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【研究ホワイトボックス】

研究を楽しく「追体験」! 真っ白のキャンバスに虹色の未来を描く方法、教えます。
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発行:2017/8/24
更新:2020/2/21

[3535]

『一人一研究』に「4人くらいの班」で取り組ませるという矛盾(談)


郡山市教育委員会「一人一研究授業」を「意味的韻律」で読み解く(談)
「シャープのウオークマン」から「Wiiのカセット」まで(談)

(約26000字)

 [3534]からの続きです。


 研究というのは、かなりのところまで孤独な作業であるという認識でございます。

[3097] 専門職大学院(公共政策)の場合
 > 1つの課題に4名で取り組む
 > 修士課程なら、一人で取り組むところです。そこが、修了後の実際の仕事(実務)がチームワークであるのに沿っているということで、しかし、本来なら「1人でもできる!」人が「3人寄ればナントヤラ(ただしフゲンでない)」であって、そうではない人が何人集まっても、総和が1を超えることはきわめて難しいようにも感じます。(感想は個人ですが実感です、ゲフン。)

 > ブルックスの法則([2984])が効いて…いえ、容赦なく「ふりかかって」きますから、業務というものはどんどんつまらなく、そしておもしろいように遅れ、停滞していくのです。
 > 何でもとりあえずは1人でしてみなはれ、役割の違う3人で集まってみなはれ

 1人でやればまともな(「1」を確実に上回る第1種『及第点』をいただけるような)ひとでも、3人、4人、5人、6人でいっしょにやれといわれますと、0.6、0.5、0.4、0.3に下がっていくと、こういうわけです。集まれば(=分担すれば)各人が楽になるのは力仕事だけだっ。…お、おぅ。

・ぶぎん地域経済研究所(武蔵野銀行)「一人一研究」の用例です
 http://www.bugin-eri.co.jp/doc/topix177.pdf
 http://www.bugin-eri.co.jp/company.html

 > **製菓

 > 「一人一研究」発表会の様子。「一人一研究」とは、職域の拡大を狙い、テーマを限定せずに仕事上の改善策、役に立つアイデアを社員に研究するように奨励している制度。

※「職域の拡大」といって、その実、▼ある程度までの拡大は、かえって仕事をしやすくする(細切れにならず取り組みやすい&ほかの人を待たなくてよい)効果など期待しつつ、▼行き過ぎた拡大にならぬよう協定や契約での明文化が必要とされましょう。念のため。

・『一人一研究』の発端らしきひと付近(推定)
 https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E5%88%86+%E8%AC%99%E5%90%89-1644677

 > 小学校卒業後、八戸の豪商に丁稚奉公するが、3年後帰郷して私立の農業試験場を創立。優秀な種苗を育てて農家に配布するなど篤農家の道を歩む。

 うーん。時代が違い過ぎてよくわかりません。(※恐縮ではございます。)


 そして、途中を飛ばして『一人一研究』でございます。…なんだかなぁ。最初から「なんだかなぁ」みたいなのキター。(棒読み)

 小学校や中学校で、適当(※)に分けた児童・生徒の「班(グループ)」に、これまた適当に課題を与えて何かさせていれば授業時間が消化されていく…とんでもない!(棒読み)およそ研究に取り組むための基本的な何かにことごとく反しているとわかります。学級活動や討論なら、それでいいんですけど、この体制(※クラス内での人や課題の割り当てかた)では研究などできまいて。んだんだ。

※適当:『いいかげん!』という意味ではないほうの意味です。

・「テキタウ(1または2)」
 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/151064/meaning/m0u/

 > ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。

 > 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。

 しかし、これでは「責任ある研究体制の構築」の一種「必要条件」の一部しか満たしていないんですよ。…その発想はなかった!(棒読み)

・「十分条件」のイメージです
 http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080822/168550/

 > ガソリンを入れただけでは自動車は走らない。ほかにも「ドライバーが免許証を持っている」といった必要条件もある。こうした必要条件をいくつか集めると自動車を走らせるのに十分な条件になる。必要条件が一定数集まると十分条件になる。

・鬼北町教育委員会「集団行動発表会」からの「一人一研究グループ分け」のイメージです
 http://kihoku-hiyoshi-j.esnet.ed.jp/modules/wordpress0/index.php?p=309

 > 個人テーマの分野が共通している生徒どうしが話し合って、3〜4人のグループを作り、さらにそのグループで話し合ってグループのテーマを決めました。
 > 当初考えていた個人テーマとは別のテーマになった生徒もいましたが、

 えーっ…。

・弘前市のイメージです
 http://www.city.hirosaki.aomori.jp/school/tokiwano/2017-0611-1437-409.html

 > 総合的な学習の時間を活用し、全児童生徒が「一人一研究」という活動を行っています。一人一研究では、研究力・分析力・表現力の育成が図られ、子どもたちが自ら課題を見つけ、体験活動もかねた探究活動を行い、その成果をみんなの前で発表します。

 (結果的に?)きちんと一人ずつ取り組むのであれば意味があるとは思いますが、それをもともと「研究」というのですよ。(職場の研修でなく小中学校の授業で)わざわざ固有名詞っぽくして変なありがたみを生じさせる必要って、あるんでしょうか。…『謎』です。

・丹波市のイメージです
 http://www.city.tamba.lg.jp/site/toozaka/itikenkyuu.html

 > 夏休みにがんばってきた一人一研究の発表会を行いました。
 > 自分で調べたいことや作りたいものを夏休みの間にまとめてきました。

 単に「自由研究」からの言い換えであるのなら「研究」と称せばよいのであってだなぁ(略)…なんだかなぁ。労使間の緊張関係を想起させてしまう名前なので、きわめてなんだかなぁ!(棒読み)

・古河市のイメージです
 http://koga-j3.koga.ed.jp/jobistym4-24/

 > 3年生は総合の時間を使って、最後の課題「一人一研究」に取り組んでいます。
 > 大学の「卒業論文」に近いものがあります。これらの活動を通して、「情報収集能力」「課題克服能力」を育成していきます。

 それならふつーに「卒業研究」と呼んでしまって構わないのではないかとも思えてきます。あくまで『一人一研究』と呼んじゃいますか。そうですか。

 そもそも、児童・生徒本人は、何も言わずとも(初期状態として)1人ずつが「一人」なのですよ。学級や学年で束ねて総称する「一人一研究」という呼びかた自体が『上から目線!』なのですよ。…その発想はなかった!(棒読み)じぶんがこれから取り組む活動の呼びかたって、モチベーションにかなり影響しますよね。…本当に「一人一研究」などと呼んで、ダイジョーブなのかなぁ。本当でしょうか。

・「自由研究とその周辺」付近
 https://neorail.jp/reports/?20170128_A_Survey_of_Recent_JIYUU-KENKYU_in_Japan

 > 自由研究は、児童の自発的な動機に基づいて、教科の区分や学年への配当を飛び越えた学習を実現するものである。自由研究では、自発的で自律した研究能力の獲得が目標となる。一般に、初等教育のうちに獲得されなかった自発的な能力や態度を高等教育において義務的に獲得させることは難しい。実社会の課題は複雑で融合的であり、その解決には研究能力を前提とする。自由研究をその場限りの活動とせず、本人が将来の研究で活かせるよう、一般の研究指導と共通する発想で自由研究を指導する必要性が高まってきている。

 > 自由研究に着手する前に、成果物の実例である先行研究を見て具体的なイメージを持ち、それぞれの表現形式が持つ機能を十分に理解して、研究の流れの全体像をつかむよう促すことが重要であると考えられる。これに加え、一般の論文の査読に準じた観点を使って自分の自由研究を自分で客観視するよう促すことが、自律した研究能力を育むと考えられる。

 うのみにしないでください。しかし、だいたい同じようなことをお感じであれば、参考文献を参照いただいて、あなた自身で結論を得てください。

・本来の「(教員一人)(年間)一研究授業」仙台市の用例です
 http://www.sendai-c.ed.jp/~kuromatu/kenkyu/h18/02.pdf

 > 年間一人一研究授業の構想

 > 我々(教師)一人一人の授業力を向上させ,児童の「確かな学力」を育成するために,年間一人一研究授業を実施する。

 変な感じに「分担!」で「持ち回り!」しちゃわずに、(教員の)全員が取り組みましょうという「達」みたいなのですね。

・一例として郡山市教育委員会「一人一研究」の用例です
 http://www.edu.city.koriyama.fukushima.jp/kyokence/kensyu/kenkyubutsu/h27kenkyubutsu/h27PDF/h27_J15.pdf

 > 学級づくりを土台とし、道徳教育との連携を図る校内研究

 > 昨年度の校内研究を通して教員から「学習環境の母体である学級づくり」と「教科授業」の連携を図る必要性についての指摘があった。そこで本年度は「道徳教育」「学級活動」「教科授業」の有機的連関を図り「つながりの中で教えて考えさせる授業の創造」をめざし、本実践を行った。

 他校や他県ひいては諸外国で事例があるようなのを、そこまでおおげさにいっちゃいますかねぇ。辞書を引きもせず、すなわち意味を考えて述べているのでなく字面や耳ざわりのよさで選んできて空欄にあてはめただけなのではないかと、そういう部分を疑います。合理的に見ていくと端から次々と一種『無効化』されていく、「何か書いてはあるけど、何も言っていないね」的な文章を書いてはなりません。

 > 学級力向上プロジェクト提唱者であるテー中**氏に来校いただき授業研究会を実施した。校内授業研究日を設け、全教員による授業参観と事後検討会の成果をうけて「一人一研究授業」を実践した。6月・12月には、全国学習状況調査の質問に基づき全校生アンケートを実施。全国学習状況調査のデータと比較しながら、本年度の研究成果と課題を探った。

 > 一人一研究授業

 用語がめちゃくちゃでございます。▼(1)教員の業務(査定の対象)としての「授業研究」という意味での「研究」「研究成果」、▼(2)イベントとしての「授業研究会」「校内授業研究日」、それに▼(3)固有名詞的な『一人一研究授業』という、3種類の文脈で「研究」という文字がぐちゃっと使われているのが、いま端的に気持ち悪いと、あくまで気持ちではあるんですけど、はっきり気持ち悪いと、こういうわけです。なんとかすっきりさせられないものでしょうか&それは誰の仕事なんでしょうか。…ギクッ。

※個々の教員が「業務としての授業研究」と「イベントとしての研究授業」を明確に区別できていないとも疑います。(定例の)イベントがあるから準備して臨むのだという認識しかなければ「業務としての授業研究」に取り組んだとはいいがたく、そして(定例の)イベントの中で(定例の)討議を行なったから自動的に「研究成果」が出てくるのだと…とんでもない!(棒読み)

[3358]
 > 「省察ですね、わかります!!(°∀°)彡」と目を見開いてですね(略)、わざわざ時間をとって集まりさえすればぎゃふん(わたしたち省察してます!@わあぃステキな省察でしたっ、はい次のかたどうぞ)。それではいかんのですよ@論文をまとめるのは本質的に孤独な作業ですぞ★。


★郡山市教育委員会「一人一研究授業」を「意味的韻律」で読み解く(談)


[3324]
 > 「手作り!」という「評価的!」な表現で述べる必要のないことだと感じました。電池ボックスを買えばいいんですよ。

[3297]
 > > 一見中立的な意味を持つ語と共起する語彙に,(多くは価値評価的な)意味の偏りが見られる現象は,コーパス言語学の分野で「意味的韻律」 (semantic prosody)と呼ばれている(Louw 1993, Stubbs 1995, Partington 1998, Sinclair 1996, Hunston and Francis 1999)。

 「昨年度の校内研究を通して教員から「学習環境の母体である学級づくり」と「教科授業」の連携を図る必要性についての指摘があった。そこで本年度は「道徳教育」「学級活動」「教科授業」の有機的連関を図り「つながりの中で教えて考えさせる授業の創造」をめざし、本実践を行った。」の文章全体が、この文章を起案した者や、積極的には「朱!」を入れなかった(追認した)者にあって、心地よく感じられる文章であるということなのですよ。…たぶん。

 もっと分解しながら見ていきましょうか。んだんだ。

・「昨年度の○○を通して」:安心感があるよね
・「教員から」:(じぶんの)部下が積極的に動いたよ☆うれしいな
・「学級づくり」:(しぜんにできてくるのではなくて&教員ががんばって)つくった感が出てくるよね
・「有機的連関を図り」:いつかどこかで1970年代からのプラスアルファだよ情報知識だよガクジツ的だよ☆おねーちゃんっ(棒読み)
・「Aの中でBさせる○○」:テクニカルだよテクニカルポイントだよ勝負あったね☆おねーちゃんっ(再)
・「考えさせる授業」:主体的などともいう(『児童自身に』という(動作の)主語が抜けている)
・「めざし」:朝食の定番だよね
・「本実践を行った」:遠い目で窓の外を眺めながら我々「またひとつ、いいことをしましたナ」的なアピールではあるよね

※そもそも、そういうアピールをすることが目的の文書であるので、このような文章になるのは自然ではございます。あしからず。

※ここに挙げなかった箇所等については、書き手自身が選び取ったことばではないといいましょうか、「そのようにいわれている」「そのようにせよといわれた」というようなことをそのまま述べているっぽいので、特に言及はしないことといたします。(恐縮です。)

※ふだん意識せずとも、いつかどこかで見聞きした用例をベースに運用しているだけとあらば、必ずいつかどこかの何かに影響されて、いま、あなたはそのことばを選んだのですよ。

[3469]
 > また1つ、オトナになりましたナ。そういって我々、ブラインドの隙間を押し広げて西日を浴びようとする「逆ミーアキャットみたいな顔」でむにゃーっと席を立つと(略)。

[3234]
 > オペラは大会議室で起きているんだっ! ブラインドの隙間から江戸川に沈む夕陽を見ながら高らかに歌い上げればごはんがうまいっ!!

 じゃあ(※『じゃあ』!)、どう書けばいいというのよ&んだんだ。

・おっと、今年できても、来年は別の生徒たちを教えるのだぜ@なんてこったい
・授業時間が足りないっ
・教員の異動もあるんですよっ

 そういうことを承知してますアピール的な何かとしては、▼「指導方法の定着を図るとともに題材の陳腐化を防ぐ具体的な手立てとして○○を試行した」みたいなのとか、▼「限られた授業時間において最大限の効果を得るためAをBとした」みたいなのとか、ほしいですよね。…ほしいですよねっ。(棒読み)それを「しっかりと〜問い直し」「往還のある」「挑戦し続ける○○集団」などと…コレハヒドイ。実にヒドイ。書くべきことはわかっているのに、しかるべき表現がともなっていないという、純粋に「作文力」の問題だと見受けました。実にもったいない。

 ほかに、「めざし」(「目指し」)という表現を使わずに書くにはどうすればよいでしょうか。書き手の立場的には「じぶんがめざす」(じぶんと部下や児童・生徒が混然一体となったかたちでめざす)という書きかたをしていては認識が不十分ではないかといって、「(部下に)目指させる」という使役の文をきちんと書かなくてはなりません。(本件文書の文脈とは異なりますが)児童・生徒が「みずから目指すように促す」ということをいうには、地の文で書き手が「めざす」と書いていてはだめですよね。

[3514]
 > とっさに「連関」というくらいには経済を勉強しているのだと

 「連関」というのは、AとBの間の1辺(「関連」もしくは「関連性」ひいては「相関関係」)だけでなく、構造全体を指すいいかたですよね。「「道徳教育」「学級活動」「教科授業」の有機的連関」という表現も、この全体を指していいたいのだろうというお気持ちのほうなど(以下略)。

 きわめて表層的には、▼「来校いただき」を「招き」に、▼「提唱者である」を「を提唱している」に、それに▼「全国学習状況調査の質問に基づき全校生アンケートを実施。全国学習状況調査のデータと比較しながら、本年度の研究成果と課題を探った。」を「全国学習状況調査(以下、全国調査)と同じ設問のアンケートを本校の全生徒を対象に実施(同、本校調査)し、全国調査の結果と比較した。」に、などと(…長っ)。

・「テクニカルポイント」
 https://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88-575563

 郡山市の文書中「2 実践の概略」と「3 成果と今後の実践の工夫」は、箇条書きで列挙されたもの(≒部下から「上がって」きたもの)をそのまま並べて紙面を埋めました的なことを強く疑います。特に「2」は、文章としてつながってすらいないんですよ。…なんだかなぁ。

 (教員の研修として)やっていることが無意味だとは決して思わないのですが、こういうレヴェルの文書しか出せない(≒出させてもらえない⇒こういうレヴェルの文書しか求められない環境に身を置き続ければ、やがてこういうレヴェルでしか書けなくなってくる)というのは、きわめて何かが欠けている(決定的に欠けている)との印象が拭えないということでございます。「研究授業」に取り組んだ教員とその上長がきちんと責任をもって(共著で=実地の授業研究を行なった最大の貢献者である個々の教員を第一著者とし、校長を責任著者とし)論文にまとめ、査読を受けないといけないんですよ。その査読が他市や他県の教委との間でもちつもたれつみたいな感じになったりするのは(実際的に)問題ないと思うんですけど、まったく査読なしというのは、いまはそれでよくても、将来、よくないといわれることになりそうなことの筆頭なのですよ。

※校長にそんなヒマはないっ…えーっ。ならば、中間に(授業をしない)特任助教やポスドク(にあたる、実質的な研究の指南役)を入れればいいんですよっ&その発想はなかった! …いや、ありますってば。学校でいえば教委(付)の指導者(授業研究の研究指導の一端を、これに限り教委から各校に派遣され、各校では校長のもとで研究指導に従事する)ですよっ。3名の連名で論文だっ。これだね。(棒読み)それこそ、ポスドク的な人材(教員免許は持たないけれども学位はあるので研究指導ができる)を(非常勤などでお安く=これが本務なわけもないのでそれでじゅうぶんでしょ的に)お採りになればいいんですよ。本当でしょうか。

・(再掲)名和小太郎「第一著者になりたい」情報管理 Vol.49 No.7(2006年10月)
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/49/7/49_7_395/_article/-char/ja/

 翻って、『一人一研究』というのも、もとは「(一農家や平社員ひいてはパート従業員であっても)第一著者になれ(第一著者としての重責をきちんと負うべし)」というココロがまえ的なものを述べる表現であったのではないかなぁ(⇒そこで業績をあげれば階級もあがれる!)。決して発表件数や特許の出願数などにフォーカスしたものではないのではないかなぁ。本当でしょうか。

・「教育学用語辞典 第四版改訂版」学文社(2010年4月30日)
 http://www.gakubunsha.com/book/b242434.html

 > 教育学の各分野で活躍する気鋭の研究者70名余の執筆陣を擁し、事項約800、人名約100項目を収録。

 …1人1ダースくらいですよね。(棒読み)

 > 品切れ・重版未定

 うーん(略)。「なか見!検索」で見る限り、まったく「しょーもない用語辞典(ことばてん)と呼ばれる字引き!」からの「やーい歩く生き字引の書き下ろしたの!」みたいなのであるとうかがえます。記者が専門家を検索するための『事実上の電話帳!』ですね、わかります。(※個人の感想です。)まともな事典(ことてん)を編纂(ならびにメンテ)できない分野って、カナシイですよ、うん。(※個人の感想です。)

・「現代教育学事典」(1988年10月)
 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784845100880

 > 本事典では、人間(子ども)の発達にとって真に意味のある教育とは何かを基本の観点にすえ、そこから、子ども・青年の発達と教育、教育の内容と方法、学校と教職員、生涯学習と社会教育、教育制度・教育行政・教育思想、教育の歴史と人物、の6つのテーマを設け、項目の選定を行った。そのさい、テーマごとに基礎的・基本的事項および基本概念を精選・網羅し、また新しい用語・事象を積極的にとりあげた。

 事典というものは単発で刊行なさってそれっきりという体制で安易に出されてはならないのですよ。むこう30年にわたって版を重ねられる体制を最初から構築していないと無責任なのですよ。ひいては、事典というものは乱立しないことが望まれますから、まずはこの事典(の諸権利)を買い取って改訂版を出されるようなことをですね(以下略)。(※個人の見解です。)

[3096]
 > いわゆる「経営側」と一種なかよく(「第1種なかよし」などと…略)しただけで「ケシカラン」といってゲバゲバされるような時代は、いくらなんでも、もう「卒業」しなければなりません。いつまで「14歳」なんでしょうか。「14歳」をこじらせたままでは「15の春」は訪れません。そして「17歳」くらいになっても、まだ「社長は社長」で「『ウチら』は『ウチら』」などと、従業員の側が一種「壁」のようなものを作って閉じこもってしまう面もあるでしょう。限りなく子どもじみています。社長と対等に酒が飲める「20歳」になって、おいしく飲もうではありませんか。

 分野全体で研究者が協働して事典を編纂…できるかどうかというのが(ある研究分野の成熟における)「最初の関門」ですよね。

[3485]
 > > そもそもルールは誰が作るのか。

[3353]
 > 既に他人が描いてくれている青写真の見本帳(教科書)を使って、いかにもそれらしい青写真(『熟度の高い』計画※)をつくることだけが評価され、何もない、あるいは、あまりにも混沌とした状況下で、一種『ゼロ』に立ち返って自力でポンチ絵を描くところから検討を始めるようなことは、今の世にあって、全力で避けられる(そんなヒマがあったらできのよい教科書を探してきなさいとハッパされる)と曲解します。(あくまで曲解です。)

[3496]
 > もっとも、そうしたことに丁寧に時間をかけるということが、いかほどぜいたくなことであるかということもまた、思い知らされるような気がしてきそうですよ。

・『学級力』のひと付近
 http://researchers.waseda.jp/profile/ja.2e5530165e6c97682c2928477c1106f0.html

 > 学術修士 課程 大阪大学 教育工学

 うーん。このかた個人ではなく、この分野としての課題であるという認識ではございますが、博士も取らぬ者がのうのうと述べたことを真に受けて『実践』するなんて、たぶんとんでもない。エビデンスのあることを述べるには博士でないといかんのですよ。心理学や工学や情報学など、少し畑違いでもいいですから博士を取ってからおっしゃっていただきたい(そうすれば安心して参照でき、問題があれば申し立てができる※)と、こう思うわけであります。「OECD」と「わあぃヒンメリ!」…じゃなくて「わあぃフィンランド!」にだけ都合よく言及…いえ、「CEFR」([3061])と「EQF」([3387])に言及せずに「OECD」と「わあぃヒンメリ!」…じゃなくてですよ(大巾に中略)「わあぃフィンランド!」にしか(もっぱら)言及しないということは、フレームワークというものを理解せず個別の事例としてしか「OECD」それに「フィンランド」を見ていない(もしくは読者や聴衆に深い理解を促そうとすると敬遠されるという残念な状況等があるという)ことなのかなぁ。…わからないや!(棒読み)

※文部科学省のひとなら、ほかの官庁の管轄には言及しないのは当然ですが、教育学の研究者は、そのような立場からは独立していなければなりません。当然ながら、OECDのレポートに言及するときには、教育だろうと労働市場だろうと境目なく議論できていなければ専門家とはいえません。(※いまのところ、そこまで厳格に問おうというのは私見の域を出ませんので、あしからず。)

※そもそも修士でしかない人に対しては、はぁ、そうですかといって、申し立てはできない感じでございます。申し立てを受ける用意が(当人に)ないんですよ。…その発想はなかった!(棒読み)申し立てを受けるにも資格が必要なんだという「厳格な資格観」([3417])でございます。

[3417]
 > 個人的な尊敬や感謝の気持ちとは厳格に切り離して、資格に関することは厳密に扱っていこうではありませんか。『山尾望先生!』は「(学校の)せんせい」であって、技術者であり専門家ではあるが、研究のセカイにはばたくための『パスポートのようなもの!』はお持ちでないとの理解にございます。『総合科学としての山岳展望学の確立』を「云々!」なさりたいのであれば、『わるいことはいいません!』…ので、いまからきちんと博士課程で研究に取り組まれ、その後で「云々!」なさってください。ぜひ。

[3091]
 > 「ヒンメリ」を見て「なにそれ? 聞いたこともない→調べてみよう」というのが正常な好奇心の回路であって、わけもわからぬまま「わーい! ヒンメリ! ヒンメリ!」と、ただ作るだけというのは、子どもとしてはありえない回路だと思います。そこで大人にたずねても、何も言ってもらえないのでは、育つ機会が失われてしまいます。

[3520]
 > > (略)学部卒業 専門は岩石学

 > それは学部での「専攻」でしょ(=いくら教職が長くても「専門」とはいわないでしょ&理科の教員でつくる研究会などで『研究』を続けても、それは教員としてあたりまえの研さんの範囲から出るものではなく、「専門」とは呼ばれないでしょ⇔教員という資格自体が「専門」でしょ)、修士論文を書くトレーニングを経ていない者にのうのうと書かせるほうの見識が問われるというものであってですね(略)…きわめて形式的なことですが、なんだかなぁ。

[3484]
 > 化学を専攻した(=「しちゃった」ともいえる=化学以外は専攻しなかったという扱いを自動的に受ける)ひとが鉄道の何かを講義するとすれば、材料(強度や劣化を含む)や燃料(効率を含む)などの話題くらいしかないのではないかとも思えそうです。

[3345]
 > > 各テストに数人のPh.D が専属

 これがふつーですよ&ふつーにしていきたいと思われたいのですよ。その上で、Ph.D(⇒課題に見合った分野の博士=『本件専門家』)が入っていないものは公的には取り上げてはならない(=話題にすらしてはならない、ましてや『実践』などもってのほか)ということにされていきたいのですよ。エビデンスレベル([3477])を厳格に問うていくということは、そういうことなのであります。

※翻って、このフォーラム、じぶんでじぶんに厳格なソレを適用すると、このフォーラムでは文責を示しようがない(=わたし、無資格です!)ということなんです。▼じぶんには資格がないとわかってなお「ぼそぼそと白板に向かってつぶやくよう!」なソレを書いてみせる(一種「演じる」)ことと、▼きわめて無邪気にも『素』で「なんでもきいてくれたまへ」からの「えっへん☆」しちゃうことの間には、大きな落差があるのでございます。(※白板はイメージです。実際にはPDPを使用する場合がありますのでご注意ください。)

[3137]
 > > (略)社会に民主主義が機能しているなら,匿名による専門家の見解など到底考えられない。したがって,**庁と専門家との信頼関係が優先されるべきではなく,**庁は,専門家の氏名を明らかにしないならば,専門家からの助言であったという説明は撤回すべきである。

 > 単に「本件専門家」の用例を見つけるべく「Google先生にご登場願」ったところ、いきなり出てくるのがこれだとは、アナドレません。

 > > Aを確認できなかったことから(略)****氏(以下、「本件専門家」という。)に対して見解を求めたところ、本件専門家より「Bが失敗した」との見解を得たため、Cが失敗したとの結論を得たものである。

 > いま絶妙に、A→B→Cという「変せん」が観測されます。AとBだけでCとまで言えるのか、いえいえ、BなしでもCと言えたかもしれないところ、きちんとBを得たので確かにCなんです、ということですね、わかります!

[3287]
 > 記者としてのキャリアのみを専ら(仮には10年以上)積んだ者が、そのキャリアをもってあたりさえすれば研究ができる! …などと幻想を抱いてはイケマセン。無資格で勝手に研究してよいわけがないのです。

 無資格の者(院生を含む)には、必ず指導教員がつかなければなりません。これはゼッタイです。…たぶんじゃなくてゼッタイです。滑稽だわ! 「これでいいのだろうか」などと一種「自問自答」する資格すら、あなたには付与されていないのよっ。(棒読み)

 > ある話題やテーマが、実は研究(の資格=狭くは学位)を要するむずかしい課題であるかどうかを見分けることができるというのが、(「現在の水準」でいうところの=かなり厳格な意味での)記者としての最初の関門であろうと思われてきます。

・(再掲)Google ストリートビュー 「現代の水準で新規【頭上注意】」付近
 https://goo.gl/maps/s1vUNvSi2My

[3489]
 > 関門だよ最初の関門だよ関門トンネルだよお姉ちゃんっ!(違)ここではきものを…じゃなくて、「ここで頭をぶつけるようなひとは注意散漫だから気をつけなさいってこった」みたいなのキターっ。(棒読み)

・Google ストリートビュー ここであらかじめ頭をぶつけていただきますみたいなの付近
 https://goo.gl/maps/LvBgr1WjK1x
 https://goo.gl/maps/6rQCqbCeME62

・東京都第二区画整理事務所の見解です
 http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/dainiseibi/tikubetu/shiodome/pdf/ko02.pdf

 > 地区事務所の住居表示が変わりました
 > ※ 変更は住居の表示のみで地区事務所の所在は変わりありません。

[3517]
 > 展示のしかたという、それだけで1つの専門分野なんですよ、それを修めていない者(無資格の者)がのうのうと現代なんとかだといいさえすれば、こんな「たおすなよぉ! ゼッタイたおすなよぉ!」みたいな展示しちゃって…いいんですかねぇ。

[3520]
 > 教員の監督を受けもせず技術職員だけで…いいのかなぁ。できもしない(厳密には無資格である)ことを(⇒我々、大学で働いてるんでぇ…大学のセンセイみたいなことが見よう見まねで)「できます!」と強弁しちゃってないかなぁ。

[3370]
 > 1971年になっても「ビルヂング」が新築されていたんですよ。
 > マナーというものは(せんせいやセンパイから)教わるまでは知らないものなんです([3343])。滑稽だわ! サンダルでエスカレーターに乗るなんてとんでもないのだけれど、教わるまではとんでもないと気づくことさえできないのよ!

・KAKEN!「授業研究方法論の体系化に関する総合的研究」(1994〜1995年度)
 https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-06301090/

 > 今年度は、前年度に引き続いて原資料を収集しながら、これまでにとられた授業研究方法論の系譜と関連性を体系的に構造化することを目的として研究を進めてきた。

 > また、それぞれの研究グループの影響を色濃く反映している研究者を研究協力者として招き、研究会を実施することにより、原資料以外の情報を補填し、かつ授業研究上の各スタンスの確認を行うことを心がけた。

 > その結果、仮説的に設定している4つの軸(1.授業記録の方法、2.授業記録の対象、3.授業分析の視点、4.方法論)の各カテゴリーを再検討し、新しい授業研究方法論の分析の枠組みを再構築することができた。

 ほぉお。それを「研究」というんですか。さいですか。(棒読み)実にヒドイ&コレハヒドイ。いくら1994年といっても、さすがにヒドイ。

[3158]
 > 国立科学博物館「貨車の技術発達系統化調査」(2009年5月29日)

・(先述)
 > 国立科学博物館「露光装置技術発展の系統化調査」(2006年3月31日)

 > 「Intel」というきわめて特殊な(世界に2つとない)会社の垂直な事業について書く以上、インプレスさんのような記事になる(ほとんど当事者のいい分そのままにならざるを得ない=わかりやすく比較して言及できる「同規模の同業他社」が見当たらない)のは、しかたなくもあります。読者としてはかなりシビアに、「それってIntelだけなの?」「その新技術は微細化の実現に貢献したコアな技術なの? それとも微細化して起きた問題に対処するためのパッチ的なものなの?」「一般にはどのようにするものなの?(その技術はどのくらい独創的なの?)」といったことを気にしながら読んでいく必要がありましょう。(=この詳細さの記事を本気で読まねばならない場合のはなしです。もっとも、真にそのようなニーズのある人は、それをインプレスさんで読んでいては間に合わないのではないかとも思われてきそうです。)

 > 「Intel」がよくわからなければ、仮には「東芝デジタルメディアエンジニアリング」さんを読み解けばいいという早合点でございます。(あくまで早合点です。たいへん恐縮です。)わたしたちとしては、「わかった!」したくて記事を読むのですから、何としてでも「わたしたちにもわかる範囲(スケールやアプリケーション=ただしこれらに限らずもっと広く抽象的に=)」に一種『縮しょう!』して読み解きたいという欲求(…いえいえいえ、「東芝デジタルメディアエンジニアリングさんは小さい!」などとは申しませんよぉ。あたかも『となり町!』に会社や工場があって、家族や親せきが働いているかのような親近感をともなって理解したいということかもしれません=)があるのです。(とはいえ仕事ではないので単なる「欲求」であって、ここで満たされないならどこか別のところへ行く、あるいは別の欲求を満たして代わりとするわけです。うーん。)

 > 「ぷれきそっ!」([3330])っぽく読み解くココロミを、オトナだからって面倒がるというのは『感心しない』なぁ(※)。日経BPさんの「どこの寸法が32nmなのかと聞かれれば、ほとんどの人が「うーん」と詰まってしまうだろう。でも、それは不思議ではない。なぜなら、32nmや45nmという寸法の部分は、実際のチップのどこにもないからだ。」は、かなりアレかなぁ(※)。

[3472]
 > 不用意な言及によって行間に「ドミナント・ネガティブ効果」([3242])が生じてしまっていないか、という振り返りをなさっていただきたく思います。▼(JRが)経験と勘のみに頼っているという印象を与えないか、▼(新幹線が)需要もないのに無駄な運行をしているという印象を与えないか、▼(新聞記者だけが特権的に)関係者に接触できて秘密を暴けるかのような印象を強めていないか

 > 「関係者」が語った「ある説」を右から左へ、という記事になってございます。いま明確に、内容の正確性は不問で、この伝聞調そのものがいけないと感じられてきましょう。

[3484]
 > 学芸員の資格を取得するための学部レベルの専門科目を型通りに修めただけでは、まだ何かが足りない(※本件系統化調査を担当された研究員にあっても、国立科学博物館への就職後の勉強(研究能力の「涵よう」)のほうがはるかに大きいと見受けられる)との感触でございました。(あくまで外部からの推察です。)

・自然科学研究機構の見解です
 http://www.nins.jp/information/prevention2.php

 > 研究者の基本的責任
 > 研究者の姿勢、科学的助言
 > 説明と公開
 > 科学研究の利用の両義性

 > 研究活動
 > 研究者は、自らの研究の立案・計画・申請・実施・報告などの過程において、本規範の趣旨に沿って誠実に行動する。研究者は、研究成果を論文などで公表することで、各自が果たした役割に応じて功績の認知を得るとともに責任を負わなければならない。

 > 研究環境の整備
 > 研究者は、責任ある研究の実施と不正行為の防止を可能にする公正な環境の確立・維持も自らの重要な責務であることを自覚し、研究者コミュニティ及び自らの所属組織の研究環境の質的向上、ならびに不正行為抑止の教育啓発に継続的に取り組む。また、これを達成するために社会の理解と協力が得られるように努める。

 > 研究対象などへの配慮
 > 他者との関係

 下へ行くほど研究に限らない基本的な姿勢だと思われて読み飛ばされそうだとの印象に忠実に、あえて読み飛ばしてみます。(※きわめてメッソウでございます!)

・(先述)
 > わあぃこんやのカレーは<けろくち>だぜ★。たしかに<けろくち>といったかんな。かってに<からくち>だとおもうやつが××なんだぜ★。…などと(略)。すみませんすみません××が××で(もっと略)。

 > 本を紹介しさえすれば「書評」だなんて、とんでもない。「書評」は、書評を書く側こそが高名なかた(その分野の先駆者や、じゅうぶんな実績を有する専従の担当者)でないといかんという美学(※B)があってだなぁ(略)。このフォーラムでわたくしめが書籍を(長々と、主観を交えながら)紹介しても、それは「書評」には該当しませんです。

 > まあ、<けろくち>のようなもので、書評と銘打っていなくても書評だと受け取られるのは***ですね。うん。でも、その逆はいけないと思うんだなこれが。(※表現は演出です。)

 書評くらいならいいんですけど(※本当はあまりよくないんですけど=まったくよくないんですけど)、「研究」と銘打ったり打たなかったりしたものについて「研究者じゃないもん☆研究じゃないし!」と言い逃れる余地を残してはいけないのですよ。無資格で(指導教員なしに)は、研究者が取り組むべき領域に立ち入ってはならないのですよ。んだんだ。


★「シャープのウオークマン」から「Wiiのカセット」まで(談)


・本日は再び自然科学研究機構の記述をいまいちどあらためさせていただきましての(以下略)

 > 研究活動とは,先人達が行った研究の諸業績を踏まえた上で,観察,実験,考察等によって知りえた事実やデータを素材としつつ,自分自身の発想,解析,省察等に基づく新たな知見を創造し,知の体系を構築していく行為です。

 > 研究活動とは,先人達が行った研究の諸業績を踏まえた上で,観察,実験,考察等によって知りえた事実やデータを素材としつつ,自分自身の発想,解析,省察等に基づく新たな知見を創造し,知の体系を構築していく行為です。

 デスヨネ〜…。指導教員がいない、査読も受けない、そもそも論文を書かないというのは、「先人達が行った研究の諸業績を踏まえ」「知の体系を構築していく」という部分の保証がないということなんです。

 そんな活動は、活動としては確かに何かなさったのかもしれませんけど、まったく「研究」と呼んではならないのでございます。「○○研究」「研究○○」と呼ぶことも、本来いけないことなんですよ。…その発想はなかった!(棒読み)

[3495]
 > いま問う任天堂「ところで、」「よく研究し、」「各自でご研究ください。」のココロ

 > 昭和40年代(1965〜1974年)っぽいテイストが漂います。

 > 「勝負を決めるゲームです。」キターっ。ルビなんてないですけど、これ、<しょーぶ>じゃなくて<かちまけ>っぽいですよね。現在の水準では「読みかたを迷わせないよう『勝敗』と書くべし」と「朱っ☆」されそうではございます。しょーぶだぜ★お姉ちゃんっ! 酒匂川でいしきり…じゃなくて、「しょーぶをきめるげーむ」…うーん、それをゲームというんですよね。

 どんなことでも「研究」と呼んでよい、いわば「一般名詞的」に「研究」と用語してよいという感覚は、1970年代限りで終わったとの認識でございます。

・「一般名詞的」とはにわ?(仮)
 http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/~yasuoka/kyodokenkyu/2014-01-10/ftp/IREX/NE_DEF/df981018.txt

 > 日本語では地名でないものは地名としない。(ウィナー、アメリカン、ナポリタンなど)

 > ペンティアム200MHz
 > ペンティアム200MHz

 > 彼はシャープのウオークマンを買った。
 > このホッチキスは使いやすい。
 > あのセスナ機はとても綺麗だ。

 「シャープのウオークマン」という表現を(現代の我々、ココロ的に)許容できるかどうかというのも、1985年くらいで分かれているのかなぁ。本当でしょうか。『ソニーのファミコン!!』とか…げふっ。「CDロムロム」(※カタカナです)については[3529]を参照。

・『Wiiのカセット!!』
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1154527136

 …ぬふっ。(略)「カセット」と呼ぶ必要があるかすらも、ソレが1ダース以上あるかどうかで決まってくるものであり、2ダース以上あれば物理的な置き場問題が発生することにより、子ども本人ではなく親の口から「カセット」との単語が出てこようかというものです。親が「カセット」というから子どもも「カセット」というんですよ。1ダース未満であれば、呼ぶ必要すらなく、特に意識して整理せずとも所望のソレが検索できるのであってですね(以下略)。ひいては、抜き差しならぬ…じゃなくて、抜き差しが多いと本体側の耐用回数みたいなのをやんわりとオーバーなさりうるとの認識ではございます。「カセット」側をふーふーしてもしかたないよね。んだんだ。

・技術的には「ROMカートリッジ」でございます付近
 http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/feature/15/050800095/051800014/

 「ロムカセット」が略されて「カセット」とのみ呼ばれるかどうかという前に、そもそも「カセットテープ」などの「カセット」と同じ利便性を提供するものであるということを訴求する「商品名」のようなものとして「ロムカセット」と(任天堂が)呼んだということがうかがえそうです。略すなら「ロム」のほうだろうと思いつつ、わからないことばは無視されるんですよ@なんてこったい。かくして「ロム」とかいうよくわからないものはなかったことになって「カセット」とのみ呼びつけられるにいたるのだと、こういうわけです。ひいては「カセットテープ」を指して「カセット」と略すのも、▼「テープ」かどうかは見ればわかる、▼「リール」じゃなくて「カセット」なんだぜ☆どうだスゴいだろイケてるだろナウいだろ…ゲフンゲフン。「カセット」ということばそのものが「評価的」なことばだったのですよ。(※あくまで一般的な推定です。)「カセットテープ」を「カセット」と略すようなひとすらも我々、遠巻きに眺めようではありませんか。そもそも好き勝手に略すひとというのは、ことばの選びかたが粗雑なきらいがありませんかねぇ。…ギクッ。

・「きらいがある」
 http://thesaurus.weblio.jp/content/%E5%AB%8C%E3%81%84%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116707966

[3384]
 > まだ見ぬ「ムトンの寝間着」を求めて

 「昭和40年代(1965〜1974年)っぽいテイスト」が漂う書物(…『書物』っ!)に疑問や違和感を持たないというのは、あまりにも無頓着すぎるのだと、こういうわけです。

[3169]
 > わざわざ「知見」とまで呼ぶからには、エビデンスがあって…という一種「世界観のようなもの」が感じられない文章が並んでいます。センセイが「知見」といったからといって「知見」といいさえすれば、『自分の中』で『何かが広がったような感じ』がするなどと…いえいえ、それ自体は貴重なことですが、「知見」というのは客観的に確立されるものであって、『自分の中』とは対極をなすものであるはずです。

 > では…といって辞書を引いても、現代的な用例が載っていなくて地味に困るのが「知見」ということばだと思います。

 > 「造詣が深い」の同義語として「知見を持つ」が使われており、辞書通りの用例ではあると思いますが、うーん、いま絶妙に「過渡期」的なことばであるのが「知見」ではないかと思わされ、そうした観点から見ますと(内容は読みません、の意)、実に古びた用例だなぁ、と感じられてきます。

 このような変化が、きわめて決めつけ的には1985年あたりでばちつと分かれるのかもですが、そういう決めつけをしない限りにおいては、実によくわからない感じに「いつのまにか」当世標準的と思われる用例というものが昔とはすっかり変わっているというものなのですよ。無頓着というより、気にかけることを徹底することのほうがむずかしい(≒面倒である)ともいえます。本当でしょうか。

※「テキタウ!!」という言葉を避けて「適切」「妥当」と書くように、というのも、1985年より後なのではないかなぁ&「ワープロ専用機」の普及とかって、関係あるのかなぁ。…その発想はなかった!(棒読み)ワープロすら普及していない時代には、一般のひと(ただしエラいひとも含む)は職場で会議と電話しかしていなかったんですよっ。文字を書くのは(格下の)専門職だったんですよっ。…えーっ!!(棒読み)あるいは、図面を「引く」ひとは図面だけで、文書を起こしたりはしないのですよ。…そんな教育は受けてないもん☆できるわけがないよ。んだんだ。

・「図面を引く」
 http://thesaurus.weblio.jp/content/%E5%9B%B3%E9%9D%A2%E3%82%92%E5%BC%95%E3%81%8F

・「事業所におけるOA機器普及状況調査をふりかえって」中央調査報
 http://www.crs.or.jp/backno/old/No508/5081.htm

 > 私の入社当時、書類を複数作成するにはカーボン紙を利用し、情報を客先に伝えるツールはただ1つ電話、検算には算盤が利用されていた。これは高々25年前のことである。今、私どものオフィスは1人1台のパソコンがあり、大半のドキュメントはこの小さい機械で作成、保存され、社内は元より社外・海外との送受信はすべて事足りている。当時数日必要であった業務が、1時間程度でこなされていることも多い。この事をどのように考えるかは別として、職場における生産性はまさしく100倍、200倍という単位で上昇している面がある。

 > 1985年は、ちょうどこのような急速な情報化の揺籃期であり、各OA関係業界のニーズも高まってきた事もあって、事業所におけるOA化について調査が企画された。

 > 複写機は調査開始時1985年には、PPC(普通紙用複写機)以外にジアゾ(青焼)式複写機が2割程度占めていた(ここにある数値はPPCに限定している)が、1998年には1.5%満たない比率となり、現在はジアゾ式は一部特殊業務(図面)にのみ利用されている。

 > 日本語ワープロとパソコンの推移を見ると、ワープロの普及は短期間に急速に普及したことがわかる。調査開始前の1983年には1.8%と2%に満たなかったが、10年後の1993年には40%を超えている。

 日本語ワープロの(本件調査でいう)普及率で(=だけで)説明するなら、1986〜1987年ごろに大きな何かがありそうだと示唆されませんかねぇ。本当でしょうか&それは何でしょうか。紙送りが高精度化して(行間のズレやカスレがなく)「4倍角」より大きな文字が(キレイに)印刷できるようになって、店先などの掲示物がワープロ専用機でつくられ始めたとか、そういうことってなかったでしょうか。もっと本当でしょうか。

※「データ入力」(原稿入力)と称して、プリンターなし(別売り)のワープロをですね(中略)プリンターが一体型のスゴいやつ(=当時)がふつうになったのは、ちょっと後の時期ですよね。さらに本当でしょうか。逆に、別売りのFDDを買わず、電源を入れて、入力して、印刷しておしまい…えーっ!!(棒読み)

・そういう発想付近
 http://atos.neorail.jp/photos/led/led00213.jpg

http://atos.neorail.jp/photos/led/led00213.jpg


 あなたは「工」の字の上につごう10.5ポイントで5行分くらいの改行マークが見えてくーる、見えてくーるぅ…。(違)あとは「クリヤーホルダー」に入れておいて、必要になるたびに(コピー機で)コピー。これだね。(※あくまで推定です。)

・…ヤー! …ホ!! …ヤー! ホ!! あなたのデスクに這いよる「名状しがたいクリヤーホルダーのようなもの」付近(※個人の感想です)
 http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/katasu/clearholder/

 クリヤーホルダー/ひとつあったら/…2ダースあるとおもへしょくん(字余り)。

・くわっ「再生紙ダブルリングメモ A7・40枚・ベージュ」のイメージです(100円)
 https://img.muji.net/img/item/4548076155225_400.jpg

・くわっ「MA42-P」のイメージです(600円+税)
 https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51RKqLSzzhL._SY355_.jpg
 http://www.zebra.co.jp/pro/tect/

 通称「歩くスピーカー!」みたいなキャラに持たせると、なんだかとってもそれっぽくなるよね。0.5mmに「B」の芯を入れたりしてそうだよね。(棒読み)

・エムぷに「クルトガ替芯 0.5mm B ピンク」付近
 http://www.mpuni.co.jp/products/mechanical_pencils/leads/kaeshin/kurutoga/uni05_203_b.html
 http://www.mpuni.co.jp/products/mechanical_pencils/leads/kaeshin/feature_file/file/img_kurutoga_kae01.jpg

 …やだなぁ、「mpuni」って、書いてあるじゃないですかぁ。(略)

・Google ストリートビュー JAおやま「よらっせ桑」ならびに「味処くわっせ」付近(推定)
 https://goo.gl/maps/myaHJ2oFHe92
 http://www.ja-oyama.or.jp/store/detail.php?id=29

・高品位な明朝体!「24ドット」の源流付近(1985年10月)
 http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0022.html

 > 24ドットの熱転写プリンタを内蔵しているので美しい文書が出力できる.

・「ノートワープロ」のイメージです(1988年7月)
 http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0042.html
 http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/images/0042_01_l.jpg
 http://www.g-mark.org/award/describe/14872

 > 厚さ39.5mm,1.6kgの薄型軽量で,単三アルカリ電池5本で6時間連続使用が可能.
 > ゲームが楽しめるアミューズメント機能

 > 138,000円

・「業界初スーパーアウトラインフォント」付近(1990年6月)
 http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0041.html

 > 新開発の専用LSIにより,名刺用の小さな文字から拡大文字まで,美しくなめらかに印刷する,業界初スーパーアウトラインフォントを内蔵.曲線データで文字を形成しているため,直線(ベクトル)データによるアウトラインフォントに比べ,品位が向上,4.5〜288ポイントまで合計67種類のマルチポイント文字を自由に設定できる.また,64ドット・400dpiの高精細プリンタを採用,スーパーアウトラインフォントとの連動で,驚くほどの美しい文字印刷を実現した.

 このへんですよね。うやうやしく「ワープロ用紙(ただし感熱紙でない)」を買ってくるのも、このへんですよね。(棒読み)

・「ゼミの授業」の用例です
 http://www.seijo.ac.jp/graduate/gslit/orig/journal/english/pdf/seng-37-15.pdf

 「ゼミの授業」…うーん。「ゼミの授業」…うーん!(略)

 > 仕上げの紙は丸善のワープロ用紙。少し厚めの紙だ。

※「ミスノン」については[3304]を参照ですのん。

[3376]
 > > 当マンション(略)罰金3万円

 > 見つけてしまった以上は言及しないわけにいきません。(恐縮です。)

 > 10年くらい以上前の一種『名状しがたい生活笑百科のようなもの!』のほうで四角く収められていたくらい、いまさらではありますけれども、民事で『罰金』などというものはないんです([3098])。それでも、掲示の文面の効力を探ると『損害賠償の予約』としては有効である云々といって、金額はその都度、争いなさいよ的なぎゃふん(※)ではなかったかと記憶します。(まったくのうろ覚えです!)

 ワープロ専用機で「活字っぽいど!」といって、いわゆる「法学B」の範囲にあたる基礎的な知識をまったく承知しないまま『罰金3万円』などと印刷して掲出してしまうという、そういうひとがいるんですよ。その発想のまま看板屋さんにつくらせちゃうんですよ。これまた注文通りにつくっちゃう看板屋さんがいるんですよ。…きわめてなんだかなぁ。(棒読み)

・Cyranoskiら「PhD大量生産時代」(2011年4月21日)
 http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/specials/contents/PhD-factory/id/news-feature-472276-1

 たくさんいるはずなのに、(いろいろな課題に対して)専属や専従の者がいないだなんて、本来おかしいのですよ。

 > 例えば高校教師といった仕事に就くために、何年もかけて博士号という高レベルの資格を獲得する必要があるのかどうか、わからなくなっている。

 本来、役割が違うのです。「上位互換」([3387])などでは、ないのですよ。

 > シンガポール国立大学で生物多様性を研究する Peter Ng
 > 「博士号は、1つの研究分野に精通していることの証しにとどまらず、頭脳の訓練を受けたことの証しでもあると私は思います。もし大学で習得したことをその後の人生で実践できれば素晴らしいことですし、たとえ別の道に進んだとしても、自らの技能を新たな分野に持ち込んで、付加価値を生み出せると思います」と Ng は話している。

 ここだけを指して「上位互換」なんだと、ステータスの一つなんだといってしまうのは感心しないなぁ。

 > Carpenter が自らの研究室を開設した4年前には、臨時雇いのポスドクと大学院生という通常の組み合わせではなく、経験豊かなスタッフ科学者を永久契約で雇用した。Carpenter は、こう説明する。「ピラミッド式の科学研究自体にさほどの合理性を見いだせませんでした。100人もの大学院生やポスドクを粗製濫造することは、私の良心が許しませんでした」。
 > しかし Carpenter は、研究スタッフの高額な人件費について、助成金審査委員会を説得するのに苦労し続けている。彼女は「科学者を8万ドル(約640万円)で雇っているわれわれは、4万ドル(約320万円)でポスドクを雇っている研究室といかに競争したらよいのでしょうか」と問いかける。

 うーん(略)。

 > 欧州大学協会で、博士教育の支援・開発プログラムを主導する Thomas Jørgensen は、ドイツの大学が改革を進め過ぎて、学生が講義に費やす時間が長くなり、博士論文のための研究や批判的に物事を考える能力習得のための時間が不足することを懸念している。

 > ポーランドの経済成長は博士号授与数の伸びについていけず、修得した専門知識のレベル以下の仕事に就かざるを得ない人も出ている。

 > エジプト
 > 民間部門からは、「博士卒業者は、提案書の作成やプロジェクト管理といった必須の実用的技能の訓練ができていない」という不満が出ている。
 > すでに大学に勤務しているのでないかぎり、博士号を得るための勉強は「無駄なこと」だと話す。

 > インド
 > 学生は「今のところ、博士号はおろか、修士号についても考えていません。就職するなら、学士号で十分なのです」。
 > 大学院への進学に熱心な若者の多くは、欧米への留学を目標としている。
 > 「インドの大学で学んでいた頃は、長期的研究を行うための基盤に対して十分な支援がないと感じていました」と彼は話している。

・小柴センセイ付近
 https://www.blwisdom.com/skillcareer/interview/extremity/item/9175-05.html

 > オッキャリーニ博士は、事がうまく運ばない可能性をあらかじめ想定して計画を立てることを僕に銘記させただけでなく、チームを率いてビッグプロジェクトを切り盛りする貴重な3年間の経験を与えてくれました。

 > 「××」という表現は誠に好ましくありませんが、一言弁解させていただければ伏線がありました。学生運動が激しかった当時、数人の造反学生が小平学部長に「お前は数学××だ」と詰め寄った時、すかさず小平先生が「ただの××よりずっとまし」と切り返したのが頭に残って、とっさに出てしまったのです。

 > さっそく、計算機の後藤英一、加速器の小林喜孝、粒子検出器の福井崇時といった各分野のエキスパートを募り、茅先生から紹介された三菱財団に旅費の工面に行きました。席上、財団の幹事役の社長さんが「その研究によって産業界にはどんな恩恵がありますか」と聞く。その時僕は「何か理由をでっち上げないとお金をもらえないのではないか」と心配になりましたが、「嘘はいかん」と思い直し、「おそらく、百年経って役に立つかどうかというほどの実験です」と腹をくくって答えました。すると「正直な答が気に入った」と言われて旅費を出してくれました。

 ま、それはそれとしまして「最初の関門」って、アレですよね。

・産経新聞「制約だらけの“高根の花”」(2015年5月25日)
 http://www.sankei.com/life/news/150524/lif1505240035-n1.html

 > 東京五輪を半年後に控えた昭和39年4月1日、政府関係や業務、留学などに限られていた日本人の海外渡航が「年1回、外貨持ち出し500ドルまで」の制限付きで自由化された。

 昭和39年は1964年です。

 > パリの一流店では「品がない、言葉が通じない」などと団体での入店を断られた。欧州の五つ星ホテルは信用がない日本人を受け入れず、大金を払っても泊まれるのは三つ星止まりだったという。

 このへんから「最初の関門」ということばが(訳書や翻訳ベースの学術書などを除く一般において)使われ始めたのではなかろうかとぐこー…本当でしょうか。(まったくの推定ではございます。)ひいては、「最初の関門」ということばはもっぱら自嘲気味に使うものであって、文字通りの意味で使おうなどというのは論外でありつつ、ポジティブな文脈で使うことばでは決してないとの理解でございます。基本的に「あんたがた、たったこれだけのハードルすらも自力では越えられんじゃろ」と、自分を含めた「あんたがた」をあざ笑いながらいうのが「最初の関門」なんですよ。ま、それがわかるかどうかということ自体が「最初の関門」ではありますよね。

・本日はGoogleストリートビューより「ふなばし百景」をご覧いただいての締めくくりとなります
 https://goo.gl/maps/RZjVvU5udCk


この記事のURL https://neorail.jp/forum/3535/


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