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(約21000字)
5000番台に入りました、本日「このフォーラム」であります。ただの数字なんですけれども、数字だけを見ても何かを語りかけてくる気がするので、見た目にも苦しそうな4900番台を通り抜けたのは素直によかった。新しい景色です。東急は美しいですか。(棒読み)
・[4977]
> 壊れたAI風味で!
・[4975]
> 壊れたAI風味で!
・[4974]
> 壊れたAI風味で!
・[4839]
> 「このフォーラム」が取り上げる話題や切り口というのは幸か不幸か3年くらい『先取り』(※自称)しているのが常となっていて(※3年後に読まれるつもりで切迫感のないことしか書かない、の意)、ここにいま書いてあることをきょうあすのことのようには受け止めないでほしい。その一方で今般のコロナ禍で2年は遅れるということがなにごとにつけてもあるので、コロナ以前には2022年くらいが適当と思っていたものがあっけなく2024年くらいに遅くなっても、それは当然のことだと思っていると申し添えます。
・(2022年10月25日)
https://www.webchikuma.jp/articles/-/2906
> あるテレビ局が若者にインタビュー
※先にいいますが、昔ながらの『文系』(という自負のある)の人が「ちくま」(筑摩書房)を通して、これまた『文系の』(ということを誇りや売りにしている)著者が語る「AI(人工知能)」や「理数探究」を読むのは、すごくおすすめしません。いわばコンピューターを原義通り「計算機」として活用している、社会科学や心理学で多変量解析をやっている人の書いたものを読みなさいといいたい。(※なかば命令形)特に「理数探究」については、「理数」という字面のイメージに惑わされて自然科学の人の書いたものを読むとたいへんです。自然科学には「現物」「自然法則」という絶対の正解があって、それを見つけさえすればいいという話で終わってしまって、まったく「探究」とは言い難い。○か×か。(※あくまで考えかたです。もちろんいろいろなものを読むとよいです。)
・[4248]
> 先に言うけど、それはいけません。
> > SSH初期の指定校での生徒がやってた課題研究の例で感染症流行の数理モデルを改良するみたいなのがあった覚えがあります。
> 「感染症流行」がニュースになっていないときに限ります。ニュースになっている間は、それをやってはいけません。…という考えかたがあります。(※あくまで考えかたです。)
> いまホットだからといって「感染症流行」という『片側』からの見方だけで計算方法を学んでいくということになってはいけないということができます。
…ホットな話題は避け、わざと時期をずらす「このフォーラム」であります。
・[4101]
> > 「理数探究」の対象は、自然科学だけではなく、社会科学や人文科学、芸術やスポーツ、生活に関する事象なども対象。自ら課題を設定しようとする動機付けとすることを示している。(STEAM教育との親和性)
・[4403]
> ▼「大村はま」と「単元」からの「数量化I類」については[3494]を参照。
・[4223]
> > パソコンを受け取った3年生の男子生徒は「これからより質の高い授業が受けられると思うので、とてもわくわくします」と話していました。
> 中学校の3年生が「より質の高い授業」で1語の固有名詞みたいなのをすらすら言いますか。ま、言うねぇ。…すごく言うねぇ。
・[4798]
> これを聞いたときには複雑な気持ちになりました。
・[3758]
> はるかなる1999年。どこからきてどこへゆくのだろうこのフォーラム。
・[3076]
> > 「イソターネット」「マノレチメディア」などという用語が現れたのもこの頃である。
> コワレフスカヤのコマ
・[4818]
> …コワレフスカヤのコマ!
・[4359]
> 意味もないのに東急を引き合いに出すのはやめよう。(棒読み)
・(♪〜)「5000番台」こもごも
https://youtu.be/_LoMRRRx5hk
https://youtu.be/V_I-elNPTn4
https://youtu.be/R0xQOOYzcNo
・[4792]
> > > ヨナグニサン
・[4821]
> …じゃ、じゃあ(ごくり)『008』を「1189」で!(※白目)
・[4527]
> 「このフォーラム」は、こんなテイストでも(ひとりでぜんぶやっているけれど)「フォーラム」なので、ちょっとパネラーみたいな役のひとが大げさに言って、われわれに考える場を与えていると、そんな感じに受け止めてください。
・[3964]
> このフォーラムは記事番号でいうと2904からが現在のポリシーでの運営ですから、この記事「3964」から「2904」を引いて「+1」した数字が「第なん回」というやつです。「第1061回」ですぞ! ずがたか〜いー。(違)センパイのいうことは鼻で聞いておくのですよ。…鼻で!!(もっと違)そういうふうにいくらでも数字が増える態勢でコンテンツを量産していくなら、1つ1つをおおげさに数えなくていいし、内容そっちのけで「第なん回」というのをタイトルにして目立たせたりなどしなくていいってこってす。(※見解です。)クローズアップ現代は何回までありましたか。(※過去形)ああいう感じに数字は確かに書き添えるけれど、だからといって数字をいちいちアピールなどしない。それでも、「4000回を祝って」とかはあるかもしれない。しつれいしました。この意味で、このフォーラムは2904でリセットされて1061なので、目先の数字が4000だからといって特に何も予定していませんので、あしからず。それでもまあ、そこに出てくる数字が4000番台になると、ちょっと気分がいい。
・[3656]
> 「広がるATOS」:だって「線路総延長」と「ホーム(番線)」と「ポイント」と「列車数」を見ながら「鉄道評価」を検めさしていただくなんて、まったくもってATOSだよね。…え? 違う?
・[4385]
> > 上野センセイはパワポでグラデーションを使いますか。…はひ!?
> 「想像力が働かないタイプ」って、つまるところファジーやグラデーションという実地の知識を体得していない(言葉としてありがたがっているだけ)だから実感がない、習った通りに1か0かと迫る態度のことではなかったか。
・[3739]
> このフォーラムは1999年からやっているのでそういうことが言えるんです。(キリッ
3700番台からは、だいたい「A列車で行こう9」の話題で持ちきりの「このフォーラム」。(※体言止め)必ずしも本文中に「A列車で行こう9」とも「A列車」とも書いていなくても、ほとんどの記事が何らかのかたちで「A列車で行こう9」の話題に触れています。こんなフォーラムは後にも先にも「このフォーラム」きりになるに違いない。(キリッ
※表現は演出です。
・[4758]
> じぶんは任天堂のほうからきましたみたいにいわんばかり:家庭用ゲーム機版のマス目がかちっとしたのを先に見てから「A9」を見ると、そのフリーダムな感じ(?)が許せんという、先に見てじぶんが知ってるのとは違うという子どもっぽい怒りが垣間見える…気がする!
・[4995]
> 3DS版のような窮屈なマス目に縛られないという「A列車で行こう9」の非常にのびのびした感じをまったく理解していないし、楽しもうという態度がない。「じぶんが知ってる3DS版と違う!!」と憤慨しているだけに見えてしまう。じぶんから窮屈なマス目にはまりに行く。
・[4583]
> [4582]で参照した紀要論文で「鉢」という漢字1文字の語が挙がっていたわけですが。「ウエキバチ」「コバチ(料理)」という先に知った単語が(子どもの中で)『絶対』のものとなっていて、そこから「鉢とは何か」という一般化と、そのために必要な抽象化ができない、あくまでじぶんが知ってる「植木鉢」「小鉢」別々にしか存在を許さん(=「植木鉢と小鉢はぜんぜん違う!」の1点張り!)という態度に出てくる。子ども特有の融通の利かなさがある。
・「ChatGPT “教育に影響” 国内の大学が利用基準設置や注意喚起」(4月10日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230410/k10014033671000.html
> 京都大学では、今月7日に行われた入学式で湊長博学長が「AIによる文章作成には誤った情報が含まれるリスクがある」などと指摘「みずから『文章を書く』ということに伴う重要な検証プロセスが欠けている」などと話しました。
> そのうえで「皆さんには、時間をかけてじっくりと自分の文章を練り上げる習慣を、ぜひ身に付けていただきたい」と述べました。
「東ロボくん」([3327],[3383],[3514])のように、「ChatGPT」を仮想の学生に見立てて、人間の学生と同じ基準で採点してみるとよい。入試は突破するし、レポートもそつなくこなす。一見よさげに見える。しかし卒論になると、いきなりだめになる。国家資格や就職の試験は通ってしまうかもしれないが、大学院の研究計画書は書けるべくもなかろう。あるいは「ChatGPT」が通ってしまうようでは、採点が甘すぎるのだ。それは生身の学生にとってもよいことではなかったのだ。(※音声を変えています。)
・[4957]
> ワン・ツー!(違)「時間とはフクロウである」(※誤訳)みたいなWindows10もびっくりの『創作格言』がランダムに出てくるのね。もちろん英語でね。Windowsなゲームなんだから、Windows10の1つくらいちくちくしてみせてよねっ。
・[3586]
> > 吉本 (略)プリペイドカードみたいなのあるでしょ。
> いつかどこかで「ぼかぁ思うんだな」みたいなの
・[4643]
> > (♪前奏〜)今朝は納豆に砂糖をふってしまったというすみれさん(※仮名)が歌います『****(ここに曲名が入ります)』(違)ついには「ちなみに」ともいわずにそういう内容を差しはさむのがデフォルトになってゆくとはこのことだよ。
> すみれさん(※仮名)って、誰ぞ!?(※真顔)
「ChatGPT」って、つまりこういうことだよね。(※言いかた)むこうの「arx.neorail.jp」のページはメモ帳でHTMLを手打ちだからイタリックなんかが自由に使える。むこうの「arx.neorail.jp」のページで「日本語には急がば回れという素敵な言葉があります」などと唐突にイタリックでWindows10みたいな1文を無意味に差し挟んでおくんですよ。これだね。(※真顔)
・[3845]
> 「天声人語の真似が上手いだけの者」(=後述)を「読解力がある」とは認められない
> 「天声人語の真似が上手いだけの者」(=後述)を「読解力がある」とは認められない
> > 【読解力の定義】
> > 自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、社会に参加するために、テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、これに取り組むこと。
・[4596]
> 新聞は広げて読んでるふり(げふ)新聞の見出しはなんであんなに大きくて短いのか。そこだけ暗記してリピートしておけば社会人に見えるようにするためだ(ぐぇ)そのくらいで仕事ができるのである。採用が厳し過ぎれば人手が足りない。みんなでみんなをかばう感じでもある。できないひとにやさしい。仕事ができているからといって国語もできるとはみなさないこと。だから役員のスピーチは秘書が書く。
・[4874]
> 大きくて短いです!
・[4676]
> 「お兄ちゃん」召喚である。
・[4679]
> いまは「パッシオ」だけど、呼ばれて出てくる“うら若い”奏者たちのボキャブラリィよ。(※詠嘆)「ちっちゃいころ」から始まって「おかあさんが」「せんせいが」と続き「…大きくて! ……短いです!!」みたいな言いかたのまま終わる。アイスクリームが食べたかった。演奏の上達と国語が両立しないことをよく示している。…むりー!(※真顔)
> 番組に呼ばれて、だいたいこんなことをしゃべりますみたいな事前の聴取を経て台本ができ、最初こそ台本どおりに「兄が」とかしこまっているが、進行役でピアニストのミュージくん(※仮名)が「おにいさんが?」と問いかけるともうだめ。「お兄ちゃんがー」「お兄ちゃんがー」ラジオのむこうの「お兄ちゃん」ズ、いっせいにびくっとする。(※表現は演出です。)
・[4703]
> その「パッシオ」に出てきたひとが、かなり苦労して(?)笑いをこらえながら、まじめくさって標準語を話そうとしているかのような(ぐふっ)絶えず笑いっぱなしという中学生のままのようなひとであった。…演奏だけ聴きたいよアリガトウ。(※感じかたには個人差があります。)
・[4906]
> 「高齢化」というのは、「ほら、住民の年齢構成が年寄りに偏ると通勤しないからラッシュが減るけどデータイムが混むだろ?」(※原文ママふう)みたいに、あくまで例えとして言っただけなのに、それを「高齢化」と書いてしまうといった、いかにも国語の成績がたかだか平均点くらいのひとが、そういう「苦手」をある程度は自覚した上でなお(仕事だからといって)無理やり書いた(そして案の定、書けてない)ような文章が、ゲーム画面には出てきてしまうんです。
> 「国語の成績がたかだか平均点くらい」:もちろん国語としては十分なんですけど、それはあくまでリードオンリーのスキルにしかならない。ライティングのスキルは持っていないとみなされます。じぶんでやらないで、できるひとに任せるべき。
「対話式AI」以前から「自分の文章」「時間をかけてじっくり」「練り上げる」という感覚が廃れている。そういう感覚がないから「対話式AI」をなんとも思わなくなっているのだ。「このフォーラム」を開くと『長文』が載っているので、そうすると『長文読解モード』すなわち重要そうな(漢語ちっくな)キーワードだけを拾って、最小の時間で結論だけを読み解こうとする。しかし「このフォーラム」は「フォーラム」だから「結論」はないし、漢語は避けて『ひらがなのことば』(※ひらがな)を多用してある。そうすると「だまされた!」(※直訳)みたいに真っ赤になって怒って捨て台詞を吐いていくような人がいるのである。さすがに京都大学にはいないだろうが、京都大学以外のそれなりに入試が難しい大学ほど、そういうふうに最小の時間しかかけずに済ませようという人たちばかりが闊歩しているのである。
すでに教員が、そういう入試で育った世代になっているから取り返しがつかない。わたしたち自身がすでに「対話式AI」のような、3秒で返信できるような返信しかしない、3秒で返信できそうなことしか書かないという「習慣」に毒されているのだ。○か×か。(※問いかけ)「対話式AI」だろうがなんだろうが、文章は長ければ長いほど破綻しやすくなるので、問答無用で長さを要求することによって、いろいろなことを見破れるのである。もっと○か×か。(※詠嘆)なるほど、もっと簡単な方法がある。何について書くのかをじぶんで決めさせることと、どうしてそれを書くのかを説明させることだ。(棒読み)
・[4180]
> 自然言語処理などの研究に従事しているひとの大半は、じぶんが国語の成績が低かったからそれをやっているという変な相関がないか、ちょっと身の回りを確かめてゾッとしてみてください。国語は平均点ではぜんぜんだめなんですよ。
・[4215]
> 高校で国語が平均点だったら、ぜんぜんできてないと思わないといけないんですよ。だからこそ大学で国語を専攻して辞書の編集部に入る。(元から)得意だからやっているのではないのだ。(かなり苦労して)勉強して備えた力なのだ。違いますか。(※これは「声援」です!)そういう相関があるような気がしているので、飯間氏がいっしょうけんめい授業しても、ぜんぜん伝わらないのは当然だと思えてくる。あなたは書き言葉の世界でのみ力が発揮できるのだ。
・[3803]
> > アメリカの多くの大学には(略)作家を養成するための制度が存在する。
> > 大学で勉強して作家になる、という考え方に驚かれる方もいるかもしれない。
> そういうことですね、わかります。確実に時代が変わる。少なくともそういう“外圧”が「EQF」や「CEFR」という形ですでにある。これに準じたことをしていけるのか、ぜんぜんできなくてすっかりつぶれるのか、どちらかである。ここで「CEFR」というものをオリジナルのままでしか認識できない、すなわち日本から英語圏へ労働者を送り出す目的で「CEFR」そのものを導入することしか考えられないようでは、もはや「わが国」というアイデンティティーはなくなったも同然だと思わないといけない。日本で難しい仕事を日本語でするための日本語力を定義する「日本語CEFR」みたいなものを作るべきなのである。いままで国語(日本語)の試験が簡単すぎたのがいけなかったのである。
・[3336]
> > ひと言ひと言について理由の説明を求められ、正解は言わない。
・[3651]
> 卒研の研究計画書を自力で書ける人はどうやっても1割くらいだろう(⇒大学院に進学する者が2割いて、その半分だろう)という感覚
・[3873]
> 他人に手伝わせたり勝手に拝借したのに自力でやったと言い張るような人は論外だけれど、それを見抜くのが(その人が課題に取り組んでみせている)最初のうちはむずかしい。だからこそ常に説明を求め続け、ちょっとでも説明に詰まるところがあれば全力で疑うべきだ。説明できるようにしようということが勉強そのものだ。不正を疑うという形式ではあるけれど、同時に勉強を促すということでもあるのだ。
・[3702]
> このフォーラム「いま問うA9のココロ」の記事でとつとつと述べられた要望らしき事項等をピックアップして矛盾を正そうというコンタンであります。まず「とつとつと述べられた要望らしき事項等」をひたすら抜粋しただけで「276983字」ほどある、それをまた2017年8月から2019年3月までの期間に「とつとつと」述べてきている、その間にいくらかは矛盾や変遷があるのではないでしょうか。そうしてすでに矛盾があらわになって変遷していれば、それだけ熟度が高まっていると期待できるわけです。
・[4913]
> 単にじぶんが知ってる知らないということだけで勝手に取捨選択してしまうほうがおこがましい。
・[3775]
> くれぐれもじぶんが知ってる路線バスのじぶんが乗る区間だけで考えてはいけない。
・[4568]
> 「自領」「他領」が訛ったといわれる「次郎なになに」「太郎なになに」と「徳重」って、似ているのではありませんか。役人が発する“謎の言葉”が庶民にはじぶんが知ってる範囲の言葉として聞こえる。
・[3914]
> 「じぶんが知ってるものはみんな知ってる」「じぶんが知らないものはみんな知らない」という態度ではいけないということです。要は幼いのである。じぶんの同級生だけでセカイができてるみたいな世界観である。
・[4428]
> ここまで「登戸」を「じぶんが知ってる『のぼりと』」の読みで読んできたひとは、いまから「のぶと」の読みで読み直してください。
・[4421]
> 「あの横浜に、この神戸。」と題した記事ではあったけれど、「横浜」の読みは1つだが「神戸」の読みはいくつもあり、文脈がなければ定まらないのであった。どうして神戸決定なの。「あの横浜に、この神戸。」と題した記事の、タイトルを見ただけの段階で勝手に「じぶんが知ってる『神戸』」の読みで読んで何も疑わなかったじぶんを見つけに行きましょう。…いきましょーいきましょー。
必ずしも本文中に「A列車で行こう9」とも「A列車」とも書いていないので「A列車」というキーワードで検索しても検索漏れが多発します。「A列車」というキーワードはなしで、あなたの知りたいことを検索していただければ、おおかた「A列車」の話として書いてある記事が出てくるでしょう。(※恐縮です。)
・(4月17日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230417/k10014040781000.html
> 三井化学は4月、化学素材の新たな用途を見つけ出す業務にChatGPTを実用検証の形で導入しました。新規用途の探索は社会の困りごとの解決など柔軟な発想力が求められることから、この会社ではIBMのAI「Watson(ワトソン)」を2022年から導入し、100以上の新規用途を発見した成果をあげています。
> 例えばSNSのデータをAIが分析し、「ある地方電鉄の車中で、カビ臭い」という投稿が多いことを見つけ出し、電車内の防カビ製品の販売につなげたということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230417/K10014040781_2304171048_0417111557_01_03.jpg
> 事業部門の担当者がAIの操作に慣れていなくても、ChatGPTであれば、対話式で簡単に探索の指示ができることが利点で、その結果のスピードの速さも貢献度が高いとしています。
「SNSのデータ」の数に物を言わせるタイプ(※言いかた)の分析では浅い。実は『AI』(ワトソンでもいい)が的確なものを候補に出しているのに、人間の側が先入観や無知ゆえに「それはないな」もっといえば読みもしないで読み飛ばす(※トートロジー)ということが(ワトソンだけのときからも)多発しているんですよ。「見えざるキーワード」([3313],[3542],[3640],[3796])は、見えないままなんですよ。(※力説)
・[3843]
> > パソコンがあれば大抵の情報が手に入る時代に本当に自分に必要な情報を手に入れるためにはキーワードの選択はもちろん、検索戦略などの事前の準備をしっかりすることが大切であることが分かりました。検索の軸が「検索テーマ」ではなくその「情報の使用目的」であるという点は目からうろこでした。
> そこまでわかっていない人がいるということをわかっていませんでした。じぶんができることはたにんはできない。だから仕事になる。人に頼んだり任せたりすることも重要です。なんでもじぶんでやろうとすると、じぶんができる程度にしかできない。
・[3689]
> 参照は飾りではありません。参照しないと話がつながりません。このページを1ページだけ読んで…それでは読んだことにならないということを先に理解してください。
新着記事だけを見ていく方もおられますが、どうも見出しやリード(アブストラクト)に「A列車」と書いてあるものだけを見ていく感じがあります。それはいけません。「A列車」の気配のない記事にこっそり書いてある「A列車」の話をぜんぶ見落としてしまいますぞ。んだんだ。(※見解です。)
そもそも、ホットな話題は避け、わざと時期をずらす「このフォーラム」でありますから、「このフォーラム」の新着記事をチェックしていればホットな話題にキャッチアップできるー(※語尾上げ)みたいな勘違いをするほうがおかしいというものです。ある種「浮世離れ!」した場。それが「このフォーラム」というものです。そういうのがインターネットに1つくらいあったっていいじゃないですか。(棒読み)
・[3559]
> インタビューや対談の記事をいかにもそれらしくみせるノウハウ([3302])
「このフォーラム」は、1人でぜんぶ書くという運用に移行しています。投稿は受け付けていません。それでも「フォーラム」と名乗る。インタビューや対談の記事をいかにもそれらしくみせるノウハウ([3302])の応用です。まるで「フォーラム」に多数の参加者がいて、会話しながら話題が進んでいく…やのような! この「やのような」という文章を書くテクニックです。(※音声を変えています。)
・[4775]
> 雑誌に載っている対談の、あんな会話が生でリアルタイムで飛び出すわけがないという完成度よ。(※詠嘆)文章をしっかり練り上げるという仕事の重要さは、時代が変わってもいささかも変わりません。
> > もっと編集で遊ぼうぜ!
> > もっと編集で遊ぼうぜ!
> …お、おぅ!(※ぷるぷる)70年代に活躍したひとに比べれば、わたしたちはなんと弱々しいことよ。
・[4088]
> 本文中に日付を明示しない場合もありますが、最終更新日時をページ最上部に表示するよう改修しましたので、こちらもあわせてご利用ください。記事の掲載日(初出の日時)より新しいリンク先(ニュースやツイッターなど)にリンクしている箇所は、そのニュースやツイッターを見たときに追記したものです。
> 記事は、掲載からおよそ1か月の間はいくらでも追記を続けることとしています。(※「月刊誌を公開編集している感じ」!)長くなった記事は分割する場合があります。ご了承ください。
新着記事を、初出時に1回だけ見たきり「これは既読だから」といった感じに2度と開かない人もおられますが、それもまたいけません。「このフォーラム」に『既読の概念!』を持ち込まないでください。記事はどんどん更新していきますし、大幅に編集して別物のようになることすらあります。むしろ「更新という概念」を持たない、載せたら載せたきりという最近のウェブのほうが、とんでもないもののように感じます。下請けの者が締め切りに間に合わせただけのコンテンツに見るものはありません。コンテンツの作り手としては、じぶんの責任で、納得いくまで編集を重ねるべきです。(※見解です。)
https://twitter.com/hakase15C/status/1322741050683711489
> 形態素解析が出てくるアニメは名作
https://twitter.com/Cryolite/status/1353243187880419328
> まともに観ても聞いてもいなかった2020年冬の某アニメから突然流れてきた「自然言語処理」「形態素解析」というキーワードに思わず反応して作業の手を止めてしまった.
・[4358]
> おそるべし人類の超発明「形態素解析」。
・(2023年3月26日放送)
https://twitter.com/nhk_scf/status/1639930192402448385
> 今夜10時からのNHK-FM「サウンドクリエイターズ・ファイル」
> 「デモテープ・ファイル」では、****さんに提供した曲のデモ音源と(以下略)
デモ音源と完成版の比較。「わあぃ…(てんてんてん)」みたいにため息が出るほど「別物」に。(※個人の感想です。)
ほとんどの記事は初出時はあらすじだけみたいな状態で、掲載後に1か月(以上)かけて『熟成!』していきます。いわゆる「過去ログ」(20記事ごとの「#」番号付きのページ)に『落ち!』てからお読みいただければじゅうぶんです。「月刊誌を公開編集している感じ」をぜんぶ追いかけながら読もうというのは、過大なご負担をおかけしてしまうと思います。
・[4404]
> > 展示用パネル.indd
・[3670]
> この記事はちょっと口語的ではありますけれど、通常の会話ではありえないほどの詳細さや長さを備えているわけでございます。この記事を読むとき、口語体ではあっても油断は禁物ですぞ。ものすごく複雑なことをぜんぶ言葉で書いてあったりするんですよ。これだね。1文単位や段落単位で「キャッチボール!」するようなものではなくて、すごく長いですけど記事全体でやっと、1回の投球みたいなものになっているんですよ。
> 「恐縮です」「本当でしょうか」「個人の感想です」「あくまで推察です」「遊びかたは無数にあります」「写真はイメージです」などと(略)
「このフォーラム」にはいろいろな定型の表現があるけれど、昭和時代のダジャレみたいなのより「本当でしょうか」の繰り返しに気づくとは、おぬしスジがよろしいですな。(※恐縮です。)
・[3873]
> ハードルをあげてくる過去のじぶん。
新着記事を初出日にいち早く読んでも無駄とも気づかずばーっと読んで、何か目立つ1文だけを見て「たいしたこと書いてないな」といって2度と開かないというのは大損でございますが、かようにして大損すべき者が大損するべくして大損するようにしてあるといえばいい過ぎでしょうか。(※反語)落語にも、そういう「正直者には褒美を」「強欲者には戒めを」みたいな噺がありませんか&そもそも古今東西いろいろな物語にそういう構図がありませんか。(棒読み)
・[4657]
> 「なになにについてはなになにを参照」という文を「読まなくていい」といって読み飛ばすようでは、それまでである。
「なになにについてはなになにを参照」をクリックする人が皆無である。実に、皆無である。(※嘆くほうの詠嘆)面倒だからクリックしないのかなと思っていたんですが、どうも「参照」という言葉の意味を知らないという説が浮上してきたんです。まさかと思いましたよ。(※音声を変えています。)
そもそも興味を持ったから読むのでしょうに、なるべく読まないで済ませたいという矛盾した態度がいけ好かない。(※個人の感想です。)
・[4342]
> 大掃除で出てきた古新聞を読みふける
・[3571]
> クリスピーなきつねはいかがでしょうか。古新聞、古雑誌、コーヒーは淹れたてをお座席までお持ちします。クリスピーなきつねはいかがでしょうか。(※売り子を呼び止める者あり。)500円から…120円のお返しになります。ふるすぴーなきつねはいかがでしょうか。…いま聞いたことをありのままに(略)いいかい、売り子さんが言い間違えるはずがないんだ。きっとゼッタイ、こちらの聞き間違いなんだよ。うん。
・[3480]
> 『今後のさんしょうにしてください』とかいっちゃうひと、いますよねぇ。
> 「参照文献」をおかしく思わない人の思考過程をいま明らかにしてごらんにいれましょう
> 辞書を引いておきながら「どちらでもいい」と結論なさる思考過程が見られます。「参照」の語釈に「参考」が含まれているから、「参照」は「参考」の『上位互換!』だというような理解をなさっているのでしょう。これ、ある程度までは辞書のほうがいけないと思いました&そっちですかっ!
・[4948]
> 「参照」という言葉の意味がわからない人のほかに、このフォーラムで多用する「※見解です」という注の意味を間違えて受け取っている人がいませんか。「見解です」は「個人的な(勝手な)意見です」という意味ではありません。談話調のくだけた文体で書いていますけれど、ここに書いたことは大まじめで、諸事情により必ずしも的確な根拠をずばり挙げてというところまではできないけれども、根拠なく述べているわけではないので、それなりの重みで受け取ってくださいね、といったことを「※見解です」という注を付して述べています。
・[4601]
> > 紙の「鈍器」
> > 8000ページ官報にのけぞる
・[3867]
> 21世紀はOAの時代である。小平邦彦([3843])いわく、新幹線は30本で山手線は30階建て、そして新聞は500ページである。
・[3879]
> いつかきたみち。はるかなるリサイクル。OAの時代に古紙を回収して白すぎる再生紙をつくろう。
・[4798]
> 回収した古紙をン%使ってると言ってた「再生紙」が白すぎるのでおかしいと調べたら『古紙0(ゼロ)使用!』であったという事件があったのだった。
・[3521]
> 本書では,72件の分析事例が800ページにわたって紹介されているわけで,それを一言二言で理解しようなんて土台無理な話である.
・[3759]
> このフォーラム、記事が長い(※件数も多いけれど)というだけで「メガ盛り」だと思われて(じぶんには関係ないみたいな感じに)盗塁…じゃなくて、敬遠されてる気がする。
・[4972]
> このフォーラムは「語りかけ口調でライブ感」だけど、内容はがっちがちに書き言葉なので、あくまで文章として、英語や古文の宿題をやるつもりで読まないと、読めるわけがありません。
・[3759]
> このフォーラムでは「一言二言」で済まない話題を好んで取り上げています。それをわからないまま「このフォーラム」のどれか1つの記事の1文だけ読んで即座に140字未満で「一言二言」何か言うなんてとんでも…いえ、せっかく時間を使いながらもったいないことをしている(割に合わない)のだとわかってください。いちいち「一言二言」言おうとせんでよろしい! 黙ってたくさん読んでください。
インターネットより前から(1999年より前から)大量の文章を書いてきた人間ですから&こういうときだけ「人間」という。
・[4788]
> HTMLを暗記して「メモ帳」の類で『手打ち!』するときだって、じぶんの頭の中のレンダリングエンジンでレンダリングしてからHTMLをマークアップするんですよね。…出ました「マークアップ」最近でも「マークアップ」と言うのかな。(違)インターネットを使うより前(※高くて使えなかった)にブラウザだけPCに入ってきて、雑誌を見ながらHTMLを入力して何かつくってオフラインで遊んでいた。いわゆるホームページをつくる前からHTMLで何かつくるという遊びがあった。そこから数えると、すでに“四半世紀”たっぷりHTMLを『手打ち!』していることになる。ゾッとするね。(※恐縮です。)
・[4803]
> 業務上の必要があって就業時間内に職場でひたすら辞書を引く“人種”
> こういうことを「人種」というのは古い表現です。いまは使わない。大昔に使ったときも、この言葉はじぶんのことについて言った。
・[4592]
> 『1990年代のゲーム雑誌か大学生のレポート』:書いてるのは同じ“人種”だよね。アルバイトのね。…ギクッ。そういう時代にはそういうことを「人種」と言った。いまは言わない。
・「うさぎ小屋」(1979年)
https://ejje.weblio.jp/content/%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E%E5%B0%8F%E5%B1%8B
> (used in 1979 EC report) small Japanese houses; cramped Japanese housing
・[4375]
> 「used in 1979 EC report」ですぜ。ECって何とか聞かないでください。いま、この言葉でいうとウサギに失礼だと思うけれど、1979年に「うさぎ小屋」と言われた事実を忘れていいとは考えませんし、状況は変わっていないとも思うので1979年の意味で「うさぎ小屋」と書きます。あしからず。
・[4803]
> 人間も動物の一種やね、といった言いかたが「人種」という言葉で何かを言っていた時代の空気(「昭和60年代を迎えた」という「高度知識社会の入口に立った」感)であり、そこには「理系ちっくで合理的で客観的なオイラ」みたいな気分がなかったといえばうそになる。じぶんの年齢にかかわらず、昭和で数えて何年というのが、一種の「社会の年齢」のようなイメージであった。だから「平成元年」になると、ばかみたいに踊り狂って飲んで歌って、赤ちゃんに戻ってしまった。…うわぁ大酒飲みのでっかい赤ちゃん!(棒読み)
そのような平成時代というものに対して、不肖ワタクシ、冷淡であります。(※じぶんでいうか)
・[3661]
> …ででじじなんなっ。
・[3822]
> 読売新聞とか「メーンスタジアム」「メーンバンク」って書いてあるでしょ。
> 「昭和時代」といって、あなたは「清貧さ」「白さ」「精神的な豊かさのようなもの」を想起するかもしれないけれど、そうじゃない、「ダサい昭和時代」「雨上がりの道路で泥が跳ねる」「残飯や石けんのにおいが漂う」をイメージしてください、の意。石けんのにおいって、わかりますか。クレヨンみたいな油っぽいやつですよ。
不肖ワタクシ、昭和時代というものを懐かしむ態度は取らないのであります。
・NHK名古屋「モーニングの謎 老舗喫茶のマスターに聞いた!」(4月21日)
https://www.nhk.or.jp/nagoya/lreport/article/000/34/
https://www.nhk.or.jp/nagoya/lreport/article/000/34/img/4f27309a-3781-448f-89a3-1dc7bf654abf.jpg
> 今回の調査結果はこちら!
> 「昭和30年頃、喫茶店ブームのなか生まれたモーニングサービスが広がり、そのまま根づいたから」
> 「一宮は繊維業の繁栄で増え、喫茶店を開く人も多かったから」
なにこの名古屋放送局の新人研修みたいなレポート。(※真顔)
・[3585]
> 「一日中モーニングサービス付」([3388])と書かれた看板に引き寄せられ(略)
> …やってきました名駅通(中略)「フルタイム モーニング喫茶 リヨン」は実在したっ
> > 愛知県学校給食パン米飯協会
> いまのわたしたち、すっかり忘れていますけど、学校給食としてはパンが先で米飯が後、現在でも何かあればパンだけは必ず届くと、このような理解にございます。
> > フジパン
> > 松川屋
> > 名古屋学校給食炊飯協同組合
> > カメリヤ
> 名古屋と尾張と三河で部会が分かれているのは、川を渡れなくなってもパンの製造が続けられると、川を渡っての配送は前提としていないのだと、たぶんこういうわけです。実はすごいんですよ。製パン業。
伊勢湾台風で一時的に食糧の流通がストップしたときに、終戦直後の食糧難のトラウマに襲われたんですよ。『もはや戦後(以下略)』なのに食糧がない(届かない)状況が現出するもんだというのが思ってもみなかったことであって、これは絶対に防がないといけないといって食べきれないほどの食糧を流通させまくるというパニック的な社会になったんですよ。これが愛知なんですよ。同じものは5個ずつ買う。物置や押し入れにも食べものの備蓄がいっぱい。本当でしょうか。インスタントラーメンと灯油を同じ場所で保管しないでください。(※愛知限定情報)
> 「業務用卸パン」というのは、学校や工場の「購買部!」みたいなところで売る惣菜パンをつくる業者が買うパンです。
> 飲食店でそのままお出しするパン(ロールパンとバターロール)というのが(組合の凡例でいう)「レストラン」
> 学校給食法の施行より4年も前から完全給食ですよ。きっとモデル事業みたいなのだよね
> 台風による学校給食の休止を踏まえての愛知県パン協同組合「名古屋部会」「尾張部会」「三河部会」なんですよ。…たぶん
> 昭和25年は1950年です。この時点で、名古屋市内の全小学校で(安全に、大量の)パンを出すために、和菓子屋にも製パン業を始めさせた(=そのような「環境づくり」がなされた?)というようなですね(中略)トーストと小倉あんの(略)どーん!!(※説明が面倒になって「どーん!」としか言わなくなる人みたいなのを演じています!)
> > 「パンパパーン! ヤッホー、朝ですよ〜、おきてくださ〜い」
> > 「パンパパーン! ヤッホー、朝ですよ〜、おきてくださ〜い」
> 名古屋市のありさまを見て横浜市きゅうきょ給食工場(※パンと米飯)の建設をストップさせたとか、そのあおりを受け市立中学校の給食が見送られたというようなタイムラインはなかったでしょうか。本当でしょうか。
・[3601]
> 横浜市の中学校([3585])って、たいへんですねぇ。
・[4604]
> > 横浜市も戦後の人口急増に合わせ、郊外住宅地を中心に学校や市営住宅、道路や公園、上下水道などが一斉に造られた。
> オイルショックを受けて途中で計画を凍結したようなところがなかったか。そのために(そのとき)造れなかったものを未練がましく(人口当たりの数を指標にして他の政令市と比べて少ないということだけを言いながら)後から造ってきたということがなかったか。
昭和時代というものは淡々と時を刻んだのではなく、大きな「ショック」(※経済学用語)のたびに世の中ががらっと変わるということが何度かあって、できているのですよ。「昭和30年頃」と括ってはいけない。1972年にオイルショック。そこにまったく言及しないのはとんでもない。繊維産業を「衰退」と感じたのは、工場をクビになった余剰人員の側に置かれた人から見た言いかたである。実際に起きたこととは違う。実際には研究開発型になったり、自動車産業に組み込まれていったりしたのである。そこで、まあ、繊維工場で帳簿をつけていた人なら喫茶店くらいできるでしょということと、同じくオイルショックで、工場や学校の昼飯時にパンを大量に納めるというあてが外れたパン工場から余剰の食パンは格安で融通してやるとかなんとか話をつけてもらって面倒を見てもらいながら繊維工場を退職して「脱サラ」の「喫茶店はじめちゃいました」するんである。なんである。たぶん。(※すべて伝聞&推測)
・[5002]
> 電車で通勤・通学してパンを食べる。その時代その時代の庶民の暮らしを正確に知る必要がある。
・[4947]
> むき出しのパンだけ積み上げてあって「さあ食べろ」
・(再掲)
https://www.enjoytokyo.jp/style/109776/
> 驚くべきは数十円から購入できるパンのお値段!さすがは工場直売。流通コストがかからない分、とっても良心的なお値段で販売されているわ。
> 驚くべきは(略)
> 驚くべきは(略)
・[3768]
> よくいうよ。
> ここでいう「流通コスト」:輸送ということじゃなくて、商品に名前をつけるとか名前を印刷した袋に入れるとか消費期限を明日以降まで延ばすために何か添加するとか日付を印字するとか、そういうことをぜんぶ省いてむき出しのパンだけがそこにある、の意。
> 地下鉄成増で詰め放題(おひとりさま1日1回)。…地下鉄成増で詰め放題(おひとりさま1日1回)なぜに「おひとりさま」「おひとりさま」って2回いうし!!
・[3917]
> > サンド用食パン 1山
> いくらでもあるからどんどん食べておくんなまし案件とお見受けしますぞ!
・[4516]
> パンやぎょうざや麺類などの「直売所」と名乗る店舗があるという下町っぽさ。
・[3757]
> …どうです? すごくファンシーで平成元年でしょう@しつれいしました。おっと、「すごく」とか言っちゃうと叱られるのが平成元年だっぜ。
> 平成元年に何か活躍してる人はもれなく昭和時代の人だかんね。
・[4879]
> 別の言いかたを探すなら、いまでいう「白物家電」が「白という色」に変わっていった時期が、昭和60年から平成の初年である。昭和50年代の終わりという時期から見ての「来たる昭和60年」という年は、コンピューターやクリーンルームのイメージで、すごくハイテクとか、清新とか、清廉とか、あるいはエコロジーだとか、無駄な飾りはなくして白いとかっこいいとか、そのあとチャコールグレーが流行るんだとか、アルファベットで書こうとか、西暦で書こうとか、プラスアルファで学術的だとか(違)、そういうことなんです。
「昭和60年代」というものが途中で打ち切りになったのを再開したいな、といったプラスアルファな気分であります。またの名をアカデミックといいます。本当でしょうか。
・[4803]
> 「人種」という言いかたでじぶんらのことを言うとき、「なになにアニマル」というニュアンスを帯びていた。じぶんでも嫌になるくらい単調なことを延々とやっているのよ(われながらようやるわ)といった嘆息(といっても嘆いているわけではなく誇りに思っている)を含んでいた。
基本的に、人のことをどうこう言わず、じぶんのことを言い、じぶんと同じ“人種”のことをじぶんのことのように言うというのが基本線である。何も考えずに会議を毎週やる「なになにアニマル」という言いかたである。(※トートロジー)
・[4743]
> 専門学校と大学のどちらでもよいが、卒業制作や卒業論文を仕上げて合格して初めて、何かを世に出す資格が得られるのだ。
> (そのような意味で)何の勉強もしていない“素”の状態の「わたしたち」ができるのはテキストをつらつらとつづることぐらい
> 「テキストをつらつらとつづること」だけは義務教育だけでばっちりという建前
> そうじゃないと役場への届け出も新聞への投書もできない。この場合の「つらつら」とは、じぶんのことをじぶんで述べて何かをせつせつと訴え出るということであって、他者が書いたテキストについて何かいうという資格は、やはり卒業制作や卒業論文を仕上げて合格して初めて得られるものだ。
じぶんのことではなく人のことをああだのこうだのという文章は、卒論や卒業制作が合格してからにしなさいということです。(※なかば命令形)
・(再掲)
https://arx.neorail.jp/issue/?%E8%A6%81%E6%9C%9B%E3%81%A8%E3%81%AF
> 自分が知っていることだけを見ていくっぽい人(知らない言葉が書いてあるリンクは絶対にクリックしないっぽい人)、簡単な言葉しか書いてないリンクはクリックしないで飛ばしてしまうっぽい人(リンク先には簡単なことしか書いてないっぽいと読みもせずに思いこむっぽい人)、いわゆるゲーム用語や掲示板やWikiや動画投稿サイトで見慣れた言葉が出てこないからというだけで無視してよいページだと誤解して何も開かずに帰ってしまうぽいっ人などが観察されてきています。
・[3744]
> こんな形式の表、見たことないよ!(×っかじゃないの!? …×っかじゃないの!?)みたいに言わないでください。
・[4950]
> 「見たことない」というだけで「×っかじゃないの!?」と、モノホンの子どもには言われてしまうと覚悟の上ではある。
・[4477]
> ちょっと勉強して簡単に博識になれるインターネットとウィキペディアとYouTubeの時代に「(じぶんは)浅学で」とか「(あなたは)博識な」という謙譲(へりくだり)の表現はやめましょうという提案です。コンテンツは全力でつくれ。
・[4960]
> 知らなかったことはその場で知ればいいので、「知らなかった」とふてくされたり、やつあたりしてはならない。何かを知っているということは実に何でもないことであるのに、「知らなかった」とふてくされることのほうが、何かを知っているというだけのことを過大評価して、勝手に委縮する態度であるともいえる。
「いわゆるゲーム用語や掲示板やWikiや動画投稿サイトで見慣れた言葉」つまり、じぶんが知ってる『ふつう』の用語とは異なる用語で書いてあるものは「読んではいけない」といわんばかりに大慌てでブラウザを閉じて立ち去ってゆかれる(気配がある)。リテラシーが未熟なうちは、じぶんの身を守る手段としてそれが正しくもあるので、しかたないことではあった。長閑な時代であった。(※遠い目)
・[4565]
> 「色の扱いかたを勉強しよう」という抽象的なことをいったときに「具体的にあげてほしい」としかいわないひとよ。そんなあなたにだれがした。
> 1つ1つのナニという色がいけないという話ではありません。色の扱いかたを勉強しよう&勉強する機会は特別なものや高価なものではなく普通にいくらでもあるよ、ということです。
・[3942]
> > 状況全体を考慮し、オープンマインドで複数の選択肢を探す「探究心」
> > ある情報に接した場合、人は証拠や論理的正しさよりも、自らの価値観に合致するかどうかでその正否を判断してしまいがちだ。その際に必要になるのが批判的思考であり、それは合理的で偏りのない思考である。自分の推論の妥当性を吟味する省察的な思考ともいえる。
> このフォーラムに何が書いてあってもこの場限りの雑談ではあるけれど、そんな程度のものすらどん欲に活用できてこそデキる××というものだ。
・[4972]
> この「量」について来るには未熟な、読むのが遅いひとを門前払いするための技術的なしかけである。5年でも10年でも経ってから(大きくなってから)読めるようになってから読んでいただければじゅうぶんです。実際に「ATOS」に関するほうのコンテンツは15年くらい経ってから読んで、やっとわかってくるという面があります。
せめて「読むのが遅いひとを門前払いするための技術的なしかけ」というマイルドな言いかた(※言いかた)をすれば「教育的な配慮」という印象になる。○か×か。(※真顔)「ATOS」というか「発車メロディー」などに関する記事では、2016年に書いたものが2023年になって突如、読まれるというタイムラグがあります。あなたは「7年遅れで!」で当該の記事を読んでいるということを自覚しておられるか。いまのいままで読まないでいて、なぜいきなり読むんですかね。ぜんぜんわからない。(※反語)
・[4480]
> 「ぜんぜんわからない」と書きながら、すでにあれこれ思うことをぜんぶ言っている、という芸風。
※そのときは運賃が「小人」で(げふ)コロナ禍で電車にほとんど乗らず、いまになって電車にいろいろ乗り始めて、急にいろいろおもしろくなったってことなんですかね。…ぜんぜんわからない!(※白目)
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