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2024年5月の話題
更新:2024/6/12

[5240]

【実例に見る総合評価】

実例に見る総合評価(5) N県立高:理数探究基礎の5段階評価


「理数探究基礎」のルーブリックとは(※独自に作成)

(約29000字)

 「N高校」でも「N県」でもなく、「N」という学校名の県立高校です。2024年4月に「理数探究基礎 実践記録」というPDFが出ていました。この手のものを読みたいと思っていたのですが、なかなか見つけられずにいました。

・(2024年4月)
 https://www.hyogo-c.ed.jp/~nagata-hs/pages/12_SSH/activity/assets/documents/R5%E7%90%86%E6%95%B0%E6%8E%A2%E7%A9%B6%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E8%A8%98%E9%8C%B2.pdf

[3581]
 > 「実例に見る総合評価」と題した記事での副題は、なるべく一般化した表現にしようとして四苦八苦してきています。

[3564]
 > 「K府立大」などと伏せる必要がない上に伏せたことにもなっていないのですが、この一連の記事ではこういう見出しをつけないといけないようではあるとの感触にはございます。

[3581]
 > 徳間書店は伏せないんですけど…その発想はなかった!

[4513]
 > > なまら小さいの
 > > 500円

 > じぶんの地元じゃないというだけで「残念ながら」と書くとは失敬な。

[4221]
 > 幼稚園を2年で卒業…じゃなくて、少なくとも高校を出ていれば「理数探究」を履修したとみなされる時代を迎える。これはすごいことだ。

・(♪〜)
 https://pbs.twimg.com/media/FGJYIYHUYAE0J13?format=png&name=4096x4096

※本文とは無関係です。

・「N県立高」のプロフィール
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E9%95%B7%E7%94%B0%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

 > ながた

※読みが「ながた」で正しいのかすら、調べるまでわからなかったです。

 > 1921年に第三神戸中学校として開校し、2020年に創立100周年となる兵庫県の公立高校である。

 > 旧制中学時代は「エリート校」であった一中とは異なり、三中は「中堅国民の養成」を目的とした教育が行われてきたが、現在では神戸高校、姫路西高校と並び兵庫県公立高校の中でトップの進学校となった。

 自分が知らない地域の学校の紹介というのは「のど自慢」みたいな紹介のしかたにならざるを得ません。そういうものだと思ってください。

 > 2022年度からはSSH(スーパーサイエンスハイスクール)として指定されている。

 ここです。時期としては非常に遅いので、もはやSSH(スーパーサイエンスハイスクール)という制度の名称が持つ本来の意味は希薄で、指定によって予算と人員を確保させるという事務的・便宜的な側面が強いように見受けます。それはつまり、これまで名前の通りのSSH(スーパーサイエンスハイスクール)で推進されてきた「理数探究」から「理数探究基礎」の「教科書」ができて「普通科の全員」に拡げようという段階での先進事例となることを期待されての指定なのだろうということです。これは本当に重要な役割で、こういうところを担えるのは(ほかの県でも)「旧制三中」のポジションにある学校くらいしかなかろうとは思います。

※ただし神戸には旧制中学が4校、高等女学校が4校もあることに留意。千葉で言えば千葉高が4つもあるようなもの。さすが神戸ですね。

 > > 伝統的に、関西を出たがらない生徒が多い

 それは学校によらず普遍的に、そういうものでしょうよ。8割の生徒は地元から出たがらない。2割の生徒は飛び出していくか追い出されるかする。その割合が学校によって多少の増減はするでしょうが、そもそも高校生という年齢ではそういうものでしょうよ、と。

[4349]
 > 問題文がないのに正解だけある。問題ない。

 実は、このPDFはbingの「Copilot」への質問によって見つけました。

・Copilot「「理数探究」での「R言語」の授業例は?」(より厳密に)
 https://copilot.microsoft.com/

 > 「理数探究」での「R言語」の授業例については、具体的な事例が見つかりませんでした。しかし、理数探究の一環としてプログラミング言語を用いることは有効な手段です。R言語は統計解析やデータ分析に強い言語であり、理数探究の中でデータ分析を行う際に活用できます。

 > 例えば、以下のようなテーマで授業を行うことが考えられます:
 >  統計解析:R言語を用いて、集めたデータの統計解析を行う。具体的には、平均、中央値、標準偏差などの基本的な統計量の計算から始め、さらにt検定やANOVA(分散分析)などの統計的仮説検定を行う。
 >  データビジュアリゼーション:R言語のggplot2などのパッケージを用いて、データの視覚化を行う。棒グラフ、ヒストグラム、散布図などを作成し、データの傾向を視覚的に理解する。
 >  機械学習:R言語を用いて、機械学習の基本的なアルゴリズムを学ぶ。例えば、線形回帰、ロジスティック回帰、決定木などのモデルを作成し、予測や分類を行う。

 どこかで見たような、すごくどこかで見たような文章が、つぎはぎで出てきます。

 > これらの授業では、R言語の基本的な文法や操作方法を学びつつ、実際のデータを用いて統計解析やデータ分析の手法を学ぶことができます。ただし、具体的な授業内容は学校や教員、そして学生のニーズにより異なるでしょう。

 そのような質問の中で提示されてきたので、当然ながら「R言語の授業例」という内容を含んでいるものと期待してPDFを開いたわけですが、PDFのタイトルの通り「理数探究」ではなく「理数探究基礎」の報告ということもあって、「R言語の授業例」という内容はありませんでした。それでも、せっかくですからちゃんと読みましょう。

・「理数探究の事例イメージ」(2019年3月)
 https://www.mext.go.jp/content/1407196_31_1.pdf

 (「R言語の」とは限りませんが)「授業例」そのものとしてはこちらが提示されてきましたが、これは既読([4036])でしたので今回は読みません。


 さっそく「N県立高」のPDFを読み込んでまいります。

 ざっと目を通してから、「3,4,11,57,72,73,81」というページ指定で、これらのページだけは(モノクロの)プリンターで紙に印刷しました。「緑字」「赤字」と書いてあって意味不明な箇所があります。PDFを読むというのは、こういうことです。文章は読まない。そのPDFはちゃんと読めるものになっているか。本文がぜんぶ教科書体。▼「不体裁」については[5218]を参照。

 次に、PDF全体のうち、どこからどこまでが1人の文責で書かれているかを確かめます。「はじめに」だけは校長が書いていますが、校長が書いたのはそこだけのようです。残りの部分はぜんぶ、「あとがき」の末尾に列挙されている「理数探究基礎担当者」(教員)10名の共同の文責という曖昧なことになっています。10名のうち、責任者は誰なのか。おそらく、「人文・数理探究類型」の「数理」側の代表者と「人文」側の代表者が、責任者というわけではないけれどだいたいのまとめ役になっているのかなと想像します。たぶん、「理科」と「外国語」の教員で、「リレー講座」の「課題解決」を担当されている2名が、そういうお立場なのかなと思います。唐突感のある「SDGs」やら「VUCA」なんぞのあたりは「外国語」の教員が持ってきたものなのかなと思いました。端的にいえば、「理数探究基礎」の報告の中では浮いています。必要ないとも重要でないとも思いませんが、うまく統合はされていない。

※空(くう)に向かって「文書のプロパティ!」と唱えたら、「作成者」の欄には「空野さん」(※さん付け)の名前が入っていました。「文書のプロパティ!」は最強です。

・(2023年10月17日)
 https://dmzcms.hyogo-c.ed.jp/kagakubukai/NC3/c0e5806eb9d82ead24479c81b6e4522b
 https://www.oshihaku.jp/kidsdata/img/pavilion/24301/logo_company.png

 > 三菱重工機械システム株式会社
 > 会社概要説明・工場見学

 その日時および場所で先に口頭発表をなさってからの2024年3月のPDFだったとわかります。PDFの体裁としては(形式的には)文責が曖昧ですが、報告の実体としてはきちんと1人に責任があることがはっきりしていて安心できます。

[3097]
 > 1つの課題に4名で取り組む

 そういう専門職大学院のような無理な感じはなく、ちゃんと1人でぜんぶを見ているということです。さすが「理科」の教員だ…と言いたいところですが、「リレー講座」が「課題解決」なので、科目がわからないです。わからないですけども、「理科」の教員は4名が連名になっているので、おそらくは物理・化学・生物・地学から1名ずつ出ているのではと思います。本当でしょうか。そのように1名ずつ出すことは必要ではあるけれども、地学の教員にとってはかなり負担感が大きいのではないでしょうか。

[5217]
 > とにかく視野を広げようということと、ありのままの事実を認識してから考えよう(ちゃんと考えよう)ということに尽きます。これはあまりにもあたりまえなので、(わたししか言わないような)『意見』ではなく、(同じ情報を得れば誰でも同じ見かたをするであろう)「見解」です。

[5228]
 > 何らかの「見解」を得るに至ったなら共有しなければならないとする考えは『意見』ではある。

[5208]
 > 農学部みたいなところは落ちぶれた者が行きつくところだという偏見が、東大や早稲田には、あるんじゃないか。

 > およそ大学というものを“輸入”するに際し、最初に導入されたのは農学であり、札幌でラーメンであり、少年である。
 > あまりにも初期のことであるので、農学(に付随する、いわゆる「科学」のやりかた全般)というものを獲得し終えたら、もう農学という存在は忘れてしまったかのように振る舞いだしたのが、日本という社会ではなかったのか。

 理科の科目ということでいうと、「生物」の教員がおそらく最も「統計」や「実験計画法」それに「研究倫理」を叩き込まれて教員になっていると思います。「生物」から1名を出したのだから、その教員には「生物」のことだけやってもらうというのでなく、「生物」の教員にこそ「統計」や「実験計画法」それに「研究倫理」を、まずは他の教員に対して講義してもらいたいという期待はあります。

 …と思ったら、実は「化学」から2名が出ていました。「生物」の教員1名がいて、4人目が「地学」ということはないでしょうから、きっと(どこにも書いてありませんが)「物理」の教員なのでしょう。「物理」と「数学」と「統計学」は、互いにかなり隔たりがあります。あえていうと(高校の)「物理」で使う数学は「関数」に偏っていて、「いわゆる統計学」とはかなりの距離があると思います。ただ、「統計学」ではデータを力学的なモデルで扱う分野があるなど、まったく重ならないというわけでもありません。だからといって、高校の物理の範囲だけで統計学のさまざまな(≒複雑怪奇な)数理モデルを理解させようというのも無理があります。「理数探究基礎」としては、他の科目からは独立して、数学的な理解は飛ばしてブラックボックスとして各種の解析手法をまずは使ってみるという体験をするのがよいとは思われないでしょうか。それをせずに何が「理数探究基礎」だ、とは思います。

[4628]
 > 数学の教員になろうというのと実学として統計学を使いこなしていこうというのは、職業が違う。

[4543]
 > 手で描ける数学。これを理系の入試という。理工学部の入試問題の作成者として重宝されるというのが最大の仕事である。これによって研究者としてはボロボロになる。もはや理工学部の教員でしかなくなり、それ以上でもそれ以下でもないといって開き直るしかなくなってくる。○か×か。(※表現は演出です。)

 「理数探究」最大の『壁』は、生徒が理系の入試に通るようにもしてあげないといけないこと。これがなければ「理数探究」は本当の「理数探究」になれる。むしろ文系の入試を目指す生徒こそ「理数探究」の恩恵は最大化される可能性があります。そのような視点を教員は持ち得ているでしょうか。

[4619]
 > 高校2年生が黒板と紙で手で計算して問題を解けるという内容しか配当されてこないという「学校の数学」の限界。
 > 数学はそんなに貧相なものじゃない。…はずだ。

[3572]
 > 主成分分析というのは最初から行列(ベクトル)を操作するテクニックであるという理解でした! 回帰式(紙や黒板に手で描けるやつ!)まで立ち返って説明されるとは思いもよりませんでしたっ!!(棒読み)

 > 現在の水準でわたしたち、最初から多変量でいきましょう。このとき、(教科書やジャーナルに白黒で印刷できる図という意味で)“平面”の発想にしばられていると、(4次元以上の)多変量解析というものを過度にむずかしいものだと思ってしまいます。むずかしいと思うからむずかしくなるんですよ。…その発想はなかった!

[3707]
 > そんな小さなデータを例題にしていては、わかるものもわからなくなってしまうとはこのことだよ。

 > 行列が小さすぎると『次元のめぐみ©』が得られないと思いました。…その発想はなかった!(棒読み)

[3572]
 > わたしたち、学習上の様々な段階で、それ以上の理解をあきらめるという局面に立たされてまいります。そのときあきらめるのが「多変量(を直感的に扱える)」なのか「回帰式(を手で描ける)」なのかに分かれるとあらば、断然、あきらめるのは後者にしておきなはれよと、こういうわけです。後者ができて前者ができないと(『多変量の時代!』には)致命的なのですよ。(※私見です。)

[3654]
 > 高校2年生のかたは夏までに(つまり6月中に)統計数理研究所(統数研)の研究紹介図書「データを未来に活かす」([3469])を読むといいよ。
 > 1年生のかたは、まだ読んじゃだめだよ。

 その「1年生のかた」に取り組んでいただくのが「理数探究基礎」ですから、「理数探究基礎」で統計数理研究所(統数研)の研究紹介図書「データを未来に活かす」([3469])を輪読するといった『ミニ大学生!』のような活動はできないわけです。だからといって、パワポに慣れるというだけになってしまってよいのでしょうか。

[4795]
 > ロールプレイングって、ありますよね。ああ、あの、「LHR」(※全角)をフルスペックでやったとすれば全員がやったことになっているやつ。

[4221]
 > 「道徳」とはいわないけれど、「LHRの化けたの!」(※意訳)みたい

[5070]
 > 「LHR」(※全角)であり「さわやか3組」なのだ。

 「リレー講座」の「課題解決」は「LHR」(※全角)そのものだったのでした。

[4793]
 > 高等学校で先生が「LHR」(※全角)の指導計画を立てる(≒立てたことにする)ための「あんちょこ」

 > 本当に高等学校の「特別活動」として「21時間」きっかり配当できるのか。実際には文化祭の準備、体育祭の準備、それに修学旅行の準備などを「通して」…出ました「通して」(ぎゃふん)それをやったということにしていませんか。記憶にございません。これはもう、はっきり断言できます。記憶にございませんと!

 > 3年間で21時間。1年ごとに7時間。1年ごとに行事がいくつかあって、それの準備みたいなのに時間を使う。つじつまは合う。

[4222]
 > 「LHR」(※全角)がいっぱい。…「LHR」(※全角)がいっぱい!

[4704]
 > せんせー! 左利きのひとも使えますかー。

 「N県立高」の「理数探究基礎」の「課題解決」では、従来の「LHR」(※全角)の指導計画をかなりそのまま使っている気配があります。「LHR」(※全角)なら自己紹介から始まってブレストします。他のひとを全肯定します。最後は多数決です。これで文化祭の出し物が決まります。だけど「理数探究基礎」で必要となる議論のための素養は、それでは育たない。「研究倫理」というのは、他人を疑え、自分で自分を疑えという話です。

[4659]
 > > 「ここの仕事は真実を求めることなので、上司の言うことを聞くことではない。上司の言うことを聞いて正しい結果が得られないと困るので自由に意見を言うようにしている。」

[3701]
 > 列車ダイヤ作成システムは,その変遷の都度,いろいろなお褒めの言葉を戴きました。「素晴らしい!飯の食いあげだ!」と歯の浮くような言葉で褒める方は,先ずDIAPSに触ろうとさえされません。それに引き換え,「何だ,それしかできないのか!こうはできないのか?」と辛口でも,実際にDIAPSを使用した前向きなコメントを戴けたことが,実用化への大きな推進力になったものと思います。

[3786]
 > 「何だ,それしかできないのか!こうはできないのか?」みたいに具体的なこと(特に「こうはできないのか?」の部分)をどんどん言おうじゃないか:何も遠慮することはない! われわれは自由だ!!(キリッ

 「研究倫理」だけでなく、そもそも研究という活動は、そのような態度をもって臨むものであります。

[3461]
 > > シンポジウムに参加しながら考えたことがあります。それは実践者と研究者の考え方の違いということです。実践者(だけの立場)の時は、私も「私はこう思う」という言い方に疑問を感じたことはありませんでした。しかし、研究者の世界を垣間見た今は、「こういう根拠からこう言える」と言わ(書か)なければと心がけるようになりました。つまり、データなり、先行研究なり、説得的な論理がなければ、実践報告ではあっても研究とは言われない世界を知ってしまったのです(実践報告がダメだということでありません。それでは価値観を共にする仲間内にしか伝わりにくいということです)。

 > > 私には、最近多いこういう形の模擬授業への違和感が消えませんでした。
 > > その後に半日くらい検討し合ってはじめて一場面ごとの意味が共有されるのではないでしょうか。

 > 私には「ビブリオバトルとかいうヤウでナングなもの」が、そういう違和感として感じられていることを申し添え…いえ、なんでもありませんっ。

 > > 教育委員会などの研修会はたくさん開かれているが、一人ひとりの教師が参加できる機会はどれだけあるのだろうか。高校では授業研究をやっていない所が圧倒的に多い。新任のとき同じ教科の先生がちょっとやるだけ。

 > 大学院で研究能力を身につけてから取り組まなければ研究にはなりえません。その後ろめたさのようなものを「授業研究」という業界用語で覆い隠してはいけません(≒研究とみなされないものを研究と呼んではいけません)。新任の若い教員のほうが先に修士了であるなら、論文のファーストオーサーになるべきは若い人のほうなのです。

※ここでいう「ファーストオーサー」:教育学など文系の論文で、ほぼ1人でぜんぶ書く、その人がファーストオーサーになり、連名の著者の2人目以降はすべてフラットな「協力者」という扱いになっている(「ラストオーサー」が「責任著者」なのではない)状況のこと。

 「数学」という分野で「論文」を書く(通す)のは並大抵ではありませんから、高校の数学の教員が「いわゆる論文の書き方」を承知できているかは疑わしいと言わざるを得ません。いたってふつうの分野では、いたってふつうのたくさんの人が日夜、いたってふつうの論文をあたりまえのように書いているわけですが、そういう世界観を数学の教員は持っていない恐れがあります。

・(3月30日)
 https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/032600123/?P=2

 > 日本で、いくら進めても浸透しないのが「ティータイム」や「コーヒーブレーク」です。自分の専門分野だけでなく、普段なら交流のない人とも会話を交わし幅広い分野の話をします。日本人の中には、「お茶ばかり飲んで勉強せずに」という人もいますが、欧米の大学では毎日やっています。「面白いね」「そんなことがあるんだね」といろんな分野の話をするんです。広く学ぼうとする気持ちが大切だからです。

[3485]
 > > ちゃうんちゃう?
 > > ・否定的な態度の表明

[3944]
 > > クリティカルな考え方とは日本語で批判的思考とも言い換えられるもので、物事の問題を特定し、適切な分析を行うことで最適解を導き出すための思考方法です。よく「批判的」という言葉のニュアンスから否定的な考え方と受け止められることもありますが、原則的には必要な情報を分析、吟味して取り入れ、客観的把握をベースとした正確な理解を行うことを意味します。

 > > クリティカルな考え方は、複数の認知スキルを組み合わせて結論を導き出すことに主眼をおいた思考方法であり、その能力を適切なときに発揮することで初めて有意義な結果を残すことができます。クリティカルな考え方ができる人は、「人当たりの良い懐疑主義者」であり、事実ベースで物事を考え、他人が誤った方向に誘導を仕掛ける意図を見抜く力があるほか、バイアスの存在を認知し、その影響を可能な限り排除するという概念を理解して行動に移せる人物であるといえます。

[5059]
 > 論文の査読はブラインドで行なうのが主流です。

 「クリティカル」なことからいいましょう。

 「論文の査読はブラインドで行なうのが主流」という現実に照らしてどうなのかという視点もありますが、それ以前の話として「理数探究基礎」の授業の中でデータを採る方法や時間がないからといって、(生徒の)『自分』そのものをデータにさせるのは『御法度!』です。模擬データでもいいし、先行研究のデータを借りるのでもいい。美術で自画像を描かせるのとはわけが違います。大学でも輪読するテキストや論文は教員が指示します。これはデータや論文を客観視するトレーニングでもあるので、そのとき使ったり読んだりするものは、他人のものでなくてはなりません。自分で選んだ好きなものを使うというのではいけないのです。

※なお、「ブラインド」という単語でこのこと(査読の方法)をいうのは慣習に従ってのことで、積極的に「ブラインド」という単語を使いたいわけではない。ヤマハのルーターの「スレーブ」という単語が一夜にして(?)駆逐されたという出来事もあったので、今後、(論文の査読の)「ブラインド」という単語が一夜にして駆逐(?)されることがないとはいえない。その場合は、それに従うものである。

・「自由研究とその周辺」(2017年1月28日)
 https://neorail.jp/reports/?20170128_A_Survey_of_Recent_JIYUU-KENKYU_in_Japan
 https://neorail.jp/reports/20170128_A_Survey_of_Recent_JIYUU-KENKYU_in_Japan/preview_table3.png

https://neorail.jp/reports/20170128_A_Survey_of_Recent_JIYUU-KENKYU_in_Japan/preview_table3.png


[3742]
 > みんなで同じデータを使おう!(再現性)
 > みんなが知って理解して納得している(使ってよいという合意のある=認められている)計算法などを使おう!(正確性)

[3572]
 > じぶんの研究のためにじぶんでデータを採るばかりが研究ではないという意味での(整備されたデータコレクションを使って複数のチームが独立に研究を進めるなどの&ひいてはSSHと呼ばれる高校でこそ実験よりデータ処理であろうとの)「スーパードライ!」については[3512],[3564]を参照。(※お酒ではありません。)

 「理数探究基礎」は、『トップ研究者!』や『エース研究者!』を輩出するための取り組みではないはずです。(※もちろん輩出されていいんですけれど。)いたってふつうの人が、必要とあらば研究(らしきこと)を担当できますよという下地を養うものでしょう。方法や作法を知る、他人が行なった研究を理解できる、万一、不正があれば見破ることができる、そういうところを磨くものでしょう。このとき、「疑う」対象が(他の生徒の)『自分』そのもの(人格・性格・出自・嗜好・信条など)をデータにしたものであると、たいへんまずいわけです。

 理科の中でも「化学」は薬学や製品開発と隣り合わせという色の強い分野で、自分たちで採ったデータは絶対に他人には見せないということを徹底するでしょうが、ほかの分野ではテーマにもよりますが、データを採るための装置などに多額の公的な研究費が投じられ、実験や観測で得られたデータはある程度そのまま公開して利用に供し、社会に還元すべきだという考えもあります。そのようにして公開されているデータの中には、高校の「理数探究基礎」で活用できるものがいくらでもあるのではないでしょうか。このような考えがあるということ自体を、「化学」の教員はあまり(ほとんど)考えたことすらないということはなかったでしょうか。そのような(各教員の認識の)『温度差』や『空白』を埋める作業を教員の間でもしっかり行なってから「理数探究基礎」に取り組むことができているでしょうか。

※いっぽう「物理」の教員はデータそのもののおもしろさに目を奪われ、メタなところが見えなくなる傾向が強いということはありませんか。

 データに限らず授業の方法としても、自己紹介をしない、顔も名前も隠して(文字だけで)ブラインドの状態で意見交換しあうような、日常ではまずありえない活動を体験させてこそ「理数探究基礎」なのではないでしょうか。口頭発表でもポスター発表でも、ほとんどは見ず知らずで初対面の人を相手に説明をし、質疑応答をするのです。そのようなコミュニケーションに慣れておくことが何より重要です。(高校生の)ふだんの会話の流儀そのままでできるコミュニケーションではありません。「理数探究」の『作品!』だけは立派で入賞して発表の機会が与えられたような高校生でも、そういうコミュニケーションがまったくできずに、自分たちだけで自分たちのポスターを取り囲んでいるとか、他人との会話が終わったとたんに自分たちだけで固まって唐突に照れ隠しのような大きな笑い声をあげるとか、そういうだめなところがあったりしないでしょうか。


 ここからは「N県立高」のPDFを逐次的に読んでまいります。

 > (PDFの3ページ)
 > 第1学年は「理数探究基礎」を全員履修としています。教科横断型の7つの講座や外部講師による講演会などにより、自然科学的な探究手法を身につけさせることに加え、「公共」の時間では、フィールドワークや行政への提案書づくりなどを通して、社会科学的な探究手法を学ばせます。

 「理数探究基礎」「公共」と1対1で対応するかたちで「自然科学的な探究手法」「社会科学的な探究手法」に分けられています。そんな硬直的なことで大丈夫なのでしょうか。

 > この取組はまだ始まったばかりで、課題も散見されます。

 校長みずから、報告書の冒頭から『言い訳モード!』になっているけれど。

 > (PDFの5ページ)
 > 本科目は新設されてからまだ間もなく、全員履修となると全国的にも未だ例が少ない。本校としても手探り状態の中にある。

 「理数探究基礎」の「全員履修」は、本当に「まだ始まったばかり」で、本当にどうしようもなく苦労をしている最中であるのは、このPDFを読もうという人ならきっと誰でも知っています。ことさらに言い訳しないで堂々としていてくださいという気持ちになります。形式的なことをいうと、「本校」が主語の文なので、この部分の文責は校長にあるということになります。

 > (PDFの7ページ)
 > 非認知能力を伸長するプログラム構成
 > その妥当性を検証する評価指標を開発

 「非認知能力」と呼んでしまうと幼児教育の文脈になってしまう。8ページ目のポンチ絵に「生徒評価とプログラム評価から非認知能力の評価指標を大学と連携して開発する」と書いてある。「自己評価」(主観評価)と「観点別評価」(客観評価)の食い違いをなくす、生徒本人としては頑張ったとかよくできたと思っているのに低い成績が付くようなことのないように観点別評価の観点や基準をうまく設定するということを目指すようである。そのことと7ページに書いてあることとは、微妙に一致しない。

 ▼「得点プロフィールの形状も考慮した31類型の学力型」([3568])みたいなものは、いかにも大学入試の設計の『バイブル!』みたいなもので、神戸大学のセンセイからもたらされた『入れ知恵!』でありましょう。そんなたいへんなものは(そんじょそこらの大学では&受験者数が少ない=データが少ない=入試では)扱いあぐねるものなので「共通テスト」があるわけです。各大学では面接や小論文だということになってきているのです。そういう難しいところに突撃なさるというのが貴校の目標である、と。

 > (PDFのページ)
 > 理数探究基礎では補えない「文系的探究思考」を養うために、公共で学習する倫理・政治経済の内容を踏まえつつ、公共Aの授業にて様々な活動を行う。
 > プチ論文の作成
 > 「世界から貧しさをなくす30の方法」を読んで、疑問に思ったことをグループでまとめ
 > それに対する意見等をまとめていく
 > → 探究で必要になってくる、問いの立て方を学び、文章を作成する力を身につける

 「公共」どげんかせんと(以下略)の相乗りでポン(以下略)あまりにゾンザイである。これでは「理数探究」で論文が書けない。論文は「書く」より前に(他人の論文を)大量に「読む」ということに尽きます。そのことを教員の誰もわかっていないのでしょうか。最も頼りになりそうな「生物」の教員でさえ、大学での研究テーマは指導教員から与えられたものだったというのでしょうか。そんなことで「理数探究」につなげられる「理数探究基礎」が本当にできるのでしょうか。

 > (PDFの13ページ)
 > 年間計画をご参照

 「ご」はトル。

 > 授業担当者によるリレー講座では、複数教科(理科4名・数学4名・国語1名・外国語1名)の教員が、以下のテーマで全3回からなるミニ探究形式中心の講座をおこなった。

 自分たちのことを書くときは、無意識に(謙遜しようとして)説明が冗長になりやすい。「全3回からなるミニ探究形式中心の講座」が、まさにそれ。「探究形式のミニ講座(各3回)」と簡潔に書く。「…からなる」と書くと、そこが最大のアピールポイントであるかのように読めてしまう。もともとは(無意識ながら)謙遜しようとしたはずだったのに、実際に書かれた文章は真逆の、ものすごく自慢げで『鼻につく!』ものになってしまっている。

 「文書のプロパティ!」で「作成者」になっている「空野さん」(※さん付け)が、このプロジェクトのリーダーとしてではなく教員10名の中でフラットに並ぶ1名の理科の教員として「課題解決」の講座をなさるのは「探究テーマの見つけ方」という意味だと思うので、それを直球で講座のタイトルにしたほうがよかった。自分のことだけ無意識にうじうじ言ってしまって、他人にはすごくよくわからない文やタイトルになってしまうのはよくあることなので、自覚の上で、よく注意されたい。自分のことではあるが他人事だと思って書いたり決めたりするに限る(と思う)。

 そして「探究テーマの見つけ方」というタイトルにしたならすぐに思い至るはずではあるが、その講座で取り組むべきはブレインストーミングではなく論文購読(文献探索および輪読)である。あと、「マインドマップ」([3100])はやめてほしい。悪いことは言わないので「マインドマップ」([3534],[3712])はやめてあげてほしい。「内発的動機づけいわゆるモチベーション」([5052])に深刻なダメージを与える恐れがあるので絶対にやめてほしい。

 > (PDFの16ページ)
 > 総合的な探究の時間とは異なり、理数探究基礎には授業で使用できる教科書が発行されている。
 > 探究活動においてありがちな悩みとして、「方法論が定まらず自信をもって指導しにくい」という点があげられる。
 > 事前教育として理数探究基礎を設定することで、教科書を活用して学びの一部を標準化することができる。

 貴校の成果ということではないけれど、この報告こそ、聞きたかった報告である。その「教科書」で、先行研究について調べ、他人の論文をたくさん読もうという活動は取り上げられていないのか。「教科書」を使う限りは、きちんと「教科書」の趣旨や構成(目次)に従うべきである。副教材のように(抜粋で)使ってよいものではない。

 https://www.chart.co.jp/kyokasho/22kou/risutankyu/img/gen/box5_img01_l.png

 (他人の論文をたくさん読もうという活動は)なさそう。

 > 探究活動では、生徒が自発的かつ能動的に知識・技能を獲得していくことが望まれる。本校では、その支援のために、座学ではなくミニ探究形式の講座を設定することにした。高校生の探究活動においては、実験の条件づけは甘くなり、仮説や主張の根拠が弱くなりがちである。これらは経験不足によるところも大きいと考えられる。そこで準備段階にあたる本科目では、ミニ探究を通じた経験からの学びを中心にすえることにした。

 「ミニ探究」という別の呼びかたが出てくる。最初から最後までぜんぶ「ミニ探究」と呼べばよかった。ただ、「理数探究基礎」で取り組むべきは「ミニ探究」ではない。むしろ実際には何もやらず「座学」に徹してほしかった。「理数探究基礎」で確実に定着してほしい技能のほとんどは「座学」(※PCなどの道具は使う=「演習」ではある)でこそ楽に、そして確実に獲得できるものである。むやみに「ミニ探究」にしてしまうことは、わざわざ技能を獲得しづらくしてしまう恐れがある。目先の活動そのものがおもしろくて、結局、何を覚えるべきなのかが生徒自身でわからなくなる恐れがある。そんなことをしてまで興味を引かないと生徒がまともに取り組まないというような学校ではないはずだから、もっときちんと濃密な「座学」を詰め込むべきだ。

 > 総合的な探究の時間は、指導要録上では文章によって評価することになっている。生徒の人数分の評価を準備するのはそれなりの困難が伴う。また文章による評価は、学びの実態を定量的に把握することには適しない。

 それはいけない。そこはちゃんとやらないといけない。入試の小論文を全否定するようなことを言ってはいけない。「理数探究」というかたちで、ある意味では枠が狭まったので、型にはめた論文を作成させ、それを形式的に評価するという道は、むしろ拓かれた。論文としての構成を持っている、その他いろいろ、小論文の採点よりもはるかにシステマティックな評価方法が、すでに「論文の査読」というかたちで存在している。それと同じようにすればよいだけの話だ。そうでなければ、この世の論文の査読はぜんぶいい加減だと、全世界に対してけんかを売ることになる。自分が述べたことの「逆」や『対偶!』を考えてみて、翻って、その実、自分はなんてとんでもないことを述べてしまったんだと気づいて青ざめてほしい。

 > (PDFの17ページ)
 > 講座は、<探究テーマの設定について>、<理科の見方・考え方について>、<数学的な見方・考え方について>、<情報機器を活用した成果発表について>に大別される。

 …それを先に言ってよの極み。それをそのまま講座のタイトルにしてほしい。大学の科目名みたいになるとは思うけれど、むしろいい。生徒としては、なんか背伸びした気分になれて気持ちいいはずだ。

 > (PDFの20ページ)
 > 講座1に取り組む生徒の様子

 この学校、本当に『私服!』だ。(※ソコジャナイ。)

 > (PDFの21ページ)
 > 課題解決型探究と基礎研究型探究のプロセスの共通点と相違点について理解させる

 それは講座のタイトルにするほど重要なことなのか。「理数探究基礎」の段階で、そこまで強調すべきことなのか。理系と文系を横断しよう、教科を横断しようという流れの中で、そこだけはすごく分断してしまうことに(貴校に限らず)なっているが、そこには強い違和感がある。データさえあれば、すなわち研究(探究)である。データを見つけたり仮説を思いついたりするのは、研究(探究)の外側といえば外側の話である。「なになに型」と呼んで並べるようなものではない(と思う)。あえていえば「基礎研究」は『エリートのみに許される!』、「課題解決型」(※こちらだけに「型」をつけて言う)は『実用本位の俗な研究!』と言っているようにしか聞こえない。研究費(の配分)をめぐって(分野の異なる)研究者はののしりあっているので、そのためのののしりの表現だとしか感じない。高校生に覚えさせるものでは決してない(と思う)。

 > ブレインストーミングについて学ぶ

 これ自体に異論はない。「LHR」(※全角)としては、ぜひやってほしい。しかし「理数探究基礎」でやることではない。

 > (PDFの32ページ)
 > 1時間目「測定値,有効数字,単位を理解する」
 > 使用教材:「理数探究基礎(数研出版)」

 個人的には数研出版には恨みしかない。それを差し引いても、数研出版の「理数探究基礎」の教科書がいいのかは判断しかねるし、その中からよりにもよってそこを抜き出してきてそこだけをやるというのが適切なことなのかは、さらによくわからない。

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 > 「測定の正確さ」

 それは理科でやるべきこと。「理数探究基礎」で問うべき「正確性」とは、論文の査読でいうところの「正確性」である。

 > 溶解反応・中和反応の温度変化を測定することによって、得られたデータからどのようにグラフ化するか、またグラフをどのように理解するべきなのかを学ぶ。また、得られた結果より、行っていない反応の温度変化の予測を行った後、実験することにより予測の検証を行う。

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 エクセルで「グラフに数式を表示する」。そういう具体的な操作と、あくまで理科としての目的を言うばかりでは、それは結局、何なのかがわからないまま終わる恐れがないか。「統計学」の用語で言うと、それは何なのか。「数学」の用語ではどうか。英語ではどう言うのか。そういうところをしっかりやるのが「理数探究基礎」ではないのか。

 > (PDFの48ページ)
 > 「観察から始まる実験計画」
 > 生物分野に関して、マクロな面とミクロな面の両面から自然科学を探究するために必要な力を学ぶ。具体的には植物観察を通して観察眼を、酵素実験を通して実験計画の立て方を体験する。

 これこそ「座学」にしてもらいたい。(理科の)「生物」そのものでなく、科学史の講義にしてほしい。いかにして「実験計画法」が見い出されたのかを紹介してほしい。労災とか保険金の計算の話も入れてほしい。何より、教員自身が大学で行なった(卒論の)研究について熱く語ってほしい。(※この先生なら語ったかもしれないとは思うけれど。)

※「生物」の教員になるまでに「実習」でいろいろなところ(圃場とか圃場とか、圃場とか!)に行くので「実習」そのものが「思い出」のようになっていて、懐かしそうに語るひとが多いのではないかという感触がある。

 > (PDFの57ページ)
 > 40人を8班に分け、クラス内で調べたいテーマを決める。このとき、忖度などがないようにテーマを全体に伝えないようにする。
 > そのテーマに沿った質問(性別など個人が特定されるものや、傷つける内容を省く)を4つ考え、Google Forms でクラス全員に答えてもらう。

 これは「心理学」や「社会学」である。「数学」の教員が扱っていい内容ではない。データを教員が用意すべきである。それもまた「数学」の教員だけで決めてはいけない。

 > (PDFの61ページ)
 > 授業で学んだことを活かし、「私のトリセツ(取扱説明書)」というテーマについて口頭発表スライドと発表原稿を作成する。

 大学生や新入社員のための往年のパワポ入門では、本人が(概ね)成人であるのでそれでいいが、高校生にそれをやらせてはだめ。高校生に自分自身を題材にさせてよいのは芸術的な活動に限る。何らかの技能の習得を目指して取り組む単元としては、取り組む題材は取り組ませる側が用意しなければならない。

 実際に大学でやる方法としては、他人の論文を読んで、その著者になりきってパワポを作成するという『なりきり口頭発表!』である。論文を正しく読めているかの確認にもなる。パワポを作成する部分だけを評価の対象にするのであれば全員が同じ論文のパワポを作ればよい。

 > 上記のように、各々が「他者に見せる資料」であることを念頭に、効果的に伝える方法や視覚的な印象を与えるためにはどのような文字サイズ・フォント・画像・レイアウト・色使いが良いのかを試行錯誤しながらスライドを作成することができた。

 いわゆる「ファンシー」なスライドになるような「試行錯誤」であれば、そんなことはすべきでない([4888])というか、すると評価が下がる(面と向かっては言われないが影では冷笑される)ものである。どのようなスライドにすべきなのかには一定の正解がある。「試行錯誤」をしてはいけない場面もあるのだということは教えてあげてほしい。

 「理数探究基礎」で取り組むべきは、パワポそのものではなく、実験ノートから論文とポスターができてスライドも作る、そのそれぞれの間での文章の要約のしかたの違い(分量・内容とも)をシステマティックにとらえさせることであろう。パワポの画面に向かって箇条書きで入れていったら画面がいっぱいになったのでそこで終わりにするといったボトムアップな作り方ではなく、かなり長い場合もある論文から、どこをどう要約してスライドにしていくのかという、トップダウンな作り方をする必要がある。高校生までの段階で、そのような方向から物を考えたり文章を書いたりすることは少ないと思うので、「理数探究基礎」では手厚く指導されたい。また、本来そういう期待があって「国語」の教員がアサインされていたのであろうに、「国語」の教員が期待に応えていないということでもあろうかとは思う。いわゆる「作文」を指導するのは「国語」の教員の中でも専門性が高い(らしい)ので、「国語」の教員なら誰でもすぐに担当できるなどと思ってはいけない(らしい)。

 > (PDFの71ページ)
 > 評価のためのルーブリック

 本報告の“本丸”。

ABC
知識・技能講座で取り組んだ知識や技能が、十分に身についた講座で取り組んだ知識や技能が、十分ではないが身についた講座で取り組んだ知識や技能が、身についたとは言えない
思考・判断・表現講座で取り組んだ内容を用いて、適切に思考・判断・表現できる講座で取り組んだ内容を用いて、十分ではないが一定程度、思考・判断・表現できる講座で取り組んだ内容を用いて、思考・判断・表現できるとは言えない
主体性講座で実施された内容に、主体性をもって取り組んでいた講座で実施された内容に、十分ではないものの意思をもって取り組んでいた講座で実施された内容への取り組みの際、意識が感じられなかった


 「観点別評価」の「観点」という言葉を「態度」という言葉と同義でしか認識されておられないのではないか。「態度」ではなく、具体的な「単元」ごとに評価して積み上げるべきではないか。「講座で取り組んだ知識や技能」「講座で取り組んだ内容」「講座で実施された内容」というところを、具体的な「単元」に置き換えて、従って評価の項目数はがくんと増える。これすなわち「理数探究基礎」のペーパーテストができるということになる。ふつうにペーパーテストにして、ふつうに採点して、その点数の分布を見て「5段階評価」すればよいだけではなかったのか。…それを誰がやるのか。(※どの教科で責任を持つのか。)

 > AAA を5、BBB 相当(ABC1つずつになるもの)を3、CCC を1とし、それらの間にあるものを4あるいは2とした。

 まさに▼「得点プロフィールの形状も考慮した31類型の学力型」([3568])の問題意識なのだけれども、「ABC1つずつになるもの」をひとくくりにするのは雑すぎないか。具体的な「単元」にして項目数がじゅうぶんに多くなったところで「点数」の数字を出せていれば、もう少しはふつうの「分布」が見えてくるのではないか。

 > 以上の方法で評価を算出した結果、令和5 年度における観点別評価のABC 分布状況は次のようになった。

 「主体性」の「C」が1名。「AAA」が27名。その他、大勢。▼「1:29:300の法則」([3959],[4488],[4899],[4979])に従っている。320名いれば、こういう分布がちゃんと出てくるということはわかった。「主体性」で「C」にされるというのはよほどのことだとは思うが、それでも「1:29:300」でいう「1」という割合でしか起きないことなので、それはそれということである。

 > (PDFの73ページ)
 > 赤字
 > 青字
 > 緑字

 モノクロのプリンターでは意味不明になった。いみじくも「理数探究基礎」の報告書で、そんなことを起こしていていいのか。

 > 主体性がB の生徒が、他の観点でA になることは少ない。主体性がB の生徒は他の2観点両方でB になる傾向がある(BBB は42名)。

 そりゃそうだとしか。

 > 一方で主体性がA であるにも関わらず、他の2観点で両方B がついている生徒が99人もいることが分かる(表の人数が緑字の部分)。記述式アンケートなどを活用して、これらの生徒に何が起こっているのかを、定性的に捉えなおしていくことが今後の指導改善における課題である。

 「5段階評価」にしたときに、「5」と「1」という両端は問題ないが、中間については不当な順位の入れ替わりが多発していそうだという危惧である。これではまったく評価ができていない(最終的にも「3段階評価」しかできない、評価の『情報量!』が足りない)と言わざるを得ない。

 https://research.lightworks.co.jp/wp-content/uploads/2021/11/88addfd01c787fa2874fcd816216f9be.jpg

 これでいいのではないか。すごくこれでいいのではないか。


 以下は順不同でいろいろなことを述べます。

[4841]
 > 『とても上手ですね』と一方的にほめられたらうれしくないでしょ。
 > 『とても上手ですね』と一方的にほめてくれるひとにはいくらでも出会えるでしょうから、そうじゃないことをわざと言います。

[3461]
 > > 「若い者(弟子)が落語を聴いていて、名人と言われる落語家の芸は凄い!とは感じますが、その理由を分析する力は当然ありません。ところが、なぜこの落語家の噺は面白くないのか、なぜお客が離れていくのかは、若いうちでも分かるのです。良いことより、悪いことの方が分かりやすいのです。授業でも同じではありませんか」

[4248]
 > > 高校に直接出かけていって、生徒さんたちに***の話などをしてきた。「理数探究(地学班)」だけど誰も地学を履修していないという状況だが、たぶん理数科だからこそ地学を履修してないと言える。もっとも***の話題は高校地学であまり扱われないからさほど関係ない。物理と数学がわかればOK。

 > > 「理数探究(地学班)」だけど誰も地学を履修していない
 > > 「理数探究(地学班)」だけど誰も地学を履修していない

 > > 物理と数学がわかればOK。
 > > 物理と数学がわかればOK。

 > > 理論の次は現場

 > 身もフタもない。

[4761]
 > > ggplot2 を使っていい感じに可視化してみましょう。

 > いい感じにggplot2!(※ジト目)いい感じにクレイジーだぜ兄弟(違)「DATT-A9D」の「データで遊ぶ」では「R」の「たわし感(むき出し感)」を強調するためにggplot2すらも使わない。ggplot2なんてファンシーすぎる。「R」のくせにー、ファンシーだぞー。

・「ファンシー」ではないスライドの1例です
 https://arx.neorail.jp/regions/?4%E6%8A%80%E8%83%BD
 https://arx.neorail.jp/regions/chiri_4ginou.png

https://arx.neorail.jp/regions/chiri_4ginou.png


 これはHTMLで書いてブラウザに表示してスクリーンショットをとったものですが、ほぼスライドです。一般の(ビジネスの)パワポの使い方とは違います。「理数探究」で作成するスライドには、このくらいの文字数は書いてよいと考えます。箇条書きにする場合でも助詞を省略しないこと。

 スライドを作成する作業の大半は、文章を構造化する作業です。ちょっとした国語辞典をその場でつくるような感じがあります。(※新聞に例えて説明してもいい。)だから「ミニ講座」で「トリセツ(取扱説明書)」という題材を採ったのでしょうに、本来のねらいがまったく生徒に伝わっていないのではありませんか。あるいは「空野さん」(※さん付け)が考えていたことが、実際に担当する「国語」の教員に、まったく伝わっていないということではありませんか。

[5083]
 > 高校生でも1年生と3年生ではすごく違いますけれど、12歳から15歳までという年齢でいえば同じ群に入れる場合があるように、こういう年齢においてはじぶんが使う道具をじぶんで選びきれない、じぶんの道具の限界を客観的に承知することなしに“つっぱしる”ところがあります。

[4888]
 > 「西練馬興産」さんのような、いわゆるPCゲーム「A列車で行こう9」の“本来の”客層としては、例えばパワーポイントのスライド1つとっても、無意味にファンシーなのは嫌うというか、中身を見ないで無視する傾向がある。じぶんの学校で先生が書くようなものをお手本にする。だから、ホームページはメモ帳で“手打ち”に限るし、余計な装飾は要らない。

[5178]
 > 無意味に装飾や色に凝ったファンシーなスライドは、そんなことにかまけている分、中身(本来、充実すべき内容)の出来が悪いに決まっているので、読まずに捨てるというのが「理系」の態度です。たぶん。

 このような考えを持っているので、「N県立高」のPDFで生徒のスライドを見たときにどんな感想を持ったのかは推して知るべし、であります。生徒がどのようなスライドを作るのか、その責任はすべて教員にあります。教員がやれといったからやるのであって、やめろといわれなかったので思った通りにした、それがPDFに掲載の生徒のスライドなのであります。ぜんぶせんせいのせい。

 > > きっぷや時刻表など、わたしたちは同じものを見ているはずなのに、見たものを見たとおりに表現できずに、大きさがでたらめになるとか、でたらめな色を使ってしまうとか、してしまいがちです。

 > > 「考える」の前に「観る」がある。
 > > 「観る」がなければ「考える」もない。

 > 見たものを見たとおりに表現するには、それなりの特訓が必要です。それを怠った者には、それなりの表現しかできてきません。

[3748]
 > 「ネコさんだねー」とか「ハトさんだねー(見るだけだよ@触れ合っちゃいけないよ)」「スズメさんだねー(しーっ! 驚いて逃げちゃうよ)」というもの

[3743]
 > 「プラレールだねー」「そんなに高くしたらお客さんこわがっちゃうよ」「落とした!! これはたいへんだ救急車でてこい」(以下略)きっとこのへんから体験が不足していて(すでに親の世代が)手遅れなんですよ。プラレールの車両の1つ1つをよく見もしないで、ちょっと向こうで2つや3つ“脱線”しておなかを見せてモーターが空回りしていてもお構いなしで目先の遊びしか見えてない子どものまま大人になっちゃうんですよ。「A4サイズのゴミだねー」…ゲフンゲフン。発達段階に即して、ちゃんと3つや4つの車両を同時に認識して遊べる年齢になるまでは、プラレール(の車両)は1つ(1編成3両)に限るといいんですよ。すれ違いごっこ? そのために先頭車が2つあるんでしょ。それしかないからいやでも大事にする。これだね。(※あくまで私見です。)

[3106]
 > さて、手元にモーターと電池、そして電線があります。いかに接続すれば、右回りそして左回り(※)が実現されるでしょうか。

 > ワー! 回った! 回った! はかせー! 回ってますよ見て見て! …といっている段階では、回る「向き」までは意識されません。

 「生物」の教員が担当した講座でいうところの「観察眼」は、理科の時間だけで育つものではないということです。なお、▼茨城県の「主論文・野帳・掲示物・標本」については[3520]、▼静岡県総合教育センターの論文集(児童・生徒の「理科研究論文」作品集)については[3530]を参照。翻って、理科の時間ひいては「理数探究基礎」の時間に何を養うべきかというと、これはひどく実際的な、あえて型にはめるようなつまらなさもともなう、(論文を仕上げるときのチェックポイントをなぞりながら)「形式に合わせる」ことの意義を理解させ守らせる(形式を守ることこそが研究をしやすくする)ということこそがメインになるはずではなかったのかということであります。

[4283]
 > 「あてはまり」とか「記述統計」とか「最小二乗法」という用語

[3563]
 > 単に「最小二乗法」と訳してしまうと、(数学上の)操作の目的がよくわからなくなるという『副作用』がございますよね。

[4014]
 > 初等で習うような「散布図」を小馬鹿にして、実際の場面でちっとも使わないからである。ましてや「散布図行列」をや。(※見解です。)初等で習うからつまらぬもの(≒『子どもが使うものだから、大人が使うのは恥ずかしい』)で、高等で習うから高尚なものだ(≒『子どもや学生や新人が使うのは生意気だ』)という変な観念がある。日本語がいけないのだと思う。難しい漢字を多用したお札はありがたいのである。ウイルス退散である。

[3581]
 > > 「彼自身は自身の統計学的研究をあくまでも心理学研究の副産物と考えていた。」については[3524]を参照。

[5239]
 > 研究は合理的でなければなりません。新しい手法があれば、それを検討しなければなりません。意図的に古い手法を使うことで実験結果の悪い面に対する検出力を下げるようなことが起きてはいけません。こういう方向からも「研究倫理」を考えてもらいたいと思います。

 およそどんな研究分野でも使うであろう数理的手法をある程度は網羅的にレビューしてもらって、何か1つの手法だけの1つ覚えに陥らず、特定の研究テーマや具体的な対象物と特定の数理的手法とを1対1で固着させてしまうことも避け(※もちろんオーソドックスな手法を覚えておくことも必要ですが)、その場その場で適切な数理的手法を選び取っていける力(研究の内容ではなく方法についてもサーベイできる力=「内容」と「方法」を弁別して扱っていける力=)の基礎を高校生のうちに築いてほしいという期待がなかったでしょうか。

[4248]
 > 先に言うけど、それはいけません。

 > > SSH初期の指定校での生徒がやってた課題研究の例で感染症流行の数理モデルを改良するみたいなのがあった覚えがあります。

 > 「感染症流行」がニュースになっていないときに限ります。ニュースになっている間は、それをやってはいけません。…という考えかたがあります。(※あくまで考えかたです。)

 > いまホットだからといって「感染症流行」という『片側』からの見方だけで計算方法を学んでいくということになってはいけないということができます。

 > いかなるテーマにも興味は持たせず、データの解析法だけを見ていくという学びを、最初にしておきたい。

[4602]
 > 自由研究には「動機」つまり、研究テーマが『自分事』であることが必須だという説明のしかたをする場合がありますが、だからといって、いまニュースで聞かされ続けているものをそのまま研究テーマにするのはいけません。

 後発医薬品や健康食品の問題などのニュースを、「理数探究基礎」のほうで取り上げるのは好ましくないし、そもそも難しくもある。研究や製品開発に関して起きた倫理的な問題こそ「公共」で取り上げればよい。「N県立高」のPDFで紹介されている「世界から貧しさをなくす30の方法」のような漠然とした問いにしてしまわず、特定のニュースをしっかり掘り下げながらの学習にしてほしい。そちらにも「国語」「外国語」「理科」の教員が加わる余地が多分にあります。あらかじめ「理数探究基礎」と「公共」に教員を班分けしてしまうのは、あまりに愚の骨頂ではありませんか。

[4464]
 > > (記事の終わりに「情報」と「公共」のサンプル問題を掲載します)

 > > 電気通信大学の
 > > 「難易度も極めて難しいというものではなく、ごく標準的な問題が出ています。ただ、きちっと自分でプログラミングを書いたり、多くのデータを統計処理ソフトウェアで処理したりして仕組みを理解していることが必要になると思います。自分で論理的に考えて、問題に取り組む能力が問われています」

 > 要するに「R with Excel」なんですけど、RじゃなくてもいいしExcelじゃなくてもいい。そのうちRのようなもの(「統計処理ソフトウェア」)のほうを使って散布図行列([4458])を描くけれど単回帰分析を複数やるだけで、重回帰分析([4459],[4460])も主成分分析も主成分回帰もやらない。なんかほっとしたけれど、ほっとしていてはいけないのだなぁ。

・(再掲)
 https://neorail.jp/forum/uploads/k4mae_n18p7_bento.png

https://neorail.jp/forum/uploads/k4mae_n18p7_bento.png


 変数が7つある(7次元の)多変量データをk-meansでクラスタリングして(クラスターを)色分けしてプロットした散布図行列です。

[3573]
 > 容器の縦横比(販売時)
 > 容器の容積(cm3
 > 容器の面積(喫食時)(cm2
 > 内容(品数)
 > 1品あたりエネルギー(シウマイを除く)(kcal)
 > シウマイ(個)
 > シウマイ率(エネルギー比)

 https://bandai-a.akamaihd.net/bc/img/model/xl/1000200019_10.jpg

 そういう7つの変数からなる多変量データです。これは何のデータですか。

 > 丼の容器は円形
 > 便宜的に「縦」を「0」とし、「直径」を「横」の欄に入れ(略)

[4458]
 > 何をしたらいいのかわからないときの「散布図行列」です。本日「このフォーラム」であります。「このフォーラム」では「多変量解析へのいざない」を定期的に特集いたしてきております。

・「データ解析(科目全体のルーブリック)」(2022年3月14日)
 https://www.shikoku-u.ac.jp/docs/R4rubric15.pdf

 > 到達目標:統計の基礎を踏まえつつ、データ解析の基本的手法を理解して、実際にデータを扱うことができる。検定、回帰分析、多変量解析などの統計解析の各種手法の考え方を理解し、実際ソフトウェアを利用して、操作することができる。

 極めて明快である(ように見える)が妥当性を判断する立場にはない。どこの教員がどのようなルーブリックを掲げようとも、その教員の責任である。これをいうと元も子もないとは思うが、ルーブリックいかんにかかわらず成績はつき、成績への不服申し立てがなければ、それでいいのだということでもある。教員にはそれだけの重い責任が、もともとある。

 > 回帰分析、主成分分析の理論を説明できる。さらにプログラムRにより実際に問題に当てはめて応用、実行ができる。また解析結果の検定などの解釈ができる。

 「Rにより実行できる」が「レベル2」以上になっているが「Rにより実行」してこそ簡単であり理解も容易になるので、そのルーブリックでいう「レベル1」は本当に無意味な状態であり、成績をつけないで追い払うというレベルである。違う言いかたをすれば、「Rにより実行」は教員が演示して、その通りにできればよしという程度のことであるから、ルーブリックに含めることではないように思う。

 > 判別分析、クラスタリングの理論を説明できる。さらにプログラムRにより実際に問題に当てはめて応用、実行ができる。また解析結果の検定などの解釈ができる。

 > 機械学習、サポートベクターマシンの理論を説明できる。さらにプログラムRにより実際に問題に当てはめて応用、実行ができる。得られた結果の考察を行い、他の問題への応用ができる。

 なにかちぐはぐな気がしないでもないが、ルーブリックがどうであれ、そこで名前が挙げられている解析手法を片っ端から教えるのだということで、そこにはまったく異論はない。「3年後期」の半期の授業とのことで、1つの手法ごとに1〜2回の授業時間を充てるのだろう。時間のかけ方としても無理はなく、ちょうどよいように思う。なお、受講する学生がどう思うかは知らない。

 これは大学3年生の授業であるが、高校1年生の「理数探究基礎」にアレンジするとすれば、どのようなルーブリックになるだろうか。

■「理数探究基礎」のルーブリックとは(※独自に作成)

レベル3レベル2レベル1
回帰と予測回帰と予測について説明できるRの実行結果を説明できる文章を読んでRで実行できる
多変量データ多変量データについて説明できるRの実行結果を説明できる文章を読んでRで実行できる
特徴量と分類特徴量と分類について説明できるRの実行結果を説明できる文章を読んでRで実行できる


 大学生や社会人でも、むしろそこができないという人はいるのではないか。だからこそ高校で「理数探究基礎」が必要なのではないか。なお、ここでいう「…について説明できる」という「評価の観点」は、ペーパーテストで「以下の語句をすべて用いて何字で述べよ」あるいは「空欄にあてはまる語句を語群から選び記号で答えよ」方式の出題で問えるものである。先述の通り、大学なら教員の責任でどんなペーパーテストにしようがそれでいいという面があるが、高校の「理数探究基礎」で(「ミニ講座」ごとのワークシートや小テストのようなものでなく、科目としての最終の試験として)ペーパーテストを行なうとすれば、どの教員が責任を持つのかということである。

[3455]
 > > 西荻窪駅にスタバがなぜできないのか、スターバックスコーヒージャパン株式会社に問い合わせてみた。
 > > 「そのような理由に関してはお客様に開示しておりません」

[3668]
 > このフォーラムで、これまでに▼「主成分回帰(PCR)」(⇒「rpart」[3575])それに▼「PLS回帰(PLSR)」([3572])を眺めてきたいまのわたしたちならわかります。

 > 国勢調査も含めたあらゆる「立地条件」のデータと、プローブ的に出店した、および過去に出店した全店の売上データを使ってPLS回帰みたいな重回帰分析をするんでしょ
 > 固有値分解なのか特異値分解なのかは知らないけれど、そういう『変換』(回転)が挟まっているので、「西荻窪」の場合はどの変数が効いたみたいなことは何ともいえないんでしょ(=入力した多種多様な変数ぜんぶをもれなく使っている、としか言いようがない)
 > 出店するかしないか(やめるか続けるか)という2値の判断が所望の精度でできさえすればいいんですよ
 > 採算に乗るか乗らないかを重回帰分析で推定(判別)する前に、そもそも出店可能な賃料や面積の物件のあるなしなどで候補地を絞るはずで、その段階で「西荻窪」は候補にならないとすれば、「西荻窪に出店したら採算どうなる」という計算はまったく行なわれないということのはず(※推定)

 > 「限られた人だけが知る秘密の『出店基準!』」みたいな巻物が箱に入って金庫にみたいなイメージで取材しているんじゃないかと邪推しますが、そんなものはないっ。…たぶん!!

 > 「売上データ」が営業秘密なのだというあたりまえのことでしかない
 > 計算方法だけ知っても「過去の膨大な蓄積!」(売上データ)がなければ何もできない!

 > これだね。つぶれかけのチェーンをデータごと買う以外には参入する方法がないとはこのことだよ。

 先行の「SSH(スーパーサイエンスハイスクール)」では、どういうことになっていたでしょうか。

・橋本三嗣「高等学校における推測統計の指導について −内容と方法の実践的検討−」第14回統計教育の方法論ワークショップ(2018年3月2日)
 https://estat.sci.kagoshima-u.ac.jp/SESJSS/data/edu2017/JCOTS17_S11_4_hashimoto.pdf

 統計数理研究所(統数研)での口頭発表です。

 > 記述統計(数学?T)から推測統計(数学B)へ

 あくまで高等学校の「数学」のカリキュラムからの逸脱は許されないという制約のもと「数学」の教員が(やや)孤軍奮闘している感じではあります。あくまで「数学」であって「理数探究基礎」になりきれていないという印象が否めません。もちろん、まだ新科目が始まっていない2017年度の話なので、かなり無理があるのは当然です。現在なら、もっと柔軟にできるのではないかと思えてなりません。

 > 生徒の感想(2月)
 > 何のために推定や検定を勉強するのかがよくわかった。論文の輪読を通して、統計処理した結果をどのように表現したらよいのかがわかった。研究等で客観的な根拠を与えるのに統計は使えると思った。
 > どんなデータかにより分析の方法が異なることを知った。読み取りには背景知識が重要だと感じた。
 > 多重比較の方法などをもっと詳しく教えてほしかった。

 「なんでもいいからもっと難しいのを出せ!」と要求するタイプの高校生というのは、どこにでもいるものです。われわれの業界では「背景知識」のことを「ドメイン知識」などと呼んだりもしています。その分野なりデータなりに特化した知識が必要だということをいう言葉ですから、「背景知識」と言い換えてしまうとニュアンスが変わってしまいます。

[4979]
 > かわのほとりのかわべりー氏(※仮名)はケミカルなほうの化学の人だから、そこらへん(「物性」「材料」関係)の分類がやたら詳しい。その代わりに「情報」らへんの分解能がおそろしく低い。

・「PCAを用いた2群の有意差検定」(2010年8月17日)
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsaisigtwo/2010/DMSM-A903/2010_08/_pdf

 > 別の問題としては、多重比較の問題がある。
 > 本当は有意の差を示しているのに見逃す(偽陰性)効果を更に拡大してしまうことなる。

※「しまうことなる」は原文ママ。

 「多重比較」とは「チャレンジすべき(好ましい)難問!」などではなく「避けるべき問題」なのではないのですか。

 > 私は物理屋なので、問題ごとに統計的、情報論的に精緻なモデルを構築して感度を上げていく様な方向性とは違う方向性を目指したいと思っている。「データに語らせる」とはデータごとに精緻なモデルを組み上げて感度を上げていくことではなく、もっとロブストでどんなデータが来てもなんらかの結果を出せる方法を考え出すことであると個人的には思っている。

 …実に身もフタもない(が同感である)。

 > 下手に「差があるはずだ」と仮定して、プロモータ選択を行うとむしろ結果が悪くなるのである。このようなことを自動的に行えるのはPCAの圧倒的な優位さのおかげであろう。

 「データに語らせる」とは、このあたりを指している(と思われる)。

 http://c-research.chuo-u.ac.jp/html/100003174_ja.html

 「物理屋」大躍進の人生。(※個人の感想です。)

※おことわり:このフォーラムの記事では意図的に常体と敬体を混在させています。ここは読者に語りかけるようにしたい、ここは独り言のようにしたい、といったことで使い分けています。ご了承ください。


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