フォーラム - neorail.jp R16
発行:2017/6/26
更新:2022/4/6

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【2時間で読む・10年後に読む】

10年後に読む「公共交通機関旅客施設のサインシステムガイドブック」(2002年11月)


…その前にウィキペディア「サインシステム」を見る(談)
「参考文献」らしきものの一覧
『日常的に利用頻度が高く利用者数が圧倒的に多い鉄道駅』
いま問う任天堂「ところで、」「よく研究し、」「各自でご研究ください。」のココロ
「1974年以降」の時代を“体現”した「CI」

(約31000字)

 「2時間で読む」([2947],[3010])に対して「10年後に読む」であります。[3494]もあわせてご覧いただけますと幸甚にございます。

[2528]
 > 詳細は別途まとめますが、「公共交通機関旅客施設のサインシステムガイドブック」(交通エコロジー・モビリティ財団 発行、国土交通省総合政策局交通消費者行政課 監修、大成出版社)などを参考に旅客案内について勉強しながらの発言ですので、純粋に利用客の視点から発言しているわけでもないのは確かです。そして、今のところそんな見かたをする一利用者というのはあまりいないと思います。

 本書を読んでなお正気を保つ…いえ、専門家ぶるのでなく利用者の視点を踏み外さないというのは、なかなか難易度の高いソレかもしれないと思えてきます。…仕入れた専門知識をふりかざして専門家ぶるほうが簡単なんですよ。ほらほら、そこら中に「新ゴ」と「Frutiger」([2404],[3015],[3454])を使いさえすれば、じぶんまで赤瀬氏になったみたいな気分、してきちゃいますよね。…たぶんゼッタイです。

・「正気を保つ」の用例です(2017年5月11日)
 http://www.mtvjapan.com/news/music/28854

 > 「例えば、ウェンブリー・スタジアムで87000人もの観衆の前でライブをした後、楽屋に戻って座ると今度はエアコンの音しか聞こえないくらい静かなんだ。こんなギャップの激しい環境の中で、一体どうやってリラックスすれば良いのか分からなくなるよ」
 > 「僕が友達や身内の人間をスタッフに雇うのは決して、彼らがイエスマンだからではないんだ。むしろその逆さ。そこを強調しておきたい。彼らはこの仕事を全く恐れていないし、僕にありのままを正直に言ってくれるんだ」

[3082]
 > 「欧米の英知」という表現が「頭痛が痛い」…いえ、たいへんぶしつけな印象があるように感じられます。南部氏をして、どこまでいっても「英知」にはなりえないかのような、おかしなニュアンスがあります。また、南部氏を借りて自分まで「交流」したかのような、素朴すぎる無邪気さがあるようにも感じられます。

・紀伊國屋書店「公共交通機関旅客施設のサインシステムガイドブック」(2002年11月)
 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784802864367
 https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41EBM79G2QL.jpg

 > 内容説明
 > 本書は、サインシステムについての参考文献が極めて少ないとの基本認識の下、今後交通事業者等がサインシステムを整備する際のガイドブックとして編集しており、国土交通省の監修のもと、ガイドラインの内容をより詳しく解説するとともに、公共交通機関旅客施設のうち、日常的に利用頻度が高く利用者数が圧倒的に多い鉄道駅における具体的な整備方法を例示している。

※取次さんは「内容説明」も流通させているんですよ。なるほどなるほど!(…なにをいまさらっ。[3402])なお、手元にあるものは2003年2月10日の「第1版第2刷」であります。

 実務者にあっては手元に置かないと話にならない類の本(≒事典や手引き、それに地図など⇒「参考図書」[3100])ですから、出版から14年が経った現在も購入が可能です。しかし、そういうお値段の本でもあるためか、密林さんとも呼ばれる某ECサイトではレビューが0件なんですね。なるほど。…実になるほど。レビューが0件であるという事実そのものが参考になったときって、どこをポチッとすればいいんですかぁ&そっちですかっ。(棒読み)


●…その前にウィキペディア「サインシステム」を見る(談)


 ウィキペディアで「サインシステム」を引こうなんて思いもしなかったのではありますけれども、あえて引いてみますと、本書などまるで存在しないかのようにつらつらといきあたりばったりに記述されていることがわかります。(…ギクッ。他人のことはいえないなぁ。)

・ウィキペディア「サインシステム」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0

 …どっ、ドゴール空港くらい言及してよねっ。そういう意味で「日本及び東日本旅客鉄道中心に書かれており、世界的観点からの説明がされていないおそれがあります。」が付されているんですよね、わかります。しかし、▼どうしていいかわからない、あるいは、▼もはや編集を続けるモチベーションは失われたと見え、指摘には応えられていないままとなっています。(履歴を見ますと、編集自体がかなり低調のようです。2007年にばーっと書かれて、2009年には指摘を受けながら、それっきりと見受けます。)

・Wikipedia「Charles de Gaulle Airport」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_de_Gaulle_Airport

 > Development
 > The planning and construction phase of what was known then as Aéroport de Paris Nord (Paris North Airport) began in 1966. On 8 March 1974 the airport, renamed Charles de Gaulle Airport, opened. Terminal 1 was built in an avant-garde design of a ten-floors-high circular building surrounded by seven satellite buildings, each with six gates allowing sunlight to enter through apertures. The main architect was Paul Andreu, who was also in charge of the extensions during the following decades.

 > Corporate identity
 > The Frutiger typeface was commissioned for use in the airport and implemented on signs throughout the building in 1975. Initially called Roissy, it was renamed after its designer Adrian Frutiger.
 > Until 2005, every PA announcement made at Terminal 1 was preceded by a distinctive chime, nicknamed "Indicatif Roissy" and composed by Bernard Parmegiani in 1971. The chime can be heard in the Roman Polanski film Frantic. The chime was officially replaced by the "Indicatif ADP" chime.

 空港などという公共施設が「CIを導入!」したんですよ、ここ、驚くところなんですよ。ワー!(棒読み)そして、CIという文脈からは「サイン音とも呼ばれる館内放送のチャイム!」も同列に並べて説明すべきであると、こういうわけです。

 「サインシステム」にあって書体などどうでもいい!(好みの問題である!)…などと、そんなことはなく、元祖のソレとして「Frutiger」に必ず言及すべきであるとわかります。

 日本国内としては、ドゴール空港が1974年に開港したのとたいして変わらず、成田空港や(現在の)東成田線がだいたい完成([3183],[3221])しているんですけれども、そういう文脈で空港施設のデザインなど冷静に考察できるという情勢になかったというのが、当時の日本なのであります。むしろ、海外の文献で成田空港や大手町駅などのサインシステムに触れているものがないかを探すというような方策のほうがよいのかもですよ。本当でしょうか。

[3183]
 > 早すぎた「東成田線」を読み解く
 > 「東成田駅」は1972年竣工
 > > 昭和53年5月20日に開港のはこびとなった。京成空港新線も翌5月21日にやっと開業され、長年の夢がやっと叶えられた思いである。

[3221]
 > > 自動案内放送システムの先駆け
 > > 1971年(昭和46年)に京成電鉄成田駅、翌1972年には南海電鉄和歌山市駅に「自動案内放送システム」を相次いで採用いただきました。1975年の南海電鉄最大のターミナル駅である難波駅へのシステム開発をきっかけに、音声ファイルの開発をスタート。「自動案内放送システム」は鉄道や空港などに採用され続け、交通施設市場への展開の先駆けとなりました。

 > 「成田空港駅」としては開業が遅れた(1978年)ので「成田駅」だけでの「導入事例」と記されるわけですが、その実、「東成田線」にかかるシステムの整備だと読み解かれましょう。万博のモノレール(1970年)の次が京成で「私鉄初!」「(モノレールを除く)鉄道初!」だとわかります。

 京成成田駅と『京成成田空港駅(初代)』に触れずして、そんな、民営化後の新宿駅からセカイが始まったかのような記述をすることは、「世界的観点からの説明」以前に日本国内の事情の説明としても、あまりにもディテールを欠く記事だとわかります。

[3416]
 > 1933年の京成本線というものが、どのような工事の間に行なわれた工事であったのか、浮かび上がってきそうです。1930年1月までに、(現在の)銀座線の上野駅付近は工事が終り、その続きで京成本線が工事されたとまで曲解…いえ、それはさすがに曲解ですねぇ。

 > > 荒俣宏の小説『帝都物語』には早川徳次が登場、(略)ストーリー自体は架空のものであるが、路面電車の乗客流動調査の際に豆を使うという早川が実際に行ったエピソードも挿入されている。

[3344]
 > 京成グループとしては、京成上野駅、博物館動物園駅、寛永寺坂駅(ここまで1933年に完成)、それに北総線の2期区間の地下駅(1983年に着工、1991年までに完成)と、地下線や地下駅に関して十分な知見を有しています。(JRの東京支社より経験が長いです、の意。)

 デザインが洗練されているかは別として、京成電鉄殿にはかなり高度な知見の蓄積があると期待されます。(大きな声ではいえませんが!!)運賃も安いので留学生にも大人気! 来日直後の17〜18歳くらいのひとが(目的地のほうなど、先に日本入りしたセンパイに日本語で書いてもらったっぽいメモのほうなどひらひらさせながら)1人できちんと移動できるくらいにサインシステムが完備されているんですよ。…だからこそスカイアクセス線も運行できるんですね、わかります。(※ちょっと違うかなぁ。)

※大阪万博とアストラムラインにも言及しないとですよね。たぶんです。

・「大阪万博」(1967年)のイメージです
 http://www.expo70-park.jp/cause/expo/
 http://archive.momat.go.jp/Honkan/expo70/

 > 万博のシンボルマークのデザイン オー高**氏

 > ケー倉**《EXPO'70》1967年
 > 開催を記念して発売された切手やたばこなど

 シンボルマークとポスターとユニフォームのデザインに統一感がなく、あまつさえ切手やたばこなど…いえ、ましてや「CI(またはVI)」とは呼ばれていない感じがうかがえそうですよ。本当でしょうか。

・「アストラムライン」(1991年〜)のイメージです
 http://www.gk-design.co.jp/dsh/works/tp/astram.html

 > 広島新交通システムトータルデザイン
 > 車両エクステリア・インテリアデザイン
 > 駅舎インテリアデザイン、色彩計画・総合サイン計画、CI計画など
 > 広島高速交通株式会社・広島市
 > 1991〜1996

 できあがった「作品」のほうではなくて、業務内容や発注の経緯(発注側の事情や認識)を掘り下げないといけない気がしてきそうですよ。本当でしょうか。ほんの数年しか違わないのに、なぜ千葉都市モノレールは「あーんなこと!」になっちゃっているんでしょうか&やっぱりそっちですかっ。(※恐縮です。)

・Google ストリートビュー 「沼田大原台第一公園」付近ほか
 https://goo.gl/maps/t9Wi8PfGiq32
 https://goo.gl/maps/YiTbPFySUJ92
 https://goo.gl/maps/1DYReJtTnz12
 https://goo.gl/maps/aq2VjviA5Ft
 https://goo.gl/maps/p8Y1E2Sym9v

 そして、これ以後に「鮮烈な」印象を伴う新しい「トータルデザイン」はなかったように感じられるかもしれませんが、いいえ! いま明確に、いいえ! 『造園のプロ』([3167])と同じで、意識されず快適に「使われている」サインシステムが、各地に普及しているというのは、スバラシイことであるのですよ。(※私見です。)「作品」の華やかさに目を奪われていては、それは作品をつくる技術(配色やレタリングそれに造形)に関する記事なのであって、「サインシステム」を解説したことにはならないのだと、たぶんこういうわけです。

 ここまでを踏まえて「新宿駅サイン計画」([2540])に戻ってきますと、このプロジェクトが国内で一種『1番乗り!(わあぃ前日から並ばないでくださ〜い)』で成し遂げた「アチーブメントのようなもの」(≒論文でいう新規性と独創性と有用性あたり)が何であったのか、だいぶ「クリアー!」になってくるのではないでしょうか。もっと本当でしょうか。

・Wikipedia「Pictogram」
 https://en.wikipedia.org/wiki/Pictogram

 > An early modern example of the extensive use of pictographs may be seen in the map in the London suburban timetables of the London and North Eastern Railway, 1936-1947, designed by George Dow, in which a variety of pictographs was used to indicate facilities available at or near each station. Pictographs remain in common use today, serving as pictorial, representational signs, instructions, or statistical diagrams. Because of their graphical nature and fairly realistic style, they are widely used to indicate public toilets, or places such as airports and train stations.

 ロンドンの地下鉄ですよ、ロンドン。これだね。…じゃなくて、地下鉄と船舶は「密室!」なので、安全な避難のためにも直感的なピクトグラムの多用が求められたとかなんとか、そういうことを述べている文献を引いてくる必要もありそうですよ。本当でしょうか。(電灯を用いた)歩行者用信号機や(地下室や高層ビルなどの)非常口(の表示)というものがいかにして必要になったかというあたりも述べたいかなぁ。そこでエビデンスとなる実験などなされているのであれば、その論文や報告も引きたいですよね、わかります。

[3453]
 > 発売年がわからないのですが、「スクエアー!」なデザインで「親子連れ」の絵がLEDで浮き上がるというようなのは、早くても1977年くらいかなぁとの感触

・長野県警の見解です
 http://www.pref.nagano.lg.jp/police/rekishi/shingomenkyo.html
 http://www.pref.nagano.lg.jp/police/rekishi/pato.html

 > 日本の交通信号は大正8年(1919年)に、東京の上野広小路交差点で、木の板に「トマレ」、「ススメ」と文字を書き、これを回転させて使用したものが第1号です。電気を使用した信号機は昭和5年(1930年)に東京の日比谷交差点に設置されたものが最初です。アメリカから輸入されたもので、赤、黄、緑の3色の灯器が使われました。

 > 長野県で信号機を設置したのは、昭和29年で、長野市の新田町交差点が第1号でした。昭和31年になって、長野市の末広町交差点に第2号、裾花小学校入口(現在の九反)交差点に第3号の信号機を設置しました。

 > やはり県下初となります目の不自由な方用の電子演奏装置歩行者用信号機を昭和47年に設置したのもこの新田町交差点です。

 昭和47年は1972年です。ICを使った電子サイレンの納入([3208])に続いて、いろいろなものがピコピコいい始めたという、きわめて大ざっぱな理解でございます。百科