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まったく余談ですが、幕張新都心に関連しまして「驚きの白さ」…いえ、実験的なまちづくりや「スカイウェイ」といって([3159])、はたまた海沿い([3141])でコンクリートを削って([3163])…といいますと、かの有名な『軍艦島』(長崎県の端島)を思い浮かべます。
・Google ストリートビュー 何階なのかわからない例
https://goo.gl/maps/kxh6H3BMubJ2
https://goo.gl/maps/pJnXERAzod92
・Google ストリートビュー 「30号棟」(1916年建設、1953年改築)
https://goo.gl/maps/uVNYuYNz36A2
・Google ストリートビュー 「16号棟」(1918年建設)
https://goo.gl/maps/oAFCbwwogWJ2
当時、どういう建築があったのか、他の土地の建築とも見比べてみましょう。
・ウィキペディア「理学部化学東館」(1916年建設)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%BB%BA%E9%80%A0%E7%89%A9#/media/File:%E5%8C%96%E5%AD%A6%E6%95%99%E5%AE%A43.JPG
> 関東大震災よりも前の1916年に完成した建物であり、内田ゴシックの建物群よりもさらに長い歴史をもつ。本郷地区キャンパスに現存する最古の校舎である。設計は山口孝吉。
> 化学東館は古典主義建築であり、内田ゴシックの建物が多い本郷キャンパスでは異彩を放っている。
> 将来的には理学部化学館一帯を再開発して高層建造物を建設する構想があるが、化学東館は保存される予定である。
・Google Earth 「理学部化学東館」(南側から俯瞰)
https://www.google.co.jp/maps/@35.7114313,139.7636828,196a,20y,41.73t/data=!3m1!1e3?hl=ja
ほぼ同じ年代ですので、▼レンガ、▼橋の欄干のような装飾(※)、▼木製サッシなど共通点が見られます。「古典主義建築」とレッテル…いえ、分類するのは、あくまで後年の見かたであり、建てられた当時としては、たいへんしゃれた住宅だと受け止められたのではないかと想像します。
※ごめんなさい、「これ、見るからに『○○様式』ですね、わかります!」などと自称『評論家気どりで解説』(どうだ○○様式を知っているぞスゴイだろう的な)するような興味は持っていませんので、あくまで「普通の人」が見た時の感想を『「普通の人」代表』として棒読みで代読しているようなものだと思われたく思います。見た目だけでいえば、和風の寺社の手すりの装飾に、ギリシャ風だかローマ風だかの四角い凹みの装飾が混じりつつ、いえいえ、家具や建具、それに寺社に特有の設備や施設などの装飾としても四角い凹みのソレはありましょうし、寺社の手すりの角の頭の丸いソレは、中東からインドを経て伝わったソレに違いない、先に「丸い装飾」の一種「普及」によって、そもそもそういう場所に装飾を施そうという一種「メタ知識」があったから後年、手すりの角の頭に四角い装飾が…などと「立体的に」理解しなくてはならないんだろうなぁ、と想像してみます。(あくまで見た目だけです。官吏の船酔い…いえ『国際交流』の歴史や、移住や開墾にも影響される職人の技能の系譜など丹念に追わず建物しか見ずに「○○様式!」だといって、一種『建識』で『式これ!』しているようでは、あくまで『式これ!』だろうと思うのです。ただし私見は偏見です。「型式これくしょん!」[3107]も参照。先述の通り、その「楽しさ」は否定しません。用法用量を守って=趣味の知識の適用可能な範囲の限界を自覚して楽しみましょう! たいへん狭くは、趣味そのままで自称「論文(ただし卒論以上とする)」を書いてはイケマセン、の意。)
そんなに大昔でもない時期まで、人が現に住んていた建物を、いま、『廃きょ』などといってワー! …と一種「祭り上げる」のはいかがだろうといって、何か的なものを呈してみようと思います。(当時、住んでいた方がご存命のうちは、その方に対する礼を欠くという理屈でございます。やーい、おばけやーしーきー! と言ってよいはずがありません。船長とお呼び! …いえ、湯婆婆…いえいえ、銭婆…いえいえいえ、手拭いをかぶったおばあちゃんに叱ってもらいましょう。)
※ましてや「リアルラピュタ!」などと…メッソウもございません。
・ヤフー「まさにリアル・ラピュタな無人島が話題」(掲載日不明)
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/pf8e6976066e1a381d17f580edde48f82
YouTubeの映像は「2014年5月4日」とのことです。まさに新緑にレンガが映えて…いえ、レンガに新緑が…生えて…レンガの時代に栄えたようすがしのばれます([3031])。ほら、キツネリスが走っていきましたよ! えっ、どこどこ?([3147])
・Google ストリートビュー 「51号棟」(1961年建設)
https://goo.gl/maps/ngDv3Apzt6J2
・西日本新聞「フォトライブラリー 九州の産業遺産 炭鉱」
http://c.nishinippon.co.jp/photolibrary/cat662/cat2/
「昭和30年代」の写真が見られます。どの建物か、わかるでしょうか。
・「1956年04月05日 昭和30年代のアパート群【軍艦島】006」:「20号棟」(左)と「21号棟」(右)、奥に「14号棟」か
https://goo.gl/maps/dNqyk8coYTo
・「1956年04月05日 昭和30年代のアパート群【軍艦島】007」:奥に「31号棟」、手前下に「映画館(50号棟)」か
https://goo.gl/maps/nSYFsk1x5T72
・「1956年04月05日 昭和30年代・端島の子どもたち【軍艦島】002」:「20号棟」の屋上か
https://goo.gl/maps/uzBBXmEKtPA2
https://goo.gl/maps/6dfBKXLbjRB2
ほかに、建物が特定できませんが、コンクリートで4階建の建物の外部廊下っぽい場所で植木鉢(※)に水をあげている優雅な女性の写真があります。表現はむずかしいですが([3099])、ホワイトカラーの奥さまっぽく見受けられ、では、それが当時「ハナにつく」かといえば、決してそうではなく、例えば華道や茶道、それに書道や料理などの「センセイ」として、あるいは、鉱山の将来展望を「読み解く!」身近な解説役としてブルーカラーの奥さまからアテ…いえ、頼りに(三菱さんに直接には聞ける立場にないけど、ねぇねぇ、知ってることがあったら詳しく教えてよ! えー、いいじゃない教えなさいよぉ的なソレ=その割に経済や海外の動向はどうでもよく、アパートにいつまで住めるのか、子どもの学校は、という身近な心配がメイン、の意)されていたのではないかと想像されます。(あるいは教員の免許を持っていて、その時々の子どもの数しだいでは教員をしていたかもしれませんね。)
※ほとんど背丈がなさそうに見えますから園芸植物だと決めつけます(ネギやパセリだというわけではなさそうだ、の意)。端島は、まったく植物が自生していない「岩」だった島とのことで、そうでなくても、園芸植物を島外から一種「お取り寄せ」しつつ、島の気候や建物群に影響される日照の条件下で育ちそうなものを「カタログ」から「チョイスして選択!」できるためには、それなりに「高度な知見のようなもの」が必要になります。実はお花のセンセイで、お教室で使う草花を育てているんだ、といっても驚かれません。荒天時には建物に直接、海水がふりかかるとのことで、そうしたときに室内へ引き上げられる植木鉢での栽培は必須だった(地べたや屋上に花壇や菜園はつくれなかった?)と読み解かれます。(あくまですべて想像です。)
・現「三菱マテリアル」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB
・国土地理院「CKU7420-C45-6」(1975年1月2日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1045037
・JA山武郡市「九十九里 海っこねぎ」
http://www.ja-sambugunshi.or.jp/agriproducts/5.html
> 平成14年10月、千葉県の西を通過した台風21号の影響で、大量の海水を含んだ潮風が九十九里浜の野菜どころである山武の沿岸地域にひどい塩害を与えました。
> 多くの農作物が枯れてしまう中、ネギだけは被害がありませんでした。
> しかも食べてみると、いつもよりおいしいネギに仕上がっていたのです。
これ、当時「大発見!」でした。それ以前には知られていなかったことです。でも、もしかすると、『羊飼いの少年』が『磁石』を『発見』(別途まとめます)したように、端島など鉱山の島で「海っこねぎ」を既に「発見していた」人は、いたかもしれませんね。
生活や文化に着目する類の研究は、なお難しく感じられます。過去を探るのでなく現在の状態に着目すると限りましても、個々の史料(現物を含みます)を読み解くための基礎的な知識と、(保存はされているが整理は完全ではない)膨大な資料を結び付けていく労力とが求められましょう。そうした視点なしに「ワー!」といっていても、きわめて「空きょ」だと感じます。(見解は個人です。)
※この、そう、『ラピュタがにぎわっていたころ』を「いきいきと描く」プロローグのようなものが制作されたいなぁ、などと思えてきます。「いまどきは『実写』でしょ!」といえば、連続テレビ小説のチームの出番ですね! わかります!!
・「マッサン」のセット
http://www.sankei.com/west/print/141108/wst1411080010-c.html
http://ameblo.jp/19830501/entry-11987158794.html
http://blog.goo.ne.jp/pochie_goya/e/e8025bf37b3175bb80ccbfd500b9a066
> エマの自転車。
> ちゃんと余市町の識別標がついています。
> 一馬のラジオアンテナ。
> ツバメの巣。
> 窓にブタ?w
・日本経済新聞「プラネアール、元校舎をロケ地に 豊島区から借り上げ」(2014年3月8日)
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO67919110X00C14A3L60000/
・プラネアール
http://www.planear.co.jp/
> 電気容量 15K
> ゼネ使用 要相談(住宅街のため使用時間制限有り)
うーん。港に係留中の船や駐機中の飛行機に「外部電源!」を「プラグイン!」してエンジンを止めるようなソレが検討されたいですね、わかります!
※照明の消費電力がすさまじいので、どんなに小規模な撮影でも「ちょっとコンセント貸してください」をゼッタイにしない(ただちにブレーカーが落ちる)ということになっているようです。それでも照明の熱で「火災報知器が鳴っちゃった事案」が絶えませんよねぇ。(あくまで印象です。)それを前提として一種「エコシステムのようなもの」(撮影チームの機材に発電機が含まれ、その燃料代も撮影費用にコミコミ)ができているようで、貸しスタジオだからといって「コンセント」とはならないようです。むずかしいですね。
・新エネルギー導入促進協議会(NEPC)「FC(燃料電池)バスから災害時の避難所に電力供給」(2013年12月4日)
http://jscp.nepc.or.jp/article/jscp/20131203/375782/index.shtml
http://jscp.nepc.or.jp/article/jscp/20131203/375782/index2.shtml
http://jscp.nepc.or.jp/article/jscp/20131203/375782/toyota_v2h_2.jpg
http://jscp.nepc.or.jp/article/jscp/20131203/375782/index3.shtml
http://jscp.nepc.or.jp/article/jscp/20120817/319943/
> このFCバスが実用化されると、通常時は公共交通の路線バスとして運行しつつも、非常時に駆けつけられる移動式発電機として利用できるようになる。こうした仕組みを開発した契機は、2011年3月に発生した東日本大震災である。「岩手県のある避難所では1週間にわたって電源が喪失した。テレビでも多くの被災者が体育館などの避難所で寒さに震える映像を見たことから、FCVの持つ大容量の発電機能を災害時に使えるようにすべきと考えた」(トヨタ自動車)。
> トヨタでは電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド車(PHV)の研究が進んでいることもあり、給電システムは比較的容易に開発できたという。現在、発売中のミニバン「エスティマハイブリッド」は、車内にAC100V(1500W)のコンセントを備えている。FCバス本体を災害現場での対策本部などとして利用することを想定し、車内用のコンセントも用意している。
ぬおー、方向幕…いえ、LED行先表示器に「災害対策本部」とか「現 地 本 部」とか「豊 田 市」などと…(略)。いえいえいえ、そんな表示をあかあかと、電気を使って表示するのは許されません(電源の復旧や燃料の補給が来るまで、1秒でも長く暖が取れたり、1粒でも多くの炊飯ができたりするほうが優先されます、の意)。あらかじめ表示が印刷された紙や横断幕を運転席の後ろにでも収納しておいて、LED行先表示器を消灯のうえ掲出すればいいんですね、わかります!
・オージ「一般路線バス用 デジタル行先表示器」
http://www.kk-oji.co.jp/degital/degital2.html
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