・Read Wikipedia in English ・表111B ナイーブな研究におけるステップ(工程)のようなもの(※独自に作成)
(約22000字)
・[3434]
> わあぃトネヨッタツあり検の成果は「新委員会等」っ。
事実上の新たなあり検を設けるべきであると結論しちゃうようなあり検って、あり検としてどうなんですかねぇ。あり検って…殖えルンです! やーいあり検っ。あり検は多ければ多いほどいいぞ★。本当でしょうか。いわゆるあり方検討会等のあり方等に関する検討会(略称:あり検あり検)の必要性が高まってまいります。あり検あり検は多ければ多いほどいいぞ★。いわゆるあり方検討会等のあり方等に関する検討会(略称:あり検あり検)の必要性が高まってまいります。「等」と称しているので、「あり検あり検あり検」にはならないのがミソなんだなこれが。(※あくまで演出です。)
・[3445]
> いつから『温泉あり検!(温泉等あり方検討会)』になったのかというほど
…じゃなくてですね(略)東京都立図書館「111枚のアイディアカードから選ぼう」を参考にしています。
・[3326]
> 実験
> 観察
> 調べる
> 集める
> つくる
> 「観察」と「調べる」の違いが、理科ほどには明確でないものもありますが、それとなく分けました。(動かせないものや触れないもの、こちらの操作によって性質が変わることのないものなど)あるものをあるがまま「観察」⇔文献や聞き取りで「調べる」(ただし現物は「集め」ない)、といった感じでしょうか。「調べる」については、かなり能動的かつ複雑なことを調べるものだけを「調べる」とし、「つくりかたを調べてその通りにつくる」は「調べる」には含めませんでした&バリエーション探しをするものは「集める」に含めました。(あくまでわたしの分類です。)
つまるところ、「メタ目次」でいう「3章」([3093])に何を据えるかというのが、研究計画そのものであるという早合点をしてもよいのではないかという早合点でございます。(あくまで早合点です。)
・「つくる」:「つくる」が必須となるかは、テーマによる。「つくる」自体はゴールではない。「つくる」ために何が問題で、それをどう解決するのかというところが「3章」の中身になる
・「集める」:じぶんの研究を「集める」から始めるのか、シミュレーションするのか。これは、「3章」の冒頭で示す「材料」「データ」の用意のしかたの違いである。東京都立図書館のカードにはないが、シミュレーションに取り組みたければ、「集める」の代わりだと思えばよいのではないか
・「観察」と「調べる」:「4章」の「考察」が非常に難しい。先に「考察」のしかたを考えておかないといけない。それを「予想」(「仮説」)ともいう
そしてこちら、表でございます。
■表111B ナイーブな研究におけるステップ(工程)のようなもの(※独自に作成)名状しがたい 難易度のよう なもの | ステップ 1(わん) | ステップ 2(つー) | 夜明けの ドーン | やゆっとやゆーん (ただし労力は認める) | | | | | | Lv.1 | 集める | 分類する | 考察する | 集めただけ | Lv.2 | 調べる | 配列する 数える 観察Lv.1 | 考察する | 年表などに変形しただけ 数えただけ 観察しただけ | Lv.3 | 観察Lv.2 | 対照する (または) 検定する | 考察する | よくできました☆ | Lv.4 | 実験Lv.1 | 数える | 考察する | 数えただけ | Lv.5 | 実験Lv.2 | 対照する | 考察する | 検定してないね | Lv.6 | 実験Lv.3 | 数える 検定する | 考察する | 対照してないね | Lv.7 | 実験Lv.4 | 対照する 検定する | 考察する | 計画してないね | Lv.8 | 実験Lv.5 | (対照させる) 検定する | 考察する | よくできました☆ | Lv.9 | 調べる | → | つくる | つくっただけ |
※「1」「2」「ドーン」:それぞれ「メタ目次」でいう「3章の冒頭」「3章の中盤」「3章の後半と4章」に相当。
※夜明けのドーン:(1)徹夜して気の大きくなったひとが大きなことを書くさま、(2)徹夜したひとが締切り間際に大きな変更を加え全体を台無しにするさま、(3)徹夜できなかったひとをたたき起こす銅鑼の音が鳴り響くさま。
※「集めただけ」:▼メカニズムを明らかにするための工程(実験や観察)がない、▼(収集対象の)母集団(や、そのサンプリング)が意識されていない、などの意。
※「計画してないね」:対照群をじぶんであらかじめ考えて用意したのではなく、なんとなく実験(調査を含む)しながら、結果的に対照したことになるように見せかけていませんか? …ギクッ。
※「観察Lv.2」:実験のように人工的に統制できないものを相手に、よくがんばりましたね、の意。労力としては実験より大きいこともありましょう。
※「つくっただけ」:「つくる」こと自体の労力や独創性があれば、その点は認めましょう。しかし研究ではないですね、の意。
※当然ながら、この表のようなことを考えるのが「Lv.0」でございます。「研究方法論の研究」([3125])も参照。「研究者教育の研究」(研究倫理を含む)とかいうのも、実地の研究をしながら片手間で取り組めるものではないと思うんだなこれが。(私見です。)
※文系と理系や応用と基礎など区別いたしません。例えば歴史上の人物について、「対照してないね」といえば「Lv.2」であり、対照しさえすれば「Lv.3」になるとの認識でございます。ある地位や職業の人物(船員や両替商など)やある産業(塩の交易など)などについて、国や時代の異なるソレを比較する研究など、「みなし実験」として「Lv.4」からのスタートであります。
大のオトナが書いた技報でも論文でも、「集めただけ」「数えただけ」「検定してないね」「対照してないね」「計画してないね」「つくっただけ」というのはいくらでもありますから、この、確かに仕事はしてるんですけど、研究成果にはなっていないなぁ、と、そういうことです。仕事としては、まあ、仕事ですからね…ゲフンゲフン。
仮には宿題の1つとして淡々と取り組まれたとしてもなお、自由研究というものは完成すると(ホルモン様の物質のはたらきで?)気持ちいいのですよ。▼ガトーショコラのひとくち目っ(目の前に広がるいちめんのカカオ畑っ)、▼鼻に抜けるような爽快感っ(安曇野に広がるいちめんのわさび畑っ)、…などと、あたかも等価なのではないかという実感、ありますよねぇ。え? ないですって? それはもったいないなぁ。(見解です。)
※「納得感」が一種「シュミット的!」にポーンとはねあがる「名状しがたい閾値のようなもの!」ならびに「片足を残す」について[3297]を参照。
「つくる」というのは別格なので文学扱い…いえ、「Lv.9」に追いやってですね(恐縮です!)、「Lv.1」から始まって「Lv.3」でいちど成熟を見るといいましょうか、とりあえず最初の「よくできました☆」に至れるとの理解でございます。
これより『おしてまいる!』といって進む(※むずかしいものにぶつかっていく)のが「Lv.4」から「Lv.8」の「実験」で、実験に取り組むからには「Lv.8」まで到達しないと「よくできました☆」はいただけませんよ、と、こういうわけです。
本質的には自由研究も研究ですから、内容によっては、この「Lv.8」を求めるかのような空気…の「へん鱗」のようなものが感じとられ、その結果として「むずかしそう」との印象が先行してしまう、ひいては本人の関心は「科学論文」(※主論文・野帳・掲示物を必要とする)のほうにあるのに「科学工夫作品いわゆる工作でいいでしょ! むしろ科学工夫作品いわゆる工作にしておきなさいっ」しちゃうという…これはとんでもないことなのですぞ。(見解です。)じゃあ(※)自由研究では「Lv.4」でいいよ、といえるかというと、そういうものでもないというところに、やはりむずかしさがあるのは事実との認識のほうなど…ぎゃふん。
※まったくの私見ではございますが、小学校のうちは「Lv.5」と「Lv.6」をそれぞれ体験いただいて、中学校では「Lv.7」だよねのほうなどしていただいてですね(中略)高校では「Lv.8」の指導を受けながら高大連携([3094],[3137])のほうなど…その発想はなかった!(棒読み)複数のことを同時に要件とするようなのは中学校から、という「基本設計」のようなものは、きっと発達段階に即したものであって、エビデンスあってのことなのだろうと遠目に眺めるところでございます。1つのことに集中するという学習が「1巡!」しないと、組合せ的なテーマ(課題)には進めないとの理解でございます。本当でしょうか。「最初の一から状況的」([3358])との『斉合性!』(※)のほうをだなぁ(略)たいへんメッソウではございました。
・読売新聞「理系高校生に少数指導…埼玉県、研究機会を提供」(2017年5月11日)
http://www.yomiuri.co.jp/science/20170510-OYT1T50041.html
> 県内の高校には先進的な理数教育などを行う文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクールが9校ある。このうちの3校を含めた計6校には理数科が設置されているが、他校の生徒は専門的な理数系の学習をする機会が少なく、「生徒を伸ばし切れていなかった」(担当者)という。
> 事業では、放課後や休日を使い、「物理」「化学」「動物」「植物」「地学」「数学」「情報」の7分野について、県立高から募集した研究意欲のある生徒各10人程度を指導。
おお、選考に通れば、どの県立高校からでも参加できるということですね。これはスバラシイ。とはいえ研究能力というものは、ふつうに取り組んでふつうに身に着けていければ、それに越したことはないわけです。やがては全員が受ける教育にフィードバックされていくといいなぁ。(期待は個人です。)
・[3345]
> 高校でScilabを活用して「数理探究(仮称)」できるためには、中学校までに「(科目は問わず)知識や技能を総合的に活用して主体的な探究活動」ができる主体性が身についていなければならず、その裏付けとなる「技能」として、「ノートをつけながら考える」([3339])、そして、Excelで関数を自在に組み合わせて思い通りに動かす(きわめてプリミティブなプログラミングで、「わんらいなぁ」のようなもの[3309])というあたりは、小学校のうちに「体得」されて、いえ、「体得」といっても『たたきこむ(わけもわからないまま教えこむ)』ということでなく、自分で「体得」していただく、ということですよ。直感的な一連の思考や操作として自然に身につけるということが、11歳を過ぎるとかなり難しくなるんですよ。(個人差がございます。)これを14歳や16歳で取り組むと、操作する前に考えすぎたり、間違えたら恥ずかしいとか、友だちより遅いとか速いとか、あらぬことばかり気にするんですよ。…ギクッ。
ところで(※)、「銅鑼なんて知らんじゃろキミたち」のほうとか、いっときます?(※演出です。)
・(参考)ウィキペディア「銅鑼」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85%E9%91%BC
> 全長100メートル以上の船舶には登載が義務付けられている。霧などによって視界が悪くなった時に停泊中の船舶は乗組員が船首にある鐘と同時に銅鑼を船尾で鳴らし、船の大きさを他の船舶に伝えることになっている。
鐘と銅鑼を同時に鳴らすためのワイヤーとかって、あるんですかねぇ&そっちですかっ。(恐縮です。)
・さんふらわあの見解です
https://www.ferry-sunflower.co.jp/lp/event/index.html
https://www.ferry-sunflower.co.jp/lp/event/img/img-weekend06.jpg
・北海道クルーズ振興協議会の見解です
https://wwwtb.mlit.go.jp/hokkaido/bunyabetsu/kaiun/cruise/cruise8_2.html
> 一説によると、1915年のサンフランシスコ万博のとき、日本人商人が売れ残った日本製の包装用テープを安く買い集め、出航の別れの握手代わりにと売り出したところ、大いに当たり、世界中に広まったという。
へー…
> 日本客船の出航時の銅鑼は、このなごりであるらしい。ちなみに、銅鑼は現在でも、霧中信号用として邦船に備え付けられている。
義務付けられているのは邦船(日本籍船)だけのようであるとうかがえます。
※「くす玉開花」については[3124]を参照。現代の「くす玉」で紙ふぶきとともに色とりどりのテープが垂れてくるのも、サンフランシスコ万博より後のことなんでしょうかねぇ。本当でしょうか。
・岡山市水道局「くす玉開花」の用例です(2014年2月)
https://www.water.okayama.okayama.jp/sonota/topics223.htm
> 「ごっくん桃太郎 おかやまの水」をご来館のお客さまお一人につき1本プレゼント
わあぃ「ごっくん桃太郎 おかやまの水」。***「ごっくん桃太郎 おかやまの水」***。うれしいなぁ。…ぼかぁ、うれしいんだなぁ。(違)ほら、ここヨロコブところなんですよ、と、いわれるまでぽかーんとしているぼく、いますよねぇ。(恐縮です。)
それはそれとしまして、「自由研究版エビデンスレベル」あり検でございます。
白いスケッチブックが厚くなるぞ★…じゃなくて、「みてみて! こんなにいっぱいかんさつしたよ☆」といって、その労力をほめてつかわすというのがあたりまえになっていますと、実験が必要な研究課題に進んでなお「みてみて! こんなにいっぱいじっけんしたよ★」といってですね(大巾に略)…ぎゃふんですのう。(※見解です。)
・「たばこと塩の博物館」高梨学芸員の見解です
http://www.shiojigyo.com/study/series/6.html
http://www.setagaya-ldc.net/program/360/
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/157/743/748/7482/d00148230.html
http://www.mlit.go.jp/common/000147866.pdf
> 「海から遠く離れた内陸」という言い方があるが、上記の「内陸に閉じ込められた海水」のことを考えると、「内陸」には、「海から離れているが塩がある内陸」と「海から離れ、かつ塩からも離れた内陸」の2つが存在することになる。これに、「海に近い沿岸」を加えてみると、地上のあらゆる場所をおおざっぱに3つに分類できたことになる。
そこまで書いておいて、なぜにベン図を描かないんですかねぇ&そっちですかっ。(恐縮です。)
※なお、現在の「たばこと塩の博物館」は博物館類似施設だということです。
・(再掲)個人のブログ「1000個のドングリは何グラムか」(2010/11/28)
http://chesterfield-va.blogspot.jp/2010/11/1000.html
> 最初に十個計測してみると41グラムとなったので、まあ1000個では約4キロだろうと予測していた。
> 「1000個とったよ〜」と言って作業の終了を通知してきたため、こちらも統計学的な興味にかられ嫁さんに頼んで庭のポーチまで体重計を出してもらってドングリ千個の重さを計測!いくらだったでしょう?
> 答えは約3.8キログラム。
重さを量っただけでは「Lv.2」または「Lv.4」ですが、仮には「どんぐり1個の重さから樹種を同定することは可能か?(重量センサーだけを用いた自動選別機みたいなのはできるか?)」みたいなの(!)にすれば、かんたんに「Lv.8」の研究課題に化けるとの理解でございます。「Lv.8」というのは、素朴には考えようとも思わないのだけれど、いわれてみればそんなにむずかしくもないわねぇ(どうして思いつかなかったのかしら)、と、そういうようなですね(略)あまり「むずかしそう」と決めてかからぬよう、これはオトナのほうが注意すべきであろうとの印象でございました。(メッソウではございました。)
・生物多様性センターの見解です
https://www.biodic.go.jp/moni1000/manual/litter_ver3.pdf
> リター・シードトラップ調査によって、落葉落枝量や種子生産量が推定できます。落葉落枝量は、森林の一次生産力の推定には必須です。また、樹種別に種子生産の量や数を測定することで、様々な樹種の豊凶特性などがわかります。
はひ!? (携わる者の全員が専門家かどうかはわからないですけど)専従の職員が、いままさに調べておるとの…えーっ。(ナイーブな感想です。)そして「リター・シードトラップ調査によって、落葉落枝量や種子生産量が推定できます。」との1文は、結局、何もいっていないと思うんですけど!
※「落葉落枝量や種子生産量のサンプル調査」が「リター・シードトラップ調査」であるとの認識なんですけど! サンプル調査ではあるけれども実測値であるとの見解のほうなど…ぎゃふん!
> モニ太郎、モニ花子
> モニ太郎、モニ花子
> 20081030に台風が通過したためトラップ内容物が飛んだ
えーっ…。
・「Notes on seed traps in terrestrial plant communities」(1998年)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0367253017308137
https://www.researchgate.net/profile/Johannes_Kollmann/publication/277709183_Notes_on_seed_traps_in_terrestrial_communities/links/559ab47608ae5d8f3937eaf3.pdf
・「木材の樹種識別の重要性と識別技術」木材学会誌(2016年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jwrs/62/6/62_240/_article/-char/ja/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jwrs/62/6/62_240/_pdf
・[3358]
> わあぃプロと呼ばれる**の技術職員っ! 街じゅうの道路が右折レーンだらけだっ。…なんだかなぁ。(たいへんメッソウではございますが、そういうプロになってしまわないように手広く学び続けるというのが、これからの時代のプロですぞ@たぶん。)
・[3399]
> こんどは「はーいちゅーもーく」…じゃなくて、「ちょっと左折レーンを増やしてみよっか」とのこと。うーん。
・[3403]
> こう、いくつかの施策を実験して、施策ごとの効き目を細かくみるために、あえて「未使用の車線!」のほうなど造られたんではないですか? …なるほどなるほど!(ばりばりぐびぐび)…あざっす。▼この一連の「とっかえひっかえ!」なソレによって「基礎的なデータ!」がとれると、▼次回以降はシミュレーションができると、こういうわけです。(※あくまで推測事項です♡)…からの『いっ、いきあたりばったりで「ちょっと左折レーンを増やしてみよっか」してるんじゃないんだからねっ』キターっ。業界人は苦笑するのが仕事なんです! …たぶん。
道路構造というものはバリエーションがきわめて少ない(⇔紛らわしい細かな違いがたくさんあったら運転者が間違える!)ので「とっかえひっかえ」をぜんぶ試しさえすればいいという明快さがあって気持ちいいと思いました。(感想です。)自由研究でも、まずはそのような気持ちよさを味わってもらいたいかなぁ。うん。(ナイーブな期待です。)
※8車線を超えるものは例外とみなします。むしろ道路網としてどこに交差点を置くかという、そちらのほうが無数にバリエーションがあって、てきとーなところで計算を打ち切るような感じではないでしょうか&本当でしょうか。…あっ、いま苦笑しましたね? あなたは業界人なんですよ。HAHAHA…。(あくまで演出です。)
・Google ストリートビュー 「箱堤交差点」付近
https://goo.gl/maps/rkUWpYMD1Gw
https://goo.gl/maps/4P1SiE4Dsyr
意味的には「(片側)3車線」と(ドライバーが)認識できるように(色という情報も駆使して)されていることがわかります。
・(再掲)
http://www.kenbi-navi.jp/nintei/report/
> 「サイエンスで情報を読みとく」講師の竹内文乃さん。
> 特に受講生の注目を集めたのが、研究の進め方や方法によってその成果の“重みが”変わるというエビデンスレベルの解説。「メディアでは、○○博士、○○大学教授などのコメントともに研究成果が紹介されることが多いですが、こうした肩書に惑わされずに冷静・正確に研究成果を判断する際、エビデンスレベルが役に立ちます」と竹内さん。
・(再掲)(一社)日本肝臓学会「エビデンスレベル分類・推奨グレード分類」(2005年9月1日)(※あくまで当時の見解です)
https://www.jsh.or.jp/liver/PDF/evidence_level.pdf
> 4 処置前後の比較などの前後比較,対照群を伴わない研究
> 5 症例報告,ケースシリーズ
> 6 専門家個人の意見(専門家委員会報告を含む)
> (7) 対象者数,追跡期間によらず,脱落率が10%以上
> グレードC2: 科学的根拠がないので,勧められない
> グレードC : グレードC:言いきれる根拠がない
> 注:グレーディングの根拠
> グレードB : 少なくとも1つのレベル2(2a/2b)の研究がある
エビデンスレベルというものがなぜ問われるのか、研究する側を「追体験」しながら本質的に理解することも、自由研究を通じて獲得すべきことの1つといえましょう。
・(参考)「教育講座 研究方法論 第7回 質的研究方法論 〜質的データを科学的に分析するために〜」日本放射線技術学会雑誌(2011年4月)
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/45662/3/terashita0608.pdf
> 質的データであっても,質問紙調査でよく利用されるリッカートスケールによって数量的に測定したり,数量化理論のようにダミー変数を仮定して分析する方法などもあり,これは混合研究法(mixed method)として分類される.
「数量化理論」については[3469]を参照。
> 質的研究は仮説生成(仮説がない状態から仮説を作る),対象の理論化(質的データを抽象化して得られる概念を組み合わせ,対象を表現する理論を構築する),要素の抽出(量的研究では黙殺されてしまう少数の意見にも注目し,項目のバリエーションを確認する)に用いられる.
「ゆるシミュ」と「ふわコレ」については[3473]で先述しています。
★Read Wikipedia in English
・ウィキペディア「リッカート尺度」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E5%B0%BA%E5%BA%A6
> リッカート尺度は二極尺度手法であり、その文に対する肯定的反応や否定的反応を測るものである。場合によっては中間の選択肢である「どちらともいえない」を省いて、必ず肯定か否定を選ばせる場合もある。リッカート尺度は、何らかの要因により結果に歪みを生じることがある。回答者は極端な選択肢を避けようとする傾向があり、提示された文に同意したがる傾向があり、自分や組織をよく見せようとする傾向がある。
> 多分割ラッシュモデルでは、反応の傾向が予測にあっているかという仮説検定も可能である。例えば、このモデルの応用により、肯定と否定の中間レベルの選択肢が必ずしも中間的反応を表していないことが示されている。
ほぉお!(棒読み)Read Wikipedia in Englishですぞ。
・Wikipedia「Likert scale」
https://en.wikipedia.org/wiki/Likert_scale
> By contrast, modern test theory treats the difficulty of each item (the ICCs) as information to be incorporated in scaling items.
といって、「Item response theory(項目反応理論)」([3061],[3345])を参照せよとの指示にございます。…デスヨネ〜。
・ウィキペディア「項目応答理論」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%85%E7%9B%AE%E5%BF%9C%E7%AD%94%E7%90%86%E8%AB%96
> 欧米諸国では既に広く使用されているが、日本で試験にIRTを用いるようになったのは最近のことである。
国語や、理数系の科目も日本語で出題する都合上…かなぁ。よくわからないや。(恐縮です。)TOEICという形では日本国内でもよく知られていると…うーん、知られているとまではいえないのかなぁ。(もっと恐縮です。)
> IRTの主な知見の1つは信頼性の概念を拡張したことである。伝統的に、信頼性とは測定の精度を示すものであり、真のスコアと観察されたスコアの誤差の比率など、様々な方法で定義される単一の指標で現される。古典的なテスト理論では、クロンバックのα係数などがテスト全体としての信頼性の指標を表すものとして知られている。しかしIRTによると、評価の精度はテストの成績の全範囲にわたって均一ではないことが明らかになる。一般的に、試験点数の範囲の端のスコアは、中央に近いスコアより多くの誤差を含んでいる。
※「ノンパラメトリック」については[3475]を参照して、あらかじめ深めておいて…やーい「深めて」キターっ。(メッソウでした。)
30点と29点の違いで血相を変えて真っ赤になったりしなくてもいいですよねぇ&そっちですかっ!!(きわめてメッソウではございました。)…ギクッ。
> 科学者が考案した項目応答理論は非常に複雑な手法で試験のスコアを算出する為、科学者以外には問題の難易度と項目応答理論による配点の高低の相関関係の理解は困難である。
なんですとぉ! ウィキペディアで「項目応答理論」を引く『我々』と、考案した者たちとの間を、そこまで線引きしちゃうですか。…やはり、Read Wikipedia in Englishですぞ。
※「わからなくてもいいってことよ」「ウチらにはわからなくて当然!」とまで開き直る([3405])「17さい!」([3096])を参照。
・[3096]
> > しかし、伊藤社長はあきらめませんでした。
> 「17歳」くらいになっても、まだ「社長は社長」で「『ウチら』は『ウチら』」などと、従業員の側が一種「壁」のようなものを作って閉じこもってしまう面もあるでしょう。
> 社長と対等に酒が飲める「20歳」になって、おいしく飲もうではありませんか。
きわめて簡潔には、▼テストの難易度は出題者が決めるんじゃない、解答者が結果として示すんだっ!、▼解答者は多ければ多いほどいいぞ★、▼あわせて問題数も多ければ多いほどいいぞ★、▼みんなが正答する問題を誤答したら大きなペナルティ!、▼みんなが誤答する問題を正答したらペナルティ!(えーっ!!)などという、根底からセカイ観の異なるセカイなのだと理解するのが先決ですぞ。(あくまで素人です。)
※問題数が多ければ多いほどいいぞ★といって、取り替え可能な(≒均質な)問題のストックがモノをいうというソレです。熟考させる問題でなければ問えないコンピタンスに対して適用するものではないともわかります。数学でいえば、式の変形だけを延々とやらせるとか、モニ太郎くんとモニ花子さんの会話を聞いて間違いを探そうとか、…社会科のテストには応用できるかもですが(暗記してあたりまえの事項等の正誤や、文章から間違いを探すソレという範囲に限って=テストの中であなたの意見なんて聞いていないよ&えーっ!!)、理科のテストには応用しにくいと想像できそうです。本当でしょうか。(あくまで想像です。)職人芸的に難問や奇問の類を混ぜながら問うのは、エレガントではないかもですが現実的で実用的かもですぞ。もっと本当でしょうか。(恐縮です。)
・Wikipedia「Item response theory」
https://en.wikipedia.org/wiki/Item_response_theory
> The concept of the item response function was around before 1950.
> The pioneering work of IRT as a theory occurred during the 1950s and 1960s.
> IRT did not become widely used until the late 1970s and 1980s, when practitioners were told the "usefulness" and "advantages" of IRT on the one hand, and personal computers gave many researchers access to the computing power necessary for IRT on the other.
1978年から1985年ごろまでに、那珂川町で「BIT 科学 54 パーソナルコンピューター 情報」([3434])といいながら…昭和54年は1979年です! そのくらいの時期に、学校のせんせいや、大学の文系のセンセイが「自動 PUSH 押して下さい」と書かれた自動扉にさっそうとぶつかりながら…じゃなくて、ねんがんのパーソナルコンピューターを手に入れて(=高かったん、だぞっ☆)ほくほくしながらいそいそとですね(中略)使いかたを覚えてセンパイを助けないと! …じゃなくて、パソコンって、いろいろなものでできてるんですね&とってもむずかしかったですっ(大巾に略)Pythonがあるでもなし、遅い遅いといいながらもBASICくらいの言語でこしらえたお手製の(中略)そのくらいの実装やスペックで処理できる程度のことしかしていないんですよ。おそるるにたらないと、ぼかぁおもうんだなぁ。(※1979年をイメージした演出です。現代の水準でたばこは省略しています。)
※なお、SAS社の設立は1976年、その日本法人は1985年、MathWorks社は1984年、SPSS社の設立は1988年10月です。Pythonのリリースは1991年ですが、「メジャー」に知られたのは2000年との通説でございます。ネコモシヤクシ、Windowsが事務用から研究用にまで普及したことでPythonの発展(≒多様なユーザーの獲得を通じたブラッシュアップ)は遠まわりになったとも読み解けるかもしれませんが、あくまで私見です。ましてや、日本国内では『PC-98用のWindows』などというもののおかげで…なんてことをしてくれはって、ほんにまぁ。(現在の感想です。)Pythonについては[3474]も参照。
> Scoring
> A graph of IRT scores against traditional scores shows an ogive shape implying that the IRT estimates separate individuals at the borders of the range more than in the middle.
> An important difference between CTT and IRT is the treatment of measurement error, indexed by the standard error of measurement. All tests, questionnaires, and inventories are imprecise tools; we can never know a person's true score, but rather only have an estimate, the observed score. There is some amount of random error which may push the observed score higher or lower than the true score. CTT assumes that the amount of error is the same for each examinee, but IRT allows it to vary.
日本語版のようなみっともない記述はなさそうですよ。英語版をストレートに訳したらいいのではないですかねぇ。
・ウィキペディア「MATLAB」
https://ja.wikipedia.org/wiki/MATLAB
> 学生がFortranを学ぶことなくLINPACKやEISPACKにアクセスできるようにこのソフトを設計した。これはすぐに他の大学に広まってゆき、応用数学コミュニティの間で話題となった。エンジニアであるジョン・N・リトル (英語版)が1983年にモラーを訪ねた際に、これを見せられてその商用的可能性に気づいた。彼らはMATLABをC言語で書き直し、開発を継続させるためにMathWorks社を1984年に設立した。これらの書き直されたライブラリは愛情を込めてJACKPACとして知られていた。MATLABは初めLittleの専門分野である制御工学で採用されたが、すぐに他の分野へと広まっていった。現在では、教育にも使用され、特に線形代数や数値解析の講義に使用される。
> 1988年より、日本での販売展開はサイバネットシステム株式会社が代理店業務を行っていた。
> ホテル グランパシフィック LE DAIBA
わあぃ京急バスで毎日きかされるアレっ。(…メッソウでしたっ!!)百科事典を目指すとされるウィキペディアの「MATLAB」の項に特定のホテルへの言及まであるなんて、たわし、びっくりです!(棒読み)
・ウィキペディア「SAS Institute」
https://ja.wikipedia.org/wiki/SAS_Institute
> 日本では1980年代日商エレクトロニクスが扱っており、初期に九州大学大型計算機センターに導入され、旧帝大や筑波大学の大型計算機センターに導入された。このころ、SASは、Fortranの影響の強いSPSSと比べて、コーディングに自由度があり、バッチ処理に加え対話型で利用でき、SPSSにないパッケージやグラフィックス(GMAPなどの地図表示もあった)に優れていた。1985年に日本法人が設立され、東京大学計算機センターに導入されると、競って他大学が導入し、会社組織化の遅れたSPSSのシェアを抜いた。
こういう日本国内の事情を知るには日本語版が有用だなぁと思い直します。
> 1986年にC言語に書き直され、IBMPCでエミュレートするPC版稼働する事になった。その年の年末には、メインフレームで稼働するC言語に書き直され、それに合わせてUNIX版、MS-DOS版も書き直された。
「C言語で書き直し」というプロセス(機運)が一斉に走った時期が、1984〜1986年ごろだとわかります。大学での教育がFORTRAN([3166])からCに切り替わって([3401],[3455])から卒業生が出てくると、それを待ってのソレであるとわかります。
とのことで、それより前の時代に文系のセンセイがパーソナルコンピューターといって、必ずしもすべからくUNIXであるとまではただちに思えず、BASICかなぁ、そして、実用的には1986年以降にSASに頼って普及していったのかなぁ、との推定にございます。本当でしょうか。ビデオリサーチさんについて[3395]を参照いただきつつ、これが1986年とのことでございます。最初から理論も装置も完成形のものを買ってきて取り付けるという一種『下駄』あってこその特許…ゲフンゲフン。(メッソウではございました。)
・「FreeBSD(98)について」とその周辺(2005年)
http://www.jp.freebsd.org/pc98/docs/98readme/About98.html
> FreeBSD(98)はメーカーの製品ではないので動作が信用できないといわれたのですが本当ですか?
> 貧乏な日本の国立大学では FreeBSD(98)を使ってインターネットに接続している例がいくつもあります。
> FreeBSD(98)をフロッピーディスク1枚で運用することはできますか?
…ゲフンゲフン。「さくらのレンタルサーバ」がいまでもFreeBSDなのは、このあたりに由来するのではないかなぁ…えっ!? これ『××事項です♡』? …しっ、失礼しましたっ!(※演出です。)
・「PC-9800シリーズ用のWindows3.1」のイメージです
http://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/ra220/users/2/9/7/8/okatatsugd5-img600x450-1473502698gwvql721343.jpg
http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/img/ah/docs/729/479/mretroacce3.jpg
「FA明朝」と「FAゴシック」がバンドルされていて、システムフォントを12ドットにして使うとおいしい(モニターの解像度の低さが補える)アレですね、わかります!
・YouTube 「NEC」と書かれた「Windows95」付近
https://www.youtube.com/watch?v=-6oRzIm48F0
この解像度でじゅうぶん、仕事できるんです! 画面が広くなったからといって我々『トンボみたいな眼!』になれるわけでもなく、一度に見られる領域はだいたい、このくらいなんだといって、いまでも「ウインドウ(イ!)は最大化して使うものだっ!」などと…ギクッ。
・「下駄」
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E4%B8%8A%E3%81%92%E5%BA%95%E3%81%99%E3%82%8B
https://en.wikipedia.org/wiki/Geta_(footwear)
日本語版にある「下駄と文化」が英訳されていませんぞ@なんてこったい! 英語圏の読者の期待は「下駄と文化」の節にこそ注がれているのではないかなぁ。(棒読み)
・いちやく「Pythonのひと」2006年のイメージです
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/66/Guido_van_Rossum_OSCON_2006.jpg
とってもうれしそう!
・新しい最新式! 製造はアオシマ「1/4スケール!」付近(2017年5月11日)
http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/column/retrosoft/1058919.html
http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/img/ah/docs/1058/919/pcm2.jpg
ぬはっ(略)。日本国内で、いかにパソコンが「高価なおもちゃ!」として認知されてきたか(電気分野から連綿と続くという意味でのコンピューターサイエンスの教育がなかったか⇒「MARS-1」[3180]を参照)がうかがえます&そっちですかっ。(恐縮ですが事実です。遅まきながら、いまから補っていきたいと思いまーす、の意。データレコーダーをつなぐくらい、できるでしょ。特定のボードの回路図なんて、そんなの、いわゆる灰色文献を徹底的に探せばどこかにあるでしょ、そんなものっ。)
> 当時の作者さんが今もこの業界にいるとは限りませんし、年代的にご健在かどうかもわからない……そうなると権利がどこにあるのか…から探すことになるわけでして。
・追跡が困難な「作者」の1例です
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%B7%A7%E5%B0%9A
ま、この人は独創性があるのではなくって、「どこかでみたアレみたいなの!」を、手元のマシンのスペックで無理なく(ひいてはBASICで無理なく快適に)遊べるプログラムに落としこめるところに実力を認めるのであってだなぁ(略)…ゲフンゲフン。
…はっ。何の話でしたっけ? やだなぁ、「銅鑼」の話じゃないですかぁ。さあさあ船首では鐘を、船尾では銅鑼を鳴らしながらフリートコマンダーで遊ぶのですよ。でっかい大きな…じゃなくて、『赤い目!』をしたネズミには要注意、だぞっ☆。やーい閉鎖空間っ。(違)
・ふりこま改め「フリートコマンダー」(げんだいばーん)
https://twitter.com/rex_pandemonium/status/552491120501207040
・[3345]
> これには往年の名機をぶいぶいいわせてきたれきせんの×者たちもおおよろこびです!
> PSG音源:ぶいぶい。ミニフロッピーディスク装置:ぶいぶい。マイコン買ってもゲームに飲まれるな。飲まれた人は、せっかくの理系の大学を中退してゲーム雑誌やマイコン雑誌の編集者になっていまに至るですよ。BASICより難しい言語も使える人は、きちんと卒業したですよ。本当でしょうか。
・[3302]
> これでこそエソタープライズっ! レッツ艦長…じゃなくて、レッツ詳しい人に聞きに行こう! …(社内で)誰も知らない新しいことはわからずじまいだっ。
現在も現役でちょっと古いATSやATCのほうなど維持されているほうの(信号メーカーなどの)ぎょーかいのひとに回路図を見せればふんふん、**だねと、一瞬で解決するような課題なのかもですぞ。社外から適任者を探し当てることこそ真のエンタープライズ検索といってだなぁ(大巾に略)メッソウではございました&草々。
・[3119] ETCSを読み解くためにGSMそしてMSKを読み解いた結果、デジタルATCが読み解かれるはなし
> 厳密には、ここで「日本のデジタルATC」を引き合いに出してよいのかどうかは、ETCS Level2の要件が「無線であること」にフォーカスしているのか、通信の規格(GSM)にフォーカスしているのかによって決まります。とはいえ、無線なのでGSMを使うんだという話でもあり、じゃあ有線(軌道回路)でGSMっぽい信号を流していたらどうなんだ、という難しさが紛れ込んでくるわけですね、わかります! …たぶん。
> ATSやATCが何型か、それはもう血液型のように、ただの分類上の付番や命名でしかないものであって、それを一種「これくしょん!」するところを立脚点としていては、技術開発の流れを質的に俯瞰することは難しく、ましてや今後の動向を見通すこともできません。
・こちら図1「エンタープライズ・サーチの動向」になります(2007年5月7日)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070419/268827/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070419/268827/zu1.jpg
> zu1
> zu1
えーっ…。
・「赤い字で*ラクルと書かれた妙に白っぽいイルカ」のイメージです
http://www.atmarkit.co.jp/fdb/rensai/dbwatch2012/04fig/pic5.jpg
http://www.atmarkit.co.jp/fdb/rensai/dbwatch2012/dbwatch201204_02.html
> IQのラインナップは3つ。松・竹・梅という分け方ではなく、東西の両横綱に開発用というイメージです。
> IQのラインナップは3つ。
> ラインナップ
> ナ
> ナ
> ナ
えーっ…。
・「ピンキリだからなぁ…真ん中の竹にしておこうか」付近
https://allabout.co.jp/gm/gc/220580/
https://allabout.co.jp/gm/gc/220580/2/
> 本来、松竹梅に序列などありません
> 大声で「並」というのは恥ずかしいけれど、「梅」だったら普通に言えそう。
このフォーラムは「梅」ですっ! …うわぁそれをじぶんでいっちゃいますかっ。(※あくまで演出です。)
> 江戸時代に「ピンからキリまで」が慣用句に
「キリがない」といって、Top-kは確定できるけど下位のランキングは信頼性が大幅に低下しますよーん。…その発想はなかった!(棒読み)
・(修士論文)「クラスタリングを利用したTop-k組み合わせ検索の効率化に関する研究」(2012年3月22日)
http://hdl.handle.net/2261/51734
https://twitter.com/jouhouken/status/189955625386651649
「後ろから読む!」といって謝辞から読みましてですね(前略)わあぃ安達センセイそれに高須センセイっ。修士のかたご本人とともに指導教員の業績にも注目ですよ、の意。(※恐縮です。)
・毎日新聞より那珂川町「くす玉」のイメージをご覧いただいての締めくくりとさせていただきたいと思います付近(2016年2月26日)
https://mainichi.jp/articles/20160226/k00/00e/010/191000c
> 市制施行には、地方自治法や県条例にある「中心区内の戸数が全戸数の6割以上」などの条件をクリアする必要がある。住民が市制施行を望むかの意識調査や、町、県両議会の議決などの手続きも必要になる。
「あくまで観賞用」…じゃなくて、「「活性化」に努めて「乗車人員」が増えさえすれば、現状の施設のまま増発がなされるだなんて、幻想なのですよ。」([3451])なども遠目に参照。なるほど市役所(本庁)を博多南駅前ビルに移転すればいいんですよ。…その発想はなかった!(棒読み)
・[3448]
> うーん。「チャンピオンデータ」([3444])…いえいえいえ、成田線の(我孫子側からの)利便性(と、都市ガスや下水道の普及)次第でどうとでも、4倍くらいには急増してもおかしくない立地でありつつ、実際に短期間で急増されますと学校など足りなくなりますから、ゆっくり、ゆぅ〜っくり、人口増を目指されるというのは適切なアプローチであると我々、認識しようではありませんか。
・別の町で「統計法違反」があった後なので大丈夫だろうとの…ゲフンゲフン
http://d.hatena.ne.jp/davs/20130224/1361704024
> 国勢調査(これは基幹統計調査だ)の調査票の提出を拒否したり、うそを書いたら、罰金を科せられる可能性があるということだ。道路交通法違反の反則金と違って、前科者になってしまう。
統計をゆがめる行為が重大な犯罪であるという認識は共有されたいですね。(あくまで一般論です。)TOEICで「満点を目指して何度も受検!」するひとが大量に出るとまずいんですよ。(一般的な想像です。そういう人というのは受検者の統計からは除外されたりされているんでしょうかねぇ。わかりかねます。)
※わたしたち、きわめてナイーブに「ひとにめいわくをかけてはいけないよ」のレヴェルであらゆる刑罰を読み解こうとしますので、まず、罪というのはそれだけじゃないんです、「データに対する罪(=データが被害者である)」「動物に対する罪(=動物が被害者である)」というようなものを、きちんと考えることができなくてはいけないわけです。例えば『石室!』の調査中に壁画が破損したりカビたりしたといって、『業務上過失文化財き損!』で実刑などと…まあ、そこまでカリカリな法律は、まだ実現されていませんけれどもね。(恐縮ですが、怠慢や重過失が認められないと問えない上、問われても過料30万円だとかいうとの文化財保護法でございます。)
・[3403]
> はーいエリン、めいにーおんせん? まにょーっせん! エムえにぃオーゼンっ!!
…じゃなくて。
> 「いーい? 腕章は腕にするから腕章というのよ!」からの『超税関と書かれた腕章』キターっ。
> 「関税みたいなの、いっぱい取られるところ!」との語感ですね。(あくまで語感です!)
> ポスターやパンフレットにあるような疑いかたができれば、既に税関職員になっていますってば@ふつーはむずかしいですよ。そして、この疑いかた、統計(や会計)に対して向けるものとも、だいたい同じだろうとの感触でございます。(既に記録された)統計や会計と違って税関がむずかしいのは、データがストリームでやってくるのをオンラインで判別しなければいけないからですね、わかります! 天気予報と比べて、どっちがどのくらいむずかしいか…そういうのも計算量のソレの応用で比べられるのでしょうか@本当でしょうか。
> 漫然とマニュアル通りに疑いさえすれば見抜けるなんて、とんでもない。常に変動するデータを見ながら、疑いかた自体を変え続けるのが(比ゆ的には)税関職員というものですぞ! そこにこそ高度な知見があるのであって、これを「いたちごっこ」などと報じられるのには、きっと苦笑なさっているのでしょうねぇ。
・(先述)
> 国語研のコーパスに含まれるブログだけを使えばいいんですか、いいんですかっ。ウェブ全体に対するカバー率がどのくらいであるかを、きちんと見積もることって可能なんでしょうか。期間を区切るとしたとき、その区切りかたが恣意的でないことをどうやって保証すればいいんですかっ。検索エンジンの検索結果は、(一般的なキーワードで検索した場合)ランキングの下位をばっさり捨てているので、『ネット!』のごく一部ですぞ。いや、人々の目によく触れる範囲を『ネット!』とするのなら、検索結果の10位までとか、よく使われた検索語とか、そっちから決めていくんですか、いいんですかっ。…と、こういうわけであります。辞書の編者や国語研のセカイ観といって、てきとーな書店でてきとーに書籍を買ってくるという、その「てきとー」を「正確に演じる」というところに専門性があってですね(略)。あなたの隣で変な組合せの商品を持ってレジに並んでいる人、研究者かもしれませんよ!
※「データを汚す」([3142])、「わりとヒマな館長の午後ティー(ここで効果音「バラ色!」入りまーす…いただきましたっ)」([3452])…じゃなくて、「わりとヒマな店長!(わりちょー)」([3455])も参照。
|