・「数学の自由研究」とは何か ・アカデミックな「道具の使いかた」 ・「郵便番号データ」で「tf-idf」「Okapi BM25」「pLSI」 ・「2018年度 受賞作品」あらため(検)
(約23000字)
[3741]の続きでもあります。
(8月15日に追記)
「自由研究 理科の代わりに数学」というクエリーがあったのですが、お気持ちはわかりますわかります。
・「リスーピアとは」
https://www.panasonic.com/jp/corporate/center/tokyo/risupia/risupia.html
> 自然に潜む算数や数学の美しさ。
> 身近なくらしの中にある理科の面白さ。
> 理数の原理・法則を楽しみながら学ぶことのできる日ごろの勉強とはひと味違った、「理数の不思議」発見の旅に出かけよう!
理科だけかしこまって自由研究しませう(ちーん)みたいなところにつまらなさがある、それはまた数学だけということになってしまっても同じように出てくるつまらなさであって、(年齢に応じた)「理数探究」こそがおもしろいし、おもしろいからどんどん進むというところがあると思いたくありませんか。
https://www.panasonic.com/jp/corporate/center/tokyo/risupia/institution/F3.html
しかし展示はぜんぜんだめだめに見える。ひたすらLED照明と大型モニターの類にだまされているだけという気がしてくる。子どもにすら「この『テレビ』いくらですかー!!」みたいに質問されちゃいそうなていたらくである。(棒読み)理数というのはもうちょっと抽象的で(抽象的だというところが:年齢によって)むずかしいものだと思うので最初から大人といっしょというのが大前提でありましょう。(※見解です。)
https://www.panasonic.com/content/dam/panasonic/jp/corporate/center/tokyo/floor/risupia/institution/F3/img/libraryImg03_016.jpg
> ファンクションシューター
> シューティングゲーム感覚で楽しみながら、関数の式とグラフについて学ぼう!
これにあたることはじぶんでプログラムを書いて遊んだよ。(“ゲームじたて!”にできるほどの技量はなかったのでただ動くだけだったけれど)懐かしい思い出だよ。いきなり表計算ソフトがあるとかえって勉強にならない。かといってウェブプログラミングみたいに線や点のプロットにナンギさせられる(画像として出力してからブラウザに読み込ませるみたいなワンクッションがある)言語や環境では(せっかちな子どもには)わかりにくいしまどろっこしい。いきなり画面に線や点を描けるBASICあるいはLOGOみたいな環境って必要なんですよ。外付けでロボットが走るとかLEDが光るとかいうのはむしろ要らないんですよ。画面の中だけでぜんぶやる。そこが大事なんですよっ。(※実感です。)
https://gihyo.jp/dev/serial/01/enjoy-pg/0003
https://image.gihyo.co.jp/assets/images/dev/serial/01/enjoy-pg/0003/000301.jpg
> 昔から趣味などでパソコンを触っていた人は,「ああ,あの一瞬で消えた言語だね。」と思ったかもしれません。日本では1980年代にLOGOがブームになりそうな兆候がありましたが,LOGOの狙いや目的が正確に伝えられないまま名前だけが先行してしまったため,理解されることなく一瞬で消えてしまいました。
これは小学校の低学年で取り組む内容なのに中学生にやらせようとかいうところに無理があったんですよっ。英語の歌を歌わされるのとかも同じだと思うんですけどっ。(棒読み)
> コンストラクショニズムとは,「学習者は,周りの環境に働きかけることで何かを作り出し,それを認識することによって,新たな理解や知識が作り出される」という考え方です。つまり,知識構造は教師などの第三者から教わるものではなく,学習者自身の手によって作り出されるということです。
・[3496]
> 小学校の算数を顧みず、大学で習った(※じぶんの卒研や修論でかち取ったのでなく習っただけ! あまつさえWikipediaで引いただけ! …ギクッ)高度な手法を小手先で転がして悦に入るような態度では、いけないのです。
・[3166]
> いくらBASICが簡単でも、それまで数学しか勉強してきていない人にいきなり「変数に値を代入」と(日本語で)言ってすんなりわかるというものでもなかったはずです、たぶん。
・[3282]
> いきなり「主記憶」だのなんだのというのが、これまた「理科」や「技術」なんですけれども、こう、ここについてはかえって、もっと文系っぽく、コンピューターの開発の歴史を「丹ねん」に学ぶようなソレが期待されてもよいのかなぁ、と感じます(機械・電気から情報まで[3178])。
> 歴史だといった途端に、「わが国としては第5世代コンピューター」とか「日米貿易摩擦」だとかいう、一種「カリカリの社会科!」になってしまいそうなのも難しいところです。そこからは切り離して「技術史」「科学史」を勉強したいなぁ、と思われたいと思いました。また、発明者を『偉人』扱いするのも、もはや前時代的だと感じます。「AlphaGo」のハサビス氏についても、いま現役で最前線の研究開発に従事されているかたを、メディアが追いかけまわしてはいけないと思います。
> それはそれとして、こう、プログラミングの、特に「変数に値を代入!」あたりのことは、「算数」そして「数学」の「等式」に頭を支配される前に、すなわち頭の柔らかいうちに、いち早く「体とく!」されておきたいと願われます([3166])。理解できないということはなく仕事もできるわけですが、しかし、どうにも納得いかない気持ちわるさに一種「フタ」をして「代入」しているのではないかなぁ、と想像します。問答無用で「プログラミングでは代入! 算数では等式!」といって(両方を対等に)身につけることができるためには、これらを学ぶ年齢の上限がありそうだと思われてきそうです。
> プログラムの動きを正確にイメージできないまま、目先の命令文の記述を手先でいじるだけのようなソレ(とっかえひっかえしたら「なんとなく動いた」)では、「プログラミングができる」とはみなされません。ここで、古くは「LOGO」、いまは「マインクラフト」など、「GUIな出力!」が最初から一種「イメージャブル!」に提示される環境が、かえって「じぶんでイメージする」力を育てないまま終わってしまうのではないかと心配します([3071],[3072])。
LOGOみたいなものすら与えられるのでなくBASICでじぶんでやれとのたもうています。…おそろしや!(棒読み)
> そして、こう、「文法用語を駆使しながら英文を読解!」しているうちは「英語ができる」とはみなされないだろう([3061])というのとも似ています。プログラムの動きをイメージするときに、コンピューターやプログラミング言語に関する「用語」はほとんど介在せず、もっと直感的に、こう、機械式の時計のフタを開けて時計の動きを見ているかのような感覚で、しかし必ずしも具体的な(視覚的)イメージのないものもイメージしているという感覚を、みなさま、たぶんお持ちのことと思います。
BASICでそういうことをして育ったのち、CSCLらへんを専攻したかったけれど先生がいなかったみたいな残念なわたしでございます。(※恐縮です。)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b222321.html
・[3282]
> かといって、ワタクシ、もっと早く「状態遷移表」を知っておきたかったなぁ、といって『後から後悔!』しました(=当時)。考えかた自体を知らないと、自分だけではどうやっても気づけないものです。プログラミングに限らず、遊びながら自然に発見できるもの(※)と、かなり「えげつない実験」([3099])をしないと一種「あぶり出し」ができない種類のものと、両方あって、両方ともバランスよくハンドリングできないと、開発や研究が「できる」とはみなされない…本当でしょうか。
> 既知の物質の「組合せ」では発見できない、未知の元素の予言に至った「メンデレーエフの周期表」([3126])の考えかた(周期表そのものでなく、の意)も参照。
かなりの反省があっての、その後も長く続く学習でございます。まったくもって仕事に使えるというレヴェルではないことは先におことわりしておきませう。(※恐縮です。)
・[3697]
> ゲーム内のUIだけで「ダイヤ設定」をどんどん行なっている最中にはほとんど(=ほかのひととしゃべるのでなく自分の頭の中で言葉で説明というか実況するような意味で=)言語的な活動はしていないとふり返られません |