フォーラム - neorail.jp R16
発行:2016/5/25
更新:2017/9/9

[3287]

「ぜんぶマナーのせいだ」を奥ゆかしく疑う(談)


「尿中カテコルアミン」を読み解く(試)
ドアは自動でございます! わあぃ自動ドア!
混雑の抜本的解消
海峡たこ焼きATS-DF

(約21000字)

 うーん。

・東洋経済「通勤電車の慢性的な遅延 利用マナーの向上が不可欠」朝日新聞デジタル(2016年5月21日)
 http://digital.asahi.com/articles/ASJ5K5DS2J5KULFA02X.html

 > (A)交通政策審議会の「東京圏における今後の都市鉄道のあり方に関する小委員会」は、4月に提出した答申の中で、鉄道輸送の定時性という誇るべき信頼性に懸念が生じていると、苦言を呈しています。

 > (B)「東洋経済オンライン」では遅延が起こる電車はノロノロ運転という前提で、首都圏21路線の最速達列車(通勤快速や快速急行など)を表定速度(区間距離を所要時間で割った実質的な運行速度)で比較しました。

 > (A)遅延原因を見ると意外な事実が浮かび上がります。小委員会の調査では、「3分以上30分以下の遅れ」の94%は鉄道会社側の原因ではなく、混雑そのものやそれに伴うドア挟みなどが47%、急病人12%、落とし物などによる線路支障6%となっており、遅延の約7割が利用者に起因するものでした。

 > (B)遅延解消には鉄道会社の施策とともに、われわれ利用者側のホーム上や車内でのマナー向上が不可欠なのです。(「週刊東洋経済」編集部)

※「(A)」「(B)」は引用者によります。

 東洋経済さんとしては、Aが外部から引用した部分で、Bが『独自研究!』であるとわかります。なんとなく色とりどり、話題の詰め合わせのパッケージにはなっていつつも、話がつながっていません。…といって、ゲフンゲフン(うちだってアレでしょ、といって、よそのことはいえませんです)。

 さらにアレなことに、「私だけじゃないもん☆」のソレとしてツイッターを参照します。

・ツイッター(2016年5月21日PST)
 https://twitter.com/usuitouge_667/status/734211251434196996

 > この前提がよく分からん。表定速度と遅延には相関があるんだろうか?

※確かに。遅延を見込んで「ノロノロ運転」している線区では、遅延の件数が多くても、線区全体には波及しにくい(仮に「駅ごとの発車時刻が守られているか」という抜き打ち的な調査では及第点をいただける?)という、一種「対策済み」とみなしてよいのではないでしょうか。本当でしょうか。

 引用されたのは具体的にどこか、原典を参照します。

・国土交通省「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について(案) 参考資料2(遅延対策ワーキング・グループ最終とりまとめ)」(2016年4月20日)
 http://www.mlit.go.jp/common/001128509.pdf

 > 東京圏の都市鉄道が、稠密なダイヤを前提としつつも定時性を確保してきたという点については世界に誇るべきものであるが、遅延の発生状況は、近年深刻な状況であり、信頼性について懸念が生じる事態となっている。

 > 特に遅延の発生が多い19路線を調査した。その結果、調査期間20日間(平日)のうち平均13日で3分以上の遅延が発生しており、このうち3分から10分未満の遅延が86%を占めていた。
 > また、遅延の発生原因については、部外原因※1が94%で、そのうちの65%を混雑やドア挟み、急病人、線路支障等利用者に関連する原因が占めていた。
 > ※1 部外原因:当該事業者が原因となるもの以外を指す

 引用されなかった、すなわち、記者から見て重要度が誤認されたかもしれないと心配されるのは、以下の箇所でしょう。

 > 日常的に短時間(10分未満)で発生する遅延(以下「日々の小規模な遅延」という。)は、都心部駅周辺の高度集積化や沿線の宅地開発に伴い、鉄道の適正輸送能力や駅の容量を超えて、過度に利用者が集中することによる構造的問題である。さらに、これらの混雑等に起因する駅における停車時間の超過が複数駅で起きることにより、遅延が増幅されていると考えられる。

 「構造的問題」「増幅」を理解するのがポイントだと思いました。制度のはざまで、誰も責任を負っていない部分(「白い箱」[3041]も参照)と、その先は自然現象(数学や物理学!)としての「渋滞のふしぎ」(西成センセイ[3047])が関わっているのです。スキのない制度を完ぺきに作り上げることはもとより目指されておらず(ほぼ不可能と考えられます)、自然現象としての「渋滞」に介入する術はない(渋滞というものは起きるべくして起きる)ため、渋滞の予防のための施策が重要になってくるわけですね…などと、順を追って理解していくことが欠かせないと感じます。

※1つの施策を講じさえすれば、「また1つ、問題が解消されましたナ」といって、夕日を眺めながら目を細め…などというシンプルな問題ではないわけです。(私が勝手に「バタフライな問題」と呼ぶはなし[3211]を参照。)

※『したり顔!』で「構造的問題!」と述べさえすればぎゃふん([3172])という時代も、1990年ごろまでにはあったかもしれませんが、もはや過去の話で、いま「構造的問題」と述べるためには、いかなる構造であるのかも示しながら述べることが必須になっておりましょう。「答申(案)」では省略されている感がありますが、仮に「白書」などで「丁寧に説明」するとなれば、土地利用の規制と鉄道駅の容量のバランスを明示的にとる制度がない(特例で容積率を緩和したからといって、鉄道駅や交通広場の容量までは増やされない)、といったことを説明していくことになるのでしょう、と思わされます。いえ、記者であれば、そこに書いてなくても思わなければなりません。

※「白書」で「丁寧に説明」するはなしについては[3195]を参照。白書は、数字だけでなく解説がみどころなんです、の意。

 「マナー」については、引用のしかたがアレではないかなぁ、ほんの短いパッセージ(節や句)しか見ずに引用している(しかも不完全な)んではないかなぁ、と疑いました。

 > 鉄道事業者の取組みだけではなく、駆け込み乗車防止や整列乗車などのマナーアップ、オフピーク通勤など、利用者一人一人の行動によって改善できる余地も大きい。さらに、沿線自治体や企業の積極的な取組みも期待される。

 東洋経済さんとして、最もよからぬのは見出しの「不可欠」という語で、「答申(案)」には「不可欠」という字句も、そのようなニュアンスの文も、まったく出てきません。

※「改善の余地が大きい」とのみ言及されている資料の公表を受けての記事でありながら、勝手に「不可欠」とまで言ってしまっては言いすぎです。

 全体として「ハード対策」と「ソフト対策」に分けられたうえで、「ソフト対策」の中に「啓発活動」があり、その内容が「マナーアップ」「オフピーク通勤」「その他」である、また、啓発活動の対象として、「利用者一人一人」と「沿線自治体」「企業」の3者が挙げられているという構造になっています。

 割合としては、「オフピーク通勤」が最も大きく、しかし、それを推進するのは別の官庁だといって、(この文章の上で)意図して重みを下げた結果、よくわからない文章になっていつつも、複数の省庁間の分掌を頭に入れて読めば、まあ、ここではこういう記述になりますわなぁ(でも、「オフピーク通勤」が筆頭の施策ですよねぇ)、といって読むべき、「むずかしいにほんご」だということです、たぶん。

※「オフピーク通勤」は、企業の取り組みなしでは達成されないということが「早起きキャンペーン」([3003])でも示されたように感じます。(あくまで個人です。)

 「その他」(文中で「など」などと記されている、その「など」の具体的な中身など!)は何でしょうか。「サイン類の表示内容の改善による滞留防止」「スマートフォンでの誘導」など(!)、「ハード対策」には入らないものがすべて含まれるとみられます。(サイン類の再配置は「ハード」、内容の書き換えだけなら「ソフト」だと見ました、の意。)

 翻って、そのように「ハード」「ソフト」(「I have good soft!」[3232]も参照っ!)と分けてから考えるという考えかたの順番を改めない限り解かれない問題が残っている(いまだに解決されず残っている問題を解くには、考えかたを考えないといけない※)とも思われそうです。

※アレですよ、「(考えもせず)変えさえすればバラ色!」でも「(変えもせず)考えさえすればバラ色!」でも、だめに決まってるじゃないですかぁ。やだなぁ。


☆「尿中カテコルアミン」を読み解く(試)


 訪日客が東京駅の京葉ストリートの入口あたりで右往左往されていて動線がぐちゃぐちゃになっているというのを日常的に見かけるようになりました。こう、これまでの発想では、混雑が激しいのはラッシュ時だけで、ラッシュ時に鉄道を利用する人は地理をよくわかっていて、整然と人が流れるという前提での通路幅であったところ、▼幅はそのままで、▼人は増え、▼しかも立ち止まる、そして▼前がつかえて渋滞する、というわけです。

 これは、「心がけ」という意味での『マナー』でどうにかなることかといえば、そうではないと見なければならないのではないか、と感じるのが最近のソレです。地元の人の感覚だけで、よそから来た人の行動を「マナーが悪い」「案内を見ない」「指示や誘導に従わない」と見るのはオウボウというものです(JR鎌倉駅のホーム上で右往左往するはなし[2855]も参照)。(生物としての)ヒトの行動のかなりの部分が、環境に支配されている(知覚だけでなく認識をも支配するアフォーダンス[3018],[3023])という見かたを、万能ではなくても、(ある範囲の)問題の解決を目指す上では意図的に過大評価しながら取り入れていけばいいのではないかと思います。…『新型ぎゃふん』とでもいいましょうか。

 …といって、その実。

・同「答申(案)」

 > ・「駆け込み乗車はご遠慮下さい」
 > ・「スマートフォンやヘッドホンをしながらの乗降はご遠慮下さい」
 > ・「ご乗車されましたら、立ち止まらず車内の奥までお進み下さい」
 > ・「降車されるお客様のためにドアの前を広くお空け下さい」
 > ・「整列乗車にご協力下さい」
 > ・「乗降時は降車されるお客様を先にお通し下さい」

 見識が問われるという印象を持ったことを***は***は正直に申告してみます。そして、以下のように疑います。

・心理学のセンセイが入っていない、ヒアリングもしていない(自分たちが既に知っていることだけで考えてまとめた)
・「現場」に「ヒアリング」したら、そういうのしか上がってこなかった
・「こうあるべきだ」が強すぎる(いえ、それが「強み」であるのですが)現業系の(キャリアを持つ)センセイが主張された(のを真に受けて載せた)

 「小委員会」の中では、岩倉センセイが心理学っぽいこともカヴァーされていそうですが、しかし土木のセンセイです。非常時の避難行動などの古典的なソレのまま、最新の知見にアップデートされていない(し続けるのはきわめてむずかしい)ということを心配します。また、どんなにがんばっても、心理学のセンセイと共著することなく心理学っぽいことを勝手に研究するのは許されない(学位の守備範囲を超える)ともみなされます。

・「長距離トリップに伴う運転ストレスの測定−AHSの便益計測を念頭に−」土木計画学研究・論文集(2001年)
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalip1984/18/0/18_0_439/_article/references/-char/ja/
 http://www.db.shibaura-it.ac.jp/~iwakura/kenkyusitu/sensei/paper/R016F.PDF

 > この方法も心的負担が高い道路構造であれば、安定的にストレスを評価できるが、高速道路といった比較的単調な運転を継続した場合のストレス解析には十分な成果が得られない可能性を、田口ら(1997)が指摘している。田口らはこのような持続的かつ微小なストレスの蓄積を評価する方法として代表的なストレスホルモンである尿中カテコルアミンを採取し、アドレナリンやノルアドレナリンの分泌量を測定する方法の有効性を提示している。ただし、永田ら(1996)の実験では、高速道路の長距離走行時でもRRI、尿