・目次をきちんと読み解いてから読む【帯あり】 ・「鉄道技術研究所の変遷」から「知識の系統化」まで ・「120km/h運転の実在を迷う」から「荒木光太郎文書」まで ・「ALPS」を前提とした「東海道開発線」構想 ・「交通新聞社第二出版事業部長****氏の懇切なご指摘」から「カンピューター」まで(談)
(約46000字)
「2時間で読む」([2947],[3010])に対して「10年後に読む」であります。[3495]もあわせてご覧いただけますと幸甚にございます。そして、「別途まとめます」とのみ記して後回しにしていたのは本書なのですよ。まず、このフォーラムでどのように後回しにしてきたのかをふり返ります。
・[3126]
> (会社が)業務として(オプショナルな創意工夫の類でなく、査定の対象として)研究に携わらせるにあっては、少なくとも修士、できる限り博士の学位(※※)を取得させる(30代のうちに取得させる)ことが当然です。学部卒で実務10年、それだけで研究ができるとみなしてはいけません。きちんと訓練を受けないと、やっぱりできないものなのです。「もう一声」といいたくなるような「おしい」会社としては、オプショナルな創意工夫の延長線上で(事実上の)研究成果を求めるという、…それって「ブラックっぽい」んでは、と心配になってきませんか?(青色LEDの人[2937]も参照。)
> ※※ちょっと古い文脈では「学位取得者」といって「学士=学部卒」を指しているものが(国鉄では)あって、ちょっと「あ然」とさせられます。そして、企業内大学ともみなされる「鉄道学園」で「みなし学士」的な自称「学位」を(ある意味では自組織の構成員に自組織で)授与し、組織内の待遇面では正式な大学の学位(ただし学士)と同等とみなしてきたと説明されます。そして、「生え抜き」と自称する人たちにあってたいへん結束が固かったので、外部からの人材の登用が阻まれた、とする指摘(ただし労使問題でなく、研究開発に関しての指摘:佐藤2005)もありますが、別の話ですので別途まとめることといたします。なお、あくまで国鉄時代の話です。
この著者自身は民営化の前後に鉄道総研(鉄道技研)を退職されており、著者としては「JR」は知らないという立ち位置にあるので、本書を通読してなお、わかるのはあくまで国鉄時代の話であるということを、わたしたちは承知してから読まなければなりません。
・[3177]
> あくまで国鉄が主体的に取り組むんだという「自負」のようなもの(国鉄内部や国鉄の研究所で、いわゆる「生え抜き」で「たたき上げ」の職員から、研究者が一種「低く」見られていたという指摘があります=別途まとめます)
・[3125]
> 国鉄の研究開発の現場では、意欲的に先進的な取り組みがなされた(ほぼリアルタイムで「1958年のサイバネティクス」[3041]、あるいは「1964年の速度感」[3124])ものの、その後、研究体制を継続的にアップデートしていける仕組みが機能しなかった([3041])とみられます。
・[3469]
> (ある研究課題や分野などに即して、いわゆる「ブルーオーシャン!」な時分に)スゴい人(…とみなされるけれども、そもそも「ブルーオーシャン!」であれば誰でも『第1発見者!』になれる確率が高い!)がいたときだけグングンと研究が進んで、あとはそれっきりというのが東海道新幹線以後の国鉄(の研究所⇒※)であり「数量化理論」であり、との印象が否めず困ってしまいます。あとの時代の者は、いったい何をしてきたのでしょうか。…ギクッ。
> ラッパ型スピーカーも高らかに…国鉄解体への序曲をバックに「公団」というものが新設されて、(研究者としては)心機一転、コンピューターを使う新しい研究にまい進されたと、かようにナイーブな幻想を仮に持ってみるところであります(=別途まとめます)。
・[3484]
> じぶんたちの発表したのだけを挙げておられます。しかもじぶんたちでつくったシンポジウムでの講演です。おのずから限界が出てくるといって…うーん。(別途まとめる予定がございます。)
※研究開発に関する「情報公開が限られている」(244ページ=後述)ことの一例でございます。ただし、あくまで国鉄時代の話でございます。
なお、本書では「日本鉄道建設公団三十年史」が挙げられてはいますが、公団、地下鉄、私鉄系の車両メーカーなどへの言及は見られないことをあらかじめ申し添えます。国鉄の最後まで鉄道総研におられたかたとして、職場の環境として入ってきにくい類の情報(≒知らなくても仕事ができるとみなされる情報)は、退職後にもじぶんから探そうとはされていないということを疑います。
※人的交流はあって、著者自身が土木学会構造工学委員会鉄道構造小委員会の「線路研究のグランドデザイン」研究会で委員を務め、「大学、JR各社、鉄道建設公団、公営鉄道(地下鉄)、私鉄の部長クラス」「若手職員を幹事として合計47名に国土交通省鉄道局からオブザーバーを得て」(276ページ)との説明が見られます。
では参考文献に不備があるかというと、そうではないことがわかります(=後述)。参考文献というより、研究に用いたデータセットともいえる「国有鉄道 鉄道統計 累年表 CD-ROM版」「日本の研究所要覧」「数字で見る鉄道 1990−2000」「運輸経済統計要覧平成3年度版」それに土木学会「1980年版全国土木系教官・教員名簿」「1999年版全国土木系教官・教員名簿」(=を使おうというところに「確かな論文指導の痕跡」のようなものが感じられるという意味で)が手堅いので、これでじゅうぶんだという印象もございます。これ以外の一般向けの図書や報告書、それに新聞記事などをぜんぶ挙げておられるのは、正直だなぁ、…実に正直だなぁ、ということです。
・(あくまで参考)中原淳「博士論文とは「最後の教育機会」である!?」(2013年10月24日)
http://www.nakahara-lab.net/2013/10/post_2112.html
> 僕がこれから語ることは、「一般論」では、断じてありません。
> ひと言でいえば、博士課程はすべての「最後」なのです。
> かくして、「博士論文を書く」という行為には、「指導者として提供できる最後の教育機会」にふさわしい知的活動が埋め込まれています。
> 大村はまの言葉に、下記のような言葉があります。
いや、まあ、その、やっぱり大村はまですよね。わかりますわかります。
・[3469]
> 「日本人の読み書き能力調査」(数量化I類)
「数量化I類」と後に呼ばれるソレは、この調査のためにつくられたのですよ。
・ウィキペディア「大村はま」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E3%81%AF%E3%81%BE
> 戦後、占領軍の教育指導者講習があり、はまは、出席した。CIEが強調したのは単元(ユニット)であった。実践的な、目的意識をもった、まとまりのある授業である。はまは、「やさしい言葉で」という題で行った学習の例を、通訳を通じて話したら、責任者のオズボーンは「そうだ、それがユニットというものだ」と認めた。
> はまの支援者であり、助言者でもある東京都指導主事・東京教育大学教授の倉澤栄吉もその一人で、定期的に参観にきた。
エピソードがつらつらと述べられてはいますけど、重要なのは上記の2点ですよね。「数量化I類」と呼ばれるソレがつくられながらの「日本人の読み書き能力調査」には倉澤栄吉もアレしてますよね。(敬称略)
・本橋幸康「「日本人の読み書き能力」(1951)の考察」早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊 Vol.12 No.1(2004年9月)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006372134
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-25870023/
> 昭和20年代後半,(以下略)
ぬおー(略)。TOEIC([3345])のほうなどそこはかとなくIRT([3477],[3487])しながら、問題文は使いまわしてこそ継続性が出るのかもですよ。「数量化I類」のほうからの考察もされたいかもですよ。本当でしょうか。(※既にされていたらすみません。)
※「アチーブメントテスト」については[3495]を参照。
・(再掲)レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000083444
> **県立中央図書館
> 小学校・中学校・高校で使用する読書ノートの開発をしている。(略)大人向けに説明したものでも、大人が使うような読書ノートでもかまわない。
> (大巾に略)
> GeNiiを「大村はま AND 読書ノート」、「読書記録」で検索。(略)
・(先述)
> (大巾に略)「大村はま」『一択』ですね、わかります!(かなり基礎的なことなので、それより後の時代に何か斬新な方法が生まれたりはしないのですよ。たぶん。)
・(再掲)「スポーツマンシップとはなにか」(2012年1月27日)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/reviews/120127.html
> そもそもルールは誰が作るのか。
> 私が現代の「スポーツ的なるもの」に、ときに不安を感じる点はそこにある。
・[3485]
> なにしろ京都なんでぇ(略)何食わぬ顔で桜餅と称して、各々けっこうバラバラなソレを食わせる(※どこぞのアレを「完こぴ!」するなんてプライドが許しません!)といって、こりゃあいっぱい**されたわい。(違)この、いくら時代を経てもあまり規格化されない感じ(変わり続ける感じ)こそが関西風…いえいえいえ、そこまでいえませんってば。製菓学校で「これが桜餅だッ」といわれてお手本を見せられながらつくらされたのが採点されるというセカイとは、かなり趣が異なりそうですのう。製菓だけを学ぶのと、(本式の)彫刻を学んだ人がお菓子の材料で彫刻するのとは、かなり違いますよね。いえ、桜餅には彫刻しませんけど、1枚たりとも完全に同じものなどない桜の葉の合格と不合格(※形が崩れたものなど)の判定など、なかなか美的なセンスが問われそうですよ。本当でしょうか。
・[3334]
> おやかたっ! そらからなないろの缶コーヒーがっ!!(ぶしゅーっ)そこをおさえろッ! …こうして夜勤のおともの肉だんご([3170])は冷めていくのでありました。
ま、そういうのが博士論文ですよね。このくらいポヤンとさせれば、いくらかは一般論じみてくる(=博士論文をことさらに特別視せず、博士論文に取り組まないかたにあっても、じぶんの立場での何かに置き換えての理解がはかどる=)のではないかなぁ。…本当でしょうか。
●目次をきちんと読み解いてから読む【帯あり】
本書とは、この図書でございます。(図書ではございますが、中身は博士論文でございます[3010]。)
・佐藤吉彦「第5世代鉄道 −知識創造による鉄道の革新」交通新聞社(2005年1月)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007653030-00
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/5159XVGXNNL.jpg
刊行から時期を置かずに買ったものの、いや〜、いきなり読んでもぜんぜんさっぱりですってば。まったく別の勉強を10年ほどしてから、ふと思い立って改めて読んでみると、10年前にはわからなかった細かいニュアンスがありありと伝わってきたんです。10年かかって、ぜんぜん鉄道とは関係ない勉強しかしていないんですけど、本書が読めるようになるという勉強はできていたんだなぁ、と思いました。(※あくまでナイーブな感想ですので、あしからず。)
(学生のキミにあっては)お高い(≒古本になっても安くならない&あまり古本として流通しないかもしれない)ので図書館で読めばよろしいとみなされる本ですので、あしからず。密林さんとも呼ばれたり呼ばれなかったりするかもしれない某ECサイト上では、レビューが0件です! わあぃ評価に値しないってことですか&違いますよね。ほとんどの読者は評価できなかったんですよ&軽々にレビューなど投稿するとえらい目に遭うとわかればこそ投稿できないんですよ。(※一般的な推察にございます。)
※「レビューが0件である」ということも、本稿をまとめなければとわたしを駆りたてる何かの1つにはございます。
・(先述)
> わあぃこんやのカレーは<けろくち>だぜ★。たしかに<けろくち>といったかんな。かってに<からくち>だとおもうやつが××なんだぜ★。…などと(略)。すみませんすみません××が××で(もっと略)。
> 本を紹介しさえすれば「書評」だなんて、とんでもない。「書評」は、書評を書く側こそが高名なかた(その分野の先駆者や、じゅうぶんな実績を有する専従の担当者)でないといかんという美学(※B)があってだなぁ(略)。このフォーラムでわたくしめが書籍を(長々と、主観を交えながら)紹介しても、それは「書評」には該当しませんです。
> まあ、<けろくち>のようなもので、書評と銘打っていなくても書評だと受け取られるのは***ですね。うん。でも、その逆はいけないと思うんだなこれが。(※表現は演出です。)
・このかた、「読みおわった読書家」らしいですけど付近
https://bookmeter.com/users/405738/reviews
https://bookmeter.com/books/1995943
> 読みおわった読書家 2年前
※『書評!』と同じで、『読みおわった読書家!』なんて表示されるサイトを使うのは恥ずかしいですよね。<それある〜!!
「感想・レビュー」は書かれていないようでした。もっとも、2015年にもなって新たに本書を読もうというのも、何かきっかけがないと起きないことですよね。このかたに「読め」といって渡したセンセイなどいらっしゃるのなら、センセイ、さすがですのう。そして、研究の分野が近かったり、少しでも重なるところがあると思える学生であれば、読めば必ず大いにくやしがる(?)という何かであると思います。その何か的なものを、ぜひとも研究にぶつけてください。そういう本なんですよ。
そして、(何らかの方法で)いま買っても2005年当時と同じ「帯」がついてくるのかは不明なのですが、当時の帯では▼エヌ村英夫センセイ(武蔵工大)、▼ケー東偉介センセイ(早稲田大)、それに▼テー本義也センセイ(早稲田大)のコメントがそれぞれ2行ずつ付されています。…きっと学位論文の審査委員ということですよね。(※所属は2005年当時。)
「おわりに」を読むとわかりますが、▼ケー東センセイが指導教員で、同じ研究科の▼ケー林センセイと▼エス山センセイに、同じ大学の▼テー本センセイを加えた4名で論文審査委員会が組まれたとのこと。▼エヌ村センセイも入っておられれば鉄壁だと思うんですけど、何らかのソレで、「帯」にはコメントいただけても学位論文の審査には加わられていないらしいとうかがえます。
※学位論文は、審査委員の顔ぶれも「『要チェック』の「ちぇけらー」!」ですぞ([3470])。いえ、既に学位が認定されているのですから、無関係の者としては「あら探し」をしようというのではございません。(修士論文よりも)新規性や独創性が厳密に問われる以上はどうやっても質にばらつきの残る(はかりきれない部分が必ずある)博士論文にあって、どのような指導の下で書かれ、どのような顔ぶれで審査されたのかという情報は、博士論文を読む(=通常、学位論文は引用や参考文献にはされないので、読むだけになるのがあたりまえではありますけど=)上で読者として知っておきたい情報であるのです。(=私見です。)
・紀伊國屋書店「目次」「著者紹介」は原文ママです付近
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784330822051
> 1 鉄道の構成と事業創造
> 2 東海道新幹線の実現と在来貨物鉄道の収縮
> 5 新鉄道システムの構想と知識創造
> 6 第5世代鉄道への道
> 著者紹介
> 1960年国鉄入社。1年間、大阪鉄道管理局で勤務した後、鉄道技術研究所(現、鉄道総合技術研究所)へ。
> 1987年日本機械保線(株)入社、常務取締役。
> 2002年、軌道システム研究所所長。
> 早稲田大学一理(土木)卒、東京大学大学院工学博士、筑波大学大学院修士(経営学)、早稲田大学大学院博士(商学)
単行本という体裁ながら、学位認定の条件とされる「博士論文の公表手段」ですよ的な空気が漂うことが、10年後に読むとわかるというものです。本件著者にあっては、論文審査に合格した後、本書の出版の予定を確定させることによって、正式に学位が認定されるというタテマエにあろうと推察されます。(実際の運用上は、そこまで厳密ではないかもですけれど。)
交通新聞社の編集者がどのくらい博士論文(の『単行本化』!)に慣れているのかはよくわかりませんが、本書の編集を担当できるとは、なかなかスバラシイですぞ、と思えてきます。
改めて本書の目次を(ウェブではなく本書で)しっかり眺めますと、本書ひいては本件博士論文の構造が見えてまいります。
※博士論文本体の目次はリポジトリで公開されている抄録で確認できます。(本として読むには冗長な)同じことを2回述べることになる論文での結論の章が、本書では省略されています。
・(第2部と第3部)東海道新幹線の実現と在来貨物鉄道の収縮〜鉄道技術研究所における貨物鉄道に関する研究
・(第4部)国鉄の技術的自立
・(第5部と第6部)新鉄道システムの構想と知識創造〜2025年の鉄道(第5世代鉄道と世界的製品としての鉄道)
先に工学博士、後から修士(経営学)そして本件論文で博士(商学)をばという著者ですから、本件論文内に「核となる論文」がわずか2編しか埋め込まれないような若者とは違って(!)、きちんと博士論文としてのまとまりがあり、あくまで博士論文として「第1部」から「第6部」まであるのだという印象が出てまいります。
それでも、大きく分ければ「第2部と第3部」で過去の研究体制について述べ、「第4部から第6部」で技術開発かくあるべしということを述べておられます。(「第1部」は、全体に対するイントロダクションとなっています。)
・「くやしがる」
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E3%81%8F%E3%82%84%E3%81%97%E3%81%8C%E3%82%8B
> 唇をかむ
> 歯を軋ませる
> 猛省する
> 悔恨の念にかられる
> 名残を惜しむ
> 悔悟をかみしめる
> 無念千万 ・ 残念至極
「残念」とはいっても、近年『残念系!』のほうのそれではなくて、古典的「残念石」([3440])のような「念が残る」のほうですので、あしからず。じぶんはいったい何をしてきたのかといって猛省するという意味で、技術開発もしくはスパンの長い研究に従事しようとする者におかれまして本書は(キャリア上の)適切な時期に読まれたいと思いました。
※仮には、52歳(30年目)になってから読むのでは明らかに遅いと思います。逆に、早すぎるのも問題があり、少なくともじぶんの卒論をきちんと仕上げるか、卒論に不満があってM1になってから読むのがよいかなぁという気配ではございます。まともな卒論も書けぬまま卒業してしまったひとというのは、実年齢にかかわらず20歳くらい(大学の基礎科目まではばっちり!)だとみなされると思うのですけれども、そういうひとが本書を読むと、十中八九「満鉄はええのう(さっそく取材旅行だっ&時刻表の再現だっ)」「東海道開発線はええのう(さっそく記事化だっ&常磐新線もあるでよ)」で終わってしまうと思いました。たぶん本当ですから(=そういうライター氏が現にいらして仕事になっているというレヴェルで本当ですから=仕事としてはスバラシイ)、まあ、20歳のうちにはそれでもいいわけですから、きちんと本書を読めるトレーニングを積んでから再読いただくのがいいかなぁ、と、こういうわけです。(※それなりに実感をともなっての見解でございます。)
・(博士論文)「鉄道事業の革新的展開のための技術的ナレッジ・マネジメントに関する研究」早稲田大学(2004年2月13日)
http://hdl.handle.net/2065/48864
なお、佐藤氏の国鉄在職中の研究課題はまさに軌道ひとすじとの印象でございます。
・「輪重変動の立場から見たレール頭頂面凹凸の評価法」(1981年10月)
http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200902059178833894
・「輪重変動に関連した軌道ばね減衰係数の同ばね係数に対する関係」土木学会(1995年9月)
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/1995/50-4/50-4-0546.pdf
軌道に関して文句なしの専門性を有する同氏が、なお経営学そして商学を(管理職研修などでは飽き足らず大学院で)修めようというパワーのようなものには圧倒されましょう。
なお、わたらせ渓谷鉄道からの「DE10」については[3484]で述べたところでございます。その上で、佐藤氏が『輪重抜け』([3182],[3314])とは書かず「輪重変動」と、きわめて正確な表現をなさっているところに、これまた圧倒されようではありませんか。いかにも業界用語っぽい(≒初等教育からの理科教育の積み上げが感じられない=大学もしくは職場で皮相的に覚えただけでしょと疑いたくなる)『輪重抜け』などという表現は、少なくとも論文では使ってはならぬと…誰か言ってくださいオネガイシマス。(※きわめて恐縮ながら素人の私見ではございます。しかし、ここ、とってもナットクしかねるところなんです。)
・毎日新聞の群馬ー「なぜ復旧まで20日も? 枕木6万本を総点検 きょう全線再開の見通し」(2017年6月10日)
https://mainichi.jp/articles/20170610/ddl/k10/040/075000c
> 線路のゆがみを調べる軌道検測車(3両編成)の2両目の全ての車輪が、進行方向の左側に脱線した。現場付近は右カーブで、運転士が異音に気付いて緊急停止した。
> 「安全の確認のため、運休区間のレールを一つずつ徹底的に点検したところ、交換や補修すべき部品が見つかったため再開が遅れた」としている。運休区間の枕木約6万本を総点検した結果、老朽化やネジの緩みなどが見つかり、約440本を交換したという。
安全確保からの運転再開が優先され、ほかの箇所で脱線の再現実験ができるというようなことは(本件鉄道が現にサービスに供されている旅客運送事業である以上)ありません。東日本大震災で被災車両の貴重なログが上書きされて永久に失われたはなし([3358])も思い出されましょう。それがサービスというものではあるのですが、研究の機会が失われたようにも感じられるかもしれません。
> わ鉄によると、事故現場付近でも老朽化した枕木が見つかった。担当者は「レール部品の損傷が事故を招いた可能性もある」と推測する。
> 検測車は当時、規制速度を守って約40キロで走行しており、現場の最寄り駅を予定時刻通りに通過していた。現在、事故原因の解明に向け、国の鉄道事故調査官が現場の状況確認や関係者からの聞き取りなどを終え、分析を進めている。報告書がまとまるのは通常で1年ほどかかるという。
車両側の「DICS」に問題が起きていないか、E259系のほう([3135])も気にかけながら、それとなく心配してみます。車両側の情報システムについて、佐藤氏が軌道に詳しいのと同じ詳しさで、きちんと鉄道総研やJRの部長級のかたが理解できているかどうか、かなり気になります。支社レベルでは保安装置の挙動とその法的位置づけがしっかりとは理解されていない気配がある([3155])ので、それより上についても不安が出てくるわけでございます。(きわめて恐縮ですが、不安が払しょくされることを願っての言及でございます。)
●「鉄道技術研究所の変遷」から「知識の系統化」まで
以下、このフォーラムでの昨今の話題(=上掲)に即して…いえ、もっと素直にいいますれば、わたしの興味に忠実にページをめくって目に留まり「付箋を付した」箇所を挙げます。
・(104ページ)
> 外部導入人材による研究室長
> 外部導入人材による室長の数は昭和42年(1967)にピークを迎えて75.5%に達し、以後急減した。研究黄金時代の1960年(1935)代を通算すれば、その中核研究員の約半数が彼らによったと見ることができようか。
・(92ページ)
> 鉄道技術研究所の変遷(鉄道技研1957)
・(114ページ)
> 学習資源の蓄積と研究者数・研究費の関係
> 筆者の経験によれば、信頼に足る研究者を対象に考えるならば、社会と企業のニーズに応じて将来を展望して課題を設定し、これに必要とされる研究費が確実に提供されるならば、研究開発費に関しては多分最も合理的な支出になると考えられる。多くの場合、有能な研究者は必要とされる研究費が必要な時期に提供されないことを恐れて、過大な要求をし、これがまた多くの場合集中して与えられ期限内に使用しなければならないために、浪費される結果となる。一方で、必要とされる僅かな研究費が与えられないために、有能な研究者が不必要な業務にその才能をすり減らしている現実がある。これらに関しては、その認定を行う研究開発指導者の視野と研究者の実施の責任が問われるところである。
研究費といえば科研費だけかのような話ではなく、企業内での配分も含め、およそ研究費というものはこういう問題を抱えているのだという一般化された視点を得たいと思われてまいりましょう。また、研究者として自律的に課題設定を行えるというわけでもない企業内の研究開発では、とりわけ研究開発部門の管理職や役員の資質が厳しく問われることがわかります。とはいいましても、そのようにあくまで企業活動として一種『お行儀よく』取り組む(人が代替わりすれば申し送りする=ある研究課題について、誰でも取り組めるようにしておく⇒誰でも取り組める範囲内でのみ取り組みさえすればじゅうぶんであるというあきらめが出てくる)だけでは達成できない研究課題もあるのかなぁ、と想像してみるところではございます。(※あくまで想像です。)
・(244ページ)
> 研究陣容の育成
> 鉄道に関する研究が鉄道の事業体の中で行われ、また情報公開も限られてきたことに原因があるとは考えられるが、現在の高度に専門化した時代にあってはその専門家の育成の面から大きな問題である。(略)教育をする機会にその分野の知識を系統的に整理することをも可能とする。教えるということはそのために10倍の時間を掛けることであり、そのための思索により新たな問題を発見できることともなる。また、このような系統化の過程で多くの有意な人材を育成することができる。
しかし、中国にはそういう大学があるよ、といいながら、日本ではMOT(専門職大学院)だよね、という、なんだか矛盾した感じの展開になってございます。知識の系統化は、これだけで1つの専門性なのだということを著者が認めていらっしゃらない、(著者自身がそうしてきたということのみに基づいて)あくまで土木や機械や電気の専門家が、『第2のソレ!』的な意味でまったりと教員生活に移行しさえすれば系統化がなされるとの楽観的すぎる話になっているとも感じられましょう。(※佐藤氏にはできても、ほかのひとにはできないかもしれないということを考えないといけませんよ、の意。)
・[3046]
> 「量」だけで「ゆとり」と断じることができない面もあります。現在「ミニマムスタンダード」と呼ばれているように、一度、体系的に(歴史的には「系統化」と呼ばれたようですが)構築された漏れのないカリキュラムから、体系(学習内容の単元(要素)間の関係=一種の「リンク」)を保ったまま、適度にサンプリングして「縮退」することは、「質」を保ちながら「量」を減らす合理的な方法です。他方、学習内容の体系が明らかでないまま、経験的にアレとソレとコレは外せないな的な「鉛筆」で決められたカリキュラム(そうして決めるしかなかった時代背景)のもとでは、同じ「量」であっても、圧倒的に「質」が低いとみなすことも可能ではあります。
・[3192]
> 全国あまねくすみやかに電化を進めるべしと(『上』から)いわれて「(背筋を伸ばして)ハッ!(マヨネーズはホワイトに限る!)」という「電化課」にあって(この課がいつからいつまであった課なのかも知りたくなってきます)、『課長未満』のかたが書かれている文章ですから、▼業務の遂行上、注意すべき点について網羅的に示される一方、▼原理について正確な表現を期すとか、▼今般取り組まない課題や未知の課題を念頭に置いた中立的な体系化(系統化)などはなされていないことが(あたりまえですが)わかります。
> ▼どうしてここで「カドミウム銅ヨリ線」を一種「ご指名!」で書いてしまいますかねぇ。「わあぃトランジスタ! そにートランジスタだーい好き!」([3178])…いえ、いまでいう「わあぃSiC素子!(略)」(同じく[3178])のソレだと感じられます。
> ⇒「今後とも最新の材料を遅滞なく採り入れ、特性の向上に努めることとする。直近ではカドミウム銅ヨリ線が有力であるがこれに限らない。」というような表現…いえ、文書の上だけでなく業務の上でもそういう発想が求められるような組織の『あり方』であってほしかったかなぁ、と思われましょう。
> ▼あくまで形式的には「低電圧リレーで遮断」→「支障を来す」→「保持すべき最低電圧」という順番で決まるかのような文章になっていますが、全体をきちんとわかってから書いたなら、はたしてこのような文章になるでしょうか、と、大いに疑います。(いえ、私の過去の記事も似たようなもので、いま、自分で過去の自分を疑います。恐縮です。)
> ⇒「経済上、一定の電圧降下は許容する設計としている。電車線路、車両とも、一定のマージンに収まるようにすれば問題ない。設計の指針(いわゆるガイドライン)として、あらかじめ最低電圧を定めている。」という一種『総合的な見地!(笑)』の「高み」から述べてほしい、そうした「高み」に立つことを、『課長未満』であろうとも(仮には「***のくせに生意気だ!」などと指弾されることなく)「あたりまえのこと」にしてあってほしかったなぁ、とも思われましょう。
・[3350]
> 「理解を深める」プロセスには、▼断片的に「トリビア」をつつきまわすフェーズと、▼つつきまわしたものを俯瞰して関係性を見つけて体系化(「系統化」[3046],[3158])するフェーズとがあるのですよ。
> 国立科学博物館「貨車の技術発達系統化調査」([3158])は、このことがよくわかる好例だと思います。内容そのものではなく、調べ方とまとめ方の参考にしたいですね、の意。稚拙ながらこれをまねてみたのが[3108]でございます。
> 十分な予備知識がないと、つつきまわすことすらままならないことが知られています。▼まったくとっかかりがないので興味すら持たない(調べようと思わない)、▼調べてみたらむずかしすぎたので興味を失う(見なかったことにして忘れる)、▼「知った」(習った)だけのことを「わかった」と誤解し、いろいろなことを個別に調べて(または受身で習って)「知って」は悦に入り、まとめようとしてつまずく(「わかって」=詳細に理解できていないので、まとめられない)など、いろいろな段階で一種「はじかれる」のです。
> 他人があらかじめ系統化してくれたソレ、ソレが教科書というものです。教科書がない(≒答えのない)セカイへようこそ、といって、その実、いやいやいや、教科書そのものはあるのだけれど、高度に細分化されているのであってですね(略)。
・[3484]
> 学芸員の資格を取得するための学部レベルの専門科目を型通りに修めただけでは、まだ何かが足りない(※本件系統化調査を担当された研究員にあっても、国立科学博物館への就職後の勉強(研究能力の「涵よう」)のほうがはるかに大きいと見受けられる)との感触でございました。(あくまで外部からの推察です。)
・[3490]
> そういう「系統化調査」をこなす専門性は、少なくともエフ井センセイの専門ではないのですから、別のひとに委ねるべきでありつつ、読者としては、エフ井センセイの専門でない部分で記事に文句を言うのは的外れかなぁ。(あくまで感想です。)
> ある何かをもっとリアルに、よい音質で再現しようという方向ではなく、こう、なんといいましょうか、すぐに「これくしょん!」が発動するのって、趣味ですよねぇ。…実に趣味ですよねぇ。
> なぜ警報音を使い分ける必要があるかといって、その実、国鉄線の踏切と私鉄(西武など!)の踏切が近接しながらも独立に設置されているときに、小学校のチャイムと中学校のチャイムは別のが鳴ってほしいというアレですよ。…アレですかっ!([3459])
1つ1つのことに理由を見つけ、それらの関係性を見つけていくということは、決してむずかしいことではないにもかかわらず、わたしたち、素朴にはまったく考えないということが知られています。比ゆ的には、25歳までに習慣づけられていないと、それっきり、身に着けることがかなわない習慣であるのかもしれません。誰でも何歳でも教育を受ければその通りにできるというものではなさそうだという、そうした発達や認知的な面からの研究があるといいですね。(※既にありそうではございますが、教育学や心理学を無視して経営学だけで「ナレッジマネジメント」を云々するのは無邪気すぎるということであります。)
●「120km/h運転の実在を迷う」から「荒木光太郎文書」まで
再び「佐藤2005」です。
・(154ページ)
> 最高速度に関しては、110km/hと書かれている文献と120km/hと書かれている文献があり、特に車両設計で主要な役割を果たしたとされる市原善積の文献(市原他1971、159頁、市原1976、162頁)においては110km/hの開業とその後の速度向上の可能性を述べているのみで、120km/h運転が明言されていないことから、120km/h運転の実在を迷うところであったが、(満鉄会1986、190頁)に明言され、(世界文化社1988、52頁)による表12・1でその到達時間が短縮されていることから110km/hであったことは確かであると考えられる。
傍題ですが、この論の運びかた、ウィキペディアにおいて「ウィキペディアの責任において自らまとめ」る([3411],[3472])ときにも通用する書きかたですよね。
> 表12・1 あじあ号の速度の変遷(所要時間)
> 満鉄で60kgレールが設計・製造され、昭和14年(1939)から17年(1942)までの間に122kmも敷設されていたことに関しては、今日まで日本国鉄の関係者には全くといって良いほど知られていなかった。このレールそしてばねクリップを有する新たなレール締結装置が、あじあ号による軌道破壊に対するために独自に設計されたことは(略)極めて興味深い。(略)これと独立に設計された60kgレールが昭和42年(1967)JRSに、昭和49年(1974)JISに取り入れられるまで、これが実用されることはなかった(佐藤2001・5、Sato2003)。
> 鉄道省で運転担当の竹内外茂技師が「国鉄の「つばめ」がまだ100キロにも満たないのに、…「あじあ」は…“やりやがったな”ということですよ」と述べたと書かれている。
> 「あじあ」号の運転実現以降、満鉄鉄道技術研究所は、その人員数、設備、機器等で手厚く処遇されているにかかわらず、その報告数においては、それ以前に較べて特に際だったピークを見るに至っていないように見える。(略)多くの報告書に至らない改良・改善・補完のための第1・第2学習が必要とされていたのではないかと言ったら甘すぎるであろうか。
そういう時代のできごとに関する研究方法としては、近年いろいろ四角い大風呂敷はバラ色で丸く…いえ、いまだからこそ出てくる文書というのもありそうですよね。
・「荒木光太郎文書」経済学史学会(2017年4月3日)
http://jshet.net/docs/conference/81st/wartime.pdf
> 資料が多く破棄されてしまった戦時期の日本についてはこれまで研究の対象とすることが難しかった。その一方で「荒木光太郎文書」にはこれまで未発見の荒木が関わった多数の官庁や法人の内部資料が含まれており、「経済学者と時代との関わり」「実務を通じた経済学者の研究過程」、さらに「経済政策への経済学・経済思想の影響」「経済実務における経済学の制度化」を明らかにすることが可能となっている。
これから研究に使おうというデータや資料のすばらしさに便乗して、じぶんの研究まですばらしそうに見せるということがあってはいけない(⇒「ハロー効果」)のですが、しかし、やはり資料がすばらしいというところには期待をかけたくなりますよね。
・「ハロー効果」
https://kotobank.jp/word/%E5%BE%8C%E5%85%89%E5%8A%B9%E6%9E%9C-64519#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
・「別子銅山を読む解説講座3 住友の歴史から」(2016年9月3日)
http://lib.city.niihama.lg.jp/wp-content/uploads/2016/03/22e0dcca0c5207e89c6b7cc0268b9a52.pdf
> 1条から4条までの「ふだんの相場より安いもの、出所の明らかでない品物は盗品と心得て買うな、誰であろうと宿貸しは禁止、他人の仲介・保証・掛け売り・掛け買いの禁止」は、当時の治安情勢を反映し、町単位、家単位で自衛・自警をはかり、取引における文書主義を徹底したもので、法の順守を説いた箇所である。
> 5条の「人何やうの事申し候共、――――」は、対人対応の在り方を述べた箇所である。他人がどのようなことを言っても、短気を起こして声高に争うことなどをせず繰り返し丁寧に説明するように説いている。
> 住友精神の特性として「企画の遠大性」がある。広瀬、伊庭、鈴木総理事が常に口にしていた「国家百年の事業を計らねばならぬ」ということである。
行政としては50年で借金を返すような事業で…ゲフンゲフン。(過去方向も含め)100年を見通して、いま何を考えるべきかというのは、かなり役割の異なる仕事だと理解されましょう。
●「ALPS」を前提とした「東海道開発線」構想
再び「佐藤2005」です。
・(209ページ)
> 都市間輸送
> 都市間輸送に関しては、旅客流動を県別に捉え、国内交通ネットワークとしては航空、鉄道そして自動車を想定し、これら交通網における交通量とシェアを推定した。
> 鉄道の輸送量に対する各要素の影響を基本量に対するカテゴリースコアとして示したのが図16・2である。
> 都市間輸送は新幹線を主体とし、さらにこれの在来線への乗り入れ、短編成のフリクエント・サービス、そしてサテライト列車(走行中に途中駅に着発する車両を分離あるいは連結する)を開発するのに加えて、列車内の広い空間を活用した設備の多様化による時間感覚の縮小を計ることも重要である。
> 大都市圏輸送
> 通勤通学時間の有効利用等が必要とされ(略)
> 渋谷と平塚間に建設が検討されている東海道開発線を取り上げ、これに前述のALPSを適用する場合について検討した。ALPSは新たに開発したゴムタイヤを用いた軽量車両をリニアモータで駆動することにより、在来鉄道を下回る騒音レベルで最高速度160km/hの走行ができるものである。
> (残念ながら、今までのところこのシステムの実用化は議論されていない)
図では「都立大前」「武蔵新城」「港北NT」「小山」「茅ケ崎」「平塚」を経由するルートと、途中駅が示されています。
・(212ページ)
> 技術開発の展望
> 鉄道の将来システムの展開を進めるためには、システムを実現するニーズを系統的に把握し、技術的ブレイクスルーの可能性を吟味し、技術的に不可欠な分野を明らかにすることが必要である。将来システムのためのこのようなニーズは、次の7つの範疇に分類される。運営費の低減、サービスの向上、環境(社会と国土)への適合、速度向上、輸送力増強、省エネルギー、建設費の低減である。さらにこれらに関する将来の研究開発のテーマ86項目を取り上げ、鉄道技術研究所の所員100名を対象としたデルファイ法による技術評価を行った。
> *印を付した項目はどちらかといえば実現が容易と考えられたものである。
…と書かれながら、図では「※」印が付されているんですけれども、印が付されていない項目としては何があるかといいますと「長寿命レール」「線路の状態監視保全」「検測の自動化」「災害予知復旧システム」「防音・防振軌道」「低騒音車輪」「低横圧台車」「高速で蛇行動の少ない車両」「ばね下質量の低減」「小型軽量高出力モータ」「踏切障害物の検知」「可変ゲージ車両」「急勾配・急曲線の許容技術」とのことで、まったくもってなるほどであります。
※「ないものねだりのトレードオフ」と「鉄軌道としてはあきらめた!(ALPSがあるじゃない!)」、それに「人のほうが高性能でしょ」みたいなのが「容易ではない」とみなされていることが浮かび上がってきます。レール1本を中心に敷いてヤジロベエ的なソレにでもしようというんですか本気ですかッ&えーっ。レール2本のままで「低横圧」と「蛇行動の少ない」の解決策を求めると「可変ゲージ」の技術そのものになりそうですよね&そっちからですかっ。じゃあ(※)レールを3本とか5本とか…ゲフンゲフン。それならALPSでいいじゃない! …デスヨネ〜。
※蛇行動から逆算して、蛇行動を打ち消すようにレールが波打っていればいいんじゃないですかねぇ。…えーっ。車輪の内側と外側を逆向きにすればいいんですよ! エーッ!!
・「蛇行動」のイメージです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%87%E8%A1%8C%E5%8B%95
> 1955年には、UIC(国際鉄道連合)で新設されたORE(Office for Research and Experiments)により、蛇行動の数理解析問題のコンペティションが開かれた 。 二軸車を対象とした最も優れた蛇行動解析を決めるもので、蛇行動問題に関心のある研究者を探し出すことが目的でもあった。受賞は、1位:アルジャリア大学のPossel教授、2位:アルストム社のBoutefoy技師、3位:日本国有鉄道の松平の解析で、いずれも問題への完全な回答はなされなかったが将来性を考慮して受賞が決められた。
> UICの研究コンペティションの問題条件では、特に非線形性や車輪踏面の摩耗の問題を強調していた。1962年からの日本の新幹線試験走行でも、顕著な台車蛇行動を記録し、ダイレクトマウント方式による側受摩擦抵抗と車輪フランジのレール衝突という2つの非線形特性に起因する蛇行動の可能性が認識された。その後1960年代から1970年代にかけて、コンピュータパワー向上の恩恵を受けて、多くの自由度を持ち非線形性も取り扱う車両運動シミュレーションが発達していった。
わあぃmackoyさーん。(※恐縮です。)なお、本書では『諸外国!』が事例ベースで単発的には紹介されつつも、系統化ひいてはUICとしての視座のようなもの(ISOを含む)は、まったく出てこないことを申し添えます。あくまで(著者が在籍した)国鉄の研究所と、その関係先(ただし土木学会を含む)に視点があって、その限りにおいて充実した内容となっているのが特徴でございます。
※本書に向かって「UICが出てこないじゃないか!」「コンピューター(ただしATC、連動装置を含む)に関する言及があまりにゾンザイではないか!」と文句を言うのは、だいぶズレたことだという自覚でございます。経営層の者が書く論文がいきなり古代ギリシャに飛ぶのと似ていて、コンピューターやソフトウェア(による高度な制御)のはなしになった途端、いきなり宇宙に飛ぶのが本書でございます。ひいては、本書の中では航空業界がいまでもSSTの開発を主軸に据えているやのように書かれていますが、本当でしょうか。
> 2013年時点で、車両運動の数値解析や台車回転試験など利用した検証により、蛇行動を抑えることそのものは大きな問題とならなくなっている。時速515km/hを記録した1990年のTGVの試験走行においても走行安定性は問題なかったと報告されている。しかし蛇行抑制と曲線通過性能の確保は相反することが多く、これらの両立は鉄道車両設計の課題の1つとされている。
ウィキペディアでは新日鉄住金技報(2013年)を引かれています。「佐藤2005」より新しくて現役のかたの見解ですから、ここまでピンポイントな文脈では新日鉄住金技報のほうを重視したいのは当然ではあります。
※レールの新日鉄さんと車輪や台車の住友さんが1つに! …その効果が問われるという理解でございます。新幹線の開発がすべて国鉄で完結していたやのようなストーリーというのは幻想であって、住友さんが(戦後に)満鉄を調べに行った(≒失われた知識を聞き取りなどから再構成して国鉄に戻した)というようなこともあったかもですよ。本当でしょうか。
曲線通過性能を(ある程度)あきらめたのが(線路としての)新幹線ですよね。線形(曲線半径)に合わせて何かが可変するとか…それなら速度を制限すればいいじゃない! …なんてこったい。(※あくまで演出ですが、そのようにして「現実的な解」が既に得られているという理解でございます。)もっといえば、転車台を使えば直角に方向転換できますぜ★おっと、路面電車くらいにしか通用しないし、路面電車ならそもそも急曲線も曲がれるから要らない心配ですぜ。…うーん。
・「ステディカム」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%A0
> 役者とカメラマンが一定間隔を保ちながら一緒に歩いて撮影するロケ現場の様子。以前であれば、地面にレールなどを敷いて台車に乗って撮影するような手段しかなかった。また、その場合はレールを画面に入れないように撮影しなければならない。ステディカムの登場は、スムーズな移動撮影の簡便化だけでなく、画面設計の自由度も向上させたことになる。
こう、(レールを敷く)鉄道に対する自動車もしくはALPSのようなもので、DMVだのFGTだのといってやたら複雑化してむざむざと経済性ならびに信頼性を下げるのではなくってですね(略)それならALPSが公道上では自動車として走れれば、それでいいんですよ。ひいては公道においてもALPS的な自家用車がリニアモータで駆動できればいいんじゃないですか? …本当でしょうか。
・「SST」のイメージです
http://www.aero.jaxa.jp/research/frontier/sst/
確かに大きな研究課題ではありますが、(旅客と貨物の=軍事を除く)航空業界を挙げての主軸であるかは、よくわからないところではございます。そもそも、産業が成熟してくると研究課題が多様化していく(わるくいえばカワサキみみっちく「重箱の隅」になっていく)という関係にあるとすれば、梅雨明けしたとみられる…いえ、そういう時代を既に迎えているとみられる産業に向かって、ある特定の研究課題だけをことさらに主要な課題であるかのように持ち上げていうこと自体が、そぐわないのではないかという不安でございます。
・「みみっちくないです」のイメージです
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%BF%E3%81%BF%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99
http://ogawakentikukoubou.life.coocan.jp/image/sumi/utuwa.JPG
https://uds.gnst.jp/rest/img/33w9k5nw0000/s_0n5t.jpg
いや〜、枝豆ってあるじゃないですか。枝豆。らっしゃーせー。こちらお下げ…あーっ。(ココロの中で、あーっ!)最後の1粒が残ってないか気になるんですけど、あえて気にしてないようにふるまうんですよ。…我々はグルメなので!(違)…「っぬてん」なんで*くってもらっちゃっていいっすか? …え? もうすぐ閉店なんで、まくってもらっちゃっていいっすか? …まく?(※あくまで演出です。行動様式が違ったりことばが通じなかったりするというのはこういうことなのですよ。)
・「beer-ware」
https://eow.alc.co.jp/search?q=beerware
> 作者にビールをごちそうすることが継続使用の条件となっているソフトウェア。試用して気に入れば、金を払う代わりにビールあるいはビール券やビール代を送る。作者のためにビールで乾杯すればいいものもある。
・「まくってもらっちゃっていいっすか?」付近
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%82%8A
・高解像度のウィキペディア「BLS AG RABe535形電車」のイメージです
https://ja.wikipedia.org/wiki/BLS_AG_RABe535%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fa/BLS_RABe_535_Loetschberger.jpg
> 本機は通称「レッチュベルガー」と呼ばれ、Bo'2'2'2'Bo'の車軸配置およびVVVFインバータ制御により1時間定格1000kWの出力と160km/hの最高速度の性能を発揮すると同時に、低床部の床面高さ605mmのバリアフリー対応の機体となっており、車体と台車、機械部分をボンバルディアが、電気部品をアルストムが担当して製造されて2008年5月21日に初号機がロールアウトし、その後順次引き渡されている。
・[3003]
> ATOで普通列車もきちんと速いつくばエクスプレス(TX)が、いまは唯一のお手本といえますが、今後は既設の路線を、設備面でもダイヤの面でもことごとく「TX化」していくことが、一つの方策になるだろうと思います。問題は、いつまでにやるか、ということですね。ほかに、AGT(新交通システム)でも120km/hで自動運転する話([2933])もあるように、中量だから遅くてよい、という話ではないんだということを「常識」にしていけるような実地の技術や運用が実現していくことも重要です。
・[3428]
> トポロジーならびにフローのほうなど生々しくお考えいただくとすぐに行きあたるのが、結局、道路な財源で「えっへん☆」できる範囲での整備(「中量」で「中速=時速90キロくらいまで」)では需要(速達性への期待を含む)を満たせないのではないかということです。こんなに便利なつながりかたをする路線ができるのであれば、お客さまとしては高速で大容量な移動を素朴に期待するわけです。
> 素朴には、山手線、京浜東北線、中央・総武線、それに赤羽線などの利用者がごそっと移るのではないかとすら想像されましょう。それだけの大きな影響をJRの「E電!」に与える(⇒ひいては「電車特定区間」の収支計画が大幅に狂う)ことは確実ながら、そこのところ、事前に精緻なシミュレーションを…といって、前例がないので予測しきれないというところが最大の難関ではないでしょうか。
> 「江戸川区民まつり」でアンケートすれば江戸川区内の区間しか利用意向がないやのような数字が出せましょう。(ほかの区も、それぞれ、区内だけのアンケートをなさっているのでしょう。)「中量」では成り立たない(かもしれない)ということを伏せたまま「中量」での整備を目指すためには、東京圏の全域を対象とするアンケートなど決して実施してはいけない!(広域での利用意向など、うっかり明らかになってしまったら困るです!)
> 仮には、ラッシュ時の東急池上線を代替して上回るレヴェルのAGT(五反田で60秒で折り返し!)が実現されるなら、五反田から池上まではそのまま、池上から「環七通り」のほうなど目指されて平和島や大田グラウンドのほうまで延びていただいたり、仮には「JR八潮(じぇいあーるやしお)」もしくはりんかい線としての八潮駅のほうなど期待しつつ、東京モノレールをAGTに転換するですとか、海底トンネルを経てゆりかもめと接続して車両基地や工場(検修)機能を共有なさったりするですとか、そういうことならAGTも活きてきそうだと思われるかもしれません。(※そのような計画や構想等が具体的に検討されているのかどうかなど、まったく知らないままのうのうと素朴な期待を述べています。)
> 八潮のほうなど、車両基地を3層くらいにした上、屋上を野鳥公園(の続き)にするのがナウでトレンドかもですよ…などと、「きたみふれあい広場」でも見てきたかのようにのうのうとですね(略)。池上線の輸送力増強には、雪が谷大塚の車庫では足りないのだと、そこが最大のネックだと…ゲフンゲフン。通勤ラッシュがない(とされる)お盆休みなどの1週間くらいの運休で池上線の全線もしくは五反田−雪が谷大塚間を鉄道からAGTにパタッと切り替える工法のほうなど、いや〜、『御社』ならできるっ!(『御社』って、どこですか&どこなんですかっ。)
(バンダナじゃなくてバリアフリーのほうの)秋山センセイの本に写真が載っていそうな「「低床式電車を併用軌道に走らせながら商店街」みたいなの」ください! …などと、(池袋でも宇都宮でも)そればかりいっていてはいけないんですよ。…たぶん。「低床式=イコール=ゆっくり走るんでしょ」…とんでもない! 高速走行のため重心を低くするには床も低くするといいということのようですよ(=低床にすることよりも重心を下げることのほうに主眼があるようですよ)。
※「人が乗車した場合」の「車体の振動応答特性」については[3194]も参照。
・YouTube ぶいぶい「RABe 535」(2011年12月14日、2014年5月31日)
https://www.youtube.com/watch?v=4G1MFZCS5iQ
https://www.youtube.com/watch?v=7NJS97pLe70
https://www.youtube.com/watch?v=deeIJuwU8rE
https://www.youtube.com/watch?v=rcG2JUbv6Lc
> (ウシの鳴き声)
> (犬の鳴き声)
> (鳥の鳴き声)
スバラシイ!
・Google ストリートビュー 「東我孫子駅」くらいの駅っぽい駅
https://goo.gl/maps/b3qRcPDzUPU2
https://goo.gl/maps/EsfFMnGn8Ym
https://goo.gl/maps/foauA7P3SFS2
https://goo.gl/maps/wVAz385Cyv72
https://goo.gl/maps/wszGbZaEqhz
https://goo.gl/maps/zDWaAd2osoK2
https://www.swissinfo.ch/image/31962046/3x2/1024/682/c0155a9b9acc943c5eda6913c7e51985/iO/foto6-18-01-2012-31962254.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/79/BLS_RABe_515_027_Niederwangen_311016_S1_15170.jpg
エレベーターが動いていなければ、その周りの階段をぐるぐる…その発想はなかった!(棒読み)
・鉄道総研の技術遺産「LTM高速試験装置」より「ALPSの想像図」のイメージです(2013年10月30日)
http://bunken.rtri.or.jp/PDF/cdroms1/0004/2013/0004005948.pdf
> 昭和56〜57年度に行われた成田空港アクセスを想定した設計例では,最高速度160km/hのシステムが提案されました。この際,建設コストの試算も行われ,高架の新幹線と比べると建設コストが低減できる結果が得られました。
昭和57年は1982年です。佐藤氏が国鉄を退職される5年前に、実地に検討されていたホットなトピックであるわけです。いま、あたかもALPS構想などなかったかのように(いま思いついて、まったく新規に取り組まれるかのように)「中速鉄道」([3264])を云々するのもアレであり、逆に、これから実現していくものをむやみにALPS構想と比べよう(しょせんALPS構想の復活でしょ、といって不必要に見下す)というのもアレであると、両面から思われるような気がしないでもありません。(コストから騒音まですべて含めた)技術的・社会的な話題に対して、わたしたち、適切な距離感と中立性を保つという態度を涵養していかなければならないとの自覚にございます。
・「研究室糸召介」(1988年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscej1984/1988/389/1988_389_29/_pdf
> 研究員は室長以下24名(室長,輸送設備計画ユニット(土木系)5名,輸送システム評価ユニット(情報系)9名,輸送計画管理ユニット(電気・機械系)9名)
> 都市間鉄道の速度向上(新幹線の300km/h化,在来線の160km/h化等)
民営化直後、すなわち鉄道技研が財団法人化されてすぐの「研究室糸召介」(※OCRママ)です。このような研究室の「整理統合」を、頭では理解していても実感がない(≒土木系は土木系だけで研究したほうが早い!)、というのが、国鉄最後の年に退職なさった佐藤氏ではないかと想像するところでございます。
※成田スカイアクセス線は、事実上の「スーパー特急(新幹線鉄道規格新線)」であると認識いたしております。ひいては、将来的にALPSを大幅に上回る最高速度を、ALPSを下回るコストで実現できるという具体的な見通しがあるものと推察します。成田空港や印旛沼の近くではALPSほどの低騒音化は不要で、都心部ではそもそも最高速度では走らないという現実的な条件のもと、合理的な判断なのではないでしょうか。本当でしょうか。
・[3434] 「12号線」のプロパルジョンを読み解く(再)
> 最高速度については、大江戸線、七隈線、最も新しい開業である仙台市営地下鉄東西線で70km/hですが、横浜市営地下鉄グリーンラインでは80km/hが実現されており、技術的には大江戸線の延伸部で80km/hでの運行を実現することは可能なのではないかと見受けられます。
> 「武蔵野線との交差部」から「三芳グランド」まで3.9km、同じく「ふじみ野市との境」まで6.6km(「三芳グランド」からは2.7km)とみられ、現在の大江戸線と同じ最高速度70km/hの運転では(発車と停車に各30秒かかるとして)、「武蔵野線との交差部」から「ふじみ野市との境」まで約8分(上述の計120秒と途中1駅での停車時間30秒を含みます)、「表定速度」は45km/hほどになると見こまれます。これは、東急線、相鉄線の特急と同等であります(≒じゅうぶんに速い、の意)。最高速度80km/hでは、およそ7分半(「表定速度」は53km/hほど)…ほとんど変わらないので『本件延伸線!』では大江戸線と同じ70km/hでじゅうぶんだと結論されそうな気配が漂います。
> > 横浜市営地下鉄ブルーラインは路線延長が40km以上あり、横浜市の都心部を貫通する路線でもあるため、速達性の向上が課題と考えられる。
> 大江戸線(12号線)としては、中野(もしくは新宿)から埼玉県側への延長が40kmを超えるまでは、最高速度は70km/hのままでじゅうぶんだと結論されそうに思われましょう。
速ければ速いほどいいぞ、というわけでもないという一例でございました。
・(個人のブログ)「つくばエクスプレス開業前のパンフ」(2015年4月18日)
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-5f-05/de11dd51/folder/1355901/36/41553936/img_0_m
http://blogs.yahoo.co.jp/de11dd51/41553936.html
あくまで「イメージ図!」ではあるのですけれども、横浜市営地下鉄みたいな「顔」で黄色、西日本旅客鉄道殿の「新快速」([1307],[3426],[3491])に充当される車両のような3ドア(=シートもそういうアレなのかしら)で、東日本旅客鉄道殿が誇る2階建て車両そのままの車両があでやかな塗装で…「【オトナ版】ぼくがかんがえたさいきょー!(夢のドリームナントカ!)」って、こうですね!(※恐縮です。)しかし、この電車(=パンタグラフがあるので電車ですよね、これ)、4両編成みたいですよ。本当でしょうか。(パンフレットの表紙からはここまでしかわかりません。)そして、えらく平べったい(=重心が低そう)といって、2階建て車両も含めて鉄輪式リニアモーターすなわち常磐新線もまた、かなりの段階までALPSの発想で計画されてきたのかなぁ、と想像してみるところであります。(※あくまで想像です。)
・TDK「大規模に本格化してきた、リニアモーターカーをみてみよう!」(2011年3月)のイメージです
http://www.tdk.co.jp/techmag/knowledge/201103/index.htm
http://www.tdk.co.jp/techmag/knowledge/201103/img/kl110301.gif
・高解像度の新潟支社「のってたのしい列車」のイメージです
http://www.jrniigata.co.jp/train/kirakirauetsu/assets_c/2017/02/img_01-thumb-2048x880-498.png
http://www.jrniigata.co.jp/train/kirakirauetsu/
●「交通新聞社第二出版事業部長****氏の懇切なご指摘」から「カンピューター」まで(談)
再び「佐藤2005」です。
・(268ページ)
> 国鉄時代には技術課題の経費が昭和50年代50億円(内10〜15億円は研究所経費に加わっている)があり、さらに構造物設計事務所、車両設計事務所、技術開発室、工事局の調査課の経費と人件費等を加えると、2〜3倍程度と考えるのが妥当な値であろう。JRになってからはさらに定かではないが、同程度と考えて大きな誤りはないかと考える。近年新たな動きとして平成13年12月にJR東日本が研究開発センターを設立し、平成14年6月にJR東海が新しい研究施設を発足させているが、これらはいずれも150名を超える程度の規模となって居り、これを鉄道総研の実員600名に加えれば、終戦直後の1557名は別として、新幹線建設時の鉄道技研の911名に匹敵する値となるが、現在の人員には経営要員が含まれていることと、前記のその他要員がその規模に及んでいないことを考えれば、漸増の方向ではあるが、未だかつての国鉄の規模には及んでいないものと考えられる。ましてやその後の他分野における増員を考えれば到底これには及ばない。(略)約700億円程度が考えられる。しかしこれは、鉄道総売上6兆円の1.1%に過ぎない。
> (略)自動車産業の総売上36.5兆円のうち研究開発費が1兆4000億円で(総務庁2000)3.8%であるのに比べると、総額そしてその比率において著しく少ない。
> (略)鉄道事業における研究開発費としては、国民総生産の面からは1980億円、自動車との競争の面からは2300億円、経常利益の面からは3000億円程度がその目安となるものと考えられる。
> (略)鉄道の研究開発のための研究者としては、会社等の平均値に相当する値としては1万2000名程度であるが、その1/3〜1/2を当面の目安とすると3500〜6000名程度となる。競争相手の自動車産業では3万5000人が従事している(総務庁2000)。
・(272ページ)
> 鉄道に関する研究は独特なものであり、(略)平成11年(1999)全国土木系教官・教員名簿に掲載されている2844人の専任の方々の中に鉄道あるいは軌道を専門とする方は一人もいない。各JRも研究開発に資金を投じ、技術センターを持ち、新たな技術を生み出そうとしており、鉄道総研は各JRの意見を総合してその基礎となる研究開発を実施している。しかし、これらは上記のような状況の中でその過去の延長の枠内にあり、事業者と社会の間に大きな乖離があり、それを取囲む環境との結合がなされていない。
> 当面の目標(10年後)としては表21・1
> 到達時間の目標値:旅客輸送 −25% 通勤時間 −30% 貨物到達時間 −30%
> アクセス・イグレス時間の短縮:現在の1/2とする。
> 乗心地の改良:区分1を実現する。
・(297ページ)おわりに
> 今後の方向に関しては、加藤寛一郎(加藤2003)が紹介している松原謙一氏(阪大名誉教授、国際高等研究所所長)の言を記しておきたい。
> 「どんなことでも何十年かやっていれば、それなりにその道のエキスパートにはなれる。しかし科学の担い手はそれだけでは不十分なのだとつくづく思う」
住友さんに興味がないとまったく知る機会もないかもしれませんが「住友精神」そのものですよね。「専門性」に対する「一般性」([3099])というコンピタンスであるかもしれません。「EQF」([3387])も参照。
・(300ページ)
> 交通新聞社第二出版事業部長****氏の懇切なご指摘を頂いた。
しかし、続く「参考資料」を見ると、だいぶ不安になってきます。著者自身が「まとめる」と表現しているように、現職の間に知っていたことを整理したという面が大きいのかなぁ、と想像してみます。そういう意味では、書名の「第5世代」(※)というのは通産省(※※)のアレ([3282])の受け売り(290ページ)で、著者としてはコンピューターというものを、いまでも『貿易摩擦!』のころぐらいの認識で考えていらっしゃるのかといって、かなりセンリツいたします。当然ながら、著者が25歳だったころまでに、研究にコンピューターを使われたとも思われません。国鉄入社の前後になって、やっと現実的にコンピューターが入ってきたという時代背景であります(⇒「MARS-1」[3180])。継電連動装置が「もう1つのコンピューター!」([2930])であるという認識もなさそうにうかがわれます。
※※郵政省ではない、の意。現在のソレでいえば「IT=イコール=経済産業省」「ICT=イコール=総務省」ということですね、わかります。あまつさえ、「AI=イコール=経済産業省」「IoT=イコール=総務省」などとですね(以下略)。
※これまた、『単行本化!』にあたって「キャッチー!」なソレを、といって、論文から「第5世代」というところをつまみ出してしまう交通新聞社のひとというのが、うーん。編集者として全体的にはスバラシイけれども、最後の最後、書名で台無しなのではないかと疑うところではございます。
・諸事情により総務省「ICT利活用の促進」より「IoTテストベッド事業等への支援」を各自でご覧になってください
http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/ictseisaku/ictriyou/iot_testbed_support/
・日経コンピュータ「AIベンチャーの雄が総務省の開発指針に反対する理由」(2017年4月10日)とその反響
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/040600923/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/watcher/14/334361/051000835/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/17/051800199/052200003/
> 「我々が参加した会議には、機械学習の専門家が少なく、結果として現場の声が十分に反映されなかった。汎用人工知能(筆者注:広範な領域で人間と同等以上の知能を発揮し、問題を解決できるAI)と、ある分野に特化した機械学習の技術を区別せずに議論していた」。これまで会議に参加していた○山氏は、議論の中身についてこう不満を口にする。ターミネーターのようなSF(サイエンスフィクション)で語られる汎用人工知能に対する脅威論が、会議でもそのまま展開されていたという。
コレハヒドイ。…実にコレハヒドイ。古代ギリシャに飛んだり宇宙に飛んだりするだけでは飽き足らず(SF映画の)「ターミネーター」ですか、そうですか。ふーん、ほー、へぇ〜。ターミネータについては[3136],[3352]を参照。さらに「エキスパートシステムっ!」については[3166],[3281],[3282]を参照。専門外の専門的知見そのものをただちに導入することはできなくても、その分野の専門家がどんな専門用語を使っているのかは、きちんと(じぶんは黙って)観察すれば225分くらいでわかるものですよ。…ひとのはなしをきかないひとって、いますよねぇ。いくら専門家として自信を持っても、たまには学生に戻ったつもりで、まったく畑違いの分野の全国大会に参加してみて、いまをときめく学生の発表を聞いてみるべきだとぼかぁ思うんだなぁ。(※私見です。)
> これに対してワイ野氏は、AIを汎用と専用の二元論で語るのは、一見すると議論が分かりやすくなるが、むしろ議論を混乱させる元だと指摘する。
> ただ、その主張は必ずしも○山氏と対立するものではなく、AIについて非専門家によくある誤解に、別の観点から光を当てるものだ。
さすが日立のひとですのう。(恐縮ですが、事業領域が圧倒的に広いので、全体を見渡すことができるということですね、わかります。)
・[3487]
> ここでわけもわからず「登録系と参照系」などという『2項対立!』のほうなど導入してしまっては頭が固くなりますよ。
・[3403]
> 『推測統計!』からの『記述統計!』(※)などと、あまり固定的に呼びつけないほうがいいと思いまーす。
・[3452]
> だからといって『かたいせき!(ハード遺跡!)』と『やわらかいせき!(ソフト遺跡!)』などと安易に「2項的にバイナリ!」で捉えてしまっては、「フミン酸」や「名状しがたいアミロイドのようなもの」的なもの([3374],[3428])を考えられなくなるので、ぜひとも「なめらかな連続値!」で「多次元的!」に捉えていってくださいね、と念を押したく思われそうです。
『不適切な具体性や誤った精緻性を避けよ。』って、こうですね。不適切に具体化すると、例外だらけなんですよ。やーい「※ただしカステラは考えないものとする」っ!
・[3485]
> 「カステラは和菓子なのか、洋菓子なのか?」
> 小町的にカステラを説明できなくて黙りこんじゃうひと低〜い! 挙げ句、「※ただしカステラは考えないものとする」と小さな字で注しさえすれば『理系!』だと思っちゃってるひと、ありえな〜い!(見解です。)
・[3213]
> 歴史的論争としては確かに対立関係ではありましょうが、その実、いずれの説も限定的には同時に認められてきた面がありましょう。(単独ですべてを説明しきった、物理学のようなエレガントな理論はなかった、の意。)論争を通じて相補的に仮説を精緻化していくための(意図的に設けた)対立関係であって、提唱者や派閥が対立しあったかのように理解するのは「属人的すぎる曲解!」かなぁ、とも思われそうです。
・[3480]
> 数直線みたいなのを描いて、レンジで示した時に、真ん中で少し重なってはいるけれども、全体としては両端に振りきれている、ほとんど別の意味の語だと思えばいいんです。…その発想はなかった!(棒読み)モノや動作を表わす語には量感のようなものがあるので、論理だけで反転させたり包含だといったりする扱いをしてはいけないと、たぶんこういうわけです。
ヒストグラムを描くときの階級のとりかたがデータ(の分布)に見あっていないというようなことですよね。
・[3461]
> > 第二次世界大戦と日露戦争との間が36年しかないことに気づいて驚いた経験があります。明治、大正、昭和という区切りで歴史を見ていて、戦後の長さを実感できていなかったのです。
・[3282]
> 歴史だといった途端に、「わが国としては第5世代コンピューター」とか「日米貿易摩擦」だとかいう、一種「カリカリの社会科!」になってしまいそうなのも難しいところです。
・[3406]
> 放送大学は、素朴に思い浮かべられるよりは新しいもので、しかし、素朴に思い描かれるよりは古いんです。いま絶妙に、1970年代から1980年代にかけての社会の動きは、あまりきちんとは学ばれていないことが浮き彫りになってきそうです。
> 公害問題と貿易摩擦を学んだだけで、わたしたち「おなかいっぱい!」(「情報の満腹感」[3099],[3327])だということです。
> 1980年代もなかばになると「プラスアルファ」といいながらガクジツ的にですね(略)「○○とその周辺」といいさえすればな空気が現代若者気質というものであってだなぁ([2])。
わたしたち、舗装されていない道をてくてくぬちゃぬちゃと無心に歩きながら山のほうの学研都市など(学研都市と知ってか知らずか)遠い目で眺め、インスタントコーヒーをすすりながら新聞を広げて(=広げてるだけ!)「’85」と「昭和60年」の合わせ技で1本! …いえ、あたかも60歳や85歳のひとのような慧眼を社会全体が備えたかのような気分に浸っていたのかもですよ。(※あくまで気分です。)
・「慧眼」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/66128/meaning/m0u/
※じぶんは持っていないけど、あのひとはすごいよ、と、本人がいないところでいうときに使うことばですからね、念のため。もっといえば、ご存命のかたにむかって使ったら失礼ですからね。さらに念のため。あまつさえ、身内にむかって使うことばではありませんからね。きわめて念のため。…なんだかなぁ。「エクサレント」([3132],[3213])、それに「なぜか風水や魔術っぽい漢字ばかり知っている『ちょっとやっかいな子ども!』にキミはなるっ!!」([3185])も参照。どんなにむずかしそうなことばを使ってみせても、用語や論理のおかしさ(ちぐはぐさ)で子どもであることがわかり、逆に、どんなに子どもみたいな表現であっても子どもでないこともまたわかるというのが「C2」([3101],[3114],[3132])であります。
・「それでも歩かにゃなるまいて(歩かないという選択肢はないようね)」付近
http://blog-imgs-55.fc2.com/b/u/l/bulldogpanchi/130217b3.jpg
いや〜、本当は走っていって、転げまわって、どろんこになりたいんですよ。いや〜、そんなことするといや〜な顔されるんで、しないだけなんですよ。…我々はカシコイので!
・(再掲)東京新聞「「庶民の足」NY地下鉄で失態 クリントン氏、改札で手間取る サンダース氏、カード化知らず」(2016年4月10日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201604/CK2016041002000138.html
> ヒラリー・クリントン前国務長官(68)
> 改札は磁気式のプリペイドカードを通した後、回転式バーを押して入る仕組みだが、クリントン氏は数回、うまく進めなかった。
> カードを読み取り機に通す速度や持つ手の力の入れ具合にコツがある。
昔と同じようにしているつもりでも、手がふるえたり、動作がゆっくりになっていたり、するのですよ。…ギクッ。
> バーニー・サンダース上院議員(74)
> サンダース氏はデーリー・ニューズ紙の記者に地下鉄の乗り方を問われ「一年前に乗ったよ。トークンを使うんだろう」と答え、記者に「違います」と指摘された。
> トークンは二〇〇三年に廃止された代用貨幣。
> 二〇〇三年
> 二〇〇三年
「一年前に乗ったよ。」と、74歳のかたが『2016年に』おっしゃったんですよ。ここ、テストに出ます!(違)
・[3289]
> 乗り換え通路をせっせと歩く(流れるように、いえ、『流される』ようにして歩く)わけです。距離があることもあって、他の駅より人の流れが速いように見受けられます。
> この15年で、最近、特に速くなったとか遅くなったとかいうことはなく、ずっと速いと記憶しています(自分が遅くなったかどうかは自分ではわからず、の意)。
・[3239]
> 特定のかたがどうこうというわけではなく一般論ですが、御年「75歳」のおひとの実感としては、「じぶんは60歳!(えいえんの60歳!)」という、60歳から後に15も齢を重ねたんだということが(個人差はありましょうが)実感されにくいということがあるはずです。行政としては、いかに高齢な人に対しても、「上限60歳!(この世の人は60歳より年を取ることはない!!)」という態度で、要は「大人扱い」で接するということが、ソンゲン的なものからも大事だと思われましょう。
・[3225]
> 2040年に『標準25歳(修士了でご就職)』を迎えられるキミ
・[3336]
> 『25歳アナログ女子』
・[3430]
> この時代に若者だったかた(1970年に25歳⇒2020年に75歳)
・[3479]
> 25歳ごろのうちに決めておくことですね。
・[3492]
> その年代の人は25歳までにコーヒーの習慣がなかった
・[2930]
> 連動装置、特に電子連動装置については、このサイトで取り上げるには難しい(※)のですが、汎用コンピューターの発達の歴史と対比させて、「もう一つのコンピューター」としての連動装置の発達を見ていくのも、たいへんおもしろそうだと感じています。少し前に流行った「CPUを自作しよう」的な話ですね。
・[3452]
> 現物としての図書(冊子体)に対して「カード目録」と呼ばれる『分身!』をつくろうという発想とも似ていましょう。そして、図書の場合は現物のほうも可搬であるので、現物の有無がすなわちセマフォ…えーっ。いつまで経っても返却されない図書があるんですけど! …あらあら、まあまあ。返却されていないことがわかるための台帳が必要ですよね。うんうん。
・[3487]
> わあぃ大福帳! ちゃんと知ってるよ☆大福帳だよね。うん。…大福帳って、なに?(棒読み)
・[3105]
> 互いに別種の保安装置との情報の受け渡し(論理の共有といいますか、共有メモリといいますか、列車の在線を共通して把握すること、そしてメモリの書き換えが衝突しないように管理されること)ができなければ、片方の保安装置では列車の進入がわからないなどといって、列車の防護ができなくなってしまいます。
> コンピューターサイエンス(CS)としては「それって、要はメモリでしょ」と見るわけですが、鉄道としてはあくまで具体的な用途に沿って「在線検知」だといいはる(メモリのようなものであるかどうかは問われない)という構図が(きわめて遠く離れた外から見れば)あるわけです。
> ある装置が「歴史的リレー計算機」と呼ばれるのか「継電連動装置」と呼ばれるのか、実はかなり(ハードウェアだけを見れば)あいまいです。目的が名前を決めているともいえます。(これはICやLSIを使うようになっても同じことですが、いま「電子連動装置」といったときには、別の意味でハードウェアが一般のコンピューターと似ているという話にもなって、その話とは違いますという意味でリレーのものに限った話としておきます。)
※…そんな話は聞いたことないですって? まあ、そんな話が何の役に立つかといって、(少なくとも鉄道の技術開発の)役に立たないからですよ! うーん。
この研究で新しく何かを明らかにしたかどうかというところが、大学院の教員の指導や試問には応えるけれども、著者自身はあまり気に留めていないのではないか、ということを少しだけ疑いました。(※論文を読んで何も疑えないというのもくやしいので、しかし無理やり疑うというのでなく、自然と湧いてきた疑いがあれば、といって、実際、湧いてしまったものですから、しかたありません。)
1955年からの5年間に大学院の博士課程におられたという年代のかたですから、それがいくら東大とはいっても(その中では実際的な工学でもあり)、研究の指導法がどれだけ洗練されていたのかはよくわからないところであります。「分野を問わず共通する基礎的な研究能力」([3479])を身に着けることを志向する暇もなく目先の課題に取り組まれていた時代であるかもしれません。いえいえいえ、そのおかげで「戦後」があるのですよ。
・[3355]
> > 横須賀線の人工故障試験
> > 測定装置がたりないので、国鉄外から応援を求め電気試験所、東京大学、東京工業大学及び東芝、日立、三菱等の製作所、測定者及び測定装置が参加して非常な御苦労を願つた。
> > なお部外の主な測定協力者として東大の藤高、鳳教授、東京工大の大槻教授、電気試験所の森氏等がある。
> > オッシログラフ寫眞も2000枚を超過しておるので(略)結論を得るのは3箇月位を必要とするので10月頃に其の成果が發表されるとになろう。
> あくまで測定器が足りないだけなんです、装置を借りたら人もついてきたんです的なニュアンス(国鉄と部外とをきわめて鮮明に区別しようとするニュアンス)が伝わってくるような気がするのは気のせいでしょうか。部外の4名を挙げながら、何ら明示的に謝意が示されていないといって時代をシノビます。(あくまで時代は当時です。)
> (国鉄の)研究所のほうのかたから、論文の執筆の形式に準じるものとして、貢献のあった4名をきちんと挙げなさいといわれながら、実務者である筆者としてはその意味を理解していなかったかもしれないと疑ってみます。もっと本当でしょうか。
こういう状況が1955年から1959年にもあったなら、大学院生だった佐藤氏もまた、測定器の付属品よろしく国鉄に駆り出されていたのではないかと想像するところであります。佐藤氏より8年ほど後輩にあたるのが(ATCに詳しい)曽根センセイであります。
・[3137]
> > 国鉄志望を就職担当教授に止められて
> > 1967年同大学院博士課程修了(工学博士)。
> なんと。「生え抜き」については[3126]も参照。1962年にあって、既にそういう、大学の先生が引きとめようとするような何か(国鉄に行っても研究はできないぞ、的なもの)が国鉄にあったということ、なんでしょうか。
軌道の研究のひとにはよい職場であっても、これからATCひいてはコンピューターを使っていこうという分野や世代のひとには行かせたくない(と、大学院のセンセイが考える)職場であった、とうかがわれます。
・[3387]
> えっ、年号を伏せたら現代のことのようですって? 気のせいですよぉ。レッツ大学で「100円朝食」という名の「給食」をサービスサービスぅ! 17歳から9年間で「標準26歳」だっ!(22歳では若すぎる!)歴史は繰り返す…繰り返すッ! 歴史は繰り返すッ!!
> 難しい仕事をするには少なくとも26歳までは勉強しないと務まらないよねぇ、ということが、歴史上、何度、忘れられても、再び思い出されるんですよ…たぶん。
> 最も狭い意味では、「明法博士」の『居所』としての「大学寮」といって、博士1名あたりの(年次ならびに生涯の)「明法勘文」の件数や質などを『論文発表件数!』や『被引用数!』と同じ枠組みで評価してですね(略)一種『名状しがたい大学寮『あり方』指数のようなもの!』を求めて「大学寮が「確かな存在感!」を放っていた期間」を検出できたり、するんでしょうか。
そういう着目点が本書でも導入されているのです。「参考資料」の中で唯一、著者にとってまったく新規の知識の導入であっただろうと思われるのが「小野寺夏生2003」なんです。これがなかったら、いくら10年後に読み返したところで、「ふーん」で終わっていたかもしれないんです。そして、それなら商学研究科ではなく、小野寺センセイのところで博士論文に取り組まれたらよかったのに…とも思わないでもないということを正直に申し添えます。(恐縮です。)
・情報科学技術協会
http://www.infosta.or.jp/organization/
鉄道と自動車産業しか比べないのでなく、エム下さんなどとも比べたいですよね。ひいてはいろいろな業界にいろいろなものを納めていらっしゃるオムロンさんの貢献の度合いなど、どうやって検討すればいいのかなどというのも、よい研究課題になりそうですよ。(※あくまで感想です。)造船各社、NTT(通研)、NHK(技研)それに農研機構などの研究体制も興味深いかなぁ。(※かなり私見です。)
・「通研通り(Tsuken-dori)」のイメージです
http://www.ntt.co.jp/RD/magazine/yomoyama/vol1.html
http://www.ntt.co.jp/RD/magazine/yomoyama/images/img_1.jpg
・「本論文の長所」「本論文の短所」早稲田大学(2004年2月13日)
https://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=14724&item_no=1&attribute_id=20&file_no=2&page_id=13&block_id=21
> ナレッジ・マネジメントの理論では、組織の内部におけるナレッジの蓄積についてはそのフレームが示されているが、これを具体的に測定する作業がなされてはいなかったが、論文提出者は、主に論文数を中心として、特許や学位取得数、外部導入人材数などを総合的に把握するための尺度を示し、数量的に把握するための挑戦をした点は評価すべきであろう。今後恐らくこの指標を超える総合的指標がモデル化されるであろうが、具体的な指標に向けての第一歩に挑戦した点を注目すべきである。
佐藤氏が独自に考案したのでなく、経営学の分野内で先行研究から自然と導き出されたのでもなく、図書館情報学の、もっといえば小野寺センセイから導入(一種『輸入』)したのだと、そこは明示的に述べないといけませんよ。その上で、鉄道技研に関する具体的なデータに実際に適用してみせたことが、本論文の貢献であります。土木学会の名簿で人数を数えさえすればよいという分野とは違って、この話は小野寺センセイしかいないんだという(=当時)分野なのですから、その違いに無頓着であってはいけません。じぶんの分野では専門家なんていくらでも代わりがいるんだ、といって、他分野の専門家にまで同じ態度で接していては、いけないのですよ。そして、逆もしかりかもですよ。本当でしょうか。
※このフォーラムで赤瀬氏や佐藤氏のお名前を挙げて紹介するのは、いずれも博士論文として取り組まれた内容であるからです。他方、「われらサラリーマン」との感覚で、あくまで就業時間内に書いて『提出!』された(っぽい)技報などについては、著者名をわざわざ挙げることはいたしません。これに準じ、修士論文は本文や抄録を紹介しつつも学生の氏名は挙げません。また、若い人の博士論文についても、今後の活動いかんによるところがあまりにも未知数である場合、氏名は挙げません。個々の学生のむこうに指導教員の顔が浮かぶから…いや、まあ、その、そういうこともあるかもですよ。(メッソウではございました。)
> イギリスでは日本のような技術革新に結び付かなかったので(略)今後のいっそうの研究の深化を願うのみである。
> (1) 組織におけるナレッジの測定尺度については、この論文の文脈では極めて妥当なものと評価できるが、これがどの程度の普遍性を持ち得るか否かという点については、今後いっそう検討すべき余地が残されていることは確かである。
> (2) 研究所のメンバーの多様性と研究成果と事業革新などをさらにいっそう包括的に理論的にも、実証的にも研究を深めるべきである。
上述のように、(現在の鉄道総研の)部内の話としては、「研究室の整理統合」のあり方や影響を、むしろ部外から冷徹に観察するというような研究が求められているのだろうという理解でございます。
> (3) 提出者自身が課題として認めているように、取り分け高速鉄道においては、暗黙知が欠落すると事故に至るので、事故に至らぬようにするために、ビジネス・システムの中にある暗黙知の充足度を客観的に計測する尺度の開発、さらにこの暗黙知をささえるためのコンピュータ・システムとの関連も検討すべきだとしているが、これは「暗黙知」という定義から極めて困難であるが、事故防止の観点から必要不可欠であろう。
本論文の講評の域を超えたことまでおっしゃってませんか? …えーっ。(※あくまで個人の感想でした。)
・ほらいずん(2016年11月25日)
http://www.nistep.go.jp/activities/sti-horizon%E8%AA%8C/vol-02no-04/stih00050
> 論文の被引用数等の計量データは、適切に利用されれば専門家(ピア)による評定をより妥当、公正にするための補完となり得るが、データに主導された評価や、指標の意味・性質の不十分な理解による誤用がしばしば見られる。このような状況に対して、研究評価における計量データの利用についてのベストプラクティスを示した「研究計量に関するライデン声明」(“The Leiden Manifesto for research metrics”)が、2015年にNature誌上で公表された。本稿では、このマニフェストの成立の経緯を述べた後、10項目の原則の全訳を紹介する。このマニフェストは、研究者、管理者、評価者の全てにとって、計量データに立脚した研究評価のガイドラインとなるものと考えられる。
> データや、それに基づいて計算される種々の計量的指標の意味・性質が十分理解されないまま、誤って利用される例もしばしばである。
> 評定者は意思決定を数字に任せてはならない。(略)評定者はそれぞれが行う評定に責任を保持している。
> 科学者の研究目的は様々である。(略)全ての状況に適用できる単一の評価モデルはない。
> 優れた地域的研究の発見・それらへの報奨の付与のためには、高品質の非英語文献に基づいた計量が有用であろう。
> 指標が単純であることは、その透明性を増すことであり長所である。しかし、単純化した計量は記録をゆがめることもある(原則7参照)。評価者は、バランス(研究過程の複雑性に忠実である単純な指標)を得ることに努めなければならない。
> h指数は、新しい論文がなくても年齢を重ねるほど高くなる。(略)研究者の成果物を読んで判定する方が、一つの数字に頼るよりもずっと適切である。多数の研究者を比較する場合でも、個々の専門性、経験、活動及び影響に関するより多くの情報を考慮するやり方が最良である。
> 不適切な具体性や誤った精緻性を避けよ。(略)インパクトファクターを小数点以下3桁まで表示して同点の雑誌の出現を避けるようにしている。しかし、被引用数の概念上の曖昧さやランダムな変動性を考慮すれば、このような僅かなインパクトファクターの差によって雑誌を区別する意味はない。
> 単一の指標は、ゲーム化や目標の取り違えを招く
> 指標を定期的に吟味し、改善せよ。
この声明などに関する動きとは直接には関係なく、しかし、そのような機運の高まりには影響されて、以下のようなことを述べていました&草々。
・[3051]
> この数字、リニアな「指標」ではなく「順序尺度」ですよね。「足し算」したり平均値を出したりして例えば「67.2ポイント」などとは(本来)いえませんよね。わかったうえで便宜上、指標とみなして平均したりするのと、わからないまま無邪気に平均するのでは、大きな違いがあるといえます。
> あくまで数値とみた場合、20ポイント刻みなのでプラスマイナスで最大40ポイントの誤差?=120ポイントと記録したが実は100ポイントかも140ポイントかも知れない
> そこまでの誤差はないとしても、120ポイントと記録したということは、100ポイントは明らかに超えている、140ポイントには明らかに届かないと判断されたことは保証されますが、120ポイントを超えている、または120ポイントには届いていない、そのあたりの微妙な差(誤差)は、丸められているわけです。もし、「119ポイント」ではない「120ポイント」という1点の絶対値が、混雑に関する認知上の何がしかの境界(所要時間でいう「59分!」と「60分…」のような)であるとしたら、そこを超えているか超えていないかという判定は厳密に行なえることが期待されますが、「混雑ポイント」による評価の枠組みでは、それには応えられないということになります。
> その誤差をふまえずに、妙に細かい(パーセント表示で小数第1位まで取った=3桁の)「混雑率」(車両の仕様ごとに一定の換算式で「混雑ポイント」を「混雑率」に換算しているということだと理解しました)を出し、その「平均」を出し、またダイヤ改正など施策の前後で「(独自の)平均混雑率」を比較されているようですが、そもそも「混雑ポイント」が順序尺度とみなされる性質を持つデータである以上、煮ても焼いても…いえ、目安として換算するところまではよいですが、その換算値をさらに平均して比較するのは無謀ではないでしょうか。
『不適切な具体性や誤った精緻性を避けよ。』というのは、小数点以下の桁数の話だけではないのですよ。「800階建て」のビルの工費と工期を機械的に弾きだして見せることも、『経済効果!(正しくは経済波及効果)』を云々してみせた上、それを根拠にして何かしようとしてしまうのも、たいへんよからぬことであるわけです。(「経済効果(生産誘発額など)」は、いつでも誰でも同じ方法で試算して比べないと意味がありません。いかにも効果が波及しそうでも、これまで計算に入れられてこなかったものを独断で計算に入れてはいけないのですよ。)
・「生産誘発額」「産業連関表」「経済波及効果」付近のイメージです
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%D0%BA%D1%B8%FA%B2%CC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8A%B9%E6%9E%9C
※そういう意味で、本来の「経済効果」というものは、無名の銀行員(信金や農協を含む)が就業時間内に試算して「提出」する類の、実にあたりまえでつまらない数字の1つであるという理解でございます。『経済効果!』といって何らかの華々しさが出るというのは、そもそもおかしいことなのだという理解が欠かせません。(※個人の見解です。)
※だからといって、『タイガース優勝の経済効果!』というジョークを楽しんではいけないとまでいうのもシヤクシヂヤウギなんですよ。ジョークをジョークとして楽しめるのがオトナというものですよね。「某教授が発表する『経済効果』はライデン声明に反している!!(ケシカラン)」だなんて、とんでもない!
・[3271]
> どこの市とは申しませんが『経済効果!』で「時は金なり!」と叫ぶだなんて
・(再掲)ウィキペディア「X-Seed 4000」
http://ja.wikipedia.org/wiki/X-Seed_4000
> 建設地は東京湾上が想定され、工費150兆円工期30年が見積もられている。
・[2999]
> 見積もりのおそろしさ([2963],[2965])、ここに極まれり。ビルをモジュール化して積み上げたら800階建てができるという発想と、リニアも第1工区から、というのは似たもので、既存技術でできる範囲ごとに分割して積算すれば、見積もりだけは自動的に出てくるものですが…それでもねぇ、という不安でございます。ハイビジョンを286台つなげて「286K」といったら、間違いなく熱暴走しそうです。あなおそろしや。
・「港北ニュータウン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3
> 事業計画全体では2530ヘクタールもあり、過去に類を見ない大規模な都市開発事業となった。このため区画整理事業だけでも膨大な地権者数となり、事業の成功は不可能であるという分析をする学者も現れた。
> それまでのニュータウン計画で一般的に利用されていた土地収用ではなく、換地の手法が取られることになった。
> 換地による区画整理の手法は港北ニュータウン計画以前から実施されていたが、住民側の意向から多くは近接した土地を交換する「原位置換地」の手法を採用しており、換地による土地区画整理は計画が進まないものとされていた。しかし、港北ニュータウン計画では地元住民の意向を確認した結果、申出換地という新しい手法で区画整理が実施されることになった。これは事業主体者が所有している土地の中から換地を行う土地の所有者が希望する土地を指定(これを「申出」と呼ぶ)し、その地権を交換する手法で、現在の土地区画整理事業で多く取られる手法となっている。
従来の方法そのままでは「不可能」と考えられたからこそ、新しい方法を採り入れたということですね。「不可能」とする見立てに誤りがあったというわけではないのですよ。そういう丁寧な記述がなされたいかもです。(後の段落が丁寧でも、前の段落が後の段落のことを考えていないふうになっているのはよくないなぁ、の意。)
・[3451]
> 用地買収の先には収用という制度もきちんと運用されなければ(法制度の体系としての)都市計画は成り立たないのであって、「収用=イコール=ケシカラン」との固定観念はなくしていきたいと思うのです。
そして、どこかに書かれた手続き上の特徴のみを引き写しさえすれば百科事典の記事が完成するなんて、とんでもない。比ゆ的には、呼び鈴もあったかどうか定かでない家から、インターホンとユニットバスがついてる家に引っ越せるという、その満足感のようなものにも言及されたいのかもしれませんし、それは別の話題であるのかもしれません。ひいては、「上京」や「嫁入り」以外で引っ越しなどしない、引っ越しというものに『片道切符!(2度と戻れない)』的な不安感が持たれていたところ、ニュータウンの開発を契機に「引っ越し」が普及した(=不動産の流動化を促した)というような、もっと大きな視点というものも、あるのかもですよ。
※港北ニュータウンについては[3495]も参照。
・「片道切符(2)」
https://kotobank.jp/word/%E7%89%87%E9%81%93%E5%88%87%E7%AC%A6-683296
15歳で片道切符を握らされて我々、どんなに不安だったことよのう。きのうまでの同級生と一緒なのも駅に着くまでだっ。(※まったくの想像です。)
・[3495]
> > 「学生時代の友人たちの存在が、僕の正気を保つ糸口になってくれることに気付いたんだ」
> > 「11歳の頃からずっと仲良くしている12人のクラスメイトがいて、彼らと一緒にいると僕は正気を保つことができるんだ。」
・[3233]
> 「(雑誌に載っているBASICのプログラムの)読み上げ係!」をおとこのきょうだいに頼まれました(=当時)というおんなのきょうだいさんなど、時々(結構)うかがわれます。なんて人づかいの荒いおとこなんだと…いえいえ、メッソウもございません。ロマンだの「漢」だのといって、その実、決定的にめんどうなところは自分ではやっていないような人もいたかもしれませんよ…ちょっとだけ。戸塚工場(当時)の従業員における女性の比率など知りたくなってきます。類例としてソニーだいすき…いえ、トランジスターだいすきソニーの『トランジスター娘!』(あくまで当時の表現です)から、かなりの部分は女性の従業員(工場で「手作業」する人)によって実現されたとも想像されます。そういう製造工程の考察もなしに「漢」だなどと、とんでもない。
・[3485]
> お姉ちゃんにゲームで勝負を挑んで(そういうときは負けてあげるものだとお姉ちゃんは承知しているので)勝ち誇ればいいんですよ。
・TOTOの見解です
http://www.toto.co.jp/tips/tidbit/bath/008.htm
> 設計・施工を担当していた大成建設は、バスルームのプレハブ化を検討するようTOTOのほか複数の企業に依頼しました。依頼を受けたTOTOはプロジェクトチームを作り、研究を重ねた結果、浴槽や洗面器を取り付けた下半分のユニットに上半分の壁フレームを組み上げて、天井パネルをかぶせるかたちのユニットバスルームが完成しました。そして、そのTOTO製ユニットバスルームがホテルニューオータニに採用されることになったのです。
・「お風呂のあるわが家」のイメージです
http://www.yasumura.co.jp/history.html
> 1963年、全国の内風呂普及率は約6割にまで達しました。その契機となったのが、日本住宅公団(現・独立行政法人 都市再生機構)による「浴室の設置」と「台所をDK(ダイニングキッチン)スタイルに変える」提案であり、浴室のある公団住宅の大量供給でした。初期の頃は、浴室はあっても浴槽、風呂釜の設置は入居者に委ねられていたため、新築団地の前で、実際に風呂を沸かしてみせながら売るデモストレーション販売が行われたそうです。
なるほど、それを見てから「江原台3号緑地」の斜面を見上げれば、長谷川町子先生をして、かの漫画を思いつくと、こういうわけです。(※あくまで推定です。推定してなお、それを思いつく作者にビールのほうなど…なかなか思いつけないことですよね。)
・[3477]
> Top-kは確定できるけど下位のランキングは信頼性が大幅に低下しますよーん。
・[3444]
> > 論文数のランキングからチャンピオン評価(追跡評価)を行った。
> この著者(※1976年から論文のある同姓同名のかたと同じかたでしょうか)のほかには誰も「チャンピオンデータ比較」「チャンピオン評価(追跡評価)」なる用語を使っていないんですけれど…『謎』です。(このネーミングで)いいたいことはわからないでもない(⇒「掲載雑誌のインパクトファクターを論文の評点とみなして、その合計で1位になった年!」が過去30年中に何年あるかを研究機関ごとに数え上げようということでしょ)ですけれど、「チャンピオンデータ」といってしまうと、よからぬソレまでついてきてしまうということに無頓着([3384])なのではないでしょうかねぇ。
・[3469]
> 「リサーチ研究会」
> 研究会の名前がおかしいよ@ゼッタイおかしいよ。
・(再掲)朝日新聞「新幹線ひかり、なぜ岡山行き多い? 関西の鉄道の謎調査」(2017年5月1日)
http://digital.asahi.com/articles/ASK513C3LK51PTIL003.html
> JR西日本が「運用上の兼ね合い」と答える中、ある説を関係者から聞いた。新大阪駅の新幹線の五つのホームには、1日上下300本以上が停車する。新大阪を発着駅にすると、折り返しの清掃作業などの間はホームが塞がる。しかも、JR東海が管理する大阪の車両基地は飽和状態。下りを岡山行きにすると、新大阪は一時停車するだけで「混雑」が緩和するという。
・[3472]
> クリティカルには、不用意な言及によって行間に「ドミナント・ネガティブ効果」([3242])が生じてしまっていないか、という振り返りをなさっていただきたく思います。▼(JRが)経験と勘のみに頼っているという印象を与えないか、▼(新幹線が)需要もないのに無駄な運行をしているという印象を与えないか、▼(新聞記者だけが特権的に)関係者に接触できて秘密を暴けるかのような印象を強めていないか…ゲフンゲフン。
同じ意味で、佐藤氏が国鉄の部内にいた者であるという点は、本件論文に取り組まれる際に確かな優位性ではあっても、このこと自体を博士論文における貢献とみなしてはいけません。そこは厳格に峻別しないといけないのです。
・[3334]
> 自主的で発展的な学習活動としての自由研究にあって、「まだ習ったり学んだりしていないことをじぶんの手で『発見』」という部分を新規性とみなしていいですよね、ということもあり、そういう意味では、「既にじぶんが知っていることを、知っていて楽だからといってテーマに選ぶ」ということを指して「新規性がない」と断じればよいのではないでしょうか。オトナ語([3299])っぽくは「おもしろいんだけど、『チャレンジ』がないんだよねぇ」「もう少し『チャレンジ』してみないかい?」などと(略)。その逆は「キミって、つくづく『チャレンジャー』だねぇ」などと(棒)。
そういうオトナ的なニュアンスで「チャレンジがある」と評されて(=きわめて形式的にほめられて=)いるのが本件博士論文ではあるのでございました。…オトナですのう。(※あたりまえです。)
> 同じく、そもそも応用(開発)を目指しているのではない自由研究にあって、有用性は問われる必要がない…とまではいいきれないかもしれませんが、こう、学校で教える内容を無効化するような「ドミナント・ネガティブ効果」([3242])が「ないこと」を示すことが、自由研究において有用性を示すということの実体(実質の中身)になろうかと思います。
・[3455]
> この「電気車の科学」は1994年で休刊となっているとのこと。
> もはや個々の車両の性能はぎりぎりのところを追求されるのではなくて、「これくらいでじゅうぶんだ」という経済性(信頼性を含む)のほうが前面に出てくるのかなぁとの時代を感じます。(※素朴な印象です。)…だからこそ「電気車の科学」が休刊されるんですね、わかります。
・[3005]
> 環境の変化に対応でき、自らも環境に影響するのだという自覚のもとにサービスを計画していく、いわば新しい計画手法に基づく施策
> いわゆる「利用意向」については十分な調査が行なわれず、また本質的にも信頼性を出しにくい調査項目である(聞き方や聞く相手によって変動が大きい)ことから、新しい列車やダイヤを開発していく方向の施策は打ち出しにくいのでしょう。
> あらゆる計画手法の開発が国鉄末期で途絶えているのだとしたら、毎時2本への減便というのは、やがて路線の廃止を目指さずとも促していく(廃止になってもしかたがない、という雰囲気づくりとなる)、「赤字ローカル線」を「フェードアウト」させるための手法そのものといえます。川越線を廃止したいのでしょうか。いえ、そんなこと(減便すればするほど利用客が減っていき、最終的には廃止につながる)は一切、考えもせずに、ただひたすら機械的にそろばんを弾いただけなのでしょう。
・[3076]
> 「カンピューター」
・[3139]
> おおー、そこでタクシーと生コン車(ミキサー車)を並べて比較しますかっ!! といってヒザが打たれます。
・時間の関係で本日はスポーツ報知より「ID野球」ほかをご覧いただきます
http://www.hochi.co.jp/baseball/column/20161209-OHT1T50154.html
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