・既知のゲームのオリジナルあり検(※独自に作成)
(約22000字)
[4741],[4773],[4777]の補足です。
・[3894]
> > コンピューターグラフィックスの原点が左上にあるのはなぜですか?
・[4563]
> 「A列車で行こう9」に限らず、CGでは座標の原点は左上にあります。これを常識とまで言っていいのか、相手がゲームするだけの中高生なら躊躇するけれど、パソコンを使って当然の大学生以上から一般に対しては、これは常識だと言いたい。そうしないと常識と言える範囲がどんどん狭くなってしまう。それでは常識というものが廃る。
・[3879]
> 考えられる限り正統な考えかたを示しているので、これに従わないとか反発するというのはただちにアレな態度だということがあぶりだされます。もちろん、どんな態度でゲームに臨んでもいいんですけれど、アレな態度で臨んでいると自覚されたしということです。あしからず。
・[4776]
> > このネーミング、サンドイッチのたまご!たまご!たまご!から来てると思います。
> ローソンのネーミングをローソンのネーミングだけで説明しようとする“具”の骨頂(違)よ。
わたしたちは社会の中で生きている社会的な存在です。何かの「お手本」は、必ず社会のどこかに、すでにあります。あるいは「お手本」とも思わないうちに、社会の何かから影響を受けています。ローソンのネーミングがローソンの中だけで完結するなんて見かたは、どうかおやめなすって。
・[4773]
> 「A列車で行こう9『みたいなゲーム』」で何が「正統な考えかた」なのか。「A列車で行こう」シリーズだけを見ながら何分うなっても「答え」など出てきません。例えば「駅名のつけ方」なら書道の先生に顔を借りようじゃないか。あるいはコンピューター・ゲームだからコンピューターの歴史を「正統な考えかた」のバックボーンいわゆる背骨ということに、仮にはしておこうじゃないか。コンピューターはサイエンスであり工学だから、歴史の中で淘汰されて残ってきたものが、いちばん合理性を持つということになる。「正しい」「正しくない」ではないんですよ。合理的なものだけが生き残る。現に生き残っているものに対しては、仮に一定の合理性を認めてあげて構わない。これだね。(※見解です。)
もうひとこと言いますと、コンピューターの歴史は、芸術の歴史とか人の争いの歴史とかではないから、コンピューターがどう進化するのかは、生物のソレと同じで、本当に合理的でなければ、そのような進化はなしえない、といった『うちゅうのハフソク!』(※意訳)に支配されているんですね。だって半導体だの電子だの光だのですからね。芸術の歴史は「流行り廃り」、人の争いの歴史は「おしあいへしあい」だけど、コンピューターの歴史は、そうじゃない。コンピューターを芸術に使う、あるいは人の争いに使うというのは別の話。(※言いかた)
> コンピューターが壁一面の大きな箱だったとき、実は中に人間が入ってるんじゃないか、みたいな風刺の漫画などたくさんあったと思う。「コンピューター」なるものを自称してくる「どう見てもただの箱にしか見えない箱」が本当に「コンピューター」なのか。乱数を見せるのが手っ取り早い方法だったのだ。あんなでたらめは人間にはできぬ。(ぼそっ
・[4755]
> 大昔の「マイコンホビー」みたいな時代からずっとそういうひとがいたのだけど、コンピューターというものを習わずに、特殊なゲームができる特殊なゲーム機だとしか思わないでコンピューターを使うひとがいるのよね、みたいにぶつぶつ言ってください。
・[4086]
> 「現実を考えると」と言う割にはぜんぜんリアリティを気にしてないお子さまだとばれてしまうよ
> 「現実を考えると」と言う割にはぜんぜんリアリティを気にしてないお子さまだとばれてしまうよ
・[4116]
> しつれいした。「リアリティというものをまだ知らないお子さま」にていせいする。(※ひらがな)
・[4086]
> ▼市川市経済部のかたがすなる「方向角による格子状道路における2点間の迂回率の予測」(2014年)については[3283]を参照。「現実を考えると」とはこういうことだ。
・[4116]
> 市川市役所には経済部があって、そこの人は「方向角による格子状道路における2点間の迂回率の予測」とかいう高校1年生みたいな計算して技術報告(論文の技術者バージョンみたいなもの)を(げふ)すると昇進できるみたいなのがリアリティというものだ。
・[4773]
> コンピューターといえば三角関数で大砲か乱数で暗号というイメージが(すごく大昔の文系のひとには)あって、グラフィックが貧弱だった時代からコンピューター・ゲームといえば北海道の大樹町みたいな大草原で大砲の角度を数値で入れてエターナルが試されるゲームとか、敵艦が乱数で動いて小麦の輸出を妨害してくるゲームとか、そういうかたちのシミュレーション・ゲームこそが(「ぼくら」の)コンピューターだぜ(ひゃっほう!!!)という空気を共有していたと思うんです。
> 乱数で何か出ることが役に立つとかおもしろいかじゃない、そこに乱数を使ってますよーとこれみよがしに出すことこそが、コンピューターを使ってます感を演出する『マストアイテム!』(※古っ)だったんだね。
・[4223]
> 「A列車で行こう9」という鉄道を題材にしたPCゲームの中で架空の駅に駅名をつけるときの注意点を書道の先生にきく。書道の先生にきくにあたっては「書道ではどうか」「似たような判断が迫られることはあるか」という“ワンクッション”あるききかたが必要になるけれど、ちゃんと答えてもらえるはずだ。作品とは何かとか、審査員を務めたときの体験とか、何かそういう具体的なことに即してね。
・[3680]
> > ふだん接点のないスタッフが何人も足を止め、自分がハマったゲームの思い出を生き生きと語ってくれました。
> > ゲームはそのときだけの娯楽ではなく、心に残り続けて人に語りたくなるパワーも秘めていると感じました。
まさに「ふだん接点のない」、「A列車で行こう」というゲームと「書道の先生」。(※詠嘆)
> そこだけいうと「立ったまま会議!」みたいでアレですけど。
> > **さんが注目したのは、昭和から平成にかけての名作ゲームの開発資料です。多くは会社の倉庫やクリエーターの自宅で眠ったままになっていたということですが、世界を席けんした当時のアイデアの多彩さを今に伝える貴重な資料として収集・保存するプロジェクトを立ち上げました。
> > 「1つの会社が抱え込むべきものではなく、ゲーム業界全体、あるいは日本を代表する産業としても貴重な遺産だと思っています。ゲームのれい明期を支えた私たちのような老兵は退いていきますが、生まれた頃からゲームが当たり前にあった若者が新しいゲームを作ってくれる事を信じています」
ひとくちに「ゲーム」としか呼ばれないところに危うさがあるけれど、そのタイトル(シリーズ)の第1作(オリジナル)は、どのようなプラットフォームで、どのように開発されたものなのか。これをしっかり区別してほしい。
●既知のゲームのオリジナルあり検(※独自に作成)
・ままごとやごっこ遊びや演劇に類するもの:料理、動物の飼育、仕事体験ゲームなどの、あるいは積み木からの「マインクラフト」のようなもの(用意されるのは部品や衣装や舞台だけで、ぜんぶじぶんでやる)
・アナログのカードやボードがオリジナル:それを忠実に再現したりアレンジしたり(略)対戦相手をCPUにやらせる(1人ゲーム)
・コンピューター・ゲームがオリジナル:大学の研究室で計算機の長い計算を待ちながらのひまつぶしだからゲームに終わりはない(乱数を使って無限に遊べる『不思議のダンジョン』)
・アーケード(ゲームセンターの「台」)がオリジナル:いちはやくゲームオーバーにするためのいやがらせてんこ盛り(株式会社アートディンクの本業はココらへん)
・家庭用ゲーム機がオリジナル(初期):ビバ機械語。太陽がまぶしい。もうこんな時間か(ry
・コンピューター・ゲーム(BASIC):大学でBASICを習いさえすればだれでも何かつくれる(「A列車で行こう」はココ)
・家庭用ゲーム機がオリジナル(後期):開発工程がある程度「流れ作業」(分業)になって、いわゆるクリエイター(笑)もとい『ノンエンジニア』が紅茶を飲みながら優雅に開発(※紅茶は演出です)
・おもちゃがオリジナル:たまごっちの類(子どもに持ち歩かせて、ほかの子どもにも買わせる)
・ソーシャルゲーム:ゲームの形をしたSNS
※あくまでCPUがあって画面
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