フォーラム - neorail.jp R16

「A列車 色がおかしい」を越えて進もう


2021年8月の話題
更新:2024/3/31

[4614]

【ふれねる「自由研究 数学」の回(KAI)】

ふれねる「自由研究 数学」の氷(HYO)


(約12000字)

 [4613]の続きです。


[4608]
 > この話が、どう「自由研究 数学」になってゆくのでしょうか。

[4610]
 > 思わぬところに思わぬ最新情報が…(てんてんてん)。

[4613]
 > 2022年度からの「歴史総合」のガイダンスである。
 > ぬるい番組だと思ってぼーっと見ようと思ったのに2022年度からの「歴史総合」云々で目が覚める。

・(再掲)
 https://www.kawai-juku.ac.jp/highschool/analysis/geography-history/total/

 > 「歴史総合」における技能が「諸資料から歴史に関する様々な情報を効果的に調べまとめる技能」であるように、現行教育課程でも求められていた資料の活用は、「歴史総合」でより重視されており、調べまとめる際の「情報」とは、「主に様々な資料を通して収集」することを求める。

 > 新学習指導要領「内容の取扱い」では、「年表や地図、その他の資料を積極的に活用し、文化遺産、博物館や公文書館、その他の資料館などを調査・見学したりするなど、具体的に学ぶよう指導を工夫すること」を求めるが、この言及については「日本史A」「世界史A」と大枠変わっていない。ただ、「歴史に関わる諸資料を整理・保存することの意味や意義に気付くようにすること」と「科目の内容に関係する専門家や関係諸機関などとの円滑な連携・協働を図り、社会との関わりを意識した指導を工夫すること」という部分が加わり、新学習指導要領解説では、配慮事項として「諸資料の活用と関係諸機関との連携について」という項目を立てて詳述しており、その中では、歴史の学習を卒業後まで継続させ、生涯学習へと発展させる点にまで言及している。

 学校の授業だけではぜんぜんわからないよということを、学校の先生も前置きしてから授業していたという遠い記憶に加え、だから生涯学習が大切ですよという社会教育主事みたいなことを学校の先生が言っていたような遠い記憶も。(※細い目)

 > 新学習指導要領解説では、資料について、歴史学習に関わる様々な性格の資料(文献・絵図、遺物・遺構、地図、統計など)以外に、「作業的で具体的な体験を伴う学習によって得られた幅広い資料」を含めており、「活用する資料の選択について」という別項目を立てている。ICTの活用については、「歴史総合」の項目の中ではとくに言及はない。

 ▼じぶんで調べてまとめるという学習と、▼すでによく調べてまとめられているものを参照して『よく理解』する学習との両立。▼何もかもじぶんで調べるのでなく調べるのは他人(※じぶんよりはるかに高度な専門家)だが、そのひとが正しく調べているのかどうかを(じぶんは専門家ではなくてもなお)じぶんでも確かめようという態度。

 このところの番組は間に合わせでとってつけたような仕上がりにならざるを得なくなっている面もあるけれど、この間に撮りためられた映像素材はすばらしいので、2022年度からの「歴史総合」に使えるような番組に再構成されることを期待しておこうではありませんか。(※勝手な期待です。)

 https://www.kumamoto-u.ac.jp/kenkyuu_sangakurenkei/sangakurenkei/chiikirenkei/syakyou/syakyosyuji

 > 生涯学習概論
 > 生涯学習支援論
 > 社会教育経営論
 > 社会教育演習

 令和2年度からの「社会教育士(講習)」について「熊本大学」の説明でした。ありがとうございました。(棒読み)

[4026]
 > > 売上高・販売費・管理費・営業外収支・特別損益の合計をひとまとめにして、最後の当期純利益を記す方法もある。この見せ方で、なるほどと思う社員と、なんでこんなに固定費がかかるのかと疑問に思う社員に分かれる。この疑問が社員の成長の始まりである。社員への計数教育の時は、必ず社員から質問をする時間を持ち、何もない場合は、こちらから投げかけて興味を持つようにもっていくことが大切である。また、「一回研修したからあとは分かっただろう」は、禁物である。

 > > これまで興味がないことに対して、たった一回で興味を持つような人は多くはない。理解度によるが複数回実施する計画で社員の成長を見届けて欲しい。

 「これまで興味がないことに対して、たった一回で興味を持つ」というところをあっけなく乗り越えて夢中にさせるものが、テレビ番組(※もちろん配信でも円盤でもいい)にはやっぱりあるのだ。

※円盤とか言うなぁぁぁ!!(※エコーはいりまーす)

 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2018/03/29/1403202_1.pdf

 > 作業的で具体的な学習を取り入れる
 > ↓
 > 作業的で具体的な体験を伴う学習を取り入れる

 うーん。

 https://nie.jp/study/pdf/reference_02.pdf

 > > 調査や諸資料から,社会的事象に関する様々な情報を効果的に収集し,読み取り,まとめる技能を身に付ける学習活動を重視するとともに,作業的で具体的な体験を伴う学習の充実を図るようにすること。その際,地図や年表を読んだり作成したり,現代社会の諸課題を捉え,多面的・多角的に考察,構想するに当たっては,関連する新聞,読み物,統計その他の資料に平素から親しみ適切に活用したり,観察や調査などの過程と結果を整理し報告書にまとめ,発表したりするなどの活動を取り入れるようにすること。

 …どゆこと?(※ジト目)

 > なお,今回の改訂においては,「作業的で具体的な体験を伴う学習」について,これを重視している。これは,作業的で具体的な体験を伴う自らの直接的な活動を通して社会的事象を捉え,認識を深めていくことを期待しているからである。

 つまり、どゆこと?(※超ジト目)

[3944]
 > 本件ゲームを通して(客の)しょくんらの受けてきた教育が暴かれる。

 > ▼「じぶんには関係ないやつ(≒筑駒みたいな人だけやってればいいやつ)」といって見なかったことにしてみたり(略)

 https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/textbook/adoption_policy_other/survey_research_materials/files/research_2021_2024_jhf/04-r-2.pdf

 > 都立白鷗高等学校附属中学校の教育課程
 > 作業的・体験的な学習や適切な課題を設けて行う学習の充実を図る。

 白鷗みたいな学校のひとだけがやってればいいやつとは思わないでほしいみたいなことを口が酸っぱくなるまで言い続ける。(※見解です。)

 > 教科書の調査研究
 > 調査研究項目(調査研究の対象)
 > 地域の学習資源や大学、国際機関等、社会の学習資源を活用している箇所数
 > 作業的で具体的な体験を伴う学習や適切な課題を設けて行う学習において、地域にある歴史資料館や図書館等を活用した調査、身近な地域の史跡等のフィールドワークなど、身近な学習資源を活用している箇所数を調査する。

 江戸東京博物館に行ってとことこ走れ。(ぜったい違)

[3668]
 > あーちゃん、いっちゃん、うーちゃん、えっちゃん、おーちゃん、かっちゃん、きぃちゃん、くーちゃん、けんちゃん、こーちゃん(大巾に中略)…よっちゃん、わっちゃん。みんなおるな。よしよし。(違)われわれ何かを待ちながら羽の下のほうなど…ココジャナイ。

[4047]
 > > 2014年に,京都の藤原良相邸跡という遺跡(9世紀)から,宴会などに使われて廃棄されたと思われる土器に,墨で平仮名が書かれたものが数多く出土したことが明らかになりました。

 この藤原良相が、あの藤原良相であると、頭の中でつながっていたか。記憶にございません。(※個人の感想です。)

 > えー…(てんてんてん)。それは何が書いてあったんですか。「これはあーちゃんのね!」みたいに「あ」と書いてあったとでもいうのですか。(※ジト目)

 > > 公式でない用途

 > そうじゃない。たぶんそうじゃない。宴会だから私的だと決めつけてはいけない。(棒読み)もっと自然に、現代のわたしたちもそうであるように、形式ばった公用語(書き言葉としての標準語)と日本語(母語かつ話し言葉=方言を含む)の違いが平仮名というところにあったということをだれか解明してください。…一人で!(違)

[3387]
 > 17歳から9年間で「標準26歳」だっ!(22歳では若すぎる!)
 > 難しい仕事をするには少なくとも26歳までは勉強しないと務まらないよねぇ、ということが、歴史上、何度、忘れられても、再び思い出されるんですよ…たぶん。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E8%89%AF%E7%9B%B8

 > 大学寮で学ぶ学生の中で貧しい者がいれば綿や絹を与え、冬に寒さが厳しい折には多くの服を縫って四学堂に宿直する者に遍く与えた。

 https://takenobuinari.jp/guide/isunboushi/

 > 武士になるために、お椀の船で京へやってきた一寸法師が住み込みで奉公させてもらうことになるのが歌にある「京は三条の大臣殿」の屋敷であり、三条の大臣殿とは西三条大臣といわれる、武信稲荷神社を創祀した藤原良相公その人である。

 > 武信稲荷神社は藤原大臣の屋敷、藤原氏の学問所のあったところで、一寸法師が暮らした物語の舞台になった場所である。

 ましてや「一寸法師」をや。(※詠嘆)

 > 逃げた鬼は、振れば願いが叶うという打ち出の小槌を落としていった。

 「光秀のスマホ」じゃあるまいし。(※ジト目)

 > 武士になるために

 わかりやすく「武士になるために」ということにされるけれど「学問所」じゃないか。学問を修めれば、することなすこと手柄になって出世できると説く。(※表現は演出です。)「武士」という言葉だけでは平家や源氏から家康までを想起してしまう。藤原良相の時代、858年あたりの時代にいう「武士」とは、どのようなものか。…ここテストに出ます!(※表現は演出です。)

 https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A6%E5%A3%AB-124344

 > 10世紀の前半のころから京都と地方に登場する原初の武士

 それより前の時代に「武士」と定義できる存在はなかった。○か×か。

 > おのおの別個の存在であった「つわもの」「さぶらい」「もののふ」は、以後平安時代末期から鎌倉時代へかけて複雑なプロセスをたどりながらも、しだいに武士とよばれるにふさわしい同一実体として融合し、それとともに社会的・政治的地位を高めていった。

 > 10世紀のころから、合戦をもって業とする者が「つわもの(兵)」、官人貴族に仕えて家政や警固をあずかる者が「さぶらい(侍)」、そしてまた武力をもって公(おおやけ)に奉仕する者が「もののふ(武者)」とそれぞれよばれて、各分野に登場するようになった。武士ということばは、これらが登場するころから、そのおのおのを武力にかかわる存在として表現するときに用いられるようになってきた。

 > 官人貴族に仕えて家政や警固をあずかる者が「さぶらい(侍)」
 > 官人貴族に仕えて家政や警固をあずかる者が「さぶらい(侍)」

 https://www.weblio.jp/content/%E4%BE%8D

 > 身分の高い人のそばに仕える。「侍医・侍従・侍女/近侍・奉侍」

 > 平安時代以後、親王・摂関・公卿家、寺家、社家、院家に仕えて家務をつかさどった家人(けにん)。多く五位、六位に叙せられた。

 > 平安時代、皇后宮・中宮、そのほか後宮・親王・摂関家・大臣公卿家などにみな侍がいて、恪勤(かくご)と呼ばれ、家司の下層部を占めた。これらは多く五位・六位の者が用いられたので、次第にこれら諸家に仕える五位・六位の者を侍と呼ぶようになり、一種の家格となった。

 それを勝手に「武士」と言い換えてはいけない。もっと○か×か。

・こちらは「レファレンス協同データベース」であります(2019年6月7日)
 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000258085

 > 渋川版御伽草子の鬼が逃げ出す場面の文章(『御伽草子の精神史』pp.266〜267参照)で「打出の小槌」「杖」「しもつ(鞭)」と表記されているが、その場面の絵には「打出の小槌」「隠れ蓑」「隠れ笠」が描かれている。なぜ文章と絵に違いがあるのか知りたい。

 > > おそらく打出の小槌と一体のものとして描きこまれているにちがいないのである。すなわち、打出の小槌と蓑と笠とは三位一体の呪具として一寸法師の手に帰したものと思われる。本文中で蓑と笠について何ら言及されていないうらみは残るのだけれども、しかし、当時の読者が挿絵の図柄をごく自然なものとして受容したであろうことは想像にかたくないところである(後略)

 > > (中略)打出の小槌、杖、むちなど、何もかも捨てて逃げていった。挿絵に描かれている打出の小槌以外の物は隠れ笠と隠れ蓑であろう。これらの名前は本文に書かれていないが、絵と本文を相互に補い合うことによって、本文の「何に至るまでうち捨てて」に含まれていると思われる。(後略)

 「なぜ文章と絵に違いがあるのか」という質問者の態度は即物的すぎないか。わたしはサービスを提供する立場ではないので質問者をも疑わせていただく。(※見解です。)

 > > (前略)『一寸法師』は室町時代に遡る伝本を持たない作品である。(中略)現在のところ丹緑本としての伝本が見出せず、(中略)『一寸法師』は寛文期に初めて板行されたと考えられている

 > 当該事例にコメントをいただきましたので、情報を追記します。

 レファレンス協同データベースで「追記」!(※詠嘆)

 > > 「一寸法師」の鬼は、「打出の小槌、杖、しもつ(苔)、何にいたるまでうち捨て」て逃げるのであるが、その「何にいたるまで」のなかには、蓑笠が大きい比重で意識されていたらしいふしがある。というのは、『御伽草子』のさし絵には逃げて行く鬼と、それを追う「一寸法師」が描かれているが、その間に、もっとも目立つ、大きさと位置に、蓑笠が配してあることからも、想像できる。蓑笠は、鬼の、かくことのできない小道具であったのである。

 「隠れ蓑」「隠れ笠」というのは迷彩柄ってことですな。(違)逃げかたを考えながらすっと消えるように逃げたのでなく、逃げるようすがぜんぶ見えるような(追われるとか見つかるという心配をする余裕すらなくして)ひどい逃げかただという表現なんですな。大根とやかんと枕を抱えて走る。えー…(てんてんてん)。

 https://russellhobbs.jp/wp-content/uploads/2020/07/main7106jp-smh.jpg

※本文とは無関係です。

・「御伽草子を深く読む」(2019年5月30日)
 https://www.nijl.ac.jp/koten/tachikawa/saito.html

 > 「えくてびあん」2011年4月号掲載記事より

 > 室町から江戸にかけての説話研究です。博士課程に入った頃は、室町末に作られたお経の注釈書を勉強していました。面白いたとえ話や和歌、ことわざ、御伽草子とそっくりの話などが載っていて、興味を持ちました。

 比叡山の「おみくじ」。(※恐縮です。)

 > 御伽草子も室町から江戸にかけて作られたもので、『一寸法師』『ものぐさ太郎』なども御伽草子です。たいてい綺麗な挿絵があり、絵と一緒に楽しまれていました。そこでいくつかの作品を読んでいるうちに、観音信仰が反映されている挿絵に出会ったのですが、本文にはそんなことは書かれていない。その時、本文だけでなく、「挿絵を読む」楽しさを知り、御伽草子も勉強するようになりました。

 > 御伽草子の時代には、庶民が活躍して富貴繁盛、めでたしめでたし、で終わる物語がたくさん作られました。庶民の夢を語ったのかも知れませんね。
 > 実は『源氏物語』を踏まえているなど、作者の教養が隠れていたりする。当時の学芸、教養が盛りこまれ、知的な遊びに満ちているところに、魅力を感じます。

 > テクストによって挿絵が違う
 > テクストによって挿絵が違う

 レファレンス協同データベースの本件質問者が「テクストによって挿絵が違う」という興味から本件質問をしているとは…認めがたいかなぁ。(※個人の感想です。)

 https://www.tv-osaka.co.jp/ip4/tabi/onair/1316173_6111.html#spot-1320789

 > ここがおみくじ発祥の地と言われている。
 > 元三大師(がんざんだいし)が観音様から授かったという100の言葉が書かれている。

・(2021年1月3日)
 https://jocr.jp/raditopi/2021/01/03/215173/

 > 「アマビエ」でもない「鍾馗」でもない、実在した人物が霊験者として魔除けとなった「角大師(つのだいし)」が注目されている。この人物は「正月三日」が命日。それゆえに「元三大師(がんざんだいし)」と呼ばれる。

 > 平安時代に活躍した僧、良源(912〜985)のことだ。

 > 平安時代後期から鎌倉時代にかけて良源に関する説話集が作られた。

 > 定心房(じょうじんぼう)とは大根の漬物のことで、元三大師がこれを発明したことから、元三大師の庵の名を取ったという。

 > ほかに「おみくじ」の発案者としても知られる。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%AF%AE

 > 757年(天平宝字元年)には大学寮公廨田(後の勧学田)が設定されて学生に対する給食が行われるなど、制度の充実が図られた。

 > 大学制度の範を唐の制度に求めたものの、儒教による国家統治の原則が確立していた唐とは違い、仏教や古来からの神道が儒教と並立した日本の支配階層においては、儒教理念が唐よりも重視されず、それ以上に教養としての漢文の知識が必要とされた

 > 806年(大同元年)には10歳以上の諸王と五位以上の官人の子孫の就学を義務付ける勅が出された。

 > 平安時代前期に相当する9世紀から10世紀初頭にかけてが大学寮の全盛期にあたった。

 > 勧学院は弘仁12年(821年)、藤原冬嗣によって創建され、貞観14年(872年)以前に大学別曹として公認された。大学別曹は有力氏族の学生のためにつくられた寄宿舎である。

 ▼「陰陽寮」([4603])についてはコズミックフロントの安倍晴明を見たと伝えるとスムーズです。▼「文章博士」については知恵泉の菅原道真を見たと伝えるとスムーズです。見ず知らずの者同士で“それ”を話題にするときに、どの程度や範囲の知識を前提にするのかということをスムーズに共有できる。これこそがテレビというマスな媒体の“御役目”ではありませんか。コンテンツそのものが配信でも円盤でも見れるよということとは別次元である。(※見解です。)

[3625]
 > サザエさん(原作)に出てくる感じの
 > 「おばあちゃん」は女学校を出たのよとか「おじいちゃん」は銀時計をいただいたのよみたいな

[4012]
 > 府中というくらいだから中世に外国人の数学者がそこにいてもおかしくないとは思った。(※恐縮です。)▼読売新聞「奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前」(765年)については[3387]を参照。

・(9月19日)
 https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210919/1000070375.html

 > 府中市中心部にある「府中基地跡地」
 > 高さ100メートル余りの鉄塔などが残る通信施設

 > 市の中心部からアクセスが良い場所で、府中市では、これまで25年間にわたって東京都とともに早期返還を求めてきました。
 > 市によりますと、先月の日米合同委員会で通信施設やケーブルが埋設された土地の権利なども含めて、およそ1.7ヘクタールの土地が今月末までに返還されることが決まったとの連絡を国から受けたということです。

 まさに思わぬ最新情報。(※七五調)

[4462]
 > 765年にもなれば都にはペルシャ人役人がいる時代になるけれど、699年に独断で(許可された程度を大きく超えて)外国人から知識を得たりすれば流罪にはなるだろう。○か×か。

 https://kotobank.jp/word/%E6%89%93%E3%81%A1%E5%87%BA%E3%81%AE%E5%B0%8F%E6%A7%8C-210656

 > 異郷から得た不思議な力をもつ道具を主題にする宝物譚(たん)
 > 異郷を訪問した男が、土産(みやげ)に小槌をもらってくる。

 > この類の宝物譚は外国にも多いが、中国の唐代の『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)続集』に、新羅(しらぎ)の古伝としてみえる、鳥に案内されて異郷を訪れた人が、金の槌を得て、欲しい物を自由に出し、長者になる話がこれに近い。

・「横浜市の米軍跡地、新交通システムは「再検討が必要」 三セク社長」(9月21日)
 https://digital.asahi.com/articles/ASP9N6V0DP9LULOB00R.html

 > 第三セクターのトップが市の施策に異論を唱えるのは異例だ。

 さらに最新情報。

 > 「中間駅がなく、テーマパーク来場者しか利用しない。上瀬谷ラインが生き残れるかはテーマパーク次第になってしまう。そもそもテーマパーク来場者しか利用しない路線が公共事業としてふさわしいのか。通勤や通学、ショッピングやレジャーなど、さまざまな目的をもって利用するのが公共交通機関。上瀬谷の先の延伸計画を具体化し、将来のまちづくり全体を考える視点が必要ではないか。今はテーマパークありきのような雰囲気になっている」

 > 「運行事業者は特許申請時に開業目標を書く。もし間に合わなければ、当社が責任を問われる。だが、市からは具体的なスケジュールを示されていない」

 3セクはこうでなくちゃ。(※見解です。)

[4265]
 > 「ぼくがとうだいにいたとき」

 https://www.weblio.jp/content/%E9%8A%80%E6%99%82%E8%A8%88

 > 東京帝国大学を優等で卒業した者の俗称。大正7年(1918)まで、天皇から銀時計が授けられたのでいう。

 銀時計とはいわないけれど、学問を修めた証だとか外国語で勉強したといったことをまぜこぜにして婉曲的に言っているんだよ。知識や学問という見えないものを『見える化!』したアイコンなんだよ。えー…(てんてんてん)。(※表現は演出です。)

 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E5%AF%B8%E6%B3%95%E5%B8%AB-31489

 > 室町時代を背景とする物語

 > 『一寸法師』はいわば町の文芸で、京や大坂あたりの市民階級の間で知られていた類話を基に、文学にしたものであろう。

 室町時代に、それより前の時代の「昔話」というテイストで語るが、室町時代の言葉を使って語るという“ねじれ”。(※詠嘆)

[3811]
 > > 5番まである歌詞に登場する地名は「京」「三条」「清水」。「そのため、京都出身と思われることが多い」と嘆く。
 > > 滋賀県の造船会社に強化プラスチック製のおわん舟を2隻発注。

 > そこは滋賀県なんですね。というより「川」と「京」あってのストーリーなんだから、大阪だけ強調するのはいけないね。

[4612]
 > > 福井、石川県境の刈安山までつながった。

 > 「福井、石川県境」ということにどれだけ意味があるだろうか。(※詠嘆)

・(♪〜)
 https://blog-imgs-117.fc2.com/c/a/n/cancan522/IMG_20180414_8522.jpg

※画像はイメージです。

・「富山県総務課」であります(1970年9月)
 https://www.pref.toyama.jp/documents/11866/021-s4509.pdf

 > ヤァー
 > どうです

 > テレビ
 > みんなの県政

 ぬおー…(てんてんてん)。

 > 加賀藩の初期、前田家は、利家、利長の二代にわたって、支配地の商人や職人に各種の特権を与えてこれを優遇した。井波の大工と氷見の大窪大工も、特権を与えられた職人のグループである。
 > (略)与八郎の家は田村を姓とし、番匠屋と称し、井波木彫の宗家として多くの徒弟を養成し、現在にいたっている。

 > 大窪大工は、はじめ金沢城の修築など、藩の御用に応じいたてが

 「いたてが」は原文ママ。

 > 阿尾城跡(氷見市)

 > ここは、中世の山城から、近世の平城に移る過渡期の平山城で、城地としてその地形、地勢、位置が当時の戦術上最適であり、このような海岸の丘陵に築かれた城郭の類例は極めて少ない。
 > 築城の年代は明確でないが(以下略)

・(一社)氷見市観光協会の説明です
 https://www.kitokitohimi.com/site/tourism-guide/284.html

 > 築城の時期は不明ですが(以下略)

 何としても築城の年代を正確に特定してやろうというモチベーションはあまりないのだろうか。詳しい事情はぜんぜん知らないけれど、例えば、関連研究で付随的には傍証が発見されていても、研究上の話題にならないので出版物などで紹介されることがなく、一般や地元の者の知識が深まることにはつながらないのだろうか。…気になります!(※たわし)

 > 人気コミック『花の慶次』の主人公・慶次
 > 発掘調査によって15世紀後半から16世紀末頃の遺物が出土する一方、近年の研究によって、城下に形成された町の様子も明らかになってきました。

 これだけでおなかいっぱい。そんなことでよかったのでしょうか&しつれいしました。(※ひらがな)

・(♪〜)こちらは「日本商工会議所」です
 https://ab.jcci.or.jp/article/50406/

 > > 先祖の名前が分かっている江戸時代初期から数えると十五代目ですが、さかのぼれば、実際にはもっと長く続いています

 > > 穴太衆は家ごとにいろいろな集団に分かれていました。うちも当初は石工(いしく)の一人で、江戸時代の後半に家として独立して、粟田家としてやるようになりました。ただ、江戸時代中期になると城をつくることがほとんどなくなったので、仕事はどんどんなくなり、穴太衆の数も減っていきました。うちは比叡山延暦寺をはじめ周辺のお寺や神社の石垣を手掛けていたので、仕事が切れずに生きながらえてきました。石垣以外に一般土木や建築などもやっていたようです

 いちばんくわしい。日本商工会議所だから信頼できる。昔話ではなく現代に生きる企業像を描き出すものである。よそには書いてないことが書いてある。本当でしょうか。(※恐縮です。)

 > > 祖父の仕事を見ていると、本当に石が『ここに置け』と話しているかのようにポンポンはまっていく。祖父はいつも石を見ていて、現場に着くとまずそこに残っている石を全部見て、昼飯後すぐにまた石を見ていました。どの石がどこに入って、その次はこれと、将棋のように何手も先を読む感じで考えながら見ていたんだと思います。

 まさに「自由研究 数学」ですよね。いわば『歩くGNN!』『生きGCNs!』なんですよね。17代目になれば、そういう話が、できると思うんです。(※恐縮です。)▼「東芝の事実上のAI」については[3676]を参照。


 [4615],[4616]に続きます。


この記事のURL https://neorail.jp/forum/4614/


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