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研究を楽しく「追体験」! 真っ白のキャンバスに虹色の未来を描く方法、教えます。
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発行:2017/8/24
更新:2020/2/21

[3535]

『一人一研究』に「4人くらいの班」で取り組ませるという矛盾(談)


郡山市教育委員会「一人一研究授業」を「意味的韻律」で読み解く(談)
「シャープのウオークマン」から「Wiiのカセット」まで(談)

(約26000字)

 [3534]からの続きです。


 研究というのは、かなりのところまで孤独な作業であるという認識でございます。

[3097] 専門職大学院(公共政策)の場合
 > 1つの課題に4名で取り組む
 > 修士課程なら、一人で取り組むところです。そこが、修了後の実際の仕事(実務)がチームワークであるのに沿っているということで、しかし、本来なら「1人でもできる!」人が「3人寄ればナントヤラ(ただしフゲンでない)」であって、そうではない人が何人集まっても、総和が1を超えることはきわめて難しいようにも感じます。(感想は個人ですが実感です、ゲフン。)

 > ブルックスの法則([2984])が効いて…いえ、容赦なく「ふりかかって」きますから、業務というものはどんどんつまらなく、そしておもしろいように遅れ、停滞していくのです。
 > 何でもとりあえずは1人でしてみなはれ、役割の違う3人で集まってみなはれ

 1人でやればまともな(「1」を確実に上回る第1種『及第点』をいただけるような)ひとでも、3人、4人、5人、6人でいっしょにやれといわれますと、0.6、0.5、0.4、0.3に下がっていくと、こういうわけです。集まれば(=分担すれば)各人が楽になるのは力仕事だけだっ。…お、おぅ。

・ぶぎん地域経済研究所(武蔵野銀行)「一人一研究」の用例です
 http://www.bugin-eri.co.jp/doc/topix177.pdf
 http://www.bugin-eri.co.jp/company.html

 > **製菓

 > 「一人一研究」発表会の様子。「一人一研究」とは、職域の拡大を狙い、テーマを限定せずに仕事上の改善策、役に立つアイデアを社員に研究するように奨励している制度。

※「職域の拡大」といって、その実、▼ある程度までの拡大は、かえって仕事をしやすくする(細切れにならず取り組みやすい&ほかの人を待たなくてよい)効果など期待しつつ、▼行き過ぎた拡大にならぬよう協定や契約での明文化が必要とされましょう。念のため。

・『一人一研究』の発端らしきひと付近(推定)
 https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E5%88%86+%E8%AC%99%E5%90%89-1644677

 > 小学校卒業後、八戸の豪商に丁稚奉公するが、3年後帰郷して私立の農業試験場を創立。優秀な種苗を育てて農家に配布するなど篤農家の道を歩む。

 うーん。時代が違い過ぎてよくわかりません。(※恐縮ではございます。)


 そして、途中を飛ばして『一人一研究』でございます。…なんだかなぁ。最初から「なんだかなぁ」みたいなのキター。(棒読み)

 小学校や中学校で、適当(※)に分けた児童・生徒の「班(グループ)」に、これまた適当に課題を与えて何かさせていれば授業時間が消化されていく…とんでもない!(棒読み)およそ研究に取り組むための基本的な何かにことごとく反しているとわかります。学級活動や討論なら、それでいいんですけど、この体制(※クラス内での人や課題の割り当てかた)では研究などできまいて。んだんだ。

※適当:『いいかげん!』という意味ではないほうの意味です。

・「テキタウ(1または2)」
 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/151064/meaning/m0u/

 > ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。

 > 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。

 しかし、これでは「責任ある研究体制の構築」の一種「必要条件」の一部しか満たしていないんですよ。…その発想はなかった!(棒読み)

・「十分条件」のイメージです
 http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080822/168550/

 > ガソリンを入れただけでは自動車は走らない。ほかにも「ドライバーが免許証を持っている」といった必要条件もある。こうした必要条件をいくつか集めると自動車を走らせるのに十分な条件になる。必要条件が一定数集まると十分条件になる。

・鬼北町教育委員会「集団行動発表会」からの「一人一研究グループ分け」のイメージです
 http://kihoku-hiyoshi-j.esnet.ed.jp/modules/wordpress0/index.php?p=309

 > 個人テーマの分野が共通している生徒どうしが話し合って、3〜4人のグループを作り、さらにそのグループで話し合ってグループのテーマを決めました。
 > 当初考えていた個人テーマとは別のテーマになった生徒もいましたが、

 えーっ…。

・弘前市のイメージです
 http://www.city.hirosaki.aomori.jp/school/tokiwano/2017-0611-1437-409.html

 > 総合的な学習の時間を活用し、全児童生徒が「一人一研究」という活動を行っています。一人一研究では、研究力・分析力・表現力の育成が図られ、子どもたちが自ら課題を見つけ、体験活動もかねた探究活動を行い、その成果をみんなの前で発表します。

 (結果的に?)きちんと一人ずつ取り組むのであれば意味があるとは思いますが、それをもともと「研究」というのですよ。(職場の研修でなく小中学校の授業で)わざわざ固有名詞っぽくして変なありがたみを生じさせる必要って、あるんでしょうか。…『謎』です。

・丹波市のイメージです
 http://www.city.tamba.lg.jp/site/toozaka/itikenkyuu.html

 > 夏休みにがんばってきた一人一研究の発表会を行いました。
 > 自分で調べたいことや作りたいものを夏休みの間にまとめてきました。

 単に「自由研究」からの言い換えであるのなら「研究」と称せばよいのであってだなぁ(略)…なんだかなぁ。労使間の緊張関係を想起させてしまう名前なので、きわめてなんだかなぁ!(棒読み)

・古河市のイメージです
 http://koga-j3.koga.ed.jp/jobistym4-24/

 > 3年生は総合の時間を使って、最後の課題「一人一研究」に取り組んでいます。
 > 大学の「卒業論文」に近いものがあります。これらの活動を通して、「情報収集能力」「課題克服能力」を育成していきます。

 それならふつーに「卒業研究」と呼んでしまって構わないのではないかとも思えてきます。あくまで『一人一研究』と呼んじゃいますか。そうですか。

 そもそも、児童・生徒本人は、何も言わずとも(初期状態として)1人ずつが「一人」なのですよ。学級や学年で束ねて総称する「一人一研究」という呼びかた自体が『上から目線!』なのですよ。…その発想はなかった!(棒読み)じぶんがこれから取り組む活動の呼びかたって、モチベーションにかなり影響しますよね。…本当に「一人一研究」などと呼んで、ダイジョーブなのかなぁ。本当でしょうか。

・「自由研究とその周辺」付近
 https://neorail.jp/reports/?20170128_A_Survey_of_Recent_JIYUU-KENKYU_in_Japan

 > 自由研究は、児童の自発的な動機に基づいて、教科の区分や学年への配当を飛び越えた学習を実現するものである。自由研究では、自発的で自律した研究能力の獲得が目標となる。一般に、初等教育のうちに獲得されなかった自発的な能力や態度を高等教育において義務的に獲得させることは難しい。実社会の課題は複雑で融合的であり、その解決には研究能力を前提とする。自由研究をその場限りの活動とせず、本人が将来の研究で活かせるよう、一般の研究指導と共通する発想で自由研究を指導する必要性が高まってきている。

 > 自由研究に着手する前に、成果物の実例である先行研究を見て具体的なイメージを持ち、それぞれの表現形式が持つ機能を十分に理解して、研究の流れの全体像をつかむよう促すことが重要であると考えられる。これに加え、一般の論文の査読に準じた観点を使って自分の自由研究を自分で客観視するよう促すことが、自律した研究能力を育むと考えられる。

 うのみにしないでください。しかし、だいたい同じようなことをお感じであれば、参考文献を参照いただいて、あなた自身で結論を得てください。

・本来の「(教員一人)(年間)一研究授業」仙台市の用例です
 http://www.sendai-c.ed.jp/~kuromatu/kenkyu/h18/02.pdf

 > 年間一人一研究授業の構想

 > 我々(教師)一人一人の授業力を向上させ,児童の「確かな学力」を育成するために,年間一人一研究授業を実施する。

 変な感じに「分担!」で「持ち回り!」しちゃわずに、(教員の)全員が取り組みましょうという「達」みたいなのですね。

・一例として郡山市教育委員会「一人一研究」の用例です
 http://www.edu.city.koriyama.fukushima.jp/kyokence/kensyu/kenkyubutsu/h27kenkyubutsu/h27PDF/h27_J15.pdf

 > 学級づくりを土台とし、道徳教育との連携を図る校内研究

 > 昨年度の校内研究を通して教員から「学習環境の母体である学級づくり」と「教科授業」の連携を図る必要性についての指摘があった。そこで本年度は「道徳教育」「学級活動」「教科授業」の有機的連関を図り「つながりの中で教えて考えさせる授業の創造」をめざし、本実践を行った。

 他校や他県ひいては諸外国で事例があるようなのを、そこまでおおげさにいっちゃいますかねぇ。辞書を引きもせず、すなわち意味を考えて述べているのでなく字面や耳ざわりのよさで選んできて空欄にあてはめただけなのではないかと、そういう部分を疑います。合理的に見ていくと端から次々と一種『無効化』されていく、「何か書いてはあるけど、何も言っていないね」的な文章を書いてはなりません。

 > 学級力向上プロジェクト提唱者であるテー中**氏に来校いただき授業研究会を実施した。校内授業研究日を設け、全教員による授業参観と事後検討会の成果をうけて「一人一研究授業」を実践した。6月・12月には、全国学習状況調査の質問に基づき全校生アンケートを実施。全国学習状況調査のデータと比較しながら、本年度の研究成果と課題を探った。

 > 一人一研究授業

 用語がめちゃくちゃでございます。▼(1)教員の業務(査定の対象)としての「授業研究」という意味での「研究」「研究成果」、▼(2)イベントとしての「授業研究会」「校内授業研究日」、それに▼(3)固有名詞的な『一人一研究授業』という、3種類の文脈で「研究」という文字がぐちゃっと使われているのが、いま端的に気持ち悪いと、あくまで気持ちではあるんですけど、はっきり気持ち悪いと、こういうわけです。なんとかすっきりさせられないものでしょうか&それは誰の仕事なんでしょうか。…ギクッ。

※個々の教員が「業務としての授業研究」と「イベントとしての研究授業」を明確に区別できていないとも疑います。(定例の)イベントがあるから準備して臨むのだという認識しかなければ「業務としての授業研究」に取り組んだとはいいがたく、そして(定例の)イベントの中で(定例の)討議を行なったから自動的に「研究成果」が出てくるのだと…とんでもない!(棒読み)

[3358]
 > 「省察ですね、わかります!!(°∀°)彡」と目を見開いてですね(略)、わざわざ時間をとって集まりさえすればぎゃふん(わたしたち省察してます!@わあぃステキな省察でしたっ、はい次のかたどうぞ)。それではいかんのですよ@論文をまとめるのは本質的に孤独な作業ですぞ★。


★郡山市教育委員会「一人一研究授業」を「意味的韻律」で読み解く(談)