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(約17000字)
数字であそぼエリンできますのコーナーです。(違)
・[4110]
> 「なになにの松」といえば立派な感じで、それほどじゃないと言いたいときに『なになにの小松』(※「小」に傍点)と茶化す表現があった。
・ARXの「三景七景」
https://arx.neorail.jp/experiment/?%E4%B8%89%E6%99%AF%E4%B8%83%E6%99%AF
・[4253]
> > 最近は4K/8Kの綺麗な映像が話題ですが、江戸時代の人は葛飾北斎の浮世絵のあまりの写実具合を讃えて「富嶽36K」と褒めそやしたのはあまりにも有名です。
そちらのツイート(※当時)では「4K/8K」とおっしゃるが「4K・8K」(※中黒)でもなく「4K8K」と表記するのがいちばん正式らしい。(※豆知識)
その「4K8K」ほどではないといって「-1」する(「1」を減ずる)と「3K7K」になるのは説明するまでもないだろう。(※丁寧な説明)
・[4417]
> > なんで35番街!?
> > 各店舗が府中町1丁目5番地から9番地までにあるので、番地の5から9までの数を足すと…35!
> さっすが府中商人。数字を見たら足し算しちゃうのね。商人の鑑だよとはこのことだよ。
「4K8K」は『かけ算!』しても「32K」だから「富嶽36K」にはおよばないと。(※倒置法)
・[3206]
> > 塾で発車ベルの電子電鈴の音がする電話がありました。
きっぷの4桁の数字を煮るなり焼くなりして「10」にする遊び。…エリンできます!(違)
・[3745]
> 「ご乗車の際には、電車とホームの間が空いておりますので、足元にごちゅ〜いくださいっ。」の一続きの音片みたいなのは(読み上げる時間が250ミリ秒くらいの精度で指定される=先に秒数が決まっている⇒どこで調節しよっかみたいな迷いが出る)「よし決まった(決めたった」みたいな「ぞい」がにじみでる発音(息が足りなくて早口になって切り上げたみたいな乱れかた⇒早く終わりたい&終わってほっとしたみたいな)なんですよ。じぶんの声が機械に組み込まれて駅で流れるところなんてぜんぜん気にかけてない、目先の収録の仕事が(オッケーが出て)終わりさえすればいい(きょうは酢豚にしよ)みたいな“いっぱいいっぱい”な感じがあるんですよ、ぞい。…まだ仕事は終わってませんよーみたいなー。「サンバンから」のアクセントは大阪やんけ。「あしもとの」「三角印」「サンバンからはちバンで」についてはみなさんで推理してみてください。
・[3694]
> > 東花園から♡
> > 大和西大寺まで♡
> > …各駅に停車します💢
・(再掲)
https://youtu.be/_f_IW2vLdm0?t=25
・[3745]
> > 近鉄奈良行きが
> > まいります♡
> > 黄色い線の、内側へお下がりください♡
> > …各駅に停車します💢
> > あしもとの♡
> > 三角印、サンバンからはちバンで
> > …ご乗車ください💢
・[3302]
> 「『The next station is』、ぶばいがわら。」
> 「『After』、ぶばいがわら、『*** will stop at』、ふちゅう。(へくちゅん!)」
「8番」を「はちバン」(※「バン」にアクセント)というアクセントで発音する。わが家は晩餐館。(違)
・[4782]
> > 日本食研 晩餐館ステーキソース各種(1991年 / TV、ナレーション)
「A5 A列車で行こう5」(えーふぁいぶ えーれっしゃでいこうふぁいぶ)のナレーションは晩餐館のナレーションと同じ人。(※スーパー豆知識ざぶーん)
・(♪〜)
https://www.nhk.jp/p/hyakuban/rs/246PY8J911/
https://www.nhk.jp/static/assets/images/radioseries/rs/246PY8J911/246PY8J911-eyecatch_8be008a1cfa3c4c57b2b82e02473749b.jpg
> 邦楽百番
「邦楽八番」でも「邦楽百十番」でもいいとは思ったし?(※語尾上げ)実際「邦楽八番」や「邦楽百十番」と呼んでもいいような回もあるはずだ。(違)間違えて「邦楽八番」と呼ぶ人がいても生温かく見守ろう。(※恐縮です。)
・[4690]
> > まどか
> まどかししょー!!
「邦楽百十番」では物々しすぎるから「邦楽フォーラム」という名前で電話相談をやろうよ。(※語感)
・[4960]
> > 鉄道院鉄道試験所長を歴任
> > 邦楽を研究
> いま唐突に明らかになる、鉄道と音楽の変なカンケイ。(※カタカナ)
・[4690]
> > 八丁堀は、奉行所に属する与力や同心が住んでいました。与力や同心は犯罪を取り締まる、いわば警察官。組屋敷と呼ぶところに集まり、合わせて300人ほどいた、と言います。
> > 与力屋という名のラーメン屋も、ありました。店に、与力らが使う十手が飾ってあります。
ストレートな文章にひねりを入れてストレートニュースふうに変換する遊び。他言無用でオネガイシマス。(違)
> 十手のようなものが見つかっており(違)組屋敷などと呼んで、多いときには300人あまりで集まっていたということです。(だから違)
数字がいっぱいっぱい! エリンすごく、すっごく楽しです。国民性といったことではなくて言語上の何かとして、文末まで一息に続けないと文と認識されないような言語の話者にとって日本語の形容詞の「…い」の音までちゃんと発音するというのは難しいらしかった。「うれしです!」「たのしです!」「かなしです!」になるというね。(※音声を変えています。)
・「あいまいな日本の私」
https://www.kosho.or.jp/upload/save_image/12070500/20230716121712863730_031c17a1f0613bfe68dcee6a641cbbe5.jpg
・[5199]
> くだんの牛飼娘(違)蔑視発言
・[5192]
> …あんなのといっしょにしないでくれる?(いらり
うるさです! でも、かわいです!(違)
・[5149]
> 最新版だから「速度制限標識」使い放題なのね!! 『赤いミニ新幹線』みたいな車両を45km/hでとろとろと走らせるなのね!!(※プラチナ「牛飼娘」みたいな言いかた)
・[5192]
> 優秀なみなさんはいますぐできますよね。牛飼娘(違)じゃないんですからね。(※遠い目)
・(♪〜)
https://youtu.be/qzetzT0RXYs
> Islamey, Op. 18 "Fantaisie orientale" (Revised Version, 1902)
> Balakirev
・[5199]
> いまでいう「文部科学省」
> 「学問=イコール=書物」であり、それを漢字1文字でいえば『文』である。貴重な書物が川の氾濫で水浸しとか町の火事で燃えたりとかしたら困るとか、そういう実際的なこともあって学問は山の上でするもの(世間とは隔絶するもの)ということになったのかもしれませんよ、などの意か。副次的に、学問に挑むには山を登れと、一種の覚悟を試すようなかたちになっていった。○か×か。
> それはそれとして「文部科学省」という命名には不満があった。「科学技術庁」が大きくなって肩を並べたという理屈は理解するけれども、そもそも「文部省」という名前だけで、薬学から機械工学まで、ちゃんと内包できていたのだ。
> 『文』の字を勝手に「要するに文系でしょ?(半笑い)」と決めつける半笑いの輩が「これからは理工系も対等に並べないと!(半笑い)」みたいな半笑いで「文部科学省」という名前にしてしまったのだ。東大も早稲田も、ほかの大学でいう学部・学科にあたるものが変則的な分け方かつ選抜のしかたになっているので、そういう変な発想をしてしまいやすい。くだんの牛飼娘(違)蔑視発言も、早稲田の人だから飛び出したものだと思う。これは本当に強く思う。
・[4208]
> 「学者」や「学問」という言葉をなぜか好んで使うのは、大学に行っていないひと(「まだ」行っていないひとを含む)だけだ。○か×か。
・[3406]
> > 心理学はデータに基づいて心のメカニズムを研究する学問です。
・[4643]
> いやさ、文句なしの心理学の教授が「学問です」と断言なさる。
・[4972]
> > リクルートの原点は1960年に創業した「大学新聞専門の広告代理店」。当時、学生の就職先を選ぶ手段といえば、学校の掲示板や教授推薦など限られたもので、就職先を吟味して自由に選ぶことが難しく、一方の企業も、戦後復興から高度経済成長へと突入する中、自社にあった優秀な人材の獲得が急務でした。
> 『リクルートごっこ』(「情報関係」の「創業ごっこ」)を、そこいらの大学の卒業生が軒並みするようになる時代の入口である。
・[4295]
> 時間さえあれば勉強できて、勉強にかけた時間に応じて何かが身につくという『理路』である。リクルートみたいなのが吹聴した一時代の幻想である。Hanakoである。
> …ざんねん! 「Hanako」は「マガジンハウス」でしたー。(※すごくにくたらしいアミューズメント機器の合成音声みたいな声で!)
> > 『ケイコとマナブ』は、リクルートが発行していた習い事・資格スクールの月刊情報誌。
> 『勉強量』みたいな物理量の“実在”をまったく疑わないようすにあきれる。ましてや金額に換算する。
・[4642]
> > 「今夏の2倍程度の感染力を想定」して医療提供体制を強化すると表現したことについて
> > 「感染力が2倍」という表現は科学的ではない、といった指摘だ。
> > 専門家からは「『感染力が2倍、3倍』ということは、科学的にそういったものが次に現れることは考えにくい」といった意見や「感染者数が2倍、3倍になるといった表現の方が適切ではないか」「趣旨が伝わりにくいから補足しないといけない」などの発言が出たという。
> いかにして「感染力が2倍」という表現が出てくるかというと、これはそれなりに本気で考えられるようになった結果、野戦病院とはいわないけれど、兵站とかミリタリーな文脈でいう、いわゆる『力学!』用語として「なになに力」という言いかたが飛び出してきたものだ、と受け止めたい。
・[4204]
> 「マニュアル」に「集客力」と書かれているときのそれは、駅に視点があって、その駅の影響範囲の中で、距離も考慮してすでに割引済みの、いわば計算済みの「実際にその駅にやってくる乗客数」の合計のようなものを静的に指して「集客力」と呼んでいる気配がある。なあに風は吹いていたのである。どんな火力の兵器をどれだけ持ってるというのを「軍事力」と呼ぶ。あの語感なんだ。これは日本語じゃないね。
・[4642]
> これと同じだと思った。『物量!』といって、▼『勉強量』みたいな物理量の“実在”をまったく疑わないがごとく、▼何らかの確かに実在する単純な物理量(の単純な合計等)をもって「軍事力」と呼ぶのと同じ感覚で、▼「感染力」という言葉を(勝手に)使ったことで起きてきた分野間の齟齬といえよう。
・「あいまいな「〇〇力」による選考を問う 学びを評価する仕組みへ転換を」(2024年1月5日)
https://www.works-i.com/column/kyoumei/detail004.html
> 教育と職業の接続を研究する東京大学の本田由紀教授(教育社会学)
> 私は学生に「こずるく行こう」と言うことがあります。社会は改めるべき古い慣習やルールに満ちている。それをわかった上でしたたかに生き延び、時期が来たら変革に参加してほしい。
じぶんが現役のうちには何も変わらんと絶望しておられる。絶望は深い。そうでなければリクルートなんかにのこのこ出て行くはずがない。(※反語)
> 学生が学びにかけた時間とお金、そして良い授業をしようという教員の努力は本当に無駄になっているのか、だとしたらそれでいいのかという問題意識が研究の出発点です。
> ある文系学部の教授が高校生たちに向かって「大学の授業は仕事の役には立ちません」と話すのを聞いたことがあります。学問は実用性から距離を置いた方が高尚だという考えから言ったのでしょうが、大学教員が自分の提供する教育を「役に立たない」と言い切ることに憤りを覚えました。
> 好きなタイプの人を恣意的に採用したり、女性や留学生などへの差別を持ち込んだりといった、不公正な選考の隠れ蓑になるリスク
「うれしです!」「たのしです!」「かなしです!」みたいなべしゃりになってしまう外国人の女性といった属性の応募者を、もう、そこしか見えなくなってしまう。そこを気に入ったから採用というのも恣意的だからいけないのである。採用に至ったケースにあっても、そこに恣意性や(ほめるのであっても)差別的な感情が持ち込まれていないかというチェックは必要で、チェックで問題があれば採用はなかったことにしないといけないのであるが、そういう方向から考えようとする人は少ない。
※選考ではとかく応募者は不利なので、応募者に有利であれば不問にされてしまうという構図がある。それはまた問題である。
> 「〇〇力」が人格や性格など、人間性の根幹に関わる部分を指すことも問題です。そこを評価され、「不採用」と判断されたときには、学生は人格を全否定されたような感覚に陥りかねません。
就職活動の段階から守ってくれる法律と組合が必要だ。(※極論)そこはちゃんと踏み込んで、「にせ広告」を野放しにするプラットフォーマーは「共同正犯」だといった言いかた([5086])と同じくらい厳しく、応募者の人格に対する犯罪であるといった言いかたをしないといけないのに、それを避けてしまうという構図がある。あと、卒論の話をするなら自分は卒論を書いたのか(書いてない人のほうが多い!!)とテーマは何で、どういう評価を得たのかを述べるのがより望ましい。…より望ましいとは思うけれども、自分の卒論には自信がないから言いたくないな。(ぼそっ)
・[3771]
> > ゼネラルマネージャーというのは文字どおり「ゼネラル」ということで、全体的にそれをまとめます。
> > 私はその補佐なので、あまり「これが専門です」という分野を持たずに、**強化と**編成、**育成を全体的に見て進めていくという役割ですね。
> > 一流ほど、こういうものを持っています。プロだから細かい部分を徹底しないといけないとか一般的に言われるけど、そんなことはなくて。
> > 本当の一流、プロはもっと根源的な好奇心を持っている。
> > うまいからとか、お金をもらっているからということじゃなくて、そんなことを度外視した「俺、これが大好き」「うまくなりたい」というのを持っているのが一流だと思います。
> > 高いレベルでやることにしか興味がない。**が大好きで、もう**をやっているのが一番の遊びだと思っているんじゃないかって。
> これが当然の態度だと思うんですけど。
お金をもらわずに、まったくの遊びであっても、それに没頭できますかと面接官に言われたら、どう答えるのが正解ですか。(棒読み)
・[5193]
> > 徹底して相手のニーズを聞く。相手が何を望んでいるのか。言葉の奥にはどんな欲求や悩みがあるのか。そういった情報を集めてから、要望に合わせた提案を口にする。
> > まずは相手のニーズが明確になるまでひたすら聞き続けよう。聞き続けるうちに、相手の悩みが自然と見えてくる。
> それが普通です。特別なことではありません。あえていえば「一流」「二流」「三流」という言葉は絶対に使わない。これは絶対です。(※断言)
「学問」や「学者」という言葉を使うと、それはなんの嫌味か皮肉かということにしかならないので、絶対とはいわないまでも使わないに越したことはない。大学教授を持ち上げるつもりであっても「学問」や「学者」という言葉は使わないようにしてほしい。(※風見鶏みたいな言いかた)
> > 三流は話泥棒
> > 二流は質問攻め
> 「このフォーラム」で目に留まったへんてこな表現の丸写し(…のつもりだろうが丸写しすらできてない残骸)みたいなのを見かけないでもないが、そのように真似をしてもらうことは「このフォーラム」の“ねらい”ではあるので、どんどん丸写ししてほしい。(※白目)
現に使ってある表現(フレーズ)や言葉(単語)の真似をするのは簡単で間違いもないが、「使わないことにしている言葉」というものは、使われていないからこそわからないという構図がある。(※トートロジー)これはもう「使わないほうがいい言葉」を使ってしまう余地が残らないほど、ただひたすら真似して使ってみたくなるような魅力的な表現(※自称)をこれでもかこれでもかと満載にして、読者を満腹にさせるほかない。(げふー)
・[3676]
> ちょっと辞書投げしてみる? ほら、あたし教えるのうまいし。
・[4642]
> その筋ではなんでもかんでもに多用される「なになに力」という、いわばアドホックな言葉のぜんぶがぜんぶ辞書に載るわけもない。辞書を引くことに頼って言葉を繰り出すひとの弱点は、辞書に載っていないことはうまく扱えないということなんです。いうなれば『辞書待ち!』なんです。
話し言葉の発話の中で「いわばアドホックな言葉」を使ってみせるという表現にあっては、言葉自体の意味は希薄である。話者がその場面で何かを強調しようとしたという事実(行動)のみを読み取るべきケースもあるだろう。話し言葉には話し言葉の理屈があるので、書き言葉の理屈を絶対視して振りかざしてしまうのもまた、おかしい。
・[4022]
> > 旧来型の産業モデルから抜け出せない日本の財界は、リクルートを「隙間産業」と蔑み、江副を「虚業家」と呼んだ。
> > リクルート事件がなければ江副浩正氏はグーグルを作ったか
> 博士号も取得しないで何ができる。
・[3608]
> > 「『運転免許を取得したことは一度もない』が(私有地内で長年運転してきたので)自動車が運転できますといいはるレヴェル」のようなものを疑う
・[3813]
> 資格には厳格でなければならぬ。経験や能力があるなら試験にも合格できるし学位も取れるのである。それを怠ってはいけない。
・[3607]
> > 少なくとも早期に学位を取得することが効果的と考え奨励してきた。現在、鉄道総研の研究者の25%が学位取得者である。
> 4人に1人が博士だとおっしゃる。
・(♪〜)
https://youtu.be/N_aOV_QCl9Y
> 5 Novelettes, Op. 15: No. 2. Orientale
> Alexander Konstantinovich Glazunov
・[3126]
> 差別的な言いかたにならないよう注意されたく思いますが、雇用契約において規定された職域(仕事のむずかしさ)を超える、そんな難しいことをさせられるなんて聞いていないぞ、と被雇用者が怒ってよい、ということです。逆に、(会社が)業務として(オプショナルな創意工夫の類でなく、査定の対象として)研究に携わらせるにあっては、少なくとも修士、できる限り博士の学位(※※)を取得させる(30代のうちに取得させる)ことが当然です。学部卒で実務10年、それだけで研究ができるとみなしてはいけません。きちんと訓練を受けないと、やっぱりできないものなのです。
・[4633]
> 卒研(卒論)ではだれしもバナナ大根とのそしりを免れ得ない。学位がほしければバナナ大根を超えてゆけ。むしろバナナ大根でいいから卒研(卒論)で合格して学位をもぎとってゆけっ。…もってけバナナ大根!(キリッ
・[4457]
> だれしもこころあたりはあるだろうが、おもいだすだけでひやあせだらだらだよ。(※ひらがな)
・[3745]
> > “データサイエンティスト”ってのは大学で情報系の学位を持っていなくても名乗っていいものなの?
> …いいわけがあるかい。学位(博士号)がないのに「サイエンティスト」を名乗っているひとがいたら完全に無視すべきである。(※ある程度、一般的な認識です。)
> > エンジニアも工学系の学位を持っていない人が名乗るべきでないという意見の人もいるからね。まぁ国内での話だろうが。
> 「そういうひともいる(ずいぶん厳格なことをいう&そこまで言わなくても)」などと軽くとらえていてよいことがらではなくて、「EQF」([3387],[3386])に照らしてそのように理解する必要性を認識しているかいないかということがらだととらえなくてはなりません。そして「エンジニア」は高専を出ていないと名乗れないと理解しませう。ほかに、陶芸家を名乗るには陶芸(窯業)の県立大学校を出ることが必須です。美大を出ただけでは不足があると思いませう。…えーっ、それはちょっと厳しすぎない?(※諸説あります。)
・[3701]
> 理系のひとは正しく怒ってください。
・[4013]
> すでに学位をとってしまったひとは、おかしなものごとを見聞きしたら必ず怒らないといけない。それが学位に対する責務である。所属機関に対する責務より前にね。
> 学位を持っていないひとは安心してください、そんな面倒で難しいことは学位を持っているひとにやらせておけばいいのです!(キリッ
> いえいえいえ、それが学位といふものですよ
「それが学位といふものですよ」を3回くらいエコーしながら照明をフェードアウトしてください。(※真顔)
・[3845]
> > 「学位取得より入社を優先してほしい」。結局、博士号は取らなかった。
> とんでもないことを要求してくる日本の民間企業である。(院生が)そこまでにかけた学費を無駄にする愚行だとも気づかせず入社の確約をちらつかせて給与も地位も低いまま“果実”だけをもぎとろうとする態度である。「博士号=イコール=論文博士=イコール=50歳くらいで取らせて追い出すもの(早期退職に直結したレール!)」というスキームである。退職金すら値切られる格好だ。いかにも手厚く論文博士の取得をサポートするかのように装って、社内に博士号取得者は置かない(入れない&追い出す)ということである。民間企業だから何をしてもいいけれど、そんな態度で何ができる(※反語)とは言わせてもらいたいところだ。
・[4378]
> …落ちません!(違)
・[4818]
> 「落ちません」の大学しか行かれない(しかも「芸術」)みたいな
> ある時代には「芸術」でもいいから「落ちません」の大学に入るだけ入って、入ってから転部を目指せ(結局できないこと多し)といった言説(というか甘言)がまかりとおっていた。
昭和時代の大学受験を取り巻く変な状況として、▼他人を蹴落とせ(自分も蹴落とされるんだけど)というのと、▼とにかくしがみつけ(結局ふり落とされるんだけど)というのと、両方から押されるいびつな状況が、あったのである。(※遠い目)
・日本経済新聞「「理系か文系か」やめませんか 革新阻む前世紀の遺物」(2024年2月19日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK120KW0S4A210C2000000/
> 初対面の人と名刺交換する際に「謝罪」されることがままあるという。「わたしは文系人間なので(高橋さんの)話がわからないかもしれません……」といった具合だ。
これを言われ続けるのは相当にストレスフルである。悲鳴を上げたい。きゃー。(棒読み)…みたいなことをストレートに言える人ではないようなので『不要論』という声高な主張になってしまう。だけど本来「きゃー」くらいでいいんじゃないか。(※変な持論)
> 日本社会には長い間、時間をかけてすり込まれたバイアスのようなものがある。大学に入るのにあたり「数学や国語の好き嫌い、得手不得手」を尺度に選んだ「理系か文系か」。それが「理系は論理的で文系は情緒的」といった、その人の人間性をも支配する非科学的な慣習に化け、人生に染みついていくのもしかりだろう。
> 「理系」や「文系」に該当する英語の表記は存在しない。もちろん、科学の世界には自然科学や人文科学、社会科学といった分類はある。しかし「理系か文系か」のように学問を大ざっぱに2つに切り分ける思考法は、明治維新以降、近代国家へまい進する過程で日本独自に培われてきたといえる。
その上でさらに、農学部みたいなところは落ちぶれた者が行きつくところだという偏見が、東大や早稲田には、あるんじゃないか。そうした“土壌”のもと、くだんの牛飼娘(違)蔑視発言が、本人にとってはごく自然な流れとして出てきたのではないか。別紙の通りじゃなくてね。(※音声を変えています。)
※漢字1文字の学部は歴史が古い。かつて、「古い」というだけで×かにされる時代があった。○か×か。
あくまで昭和時代にもなってしまうと旧帝大よりも専門の農大のほうがよほど充実していて、真にアンビシャスを志す者(※トートロジー)は最初から農大を受けるわけである。そうした大学(や、都道府県の大学校や農業試験場など)に教員(や研究者)を送り込む役割が旧帝大の農学部には残った。いわゆる「大学に残る」というコース(※研究テーマや専門分野への愛着や情熱が一切ない、ただただ立身出世の方法としてのみとらえる言いかた)の、それに失敗すると確実に田舎に送り込まれるという(都会っ子や、受験のために上京した人にとって)一種の恐怖でもあったのかもしれない。強がりとはいわないまでも、恐怖だからこそ攻撃的な物言いになるということがなかったか。本当でしょうか。(※あまりにもあんまりな言いかた)
> 学問を西欧社会から導き入れるにあたって(略)実学に重きをおいた。
「実学」という言葉は、そういうふうには使わない(と思う)。商売人の子息や「女子」(※戦前の言いかた)の職業教育をいうものだ(と思う)。そして、漢字1文字なんだけども、およそ大学というものを“輸入”するに際し、最初に導入されたのは農学であり、札幌でラーメンであり、少年である。(※アンビシャスみたいな言いかた)あまりにも初期のことであるので、農学(に付随する、いわゆる「科学」のやりかた全般)というものを獲得し終えたら、もう農学という存在は忘れてしまったかのように振る舞いだしたのが、日本という社会ではなかったのか。(※問いかけ)
> 法学部は官吏を急ごしらえするため、そして世界に先駆けてつくった工学部は優れた技術者を輩出するためであった。文系と理系の区分はある意味、必然だった。
それはつまり「朱子学」と「蘭学」である。(※画期的な新説)
・「朱子学」とは
https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/shushi-gaku/
> 権力者達が学んだ政治規範としての儒教が「儒学」
> 「理」と「気」という2つの原理で宇宙を説明し、大成させた学問は「朱子学」
> 朱子学が日本に伝わると、戦国大名をはじめ多くの武士・知識人がこの思想を学び、領地経営の基本理念に活用しました。
> こうして、日本の支配者達は朱子学を都合の良いように解釈し(以下略)
そのままである。
・「蘭学」とは
https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary09100105/
> 密入国したイタリア人宣教師シドッチを取り調べた新井白石
密入国したイタリア人宣教師シドッチを取り調べた新井白石。…新井白石!(※白目で復唱)
> 医学を中心に自然科学の研究がさかんになった。
> 高野長英・渡辺崋山らは幕府の鎖国政策を批判して処罰されている。
蘭学者は蘭学者らしくしろ(わきまえろ)というのが「蘭学」であり、「工学」なのだ。(※言いかた)
このあたりの感覚がほぼそのままなので、「朱子学」とはいわないけれど「法学部」の教授は『学者』と呼ばれ、「工学部」の教授は『専門家』と呼ばれる。わたしたちが思い浮かべる「いわゆる専門家」のイメージは、だいたい「工学」の何かだろう。『学者』と『専門家』を区別するというのも「文系」「理系」に匹敵する思い込みではなかったか。えー…(てんてんてん)。
※「工学部」の教授だが『制度設計!(笑)』が専門だとか、教授ではあるんだけれど民間企業で偉くなっただけの人なんぞは陰で『学者』と呼ばれて揶揄されるわけである。(違)
・(♪〜)
https://youtu.be/LMGNvFnDlIA
> Suite Symphonique - 5. Le Paquebot "Ile-de-France"
> Jacques Ibert
・ARXの「ダイヤグラム総合(仮称)」その前に…(てんてんてん)
https://arx.neorail.jp/units/#A%E5%88%97%E8%BB%8A%E3%81%A7%E7%90%86%E6%95%B0%E6%8E%A2%E7%A9%B6
> 大学ではどのように専門分野が分かれていくのかを実感的に知ってもらうという「高大接続」の色が濃い。高校生にとって、これまでの学校での科目とは異なる分かれ方となる、例えば「工学」「心理学」「農学」などの分野を『発見』してもらいたいということでもある。
「文系」「理系」という言葉にとらわれると、それぞれの言葉に対して1つずつのイメージしか持たれないことになる。「心理学」は、すごくイメージしづらいものになっている。○か×か。「文系」「理系」という言葉は横行しているけれど、歴史ある大学のちゃんとした学部は、きちんとちゃんとし続けているのだ。(※下を向いて棒読み)
※あえていえば「心理学」は教育と警察の人材を急ごしらえする学部(学科)ではある。教育の効果を確かめる方法(平たく言えばペーパーテストのやりかたや面接のやりかた)を研究するし、防犯や取り調べのやりかたを(それ自体は警察のほうの研究所に出向いて)開発するのである。知られていないところで、すごく役立っているのである。そこでは「理系並みの数学力」というか「統計学」を駆使するのである。その統計学が、最初に“導入”されたときは札幌でラーメンで少年な農学校みたいなところで、農学というトピック(特定の作物に関する具体的な問題)と「いわば密結合」した形だったので、そのまま「統計学」というものは「農学部」に属するものであるかのように思われ続けているのである。(※画期的な新説)
・[4637]
> > もちろん海外では、「経済学を学ぶためには、理系並みの数学力が必要」という認識が普通で、その迷信がまともに信じられるのは日本だけである。政治学に関しても、さまざまな内容についての統計学的分析が基礎となる時代であるにもかかわらず、「算数の%が理解できれば十分」と考えるのは残念でならない。
「海外」では「文理分け」を日本ほど言わないのであれば「理系並みの数学力」という言いかたもしないはずである。(※真顔)なにがいいたいかというと(※ひらがな)、海外の事情を知った「自分が思ったこと」を、さも海外で「言われていること」のように述べてしまう「あいまいな日本語」がいけない。自分と他人の区別がない、主観的な感想と客観的な事実を弁別していない、そこがだめなのだと。(※倒置法)
※主観的な感想を述べることがいけないのではない。
・[3535]
> 「研究」と銘打ったり打たなかったりしたものについて「研究者じゃないもん☆研究じゃないし!」と言い逃れる余地を残してはいけないのですよ。無資格で(指導教員なしに)は、研究者が取り組むべき領域に立ち入ってはならないのですよ。
> 指導教員がいない、査読も受けない、そもそも論文を書かないというのは、「先人達が行った研究の諸業績を踏まえ」「知の体系を構築していく」という部分の保証がないということなんです。
> そんな活動は、活動としては確かに何かなさったのかもしれませんけど、まったく「研究」と呼んではならないのでございます。「○○研究」「研究○○」と呼ぶことも、本来いけないことなんですよ。
・[4705]
> エトキで「基盤」を「基板」と誤記したまま平気のリクルートよ、その程度か。
・[4022]
> > 江副があのまま潰されずにいたら、彼はそれこそ「グーグル」を作っていたはずだ。
> それはありえない。そんな勉強はしていない人だった。1972年に戻ってやり直そうじゃないか。同じことは繰り返すまい。
・[4863]
> 「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は「学者」しか言わない時代が20年以上はあった。そのような時代に言う「学者」という呼びかたは蔑称である。
・[4248]
> 「数式を使わないデータマイニング入門」
・[4619]
> 逆にいえば数式を使うことへの不安が、流通の専門家氏をして宅配便の社長氏を(やや過剰な感じで)「理論家」と呼ぶ原因になっているのではないか。これはまあ、「彼は数学ができるよ」といった意味合いではなかろうか。
・[3094]
> 高校そして大学入試までの数学でよい点数がとれることと、さて大学の数学や専門科目でネットワーク(グラフ理論)がいきなり出てきて、すんなり理解できるかどうか、そこにいかなる相関があるのかないのか、気になります。
> やってみれば(それなりに)簡単、という話でもあり(膨大な計算量ゆえ、必ず計算機を使用するということも相まって=紙の試験で知識を問うのは難しそうです)、いま、端的に新しい部類に入る単元である、ほかの単元との結びつきが希薄で「浮いている」、授業時間も限られているといったことから、高校までではグラフ理論が出てこないんだと理解していますが、いえいえ、浮いていようとも重要で基礎的な考え方の一つですから、もっと早い段階でサワリだけでも入れておくほうがよいのではないか、とも感じます。
> なんと、2009年以降は高校の教科書に出てくるんですね、これはスバラシイ!
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/155.html
> 「歌のさわりを聞く」「(歌の)さわりだけを聞いてみましょう」などと言う場合の「さわり」は、歌のどこの部分を指すのでしょうか。私の周りの人たちの間では、「聞かせどころ」と言う人のほか「歌いだし」や「歌のどこか一部分」とみる人など、さまざまですが…。
> この場合の「さわり」は、邦楽の一つ義太夫節の用語に由来する表現です。
邦楽の一つ義太夫節の用語に由来する「さわり」。…「さわり」!!(※邦楽にあるまじきビビッドな色の髪とメイクでシャウト)
・[3722]
> > ブローはやめだやめだ! くしゃくしゃでゆくぞ!!
> > (私はちょっぴりロックンロールなのさ!!)
> ろけんろぅ?
・[4496]
> あーあー(ばりっ)東京都緑区より「三井不動産アニメワールド」のテイストで、…おとどけっ!(違)
マイホームで犬を飼い子どもはふたごでラクロスに打ち込むのが「三井不動産アニメワールド」である。ネコとかミカンとかコタツといったものは存在しないのが「三井不動産アニメワールド」という『世界線!(笑)』である。(※事実です。)
> ドアノブみがいてましたっ(違)
> …よーそろー!(違)
はーいエリン(以下略)「ろけんろぅ?」と問いかけたら「…よーそろー!」と答えてください。(※真顔)「左利き」や「ふたご」が不気味がられる時代を過去のものにするためには、過剰なまでに「左利き」と「ふたご」を持ち上げることが必要ではあったのだ。(※画期的な新説)
・[5105]
> 「文理を選択」
> これは「高大接続」(※大学入試)のための便宜的なクラス分けに過ぎない。言葉だけを真に受けて「じぶんは理系だから文系科目は必要ない」(その逆も)みたいなことを言っていると、のちのち困る。
> 「理系」と「文系」の「どっちかに分類」つまり必ず「どっちかに分類」という問題の立て方が、学科やクラスの選択をこれからしないといけないんだけどどうしようかなということを強く示唆している。
・[3400]
> 「小学校の自由研究にコサイン類似度を登場させてもいいと思いまーす!」([3330])など参照。
https://cs1.animestore.docomo.ne.jp/anime_kv/img/11/17/7/0/39/11177039_1_9_8b.png
…犬でもネコでもなさそう。(※ソコジャナイ。)自然科学の(『最先端のフロンティア!』の)研究者にいちばん必要なのは、学校の科目でいうと「体育」です。登山もするし、南極にも行く。JAXAの会見でプライスレス。…プライスレス!(※やや真顔)
https://sprg.isas.jaxa.jp/researchTeam/spacePlasma/staff/img/IMG_0269fujimoto.JPG
JAXAの会見で「プライスレス」の人。…覚えた。(※ジト目)
※潜水艦や宇宙ステーションや南極といった環境での活動を支えるのも「心理学」です。(よく訓練された)宇宙飛行士が(訓練された通りに)言う「宇宙の素晴らしさ」と同じくらいの、すごくよく訓練された「プライスレス」のスマイルだとは思ったよ。あんな時間にね。(ねちねち)
・[4688]
> これは国語なのか社会科なのか。初等の教科でばしつと分けてしまうと、ありもしない問題が起きてしまう。大学で「文学」といえば、フィールドワークだってインタビューだってアンケートだって、その範疇だ。「文学」の学位を取ってノンフィクションを書いて本棚いっぱい。
・[5119]
> ヤマハの教室の都合で「生徒さん」を「(ヤマハでいう)クラシック」と「(ヤマハでいう)ポピュラー」にばしつと分けてしまう、そういうヤマハの発想にどれだけ染まっているかというのは個人による。あるいは区別を意識しないまま、肌の感覚で「聴きなれたもの(ポップス)」と「それ以外(「ド」がつく演歌からクラシックまで)」という『片側』からの認識をしている(※客観視はしていない)ひともいるだろう。
・[5093]
> だいたいそういうような考えで「このフォーラム」やってます。
この話はたぶん何かに続くと思います。
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