「A列車 色がおかしい」を越えて進もう
[4780]の補足です。本件ゲームこと「A列車で行こう9」いかにすれば客の気持ちに寄り添えるのかといった話題です。
・(♪〜) https://livedoor.blogimg.jp/ue_r/imgs/d/d/dd50c44a.jpg ・[4802] > これはすごい。 ・[4113] > 線路パーツが地面から浮いているのって、ポリゴンが交差しないようにして計算を軽くしてる実はすごい工夫だったりしませんか。えー…(てんてんてん)。 ・Google「A列車で行こう9 評価」のイメージです https://www.google.com/search?q=A%E5%88%97%E8%BB%8A%E3%81%A7%E8%A1%8C%E3%81%93%E3%81%869+%E8%A9%95%E4%BE%A1 2010年当時の客は技術に明るかった。技術的な観点で作品をレビューしていた。技術上の優劣だけを述べており、そこに好き嫌いの感情はほとんどなかった。技術の話は遠慮なくずけずけ言ってもマナーに反しない。むやみにほめることは現状追認であり進化を止める悪しきことである。本作をかなり気に入っていても、あえてけなすというかたちで叱咤激励していると読み解こう。技術者同士の連帯感のようなものである。レビューするには、こちらにも技術が要るのである。なあに、簡単なことである。 ※いいですか。まずはじぶんより詳しそうなひとの受け売りでいい。そのうちじぶんのものになる。これを勉強という。「受け売り=イコール=だめなやつ!」と思いこませようとしてくる人がいたら、まずその思いこみを疑え。なぜ受け売りではいけないのか。習うより盗め。(※真顔) > グラフィックがシリーズ最高峰。波打つ水の表現、太陽の光、影の表現等は特筆に値するレベル。 > テクスチャの綺麗さでローポリゴンをカバー出来ている所も及第点。 曲面や円柱状のものをポリゴンではなくバンプマップで表現してると言うべき。(キリッ > 車窓モードにおけるグラフィックも非常に綺麗。乗っているような気分が味わえ、かつ横を見ながら走ることも出来るようになった。 A9V4まではよかったのだが、A9V5で(車窓モードでの)カメラの移動のスムージング(フライトモードでいう「慣性」)のような処理(列車の停車と発車をなだらかに見せる処理)がなくなってしまい、動きがぎすぎすして、端的にいえば「酔う」映像になってしまった。 > UIはA8のものを踏襲しており、見易く使い易い。 > グリッドの制約を受ける事無く、より細かな線路・道路の敷接が可能になり、自由度も増した。 > ポイント・交差点・駅保有数等が大幅に増大。従来は2、3桁だったのが4桁となり、より入り組んだマップが作れるように。 > ダイヤも『A列車で行こう6』程では無いにしてもかなり細かくダイヤを組める。 それは「A9V1」の発売当初のこと。アップデートパッチとバージョンアップによって、すでに「A6」を上回る柔軟さを備えている。その上で「欲をいえば」というニュアンスでは「要望24」の「列車24」「駅すた24」「信号24」などを参照してほしい。 > 電力供給システムが厄介 「電力」と「人口」と「乗客数」が連動するゲームシステムだということを理解しないまま、発電所(発電量と「衰退」)だけを見てどうのこうのと言っていてはプレーヤーが廃ります。 ・「要望24」の「列車24」「駅すた24」「信号24」 https://arx.neorail.jp/issue/?%E8%A6%81%E6%9C%9B24,%E5%88%97%E8%BB%8A24 https://arx.neorail.jp/issue/?%E8%A6%81%E6%9C%9B24,%E9%A7%85%E3%81%99%E3%81%9F24 https://arx.neorail.jp/issue/?%E8%A6%81%E6%9C%9B24,%E4%BF%A1%E5%8F%B724 例えば…(てんてんてん)。
「要望」というセンセーショナルな体裁をとっているけれど、その実、こういう細かいことをじぶんで考えていけば、現行のゲームの仕様についても深く理解していけて、その仕様の中で最大の楽しみを見いだそうという態度にもつなげていける(はず)。 https://arx.neorail.jp/appendix/#%E8%B3%87%E9%87%91%E7%A8%BC%E3%81%8E > 「A列車で行こう9」というゲームは、このゲームに向き合うあなたの態度をあぶり出すゲームなのだ。 ・[4405] > > 「これがいい」「これでいい」の違い > > 「これがいい」→(絶対にいい)積極的な選択。 > > 「これでいい」→(これでもいい)消極的な選択。 > > 相手が苦労して善意で用意してくれた選択肢に対して「これでいい」と発言すると、相手に対して失礼極まりありません。 > 相手に対して何も期待してませんというのも失礼にあたるから、スクリーンショットが出てくるたびに「あれはできないのか」「これはどうか」とあれこれ言うことこそ礼を尽くすことになるのだ。 > あるスクリーンショットが1枚出てくるまでにかかった労力が想像できてこそ、じぶんはまったくの部外者だけど、そこの開発に参加できたらきっとこんなことを言ったよ(といっても、同じことを言ったひとはきっと部内にいたはずだよ=いかにも誰かが言いそうなことをじぶんも言うよ!)、というのを遅ればせながら表明するのである。これはもう全力で! 実際にプログラムを書いた人がいちばんエラい。これ絶対。わたしたちはすでに書かれたプログラムの実行結果としてのスクリーンショットを拝むだけではあるけれど、全力で「どんなプログラムなのかな」ということを推測して丸裸に(違)実際にプログラムを書いた人の苦労を追体験したいという欲求があった。それがゲームのプログラムであるかどうかは、ほとんど忘れる勢いでね。 ・[3869] > わたしたちの無能さを無慈悲に暴いてくれちゃうこわ〜いコンピューターだけれど、うまく使えば“ヒント!”になる。 ・[3179] > 情報処理学会では、電気学会とは異なる視点から、すなわち、あくまで「コンピューターの原型」としてとらえる見かたからまとめられています。読み比べてみましょう。 ・[4773] > 「A列車で行こう9『みたいなゲーム』」で何が「正統な考えかた」なのか。「A列車で行こう」シリーズだけを見ながら何分うなっても「答え」など出てきません。例えば「駅名のつけ方」なら書道の先生に顔を借りようじゃないか。あるいはコンピューター・ゲームだからコンピューターの歴史を「正統な考えかた」のバックボーンいわゆる背骨ということに、仮にはしておこうじゃないか。コンピューターはサイエンスであり工学だから、歴史の中で淘汰されて残ってきたものが、いちばん合理性を持つということになる。「正しい」「正しくない」ではないんですよ。合理的なものだけが生き残る。現に生き残っているものに対しては、仮に一定の合理性を認めてあげて構わない。これだね。(※見解です。) ・[4778] > もうひとこと言いますと、コンピューターの歴史は、芸術の歴史とか人の争いの歴史とかではないから、コンピューターがどう進化するのかは、生物のソレと同じで、本当に合理的でなければ、そのような進化はなしえない、といった『うちゅうのハフソク!』(※意訳)に支配されているんですね。だって半導体だの電子だの光だのですからね。芸術の歴史は「流行り廃り」、人の争いの歴史は「おしあいへしあい」だけど、コンピューターの歴史は、そうじゃない。コンピューターを芸術に使う、あるいは人の争いに使うというのは別の話。(※言いかた) ・[3894] > > コンピューターグラフィックスの原点が左上にあるのはなぜですか? > > コンピューターグラフィックスの原点が左上にあるのはなぜですか? 「コンピューターの歴史」はどうでもいいから「コンピューターグラフィックスの原点が左上にあるのはなぜですか?」だけをいますぐ教えろといった態度。(※遠い目) ・[4516] > ここでいう「子ども」には中高生を含む。16歳くらいのひとはちょっとむっとするとは思うけれど、この話ではそういう定義にさせていただく。これは記事の書き手が決めることである。 > ある敷地(バス会社や運送会社の私有地など)から公道に自動車を出すことの重み。子どもにとっては、バスやトラックが道路を現に走っているところからしか見ていかないので、そんなことは考えもしないけれど、なにげに公道を走っているバスやトラックの、実は多大なる苦労の上に成り立っているのだということを学べる機会にしてほしいんですね。「A列車で行こう9」のようなゲームに触れることで、現実の成り立ちとは逆順になるけれど、成り立ちに迫っていくものの見方をしていける。そこを促したい。 機関車というものにも同じことが起きていて、本件ゲームの制作者らの年代ですと、かなり高い割合で、蒸気機関車の写真を撮るというのが、マニアックな趣味ということではなく少年はみんなそれをしていたというようなかたちでブームだったんですね。そのとき機関車は現に線路を走っていてあたりまえ。だけど、それはぜんぜんあたりまえじゃない、実はすごいことなんだと。機関車には固有のけん引力があって、貨車の両数や重量が計算されて、適切な運転をしていくのだと。「A列車で行こう9」のようなゲームに触れることで、現実の成り立ちとは逆順になるけれど、成り立ちに迫っていくものの見方をしていけるといいんですね。 ・(再掲) https://gihyo.jp/dev/serial/01/enjoy-pg/0003 > コンストラクショニズムとは,「学習者は,周りの環境に働きかけることで何かを作り出し,それを認識することによって,新たな理解や知識が作り出される」という考え方です。つまり,知識構造は教師などの第三者から教わるものではなく,学習者自身の手によって作り出されるということです。 ・[4773] > 「A列車で行こう9」で遊ぶだけでも「学習者」という側面が必要になって、「学習者自身」がアクティブに学ぼうと動かない限り、何の学びにもならないということが、あるんです。(※句読点多め)「学習者自身」が「じぶんの中」に知識を構築していくということが、必要なんです。それには相応の期間や労力がかかります。 それはまた、「A列車で行こう9」をつくる側(メーカー)にも言えましょう。「A列車で行こう9」の開発になぜかすごく四苦八苦している(ように見える)メーカーに、わたしたちは「卒研に苦しんでもがく4年生」のイメージを重ねて、ひそかにエールを送ろうかな(どうしようかな)といったところ。(棒読み) ・[3702] > 駐車場24(※仮名) ・[4116] > 出ました『駐車場24』。あの有名な駐車場じゃなくてね。『要望24』の1つ『駐車場24』ということでね。 2019年4月に「要望24」といってまとめ、2020年7月に「開発者向けオプション」として「駅前で松(記念碑あり)」特に「記念碑」みたいに書いていましたら、2020年10月発表のSwitch版で、結構そういう感じ(※当社比)の「観光碑」というゲーム性が盛り込まれていたので、ああ、ちゃんと考えるとだれしも似たところに落ち着くのだなぁという感慨がございました。これまでの「A列車で行こう」シリーズになかったものを見つけようとして、例えばGoogle画像検索を使って資料写真を探す、そういう目でだいたいだれでも同じような画像を見て同じような思考の回路をたどることに、だいたいなるんです。(※「だいたい」に傍点。)メーカーと同じこと(リサーチや企画)が客でもできる環境が、すでにあります。そんな中で、メーカーとしては何をするか、なんですよね。(ぶつぶつ) ※もっとも「観光碑」([4389])ということで、予想のはるか斜め上を行っているとは思いました。そういうところでちゃんと独創性を出すのはふつうのことですし、やろうとすれば必ずできることであります。基本的にはあまり深刻な心配はしていません。(※恐縮です。) ・[3852] > マニュアルや「公式ガイドブック」でうまく説明できないのは、実装が不透明だったり(時間切れで手抜きしたなど)やましいからだ。うまい実装ができたら自慢したくなってぺらぺらなんでも説明するはずだ。説明できてないということは実装がうまくないか、どんな実装になっているのかをレビューすらしていないということだ。それを「4年生が卒研で書いたプログラム」と形容する。 ・[3951] > 電力供給率が60%くらいなのはどうってことはないと気づくまでに10年かかった。なんてこったい。(※静かな悲鳴) ・(6月17日) https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/syukatsu/syukatsu923/ https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/assets/images/post/2022/06/20220610-sn-shinritekianzen2-16-716x403.jpg > 「ああ、それ私の仕事だったんですね、知りませんでしたって」って話がでてきたりとか「やらなきゃとずっと思ってましたが、教えてくれる人がいなくてやり方が分からなかったんです」といった話になるかもしれない。 > 「あなたはABCDEFのうちDとFができてないのでA〜CとEをやってもらえますか」と、具体的な行動レベルで依頼してみる。 ・「デル主催CGコンテスト「CGごはん」結果発表!」(2020年6月10日) https://cgworld.jp/feature/CGgohan_title.jpg https://cgworld.jp/feature/foodsnext202006-2.html > 使用ツール > Maya,Redshift,Photoshop > シンプルなカツカレーです。 特にカツの衣の表現にこだわりました。 改行文字が半角空白に置き替わっていることを瞬時に見抜いてこそエンジニアだ。(※ソコジャナイ。) https://cgworld.jp/feature/images/202006_CGgohan/Pro_4_Nakagawa.png ぬふっ。(※声にならない声) ・[4741] > ビデオゲームとはいうけれど技術上の制約が絶望的なまでに厳しかった。どんなに工夫しても、なんかピコピコしてるだけという空しさがあった。それを吹き飛ばすべく、ああいうライターに活躍させてごまかしていたのである。ゲームソフトの出来はどうでもいい。ライターが何かやってくれる。変なシナジーである。いまはもう、どんなゲーム(表現)でもできる技術があるのだから、ゲームの作者(≒メーカー)はライター(がつくってくれる“空気”)に頼らず自立していてしかるべき。ゲームそのものの出来がシビアに批評される時代を迎えている。 https://akier.hatenablog.com/entry/2020/08/11/090000 https://twitter.com/manabuueno/status/1069159716532641792 ・[3862] > > 「ユーザーを愚かに見せるな」 > > ユーザーを非人間的に扱うシステムへの強い憤りがある。 ・[4429] > ここでひとつ申し訳ないのは、わたしが「HX」と「A8」をよく知らないということです。「A9」の骨格は「HX」であるから、これはもう、サイバーフロント殿の懇切丁寧な助言のもと、実はすごくよくシミュレーションエンジンがつくりこまれているという期待が持てるのであった。 > > 列車の接近を「当たり判定」というゲエムギョウカイ標準の発想で実装しちゃう(※推定)悪しき面が裏目に出た ・[4164]