フォーラム - neorail.jp R16

「A列車 色がおかしい」を越えて進もう


2021年4月の話題
更新:2021/11/3

[4516]

【いま問うA9のココロ】

乗りものニュース「運搬ルート」を斬る(談)


(約28000字)

 ゲームの話題だからといって、用字・用語が甘いのはいけませんぜ、という話題です。ゲームの話題は子どもの目によく入りますから、なるべく正しい用字・用語であってほしい。文体だけ丁寧でも、だめなんです。

[3764]
 > 文章の節々に繊細な遅疑逡巡の跡が認められない限りはデフォルトでは横柄で未熟な書き手だとみなされる、の意。まず、文章が短いというだけでアウトですぞ。な・・・なんだってー!!(棒読み)「短い文章=イコール=話がうまい(≒読むのが楽)」みたいな思い込みがあるでしょ。しかも「長い文章=イコール=話が下手!(≒退屈&苦痛)」みたいに単純に反転させた論理回路みたいな考えをしているんでしょ。…そうじゃないでしょ! 短いということは圧倒的に情報量が乏しいということである。何も言っていないも同然の文章(あるいは理由や背景の説明がないまま固有名詞だけ繰り返し絶叫するような文章)を読んで何になる。…デスヨネ〜。(※見解です。)

 「文章の節々に繊細な遅疑逡巡の跡」に傍点。いいですか。「文章の節々に繊細な遅疑逡巡の跡」に傍点してください。できましたか。傍点って、なんですか。ここで「傍点って、なんですか」とわざと問いかけて「傍点」という語にフォーカスさせると、もう「遅疑逡巡」のほうは不問にされる。「遅疑逡巡」のほうがよほどなじみがないだろうに、いま目先で問われた「傍点」に“全集中!”してしまう。人気の和柄でお包みして&それはもう古いって? えー…(てんてんてん)。

[4172]
 > 「あれもだめ、これもだめって、うるさいなー、じゃあ、これはいいの?(半笑い)」みたいな態度が大人になってから直るわけがないので、最初から絶対にそんな態度をさせてはいけない。

[3772]
 > > 「大半の都道府県で制定されている『青少年保護育成条例』では、ゲームセンターなどへの夜間立入を制限しているところもあります。また、東京都では、深夜の午後11時以降における18歳未満の子どもの外出を制限しています。神奈川県でも、子どもとの深夜同伴外出を控えるよう、大人に努力義務が課せられています」

 > > 「すぐに児童相談所に連絡してください」

 > 大人には様々な努力義務が課せられている。

[4397]
 > 新発売のゲームソフトがあくどいものではないかについて主体的に見極める責務が大人には発生してくる。明文化されて課されていなくても当然の責務である。

[3704]
 > 本件ゲームを満喫しておられるしょくんが健全なかたち(?)で「卒業」していくのを見守る責任が大人にはあると思いました。だからこそゲームの話題をしていても自然なかたち(?)で「別のもの」というか、ゲームじゃない現実の鉄道が持つ(無限とも思える)豊かなシーナリー(情景)や、そこから受ける味わい深い印象などについて述べ…『述べ』! 見たものや感じたことをことばにするちからが培われるよう促す立場にあると思っています。本件ゲームのように、ゲーム内に「語り」(ナレーションや説明や指示)がないゲームでは、それをぜんぶプレーヤーがじぶんでする必要があるんですよ。漫然と操作していればなんとなく遊べるというものではないんですよ。本件ゲームを思う存分「楽しんだ!」と実感できるかどうかは、じぶんの見たものや感じたことをことばにするちからに依存しているんですよ。(※見解です。)

・(再掲)「他人の授業を見る絶対量が足りない」とする個人の見解です(2014年6月23日)
 https://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=ai_school&frame=column30_15

 > 教師は若いうちにより多くの授業を見ておくとよいが、それがまったくできていないということだ。

 > 「若い者(弟子)が落語を聴いていて、名人と言われる落語家の芸は凄い!とは感じますが、その理由を分析する力は当然ありません。ところが、なぜこの落語家の噺は面白くないのか、なぜお客が離れていくのかは、若いうちでも分かるのです。良いことより、悪いことの方が分かりやすいのです。授業でも同じではありませんか」

[3674]
 > ふだんから話のつじつまをよくよく考えることが習慣化される職業でないと「悪いことの方が分かりやすい」という「悪いこと」すらも見分けがつかない(なんとも思わない)ということがないでしょうか。(※見解です。)

 > 「なぜこの落語家の噺は面白くないのか」ということではなく「(じぶんが)面白くなかった」という認識だけを持ち、「これではお客が離れていくのはしかたない」などと&「これ」って何よ。「なぜ」を自力で言語化するには至らないということです。

[3764]
 > 「ゲーム=イコール=勝ち負けと呼ばれる勝敗を決して勝ち誇るもの!」という思い込みも強い。(シングルプレイの)ゲームに“勝つ”とは「ルールの中で最大の成功を収める!」(いわゆる絶対評価)ということであるけれど、(競争する)ほかのプレーヤーを“負かす”ことだけを「勝つこと」だと思い込む者も少なくないだろう。相手を負かしさえすればじぶんの勝ちであるとする態度(いわゆる相対評価)のなんと幼稚で脆弱なことよ。そんな勝ちは勝ちのうちに入らない。(棒読み)

 > ゲームのことになると「見たものや感じたことをことばにするちから」が発揮されなくなるとか、そもそもそういう場面で使うことばを獲得してきていないとかいうことが、大人でもあるんです。大人だから何でも(人並みに)できるなんて思っちゃいけない。んだんだ。(※見解です。)

 ゲームの話題については、いわゆるゲーム攻略本やニュースサイトそれにウィキに現に書かれた文章が(子どもにとって)絶対のお手本になってしまうので、いわば源流で(せめて出版業界の慣行に沿った媒体が率先して)正しい用字・用語を徹底することが重要なのと、その効果が絶大だということを指摘しておきませうといいました。インターネットで無料でだれでも読める状態で文章を公開することの、ただちに社会性と公共性を帯びることへの自覚といいましょうか。文体や表現の演出を凝ることと、用字・用語が正しいということは独立のことなのです。ところが、用字・用語がきわめていい加減、法令の理解もしていないような記事の、文体だけが丁寧だと、信用度が高いと誤認されてしまう。いい加減な媒体なのに、不当に評判を得てしまう。これまでの出版業界での蓄積のある媒体が、単に古臭い媒体だと思われてしまう。内容が新しいというだけで、いい加減な媒体が幅を利かせる。これをやめようという提起でした。▼「「所持している人」と書いて出稿するとそのまま載る」については[4122]で先述していますので、あわせてご利用ください。

[4449]
 > 「じゃないでしょうか」ではなく断言してほしいのと、その根拠を外部のソースに求めてほしい。メーカーが公式に言ってるとか、インプレスやファミ通などのサイトに書いてあるというのを、ほんのひと手間かけて検索で見つけて、ちゃんとURLを書いて、リンクしてほしい。これはなにごとにも通用する基本だから、ぜひ身につけてほしい。このとき、本件ゲームがPCゲーム、特にWindowsであることに鑑み、情報源としてインプレスを筆頭にするのは当然である。いくらメーカーとタイアップしていても「乗り物ニュース」の類はアウトである。○か×か。

 媒体名をわざと誤記しておく。いえいえいえ、“素”で間違えてましたよ。

[4403]
 > > 私が小論文指導に携わっている受験生の多くが、小論文の内容うんぬん以前の問題として、そもそも「正しい文章が書けない」という壁にぶち当たっているからです。

 > かなり厳しいものがある。さらに方言という事情が重なる場合すらある。東京で考えるよりはるかに深刻だと思っておく。おおかたの者は、小論文の『型』を覚えて小論文が書けるようになるだけで終わりである。応用が利かない。同じように、ゲームの話題については動画配信やゲーム内のセリフなどをそのまま覚えて“再生”するような発話や文章しか出てこないことになりがちである。ゲーム雑誌すら、すでに廃れた部類に入るから、ゲーム雑誌と同じような文章を書くというのもなかなか育ってこない。しかし、悲観はしていない。▼『雑誌のような文体』については[3582]を参照。

 なお、子どもにとっては、何か追加の苦労や我慢を強いるということにはならず、むしろ楽して国語力を伸ばせるチャンスがむこうからやってくると思っていただけばよい。そして、この話題は大人としてのわたしたちが何をなすべきかを自問自答するもので、▼大人同士としても、他者に何かさせようというのでなくじぶんがどうするかということ、ましてや▼個々の子どもに対して何か言おうというものではないことに注意のこと。

[3521]
 > 本書では,72件の分析事例が800ページにわたって紹介されているわけで,それを一言二言で理解しようなんて土台無理な話である.

[4382]
 > 一言で言えないことを一言で言ってはいけない。二言はない。

 たいていのものは、読むだけでいいようにするものである。読むだけでいいのに、無理に一言二言で何か言おうとするとか、そこで何も言わないことがいけないことだというような風潮にはまったく感心しない。

[3701]
 > > 早送りをしてゲーム内の24時間を34分で経過させることもできた。
 > > 時間経過を速くすることで学習のペースも速くなり,現実よりも多くの課題が見えてくる。

 > > これはデジタルゲーム学習のすばらしいモデルだ。

 > 2009年4月に翻訳が刊行された本書を本件ゲームのディレクターが「A9V1」への着手前に読んだかどうかは不明ですが、読んでいたとしてもおかしくないし、読んでいてほしいなぁという気持ちがしてきます。あるいは、読んだからこそ『通常(時間拡張450倍)』に固執したということかもしれず…うーん。せっかく読んだのにそういう態度になってしまうのは困るなぁという気持ちも同時に強まってまいります。本を読むのはむずかしいのですよ。

[4130]
 > > 論評を避けないで

 > 出ました『論評を避けないで』。その逆「論評を避けた」「論評は避ける」という慣用句があるせいで、何も考えないうちに「論評するのは『いけないこと』」という感覚が植え付けられてしまう。それではいけないという主張をするのが『論評を避けないで』なのだ。これ自体がちょっとした論評である。○か×か。

[3009]
 > 最近は民事訴訟で損害賠償を請求しながらも「お金が目的ではない」といって、最終的には和解する例もあるように、「迷惑施設の対価」、いわゆる「迷惑料」としての便益を自分が受けることをよしとしない人も増えているとみられます。冷静に見れば言行不一致ともいえ、矛盾する「常識」(慣用句で規定される思考や言動の方向性)、例えば「何でもお金で解決するのはよくない=お金より大事なものがある=プライスレス」と「泣き寝入りはよくない=見て見ぬふりはよくない」を同時にパース(解釈)しようとしてフリーズしたかのように見受けられます。「善は急げ」「いざ鎌倉」のように、「常識」が、何がしかの行動を促すベクトルを持っていればまだよいものの、「何かをするのはよくない」という否定だけであると、では何をしたらよいのか、を自分で考えなくてはいけないのです。それをきちんとできる人は、そう多くはないのではないでしょうか。

 いわばゲームの話題に関する慣用句の発信源や流通経路となるのが、ゲームに関わる媒体やサイトである。何をどう書いても、それを真似して書いていくという連鎖が起きてきて、慣用句になっていってしまう。それならゲームの振興に貢献するような慣用句、前向きでアクティブな慣用句を量産していきたいものだと思う。

[3803]
 > > アメリカの多くの大学には(略)作家を養成するための制度が存在する。
 > > 大学で勉強して作家になる、という考え方に驚かれる方もいるかもしれない。

 > 確実に時代が変わる。少なくともそういう“外圧”が「EQF」や「CEFR」という形ですでにある。これに準じたことをしていけるのか、ぜんぜんできなくてすっかりつぶれるのか、どちらかである。ここで「CEFR」というものをオリジナルのままでしか認識できない、すなわち日本から英語圏へ労働者を送り出す目的で「CEFR」そのものを導入することしか考えられないようでは、もはや「わが国」というアイデンティティーはなくなったも同然だと思わないといけない。日本で難しい仕事を日本語でするための日本語力を定義する「日本語CEFR」みたいなものを作るべきなのである。いままで国語(日本語)の試験が簡単すぎたのがいけなかったのである

・「理科系の作文技術」(1981年9月22日)
 https://www.chuko.co.jp/shinsho/1981/09/100624.html
 https://www.chuko.co.jp/book/100624.jpg

 小学生のときからゲームをたくさんプレーしたのでじぶんはゲーム関係のライターになれますぅ? とんでもない。内容がゲームだろうとゲームでなかろうと、ライターには大卒が必須だ。内容がぜんぜん違っても、卒論が合格したというのが原稿料を支払うための絶対の条件だ。これは原稿料を払う側になったつもりで考えればよくわかるはずだ。二言はない。(※表現は演出です。)

[4008]
 > 作文は「技術」なんですぜ。「文才がない」みたいなことを言ってはいけない。技術の習得を怠ったということにほかならないんです。(※あなたがすでに18歳くらいの場合。それより若いなら、これからですぞ!)

 作曲というのも本当に「技術」だなぁと、勉強したらよくわかりました。演奏の技能は訓練の成果だし、どこにも「才能」という言葉で指すようなものはなかった。だれもかれもが作家や作曲家を「才能」と呼んでいた時代があった。長閑な時代であった。(※嫌味)

・乗りものニュース「〈PR〉「A列車で行こう9」に初心者が挑戦 シナリオマップ攻略で経営を学ぼう 前編」(2015年11月7日)