・Read Wikipedia in English ・表111B ナイーブな研究におけるステップ(工程)のようなもの(※独自に作成)
(約22000字)
・[3434]
> わあぃトネヨッタツあり検の成果は「新委員会等」っ。
事実上の新たなあり検を設けるべきであると結論しちゃうようなあり検って、あり検としてどうなんですかねぇ。あり検って…殖えルンです! やーいあり検っ。あり検は多ければ多いほどいいぞ★。本当でしょうか。いわゆるあり方検討会等のあり方等に関する検討会(略称:あり検あり検)の必要性が高まってまいります。あり検あり検は多ければ多いほどいいぞ★。いわゆるあり方検討会等のあり方等に関する検討会(略称:あり検あり検)の必要性が高まってまいります。「等」と称しているので、「あり検あり検あり検」にはならないのがミソなんだなこれが。(※あくまで演出です。)
・[3445]
> いつから『温泉あり検!(温泉等あり方検討会)』になったのかというほど
…じゃなくてですね(略)東京都立図書館「111枚のアイディアカードから選ぼう」を参考にしています。
・[3326]
> 実験
> 観察
> 調べる
> 集める
> つくる
> 「観察」と「調べる」の違いが、理科ほどには明確でないものもありますが、それとなく分けました。(動かせないものや触れないもの、こちらの操作によって性質が変わることのないものなど)あるものをあるがまま「観察」⇔文献や聞き取りで「調べる」(ただし現物は「集め」ない)、といった感じでしょうか。「調べる」については、かなり能動的かつ複雑なことを調べるものだけを「調べる」とし、「つくりかたを調べてその通りにつくる」は「調べる」には含めませんでした&バリエーション探しをするものは「集める」に含めました。(あくまでわたしの分類です。)
つまるところ、「メタ目次」でいう「3章」([3093])に何を据えるかというのが、研究計画そのものであるという早合点をしてもよいのではないかという早合点でございます。(あくまで早合点です。)
・「つくる」:「つくる」が必須となるかは、テーマによる。「つくる」自体はゴールではない。「つくる」ために何が問題で、それをどう解決するのかというところが「3章」の中身になる
・「集める」:じぶんの研究を「集める」から始めるのか、シミュレーションするのか。これは、「3章」の冒頭で示す「材料」「データ」の用意のしかたの違いである。東京都立図書館のカードにはないが、シミュレーションに取り組みたければ、「集める」の代わりだと思えばよいのではないか
・「観察」と「調べる」:「4章」の「考察」が非常に難しい。先に「考察」のしかたを考えておかないといけない。それを「予想」(「仮説」)ともいう
そしてこちら、表でございます。
■表111B ナイーブな研究におけるステップ(工程)のようなもの(※独自に作成)名状しがたい 難易度のよう なもの | ステップ 1(わん) | ステップ 2(つー) | 夜明けの ドーン | やゆっとやゆーん (ただし労力は認める) | | | | | | Lv.1 | 集める | 分類する | 考察する | 集めただけ | Lv.2 | 調べる | 配列する 数える 観察Lv.1 | 考察する | 年表などに変形しただけ 数えただけ 観察しただけ | Lv.3 | 観察Lv.2 | 対照する (または) 検定する | 考察する | よくできました☆ | Lv.4 | 実験Lv.1 | 数える | 考察する | 数えただけ | Lv.5 | 実験Lv.2 | 対照する | 考察する | 検定してないね | Lv.6 | 実験Lv.3 | 数える 検定する | 考察する | 対照してないね | Lv.7 | 実験Lv.4 | 対照する 検定する | 考察する | 計画してないね | Lv.8 | 実験Lv.5 | (対照させる) 検定する | 考察する | よくできました☆ | Lv.9 | 調べる | → | つくる | つくっただけ |
※「1」「2」「ドーン」:それぞれ「メタ目次」でいう「3章の冒頭」「3章の中盤」「3章の後半と4章」に相当。
※夜明けのドーン:(1)徹夜して気の大きくなったひとが大きなことを書くさま、(2)徹夜したひとが締切り間際に大きな変更を加え全体を台無しにするさま、(3)徹夜できなかったひとをたたき起こす銅鑼の音が鳴り響くさま。
※「集めただけ」:▼メカニズムを明らかにするための工程(実験や観察)がない、▼(収集対象の)母集団(や、そのサンプリング)が意識されていない、などの意。
※「計画してないね」:対照群をじぶんであらかじめ考えて用意したのではなく、なんとなく実験(調査を含む)しながら、結果的に対照したことになるように見せかけていませんか? …ギクッ。
※「観察Lv.2」:実験のように人工的に統制できないものを相手に、よくがんばりましたね、の意。労力としては実験より大きいこともありましょう。
※「つくっただけ」:「つくる」こと自体の労力や独創性があれば、その点は認めましょう。しかし研究ではないですね、の意。
※当然ながら、この表のようなことを考えるのが「Lv.0」でございます。「研究方法論の研究」([3125])も参照。「研究者教育の研究」(研究倫理を含む)とかいうのも、実地の研究をしながら片手間で取り組めるものではないと思うんだなこれが。(私見です。)
※文系と理系や応用と基礎など区別いたしません。例えば歴史上の人物について、「対照してないね」といえば「Lv.2」であり、対照しさえすれば「Lv.3」になるとの認識でございます。ある地位や職業の人物(船員や両替商など)やある産業(塩の交易など)などについて、国や時代の異なるソレを比較する研究など、「みなし実験」として「Lv.4」からのスタートであります。
大のオトナが書いた技報でも論文でも、「集めただけ」「数えただけ」「検定してないね」「対照してないね」「計画してないね」「つくっただけ」というのはいくらでもありますから、この、確かに仕事はしてるんですけど、研究成果にはなっていないなぁ、と、そういうことです。仕事としては、まあ、仕事ですからね…ゲフンゲフン。
仮には宿題の1つとして淡々と取り組まれたとしてもなお、自由研究というものは完成すると(ホルモン様の物質のはたらきで?)気持ちいいのですよ。▼ガトーショコラのひとくち目っ(目の前に広がるいちめんのカカオ畑っ)、▼鼻に抜けるような爽快感っ(安曇野に広がるいちめんのわさび畑っ)、…などと、あたかも等価なのではないかという実感、ありますよねぇ。え? ないですって? それはもったいないなぁ。(見解です。)
※「納得感」が一種「シュミット的!」にポーンとはねあがる「名状しがたい閾値のようなもの!」ならびに「片足を残す」について[3297]を参照。
「つくる」というのは別格なので文学扱い…いえ、「Lv.9」に追いやってですね(恐縮です!)、「Lv.1」から始まって「Lv.3」でいちど成熟を見るといいましょうか、とりあえず最初の「よくできました☆」に至れるとの理解でございます。
これより『おしてまいる!』といって進む(※むずかしいものにぶつかっていく)のが「Lv.4」から「Lv.8」の「実験」で、実験に取り組むからには「Lv.8」まで到達しないと「よくできました☆」はいただけませんよ、と、こういうわけです。
本質的には自由研究も研究ですから、内容によっては、この「Lv.8」を求めるかのような空気…の「へん鱗」のようなものが感じとられ、その結果として「むずかしそう」との印象が先行してしまう、ひいては本人の関心は「科学論文」(※主論文・野帳・掲示物を必要とする)のほうにあるのに「科学工夫作品いわゆる工作でいいでしょ! むしろ科学工夫作品いわゆる工作にしておきなさいっ」しちゃうという…これはとんでもないことなのですぞ。(見解です。)じゃあ(※)自由研究では「Lv.4」でいいよ、といえるかというと、そういうものでもないというところに、やはりむずかしさがあるのは事実との認識のほうなど…ぎゃふん。
※まったくの私見ではございますが、小学校のうちは「Lv.5」と「Lv.6」をそれぞれ体験いただいて、中学校では「Lv.7」だよねのほうなどしていただいてですね(中略)高校では「Lv.8」の指導を受けながら高大連携([3094],[3137])のほうなど…その発想はなかった!(棒読み)複数のことを同時に要件とするようなのは中学校から、という「基本設計」のようなものは、きっと発達段階に即したものであって、エビデンスあってのことなのだろうと遠目に眺めるところでございます。1つのことに集中するという学習が「1巡!」しないと、組合せ的なテーマ(課題)には進めないとの理解でございます。本当でしょうか。「最初の一から状況的」([3358])との『斉合性!』(※)のほうをだなぁ(略)たいへんメッソウではございました。
・読売新聞「理系高校生に少数指導…埼玉県、研究機会を提供」(2017年5月11日)
http://www.yomiuri.co.jp/science/20170510-OYT1T50041.html
> 県内の高校には先進的な理数教育などを行う文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクールが9校ある。このうちの3校を含めた計6校には理数科が設置されているが、他校の生徒は専門的な理数系の学習をする機会が少なく、「生徒を伸ばし切れていなかった」(担当者)という。
> 事業では、放課後や休日を使い、「物理」「化学」「動物」「植物」「地学」「数学」「情報」の7分野について、県立高から募集した研究意欲のある生徒各10人程度を指導。
おお、選考に通れば、どの県立高校からでも参加できるということですね。これはスバラシイ。とはいえ研究能力というものは、ふつうに取り組んでふつうに身に着けていければ、それに越したことはないわけです。やがては全員が受ける教育にフィードバックされていくといいなぁ。(期待は個人です。)
・[3345]
> 高校でScilabを活用して「数理探究(仮称)」できるためには、中学校までに「(科目は問わず)知識や技能を総合的に活用して主体的な探究活動」ができる主体性が身についていなければならず、その裏付けとなる「技能」として、「ノートをつけながら考える」([3339])、そして、Excelで関数を自在に組み合わせて思い通りに動かす(きわめてプリミティブなプログラミングで、「わんらいなぁ」のようなもの[3309])というあたりは、小学校のうちに「体得」されて、いえ、「体得」といっても『たたきこむ(わけもわからないまま教えこむ)』ということでなく、自分で「体得」していただく、ということですよ。直感的な一連の思考や操作として自然に身につけるということが、11歳を過ぎるとかなり難しくなるんですよ。(個人差がございます。)これを14歳や16歳で取り組むと、操作する前に考えすぎたり、間違えたら恥ずかしいとか、友だちより遅いとか速い
|