フォーラム - neorail.jp R16

「A列車 色がおかしい」を越えて進もう


発行:2018/3/24
更新:2021/11/3

[3623]

【オートメーションと鉄道】

〔フレッシュおはよう東日本〕10号:仙石線『青葉城恋唄』(1988年11月)を営団『7号ビジョン』(1991年11月)で読み解く(仮)


仙台市「仙石線ホームで『青葉城恋唄』」(1988年11月)を読み解く(仮)
「1988年」とはにわ(仮)
いつかどこかで「せんだいメディアテーク」ほかを遠巻きに眺める(談)
「仙台市地下鉄南北線」(1987年7月)でJR仙石線「仙台トンネル」を読み解く(仮)
営団『7号ビジョン』とはにわが知りたい(仮)
「400Hzから1000Hzまでの音響」「金属管工事」とはにわ
いま問う「背景に消える」のココロ(談)
【咲くやこの花館】「オトナ語」かく語りき(談)【金型はこね荘あり】
【あおば通】いま問う「仙石型放送」のココロ(青)【七十七銀行本店営業部JR仙台出張所あり】
なぜか「小田急仙台ビル立体駐車場入口」にずらり並んだ半開きの雨傘たちを『ジト目』で眺めることに(談)
法務省「法教育研究会作成教材」ほかを愛でる(談)
本件年表(ウィキペディアなどをもとに作成)
表 1987〜1991年

(約99000字)

 この一連の記事では、「じゅんふどうのあっとらんだむ」で「じどうほうそう(ただしはっしゃめろでぃーをふくむ)」を技術面で立体的に読み解くことを目指します。

 お好きな順番でお読みいただけるよう、話題を細切れに掲載いたします。わあぃ生田トンネルの細切りっ…なにそれなにそれ!? 結局、気がつくとかなりの分量となる一連の話題をぜんぶ読まないとよくわからないんだということがわかるのだと、たぶんこういうわけです。(※かなり長いですが、ぜんぶ関係あるんです。蛇足でも余談でも豆知識でもないんです。…本当でしょうか。)

[3521]
 > > 本書では,72件の分析事例が800ページにわたって紹介されているわけで,それを一言二言で理解しようなんて土台無理な話である.

 > > 大学の低学年で習う統計学は一つまたは二つの事柄に対する統計である.
 > > 出身地が関西とそれ以外でたこ焼器を所有する割合が異なるか

 しかし、『学ぶ順序』として「大学の低学年」という初歩的な段階を踏み外してはなりません。この春から新入生のかたは、ぜひ、「なんでこんなやさしいの(らくしょーらくしょー&大学のセンセイって××じゃないの)」みたいに油断しないで、ちゃんと基礎を固めて3年次や修士課程に備えていっていただければと思います。

[3538]
 > > 子どもは結論を求めたがるが、親が促して予想をさせる。

[3543]
 > セブンプレミアムのナンバーワンは「大つぶ・小つぶの あげ玉(50g)」だそうですよ。へー…岡山や埼玉のひとが家庭でお好み焼き([3514])するために「大つぶ・小つぶの あげ玉(50g)」だけをあわててコンビニに自転車で買いにいきそうだよね&その道すがら、踏切や国道がありそうだよね。…ギクッ。さあさあ横断歩道のない県道や(細い)国道を横切って…ゲフンゲフン。むしろ踏切が信号機がわりだったりするんですよ。うん。

[3607]
 > ゴルフ場(川崎国際生田緑地ゴルフ場)の敷地内で生田トンネルがカーブするポイント(地点)がございます。この曲線区間がトンネルではなく駅部だということにできればJRとしてはうれしいのではないかと邪推しながら(※恐縮です)

 > つごう、3,460mほどの地点から梶ヶ谷貨物ターミナル方に戻る方向へ390mほどの駅部のようなものを(略)としますと、生田トンネルというものはここまでで既に、▼783m(梶ヶ谷貨物ターミナル方の坑口から東急線を越えるまで)、▼3,070m(「JR宮崎台(じぇいあーるみやざきだい)」から「生田中央」みたいな390mの駅部の手前まで)、▼4,100m(小田急生田駅の地下を通る区間)、▼1,480m(府中本町方の坑口から「JRよみうりランド(じぇいあーるよみうりらんど)」まで)と、細切れにすることができるとわかります。

 > やーい生田トンネルの細切りっ。…ピーマンの細切りじゃあるまいし。(違)

 出ました「生田トンネルの細切り」っ! ピーマンの丸かじりより細切りのほうがおいしいよね。輪切り方向に切ったときに飛び出すいかにもピーマンって感じの成分を無駄に放出せず、細いのをかじりながらまったくじっくりピーマンを味わい尽くせるよね。…その発想はなかった!(棒読み)

・キユーピー「ピーマンの基本情報」
 https://www.kewpie.co.jp/yasai/piment/index.html

 > 基本情報合格への道をピーマンが徹底解説

 …じゃなくて!!

 > ナス科のピーマンは唐辛子の仲間で、コロンブスがヨーロッパに持ち帰り、香辛料として広まりました。日本には16世紀、ポルトガル人により伝来。

 伝来してしばらくは「薬」扱いではなかったかみたいな視点で調べていくとよさげですぞ。

 > 緑色のピーマンは未熟果で、完熟させると赤ピーマンになります。
 > 赤ピーマンは緑ピーマンが完熟したもので、ビタミンなどの栄養価も2〜3倍にアップ。特にβ-カロテンは赤ピーマンに多く含まれます。

・ウィキペディア「万願寺とうがらし」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E9%A1%98%E5%AF%BA%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%8C%E3%82%89%E3%81%97

 > 大正末期から昭和初期にかけて京都府舞鶴市万願寺地区にて伏見系のトウガラシとカリフォルニア・ワンダー系のトウガラシを交配して誕生したものと言われている。
 > 知名度の高い代表的な京野菜のひとつであり、外国系とうがらしの血統を持つとされながら、 伝統的に生産され続けている野菜として京都府が特に選定した「京の伝統野菜」に準ずる野菜として指定されている。

・ウィキペディア「八幡屋礒五郎」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%B1%8B%E7%A4%92%E4%BA%94%E9%83%8E
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%BE%9B%E5%AD%90#%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%81%8B%E3%82%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BC%9D%E6%9D%A5

 > 日本への伝来は、1542年にポルトガル人宣教師が大友義鎮に献上したとの記録があるが諸説ある。南蛮胡椒と呼ばれていたのはこのためであるとされる。日本に伝来した初期は食用として用いられず、観賞用や毒薬、足袋のつま先に入れて霜焼け止めとして用いられた。
 > 1577年 ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日する同僚宣教師宛の手紙に、「酢漬けトウガラシ」が珍重される事を記述。
 > 16世紀末には唐辛子と胡椒は名称としては区別されておらず、国内での栽培がある程度進んでいたとみられる。
 > 武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬
 > 1736年(元文元年) - 初代勘右衛門が、善光寺堂庭で唐辛子の販売を始める

 なるほど雪深い土地でウォッカみたいな意味で唐辛子。たぶんこれだね。(※個人の感想です。)

・カゴメ「栄養を逃さないピーマンの保存&調理のコツ」
 http://www.kagome.co.jp/vegeday/yasai/green-pepper/

 > 緑のピーマンは未熟な姿なので苦味が強いですが、完熟すると赤くなって甘みが増し、青臭さが抜けて食べやすくなります。

 しかし赤いのはビタミンのお化け! 緑のを切ったときに放出されるアレが減ってませんか。なるほど唐辛子と同じく乾燥させてから大量に振りかけないと香辛料の役割を果たさないよとはこのことだよ。(※表現は演出です。)

・タキイ種苗「ピーマンの「苦味成分」を解明」(2012年3月19日)
 http://www.takii.co.jp/info/news_120319.html

 > 「クエルシトリン」は苦味ではなく“渋み”を感じることから、さらに食味評価を行った結果、この「クエルシトリン」にピーマンの香気成分※3が加わることでピーマンの苦味として感じられることがわかりました。

 > ※2 クエルシトリン
 > ドクダミに多く含まれるポリフェノールの一種

 > ※3 香気成分
 > ピーマンの香気成分は主に「2-isobutyl-3-methoxypyrazine」と呼ばれるピラジンの一種とされています。ピラジンには多くの種類が存在し、他の野菜にも含まれています。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/2-%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%96%E3%83%81%E3%83%AB-3-%E3%83%A1%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%94%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%B3
 https://ja.wikipedia.org/wiki/2-%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%AB-3-%E3%83%A1%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%94%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%B3

 > 2-イソブチル-3-メトキシピラジン
 > 野菜の香り
 > 嗅覚閾値は0.002ppbと非常に強い匂いを持ち、これは本物質1グラムを50万トンの水で希釈しても匂いを感じることができるほどである。

 そもそも「本物質1グラム」というのが莫大な量でしょ。…その発想はなかった!

 > 2-イソプロピル-3-メトキシピラジン
 > 土臭いピーマン様の香気
 > ピーナッツの薄皮を思わせる香り

 > 2-イソプロピル-3-メトキシピラジン
 > 2-イソブチル-3-メトキシピラジンとともにピーマンの香りを構成する上で重要な物質である。成熟したピーマンの方が含有量が多く、赤ピーマンにも緑ピーマンより少ないながら存在する。

 …はひ!? 矛盾してませんか。赤ピーマンは明らかに香りが減っていて果物のようだという実感がありますよね。実感に反することを平気で書いてはいけないよ&「実感には反するがそのような測定値が得られている」みたいに特に注意を示しながら述べないといけないよ。(※見解です。)「X線分析装置をもってしても「フミン酸」の分子構造は特定されない」については[3428]を参照。

[3428]
 > 東レテクノ「フミン酸などの有機物」のイメージです
 > > 腐植物質とは,生物の死後,生物体有機物が微生物的・化学的作用を受けて崩壊して生じた「化学構造が特定されない有機物(非生体有機物)」の総称と言われており、コノノワ(Kononova)は、「腐植酸(フミン酸),フルボ酸,ヒューミン,ヒマトメラン酸」に分類し,熊田は「土壌の腐植物質は土壌中の暗色有機物であって,土壌という条件下で生物遺骸の分解に伴って生じた独自の性格をもった存在物である」と述べています。
 > > 土壌や堆積物からの腐植物質は,一般にはアルカリおよび酸に対する溶解性に基づいて,腐植酸(またはフミン酸:アルカリ可溶酸不溶成分),フルボ酸(アルカリ可溶,酸可溶成分),ヒューミン(アルカリ不溶,酸不溶成分)と定義されて研究が行われています。腐植物質が「化学構造が特定されない有機物質」であること、これに酸,アルカリに対する溶解性を基準に入れて分類すると,「化学構造が特定されない有機物質」はすべて論理的には、フミン酸,フルボ酸およびヒューミンのいずれかに分類されると言われています。

 当然ながらわれわれピーマンといたしましては赤くなる前に動物に食べられたくはないので苦味を放つのだと、たぶんこういうわけです。…わあぃピーマンのきもちになってよーく考えよう!(違)

[3424]
 > 「カートレイン」([3360])も参照しながら、なるほど、いずれかの駅の「ライナーホーム」から乗りこんで新宿まで運ばれるというのは「カートレイン」のようなものだと納得できそうです。我々『車扱!』…いえ、『みなし貨物!』扱いなのかもですよ(⇒我々『ライナー券と呼ばれる紙切れ』をにぎりしめながらドナ○×…いえ、「電車に乗っている」のでなく、『ライナーと呼ばれる貨物列車!』で運ばれているのですよ! 「乗車整理券」といって、その実、我々「荷札を『貼ふ!』された荷物!」なんですよ!! 事故が起きた時に『乗客名簿!』はないのだけれど人数は正確にわかるといって、貨物列車の運行にかかる積み荷の重さを記す帳簿と同じ意味合いなのかもですぞ!! 到着地で積み荷…いえ、人が減っていたら大問題だっ)。本当でしょうか。民営化直後(1988年3月)に、そのあたりの理屈の整合性を考えながら「東海道貨物線経由のライナー!」を考案された人たちって、すごいなぁ。(感想はナイーブです。)こういう話(≒苦労話!)、ピンポイントでは「鉄道ピクトリアル」などの雑誌にも記事がありそうですが、探していませんのであしからず。

・東洋経済オンライン「青函トンネル30年、新幹線が直面する大矛盾」(2018年3月19日)
 http://toyokeizai.net/articles/-/212935?page=3

 > (コメント欄より)
 > 貨物列車の割合が下がると安くなる仕組みになっているので、旅客列車の増発が出来ない。
 > 平行在来線会社の経営にも影響し、JR東日本でも東海道貨物線を利用した混雑緩和の為の増発がやりにくくなっている。
 > 貨物列車の本数に応じて使用料を払う様にすればいい。

※あなたはわかっているからいいけれど、あなたのコメントを読むほかのひとは「本数」と「割合」の違いを気に留めていないので文意が伝わらないのですよ。そういう場合は「『割合』(本数ではなく割合)」みたいに強調しないといけないんですよ。(※恐縮です。)

 そういうわけで(…どういうわけですかっ)1988年ごろの話題です。なお、現在は2018年です。だいたい、このフォーラムの記事は掲載から2年や3年たってからやっと読まれるんですよ。あなたが検索で見つけてくれるまで読まれずに眠っているのですよ。うん。(※最近の状況です。)

・Google ストリートビュー 「やってきましたJRあおば通駅。」付近ほか(※独自に推定)
 https://goo.gl/maps/Tk5kEUbPtWU2
 https://goo.gl/maps/qV1LaGQpLEB2
 https://goo.gl/maps/YRMuTd5Yoby
 https://goo.gl/maps/qtH3qApsYan
 https://goo.gl/maps/cfGU8Lnw2pP2
 https://goo.gl/maps/o8mUZ6wkqLm

 輝く! JRマーク…いえ、ま、光ってはいますけどね。(違)

・(再掲)YouTube 「『現代の水準で発車!』…と思いましたけど、笛を吹くんですね」付近(※映像はあおば通駅です)
 https://www.youtube.com/watch?v=S5QMOUY8BtY




[3508]
 > 仙石線の「仙台駅」と「あおば通駅」は、駅名がこういう駅名なので計画の意図がわからなくなってますけど、位置関係を見ますと、多摩都市モノレールの「立川南駅」「立川北駅」と同じ意図の計画っぽいですよね。…その発想はなかった!(棒読み)

・レファレンス協同データベース「駅のホームで流れている特色あるメロディはいつ頃から始まったのか。」岡山県立図書館(2016年11月17日)
 http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000210827

 > 『最新音楽の科学がよくわかる本』には、「最初に発車メロディが設置されたのは、JR東日本山手線の新宿駅と渋谷駅で、1989年3月11日のことでした。」と記載されている。
 > 秀和システム

 やーい秀和システム(※仮名)。デジタル岡山大百科を誇る岡山県立図書館たるもの、自館の資料だけでなく(他県を含む)会議録や技報を検索して提供できずにどうしますか&そっちからですかっ!!(※恐縮です。)

 > 塩塚博『駅メロ!THE BEST』 扶桑社,2013
 > 「駅メロディの誕生と歴史」の中で、「駅メロの誕生・開始については諸説ありますが、1971年8月、関西の京阪電鉄の淀屋橋駅で使われたのが最初、と言われています。」と記載されている。また、「現在の駅メロの流れの発端となったのが、1989年3月にJR新宿駅と渋谷駅に導入された音楽です。」とも記載されており、当時使われていた音楽や経緯について解説されている。

 JR東日本と東京臨海高速鉄道とフジテレビと扶桑社あたりまでは(民営化の前後の時期において)密な連携がありそうな感じなので、JR東日本の視点で「現在の駅メロ」とおっしゃられていそうな気配は漂いますが、楽曲を受注されただけの人が運輸省みたいな話をぜんぶ承知しているとも思えず(=職務上、する必要がない)、本書を典拠として「現在の駅メロ」とはいかなるものかみたいな話はできそうもないと思いました。本当でしょうか。

 淀屋橋みたいなのは「勝手に流してるだけ!(やーい関西)」みたいな…げふ(略)きちんとした技術基準やそれに準じる扱いで「導入」されたのは新宿駅からなのではないでしょうか。本当でしょうか。そうでなければTOA(略)成田駅と和歌山市駅も挙げられたいのではないでしょうか。…もっと本当でしょうか。


★仙台市「仙石線ホームで『青葉城恋唄』」(1988年11月)を読み解く(仮)


・(個人のページ)「忘れられた駅メロの歴史を新聞から探し出す」(2016年3月、5月12日)
 http://7-pref.com/gotochi_3-5.htm

 おぬしやるのう! 2016年から公開されていたページなのに、2年も3年もたってから気づいたわたしこと残念なたわしをお許しください。(※恐縮です。たわしは残念賞です。景品の色やサイズは選べませんのであらかじめご了承ください。)

 > 地方別にまとめています。

 …おぬしぜんぜんだめじゃん!!(※見解です。)集めた資料をきちんと読み解けば、これは「地方別」ではなく「年代順」に並べて、年表もつくって(略)ですよね。ゼッタイ、年表をつくるところですよね。

・「仙石線地下化工事における地下水保全対策」(1995年4月)
 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10438579_po_ART0005460195.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

 > JR仙石線地下化工事は仙台市の都市計画事業の一環として,仙台駅東部地区の仙石線と道路との平面交差による交通渋滞の解消と区画整理事業による均衡ある都市形成を目的に,仙台駅〜苦竹駅間(l=3933m)を連続立体交差化(地下化)するものである。

 > 仙台東口駅(仮称)
 > 仙台東口駅(仮称)

 ぬおー(略)「仙台東口駅(仮称)」キターっ。(※恐縮です。)そして、地下化は仙台市の事業で、施工は東日本旅客鉄道殿がお請けになったというスキームの理解を忘れないでください。今回の話題は、目の前のモノ(ブツ)がどうたらというのでなく、スキームを理解するところに主眼があります。あしからず。

 > 1988年11月22日、仙石線ホームで使用開始。
 > 「全国のJRグループで初めて」(河北新報より)

 > このメロディーが好評を得たため、1989年3月11日に在来線全ホームで採用。
 > 同年10月8日に新幹線ホームでも採用した。
 > 制作者である榊原光裕氏の公式サイトでも、作曲年を1989年と表記している

 > 1988年11月8日の採用決定の記事では「静かな導入で始まり、カネの連打で終わる……」とある。また1989年3月11日の全ホーム変更の際の記事では「仙石線ホームのメロディーをさらに編曲し『初めはゆったり、最後はすっきり』となった音楽が流れ……」(河北新報より)とある。

 > 仙石線ホームで当初使用されていたものはあおば通駅で現在採用されているバージョン

 このときの「仙石線ホーム」は地上ですので、あしからず。なお、ホームが地上か地下かにかかわらず、仙石線は仙台駅では(新幹線を除き)唯一の『電車ホーム』であります。(※出発にかかる規程などが「列車ホーム」とは異なっていたはずだ、の意。ならびに、ホームの床の高さという意味じゃありませんよ、の意。)この意味では、JR東日本の本社から見て、まったく山手線や京浜東北線(のホーム)と変わらないわけです。…たぶん!(※恐縮です。)

 > 「JR東日本仙台駅発車音楽(在来線ホーム)」
 > 日本音楽著作権協会(JASRAC)作品データベースから

 報道も作曲年もすべて正しいと前提します。新聞社はプロですし(職業的な)作曲家もプロなんです。わたしたちは圧倒的に素人なのだという自覚が大切です。(※見解です。)特に新聞で「○○初!」という表現には慎重ですから、現にそのような表現が新聞記事にあるとすれば、それは「記者発表資料」などにそう書かれていた(当事者がそのように発表している)ということを反映している(※)のだろうと推測するところであります。

※逆に、新聞記事に書かれていないということは、「記者発表資料」にも書かれていなかったということだろうと、これまた推測するわけであります。

 とはいえ、1988年、1989年、1990年の「プレスリリース」というものはウェブでは参照できず、電子化されているかも不明で、それでも宮城県庁の記者クラブみたいなところにはファイル(=書棚に収納する『物理ファイル』!)されているんじゃないでしょうか。本当でしょうか。

・やってきました宮城県庁。
 https://goo.gl/maps/piAhFxmDtv92
 https://goo.gl/maps/DLwa2hs11Qu
 https://goo.gl/maps/DbWdPbM17or

 > 弱い立場の
 > 県庁県民

 弱い立場の…県庁県民っ!!(違)

 https://goo.gl/maps/Eyy5W85gGxN2

 有料です。…有料です!(なぜに2回いうし!)県庁ですけど…お客さまお客さま駐車券&えーっ。県民の住所によっては無料にするなどの…ということはあるんでしょうか。そういうのは市の広報の端っこに年1回だけ書いてあったりしそうですよね。(棒読み)

・お客さまお客さま!「駐車券」こもごも(談)
 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6451528.html
 https://kotobank.jp/word/%E6%82%B2%E5%96%9C%E4%BA%A4%E4%BA%A4-608927

・JR東日本「1997年度」付近
 http://www.jreast.co.jp/press/1997.html

 > 1997年7月24日 フォルクローロ高畠 (たかはた) 10月8日オープン
 > 1998年2月23日 オリンピック期間中のご利用状況について

 https://goo.gl/maps/MUJJPzsRk362

 …そっちは駅前より電柱広告の矢印に従ってお進みください©でおなじみの「高畠ワイナリー」さんですよぅ。(※恐縮です。)

 https://goo.gl/maps/KBd9gYa8KVk
 https://goo.gl/maps/r1bd23k726P2

 うーん。おぬしメルヘンな尖塔を有する建築物等®ですのう。…いっけなーい! どこにでもいるふつーのトースト(違)ミュンヒハウゼン城のブレーカーが落ちちゃってもうたいへん(違)ドアノブみがきがんばるぞい。…そっちは「ふたりのロッテ」ですよぅ。(棒読み)

・「ふたりのロッテ」(1971年日本)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86

・「ミュンヒハウゼン城」(2008年日本)
 https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/34042.html

 > のび○も驚くほどの流暢なドイツ語で、ロッテと小粋なトークを楽しむ

・「山形県高畠町におけるデマンド型交通の調査報告」山形大学人文学部研究年報(2016年3月)
 http://www-h.yamagata-u.ac.jp/wp-content/uploads/2016/04/nenpou13_05.pdf

 > 図2 予約受付センター内部にある予約受付運行システム

 > 利用者から予約の電話をオペレータが受付けると、予約受付運行システムの内部では電話番号を利用して電話を掛けてきた利用希望者を識別する。そして、小型プリンターから利用希望者の氏名、住所、受付時刻などの記載された紙が出力される。オペレータは電話で利用希望者へ乗車希望の便名、人数、乗降車地などを尋ねた後、その内容を出力された紙に書き込む。予約を受付けるかの判断は、それまでの予約状況を基に3台の車両で送迎できるかどうかをオペレータが検討した上で下される。受入れることが不可能と判断すれば、前後の便を紹介する。ただし、定員内であれば、基本的に予約を受け入れる。午後3時で予約を締め切った後、翌日の運行計画を車両ごとに作成し、別の紙(運行計画表)に手書きで記入する。この運行計画表は各車両を担当するタクシー事業者へファクシミリで送られる。送られてきた翌日の運行計画表は翌日の運行を担当する運転手へ渡される。図6に運行計画表を示してある。

 > 図6 タクシー運転手に渡す運行計画表

 2016年3月の記事にしては節々が拙い感じがしないでしょうか。「i-mode」がつながらないエリアがあることがそんなにおおごとなんですかっ。…そこは割とどうでもいいんじゃあ、ないんですかねぇ。(※見解です。感想ではありません。)

 http://www-h.yamagata-u.ac.jp/lepp/teacher/teacherdb_42.html

 > これまでは先物市場を主たる対象として標本理論の立場から、実証的な分析を進めてきた。それに加えて、ここ数年はMCMC(マルコフ・チェーン・モンテカルロ)法を用いたベイズ推定法にも関心を抱いて研究を続けてきた。現在はこの手法を用いた実証分析を中心に研究している。

 > 山形県統計利用アドバイザー(山形県企画振興部)
 > 山形県市町村職員共済組合学識監事

 > 高校生のときは受験科目ばかりではなく、それ以外の教科についても勉強して欲しいですね。高校で学ぶ知識は、大学生になって様々なことを学ぶ際の基礎となるからです。さらに将来、興味を持ったことを学ぶ際にも、高校で学んだことは役立ちます。高校時代の勉強は、今後の皆さんの生活を豊かなものにしてくれることに繋がっているのです。

 http://www-h.yamagata-u.ac.jp/news/news-research/4709.html
 http://www-h.yamagata-u.ac.jp/wp-content/uploads/2014/09/topics_201406_03_07.jpg

 > 活発な質疑応答
 > 活発な質疑応答

 おおー(略)。

[3552]
 > きょうびとんと…じゃなくて、きのうきょう「いっぴ!」([3451])と言い出した学生が次に言いそうな感じ

 その逆といいましょうか、「いっぴ!」の1週間前に発表みたいな日付が「24日」とか「23日」なんだと思いました。…その発想はなかった!(棒読み)フォルクローロ高畠の開業日は「8日」なんですよね。前月末に引き渡されてから1週間で用意して「8日」。たぶんこれだね。(※あくまで推定です。)

・宮城県「記者クラブに投げ込みをしたもの」の用例です
 http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/list5-53.html

 > 県トップページの「報道発表資料」(記者クラブに投げ込みをしたもの)

 ホームページに載せただけでなく、記者クラブの部屋のポストにも紙で「投げ込み」しましたよ(後は知らん)的な県庁にございます。むしろ「後は知らん」という態度を貫かないといけないんですよ。…そっちですかっ!!(棒読み)

 当然ながら、1988年11月8日の「仙石線ホーム」というのは、▼なぜ仙石線ホームなのか、▼なぜ1988年11月8日なのか、というあたりを確かめないといけないんですよ。たぶんですけどね。

・「仙石線地下化」は仙台市の事業である
・仙石線の地下区間は「地下鉄扱い」されかけていたくらい(設計や位置づけが)『地下鉄』である
・同時期に開業するほかの地下鉄のためのテストベッドにもなっていたのではないか
・地下ホーム建設に先立って、仙台駅の(財産としての)仙石線ホーム(用地・構造物)は仙台市に移管されていたのではないか
・発車ベルや電子電鈴の代わりに「音楽」を使うという方向性は、▼地上の在来線についてはJRグループ、▼地下鉄については公団によって決定されたのではないか
・「仙石線ホーム」で「音楽」を試行するというのは仙台市の事業ではないか(JRの負担は1円たりともないのではないか)
・「仙石線地下化」は仙台市の事業であるので、「音楽」を使うということは公団が決めたとしても、実際に使う「音楽」は仙台市が用意しなければならない(はず)
・仙台市が「音楽」を発注すると『仙台音頭!』みたいなのしかできあがってこない(はず)
・仙台市交通局でも使おうとしていたのではないか(著作権を仙台市が持つようにしたかったのではないか)
・1989年3月にJRが「好評を得た」として(都内の駅を含め)「発車音楽」を本格導入できるためには、「仙石線ホーム」での試行についてアンケートが実施されていなければならず、また、その結果を仙台市とJRで共有するための協議会のようなものも存在していなくてはおかしい

・ウィキペディア「仙台市地下鉄」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84

 > オイルショックが発生するなど社会情勢の変化はあったが、地下鉄網計画のうち、「名取線」および「茂庭線」の鍋田 - 泉崎を加えた「南北線」が1975年(昭和50年)に運輸省の仙台地方陸上交通審議会で認可された。1978年(昭和53年)に地下鉄の免許申請が行われ、1980年(昭和55年)5月30日に免許が交付され、1981年(昭和56年)に狭軌架空線方式の南北線が着工された。工事では、地上区間や山岳トンネル区間の多い区間が日本鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に委託された。これは一時的な地下鉄建設のために仙台市が人員補充を避けるための方策であったが、公団も上越新幹線で発展させたNATM工法を応用するなど、経済的な路線建築が実現した。

※ウィキペディアの原文ママ。「オイルショックが発生」「審議会で認可」「狭軌架空線方式」「一時的な地下鉄建設のために仙台市が人員補充を避けるため」「路線建築」などあやしげですが、原文ママ。順に、▼「発生」とはいわんでしょ、どうしても動詞を入れたいならサ変ではなく「起きた」ではないかなぁ、▼審議会は「建設を認める答申」を出すところまで、「路線の免許」「着工の認可」は運輸省、▼「狭軌、架空線方式」と区切りたい、▼「仙台市の大幅な人員補充を必要とせず地下鉄建設を進めるため」くらいかなぁ、▼「建設」ですよね、わかります。

 東京都下の地下鉄建設以外はぜんぶ公団でしょ(問答無用で公団でしょ)、との思いこみがございました。しかし、仙台市では「かくかくしかじか」といって、「だから公団に委託する」という“理屈”があるんですね。なるほどでした。(※恐縮です。)

 > 1980年(昭和55年)11月22日 - 仙台市・泉市・宮城県の3者により、地下鉄早期着工で調印式。
 > 1982年(昭和57年)3月1日 - 地下鉄開業準備室を開設。
 > 1985年(昭和60年)3月2日 - 地下鉄の正式駅名が決定。
 > 1986年(昭和61年)12月19日 - 仙台高速鉄道サービス株式会社を設立。

 …仙台高速鉄道サービス株式会社っ。仙台高速鉄道サービス株式会社みたいなのキターっ。(棒読み)

 > 1987年(昭和62年)11月29日 - 泉市において仙台市との合併の是非を問う住民投票が実施され、賛成が多数となった。
 > 1988年(昭和63年) 3月1日 - 泉市および秋保町が仙台市に編入合併された。
 > 1989年(平成元年)4月1日 - 仙台市が政令指定都市に移行。
 > 1992年(平成4年)7月15日 - 仙台市営地下鉄南北線・八乙女駅 - 泉中央駅間が開通。

 なるほど旧泉市域の区間は合併後に開業したということなんですね。

 > 1989年(平成元年)4月1日、仙台市が県とほぼ同格の政令指定都市に移行すると、仙台市内の公共交通機関は市の管轄となったため、県からJR仙石線の地下化事業が移管され、地下鉄計画も市の主導に大きく変化した。
 > 県は新設部分が仙台市外となる仙台空港アクセス鉄道に注力するようになった。

 なるほどなるほど! 「仙石線地下化」は着工から1989年3月31日までの工事のほうが(支障物移転などで関係者が非常に多いなど含め)たいへんなんじゃないかとか、従って、いちばんたいへんなのはぜんぶ県の事業だったときにだいたいできていて、あとは続きを頼むよみたいなのが仙台市ではなかったかと&しつれいしました。(棒読み)

・ウィキペディア「仙台交通」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E4%BA%A4%E9%80%9A

 > 仙台交通株式会社(せんだいこうつう)
 > 仙台市の全額出資

 > 1999年(平成11年)4月 - 仙台高速鉄道サービス株式会社と仙台交通サービス株式会社が合併し設立。
 > 2011年(平成23年)4月 - 財団法人 仙台市交通事業振興公社解散に伴いその事業を継承。

 地下鉄とバスを一元化し、バスターミナルなど不動産管理もソレみたいな説明が(冒頭に)ちょろっとでもあると理解が早いのではないでしょうか&しつれいしました。

 > JR東日本テクノロジー(富沢車庫内での地下鉄車両の検修業務を仙台交通および仙台市交通局より受託している協力会社。旧社名:東北交通機械)

 ぬおー(以下略)。東京はどうなるんでしょうかねぇ。都電の行き場(ふさわしい所属)がないとか駅部の維持費が各区の負担になるとかするとたいへんそうです。やーい地下鉄の細切りっ。(違)かといって東京メトロのようなカイシャにバスから都電からエチカから都営アパートの1階みたいな財産まで集約というのも大きすぎるんですよ。東京メトロの施設を東京都の公有財産にするとか、運行が民間に委ねられても支障がない路線について、例えば京王電鉄が新宿線の運行事業者に(京成電鉄が浅草線の運行事業者に)なるとか、あまつさえ東西線は東葉高速鉄道に施設ごと移管するなど(大巾に中略)って、本当にできないんですかねぇ。やーい東京メトロ解体への序曲…そんな序曲ありませんってば!!(※たいへんしつれいいたしました。)

※常にいくらかの都有地が空き地になって雑草が生えてヒマしているというのは、災害時のごみの仮置き場にできるなど、好ましいことなのですよ。遊休化しているから無駄だ売り払ってしまへーみたいなのはとんでもないんですよ。(※見解です。)

・京成電鉄です
 http://www.keisei.co.jp/keisei/kouhou/news/170321_02.pdf

 > 京成電鉄では長年、映画「男はつらいよ」シリーズの柴又駅での撮影に協力を行ってきました。

 その関係とスタッフと機材をそのまま使って制作されたみたいな気配が濃厚に漂う交通安全の映画って、ありますよね。(…ぐふっ。)

・東映です
 http://www.toei.co.jp/edu/lineup/traffic/1205457_2440.html
 https://www.youtube.com/watch?v=hLFzhDr0ZFY




 柴又を引き合いに出しながらあえて東映。これだね。(違)

・(公財)千葉県交通安全協会「交通安全教育用貸出ビデオ・DVD一覧」のふいんきです
 http://www.chiba-ankyo.or.jp/lending/lending_02.htm

 > かげろうお銀のお年寄りの交通安全
 > おジャ魔女どれみの交通安全
 > ハム太郎のとっとこ大切!交通ルール

 うーん。あくまでふいんきなのだ。大事なのは中身なのだ。(棒読み)

・「仮置き場」に関するスライドです(2012年3月5日)
 http://geotech.gee.kyoto-u.ac.jp/JGS/doc/Ohno.pdf

・朝日新聞「東京メトロ、石綿含む塗料使用か 未処置で車両解体」(2017年12月1日)
 https://www.asahi.com/articles/ASKD15DCRKD1UTIL04F.html

 > 1988年10月以降に製造された、銀座線01系など112両分。車両内装の板の内側に使う断熱塗料に石綿が含まれていると知らず、法令で定められた処置をしないまま、2008年〜17年、江東区などの処理業者が車両を解体していたという。

 わたしたち、まことに自分勝手に「石綿なんて『昭和時代!』でしょ」みたいな思いこみのほうなど&しつれいしました。


★「1988年」とはにわ(仮)


 1988年は昭和63年です。…なんと、1988年は昭和63年なんです!(棒読み)

[3304]
 > > 1988年8月8日から発車ベルを全面廃止
 > (Windowsのカレンダーを信用する限り)1988年8月8日は月曜日です。

 同じく、1988年11月8日は火曜日、1989年3月11日はダイヤ改正の期日であるので土曜日です。おお、どんなに簡単な電設工事だとしても、仙台市としては『10月いっぴ!』みたいな日付で発注なさって月末に引き渡され、そこからはJR仙台駅の『社員さん!』とも打ち合わせながら1週間で用意(使いかたの練習!)して「8日」から使用開始。…本当でしょうか。(まったく推測です。本件試行が仙台市の所管であるとの前提です。)

[3316]
 > 「ジリリン」(発車合図器)は、「けたたましい非常ベル」と紛らわしいという観点からも淘汰されておかしくなかったところ、「非常ベル」の側が「音声を使うように」との法改正によってベルではなくなっていったため、発車合図器が生き延びた…などと(略)。本当でしょうか。

 いわゆる発車予告の放送をマイクでアナウンスするのでなく(「電車」として本数が多いので=省力化のため?)「音楽」を使う、ひいては「音楽」をもって「発車合図」とするなどというのは、事業者が裁量で実施できることではなく、まったく『最初の一!』から法令というか通達というか、運輸省な案件なのですよ。それをJRと公団で分担なさったのではないんですかねぇ。(あくまで一般的な推察です。)

 その上で、途中に公団やJRを挟むけれども、やはり運輸省、最終的には仙台市が市民を対象にアンケートをするというところに行きつくのではないかと、たぶんこういうわけです。JRが直接、アンケートをすることはまかりならん([3621])との理解の上では、当然でございます。

[3621]
 > 国鉄(現在のJR)がじぶんで調査したりアンケートしたりすることは、地元自治体を飛び越えた越権的なことだという認識でございます。

 じゃあ(※)仙台市の議会や委員会の議事録を見れば&その発想はなかった!!(棒読み)

・仙台市議会です(※テキタウな検索語を入力すること)
 http://asp.db-search.com/sendai-c/dsweb.cgi/

 > 平成2年2月「第1回定例会」以降

 とのことで、名状しがたい「1990年2月の壁!」のようなものを越えるには図書館へ出向かれたしと、こういうわけです。(※出向いたからといって、電子化されていないのでしょう。目録からよほどピンと来ないと見つけられやしないと予想されましょう。)

 > 1990.03.08 : 平成2年第1回定例会(第4日目) 本文
 > 仙台市は昨年市制百周年の節目の年に東北初の政令指定都市となり、名実ともに東北の中核都市に生まれ変わりました。二年目となります本年はその機能と役割を充実し、東北地域全体の発展につながるよう確かな歩みを進める年であります。二十一世紀の大きな課題であります国際化、情報化、高齢化などに対し積極的な対応を進める中で、より住みよい町づくりを進めなければなりません。
 > (略)今年の施政方針の中で新しい杜の都づくりの指針となる総合的な緑のマスタープランの策定として、ふるさと仙台・環状公園構想づくりの推進はまさに理にかなっており、評価をするものであります。そこで市長にお伺いいたしますが、ふるさと仙台・環状公園構想について向こう百年計画で取り組むべきと思いますが、御所見をお伺いいたします。
 > 昨年は市制施行百周年の記念としてのグリーンフェアせんだいを開催し、大変な好評を博しました。市民の緑に対する関心を高めることができ得たと思います。この行事をなし得たのも先人の貴重な町づくりの努力が実り、全国的に杜の都仙台として百年間の市政の発展があったおかげであります。現在合併により貴重な緑地も拡大いたしました。今年より確かな発展を願い、市制施行二百年に向けての百一年目のスタートの年であります。杜の都の精神が生かされ、市民の子々孫々にわたる町ぐるみ運動として百年計画の運動を起こすべきと考えます。その実践活動の成果を五年目、十年目の節目で国際グリーンフェアを開催し、国際的運動へと押し広め、地球の環境改善と結びつくような運動を起こすことが必要ではないでしょうか。まさに、都市と自然が調和、共生する愛と活力に満ちた百万都市の百年計画に取り組むべきと考えますが、市長の御所見をお伺いいたします。

 「杜の都仙台」「青葉城」と(強く)言い出したのが政令市への移行が契機(=ウェブで公開されている会議録での「青葉城」の初出は1990年3月8日=)であったとわかります。

 > この新しい杜の都づくりは青葉山を中心として進めるとのことですが、そのシンボルとして長期的には青葉城の復元を考え、その第一弾として、我が会派でも要望しております大手門の復元を考えてみてはいかがでしょうか、お伺いいたします。
 > また、全国で唯一のきへんに土の杜の都の名称を持つに至った由来がいろいろ言われておりますが、考え方を統一し、仙台の杜の都の理念をつくるべきと考えますが、お伺いいたします。
 > この際、貴重なケヤキ並木を保存するためにも土壌の改善や環境の改善をしなければ、このままでは枯れる木もあると思います。さきに移植したケヤキも順調に成長していると伺いますが、今後並木の樹勢の状況によっては移植も考えながら若木と世代交代をし、全体のケヤキ並木を守るための手法も考えるべきと思いますが、御所見をお伺いいたします。
 > 次に、緑地利用の管理の一元化についてお伺いいたします。現在仙台市域の緑地面積、そして緑被面積がどのくらいあって、それをどう促進されるのか、お伺いいたします。

 ことばだけでなく数字を取り上げようというのはさすがですぞ。(※恐縮です。)

・「’89グリーンフェアせんだい公式ガイドブック : 第7回全国都市緑化せんだいフェア : 花と緑の祭典」
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058422855-00
 http://www.nomurakougei.co.jp/expo/material/detail?goods_id=2769&return_url=%2Fexpo%2Fmaterial%2Flist%3Fp%3D331
 http://www.nomurakougei.co.jp/expo/exposition/detail?e_code=324

 やーい「’89」みたいなのーっ。

 > 開催日程:1989年07月29日(平成1年)〜1989年10月16日(平成1年)
 > 主催:仙台市・(財)都市緑化募金

 さらに「再生紙を使用しています」みたいなのーっ!!

 > 会場には日本最大級6.000平方メートルの中央大花壇がつくられ、これも世界最大といわれる高さ5.5メートル、80日間の砂時計を展示する大砂時計館もあった。東北初の乗り物を揃え、冒険とスリルが楽しめるプレイゾーンや、巨大木製遊具の冒険広場も設けられていた。また、海外や日本のフーズを一堂に揃えた、ふれあいバザール館もあった。

 やーいさばくのバザー…さえずりのみつはあるかい&ないよっ!!(棒読み)

・「さばくのバザー」「さえずりのみつ」それに「ときのすな」「ガスのつぼ」(1990年2月11日)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88IV_%E5%B0%8E%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%97%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1

 > 4メガビットというROM容量は当時としては膨大な量

・「グリンラッドのろうじんのいえ」(1988年2月10日)
 http://wikiwiki.jp/dqdic3rd/?%A1%DA%A5%B0%A5%EA%A5%F3%A5%E9%A5%C3%A5%C9%A4%CE%CF%B7%BF%CD%A4%CE%B2%C8%A1%DB

 > 中に入ってみると一面の草原が広がっており、何も見当たらない。
 > 何かないかと思って左や右へ動くとすぐに外へ出てしまうが、そのまま上へ進んでみると、家が1軒建っている。

 ま、容量を無駄遣いせずマップの広大さを演出する方法はあるもんじゃて。(棒読み)「すぐに外へ出てしまう」ということをもって「上(北)へ進めばよい」ということがわかるようになっているんですよ。これだね。

・「再生紙使用マーク」東京都環境局の見解です
 http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/resource/recycle/r_mark.html

 > 平成7年6月15日

 平成7年は1995年です。

 > 財団法人 廃棄物研究財団内
 > 3R活動推進フォーラム(旧:ごみゼロパートナーシップ会議)事務局

 いやー「3」とか「4」とかの外箱や取扱説明書に「再生紙を使用しています。」みたいな表示はなかったと思うんだなこれがっ。(※推定です。)レッツ「ドラクエ 再生紙 いつから」で検索けんさくっ。(違)

・日本製紙連合会です
 https://www.jpa.gr.jp/p-world/p_history/p_history_05.html

 > 平安時代にはじまった、紙のリサイクル

 平成時代じゃなくて、平安時代なんですね。(違)

 > 当時は高価だった紙を大切にするだけでなく、平安の人々はエコな生活を既に実践していたのですね。

 そういう問題じゃない気がするよとはこのことだよ。(※個人の感想です。)


★いつかどこかで「せんだいメディアテーク」ほかを遠巻きに眺める(談)


・Google ストリートビュー 「やってきましたせんだいメディアテーク。」のイメージです
 https://goo.gl/maps/QFcav4MYHEz
 https://goo.gl/maps/F6fZqBTCtis
 https://goo.gl/maps/1iS1btsU4NS2

 …うーん。(違)

・ウィキペディア「せんだいメディアテーク」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%84%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%AF

 > 1992年(平成4年):定禅寺通交通局跡地に新市民ギャラリーを建設する方針が決定
 > 着工 1997年(平成9年)12月17日

 せんだいメディアテーク「青葉縁日」については[3179]も参照。

 再び会議録です。

 > 1993.03.12 : 平成5年度 予算等審査特別委員会(第6日目) 本文
 > まず最初に、
 > まず最初に、

 『まず最初に』…うーん。

 > この間の人口の増加も著しく、ある調査によりますと、全国住んでみたい都市のナンバーワンといったようなことも報ぜられておったわけでございます。そういうイメージは、例えばNHKの伊達政宗ですとか、ちょっと古くなりますが青葉城恋歌とか、さまざまなソフト面の支援、そしてハード面の整備、そういったことが相乗効果をあらわして、仙台は住んでみたい都市ナンバーワンというようなアンケート結果になったんじゃないかというふうに、私は思うんです。

※「青葉城恋歌」は議事録の原文ママ。

 さいですか。ま、「ソフト面の支援」というところに、仙台駅で「青葉城恋唄(らしきもの)」を“耳タコ!”するというのも含まれておるということなんじゃないかというふうに思うんです。

・ウィキペディア「いわゆる仙台小唄」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E4%BB%99%E5%8F%B0
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8A%E5%8E%9F%E5%85%89%E8%A3%95
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%BB%E9%9D%92%E8%91%89%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A

 > 宮城県仙台市の新民謡(ご当地ソング)として、1936年(昭和11年)に西條八十が作詩し、古関裕而が作曲した流行歌。通称「仙台小唄」。

 > 高度経済成長期には支店経済都市となった仙台に異動してきた転勤族らにも(二代目)コロムビア・ローズ(当時18歳)の歌唱で親しまれた。安定成長期に入ると島倉千代子(当時36歳)の歌唱で「七夕おどり」と共に盆踊り曲としても浸透した。誕生から約80年が経ち、歌詞に描かれた仙台と現在の仙台との間にズレが生じているが、仙台七夕のBGMの定番として今も親しまれている。

 やーい「歌詞と現実にズレが生じるなどの」からの「『インスト曲』ならいいよね」みたいなのーっ。(棒読み)

 > 当時のシングルは電気録音やシェラック製の78回転SPレコードがデファクトスタンダードになっていたため、『ミス仙台』は10インチSPレコードの片面のほぼ最大録音時間である3分30秒の演奏時間だった。

 > 『ミス仙台』の替え歌の「水府望郷歌」(水戸小唄)が、(旧制)水戸高等学校時代から茨城大学で歌い継がれている。

 > 戦時中から戦後占領期までは「仙台小唄」との通称でも呼ばれたとされる。しかし占領期も終わりに近付き、原盤を用いて1951年(昭和26年)1月に『ミス仙台』が再び発売されると、通称は廃れた。

 > 宮城県では1928年(昭和3年)に放送が始まったラジオの影響はあまりなかったとされる。
 > 市民や県民は『ミス仙台』を、手にしたレコードや楽器店から街に流れる音色を聴いて親しんだり、新聞広告に見られるように合唱で親しんだりしたようである。

 > 1962年(昭和37年)、仙台七夕祭り協賛会、河北新報社(仙台市)、東北放送(仙台市)が協賛した「七夕おどり」が島倉千代子の歌唱で発売された。同シングルの歌詞カードにはA面用の振付のほか、B面用にフォーク・ダンス振付が載っていた。同曲は仙台七夕に因むご当地ソングとして急速に地元で普及するが、その一方で盆踊りの曲としても地元で広く使用された。1974年(昭和49年)、島倉が歌う『ミス仙台』(B面:七夕おどり)が発売されるが、歌詞カードには『ミス仙台』の振付が写真入りで説明されていた。このような歌と踊りをセットにしたプロモーションによって、島倉が歌う『ミス仙台』は「七夕おどり」とともに、昭和40年代から急速に拡大した郊外住宅地(ベッドタウン)などで新住民同士の交流のため盛んに行われた、地域の夏祭りにおける盆踊り用の曲として改めて浸透していった。

 > 1978年(昭和53年)5月5日にさとう宗幸が歌う「青葉城恋唄」が発売されるが、6月12日に宮城県沖地震が発生すると、被災地に住むさとうの同曲は注目を集め、全国的なミリオンヒットとなった。これ以降、仙台のご当地ソングの地位は、『ミス仙台』(新民謡/演歌)から「青葉城恋唄」(フォークソング)に取って代わられてしまった。

 仙台市がー、というよりは、河北新報社それに東北放送などの(略)を差し置いて、テキタウな楽曲(らしきもの)を交通局の職員が私物のシンセサイザーでー(略)みたいなことは許さんぞーみたいな気風があるんじゃないでしょうか&本当でしょうか。

 > 仙台・青葉まつり(せんだい・あおばまつり)
 > 伊達政宗没後350年にあたる1985年(昭和60年)に、過去に存在した祭りを復活する形で始まった。

 > 政宗ブームを生んだNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)

 > 1987年(昭和62年)、榊原はすずめ踊りを現代風にアレンジして『新・仙台すずめ踊り』を創作した。当初、この『新・仙台すずめ踊り』は仙台・青葉まつりの出し物の1つであった

 依頼を受けて(録音を)納品したんですよね。著作権は作曲家にあるけれども、その時の録音を使う権利みたいなのは「仙台・青葉まつり」だけに許諾するーみたいな&しつれいしました。(※推定です。)それが1987年5月に開催の「仙台・青葉まつり」だということです。いやー▼1988年11月からの「仙石線ホーム」それに▼1989年7月から10月の「グリーンフェアせんだい」にも1つたのむよ(※…1つじゃないし!)みたいな&もっとしつれいしました。(※もっと推定です。)

 > 1985年(昭和60年)には「ホンダクリオ宮城」および「白松がモナカ」の各々のテレビCMの音楽・映像制作を担当し、各々の作品で仙台広告大賞TV部門大賞を受賞した。

 この業績がないと駅での採用には至らないとは思いました。ドラゴンクエストシリーズのひとより3歳だけ若いっ…その発想はなかった!(恐縮です。)

 > ミヤギテレビのクロージング音楽
 > 「’87未来の東北博覧会」のテーマソング「まばゆい気分で」を編曲

 やーい「’87」みたいなのーっ。

 > 1988年(昭和63年)からJR仙台駅の在来線ホームにおいて、当曲をモチーフにした宮城フィルハーモニー管弦楽団(1989年より仙台フィルハーモニー管弦楽団)演奏の発車メロディが、替わって2016年(平成28年)からは新幹線ホームにおいて、当曲を編曲した仙台フィル演奏の発車メロディが使用されている。

 > http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160630_13013.html
 > http://www.asahi.com/articles/ASJ7G4RQ4J7GUNHB01C.html

・(Internet Archive)河北新報「<仙台駅>発車メロディー新幹線27年ぶり変更」(2016年6月30日)
 https://web.archive.org/web/20160630114619/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160630_13013.html

 > メロディー更新は新幹線ホームが27年ぶりで、在来線ホームが28年ぶり。
 > これまでは新幹線が榊原さんのオリジナル曲で、在来線が青葉城恋唄をモチーフに榊原さんが作った曲を使用していた。

 「更新」されたのは今回が初めてで、前回は「更新」じゃなくて「導入(新規採用)」だったんですよね。…ギクッ。


★「仙台市地下鉄南北線」(1987年7月)でJR仙石線「仙台トンネル」を読み解く(仮)


・仙台市交通局「路線図」のPDFです
 https://www.kotsu.city.sendai.jp/subway/station/pdf/2017nswe_rail.pdf

・「経緯」付近
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E9%83%BD%E4%BB%99%E5%8F%B0#%E7%B5%8C%E7%B7%AF

 > 仙台市では、****市長時代(在任期間:1984年(昭和59年)12月23日 - 1993年(平成5年)7月3日)にバブル景気となり、その真っ只中の1989年(平成元年)4月1日に政令指定都市に移行した。この空前の景気拡大と、合併による市域拡大、および、政令市移行による市財政力の増大を背景に、**は箱物行政を行って市内にホールや文化施設を次々建設した。
 > しかし、バブルが崩壊し、仙台市のハード面を拡充してきた**が、****宮城県知事(当時)と共にゼネコン汚職事件によって辞任すると、****市長時代(在任期間:1993年(平成5年)8月22日 - 2005年(平成17年)8月21日)において、増大したホールや文化施設でのソフト面の拡充が叫ばれるようになる。

 > 1987年(昭和62年)の仙台市営地下鉄南北線開業に合わせて再開発されたファッションドーム141にて、同年から市民が主催する「LIVE 141 定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が開催されていた

 市民が主催する(できる)よう、行政がすべてお膳立てしての「主催」なんですよ。(※一般的な認識を再確認するものです。)その「仙台市営地下鉄南北線」には「青葉城恋唄」は使わないんですかっ。…ええーっ。

・ウィキペディア「仙台市地下鉄南北線」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E5%8D%97%E5%8C%97%E7%B7%9A

 > 開業当初から全列車が4両編成で、ワンマン運転が行われている。原則自動運転で運行。
 > 1981年に着工された。
 > 開業時期は丁度バブル景気期であったため、都心の地価が高騰しており、地下鉄によって泉中央に業務機能が分散して地価上昇を抑える助けとなり、泉中央の都市化が進んだ。
 > 1986年(昭和61年)8月4日 - 5日 - 台風10号から変化した温帯低気圧による雨の、仙台市における降り始めからの雨量が402mmに及び、観測開始以来過去最大になった(8.5水害)。この豪雨により長町駅および長町南駅のホーム階が天井近くまで水没し、使用不能になった機器類の復旧のため開業目標が約3か月延期された。
 > 1987年(昭和62年)7月15日 - 八乙女駅 - 富沢駅間開業。
 > 2007年(平成19年)5月26日 - 運行管理システムを更新。それに伴い駅の発車ベルが発車メロディーに変更、放送は富沢方面が女声で泉中央方面が男声となり、電車接近放送を英語でも行う。

 開業時は電子電鈴であったという理解でよろしかったでしょうか。そうでなければ「駅の発車ベルが発車メロディーに変更」とは記述されませんよね。本当でしょうか。(※変更前のようすを確認できる映像などを見つけられません。恐縮です。)

 > 建設当初からワンマン運転を前提にしていたため、運転士による安全確認を容易にするために、全駅、直線の島式ホームで統一し、車両も、運転席が進行方向に対して右側に設置されている。

 それでは「バリアフリー」にならないといって、七隈線([3104],[3367])では対向式ホームに揃えたということです。

 > 駅構内ではBGMが流れる。BGMは季節ごとに流れる曲が変わる。ただし、時報代わりに流れる『荒城の月』は年中使用されている。

・せんだいメディアテーク「地下鉄ができるまで〜仙台市地下鉄南北線〜」(2014年日本)
 http://www.smt.jp/library/teaching/archives/d14040.html
 http://www.good-m.net/parsonal/01_miyazawa/index.html

 > 小学校第6学年社会科

 うわぁ(交通局のひと)棒読み。ナレーションのひとは非常に安定感のあるプロですけど、素材が足りないといって(残響の長い)会議室みたいなところで追加の収録をしてませんこと? あらあら、まあまあ!(棒読み)

 > 泉中央駅の様子(1992年開設)
 > 地下鉄建設の工事着工(1981年)
 > 地下鉄の富沢駅〜八乙女駅間開通(1987年)

 途中までナレーションがすかすか過ぎるのと、ナレーションと映像が合っていないんですよね。図表がないんですよね。この14分の映像で、所定の単元について「理解させる」ように「活用」するのはむずかしそうですぞ。(※個人の感想です。そもそも14分もの映像をつくる(構成して編集する)のは「せんだいメディアテーク」でレクチャーがあってもなお素人にはむずかしいんですよ。45分の授業より短いからといって簡単だーみたいなことはぜんぜんちっともまったくないんですよ。…その発想はなかった!)

[3124]
 > 5分の番組ですが、▼2014年の「出発式」、▼昭和37年(1962年)の「テスト走行音」、▼昭和39年(1964年)の「ATCの開発のようす」、▼開業直前(1964年)の試乗会、▼現在のようす、と、5つのシーンで構成されていることがわかります。「スライド1枚につき1分」といわれる時間配分に近いですね、わかります。

[3238]
 > 早くから(1980年代から)映像を扱っているかたの技量の高さに目を見張ってください。前掲の映像も、▼三脚を使わず、▼手ブレ補正などついてなく、しかし、とっても安定して見える「絵」が撮れております。

 せんだいメディアテーク(で、小学校の教諭が集まって制作した本作)では、三脚を使って傾いているんですぜ。…なんだかなぁ。

 > > カトウさん:僕がおすすめしたいのは、撮りながら編集していくというやり方なんです。僕、うまいですよ。使う分しか撮らない。例えば観光地などに行って、ここに来ましたってことで最初に引きの画をばーーっとパンして撮って止める。次に看板を数秒撮って止める。次に人の顔を撮る、というように、これをやっていって、最後に撮ったものを最初から見たら1本の作品として完成しているという(笑)。

 やってきましたイセザキモール。(違)こもれび(略)行き交う人々(略)tvkハウジング!!(違っ)どこまでがイセザキモールでどこからがtvkハウジングか記憶に残らないよとはこのことだよ。(棒読み)

・「電子音楽と多数のスピーカーを用いたインスタレーション」ほか
 http://www.mars.dti.ne.jp/~gow/mits/theatrical.html

 > 1986 交響詩SENDAI「杜/たゆとう時の音」作曲・構成
 > 古代楽器を復元制作しての縄文音楽の演奏やオーケストラ(仙台フィル)、神楽、和太鼓によるコンポジション

 > 1987 「夢空間あかり展〜BIRTH OF LIGHT(光の誕生)」作曲
 > 電子音楽と多数のスピーカーを用いたインスタレーション

 > 1989 「STARLIGHT FANTASIA 受胎した光たち」作曲・演出
 > 電子音楽と多数のスピーカーを用いたインスタレーション

 この「電子音楽と多数のスピーカーを用いたインスタレーション」というのが、1988年11月からの「仙石線ホーム」に向けて、いくらなんでも1987年には打診くらいはされているだろうという時期に、鉄道側からもたらされた要件であろうとは想像されましょう。それでおもしろくなったので自作でもそういうのを…本当でしょうか。(作曲家が)じぶんだけでは「電子音楽と多数のスピーカーを用いたインスタレーション」、特に「多数のスピーカー」というところへいきなり飛んだりはしないと思うんです。(※恐縮です。)

 https://youtu.be/YhG8SKUPe3o?t=2m19s




 うーん。(棒読み)

 http://www.mars.dti.ne.jp/~gow/mits/essay_1.html

 > それは右手の親指から中指だけの3本の指だけを使って弾ける和音で、白い鍵盤だけ使って親指の隣の音に人差し指、そしてひとつ跳ばして中指を置く小さな(コンパクトな)和音だった。
 > 弾くのはどの音でもよかった。

 > 好きなだけコンコンコンコン
 > コンコンコンコンという音

 あなた(鍵盤の)打鍵音もコミコミで味わっていたんでしょ。他の人の演奏を聞くとか録音を聞くときには(耳やマイクに)入らない打鍵音が味わえるのは演奏者の特権ですぜ。…その発想はなかった!(ありますってば!!)

 > ちょっと勉強してコードネームがわかるようになると、ボクの好きな****が、ある譜面では Am9 と書いてあったり、別の譜では FM7 だったり C(add2) だったりした。

 あおば通のソレ、管弦楽の延ばす音1つ目まで「黒鍵」は出てこない(※1)ときたもんだ。おぬしノリノリでコンコンコンコンしてはるじゃろ。(※恐縮です。弦楽器にはソレ相応の適切なアレがあって「白鍵だけ!」とはいくまいて、の意。)そして、この管弦楽が入ってくるまでの部分は“完全オリジナル(弾き下ろし!)”じゃろ&「青葉城恋唄」とはぜんぜん関係ないじゃろ。…その発想はなかった!(仙台のひとならありますってば@たぶん。)千葉やさいたまのわれわれしんみょーな顔で「ほう…これが『青葉城恋唄』ですか」みたいな…たぶんとんでもない。(※個人の感想です。)それでも、冒頭から「√あーおーばーー〜…じょー・おー…」(※2)と聴こえるんですからスゴイんですよ。これだね。そのあとはあなた蛍の光ですかいくらいの間延びした「せー〜・おー〜・とー〜…、ゆー、かー〜…、し・きー」