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(約5000字)
[4616],[4618]の補足です。
・[4026]
> > これまで興味がないことに対して、たった一回で興味を持つような人は多くはない。
・[4614]
> 「これまで興味がないことに対して、たった一回で興味を持つ」というところをあっけなく乗り越えて夢中にさせるものが、テレビ番組(※もちろん配信でも円盤でもいい)にはやっぱりあるのだ。
・[4616]
> > 城の魅力を最新研究に基づき紹介する人気シリーズ!
> 幕末までずっと江戸城の天守があったかのように思っていなかったか。…ギクッ。
> 「明暦の大火」のCGで「火災旋風」が描かれているのも「最新の研究成果」の1つ。
・(2018年7月1日放送)
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180701
> 去年、東京駅近くの工事現場から、江戸時代265年の地層が初めて一度に出土した。そこには、大火の跡「火災層」が幾層も残されていた。最新研究から、江戸は3年に一度の割合で大火に襲われる、“世界最悪の火災の町”だったことが判明。さらに、竜巻のような炎「火災旋風」が猛威を振るっていたことも分かった。
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/2018/0701/img/img_02.jpg
NHKスペシャルで使うべく制作されたCGをそのまま「ニッポン不滅の名城」でもお使いになる。マルチユースとはこのことだ。
・(9月17日)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/senpai/senpai88/
> テレビの天気予報の重要性って何かっていうと、定期的に見てもらう、毎日見てもらうことだと思っているんです。
> 台風や大雨でこの地域に被害が出そうだ、というようなことが数日前からある程度、分かるようになってきました。
> 習慣としてテレビで毎日天気を見てもらえると、数日前にそのことを知って備えることができますよね。
> そういう意味で、ネットだけで単発的に情報を得るのではなくて、毎日天気をテレビで見てもらうっていうのは重要だと思っています。
ここなんですよね。朝夕刊セットとはいわないけれど、ほかの番組もだいたい見てますという前提でね。(※「だいたい」に傍点。)逐次刊行物なんですよね。(※そうともいう。)
・[3489]
> > 自分が今いる場所で5分後に雨が降るか、という程度なら、天気予報に頼らずとも空の色や空気のにおいでわかるものです。とはいえ、最近は天気予報が「曇り」だと言うと傘を持たずに出て、雨の気配にも鈍感な人が多いようで。というより、天気についてあまりにも無関心なのではないでしょうか。となると、私の「感覚」の話はまったく通じないのかも。あな恐ろしや。
> 天気予報なんてもとから大ざっぱなんですから(=細かくするほど外れるんですから)、かなりの部分はじぶんの頭の中で大気の状態の(かなり雑ですけど)シミュレーションをしていますよね。うん。(※あくまで私見です。)
> > 湿度に対する感覚が研ぎ澄まされいて、博朗さんも尚靖さんも天気予報がいらないとおっしゃったことには驚きました。
> > 現代人にはまずあり得ない感覚。
> それは聞き手のあなたが驚きすぎなのであって、必要があればそのくらいの感覚は身につきましょうとも、ええ。
> > お店屋さんとかビルの守衛さんなどは実際、聞くともなしに天気予報を耳にしつつ、空も見上げつつ、さりげな〜く傘立てを出したり引っ込めたり。それが「風の息づかい」「五感」ということで、何も特別なことではないはず。
・[3460]
> 排水しないと渦を観察できないとか、円筒容器じゃないとダメなんてことはなくってですね(中略)シャワーから湯を出しつつ、浴槽の湯の中でシャワーをある深さ、ある角度で保持するとですね(中略)3秒くらいで直径2cmくらいの渦が発生し、3秒くらい継続しながら深さ5cmくらいまで水面から空気を吸い込んだところで急に消滅しますよ。本当でしょうか。その答えは、みなさま、ぜひお風呂で試してお確かめください。台風を上下さかさまに、水と空気を逆にしたようなものですかねぇ。もっと本当でしょうか(後略)。
・消防庁消防大学校 消防研究センター「市街地火災時の「旋風」・「火災旋風」の現象解明をめざして」
http://nrifd.fdma.go.jp/research/seika/kamitsu_toshi/senpu/index.html
http://nrifd.fdma.go.jp/research/seika/kamitsu_toshi/senpu/img/img002.jpg
http://nrifd.fdma.go.jp/research/seika/kamitsu_toshi/senpu/img/img003.jpg
> 1923年の関東大震災では、人々が避難していた陸軍被服廠(工場)の跡地であった空き地に旋風が襲来し、この場所だけで約3万8千人もの方が亡くなりました。
> 旋風の発生条件や発生メカニズムはいまだ解明されておらず、その対策も全くとられていないのが現状です。
地面と空を上下さかさまに考えれば考えやすい…かもしれない。
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/019/086/46/N000/000/000/126614086339816218869.JPG
> 東京提携販売センター
「東京提携販売センター」って、何ぞ?(※ソコジャナイ。)
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B3
> ヤン‐ヨーステン【Jan Joosten van Lodenstijn】
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3
> ヨハネス・ヨンストン(Johannes Jonston、ポーランド名: Jan Jonston、イギリス名:John Jonston、ラテン語名: Johannes Jonstonus、1603年9月15日 – 1675年)
よんすとん…よーす…八重洲っ!!(※すごく何かに気づいてしまったみたいな顔で!)オランダとポーランドでの綴りの違い。ありふれた名前。いつか来たみち。どこへゆく東京駅。○か×か。(※表現は演出です。)
・[3403]
> 「『Y. Migazakim』とされるセンセイ」については[3123]を参照。
「Miyazaki」が「Migazakim」にされてしまう。(※遠い目)
・(2017年12月13日放送)
https://www.nhk.or.jp/buratamori/list/index-91-100.html
> 江戸時代になるまで、人がほとんど住んでいない一面の荒野でした。
・(再掲)
https://smtrc.jp/town-archives/city/kichijoji/index.html
> 江戸での大火から「吉祥寺」の門前町の住民が移住し吉祥寺村を形成。
> 1657(明暦3)年、江戸で「明暦の大火」が発生、現在の「水道橋」の北側にあった大寺院「吉祥寺」や門前の住民の家も焼失した。その翌年にも大火があり、「吉祥寺」は駒込へ移転、門前の住民には、「武蔵野台地」上の原野の土地が与えられた。
> 寺院の「吉祥寺」自体は武蔵野へ移転しなかったが、門前の住民たちが移転してきたため、吉祥寺村と呼ばれるようになった。
このとき「江戸」の町が郊外まで広がったのです。(棒読み)「ソメイヨシノ」と「吉祥寺」が同じ時代の同じ理由によるものという理解に到達したい。
・東京都公文書館「江戸の範囲〜天下の大江戸、八百八町というけれど」
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0712edo_hanni.htm
> 明暦3年(1657)大火以後
> 京橋木挽町東の海洲部分、赤坂・小日向などの湿地の埋め立て。
> 本所深川の開発。
…えっ。「吉祥寺」はまだかっ&まだなのかっ。(棒読み)
> 延宝年間(1673〜1681)
> 北は千住から南は品川まで町屋が続く「大江戸」が出現。
「吉祥寺」は「大江戸」の外側である。○か×か。
> 延享年間(1744〜1747)
> 町地の強制移転により「代地町」が増加。居住町人の増加により、寺社門前町を町奉行支配に。
「東京都公文書館」の説明でした。
・再び「(一社)千代田区観光協会」です
https://visit-chiyoda.tokyo/app/upload/spot_image/1aa3700243b9d019f8fe37088bc20268.JPG
https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/41
> 元和の天守は元和8年(1622)、二代将軍秀忠の本丸改造の際、慶長の天守を撤去して新しく建てたもので、翌9年に完成し、高さは慶長の天守を上回っていたといわれています。
> 寛永の天守は、寛永15年(1638)、三代将軍家光のとき、元和の天守台(現存の天守台)に建てたもので、「江戸図屏風」によると金の鯱をのせた五層の天守閣でした。
このへんの図が「浮世絵ミステリー」に出てくる。薬草園が出てこないのはともかくとして、番組内で説明に必要とあらば浮世絵だけじゃない資料がちゃんと出てくる。そこは大丈夫です。(※詠嘆)
> この寛永の天守は、明暦3年(1657)の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれます。これが現在残る天守台ですが、四代将軍家綱の叔父である保科正之の戦国の世の象徴である天守閣は時代遅れであり、城下の復興を優先すべきであるとの提言により、以後天守閣は再建されることはありませんでした。
それでも「松前城」。(※ジト目)
・(参考)「松山城」といえば「井戸」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b2/Matsuyama_castle%28Iyo%2910.JPG
https://youtu.be/wHoGijP7pX0?t=38
https://www.matsuyamajo.jp/matsuyamajo/culture.html
> 南北2つの峰を埋め立てて本丸の敷地を作った際、谷底にあった泉を井戸として残したといい伝えられています。井戸の直径2m深さ44.2mで当時の技術では、通常、掘ることができない深さがあります。
ありがとうございました。
https://www.matsuyamajo.jp/matsuyamajo/castle.html
> 黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。
「松前城」なんて目じゃないとおっしゃる。(※表現は演出です。)
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