博物館で学んだこともある学芸員の****さん(43)に理由を尋ねたが、一人前と扱われ、即答はしてもらえない。

[3126]
 > 「美大で博士了、そして『普通に就職』」というパスの幅(枠)が広がっていくと期待されます。特に、学芸員としては(学部卒で資格を取得するだけでなく)博士了であったほうが、後々、大きな差がつく(研究ができる=よりよい仕事ができる)のではないでしょうか。目先の仕事だけにとらわれることなく広い視野を養えるのは、院生の特権であります。存分に活かして、自分を伸ばしていただきたく思います。

[3363]
 > > 京都市学校歴史博物館の学芸員****さん(38)によると、理科室が本格的に造られたのは大正時代。明治時代は教師が本に書かれた内容を読み上げる授業が主流だったが、明治の終わり頃から、児童生徒が自ら実験や観察をすることが重視されるようになり、グループで作業できる大きな机を置いた理科室が設置された。大正時代に入るとさらに増え、「昭和初期には準備室も併設され、今の理科室の原型がほぼできあがった」という。
 > さすが学芸員っ。それぞれの時代における普及率や整備費用などもインタビューで即答のうえ、それを記者が書きたくなるように話すという技術もコンピタンスですぞ☆。
 > のうのうと「展示物の制作とそのメンテナンスおよび教育活動が楽しい!(わたしはコレで学芸員を目指しましたっ! いま夢がかなって****いっぱい!)」などと述べるようになっては、(機能の廃用[3169]という意味で)博物館機能がすたれますぞ★。

[3376]
 > > 諸法律の基礎的概念を正確に理解できること,法律の果たす役割・機能等を理解できること,各種法律の具体的事例の中から法的問題点を把握し,法的解決策を論理的に提示できることで,学習・教育目標のA-1の達成とする.

[3386] EQF
 > 「Level 5であり8である人」
 > 「Level 2であり8である」という離散的なキャリアを明示的に扱わないといけないと思いました&草々。見かけ上のわずかな属性だけを考慮する貧弱なダイバーシティーでない、圧倒的なダイバーシティー(=「EQF」の分解能を上げつつ、指数的な数となるキャリアのパターンの全域を見渡すような&属性の違いはほとんど影響しないかもしれない=)がないと、『袋小路』に陥るんではないでしょうか。(個人の見解です。)

 > 教育の専門家でも、言語学や言語教育の専門家でもない、そのことをお忘れではないでしょうね、と念を押されます。自分の専攻を越えて何かに言及せざるを得ない時は「第4種謙きょ」([3169],[3181])が欠かせません。
 > (日本では)せめて論文博士を、というのがLevel 7(いまさらLevel 8にはなりにくい、既にキャリアの長い人、の意)でありましょう。それすらないままでは、いくら肩書きが、「EQF」で例示されるようなソレであったとしても、「EQF」でいうLevel 7である(Level 7が務まっている)とは認められない、ということが、仮に今後、「EQF」が一種『輸入』されたときに起こる「クロブネ的な何か」だと、見ておけばいいんでしょう。たぶん。
 > 20〜30年後に博士号を問われたとき、涼しい顔で『あるよ。』と言えるように課程博士を取っておきましょうよ、の意。
 > ワー! はかせはかせー! 「完ぺきなはかせ(レベル99)」なんて、いるわけないに決まってるじゃないですかぁ。やだなぁ。「レベルの数字」だけを見て、上だの下だのという見かたしかできなくなるわれわれがいちばん「****」なのかもしれませんね。Level 8は、「自主性」「自律」を伸ばしていった先にあるという意味で「2の上」でありつつも、「1から7の外側」にあるんですよぉ。

 (特別な態勢の博物館を除く)多くの『標準的な』博物館で研究活動が「不振」であるのは、博士が(ほとんど)いないからでしょ(当然でしょ)と、ほかのどんな分野の研究機関から見ても一目瞭然であろうかと邪推します。時間や労力をかけさえすれば研究できるというわけではないんです。ある分野に長く接してきたからというだけで専門家みたいな顔をしてよい時代は、もう終わっているのです。研究活動には、そのためのコンピタンスが培われないといけないんです。その上でさらに、それは自己評価で「わたし研究できます」といってよいものではなく、学位論文の審査委員の5名によって厳格に審査されなければいけないのです。(※個人の見解ではございません。)


●エンドユーザーこそがユーザーである(かもしれない)


 ぜろゆけばてつきぶん、どんどんまいりましょう。(違)

・ウィキペディア「逢坂山トンネル」(1879年〜1921年)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A2%E5%9D%82%E5%B1%B1%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

・Google ストリートビュー 「京都市山科区付近の煉瓦」のイメージです(※鉄道との関連は不明です)
 https://goo.gl/maps/QE4LQmTSH432
 https://goo.gl/maps/F7CqLvUFhNp

・京都市の見解です
 http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007153.html

 鉄道といったら鉄道しか見ず、水道といったら水道しか見ないのでなく、▼両方に『同じ窯の煉瓦!』が使われたのではなかろうか、▼同じ地区では同じ人が両方の現場で働いたのではなかろうか、ひいては▼昼食には何を食べたのだろうかといって、事業や事業体の違いを超えて歴史を追っていこうという見かたも楽しいかもですよ。「おにぎりの化石」については[3192]、「医師の見地」については[3297]、それに「蝉丸神社」については