(約9000字)
「実例に見る日英対訳」としては「夏目漱石と正岡子規」([4316])に続いて「森鷗外」になります。(※「に」に傍点。)
・[4052]
> とびっきりの笑顔で「どれにする?」
・[3786]
> どれにする? …ど・れ・に・す・る?
> > あれかしと思う
> これにするだよ!!
・[3677]
> > この子がねッ!急に**〜とか言い出しちゃってデスね…
・[4803]
> そもそも『交響組曲』という日本語での表記自体が、これを最初に使った者による変な創作であって、その者の作品に固有のタイトルの一部のような語句ではあった(はずだ)。「交響曲の組曲」を端折って活字を減らして印刷代を安く上げたのである。現代でいう『炭火焼鳥』(すみびやきちょー! すみびやきちょー! しゅーてんだよおきゃくさーん!!)の仲間である。(※画期的な新説)
> 路線バスでいえば「姫神」である。
・(2021年2月24日)
https://pbs.twimg.com/media/Eu-HyKCVgAAkGXW.png
https://twitter.com/shinkibus/status/1364460068326895619
> 西日本初!!!
> 燃料電池バス「SORA」
▼「神姫、空を飛ぶ」については[4154]を参照。
・「コマンド?」が あらわれた!
https://youtu.be/cUlBcEKGLkA?t=16
https://pic3.homemate-research.com/pubuser1/pubuser_facility_img/0/2/8/2700000000000065820/0000041197/2700000000000065820_0000041197_1.jpg
てけてけてけてけ…ぷりじゃっ!? ぷぷぷー…
・[4690]
> ぷっぷくぷー。(※サウンドロゴ)
・[3673]
> わん(違)はふはふ(もっと違)
https://twitter.com/lantis_staff/status/788359782268665856
> ランティスの最後のサウンドロゴ、シネスコサイズにして下さい!!!
・[4690]
> アスキーメディアワークスみたいなのを東宝みたいに見せられても、…なんだかなぁ。(※ソコジャナイ。)
・[4682]
> 日本コロムビアいったいいつからあるんだ。それが日本コロムビアです。
「日本コロムビア」は7文字とも漢字で日本語だ。(※建前)
・[4667]
> “オニギリ”(※戦前なのでカタカナが基本)にはうるさい。“オニギリ”(※戦前なのでカタカナが基本)だけは俺に任せろタイプ。
ひらがなだけ特別で、カタカナから、カタカナをパーツとして組み合わせて(もっとほかのパーツも持ってきて)漢字を書くー(↑)みたいな変な感覚が戦前のひとにはあったはずだ。だから「日本コロムビア」は7文字とも(いまでいう)漢字で日本語だ。「コロムビア」だけが何か浮いた感じに仮名で書いてあるという感覚はまったくなかったはずだ。(※建前)
・[4191]
> タイプライターが普及した歴史がないのに修正液だけ普及するおかしさ。果たし状は定規で描く。(※意訳)
・(♪〜)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b1/Merchant%27s_Houses_%28Boso_no_mura%29_01.JPG
・[4626]
> 「寫」という漢字について
> > かきうつす。文字や絵などをもとのようにかきうつす。
> > ありのままにうつし取る。
> この字体で「寫」と書かれているのを見て江戸の庶民は何を想うだろうか、といったこと。(※体言止め)現代のわたしたちがテレビで「写楽」を「写楽」という字体で表記してあるのを見て、「写楽」という字体でしかとらえないまま勝手気ままに想像を巡らせてゆく。この段階で既に重大な情報の欠落がある。(※考えかた)
・[4041]
> …ばんじょー!! 歯科大経由だぜコピーはB4だ兄弟。(※誤訳)
https://stat.ameba.jp/user_images/20140824/21/outofservice4044/47/f5/j/t02200165_0800060013045298547.jpg?caw=800
マリピンとか言うなや。(※真顔)
・[4599]
> 「万事休す」の言い間違えみたいに&大げさに「天を仰ぐ」ポーズで「ばんじょー!!」と叫ぶ。「ジェラシー」の意味を「悲劇」と間違えて覚えてるみたいに&さらに言い間違えて「ギャラクシーだぜ」と言ってみせるとGOOD!!(違)
https://www.aoni.co.jp/search/ginga-banjo.html
> 喜多流謡曲教士、中型自動車運転免許
> 恋するベーカリー
> わくわくサイエンス
https://img02.naturum.ne.jp/usr/y/e/l/yellowandblack/ellen-2.png
・[4690]
> 1941年は昭和16年です。もうぜんぜん不満のない音で残っている。1941年の、日本で粗悪な材料で、マイクの近くでエンヤコラと大声を張り上げるようなのとは違って、すごくちゃんとしている。GRAMMOPHONであった。
ローマ字で書かれた、だけど凝りすぎてて変な字体になってる「MARINPIA」(※全角)の読み間違いに端を発してる説と、無理やり略せばそうなるという説に、「マリン」では略した感じがない説。…どー・れー・にー・すー・るーっ?(※しかしだれもきいていなかった。)GRAMMOPHONをカタカナでカッコよく書け。えー…(てんてんてん)。後からできたとはいえ「マリン」は野球場を指す。「マリン」と「マリピン」を使い分ける“新稲毛”。(棒読み)
https://lohas.nicoseiga.jp/thumb/10958864i?
・[4797]
> セグメントが違う。…セグメントとか!?(※真っ青)
・[4305]
> 「複線トンネル」に『ゲーム性』を
> どういうことだかわかりますか。これはかなり複雑ですよ山田君。せんせいはすごくうれしそうです。山田君はすっかりうれしくなってしまいました。(棒読み)
・[3679]
> 「複線シールドトンネル」といえば三越前−水天宮前間(1990年11月)に決まっておろう
・[4797]
> すれ違うセグメントの概念。セグメントは多義語である。
・[3673]
> 『シールドトンネルのふるさと稲毛!』に地下鉄がない
> シールドトンネルのセグメントを製造している大成ユーレックの工場([3517])
「シールドトンネルのセグメントを製造している大成ユーレックの工場」がある『シールドトンネルのふるさと稲毛!』と「新稲毛」のどちらも「稲毛」だという実感はあるか。…ないね。(キリッ
・[4482]
> ゲームの中の地下鉄を架空の水天宮前…もとい「祇園町」まで延ばすのはよいけれど、神社から送り出されて飛行場へ向かい、片道切符で飛び立つようなものを連想させる表現を安易にするのはとんでもないことだということはわかっておいてほしい。
> それはそれとして、田園都市線のような路線を水天宮前みたいな施設だけで折り返していたのである。こちらをすごいと思ってほしい。ゲームの中で駅をいくらでも大きくできるからといって大きくする(終着駅の番線数をやたら多くする=近鉄みたいに!!)ばかりではお子さまだ。二言はない。その意味では、水天宮前までで路線が終わりのときに水天宮前まで乗る客はほとんどいない、ということが意味を持っていたのであった。水天宮前では乗降が少ないからスムゥズに折り返しができる。このため、地下鉄の終着駅というものは変な場所に造るとよいのである。仙石線は新幹線の仙台駅から1つ先「あおば通」までまいります。三田線だって、国鉄の品川駅に接着してしまうと乗降が多くなりすぎて三田線の運行(折り返し)が成り立たなくなる。田町駅前などという絶妙に不便なところで止めておくことが必要だったのだ。これは中途半端ではなく、必要だからしてあることだったのだ。○か×か。(※あくまで考えかたです。)
・[4803]
> 英語の「シンフォニー」を明治時代に森鷗外らへんが翻訳して、「シン」と「フォニー」に、それぞれ漢字をあてたのが「交響」でしょ、の意。「交響」という日本語があるわけではない。これはあくまで「シンフォニー」の翻訳だから、たまたま森鷗外らへんのひとがあてた漢字そのものに意味を見い出そうとしてはいけない。ツインターボ師匠(違)▼「「かのう山」とひらがなで書いてあるのと同じ状態」については[4684]を参照。本質的にはどんな漢字をあててもよいのであって、いま定着している「交響」はあくまで仮のもの(エイリアスのようなもの)。英語の「シンフォニー」という言葉だけが実体を持つ。
えー、この点につきまして、このたびちゃんと調べなおすまで「夏目漱石でしょ」と思い込んでいたことをしょーじきにはくじょーしまーす。(棒読み)
・(公財)日本近代文学館
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/11971/
> 文学者たちとの交響
> 同時代あるいは後につづいた作家たちと、鷗外/鷗外作品との交響の様を追います。
そのように「交響」という語を使ってみせるのは、事実上の森鷗外“専用”である。(※一般には用いない。)無理に漢字をあてず「シンフォニイ」「シンフォニイ」と連呼していても、それはそれでよかったのデース。…ですでーす!(※個人の感想です。)
・(2019年6月21日)
https://twitter.com/kiri_moko_cafe/status/1142035404708700160
> シンフォギアはGXまでにお好み焼きやビーフストロガノフ、焼き肉が食べたくなるようなシーンがあったけど、これだとカロリーが高すぎるからAXZではトマトを推奨してきたあたりに制作陣の視聴者への気遣いをすごく感じる
https://www.aozora.gr.jp/cards/000810/files/fig52355_01.png
※画像は青空文庫より村井弦斎「食道楽」です。
・[4407]
> > 宇宙家族カールビンソンって漫画に、ビーフカタストロフって書いてあったのが脳にこびりついてまして
・[4659]
> とろけるカタストロフ。
ひびきあう「埼玉りそな銀行」。(※体言止め)
・[4414]
> 料理と掃除! 「組織」と書いて「うち」と読むぅ!!
牛肩すかし。…いやさ、すけるくらいうすいかもだけどさ。(※ソコジャナイ。)
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/004.html
> カンパツオイレズと読むのは間違いだと言われました
> カン・ハツオイレズのように区切りるのが正しい読み方
ギュウカタスカシとギュウ・カタスカシの違い。(※だからソコジャナイ。)
> キラボシノゴトクと読む人がいます
> 本来の読み方は、キラ・ホシノゴトクとキラで切って言います
> 最近の国語辞書では、誤用が一般化したためか、「美しく輝く星」として「キラ星」を見出しに立てているものもあります
▼「期待の新人」からの『新星』については[4797]を参照。
・[3886]
> 星がきれいですね。…じゃなくて、雪じゃなくてよかったですね。そうですねー!!
・[4186]
> 雪がきれいですね。(※言いかた)
・[3688]
> > ばんじょー!! 我々『切りたった崖の下から「てんかのけん」と書かれた矢印…いえ、いわゆる断崖絶壁みたいなのを仰ぎ見るみたいな顔!』で(中略)
・[3576]
> ばんじょー!! 岩にささった「てんかのけん」が抜けなかったのですごすご帰ってきたような
> ※ばんじょー:万事休す。碁盤目状の盤上の上で詰む。くやしそうに叫んでみせるとGOOD!! ふんだりけったりとはこのことだよ。
https://pbs.twimg.com/media/DNTWzDZVwAAtkbH.png
エンジニアならFAXなおそうよ。(※ソコジャナイ。)
・[3672]
> わあぃ崖にささった「てんかのけん」が抜けたらキミはゆうしゃだっ!!(違)
・[4592]
> > 坊っちゃん(1906)〈夏目漱石〉四「おれは勇気のある割合に智慧が足りない」
> がばい夏目漱石だがね。夏目漱石とその真似でしか、そういうふうには書かんのと違うかね。
現代の日本で「割合になになにが足りない」の“コロケーション”(*)を使えば、ああ、夏目漱石の真似ですねと“によによ”されるしかない。「交響」についての森鷗外と、同じ感覚である。現代のクールなジャパンが誇る「シンフォギア」を見たとして、▼正岡子規は黙って席を外し、▼森鷗外は眉をひそめ、▼夏目漱石は喜んで課金して全編いっきに見る(はずだ)。…「課金」とか!?(※真っ赤)
・[4778]
> 夏目漱石で自動人形でウンディーネである。
・[4810]
> ウンディーネといえば大船であり、夏目漱石といえば自由が丘である。
1902年(明治35年)に、▼正岡子規34歳(この年に没)、▼夏目漱石35歳(お札の肖像の10年前!)、▼森鷗外40歳(20年後に没)ということなので、年齢というのはよくわからないものである。(棒読み)そして2022年は森鷗外の没後100年ということである。
・[4763]
> 「刻まれし」と「刻みし」とで大違い。(違)
https://pbs.twimg.com/media/EUhuFD4UcAA7fKP.png
> まさに「正宗の名刀で速射砲と立合をするような奇観を呈出」。ご先祖様は驚いたり怒ったりするかもしれないけれど、夏目漱石せんせいは驚きも怒りもしないと思う。その時代にすでに「正宗の名刀で速射砲と立合をするような奇観を呈出」と言及していた夏目漱石せんせいならね。
・[4778]
> そのまた源流がホフマンだという話でした。
・[4378]
> > 広辞苑は今年の7版への改訂で「『今だに』とも書く」という注記を加えました。
> 「今だに」と書くのは夏目漱石だけで、わたしたちが「今だに」と書けば夏目漱石を気取った気障な文だということ以外の何物でもない。そんな文章はよほど私的なところや文責がはっきりしていて「キャラが立つ!」という場面でしか書いてはならないことは論を待たない。(※何かの説明文を淡々と書くときに気障な表現を使ってはならない。)そういうことを考えずに“素”で使う(※漢字変換で出たからとか、どっちが正しいかわからないからじぶんで考えたらこっちのほうがいいとか、使っていたら間違いだと言われて腹が立ったので余計にそっちを使うとか)という用例はなくなっていく方向感ではあると思う。そのような方向感について判断も言及もせず「『今だに』とも書く」とだけ書くのは無責任である。中央本線で松本まで出て形態素解析である。言い換えれば、形態素解析は松本である。ちなみに管理工学研究所は松茸である。(違)
中央本線で松本まで出て…!!(※高まる何か)
*夏目漱石しか用例がなくても「コロケーション」と呼べるのかは不明。ただ、夏目漱石は特殊で、現代につながる「日本語の見本帳」「ことばの博覧会」といった趣き・役割が(歴史的に)あるとみなせば、夏目漱石に倣った用例がいくつもあれば「コロケーション」かもしれない。本当でしょうか。「コロケーション」の定義がよくわからなくなってきた。(※恐縮です。)
・[4610]
> > マヨネーズの価格も高く
> > マヨネーズの価格も高く
> > 昭和初期に陸軍糧秣本廠が編纂した陸軍公式レシピ集『軍隊調理法』では「軟食」の分類にて卵黄・西洋酢・サラダ油を主体とするマヨネーズの製法が記されている。
> そもそも、マヨネーズとは、その場でつくるものであって「マヨネーズの価格」という概念はなかった。いわば「大根おろしの価格」である。その場でつくる大根おろしに「大根おろしの価格」という確たる概念などあるものか。
・早稲田大学 歴史館「大隈伯爵家家温室内の食卓」(1904年)
https://www.waseda.jp/culture/archives/news/2015/10/19/1595/
https://www.waseda.jp/culture/archives/assets/uploads/2015/10/d1343e54f0b9c892b7087f769405f836.jpg
本家というか、早稲田のほうにきれいなのがあった。…これはハッピーホームアカデミーがはかどるぞい。(違)1904年は明治37年です。およそ120年前。だいぶ「新しい」という感覚があります。いわゆる「文明開化」の風景ではない。もっと遅い。…んお! ちょうどそういう「フシギなかべがみ」があるではないか&あるではないかっ。(※だから違)
※「大隈伯爵家家温室内の食卓」はあえて原文ママ。▼「密林さんと自然休講」については[4566]を参照。(※ジト目)
https://arx.neorail.jp/regions/?%E9%A7%85%E5%90%8D%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%91%E6%96%B9
> 町名は地層のように地域の歴史を記録するものです:どの町名が古くてどの町名が新しいのかを説明できるようになりましょう
いわば年代の「遠近感」を承知しておきたいということだが、それはすごくたいへんなことであるのも承知している。
・[4798]
> > 140年の歴史のある当店のカレーは、函館ハリストス正教会でロシア料理とパン、ケーキのつくり方を習得した初代料理長五島英吉が創始し、二代目店主初代若山徳次郎が帝国ホテルで修業中会得した技術を加味し、函館の材料を風土に合わせてアレンジし、今日まで続いている本格派カレーです。
> フランスとロシアが混ざったヘンテコなジャパニーズ函館料理といったところ。(※言いかた)
https://www.yourelm.co.jp/yachiyodai/elmsalon/images/main_photo02.jpg
料理がきれいですね。(※言いかた)
※画像はユアエルムです。
https://www.obayashi.co.jp/company/history/year_1904.html
> 大量の軍需によって多くの産業の近代化を促進した。
> 負傷兵のための病院が各地で建設された。
> この年、これまでは大林店や大林芳五郎店としていた店名を「大林組」と改め、東京に出張所を開設した。
「大林組」の説明でした。「大林組」が「大林組」になったのが1904年だということでした。「大林組」を「大林組」にしたのが明治37年だという言いかたもできます。(※謎のトートロジー)
・[4614]
> > 大正7年(1918)まで、天皇から銀時計が授けられた
> 知識や学問という見えないものを『見える化!』したアイコンなんだよ。
・「寺田寅彦「科学と文学」昭和8年」
https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2011_10/series_08/series_08.html
昭和8年は1933年です。これはもう「すごく新しい」。
> > 文学者の文学論,文学観はいくらでもあるが,科学者の文学観は比較的少数なので,いわゆる他山の石の石くずぐらいにはなるかもしれないというのが,自分の自分への申し訳である。
> この文章で著者は,謙遜しながらも,科学者である自身の文章が文学に興味を持つ人々にとっても,「いわゆる他山の石の石くず」程度になるのではないかと記しています。つまり,文学の世界から見れば「よその山」にいる自分が科学者の立場から書いた文学論であっても,読者の参考になるところがあるのではないかと言っているわけです。「他山の石」の効果的な使い方といえるでしょう。
寺田寅彦くらいにしか用例がないのを真似れば「寺田寅彦ですね、わかります(によによ」としかならないので、なかなか「「他山の石」の効果的な使い方」というのはないということになる。(※反語)
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