・「学習指導要領1.0」(1958年) ・「学習指導要領2.0」(1972年) ・世代間の「断層」、その実(じつ)を知る ・「比」と「比の値」、図形で教える限界 ・73歳で大学へ、小学校での教科「自由研究」が活きる?
(約10000字)
[3022]に続いて、主に数字の話です。
・朝日新聞「萩本欽一さんに聞く「テレビが娯楽の2番になったワケ」」(2015年5月9日)
http://www.asahi.com/articles/ASH55227VH55UCVL001.html?iref=com_alist_6_01
> 1980年代前半、自らの名前を冠した3本のバラエティー番組がすべて視聴率30%を超えたことから「視聴率100%男」と呼ばれた
後の話はともかく(最後述)、まずはここだけ(冒頭のわずか62文字だけ)に反応してみます。
「視聴率100%男」などと呼んだのはどういう人なのでしょうか。1985年に30歳前後となる世代、すなわち1950〜1960年に生まれた世代であると、仮にしましょう。この人たちは学校で「比率」を学んだのでしょうか。どのような難易度で学んだのでしょうか(授業の内容が実際に「定着」したかは別です)。世代には幅がありますが、1985年に30歳、すなわち1955年度に生まれた世代に着目してみましょう。
この世代は、1961年度〜1967年度に小学校、1968年度〜1971年度に中学校、1972年度〜1975年度に高校で学んでいます。それぞれ、どんな学習内容だったのでしょうか。それを知るには、本来であれば当時の教科書や副教材、教員が手作りしたガリ版(謄写版)などを直接、収集して、きちんと読みこむことが必要ですが、いえいえ、ちょっと知りたいだけなのに、そこまではいきなりできません。そういうとき、概要だけでも知りたい、推測したいとなれば、学習指導要領の変遷をたどることがカギとなります。
・国立教育政策研究所(NIER)「基本となる資料一覧」
http://www.nier.go.jp/kiso/sisitu/siryou1/1.pdf
何をどう教えるべきかという学習指導要領、そのもととなる教育課程審議会答申、そして学習指導の結果を記録する指導要録について、年表にまとめられています。
1961年2月13日に指導要録(※)の通達が出されており、この世代は小学校入学時から指導要録があった、つまり一種の「お客さま待遇」といいましょうか、児童・生徒が「(匿名の)集団」でなく「個人」として大切にされるようになった(キレイにいえば)最初の世代(いわば「1期生」)であることがわかります。
※指導の経過や成績を個人別に記録せよ、そして保管せよという「文書主義」([3031])のキホンです。逆に言えば、これ以前の教育現場では「文書主義」が未確立であったとみなすことができます。そもそも、子どもの数が多く、教員は足りず、教室も足りなければ授業時間も少なく(一定時間の授業をするという保証がなく、地域によっては「田植え」だといっては休みになり)、子どもの「集団」に対して、なんとなく授業をする(したような気になる)のが限界だったという混乱期を過ぎて、ようやく近代化が始まった時期ともいえます。
・クボタ「くぼたのたんぼ」
http://www.tanbo-kubota.co.jp/tool/tool05.html
> 田植えのときは学校はお休み
> 稲の成育を均一にするために、田植えは田んぼごとに一日で完了させます。田植えの当日、家族だけでは人手が足りない場合は近所の人に手伝ってもらいました。当然子供たちも田んぼへ出て田植えやお弁当運びなどのお手伝いをしなければなりませんでした。昭和30年代までは、農村や農家の多い町の学校では田植え時期になると田植え休みになりました。
●「学習指導要領1.0」(1958年) 1985年に30歳、すなわち1955年度に生まれた世代の話です。
この世代は、小学校では、1958年に施行され1961年度から実施された学習指導要領で6年間学び、中学校では、この世代の卒業の翌年=1972年に施行となる新しい学習指導要領が1969年には示されていながら、小学校と同じく1958年に施行され1962年度から実施されていた古い学習指導要領のもとで3年間学んでいます。中学校での学習では「損」(※)をした世代ともいえます。
※実際には、新しい指導要領を先取りして意欲的な授業をする教員にあたったかあたらなかったかといったところで、全国一律でない(同じ学校でもクラスによって違う)「格差」のようなものもあったはずです。(児童・生徒から見れば)「運」ですね。
学習指導要領の前段としては、審議会の答申があります。1950年に「小学校の教育課程をどのように改善すべきか」(※)に対する答申が出され、翌年、科目別に学習指導要領の試案が出されています。その試案に対する改訂を加えた改訂版が1956年までに出され、ついに1958年、「小学校・中学校教育課程の改善について」と題する答申が出されるとともに、全科目にわたる正式な学習指導要領が出されるに至ります(前述のとおり、実施は1961年度から)。
つまり、1961年度に小学校に入学した、1955年度生まれの世代が小学校、中学校を通じて受けた授業内容は、「学習指導要領1.0」(バージョン1.0)とでもいうべきもので、この世代は、初めて小学校1年生から「学習指導要領1.0」のもとで学んだ最初の世代=「1期生」にあたります。
・文部科学省 中央教育審議会「資料8 旧審議会の答申等の一覧」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/gijiroku/attach/1343455.htm
※「小学校の教育課程をどのように改善すべきか」が正式なタイトルなんですね。諮問する側の水準(当時)を表しているようにも思えるとともに、逆に謙虚といいますか、一種の「すがすがしさ」も感じさせられる気がします。(感想は個人です。)本当にわからないので諮問したという、審議会が「お飾り」でなく、本当に必要とされていたんだというような何かもまた、感じさせられるような気がします。(感想は個人です。)
●「学習指導要領2.0」(1972年) 引き続き、1985年に30歳、すなわち1955年度に生まれた世代の話です。
・学習指導要領の変遷(進学塾のページ)
http://www.chuman.co.jp/point/change.html
※参照するのはどこでもいいんですが(すみません)、だいたい同じことが書いてあろうかと思います。
この世代が中学校で受けられなかった、1972年施行の新しい学習指導要領は「現代化カリキュラム」と呼ばれているようです。これを「学習指導要領2.0」としますと、その1期生は、中学校では1960年度に生まれた世代、小学校では1966年度に生まれた世代です。1972年施行の学習指導要領は「詰め込み」ともいわれますが、このくらい学習して当然、と、この学習指導要領のもとで難なく学習してきた人は思っている(そして、思っていても表立っては言わない)ことでしょう。
そして1985年、少なくとも中学校で「学習指導要領2.0」で学習した世代は、25歳になっています。きっと、「学習指導要領1.0」で学んだ上の世代が「視聴率100%」などと呼んでいるのを、白けて見ていたのではないかと推測します。
※間違いを指摘すれば世代間の教育の「格差」が露呈してしまうのですから、あえて何も言わなくなるのは必然といえます。「空気を読む」ということですね、わかります。
・「シラケる」
http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_wakamono.html
・ウィキペディア「世代」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E4%BB%A3
※自称「しらけ世代」を白けて見ていたのが他称「新人類」、という構図ですね。
※ここでいう「自称」と「他称」:「しらけ世代」は「「しらけ世代」らしくふるまう」ことを意識していた面があったとされる一方、「新人類」は意識せずふるまった結果、他者から「新人類」と呼ばれたとされる、という違いを指しています。
いまは「商売上」(後述)、「新人類」は「1961〜1970年生まれ」とされているとの説明がありますが、小学校および中学校の学習指導要領に着目して世代間の違いを探るという文脈では、1961〜1970年の10年をひとくくりにすることはできません。上述のように、1960〜1965年生まれと1966年以降の生まれの間にも、大きな違いがあるのです。
●世代間の「断層」、その実(じつ)を知る 前述のように、実際の教育現場でどのくらい意欲的な授業がされたかは千差万別であった(昔ほど差が大きかった)と推定されるほか、成績が個人でバラバラであるように、個人差があります。年齢だけをもって、ある人を断じるようなことは、してはいけません。いわゆる「世代論」には、様々な批判があります。
それでも「世代」に着目してみていくというのは、どういう意味があるでしょうか。それは、冒頭で述べた通り、わからないなりに傾向をつかむ、他人のことを根掘り葉掘り聞くわけにいかないシーンで、外形的に探る、という面から、一定の有用性が出てくるというわけです。逆に、それ以上のものではありませんので、重ね重ね、年齢だけをもって人(その人の人格)を断じてはいけません。
・個人のブログ「意外とみんなゆとりだった」(2007年12月5日)
http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20071205/1198409542
> 自分はゆとりではないという自負があったわけだが、あなたはどの指導要領?に衝撃的な事実が掲載されていて、目を疑ってしまった。
> 「お前だってゆとりのくせにっ!」
> 年長者が「最近の若者は……」と、若者の行いを憂うのは、人類始まって以来脈々と受け継がれてきた伝統みたいなもので、メソポタミアで発掘された世界最古の粘土板に若者に対する愚痴が書いてあったとか、ソクラテスとかプラトンが嘆いたという話しがあるが、これは真偽が疑わしい。
「量」だけで「ゆとり」と断じることができない面もあります。現在「ミニマムスタンダード」と呼ばれているように、一度、体系的に(歴史的には「系統化」と呼ばれたようですが)構築された漏れのないカリキュラムから、体系(学習内容の単元(要素)間の関係=一種の「リンク」)を保ったまま、適度にサンプリングして「縮退」することは、「質」を保ちながら「量」を減らす合理的な方法です。他方、学習内容の体系が明らかでないまま、経験的にアレとソレとコレは外せないな的な「鉛筆」で決められたカリキュラム(そうして決めるしかなかった時代背景)のもとでは、同じ「量」であっても、圧倒的に「質」が低いとみなすことも可能ではあります。
2015年のいま、1955年度に生まれた世代(中学校卒業まで「学習指導要領1.0」)は60歳、1960年度に生まれた世代(中学校1年生から「学習指導要領2.0」=「現代化カリキュラム」)は55歳、1966年度に生まれた世代(小学校1年生から同)は49歳になっています。
2015年のいま、上の世代のいうことを白けて見ている、その「断層」としては、49歳から60歳の間にあるということになります。本当でしょうか。そして、50歳以上(特に60歳以上)の方はこのことを自覚できているでしょうか。「断層」は、ふだんは隠れていて見えません(前述のように、49歳以下の人のほうが上の世代に遠慮といいますか、意識して隠そうとするはずです)。見えないものに翻ろうされることがないように、見えなくても、そこにあるのではないかと仮定して探っていく(「白い箱」を探す[3041]に近い)ことは、このような世代間の構図に対しても重要になってきます。
※学部新卒からの勤続年数でいえば27年、同じく入社年度でいえば1988年ということで、(JRでいえば=JRでいうことが適切かどうかは別として)概ね「JR化後」の入社であれば、かなり「詰め込み型」の教育で育ってきていて、端的に「頼もしい」といえます。本当でしょうか。
もっとも、もっと上の世代については、戦闘機の技師が新幹線へ、という流れもあり、ここまで前になると学習指導要領が云々という時代ではないわけです。1958年から着手されたサイバネティクス([3041])についても、外部からの人や知見の導入があったとのこと。どこまでが国鉄の力(研究開発力)で、どこからが外部の力(同)かがわからない部分もあり、国鉄や鉄道総研の職員(研究者)だけで何かができるなどということは、もともとなかったということですね。
他方で今日(こんにち)、専門分野は細分化しています。どんな専門家がいるかということばかりか、どこにどんな専門分野があるかということすら、わかりにくくなっています。そこを見通せて、適切な分野の適切な専門家に協力を依頼できる、一種の「目利き」としての能力が問われます。いかにして外部の力を活用できるか、そこを使いこなす能力こそが求められているわけです。49歳以下の方々が奮起して、何でも自分たちでやる、それで万事解決かといえば、決してそうではないでしょう。
・「模倣から創造へ:国鉄座席予約システムMARS-1における技術革新」(2007年12月)
http://sts.kahaku.go.jp/tokutei/pdfs/03_22.pdf
・ウィキペディア「大野豊 (工学博士)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E8%B1%8A_%28%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E5%8D%9A%E5%A3%AB%29
※1924年生まれ、1946年に工学部卒で運輸省とのこと。書けば一文に過ぎませんが、この背景に、どれだけ多くの人がいたことでしょう。
●「比」と「比の値」、図形で教える限界 萩本氏の話に戻りましょう。しかし、数字の話です。
・ウィキペディア「萩本欽一」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E6%9C%AC%E6%AC%BD%E4%B8%80
> 1982年に始まったTBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』(最高視聴率31.7%)、さらにはTBS『ぴったし カン・カン』(最高視聴率37.6%)、フジテレビ『オールスター家族対抗歌合戦』(最高視聴率28.5%)と高視聴率番組が続き、各番組の合計した視聴率の数字から「100%男」の異名を取る。
※仮に「足し算」するとしても「97.8%」ですねぇ。
・biglobeニュース「TV番組の視聴率1%は100万人に相当するの? 視聴率の都市伝説」(2013年6月13日)
http://news.biglobe.ne.jp/trend/0611/bcv_130611_9872084481.html
「比」(比率)の学習内容が定着していないまま業務にあたっておられる方々が多いということを示しているのでしょう。Excelの操作ができるだけでは、ぜんぜん足りないんです、たぶん。同じことは、SAS社の製品でも、その他あらゆるBIツールなどでもいえます。どんなに製品がよく作り込まれていても、そしてメーカーやベンダーの研修をしっかり受けても、足元でユーザーの基礎的な知識が足りなければ、正しくない使いかた(計算や解釈)がされてしまうわけです。
ましてや、よくわからないまま「数字」だけを調査会社から買い付け、手元のExcelでゴニョゴニョ(とりあえずソートしてみる、キレイに色分けしてみる、○○あたり○○といった「割り算」をしてみる、あとは…そのくらい)、あるいはWordか「パワポ」だけで(!)ゴニョゴニョする(キレイな表やグラフを描いて「右肩上がり!」)という会社(ユーザー企業)にあっては、正しく使われることを期待するほうが無謀といっても「過言」ではないでしょう。
・「第6学年 算数科学習指導案」岡山県
http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/330431_1526463_misc.pdf
電卓にもボタンがあり、商品のパッケージの宣伝文句や消費税率、スポーツのニュースまで、子どもでも日常生活の中で否応にも目に入る「%」と、授業に出てくる、そして図形を描かされる「比」が同じものであるという理解に至れるのでしょうか。むしろ、図形を描かされることが、「%」の値を「足し算」できるという誤解のもとになっているのではないでしょうか。
※思い返してみても(何年生で出てきたかまでは覚えていませんが)、「比」の単元だけが浮いていたような記憶がかすかにあります。
・文部科学省「学習指導要領 一般編‐試案‐(抄)(昭和二十二年三月二十日)」(1947年)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318000.htm
> ただ、この目的を達するには、これまでの修身・公民・地理・歴史などの教科の内容を融合して、一体として学ばれなくてはならないので(学習指導要領社会科編参照)それらの教科に代わって、社会科が設けられたわけである。
昔の公文書にケチをつけることはできません(当時としてはベストが尽くされたとみなして見ていかなくてはなりません)が、仮に「現在の水準」で「新規金型」…いえ、「朱」するとなれば、かなり赤くなりそうです。
「…(児童・生徒が)学習する必要がある。このため、(国は)従来の教科に代わり「社会科」を設けることとした。」といった具合で、実際の文章の上では省略するとしても主語を明らかにし、受動態を極力避ける、また、自らの動作を自ら述べることは客観的でないので、第三者から見て「(国が)設けることとした」とする表現にすることなどが、いまはあたりまえのように求められる(満たしていないと採択されず公表もされない)と思います。公文書の文章一つとっても、現代のほうが着実に水準が高まっているということが実感されます。
※いまでも文章の水準が低いままの分野(本来、文章がより洗練されていて当然の「文系」と呼ばれる分野など)や方面(小さな市町村での公文書など、都道府県以下の附置研究所などでの論文など)があるとすれば、そこは危機感を感じていただきたいということでもあります。例えば、同じことを同じ章の中で2回言ったり(いくら大事なことであっても)、同じことを何種類もの言葉で言い換えたり(それは文学のテクニックです)、(もっとも簡単なところとして)ベン図で図解したら破たんするような論理を述べていたり、といったことは、論文や公文書ではあってはなりません。
●73歳で大学へ、小学校での教科「自由研究」が活きる? 1941年生まれの萩本氏は、1947年度に小学校に入学し、1953年度まで中学校で学んでいるはずです。小学校では「自由研究」(今日(こんにち)の夏休みのソレでなく、一つの教科)が盛り込まれた指導の「1期生」にあたり、中学校では、1年生の7月から、改訂版の学習指導要領(いわば「0.9」くらいの)で学んでいます。
中学校では、ちょうど教科「自由研究」が廃止されてから学んだことになりますが、その分、学習内容の「実」(じつ)は増え、実に「実」(み)のある、つまり、現代にも通じる、小学校で総合的に視野を広げ、中学校できっちり詰め込むという、一種、理想的な教育を、混乱期(現代につながる教育の黎明(れいめい)期)にありながら受けることができた世代といえます。なお、ウィキペディアによれば萩本氏は私立中学校(高校まで一貫教育)へ進学したとのことですが、そうであればなお、「実」(み)のある教育を受けることができたことでしょう。
・愛知教育大学「昭和22年度学習指導要領(試案)教科「自由研究」から見る探究活動の課題について」(2012年3月)
http://repository.aichi-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10424/4350/1/kenkyo6118.pdf
端的には、(当時の児童・生徒から見て)難しくて、取り組む意義がわからない、テーマによってはおもしろく、興味がなければおもしろくもない、それでいて成績を付けられるという、えらくナンギな「科目」であったらしいということがうかがえます。確かに難しいとは思いますが、結果的には、難しくても取り組むというところや、そもそも教員自身が四苦八苦しながら試行錯誤しているところを間近で見てきたといったことが、例えば萩本氏が今年から大学1年生になったといった部分で、とても大きな基礎的な学力(年をとっても失われない=必要に応じて新しいことを自力で学べるという学力)を得ることに役立っていたのではないかとみることもできるのではないでしょうか。6年後、萩本氏が修士論文を提出して合格、というニュースが流れたとしても驚きません。
・日本経済新聞「筑波大、86歳の博士号 茨城県信組理事長」(2010年3月26日)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2503V_V20C10A3CR8000/
※博士課程(後期課程)のみとのことで、若いうちに修士課程を出られていたようですね。巷では「誰でも、何歳でも」などとする言説もありますが、それは無謀というものです。きちんと基礎がなければ、後からは学ぶ(学び直す)ことすらできないのです。義務教育の課程や若いうちに受けた教育がいかに大事な財産であるか、実感されるような気がします。
・国土交通省「仕様規定から性能規定へ」(2010年2月17日)
http://www.mlit.go.jp/tec/cost/cost/files/files.5/syousai/p15.htm
※学習指導要領だけで教育やその結果が決まるわけでは決してありません。学習指導要領を過大評価も過小評価もすることなく、より上位から考えることが、実質的に教育の質を保証していく「土台」(≒「ミニマムスタンダード」)になるといえ、その点では、分野を問わず進められている「性能規定化」の流れに、教育もまた沿って進んでいるということです。何を教えるべきかということだけでなく、どう教えるかという学習指導法や新しい教材の開発も日進月歩で進む(進むことが期待される)流動的で過渡的な情勢下にあって、これはたいへん合理的なことです。
・朝日新聞「萩本欽一さんが駒沢大に合格 「野球部にも入りたい」」(2015年2月27日)
http://www.asahi.com/articles/ASH2W35CRH2WUCVL005.html
> 4月から勉強を始め、今年1月に入学試験を受けて合格通知を受け取った。受験科目は英語と小論文。面接も受けたという。
ここまでを踏まえまして、冒頭に挙げました記事を再読いただきますと、うーん、本当はわかっているけれども、視聴率を「足し算」してしまうような人たち(=といっても大切な人たち)の顔を立てるべく「100%ですね、わかります」と話を合わせながら生きてきたんではないかなぁ、と想像されてくるわけです。(あくまで想像です。)
> 数字はタレントがどんなに頑張っても20しか行かないんですね。その先はスタッフの頑張りです。
> 昔とは変わっていないと思う。30%の番組は見てなくても耳に入ってくる。W杯サッカーであれ、「紅白」(歌合戦)であれ。30いったときは、昔と一つも変わっていない、はしゃぎ方から話題の仕方から。今は10で話題になっているけど怪しいね。無理やり話題にしているんだと思う。今の20は昔の30というのは、商売上の理由で言っているのでしょう。
※大切な人たち(スタッフ)を大切にしつつも、ソレはソレとしてコレを言える立場になったというのは、たいへんシアワセなことではないでしょうか。これこそアカデミックというものです。
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