・「カチカチ」とは ・電信とは ・『羊飼いの少年』が『磁石』を『発見』 ・「キャリントン・フレア」に学ぶには ・表1 電気通信の普及に至るまでの主な発見・発明の歴史(ウィキペディア等より抜粋)
(約21000字)
さすがに「リレーと呼ばれる継電器!」などとおっしゃるような人が、このサイトをご覧になるとは思われませんが(そもそもサイトに到達できないと見込まれます)、とはいえ、「リレーって、あれでしょ、1個○○円でザラッと皿に入って売ってるやつ?」(アコガレの「電子工作」に入門すべく共立エレショップさんに初めて注文するフレッシュなかた[3106])という漠然としたイメージのかたもいれば、「いまどきリレーなんて…えっ? 『デジタル継電器』!?」(「停電の自動化」[2977])というような戸惑いなど、いろいろ混ざって、社会的にはよくわからない(誰もが同じように理解しているわけではないので齟齬が生じやすい)状態だと思います。
・[2477] (2005年11月8日)
> 仮に、リレーを使った制御を「カチカチ世代」、マイコンを使った制御を「ピコピコ世代」と呼んでみます。
> 「カチカチ世代」では電気が流れているかいないかで制御を行なうために、1つの制御に電線を1本使い、操作卓とのI/Fに接点を使うわけです。
> 「ピコピコ世代」では、電線を使うものの通信は「デジタル」であり、1本の電線で何種類もの制御ができます。
・[2856] (2007年)
> カチカチ世代(リレー)のCTCは長持ちしますが、ピコピコ世代(マイコン)のPRCはあまり長持ちしません。
・[3119] (2015年)
> 「JUL 28 1952」と記された継電器(「カチカチ」)が見られます。必見です。
・[3135] (2015年)
> 併結された編成同士は、電気連結器を介して力行やブレーキの操作(「指令」)が伝えられ、一つの運転台で編成全体が制御できる、と説明されます。しかし、運転台の操作がダイレクトに伝えられる電気的な「指令」であって、電線を直結していた時代はよかった、といいつつ、いま、いかにして電気連結器を用いた併結運転が実現されているのでしょうか。
> E231系に始まりE259系も含まれるTIMS、伝送路としては「アークネット」の世代の車両では、電気連結器を介して併結された編成の制御には、電気連結器の前後で接点情報とアークネットとの変換を都合2回、挟んでいるらしいとわかります。
技術的詳細を知ろうとすることは、ちょっと(かなり)「お行儀のわるい」ことですから、そこには深入りせず、しかし、基本のところはきちんと理解しておきたいなどと(私のような素人が)言いだしますと(いえ、私が言っているだけですが)、(素人にとって)むずかしい選択が迫られます。
以下、当面のリレーに関する『事項等』…いえ、「話題」を読み解くのに必要になりそうな範囲で、なるべく広く見渡せるように、まとめてみようと思います。
●「カチカチ」とは
・[3109]
> かちかち山
「カチカチ」とは、電磁リレー(電磁式継電器)が動作するようすを擬音的に表したものです。火打ち石を鳴らすと火花が飛び、石とは直接には接しない場所で火がつく…いえ、電磁石に電気を流すと、絶縁された別の回路のスイッチの接点が動いてオンとなり、電磁石に電気を流すのを止めると、バネによって接点が引き戻されてオフになるという仕組みです。
・オムロン「一般リレー テクニカルガイド」
http://www.fa.omron.co.jp/data_pdf/commentary/generalrelay_tg_j_10_2_1-4.pdf
・Wikipedia「Relay」
https://en.wikipedia.org/wiki/Relay
> The American scientist Joseph Henry is often claimed to have invented a relay in 1835 in order to improve his version of the electrical telegraph, developed earlier in 1831.
・ウィキペディア「ジョセフ・ヘンリー」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC
> 1830年、マイケル・ファラデーより先に電磁誘導を発見したが、発表が遅れたため、発見の功はファラデーに譲ることとなった(1831年)。1831年には電磁気を動力源として動く世界初の機械を作った。電動機の元となったものである。ただし回転運動ではなく、棒の先の電磁石が前後に振動する形だった。これは棒が振れたときに2つの電池の一方と接触して電磁石の極性が逆転し、反対方向へ動く力が生じる仕組みだった。この実験からヘンリーは1832年に自己誘導を発見した。
> ヘンリーは多くの発明をしたが、一切特許化はせず、これらの成果をもとに他の人間が製品化することを大いに援助した。1835年にヘンリーが発明した継電器(リレー)は電信機の発明(1837年)の基礎となった。このサミュエル・モールスによる発明に対し、ヘンリーは多くの支援を行った。
すぐさま傍題に逸れて恐縮ですが、このヘンリーという人、基礎研究としての興味から、実用としての社会的インパクトまで、渾然一体として、むしろ自然な状態で研究に臨んでいた人だったとうかがわれます。(一種「未分化」な「原始時代」[2947]といってしまえばそれまでではありますけれども。)
ヘンリーが火打ち石から継電器を着想したかどうかは不明ですが、最初のほうの発明では、水車小屋で粉を挽くような、そして、オラの父ちゃんDIY…いえ、簡単な構造だからちょちょいと修理してしまおう的な…いえ、既にある機械を、電気によって動く機械に置き換えようという、いま「電気・電子・機械」と分けられるうちの「電気」にあたる部分の研究であったわけです。(いえ、「発明すべく研究した」のか、「研究の結果、発明に至った」のか、ヘンリーがどうとらえていたのかや、社会でどう受け取られたのかなどについては、もっと深く調べないとわかりません。ここでは端折りますが、おもしろそうですね。)
・ウィキペディア「マッチ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81
> 火は人間の生活に必要不可欠のものだが、木の摩擦熱や火打石による発火法は手間のかかる作業だった。1827年にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが塩素酸カリウムと硫化アンチモンを頭薬とする摩擦マッチを考案した。形態的には現在のマッチとほぼ同じであったが、火付けが悪かった。
> このため、1830年に、フランスのソーリアが黄燐マッチを発明した。これは頭薬をどんなものにこすりつけても発火するため普及したが、その分自然発火が起こりやすく、また黄燐がもつ毒性が問題となって、製造者の健康被害が社会問題化した。そのため、19世紀後半に黄燐マッチは禁止されてゆき、1906年、スイスのベルンで黄燐の使用禁止に関する国際会議が開かれて、黄燐使用禁止の条約が採択され、欧米各国は批准した。しかし、マッチが有力輸出商品だった日本は加盟しなかった。結局、1921年(大正10年)になってようやく日本は黄燐マッチの製造が禁止されたが、日本における黄燐による健康被害の実態については、不透明な部分が多い。
「マッチ以前」の日常的な点火方法がわからなかったのですが、金属の板に石を打ちつける等、焚きつける側に火薬的なものを置いておく「逆マッチ」ともいうべき方法など、いろいろあったようですが端折ります。
※余談ですが、フィクションで描かれる昔(あるいは古風な「世界観」)の食事のシーンで、やたら簡単に「温かい食事」が出てくるのには、ウソとマコトがないまぜになっていて、▼(地域や気候から)暖房を兼ねて常に火を絶やさないので「温かい食事」がリーズナブルであった、▼(登場人物が)暖房を使える階級であった、等々、いろいろ「考証」されないと「リアリティのようなもの」が薄れることがわかります。朝や昼には「温かい食事」はとらないという社会のほうが多かったかもわかりません。…いえ、「正しくないからケシカラン!」というのも短絡的すぎるはなしで、考証にどれだけコストをかけたのかが、作品のあらゆる面での質とも比例しましょう、というはなしであります。考証を踏まえた上で一種「ふっとんだ」、まったく架空の「世界観」をリアルに感じさせるという、夜勤のおともに肉だんごを買い求めて「親方っ! 空から…!!」という好例もありますです。…タニタ!(いまさら。)
・(個人のページ)(2001年5月5日)
http://home.att.ne.jp/moon/ALICE555/food-fr-1.htm
> 昔、フランス語の授業を受けてた時、「あなたの国では、暖かい食事を一日何回取りますか」という質問をされて、「ん?変なこと聞くなぁ、暖かいご飯って、朝と昼と夜と、三回に決まってるじゃん?」なんて思ったものでしたが・・・。実際に体験してみると、よく分かる。フランスがグルメの国なんて、誰が言った? みんな、ちっとも、ご飯なんて食べてないじゃないよー!!!
●電信とは
「***電信電話」のうち電信です。
・個人のページ「ブナブナっと『トトロ論』」
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/totoro_i.html
> トトロがサツキたちに手渡したササの葉にくるんだお土産にはブナ科のドングリがギッシリ詰まっていた。それは、クリと長短各種のドングリであった。サツキたちは、これを庭に植えて例の「ドンドコ踊り」によって芽吹かせることに成功する。その後、電報を届けに来た郵便配達のおじさんがサツキの観察スケッチをチラリとのぞくシーンがある。そこには、画面左より背の高い順に「クヌギ」「シラカシ」「コナラ」「マテバシイ」とはっきり樹名が記されている。(C-671)いずれも関東以南によく見られるブナ科の植物である。マテバシイのみ九州を中心に分布するが、このドングリは最も美味しいそうだから、美食家のトトロが種を取り寄せ、好んで植えていたのかも知れない。
> 大人のノスタルジーから現代を否定してはならないという自戒であり、子供達に対して森への扉を開けておくという責任からであった。(注18)
> (注18)「となりのトトロ絵コンテ集」掲載インタビューより(P434)
※この筆者が植物に関してどのくらい詳しいのかわからず、あくまで「電報」のソレとして示します。恐縮です。きわめて形式的には([3093],[3097])、まったく信用されません。でも、楽しいですよねぇ。「楽しいから!」というところを不自然に隠さず、もっと自然に書けばいいのにと、あくまでいまとなっては思われるのではないでしょうか。
・ウィキペディア「電信」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E4%BF%A1
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