フォーラム - neorail.jp R16

【自由研究】の話題

 → 茨城県内で必要な「主論文・野帳・掲示物」とは? 【詳細】(2017/10/19) NEW!
 → 【自由研究】の記事一覧(新着順)


【研究ホワイトボックス】

研究を楽しく「追体験」! 真っ白のキャンバスに虹色の未来を描く方法、教えます。
R with Excel prcomp | kmeans・hclust | rpart | ggvoronoi | spantree | lm NEW!


発行:2015/8/11
更新:2016/7/24

[3097]

【縦書きディープなラーニング(※表示は横書きです。)】

「公共政策の経済評価実習」を読み解く


公共政策大学院を読み解く
文書の可読性(リーダビリティー)と記述の信頼性
目次を読み解く
「モンテカルロ分析」
専門家による「確率的感度解析」の検討
いま、再び「モンテカルロ分析」
センセイはこう書く
経済(社会科学)と物理(自然科学)

(約18000字)

 よそさまの実習の成果物として提出および公開されたレポート(報告書ただし実務でない)に、横から(「上から」ではありません)あれこれ云々できる、いい時代になったなぁ、と実感されます。

 よその大学(や大学院)のことが、あるいは中高生でも(大学=学部を飛び越えて大学院のことを=4年「先取り」で)、垣間見ることができるのです。まずは見えないと、そこに大学院があるということすら知られません。いろいろと取り繕った、いわゆる「MOOC」もいいですが、もっと生のレポートを、そのまま見る(「読める!」かどうかは、ちょっと難しい面もあるわけですが)ことが第一歩です。

・(参考)JMOOC
 http://www.jmooc.jp/


●公共政策大学院を読み解く

 このたびはまことに「炎天下の中」…(略)以下のレポートを読もうと思いました。しかし、本稿では「読む」ところまではいかれません(稿を改めて読みたく思います)。

・「京浜東北線におけるホームドア導入に関する費用便益分析」東京大学公共政策大学院(2014年)
 http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/courses/2014/documents/graspp2014-5113090-2.pdf

 まず、いかなる課程の、いかなる段階にある学生の、いかなる成果物であるのか、注釈が必要かと思います。

・東京大学公共政策大学院
 http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/overview/index.htm

 > 定員は、1学年110人。

 「修士課程未満」といわれることもある(悪い意味ではありません:間口を広げ、より多くの人に「学部以上」の教育機会をもたらす施策です)「専門職大学院」で、あまり(学術的に)キツキツなことをいわれず、それなりにノビノビと、端的に、ワクワクしながらまとめられたのではないかなぁ、と思われる、ちょっと楽しそうなレポートです。(論文ではありません。実習科目の課題ですね。)

 その「楽しさ」は、定員の多さにも、1つの課題に4名で取り組む(※列車の分割併合のうち併合が乗務員を節約する施策であるのと同じように、教員を節約する施策にほかなりません)ところにも表れています。修士課程なら、一人で取り組むところです。そこが、修了後の実際の仕事(実務)がチームワークであるのに沿っているということで、しかし、本来なら「1人でもできる!」人が「3人寄ればナントヤラ(ただしフゲンでない)」であって、そうではない人が何人集まっても、総和が1を超えることはきわめて難しいようにも感じます。(感想は個人ですが実感です、ゲフン。)

※ましてや福岡ブルックス…いえ、ブルックスの法則([2984])が効いて…いえ、容赦なく「ふりかかって」きますから、業務というものはどんどんつまらなく、そしておもしろいように遅れ、停滞していくのです。大げさです。何でもとりあえずは1人でしてみなはれ、役割の違う3人で集まってみなはれ、といってみたいですが(Googleの社内では言われているというウワサですが)、いえいえ、ブルックスの法則など考えもせず「遅れているプロジェクトに『サポート』などと称して応援要員を追加する」ようなことをしている業界は、あちこちにあるのではないかと想像します。(あくまで想像です。)

 学生については、「1年生」ですね、わかります。大学院に行っていない、いまさらとはいえ行こうかなぁ、と迷われている社会人の方にあっては、確かに、いますぐは自分では取り組めず(取り組み方がよくわからない)、行ってすぐ、あるいはその年のうちに仕上げることができる(書ける)成果物として、このくらいなんだ(決してむずかしいことや高尚なことをしているわけではないが、確かに職場の上司の「指導」だけではできず、やっぱり大学のセンセイは違うなぁ、と一応は実感される、の意)というのが、なんとなくわかる、活きた資料でもありましょう。

・同
 http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/divisions/economicpolicy.htm

 > 公共政策の経済評価、公共政策の経済評価実習

 大学院とはいえ、ひたすら「授業」を「46単位以上」も「修得」し、しかし修士論文は課されず「修了」されていくということで、いわば学部の3・4年生をやり直しつつ、修士の1年生だけで終えるような、という感じがします。いわゆる「学び直し」(専攻を途中で変えた、あるいは実務で必要になった)としては申し分なく親切で充実したカリキュラムですが、これをもって(これだけを)大学院だと思っていただいては困ります。いえ、私は困らないですが、将来的に、社会的に、困ったことになるかもしれないということですね、わかりませんわかりません(わからなくても大丈夫です、そこまで「大きなことや重たいこと」は私もわかりませーん、の意:恐縮です)。

 そして、カリキュラムの上で「メーンイベント!」(ハイライトのようなもの)といえるのが「実習」だとわかります。調査や分析の方法や最新の事例などを「座学」で学ぶ科目と、それを踏まえてグループで課題に取り組む「実習」がセットでおトク…いえ、不可分の一連の科目として設計されていることがわかります。どんな学部でも、こうした「専攻の核となる『科目セット』」がありますから、みなさま、何か一つは「○○概論」や「○○方法論」と「○○実習」(○○の部分は4年間通して同じ:学科や専攻の名称とも同じの場合が多い)をこなしてから社会人になられているはずですが(学部卒の場合)、それをもう一回、そして、学部よりはちょっとレベル(難易度や精緻度のようなもの)を上げて取り組むということですね、わかります。


●文書の可読性(リーダビリティー)と記述の信頼性

 文書の形式的な可読性と、記述された内容の信頼性は、一般にかなり相関があると実感されましょう。

・「構文的特性に着目した可読性診断技術」東芝レビュー Vol.66 No.4(2011年)
 http://www.toshiba.co.jp/tech/review/2011/04/66_04pdf/f06.pdf

 実習のレポートを、いま、可読性やいかにという目から(目だけで)見てみます。(見るだけで、読みません。)

 すると、目次(後述の「メタ目次」に沿っていない)や文章(段落の分け方など形式面)、図表の入れ方(上寄せに揃っていない)、改ページ(していない)などが、かなりグダグダであると気づきます。論文でなくても、論文に準じて書くよう指導…は、されなかったようですね。

※「論文じゃないんだから、適当でいいよ」とまでは言われてはいないと信じたいですが、しかし、定員あたりの教員の少なさからして、現実的には教員の指導は内容面だけに留まり、形式的な面をミッチリと鍛え上げるのは修士課程の学生だけ、といった一種「線引き」がされているのではないかと想像されます。ちょっと(かなり)もったいないです(ここまで取り組んでおきながら形式がグダグダだということがもったいない、の意)。

 なぜ形式が大事かといえば、形式を厳格に運用すること自体が1つ(!)の能力になっていくということも、もちろんですが、それにもまして、形式に当てはめてみることで、「自分なり」に素朴に取り組んだときに起こしやすい「漏れ(抜け)」と「重複(ムダ)」の両方を、第三者的な目で(自分で取り組みながらも自分ではない目で)チェックできるということがあります。いわゆる「精神論」ではなく、たいへん実用的な面から大事なことなのです。

 …と、こんなことをなぜ最初に(内容に言及するより前に)述べるかといえば、5章だけ先に読む、そして1章を読む、3章を読んでから2章を読み、最後に(やむをえず…いえいえ、たいへん興味深く)4章を読むという、いわば「形式的な読み方」ができなくて不便を被ったといって、ちょっと不満そうに述べているわけですね、わかります(わかってくださぁい)。

※余談ですが、こういう話、理系の学生がうっかりすると、ともすると「TeXも使わないなんてありえない!」「しょせんWordしか使えない人たち」といった、一種、見下すような何かを持ってしまいがちですが、そうではありません。Wordでもできますし、そこは本質的なことではありません。TeXを使っていながらグダグダ、という例もなくはないでしょう。


●目次を読み解く

 まず、目次だけを見て本稿(実習のレポート)の骨格を見定めたく思います。(誰もが思います。)

・1. はじめに
・2. 「研究の背景」
・3.A 費用の推計
・3.B 便益の推計