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(約4000字)
ちくま新書の新刊「カラー新書 駅をデザインする」(赤瀬達三)が発売されました。このサイトと直結する内容ですので、取り急ぎご紹介いたしたく思います。
※2時間で読む([2947])、待望のシリーズ化(※)です…というわけではないのですが、2時間で読むのは基本ではあります。正確には、本書は2時間5分(ただしお茶菓子時間を含む)で読みました。
・山梨県小菅村「2時間5分の別世界ツアー」
http://www.vill.kosuge.yamanashi.jp/tourism/guide/tour.php
http://kosugemura.sakura.ne.jp/tourism/access/
※もっとも、このフォーラムで取り上げるのは資料性が高く技報や論文に準じる性格を持つ本だけが対象です。文学性の高いものや娯楽性に主眼のあるものは、読んでのお楽しみ、および感想は個人ですということで、取り上げません。
・筑摩書房「駅をデザインする」(2015/2/4)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068163/
・ツイッター(2015/2/5)
https://twitter.com/ChikumaShinsho/status/563250104476246017
まず、本書がどういう本なのか確認しておきましょう。赤瀬達三氏が論文博士(※)を取得すべく書いた博士論文を、まずは実務家向けとしてしかるべき専門書として出版したのち、さらに一般向けとしたのが本書だと、説明されています。つまり、骨格はあくまで博士論文であるということを理解して読むことが望まれます。
・鹿島出版会「サインシステム計画学 -公共空間と記号の体系-」(2013/9)
http://www.kajima-publishing.co.jp/cgi-bin/www/search222.cgi?A=detail&isbn=isbn9784306073036&db=book
※特許や作品(ただし受賞作に限る)など、実務家として非常に優れた業績がある場合に、論文審査だけで博士号を取得できる制度です。
・「公共交通空間を題材としたサインシステムデザイン論の体系化に関する実証的研究」
http://jairo.nii.ac.jp/0007/00024727
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/thesis/Akase_Tatsuzo.pdf
・要旨
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=217161
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/data/h21/217161/217161a.pdf
> 主査: 東京大学 教授 家田,仁
本来、もっとサインシステムのデザインを掘り下げたかったでしょうに、本書(および博士論文)では妙に建築の話が多くなっています。この背景には、家田教授とのご議論なりご指導なりが大きいのではないかと見受けられます。あるいは、博士論文に限らずいえることではありますが、誰しも自分が苦手なもの、自分では及ばないものにこそページ数を割いてしまう傾向がありますから(苦手なので説明が長くなる、あるいは読者のためでなく自分のために説明している)、あくまで想像ですが、サインシステムのデザインを本業とする著者にとって、建築とはそういうものであるということなのかもしれません。
広告とサインを明確に分離したこと、サインを際立たせるための空間設計(ただし建築家でない)に取り組んできたことが、赤瀬氏の業績の軸と言えます。(サインのコードを体系化すること自体は、フランスの空港やロンドンの地下鉄という先行研究にならったもので、赤瀬氏の業績としては、それを日本の地下鉄や都市内鉄道に適用したことに限られます。)しかし、ユニバーサルデザインや「情報バリアフリー」([2703])の観点ではこれではまったく十分ではなく、文字や図解の情報と、音、音声、映像、動く物体、形あるものといったほかのあらゆる情報との整合性や分量のバランスをとっていくことが求められています。非印欧語圏(≒漢字圏)ならではの問題([2938])や、利用者向けの情報と、係員のための「業務用」の情報との混在([2923])についても、担当部署や、企業や省庁を越えたシームレスでバタフライな検討が重要になってきます。これは、赤瀬氏の世代では実現できなかった「宿題」ともいえ、これからこの分野に関わる人には強く意識してもらいたいところです。
※自分には権限がなくても、他者の管轄に関して越境的に検討することは(あくまで検討するだけですが)、誰でも自由に行なえることです。
・Wikipedia「インド・ヨーロッパ語族」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E8%AA%9E%E6%97%8F
本書および博士論文の本体に共通して、研究として必須ともいわれる仮説や実験がまったく行われておらず、事例研究(ケーススタディ)に終始しています。実務家としての業績を客観的に振り返りながら、他者の事例と比較して位置付けを明らかにするという作業そのものは必要ですが、それだけでは「自分史」にしかなりません。他者によるこれから取り組まれる研究に役立つ研究とするためには、事例という一種の「実験結果」だけでなく、いかにしてその結果だけが「正解」(有用な知見)となり得たのか、本当にその結果が「正解」なのかを掘り下げることが必要です。
本書でも、提案したものの採用されなかったアイデアに関する記述が多く見られます。採用されたかされなかったかということは、「正解」であるかとは直結しません。時の発注者の判断を基準とするのでなく、より通時的に普遍的で客観的な基準(=学問的エレガンス)によって、あるべき設計手法を見定めていくプロセスがなければなりません。そのためには、多面的に仮説をたて、網羅的に実験していく以外に方法はありません。
本書が、というよりは著者の博士論文が研究として十分でないかもしれないという懸念は、博士論文の末尾にある参考文献リストにも見え隠れします。実務家として参照してあたりまえの報告書や技報は網羅されていますが、学術論文がほとんどありません。また、自らは論文中で何も実験をしていない代わりとして、各種の「研究会」(中央省庁系や業界団体系の=学術的でなく実務的な)が示した「実験結果」を引用しています。しかし、その実験が学問的エレガンスにのっとった実験なのか不明です。「実験結果」と称するものが「報告書」でしか公表されていない(査読を受けていない)のであれば、それは研究成果(「正解」)とは認められず、認められていないものを引用しては、引用する側の論文の価値をも下げてしまいます。
※とはいえ、ほかに引用に値する資料がいっさいなかったのだとすれば(ということなのだろうと思いますが)、この分野の研究がきわめて未開であることを示しているといわざるをえません。遡って参考文献を増補できるなら、そのときに参照されるような研究成果を、これからどんどん出していかなければならないのです。
・[2947]
> なぜ、ドイツの利用客は「イライラ」していないのでしょうか。
> お客さまがなぜ「イライラ」するのか、それを工学的に検討していくことが必要です。「お客さまの声」や「イライラ」が、対症療法によって解決できるものとできないものとに分かれることは自明ですが、対症療法では解決できないものをどうやって解決していくのか、そのビジョンを持っていないのではないかと疑います。
「電車がよく遅れるから」とか、古くは「接客態度が」「運賃が」といったことが「イライラ」の原因ではないかと考える人が多いと思いますが、実はもっと低次な、生理的なレベルで不快を感じているだけ(だけ、と、あえていいきります)なのではないかと、本書を読みながら思い当りました。
駅が静か(※1)に、そして広く(※2)なれば、それだけで「イライラ」がなくなるのではないでしょうか。逆に、それ(土木・建築上の配慮)なしでは、いくら小手先の「カイゼン」を重ねても解決できず、むしろ逆に「しょっちゅう何かを変えているが、いっこうによくならない」というネガティブな印象を補強する方向に作用するとも考えられます。一度「だめ」という印象(先入観)を持たれると、何をしても逆効果となりかねません。「各論反対」の「迷惑施設」の話([3009])とも共通します。まったく新しい強烈な印象というものを突如示す以外には、印象を覆す方法はないのかもしれません。
※だからといって毎回、覆すでごわす、とふんばるわけにもいかないでごわす([2999])。
※1 必ずしも騒音の基準だけで決められるものでもなく、残響がここちよい、響きがやわらかい(地下鉄の壁の材質について、本書で言及されています)、人々の話し声が誤差拡散でディザリングされる(気にならなくなる)、機械や電車の騒音の特定の周波数の音を抑えるといった、各種の対策の積み重ねによって得られる(かもしれない)トータルな「静かさ」を、実験を通じて獲得していくことが求められているといえます。アナウンスについても、情報の伝達に必要ない知覚、例えば「うるさいなぁ」とか「さっきも聞いたYO!」、逆に「いい声だなぁ」といった余計な知覚を引き起こさないよう抑制的に、高度に計画することが重要です。
※2 奥ゆかしく([2911])は面積だけで云々するのでしょうが、この文脈ではそれは論外として、単に空間が広い、例えば大屋根や吹き抜けにして縦方向に大空間([2751])にするだけでなく、混雑の緩和や、ベンチの増設などを含め、「広さ」が体感できることも不可欠と言えます。え゛ー、せっかく広くしたのにベンチ? …とお思いかもしれませんが、「ベンチがある」ということ自体が「広い場所である」ことを示す一種の「記号」(シンボル)でもあるのです。噴水や「シンボルツリー」といった、明示的に「場の中心」を示すものが、ゆったりと設えられていることも、「広さ」の知覚に寄与していると考えられますが、ショッピングモールやエキナカのように、狭いのに無理をしてソレをすると逆効果です。見せかけでなく実際に広いという「裏付け」がなければ、「記号」は狙い通りに機能しないということです。
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