・「桜の森の満開の下」(1947年)から「6970年」(1970年)まで(談)
(約16000字)
[4365],[4652]などの補足です。
・[3489]
> > 自分が今いる場所で5分後に雨が降るか、という程度なら、天気予報に頼らずとも空の色や空気のにおいでわかるものです。とはいえ、最近は天気予報が「曇り」だと言うと傘を持たずに出て、雨の気配にも鈍感な人が多いようで。というより、天気についてあまりにも無関心なのではないでしょうか。となると、私の「感覚」の話はまったく通じないのかも。あな恐ろしや。
> 天気予報なんてもとから大ざっぱなんですから(=細かくするほど外れるんですから)、かなりの部分はじぶんの頭の中で大気の状態の(かなり雑ですけど)シミュレーションをしていますよね。うん。(※あくまで私見です。)
> > 湿度に対する感覚が研ぎ澄まされいて、博朗さんも尚靖さんも天気予報がいらないとおっしゃったことには驚きました。
> > 現代人にはまずあり得ない感覚。
> それは聞き手のあなたが驚きすぎなのであって、必要があればそのくらいの感覚は身につきましょうとも、ええ。
> > お店屋さんとかビルの守衛さんなどは実際、聞くともなしに天気予報を耳にしつつ、空も見上げつつ、さりげな〜く傘立てを出したり引っ込めたり。それが「風の息づかい」「五感」ということで、何も特別なことではないはず。
・[4047]
> おおハムよ、どうしてあなたはハムなの。
「The next station is」、伊藤公記念公園。ぱーっざつぇん、『さくら』。
> …さくらといえば伊藤公記念公園だもん! ただのさくらじゃないもん、伊藤公記念公園/さくら(イトウコウキネンコウエン/サクラ)だもん!!
> > 伊藤公記念公園/さくら(イトウコウキネンコウエン/サクラ)
> という施設名(POI)なのか。…覚えた。(※ジト目)
> おおハムよ、どうしてあなたはハムなの。
おーそれおーいハムがみるー!!(違)
・[4165]
> 頭上注意にご注意ください。
https://www.city.hikari.lg.jp/material/images/group/139/ito007.gif
https://www.city.hikari.lg.jp/material/images/group/139/dou.gif
・[3766]
> …えっ、なになに?(略)ガフン!! …だから頭上注意って、いったじゃないですかぁ。頭上注意と言われて足元を見るのがわれわれかもしれませんね!! そうですねー!!
・[3732]
> これはひどい。えー、かわいいと思うんですけど。は・あ・ど・でぃ・す・く…って、なんですかっ。
・[3739]
> 高温注意。本体に触れないでください。
・[3766]
> えー、どれどれ?(略)あつっ!!
・(2009年11月9日)
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/326556.html
> オー・ソラ・ミオという愛称、どこかで聞き覚えのある(略)
> はとバスの2階建てオープンバス「‘O Sola mio」に乗ってきた
https://asset.watch.impress.co.jp/img/car/docs/326/556/06.jpg
> イタリア人男性歌手による“オー・ソレ・ミオ”
> 歌詞は“オー・ソラ・ミオ”に変更
リアル「観光ガイドのジジ」。はとバスにガス欠なし。(※個人の感想です。)
・[4120]
> 「桜公園」の桜が花の季節から葉の季節に変わるときの色の変化(「季節による色彩変化」)が、花のRGB値と葉のRGB値の間を、RとGとBそれぞれ粗いステップ数でリニアに(※途中のRGB値を持っているのでなく、RとGとBをバラバラに、それぞれの変化量を何等分かした等間隔の値ずつ変化させて)グラデーションするみたいに動くものだから、色が変わる途中の(ゲーム内のカレンダーの)日付ではとんでもないRGB値になるのだけれど、そんなことをぜんぜん気にしていないふうなのが腹が立つ。
人から誘われて花見をしたとか、それすらせず、テレビで花見のニュースや天気予報コーナーが中継に出てるとか、それしか見たことないみたいな言い分でのうのうと(以下略)。
・[4125]
> 遠くから見て桜の木の全体的な色がRGB値で何色1色という雑な見方をするのがそもそも雑なんですけど、それにしても花だったものが連続的に色が変わって葉になるんじゃない。花が落ちて、新芽が出て、葉桜になるんだ。映像のエフェクトでいえば「ディゾルブ」なんだよね。銀色のところをコインでこするんだよね。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/71/27ee6a967fc638e1bb86471f8a87b7c0.jpg
もういちどだけいいます。人から誘われて花見をしたとか、それすらせず、テレビで花見のニュースや天気予報コーナーが中継に出てるとか、それしか見たことないみたいな言い分でのうのうと(以下略)「花だったものが連続的に色が変わって葉になるんじゃない。花が落ちて、新芽が出て、葉桜になるんだ」ということすらも、まったく考えたことがないかのようなようす。桜の木を花見の時期以外にはまったく見ないのか。毛虫が落ちてくるとか、いわゆるさくらんぼが落ちてくるとか、その掃除をするとかいった実体験はないのか。(※個人の感想です。)
・(2020年8月11日)
https://dailyportalz.jp/kiji/somei_yoshino-notauchi_mawaru
> 毎年見てるはずなのに、花しか目に入ってなかった。
> それも春のほんの一瞬だけである。
桜の木を花見の時期以外にはまったく見ない人が…いた。(※茫然)
> あらためて幹や枝に注目して見ると、ソメイヨシノはちょっと尋常でないのたうち回り方をしてる。
> 小学生に人気の虫といえばダントツでカブトムシだが、ソメイヨシノのゴツゴツした厳つさも同じく男の子趣味だと思う。
その前に毛虫だ。二言はない。
> あらためて考えると街路樹界の異端児である。
川沿いなどに植わっているものは街路樹ではない。川沿いの歩道などは道路ではない。…えっ。(※絶句)
https://img.dailyportalz.jp/5015/9710/7416/017.jpg
舗装されて道路に見えるかもしれないが、細長い公園の「とおりぬけられます」である。ぜんぶ水道局である。
> JAXA調布航空宇宙センターの桜並木へ
その敷地もまた、戦時中はどういう土地だかお調べなすって&おほほほほ。(※笑っていない)なお「JAXA」は戦後の役所なので、戦時中のことをみずから言及することは基本的にない。これは民間の資料で調べてほしい。
https://smtrc.jp/town-archives/city/chitosekarasuyama/p04.html
> 国は「東京都市計画」において、『航空界の趨勢並防空上の見地より帝都の周囲には更に飛行場増設』が急務であるとして、北多摩郡調布町、三鷹村、多磨村地内(現・調布市、三鷹市、府中市)の約53万坪に飛行場計画を策定、東京府(現・東京都)により1939(昭和14)年度から建設された。
「国は」とは書くけれど、現在の「国」とは無関係である。えー…(てんてんてん)。
> 戦時色が強くなった1939(昭和14)年、陸軍の小銃を製造する「東京重機製造工業組合工場」(現「JUKI」)が国領に誕生。同年、「東京調布飛行場」が着工、「国立中央航空研究所」(跡地は「調布航空宇宙センター」)設置、翌々年には「中島飛行機三鷹研究所」(跡地は「国際基督教大学」)も設置された。周辺の工場においても、軍需品の生産が行われるようになり、「日本針布」は「風船爆弾」の製造にも関わった。
そこに住むなら知っておいてよねという「三井住友トラスト不動産」でした。ここまで民間の「三井住友トラスト不動産」による説明をそのままご覧いただきました。…みたいなことを言ってみせる権限すら、現在の役所にはないのよ。(ぶつぶつ)
・[4028]
> デフォルトでは底なしの疑いをかけられた中からはいあがるのが民間である。はいあがる手段が各種の手続きなのだ。…だから「陰性の証明書」を求めてしまうきらいはあった。民間というものが潜在的に持つ矛盾よ。
・[4408]
> 矛盾も含めての民間の自覚というか矜持よ。(※詠嘆)
・[4008]
> 「ほしいひとは連絡ください」「使用したら報告してください」というのがいけない。いわばパブリッシャーたりえていないということである。書店で買えない本は本ではない。
・[4639]
> 「ほしいひとは連絡ください」「使用したら報告してください」というところを商売にしているのだ。人脈をつくってほかの商売につなげる。えー…(てんてんてん)。(※それが民間の商売の基本です。)
・[4408]
> じぶんたちを民間だと思っていない。
・[4524]
> 『JRから特別に認められた弊社』(同業他社は民間の野良の有象無象だが弊社は違う)みたいなノリを許してはならぬ。
・[4005]
> [4000]からはじまる一連の話題とは無関係です。
・[4406]
> Switch版「A列車で行こう はじまる観光計画」の話題であります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E3%81%AE%E4%BA%95
> 路地の入り口には、あちこちに「ぬけられます」あるいは「近道」などと書いた看板が立っており、この街を荷風はラビラント(迷宮)と呼んだ。
> 関東大震災後の復興に際して、浅草では銘酒屋の再建が許可されず、亀戸とともに銘酒屋営業が認められた玉の井は、ますます繁栄する。
https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/13/7d/24/ad/caption.jpg
※画像はイメージです。
・[4617]
> > 江戸時代になるまで、人がほとんど住んでいない一面の荒野でした。
> 「ソメイヨシノ」と「吉祥寺」が同じ時代の同じ理由によるものという理解に到達したい。
なお、「都会の男性」という単純化しすぎたペルソナをもう少し補うとすれば、これは「都会生まれ都会育ちの」ではなく「都会で仕事をしているだけの」ということである。「仕事をするためだけに都会に来た」「仕事に直結する教育を受けるためにいやでも都会に出ないといけなかった」ということでもある。むしろサクラというのはお城だとか大きな学校だとか、すごく大きな川の堤防だとか、要するに都会にあるものなのだ。○か×か。なるほど公立の学校の校庭に、4月上旬の記念撮影のためだけにわずか数本のサクラが申し訳程度に植えられただけ、それ以外にはサクラは植わっていないという地域のほうが大多数なのではないか。えー…(てんてんてん)。(※神社の境内を除く。)
なお、ここでいう「すごく大きな川の堤防」とは、開けた平野を流れる川の河口付近が現代の大都会になる、そういう川の、せいぜい中流域にあるような堤防のこと。この理屈でいうと、幸手市などは大都会である。あるいは大都会を直接に支える準大都会である。都心部から鉄道に沿って商業地などがしみ出して連なっている川口市などよりも、圧倒的に幸手市のほうが大都会なのである。知ってた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E6%89%8B%E5%B8%82
> 1986年市制施行。
> 鎌倉時代から江戸時代の初めにかけては古河公方の家臣一色氏の領地であった。
> 江戸時代には、大部分が幕府の支配(天領)となり、関宿向川岸・槙野地は下総国関宿領となった。
天領“だった”(※過去形)ことを現在形で「大都会」と呼ぼう。(※個人の感想です。)
https://www.city.satte.lg.jp/sitetop/soshiki/kyoudomuseum/bunkamamoru/8323.html
> 日本の一大消費地となった江戸の生活を賄うため、年貢米をはじめ、全国各地から江戸に向けて物資が輸送されました。大量の物資を安価に、そして迅速に運ぶには、船が極めて有利でした。
> 江戸時代から大正時代までは活発な商品流通を背景に扱い量も多く、帆をかけた高瀬船が行き来し栄えていました。
https://www.takasebussan.co.jp/img/quality_img11.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C2BR-sKXAAAT6rd.jpg
高瀬舟にアルプスと書いて、おしぼりと酒を配送しよう。(違)
・[4452]
> 中世からずっと「茶屋の亭主」([3724])同じ家のひとが現代ではラーメンとコンビニという皮をかぶっているに違いない。(※勝手な想像です。)
https://www.city.satte.lg.jp/sitetop/soshiki/kyoudomuseum/bunkamamoru/2199.html
> 岸本家住宅は、大正時代まで醤油醸造業を営んでいた同家の居宅です。
> 幸手に暮らす私たちは見馴れた商店街の景色ですが、市外のみなさんには新鮮に映り、感動を得たようです。
・[4268]
> > 昔ながらの街並みや、温泉などの資源を生かして、観光地を創り出すことができます。
> 社会科で習うような基本を意図的に無視して、補助金を使い放題して、経済の原則から逸脱して(需要が自然には生じないところに先に供給をつくってから需要を集めまくってくる)「観光地を創り出す」とおっしゃる。(※真顔)「昔ながらの街並み」すらも、ほしいときにほしい分だけほしいところに「創り出す」とおっしゃる。(※真顔)少し前までにすっかり、大人の世界はそういうセカイになってしまったので、ゲームもそうなるのは必然である。○か×か。(※真顔)
・るるぶ「九州・沖縄のお花見・桜名所ランキング(2021)人気の夜桜や桜祭りも!」えにもー!
https://rurubu.jp/andmore/article/5765
なるほど関東地方で思うのとぜんぜん違って、花見の名所へのアクセスが非常にわるいというか、そういう名所に特別に出かけて行かないと(見るほどの)サクラなんてないよという、その意味ではむしろ中世からの原風景のような(げふ)しつれいしました。
・[4661]
> ちなみに赤い紅葉いわゆるもみじは山のもの(≒大都会からわざわざちょっと遠出の遠足をして出かけて行って愛でるもの)で、そういう山(人を招き入れる&ちょっともてなす)はきっとお寺さんの山だろうから、いわば「赤い紅葉」はお城ではなくお寺のもの。出ました「ちなみに」本当でしょうか。
> > 『狩り』という言葉は、もともと山に出かけてイノシシ狩りのように獣や小動物・野鳥を捕まえる意味として使われていました。それが、キノコ狩りやイチゴ狩りのように食べ物を採る意味にも使われるようになったのです。
> > 現在は都会でも紅葉を見られるのが普通ですが、かつてはイノシシ狩りやキノコ狩り同様に山に出かける必要がありました。また、紅葉を鑑賞するだけでなく、紅葉した葉を拾い集めていたのです。その様子を例えたことが、『狩り』になった理由とされています。
サクラもまた、本来は山奥のもの(斜面に育つもの)で、これをとってきて(本来の場所から切り離し)わざわざ平地ですごく苦労して育てるのだから、のたうちまわるとかいわないであげてください。(※謎理論)
・[4381]
> ある記事([4125])について、リンクの部分がよく見えなかったのか、URLだけが書いてあるのは触っちゃいけない(違)みたいに思っているのか、はたまた薄いグレーで見にくくなっているところは引用部分だということがわかってもらえなかったのか、「なんだこれ」「A9の記事なのでシャニマスは一切関係ないです」(※「シャニマス」に傍点)と。…とほほ。その記事([4125])は、まず外部の「シャニマス」について書かれた記事を見てから、それを受けてああだのこうだの言おうという記事なんです。この構造自体をわかってもらえなかった。「シャニマスは一切関係ない」のに「シャニマスを騙っておいらを釣りやがった!」(※意訳)と怒っておられる。
※「リンクの部分がよく見えなかったのか、URLだけが書いてあるのは触っちゃいけない(違)みたいに思っているのか、はたまた薄いグレーで見にくくなっているところは引用部分だということがわかってもらえなかったのか」ぜんぶうちのせいですので、そこは申し訳なかったですよ。
・[3854]
> 「乗客1000人分の建物があれば」と書いてあったのかなみたいに想像しないでもないけれど、もし最初は書いてあって「編集」でおかしくなったのだとしたら、その「編集」をしたお子さまは「ここは乗客数の話だから建物は関係ない」みたいに怒りながら書き換えそうだよね。…うわぁ「関係ない」とか言い切る態度の恥ずかしさよ。
> 「ここは乗客数の話だから建物は関係ない」みたいに怒りながら
> 「ここは乗客数の話だから建物は関係ない」みたいに怒りながら
> 「関係ない」とか言い切る態度の恥ずかしさ
・[3851]
> Googleを見る限りでは「A列車 稼ぎ方」「A列車 資金稼ぎ」(※原文ママ)というクエリーがあるというけれど、それはある程度しかたない。しかし「A列車 利益率」とはひどい。それっぽい会計用語(らしきもの)を持ってきていばろうという態度しかなく、ゲームシステムの全体を理解しようという態度がない。列車や子会社(自社物件)を1つ1つばらばらに見て『利益率!(笑)』を云々しちゃうのはお子さまだよね。な・・・なんだってー!! しょくんは顔面蒼白で明後日の何かを心配していればいいのであーる。
・[4449]
> > 不思議な建物
> > マップに依るが自分で作れないどころか登録すらされてない建物がある(例:船着場)。
> ゲーム限定でのUI用語の一環として「リストに登録」というコロケーションだけ覚えていて「建物のリストに出てこない」ということを指して「登録すらされてない」と表現し、そういう表現をすることによってなおさら、じぶんが何を知らないかにじぶんで気づきにくくなっている。
じぶんにすごく自信のある20歳前後のひとが陥りやすい。
http://photograph.pro/bin/img/photo/10055045_HD.jpg
https://img.dailyportalz.jp/6015/9710/7442/032.jpg
https://www.iwanami.co.jp/book/b226321.html
> 第四章 山の桜
『桜(岩波新書)』の「第四章 山の桜」を「関係ない」みたいに読み飛ばす横柄なようすを想像してしまった。このうら若い筆者は「街路樹」と思い込んでいるから、江戸時代の公共事業という観点の資料を1冊も選んでいない。見てられない。堤防の斜面に植えるというのは、まだ「山の桜」なのである。そこを山にしたということである。桜を植えることによって人造の山は完成するのだ。桜は山のアイコンである。(※言いかた)
※「街路樹」という用語を見て「街路とは何か」と考える、このような基本的な態度を欠いたまま「街路樹」という用語のなんとか覚えでつきすすむ。「これなあに?」と指さして「街路樹っていうのよ」みたいな状態。「街路樹」という用語のモーラ数が少ないのがいけない。(違)
・[3061]
> 英語など語学のテストについては、どうやって問題をつくるのでしょうか。一般には、新聞記事や書店で売られる本などをランダムにとってきて、そこに出てくる単語の、単語ごとの出てくる回数を調べます(本当に調べるんですよ)。
> 出てくる回数の多い単語は、確率的には読者の目に触れる回数が増えることとなり、結果として社会においてよく知られた、「やさしい単語」とみなすことができます。その逆の「むずかしい単語」は、単純には、出てくる回数が少ないということで決めることができます。
> とはいえ、これは時代によって大きく変わります。また、長い時間をかけてジワジワと変わるばかりでなく、変わるときには一気に変わるものもあります。例えば、「臓器移植」がニュースにならなかった時代には「臓器」という単語は医学部にでも行かないと使う機会がなかった(初等教育では「ここに心臓があります」「こっちは肝臓です」などとはいっても、これらを総称して「臓器」とはいわず、「からだの中をみてみよう!」などといって、一種はぐらかされるわけです=「第一種はぐらかし」と仮に呼んでみます)ところ、「臓器移植」という単語によって「臓器」という単語もまた、「やさしい単語」に(ニュースに出てくる回数だけで判断すれば)なるわけです。
・[4317]
> そのようにして、どのような水準の言葉を使うのかは、じぶんでよくよくコントロールしないといけない。それをわかっていない。…そんなことは習わない学校に進んだ人だから! 二言はない。
・[3704]
> > 責任を自覚しないこと。責任感がないこと。また、そのさま。
ただ、戦時中の出撃基地(※意訳)の記憶が鮮烈な地域では、わざわざ桜を愛でようとは思われにくいという重い空気がずっとあるかもしれない。あのときのなにがどうこう、ということをいっさいいわない。いっさい口を閉ざすついでに桜も愛でない。その意味では、習志野市・千葉市・四街道市などの一帯(※埋立地を除く)は、そんじょそこらにはないほどソメイヨシノの密度が高いかもしれない。しかし、そこにはもうソメイヨシノだけがあるばかりで、記憶というものはほとんどないのだ。
・千葉市観光協会「桜スポット開花速報」
https://www.chibacity-ta.or.jp/sakura
> 約90本
> 約660本
> 1500本
> 園内全体600本
> 約1500本
> 約500本
> 約700本位
> 約 70本
意識したことがなかったけれど、とんでもなくソメイヨシノだらけだった。(※ソメイヨシノ以外の本数も含んだ数字です。)
> 下総御料牧場から譲り受けたというソメイヨシノは必見!
> 「さくら山」
> 千葉市動物公園には、約700本の桜の木が植えられています。
> 千葉氏の家臣・坂尾五郎治が妙見堂を建立
> 同山のしだれ桜は、坂尾五郎治の妻である高枝が自身の病の治癒を感謝し、御手植したという伝説を持つことから「姫桜」とも呼ばれています。
すべての由来までは承知していない。(※恐縮です。)
・ウィキペディア「ソメイヨシノ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%8E
> 地球温暖化が進行すれば、将来的に九州南西部ではソメイヨシノの生育が不可能になる可能性が指摘されている。
えー…(てんてんてん)。
・[3561]
> > はいさい、ぐすーよー、ちゅーうがなびら。
https://pbs.twimg.com/media/EUc3gbZU8AAILLv.png
https://www.orionbeer.co.jp/story/kanhizakura/
> 沖縄のお花見は1月に行われます。
> そして、沖縄の“桜前線”は南に向かいます。
頭を逆さまにして生え際を妙にリアルに作画しようよ。(違)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E8%BF%94%E9%82%84
> 日本の法令用語としては、沖縄の復帰(おきなわのふっき)という。
> 1972年(昭和47年)5月15日
> 1978年(昭和53年)7月30日には車両の通行が左側通行に切り替えられ (730)、本土同様の道路交通法が適用されるようになった。
> 返還前は就職難から県外への移住者が多く、人口が減少していた時期もあったが、復帰後は逆に本土からの移住者(Uターン者を含む)が大幅に増え(略)
沖縄からたくさんの若者や職人や「お嫁さん」(※言いかた)を迎えて大都会が成り立っている。○か×か。
> 2017年(平成29年)に至るまで、公務員と公共事業とアメリカ軍基地、観光業が柱となっており、多くの安定した雇用を確保することができる、大規模な製造業などの有力な地域産業は依然十分に育っていない。
> 沖縄県では他府県から離れた沖縄の地理的条件が不利になりにくいIT産業・コールセンターの振興に力を入れており、沖縄県出身者の地元志向の強さを狙って、人材流動の激しい本土ではなく、沖縄でのIT開発拠点を作ろうとする動きも一部に見られるようになってきた。
うーん。…うーん!(しばらくお待ちください)千葉市と競合しちゃう。(※個人の感想です。)
> 本土からの移住者が増えているにもかかわらず、1人あたりの県民所得は全国最低
・[3813]
> 首里城と本件ゲームはたぶん関係ない。…『たぶん』!! いくらでも題材があるのにどうしてわざわざ沖縄なのか。そういう意味では何か、注意を沖縄に向けさせるものがメーカーにあったということなのか。ははーん。おぬしら旅行にでも行ったんだな。
・[4381]
> > 「関係ない」と断言するのは「悪魔の証明」の類である。
・[3813]
> 本件ゲームのメーカーがゲームショウみたいなイベントで『変な形!』で“沖縄いじり”(すごく悪い意味で)をした後に首里城が電気火災だという。沖縄としても台風が昨年と今年はすさまじいので、目立った被害として認識されていなくても、電気系統に塩害などあったのではないかという視点もあるだろう。
> その一方で、首里城に立ち入る業者(ただし管理者を含む)はまったく首里城の管理体制(※造られた時の設備等や前任者から引き継がれた事項等)を信用しきってというか、ガムテープ(違)電気はブレーカーが落ちるまでいくらでも使えばいいんだとか(※正常に“落ちて”くれないで発火した、という見立てです)、何か起きてもじぶんたちの責任じゃないとか、そういう『変に“東京”然!』とした業者(や職員)ばかり入ってくるということになっていなかっただろうか。本当でしょうか。それはそれとして本件ゲーム、メーカーとしては「『鉄道マニアの人』ならだれでも知っててニヤリとできる『沖縄に鉄道!』という架空のストーリーで盛り上げ」というつもりだっただろうが、とんでもない。実在の地域や会社と関連づけたプロモーションを勝手にするものではない。
本土の者がわがもの顔で沖縄を利用する構図。「物価が安い!」などとうそぶいて、まことに身勝手に移住してリソースを食いつぶすばかりということを疑う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/somei_yoshino-notauchi_mawaru
「新人賞」という文字列が目に入らぬか。新人を育てるつもりで厳しく読みましたというふうのコメントはなかった。いかにも技術者のコミュニティといったふうで、じぶんの専門以外の勉強のしかたに興味がない、あるいはじぶんの専門と同等に、他者の専門を何か1つ垣間見られたら、それだけで満足しきってしまうようすが見られます。
・[3162]
> うおー、ギークっぽいです。カバンを開けたら予備のeneloopがどさりと落ちてきそうですね、わかります!(コストを計算すると予備の専用バッテリーを追加で買うより安い!=ただしカバンの重量は考えないものとする、の意。)
これではあやうい。「物価が安い!」などとうそぶいて、まことに身勝手に移住してリソースを食いつぶすことにも通じる。
★「桜の森の満開の下」(1947年)から「6970年」(1970年)まで(談)
・[4622]
> オイルショックより後のことである。まことに酢豚であった。…大儀であった。
・[4624]
> お城の話と鉄道の話にオイルショックの話が絡んでくる。無視できないレヴェル。きみはオイルショックの影響をどこまで知っているか。
・[3548]
> > 1970年開催の大阪万博のブルガリア館で本場ブルガリアのヨーグルトが展示されたのを明治乳業幹部が試食し感銘を受けたのをきっかけに開発が始まる。日本で初めてのゼリー加工を施していないプレーンヨーグルトとして発売開始。定期的にブルガリアから輸入された菌を使用しており、これはこの菌を現地以外で培養すると性質が変わってしまうためだという。また乳酸菌株をブルガリア国外に輸出するには政府の許可が必要で、その際の交渉過程で「ブルガリア」の国名を商品名に使用する事をブルガリア政府から正式に許可されている。
> > 1971年 日本初のプレーンヨーグルト、「明治プレーンヨーグルト」発売。商品名に「ブルガリア」の使用を認められなかった。消費者から「腐敗している」、「酸っぱい」とのクレーム多数あり、まったく売れなかったが開発は継続。
・[4286]
> > 「僕の本名は、
> > 内藤啓史ではなく、
> > 納豆啓史なんだ」
> ぐふっ。
> > 1972年の本土復帰でNHK沖縄放送局としての放送となった。
・[4295]
> 1972年から1973年にかけてはオイルショックで、大人は急に時間を持て余した。違いますか。(※遠い目)
・(2021年10月5日放送)
https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/VGGP7M25XP/
> 1972年、奈良県の高松塚古墳で石室の壁に極彩色の絵が発見された。
・[4625]
> 「1972年」という字幕から始まる、どんぴしゃな番組。
> ▼1960年代から1972年までの空気感(「お宝」で「観光」)と、▼1973年くらいの空気感(「模写」)
・NHK首都圏「川崎市がけ崩れ実験15人死亡 事故から50年 なぜ実験は惨事に」(12月30日)
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20211230a.html
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20211230a/img/pic_9012_2_0016.jpg
> 実験は昭和46年11月11日、当時の科学技術庁や建設省などによって、川崎市の生田緑地で行われた。土砂災害を再現して防災対策に生かそうと、実際の斜面に散水ポンプで大量の雨を降らせたのだ。しかし、実験中に予想を超える斜面崩壊が起こり、現場に立ち会っていた15人が犠牲となった。
> (1966年1月放送 新日本紀行〜多摩丘陵〜より)
> > 山の斜面をただ切り取っただけという危険な宅地が、許可もなしにあっという間に出来上がっています。高い家賃や地価に追われるように、安い土地を求めて押し寄せる人の波は、これまでそのままでは人の住めなかった山の斜面にまで今伸びているのです。こうしたがけ崩れの危険のある川崎市だけでも82か所(当時)に達しています。
> 実験は当初、非公開で行うと計画されていた。しかし、話をききつけた報道関係者からの問い合わせもあり、急遽、前日になって実験の実施を報道発表。
> 「実験担当者の間では、崩れないであろうとか、崩れてもその規模は小さいであろうなどの予測が話題になっていたようで、むしろ、崩壊が起こらなかった場合に、見学者達を失望させることを心配しあっていた」(報告書より)
> 「そろそろやめて明日にしてはと進言した方もおられたようです。しかし、せっかく報道陣が来ているのだから、なんとか崩壊させていいシーンをとらせたいというようなサービス精神もあったのではないかと推察されます」
「1960年代から1972年までの空気感(「お宝」で「観光」)」とは、まさにこれである。
> 当初の計画では、数万年以上前に堆積した深い地層の下で、比較的ゆっくり崩壊することが想定されていたとみられている。しかし、実際に崩れた土砂の多くは、実験のわずか4年前、公園内の遊歩道を整備する際に削られた残土「捨て土」だったことがわかった。しかも「捨て土」の存在は、実験地が生田に決まったあとにわかったというのだ。
> 実験データは長きにわたり押収され、本来の防災にいかされることはなかった。そして事故のあと、自然斜面での崩壊実験は長らく“タブー”とされた。
“タブー”にしちゃうという態度が、ぜんぜんサイエンスたりえていない。
> 「なかなか目にするチャンスがないデータだったが、改めて見ると、かなり解析する余地があるデータだと思う」
昭和60年(1985年)くらいになってパーソナルコンピューターが普及して個人的な興味でもデータ解析が、変な時間でもなんでも好きなように試してみることができるという、いわば「民主化」のようなことが起きて以後の価値観である。上の世代には頭ごなしに叱られるだろうが、「なかなか目にするチャンスがないデータだったが、改めて見ると、かなり解析する余地があるデータだと思う」という態度こそがサイエンスである。しかし、このためには昭和60年(1985年)を待たないといけなかった。あまりにも長かった。
・[3606]
> 1973年にもなると、どんな商売をしてもどこか後ろめたいという、これでよかったのだろうか&夕食は酢豚でよかったのだろうかみたいな(違)ふいんきが強まってまいります。木を植えるとか募金をするとかですね、わかります。そういう時代が1973年であるのだと、まずはここから&よろしかったでしょうか。
いずれにしてもオイルショックで、ニュータウンの造成は止まったし、その後なかなか完成しなかった鉄道も多いのは、すでにしょくんもご存知の通りだ。(※恐縮です。)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/50/91/90/src_50919004.jpg
※本文とは無関係です。
・ウィキペディア「桜の森の満開の下」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%81%AE%E6%BA%80%E9%96%8B%E3%81%AE%E4%B8%8B
https://shochikudvd.itembox.design/product/045/000000004541/000000004541-02-l.jpg
https://www.4gamer.net/games/416/G041646/20200420067/SS/002.jpg
いろいろな翻案があるけれど…(てんてんてん)。
> 東京大空襲の死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、折りしも桜が満開で、人けのない森を風だけが吹き抜け、「逃げだしたくなるような静寂がはりつめて」いたと記されており、それが本作執筆の2年前に目撃した「原風景」となっているという。
> 初出当時はあまり注目されておらず、安吾の死後に讃辞されるようになった作品である。
1947年にその話は生々しすぎる。書いて忘れることによって、その後の時代を生きたのである。
> 1975年(昭和50年)5月31日には、本作を原作とした映画が公開された。
オイルショックあっての映画化である。見たくないものを見ようということである。タイムカプセルが流行ったが、30年前のタイムカプセルを開けたようなものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%83%97%E3%82%BB%E3%83%AB
> 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の年に、松下電器(現・パナソニック)と毎日新聞により企画、製作され大阪城公園に埋められたタイムカプセル
> (6970年開封予定)
> (6970年開封予定)
5000年後のことより30年前のことに目を向けようという機運はオイルショックあってのものである。
[4670],[4671]に続きます。
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