(約5000字)
[5212]の補足です。
・[5212]
> 「縦横比を気にしない人達」がいることじたいは不思議ではありません。そもそも左右に目があって、わたしたちの視野がどんな形状をしているのかも、意識していません。地平線を見渡して、何か動くものがあるなら、どんなに小さくても気づきたい、そして、高さ方向の大きさについては、そのものの大きさや、自分からの距離を知りたいという意味で注意深く見るように発達するでしょうが、横方向の大きさ(幅)については、あまり重要な情報ではありません。(※画期的な新説)
・[4043]
> > セーブオンでは「カレーは男性の需要が多いため、やや辛口に仕上げ」(同社担当者)た。
> 「レトルトカレーをじぶんで盛り付けられない男性」と訂正すべき。これは大げさではない。説明が読めないとか読んでその通りにするということに耐えられない(指図されるのを極端に嫌う)ということだ。違いますか。
> 「を」に傍点。「すら」ではない。できる料理もあるし盛り付けもするけれど、なぜかレトルトカレーの盛り付けだけはできないみたいなことを指しています。
> 空間や形状の認識ひいては流体の運動や熱の伝導の概念が定着していないなどの(げふ)レトルトパウチ(袋)とその内容物がなす複雑な立体構造(とその動き)を認識(予測)できないせいで…あつっ!!(げふ)いつもやけどするとか必ずこぼすとかするからつくづく嫌になったという者がいてもおかしくないと思え。
「わかりやすく図解」しているはずの「ベン図」で、丸が2つならわかるが3つになるとまったくわからない人がいるという話がある(らしい)というのも、図形の認識がうまくできないという本人にはどうしようもないことで起きているのかもしれないと想像してみました。本当でしょうか。
・(再掲)
https://katekyo.mynavi.jp/juken/wp-content/uploads/2019/02/8ae5040419e3ff3dae7d44c75e923957.jpg
この画像での左右の図の並べ方に『或る特徴』(※JR九州みたいな言いかた)があって、ピンときました。「3つになるとまったくわからない」という状態じたいが、まったく理解できなかったのです。この画像での左右の図のように、図の共通部分(青と赤の丸)を同じ高さで並べてしまうと、右の図で黄色の丸は「何か余計なのがついてる」と認識してしまい、無意識のうちに黄色の部分は無視して、左の図との共通部分だけを見てしまうということが起きやすい人が、いるんだと思いました。(※いま考えた)
だからといって成績が悪いということでもなく、あくまでベン図の3つになったのだけがわからない(※ベン図にはされないほうがわかる)という人がいるんだろうと思っておくに越したことはないでしょう。この「3つになるとわからない」という問題を取り立てて指摘した人自身が、図形が並んでいれば共通部分に目が行くという性質の持ち主なのではないか、だからこそそういうふうに共通部分が同じ高さになるような配置で図を描いてしまっているのではないか、本人はわかっていないが、あくまでそういう認識をしやすい人だからこそ、「3つになるとわからない」という問題を、すごく問題なことだと思って、わざわざ取り上げたのではないでしょうか。ベン図というのは「わかりやすい」ものなので、そんなことで困るひとはそんなに多くはいないのではないかと思います。
・[4224]
> スーパー花見川ざぶーん(違)
・[5208]
> 「A5 A列車で行こう5」(えーふぁいぶ えーれっしゃでいこうふぁいぶ)のナレーションは晩餐館のナレーションと同じ人。(※スーパー豆知識ざぶーん)
ざぶーん(※ぜんぶ大文字でヤフーみたいなロゴ)みたいな名前の流れるプールとかあるでしょ。…ないよ!?(※真っ赤)
・[5211]
> (前略)ひいては「大々なになに中」「大大大なになに中」みたいに「大」の数を増やしていくという、アメコミなんかの叫び声を笑えないような日本語になってゆきます。(※アメコミの叫び声みたいな言いかた)
・(再掲)
https://item-shopping.c.yimg.jp/i/n/funfunhomes_bokoxmm00523290060573_8_d_20230422155817
https://dragon-ball-official.com/dragonball/jp/news/2023/01/chara89_6.jpg
「少年なになに」と呼びさえすればのハフソク。(※それなりに真顔)「スーパー花見川ざぶーん」という個人的な思い出話をここには書かないが、地域の少年たちに野球やら釣りやらを教える責任感が強い大人の本当に繊細な機転で(子どもの失敗や事故を)「笑い話」にして収めていた(誰も叱られなかった)というのが、大人になってからよくわかる、といった話。
・[5036]
> 現代っ子には想像もつかないかもしれないけれど、昔の子どもは外で遊んで遊び疲れて早く寝る。もういちどいいましょうか。外で遊んで遊び疲れて早く寝る。
・(2019年9月25日)
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/23124.html
https://www.nhk.or.jp/politics/wp-content/uploads/2019/09/0925ecuador.jpg
> 成田からアメリカ・ヒューストン経由で20時間余り。周辺国への歴訪もあり、エクアドル滞在は1日。
> 分刻みの日程を組んだ。
> エクアドル政府もこれに応え、実働10時間のうち、7時間の日程にバレンシア外相が同行した。
・(再掲)
https://neorail.jp/forum/uploads/a9v5_green.png
※ゲーム画面の著作権は株式会社アートディンクに帰属します。
・きょうは河川敷で少年おいらーずぅ…じゃなくて「オイラー図」とは
https://gihyo.jp/assets/images/book/serial/2007/java-calculation/0022-05.jpg
4つになるとベン図では無理があるので、実は3つでも無理はあるのだ。ベン図というものは、そのあとオイラー図につなげてあげる(※上から目線)ための導入であって、ベン図というものを説明するのは2つのやつだけでいいということでもあった。(※音声を変えています。)もともとの話は中学受験の塾みたいなところの話なので、オイラー図に進まないでベン図のままで無駄に複雑なことをしてみせて受験者を戸惑わせて落とすという節がないでもないのであった。…あるの!? ないの!?(※真っ赤)…落ちるの? きみ、落ちるの?(※中華街の日本語)
・[4874]
> 「東大生なんだからクイズは全問正解だろ?(半笑い)」とも似ているが、能力をほめるふりしてけなすというのがアウトである。「鉄道マニアはこんなものまで暗記してる!(半笑い)」みたいな半笑いである。
> 業務でつくられたUGCの、UGCだと思わせたいがためのかえって不自然な「過剰な素人っぽさ」「過剰な乱暴さ」は、何重にも消費者を愚弄するものである。ゲーム「A列車で行こう」でいえば、「こんなのをせこせこと遊ぶのは鉄道マニアだけ」「鉄道マニアなんだから××だろ?(半笑い)」といったテイストを過剰に盛ったUGC(を名乗るもの)が跋扈する。われわれはそろそろ怒らないといけない。
・[5141]
> 「A列車で行こう」というゲーム=イコール=「鉄道マニアの人」しかしないやつだよねみたいな決めつけと、「鉄道マニアの人」=イコール=会社のお金のことなんかわからないし興味もないから答えられるわけないよねみたいな嘲笑
・[3742]
> …なんか指導者の“こだわり”というか『変な流儀!』があるっぽい空気が濃厚に漂うので言及は避けよう。
・[4871]
> 「逆ザヤ」「案件」「違約金」とまで物騒な単語が飛び交って
> 「撮り鉄を含む鉄道マニアの人達は、電車でGO!やA列車で行こう9とかのゲームをよくプレイするのですか?」という質問が何らかのSOSであるとすると、SOSを出せる最終段階ではあるかもしれない。「鉄道マニアの人達」をおちょくったりからかったりする質問ではなく、もっと深刻なことが潜んでいるかもしれないという見かたをしておく。
・[5048]
> 「漢検」と「簿記」と「所持金」は同レヴェル。それより難しいこと(抽象的なこと)は知らないし考えようともしない、という状況に追い込むような教育に意図的にされていると疑うべきである。
・[5141]
> そういう文言の投稿があるというのは穏やかではない。
> > インスタ案件
> 「それ」が『仕事』であるのかすら口ごもるような感じが「案件」という呼びかたである。「面倒ごとに巻き込まれている自分」というものをアピールする言いかたになってしまうのが「案件」という言いかたである。
> 「特定都市鉄道整備準備金」に詳しいタイプの『鉄道ファン』がいるとして(※います)、“そういう人たち”を『なになに鉄!』と分類して呼ぼうとすれば、呼べないことはないけれど、そもそも「特定都市鉄道整備準備金」について理解しておこうというのは社会人としても大学生としても当然の時事問題に過ぎないのだと。
時事問題ですよね。(※当然という顔で)
・[4317]
> 簿記を振りかざして他人を見下す(げふ)「正しいのに文句いうの?(半笑い)」みたいな半笑いである。ばーちゃんに叱られておいで。(※ばーちゃんはイメージです。)
・[5048]
> インターネットに何か書くというのは、「大学生・一般向け」といった区分の本棚のようなものであるという絶対の理解がある。これは絶対である。これを絶対とし続けないとインターネットは廃ります。
・[4917]
> 時代がかなり変わったので「ほぼ日」について補足するなら、「きみらも大学を出てるだろ」という暗黙の前提があった。学校の教室で「問題の出しあいっこ」を自分らだけでするのがあたりまえといった水準を前提にしていた。もし「ほぼ日」すらも疎ましいと感じられるようであれば、時代の変化というか環境の変化というものは、かなりえげつなく、危険な域に入っていると思わないといけなくなる。
・[5048]
> 「ゲームの話」だというだけで「小学生男子」のレヴェルに引きずり落そうとせんばかりの何かがインターネットにある。「大学生・一般向け」の本棚のテイストで「ゲームの話」をするにはどうしたらいいのかという了解や合意や共通のイメージが、まだないということである。「大学生・一般向け」の「ゲームの話」といったら『対象年齢!(両手でぎゃふん)』と「ぎゃんぶるっ!!」(※アレげなアニメのタイトルロゴがぐいっとしてばーんみたいなひらがなっ! …アレげなアニメのタイトルロゴがぐいっとしてばーんみたいなひらがな好評につき第2期決定で感嘆符2つっ!!)と「業界事情(ゲーム業界への就職)」という話しかないのでは、まだまだである。
そういう心づもりについて述べたものである。過度な期待はしないでください。
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