フォーラム - neorail.jp R16
発行:2016/2/25
更新:2020/8/26

[3179]

【鉄道と情報】

リアルタイムオンライン座席予約処理装置「MARS-1」(マルス1)を読み解く(前編)


黎明期のコンピューターとその周辺
いま問う「MARS-1(マルス1)」のココロ
日立の「ソフトウェア工場」
「MARS(マルス)」は『電磁的座席予約装置』の直訳
『営業畑』の「ビジネスマッシーン」としての「マルス1(わん)」
鉄道博物館の説明と情報処理学会の説明を読み比べる

(約19000字)

 この一連の記事では、国鉄と日立製作所が共同開発したリアルタイムオンライン座席予約処理装置「MARS-1」(マルス1)を題材として、電気・電子の両分野にまたがる「電気通信」「情報処理」、それらにまたがる「情報通信」について、歴史的な流れをふまえた立体的な理解を目指します。

 前編([3179])では、「コンピューターとは何か」「コンピューターと呼べるのはどこからか」を意識しながら、現在の「データベース」につながる歴史的な流れを追います。このため、黎明期の「装置」を読み解くための基礎知識を導入します。

 そして、鉄道博物館における展示内容(説明文)と、情報処理学会「コンピュータ博物館」における説明文を読み比べます。これにより、電気分野としての成果と、情報分野としての成果を切り分けて見ることができるようになることを目指します。

 中編([3178])では、MARS-1で使われた素子など、ひとつひとつの要素技術に着目し、「装置」全体の立体的な理解を目指します。最新の記憶素子についても概観します。(「素子とは何か」を含みます。)

 そして、当時のきっぷの写真を参照しながら、「乗車券センター」「(交)大阪川口」を読み解きます。ここから、「オンラインリアルタイム処理」を実現するための通信網に焦点を移していきます。

 後編([3177])では、電信回線について実感的な理解を目指し、鉄道電話につながる歴史的な流れを追います。通信網の構築における交換局と端局の階層構造についても概観します。(「通信とは何か」を含みます。)

 記事の中では、勉強のため、「仮定」をしながら見ていく部分があります。最後に「日立評論」の(当時の)記事(技報)を参照して、「答えあわせ」をしてみます。


●黎明期のコンピューターとその周辺


 いま運行管理システムそして連動装置といって、(一般に)なかなか理解が難しいのは、背景的な知識がほとんど普及していないからだと感じます。

[2856]
 > ちょうど1969年3月に東西線、1971年4月に千代田線との直通運転が始まったところ
 > 「自動化するのに時間がかかるなら、できることからやれ」という考えと「いつかは全面的にコンピューターを入れるつもりだから、今はもうしばらくこのままにしておく」という考えがすれ違っていたりします。「自動化のほかにできることからやれ」という意見に対して「できるところから自動化しているではないか」と答えているようなもので、ほとんど噛み合っていません。

 (日本の国鉄では)CTCは1956年から導入が始まり…いえ、「ピコピコ」「カチカチ」のどちらともつかない時期ともいえる1950年代、いかにして情報処理や情報通信が実現され、また、いかなる新技術が構想されていたのでしょうか。

 いま神妙に、「ピコピコ」に関する時代背景のようなものを再確認しておくことにいたしましょう。

・YouTube 「Harwell Dekatron / WITCH Reboot」(2012年11月21日)
 https://www.youtube.com/watch?v=vVgc8ksstyg&feature=youtu.be&t=4s




・YouTube 「The reboot of the Harwell Dekatron / WITCH computer, the world's oldest working computer」(2013年イギリス)
 https://www.youtube.com/watch?v=SYpPPIsxq64




※「1951年製造」と訳している例が見られますが、とんでもない! こんな黎明期にあっては、試作・実験・改良の区別も明確ではなく、ほかのほとんどの装置が(分解され、その次の装置に再利用されるなどして)現存していないように、ずっといじり続けていたと説明されます。どこかの時点をもって「○○年製!」などと断じられるものではないでしょう。「the world's oldest original working digital computer dating from 1951」とのことで、「1951年から動き始めた世界最古で現存するオリジナルのデジタル計算機!」とでも訳したらいいんではないでしょうか。本当でしょうか。(大げさには「歴史に日付の目盛りを刻み始めた」→「動き始めた」と意訳できましょう。)『現存唯一』については[2977]を参照。

※いきなり映像だけ見てもピンと来ないかと思われますが、当時、開発に関わった人たち(1951年に29歳としても2012年には「90歳!」)が招かれ、ほかに、コンピューターサイエンスや博物館の現役の人たちや退職して間もない人たち(40〜65歳くらい)、後ろのほうには、24歳前後の院生がチラホラという、よくあるソレだと理解されましょう。70〜80歳くらいの人がほとんどいないように見えるのは、このためです…たぶん。このあとレセプションといって飲んだに違いありません…などと想像されてきます。

・YouTube 「ibm 305 ramac」(1956年?)
 https://youtu.be/zOD1umMX2s8?t=15s




※まず『買えない』国内のフトコロ事情、そして、(日本を含めて)自由には『売ってくれない』という、「冷たい、冷た〜い時代」だったという(占領、国際情勢、それに経済の)歴史も踏まえなければなりません。

・「1948年」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

・「1950〜1955年」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%89%B9%E9%9C%80

・「1953〜1959年」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%95%8F%E9%9B%84

 > 1953年5月に開発を開始した汎用コンピュータのプロトタイプである***は1954年10月に完成した。真空管よりも計算速度が遅い代わりに安定した素子であるリレー回路を用いており大学・研究所の計算の代行を行った。*A*は1956年に商用化版の***を完成させ、文部省をはじめ30台以上を売り上げた。
 > その後、日本で開発された素子パラメトロンを用いた***などの開発を行った。しかし次世代の素子として業界首位のIBMはトランジスタによるコンピュータ開発へ転換しており、遅れを認識した*A*は*B*を説得してトランジスタによるコンピュータの開発を進めるよう進言した。コンピュータの事業は赤字であったが、*B*は社長の*C*を説得して体制を整え、新たにコンピュータの為の部が作られた。
 > 1959年、社長に就任した*D*はコンピュータに対する関心が高く、*A*を始めとした若手エンジニアが専門知識の講義を行った。

※ぬおー。ぬおー。こういうソレであれば「えきすぱぁとしすてむっ!」([3166])にはならないんではないかなぁ、と、改めて思われました。

・ウィキペディア「コンピューター」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF

 > 1952年 日本初のデジタル式リレー計算機「ETL Mark I」を通産省工業技術院電気試験所(現:産業技術総合研究所)が開発。
 > 1956年 日本初の電子計算機「FUJIC」を富士フイルムが開発。レンズの設計用であった。
 > 1957年 日本電信電話公社の電気通信研究所でMUSASINO-1が開発される。論理素子としてパラメトロンを採用。
 > 1958年 米テキサス・インスツルメンツのジャック・キルビーが集積回路(IC)を発明。
 > 1959年 日本国有鉄道が日本初のオンラインシステムであるマルス1を導入。

 > 1967年 IBMがフロッピーディスクを開発。
 > 1968年 ダグラス・エンゲルバートが、マウスやウィンドウなどをデモンストレーション。

 1960年代に