フォーラム - neorail.jp R16
2021年8月の話題
更新:2024/3/31

[4610]

【ふれねる「自由研究 数学」の回(KAI)】

ふれねる「自由研究 数学」の岩(GAN)


(約15000字)

 [4608]の補足です。


[4603]
 > 今年になってから特に増えた検索に「自由研究 数学」というものがあります。数学というからには中学生以上なんだなぁ。(※詠嘆)

 > この場合にも、自由研究に取り組むあなたは、新規性や独創性の発揮が期待されているわけではないということを先に承知しておけるとスムーズです。

[4607]
 > 夏休みにテレビの教養番組をぼーっと見たことがきっかけで調べていくというのは案外に正攻法ですから、今回は具体的な番組名を例示しました。ただし、番組のあらすじを書き起こしてそのまま成果物にしてはいけません。これは絶対にいけません。番組の中に出てきた何か1つの鋭く具体的なことについて、番組では(番組の作り手は調べて知っているが)省略されている部分をじぶんで調べましたというまとめかたをしましょう。

[4608]
 > 思ってもいない番組で「ブラタモリみ」に遭遇して小躍りする。(※恐縮です。)

 > > 海外からコンテナ船でもたらされた当時の「新型」感染症だった可能性が…。

 > そういうストーリーでわかりやすくしようとした気配が制作側にはあるけれど、最終的に編集でカットされて意味不明になったっぽい。日本(の平家)から見て「日宋貿易」の相手は宋の船だが、その船は日本と宋だけを往復しているのでなく、熱帯地方をぐるぐるしながら途中に日本にも寄るのだということを「コンテナ船」と言いたかった…らしい。(棒読み)「いまでいうコンテナ船ですよね」「ヒアリのニュースもありますし」みたいなコメントやナレーションが入っていないまま、「粗製陶器」を『コンテナ』と呼ぶ(&そう呼ぶことだけでぜんぶ説明しきったように話が進む)のは無理があるのでは…(てんてんてん)。

 > この話が、どう「自由研究 数学」になってゆくのでしょうか。きょうの紙切れをもう1度…えっ、紙切れがない。えー…(てんてんてん)。

 > 紙切れ
 > 紙切れ

 > > アメリカに荷物を運んだあと、コンテナの多くは日本に向かわず、空の状態のまま中国に戻されます。

 > > 空のコンテナを運んでも運賃を稼ぐことはできませんが、荷降ろしの時間などがかからず、通常より早くアメリカ向けの航路に回せるため海運会社は十分に収益を上げることができるのです。

 (その船で)運ぶ品物が高級品かどうかというのは荷主のことであって、海運として利益を上げる方法は別のところにあるのだ。こういうことを「北前船」についても理解しておきたいし、平清盛の「日宋貿易」についても理解しておきたいといいました。ありがとうございました。

・(2021年1月8日放送)
 https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=27219

 > 幕末、江戸幕府が北海道に築城した西洋スタイルの城・五稜郭。

 > 函館には大きな船が入れる良港がありました。そのため、蝦夷地とよばれた今の北海道と本州以南との交易の拠点になっていたんです。

 (干した)サケと昆布を運んで儲けたという。コンビニのおにぎりはサケと昆布である。○か×か。(※詠嘆)

 https://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/culture/c02.html
 https://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/culture/c_images/02_ph08.gif

 > アイヌは鮭をカムイチェプ(神の魚)と呼び、また、シペ(本当の食べもの)と呼ぶ。それほどアイヌにとって鮭は特別な存在でした。

 https://www.kaijipr.or.jp/mamejiten/fune/fune_3.html
 https://www.kaijipr.or.jp/mamejiten/images/fune3.gif

 > 江戸時代には日本海や北海道の港から江戸や大坂(大阪)へ、米や魚などが船で運ばれていました。

 > 北前船としてつかわれた船は、当時、貨物船として広くつかわれていた「弁才船」と呼ばれる船でした。西廻り航路がさかんになると、この航路を走るのに適するようにいろいろな改良が加えられていき、明治時代になっても、しばらく活躍していました。

 「明治時代になっても、しばらく活躍していました。」の、じわじわくることよ。(※詠嘆)

・北海道開発局 帯広開発建設部「時をこえて十勝の川を旅しよう!」
 https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/tisui/kds/pamphlet/tabi/ctll1r00000045zc.html

 > アイヌ文化・アイヌ語については、十勝のものを中心に紹介しています。アイヌ文化やアイヌ語は、同じ北海道内でも地方によって異なる場合があります

 https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/tisui/kds/pamphlet/tabi/ctll1r00000045zc-att/ctll1r000000cz1r.pdf

 > 松前藩の交易支配と「場所」

 > 1604年、
 > 松前藩が成立しました。

 そのときアダムスは…(てんてんてん)、といった見かたもしていこう。

 > 自由な交易
 > 1644年ころまでは、北海道太平洋側のアイヌの人が青森県の下北半島まで行っていた。

 https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/tisui/kds/pamphlet/tabi/ctll1r00000045zc-att/ctll1r000000czaa.pdf

 > 明治17年(1885)

 > 晩成社の申し立てのためか、

 ユニバーサルな郵便ひいては電話が普及しないと、役場に申し立てするための旅行がそもそもできなくて申し立てができない。

・(2020年8月21日)
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/340317

 > サケ漁は明治期以降、水産資源保護法などで禁じられた。

 > 訴状によると、原告は江戸時代に浦幌十勝川周辺で暮らしていたアイヌの子孫らで、明治政府が禁じるまでサケ漁で生計を立てていたコタン(地域集団)から、漁をする権利を引き継いでいると主張。これを禁じた法令が適用されないことの確認を求めている。

 > 2007年の国連先住民族権利宣言は、先住民族の権利を認め、日本も賛成した。だが昨年5月に施行されたアイヌ施策推進法は、法律で初めてアイヌを「先住民族」と明記したものの、先住権には触れなかった。訴訟の背景には文化・観光施策が目立つ新法への不満があるのは否めない。

 手厚い施策なしには窮地に立たされる(極大のしわ寄せを被る)ことが明白な先住民族にどう対するのかが、結局のところ、わたしたちの誰もがまっとうな施策によって遇されるかどうかの“試金石”である。

 先住民族という観点から離れて見ても、離島や半島などの振興の全般にも言えるのではないかという見かたもしてみよう。長崎のIRはIRがほしいとかIRがいいというのでなく、送客されてくるならなんでもよいということをのまされる制度になっていないか。○か×か。

・(2021年8月10日)
 https://www.asahi.com/articles/ASP8B65GNP8BTOLB006.html

 > 長崎県は10日、同県佐世保市のテーマパーク「ハウステンボス」に誘致をめざす、カジノを含む統合型リゾート(IR)の運営事業者について、オーストリアの国営企業傘下の企業「カジノ・オーストリア・インターナショナル・ジャパン」(本社・東京)を優先交渉権者に選んだと発表した。

 > 県の基本構想では、ハウステンボスの敷地の一部約31ヘクタールに国際会議場を備えたMICE施設や宿泊施設、カジノなどを整備する。建設投資額は最大4600億円を見込む。IRによる九州圏内への年間集客人数は延べ690万〜930万人と想定している。

 諏訪は「1200万人」だといいます。(棒読み)

[4608]
 > 富士山から諏訪までが100km。

 https://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/oshirase/fujiazami/fujiazami_45/fujiazami_02.html

 > 大鹿窪遺跡
 > 今から約11,000年前の縄文時代草創期(そうそうき)のもの
 > 集落には縄文草創期以前の噴火による溶岩が堆積していて、この地形を風よけに利用するように住居跡と考えられる竪穴状遺構(たてあなじょういこう)が馬蹄形(ばていけい)に並びます。また、石を集めて料理をした跡と思われる集石遺構(しゅうせきいこう)、お祭りをした跡と思われる配石遺構(はいせきいこう)等が発見されています。

 縄文時代に諏訪が云々というときの富士山の姿は…(てんてんてん)。

 > 今からおよそ8万年前に、小御岳火山の南側斜面から始まった古富士火山の活動は、爆発的な噴火を繰り返し、多量の火山灰と火山礫を吹き上げました。

 > 愛鷹山麓、箱根山麓を含む富士山周辺では、旧石器時代から人々が住み、広域にわたって活動していたことが知られています。愛鷹山麓からは後期旧石器時代(35,000〜10,000年前)、およそ2万9千年前のものと見られる石器が見つかっています。
 > 富士山周辺の旧石器時代の人々は、ある時には噴煙を上げる富士を眺め、またある時には噴火の猛威にさらされながら、厳しい寒さの中を少人数で助け合い、移動をつづけながら、狩りと木の実や植物の根などの採集により生活していたと思われます。遺跡から発見される石器の中の黒曜石は、長野県の霧ヶ峰や和田峠で採取されるもので、当時の交流・交易の広さを示します。

 「霧ヶ峰」や「和田峠」というほうで習ったり知ったりしていると「諏訪」と結びつかないが、これが諏訪市や下諏訪町、その隣の長和町である。長和町には申し訳ないが「諏訪」とまとめてくれるとたいへんわかりやすい。(※個人の感想です。)

 > やがて長い氷河期も終わりに近づき、1万4千年ほど前からは氷が溶けて海面が上昇し始め、現在の日本列島の形がほぼ残されました。活動を続けてきた古富士火山も、その噴出物で高さおよそ2,700mにまで成長しました。

 富士山の高さが2,700mしかなかった。諏訪湖の北側からどのくらいに見えたのか。これは山尾望先生(※仮名)の出番である。えー…(てんてんてん)。

 > 大鹿窪遺跡のあった縄文草創期(11,000年前)の頃
 > この当時の富士山は1万4千年前頃から始まった新富士火山の活動期でした。この活動期の溶岩は粘性が小さく、山腹を覆いながら山麓末端部まで流れました。また火口が古富士火山の火口付近であったため山頂をさらに上に伸ばし、現在の富士山の形に近づいて行きました。

 うーん。…うーん!

[4609]
 > 文系の現場にもパソコンが入ってきたころ。

 山尾望先生(※仮名)の世代など、どんぴしゃである。パソコンを手に入れて意気揚々、じぶんでなんでもできるよという万能感におぼれがちなきらいがあった。(※見解です。)▼平成26年度高校意見(日本史A・B)あり「日本土木工業協会「一太郎」(2000年)で「カシミール」(1996年・1998年・2003年)を読み解くならびに寺田寅彦「北氷洋の氷の割れる音」(1933年)で「山岳展望」(1937年・1982年)を読み解く」については[3417]を参照。(※息切れ)

・長和町「長和町について」より「長和町の地勢」こもごも(2016年3月10日)
 https://town.nagawa.nagano.jp/about/2016031000030/

 > 東は蓼科山系の山脈を境として立科町に接し、南は中信高原霧が峰山塊を境として茅野市、諏訪市に接し、西は美ヶ原高原があり松本市に接し、北は上田市と接している。

 恐縮です。下諏訪町とは接していなかった。

 > 土壌は、地区の中央部より下部は褐色土壌、上部は黒色土壌によって組織され、森林地帯は褐色土壌のBD型、黒色土壌のBeD型が大部分である。

 それって「長和町について」以下の「長和町の地勢」に書くことですか。(※ジト目)

[3694]
 > 「半島振興法」(1985年)から「山村振興法」(1965年)まで

 > > 伊東温泉競輪場の実況中継(開催日のみ)など

 > すべて「半島振興法」とも呼ばれるお盆みたいなものの上にのっている水滴みたいだとは思われませんか。

・ウィキペディア「針尾島」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9D%E5%B0%BE%E5%B3%B6

 > 流紋岩質の溶岩台地で、

 出ました「流紋岩」。

※冷える速度の違いで下のほうは黒曜石、上のほうは流紋岩になっている(接している)ところがブラタモリ「諏訪」の回で紹介されています。名前だけで黒曜石と流紋岩を『別物』とは思わず、連続したものとして見ていきませう。

 > 流紋岩質の溶岩台地で、西海岸を除く三方は安久ノ浦・牛ノ浦・恵比寿湾・鯛ノ浦・江上浦など深い入江と大崎・口木崎・赤崎・明星鼻・錐崎など急峻な半島が複雑な海岸線を形作っている。中央部で江上浦と恵比寿湾が食い込み、ここを境に北東部を江上地区、南西部を針尾地区に分ける。東海岸は早岐瀬戸に面し、土砂の堆積が相次ぎ干潟をともなう平地が広がっている。江戸時代以降の干拓事業により、早岐瀬戸沿岸と江上浦は農地化されている。

 食い込む恵比寿湾。どこへゆく鯛ノ浦。こんなハウステンボスに誰がした。そんなこといわれましても…(てんてんてん)。

 > 溶岩台地は侵食が進み、稲作に不向きで果樹栽培に適した水はけのよい土壌をなす。また低質黒曜石の塊が島内各地の表土に混入し、旧石器時代-縄文時代には石器原料の供給地として機能していた。

 https://mtl-muse.com/wp-content/uploads/2019/04/mtl-istl5-e1555725906583.png

 ブラタモリ「諏訪」の回で出てくる(中央構造線に沿った)「片岩」の分布の(九州では中央構造線は確認されていないけれど)西の端という理解。おもむろに奏でられる某トトロ。えー…(てんてんてん)。(※恐縮です。)

 > ハウステンボス町(はうすてんぼすまち)
 > 1991年に、指方町および江上町のそれぞれ一部が分立し、後に早岐地区の崎岡町の一部を編入した。いずれも江戸時代の干拓地である赤子新田・大手原塩田に立地する。旧赤子新田は全域がハウステンボスに転用されている。対岸の編入地である大手原のうち、長崎国際大学敷地より南が町域となっている。

 九州で中央構造線を探してもはっきりしないのは、すでにほかの大きな変動で崩れたり埋もれたりした(*)後だから。(もともとはあったという前提では)東西方向の中央構造線と、諏訪でいえば「いとしずぅ?」にあたる南北の構造線とが交わって諏訪と同じように(※)できたのが長崎(に無数にある複雑な地形=いわば『フラクタル諏訪』!)だと思えばよいのではありませんか。さすがにそこまでは…(てんてんてん)。

※…平行四辺形っ!

*巨大地震に関する直近の特集番組で紹介された最新のGPS観測による地殻変動のデータで、九州が載っていた大きなプレートはすでに複数の細かいプレートに割れていて、別々に動いているのではないかとのこと。阿蘇山の活動を考えれば、大きなプレートが1枚のままと考えるほうが無理があった。われわれ阿蘇山の噴火堆積物の(噴火の年代ごとの)呼びかたを暗記して悦に入るばかり、まるで「考える力」を養ってこなかった。本当でしょうか。

 https://kotobank.jp/word/%E7%AD%91%E7%B4%AB-99158

 > 九州の古称で,記紀に竺志,《万葉集》に都久志(之)の表記があり,

 > 陸地の尽きるところのあて字で,日本の西端の意味など,数説ある。

[4548]
 > あの有名なシーンで「あなたドコモっていうのね!」と言われるようなおたけびをあげよう。…あげないよっ!!

 > ゲームの作り手にも、同じことが、起きていたのです。(※雨のバス停でとなりに巨大な不思議な生き物が立ってるみたいな顔でナレーションしてください。…ほぼ日のひとじゃあるまいし。)

 https://youtu.be/PtRZHQYQWbk?t=53




 巨大地震についての特集番組で「羽毛のない恐竜」が出てくる。えー…(てんてんてん)。(※もちろん本題はそこじゃない。)

・(2019年7月5日)
 https://www.rikelab.jp/entertainment/5371

 > 大きな発見は1996年と1998年です。中国の遼寧省にある前期白亜紀の地層から見つかった化石に、羽毛の痕跡が見つかりました。鳥が誕生する前の段階、ティラノサウルスのような肉食の恐竜の仲間にも似た構造をもっている生物が見つかったぞ、というのがことの始まりです。鳥じゃないのに、羽毛をもっている生物がいる。だから、羽毛恐竜と呼ばれるようになりました。

 > 鳥の羽毛は、前足に風切羽が発達しているから、飛ぶことに関連して進化したんじゃないかというのが、定説でした。今生きている鳥だけを見たらそれが妥当に見えます。しかし、羽毛恐竜の発見で、まだ飛べない段階の獣脚類恐竜で、羽毛やそれに進化する前のプロトフェザーが見つかったことで、羽毛の起源は、もともと空を飛ぶことには関係ないのではないかと考えられるようになりました。

・そこらへんカワサキくわしく
 https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/22/pdf/22_1_1.pdf
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/110/6/110_6_372/_pdf
 https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/170000/175000/p004017_d/fil/09chikeichisitsu.pdf

 > 中新世になって九州ではユーラシアプレートにフィリピン海プレートの潜り込みが続き、壱岐〜平戸〜五島列島〜男女群島方向へ大きな火山活動が続いて起こった。長崎地方でも神浦玄武岩類〜中新世玄武岩類(約840〜570万年前)、時津火山岩類(約800〜570万年前)、長崎火山岩類(約800〜570万年前)、川平閃緑岩類(約450万年前)、行仙火山岩類(約570万年前)、鮮新世玄武岩類(約530〜260万年前)が活動している。鮮新世末に牧島の曲海岸では牧島玄武岩のストロンボリ式噴火が起こり多くの火山弾を噴出した。

 > 鳴鼓岳西〜北部にかけて時津火山岩類の流紋岩・玄武岩・サヌキトイド(約800〜600万年前)が分布している。

 > 牧島の北部には矢上層群が伏在するが南部では長崎火山岩類が大部分を被っている。

 > 南越〜権現山〜樺島には2.5〜1.5億年前の結晶片岩類が、宮崎〜為石〜藤田尾〜千々〜大崎には9〜7千万年前の結晶片岩類が分布している。

 ぜんぼうがつかめない。(※ひらがな)

 > 小江原断層

 南北方向の「小江原断層」を挟んで東西に「長与流紋岩類」の分布が見られます。(※恐縮です。)

 http://nesa.chu.jp/nesa-kaishi36/nesa-kaishi36-4.pdf

 「昭和55年」の記事で「最近」といいながら、記事の時点では6年前となる「昭和49年」に発生した地すべりについて述べる。さすがに6年前は「最近」ではない…らしい。(※ソコジャナイ。)

[4608]
 > 2005年を「最新」という時間の流れ。(※詠嘆)

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%E7%B7%9A#%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%9C%B0%E6%96%B9

 > 中生代末頃の堆積岩や阿蘇山及びその噴出物に覆われている九州中西部では存在が確認されていない。

 ちょっとむずかしいです。(※ひらがな)

・(2002年)
 http://nesa.chu.jp/nesa-kaishi66/nesa-kaishi66-2.pdf

 > 本報告では,長崎市西部地域において,長崎火山岩類の層序区分を行ない,他地域との対比を試みた。さらに,従来から存在が知られながら,全体像が明らかでなかった小江原断層(鎌田,1998)について検討した。

 …OCRきついっス。(※恐縮です。)

 > 小江断層帯 Koe Fault Zonc(新称)
 > 岩屋山山頂付近と手熊川を結ぶ線以南では,幅2kmにわたり,落差数十mの正断層(南落ち優勢)が数本平行に存在し,断層帯を形成し(第3図),派生する無数の小断層(一部は逆断層)を含め,しばしば顕著な横ずれを伴っている(第1図・第2図)。
 > これらによって生じた地溝・地塁が地形に現れている(第3図の地質断面図)。

 やっぱり平行四辺形なんですか。「諏訪」の回の模型と同じ動きを思い浮かべちゃっていい感じですか。(※表現は演出です。)

 > 牛の鼻ぐりの一部では岩石が変形し,NW−SE方向に伸びている。

・(再掲)ツイッター(2017年7月3日)
 https://twitter.com/s15taka/status/881829873672638465

 > 某進学校の「理数探究」というものの助言を卒業生に求められて、いくつか自分の論文を送った。生徒には難しいと言われ、何を勘違いしてるんだ、先生に送ったんだと返したら、僕にも少し難しいですと言われてしまった(笑)。

[4248]
 > 「難しい」とは、「新しすぎる」という意味だ。○か×か。(※ジト目)せんせー、じぶんがいま興味のある、すごく最新のやつを送ったんでしょ。そうに違いない。(※決めつけ)

・「長崎市外海の石積集落景観」のイメージです
 https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/49
 https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/uploads3/00602-02.jpg

 > 結晶片岩を多用した石積みを特徴とする文化的景観

 > 流域の河岸段丘面及び山間部の斜面地では、17世紀初頭の甘藷栽培の拡大に伴って斜面地の開墾が進み(略)
 > 斜面地を開墾した際に出土した結晶片岩を用いて(略)多種多様の石積み構造物が築かれてきた。

 「17世紀初頭の甘藷」とくればアダムス。(※体言止め)

 > 結晶片岩の石に赤土及び藁(わら)すさを練り込んで築いた伝統的な石壁である「ネリベイ」のほか、明治期にはパリ外国宣教会のマルク・マリー・ド・ロ神父によって、藁すさに代わり赤土に石灰を混ぜる練積みの「ド・ロ壁」が導入され、現在もこうした石積み構造物が数多く残されている。

 http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken1211/index1.html

 > “温石”と呼ばれる結晶片岩を主とする古生層
 > ほとんどが結晶片岩(主に黒色片岩)

 > 縄文時代から弥生時代に属する「出津遺跡」が確認された外海は、古代から人が住み着いていた土地。9〜10世紀には半島各地で、温石の一種である滑石(かっせき)を利用した石鍋製作が行われ、日本各地へ流通していたという。

 > 開墾の際、無尽に出る結晶片岩、いわゆる“温石”が、身近で加工しやすかったこと
 > 山の極限まで土地利用していたため木材が不足していたこと

 > 平らで加工しやすい“温石”を水平方向に目が通るように積む「算木積み」あるいは、一部で目の通りが崩れるがゆえに「算木崩し」と呼ばれる築造技術を主体に発展していった。しかも、家屋と石垣の石積は、通常それぞれの技術者が手掛けるものだが、外海エリアでは、どちらも一般の人々により同じ手法で築く技術が受け継がれてきたという特徴を持っている。

 加工しやすい「片岩」だからこそ縄文時代もその後も「一般の人々」が石を使いこなせたのだ。別々に説明することでなく、1つのことではないか。(※考えかた)

・(2021年4月28日)
 https://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/science/science234.html

 > (全略)この研究は,九州・長崎県における黒曜石研究ならびに人類史研究のさらなる進展にも,大きく貢献するものと考えられます。

 おおー。(※恐縮です。)

[3734] 「佐世保市ハウステンボス町」と「ウインズ佐世保」を「総合保養地域整備法(リゾート法)」で読み解く
 > > 現在のハウステンボス敷地の大部分は、江戸時代に干拓された水田地跡である。太平洋戦争時に軍に接収されたのち、ごく短期間、広島県江田島の海軍兵学校分校が置かれた。大戦終結後には、厚生省佐世保引揚援護局が置かれ、針尾島西部の浦頭港に帰着した船舶から上陸した引揚者は、ここまでを徒歩で移動し、休息救護を受けた歴史がある。この地で休息後、もよりの国鉄南風崎駅から故郷への帰宅の途についた。引揚援護局閉鎖後は、陸上自衛隊針尾駐屯地を経て、その後長崎県に払い下げられた。県は、針尾工業団地として造成を行ったが、工業用水供給の問題などから企業誘致が進まず、手つかずのままだった。

 > > 総合保養地域整備法(リゾート法)の適用も受けている。
 > > 総合保養地域整備法(リゾート法)の適用も受けている。

 > > ウインズ佐世保(ウインズさせぼ)とは、長崎県佐世保市ハウステンボス町にある場外勝馬投票券発売所 (WINS) の1つである。
 > > ウインズ佐世保(ウインズさせぼ)とは、長崎県佐世保市ハウステンボス町にある場外勝馬投票券発売所 (WINS) の1つである。

 > この広大な土地を何でもいいから使ってみせよというお仕事である! 誰が何をしてもいいしもうからなくていい!! …ウインズ佐世保(ウインズさせぼ)で帳尻は合うから!(※勝手に推定。理屈は「上越(高田)」と同じ。)

 干拓しちゃったのに宙に浮いた空き地があってはいけないのである。

[3902]
 > 浮かれていたのは何も知らされない観光客ばかり、実は海沿いを民間人であふれさせておこうみたいな(げふ)なんでもございません。

[3827]
 > 海水浴客は民間人である。(※見解です。)

[3746]
 > > (全略)国際的に認められていない。
 > > (全略)国際的に認められていない。

 https://image.ganref.jp/photos/members/mactoy/49eceb98cc0decbee8f398596b669121_3.jpg

 > そこに『民間人!』を常に入れておけば(ごにょごにょ)げふ!!(しばらくお待ちください)記録が正確に残っているのは函館だからということがあるんでしょうか。これまたあえて当地で「五稜郭公園」として開放して『民間人!』が(げふ)…気になります! いまとなっては訪日客がたくさんいればこの上ない。もっと本当でしょうか。

[4198]
 > なんでもいいから大量の動員が見込めるイベントを開催し続けないと、そこらに民間人がいなくて重要な施設だけがむき出しという危ない状態になってしまう。○か×か。

 > 白々しい。
 > 白々しい。

・(2017年1月15日)
 https://www.sankeibiz.jp/econome/news/170114/ecc1701141605002-n1.htm
 https://www.sankeibiz.jp/econome/news/170114/ecc1701141605002-n2.htm
 https://www.sankeibiz.jp/econome/news/170114/ecc1701141605002-n3.htm

 > 2014年度に一般社団法人おにぎり協会が行った「おにぎり調査」で、主要コンビニエンスストア3社で人気のおにぎりが判明している。セブン-イレブンでは、ツナマヨや紅鮭、赤飯がベスト3に入った。一方、ファミリーマートは焼き鮭、ツナマヨ、昆布がランクイン。ローソンもツナマヨ、昆布、焼鮭ハラミが人気だという。

 そこは表にしませんか。(※ジト目)

 > 鮭が人気の理由
 > 日本人のソウルフィッシュでもある鮭は、リーズナブルで安定して購入できることからも安定して愛される理由であると思います。

 まったくもってその通りだけれど、松前の北前船とアイヌを紹介してほしいと思った。

 > ツナマヨが人気の理由

 マヨネーズが食べたいから入隊する。○か×か。

 > マヨネーズを和えるという現代風の味わいが、昔ながらのおにぎりの枠を超えて、より幅広い層への人気を広げているのだと思います。

 明治から大正にかけての軍隊のレシピに言及せよ。(※半命令形)

 > 昆布が人気の理由

 乾燥させて流通できるから。たくさん流通していて安いから。食べ慣れているから。ほかの具よりなんとなくよさそうだから。…選べ!(棒読み)

[4323]
 > 大人が使ってる製図用品がかっこいいから。なんとなくよさそうだから。オラの父ちゃんは信頼できるから。

・(9月6日)
 https://www.asahi.com/and/article/20210906/408453765/2/

 > 松前城は、1872(明治5)年に開拓使の支配下に入ったのち取り壊しが決定し、1875(明治8)年までには多くの建物が取り壊され、堀は埋め立てられた。このとき天守は解体を免れたが、1949(昭和24)年に松前町役場の火災が飛び火し焼失してしまった。本丸に建つ天守は、1961(昭和36)年に鉄筋コンクリートで再建され、資料館として公開されている。老朽化を受け、現在は木造での復元を計画中だ。

 思わぬところに思わぬ最新情報が…(てんてんてん)。

・(9月12日)
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210912/k10013256091000.html

 > 織田信長による延暦寺焼き討ちから450年となり、12日、大津市の比叡山延暦寺で行われた法要に信長と明智光秀の子孫が初めて参列し、ともに犠牲者を悼みました。

 現在のようすを伝えてください。(棒読み)

 > 焼き討ちから450年となることしは、延暦寺を開いた天台宗の開祖・最澄が亡くなって1200年の節目と重なることから、「相手を許すことで、うらみを無くす」という最澄の教えに基づき、焼き討ちの犠牲者をともに悼もうと、信長と光秀の子孫を初めて招きました。

 > 延暦寺の****執行と3人で拳をつきあわせる「グータッチ」を行って、今後の交流を誓っていました。

 えー…(てんてんてん)。

・ウィキペディア「マヨネーズ」より「日本」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A8%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%BA#%E6%97%A5%E6%9C%AC

 > 1923年(大正12年)の関東大震災からの復興後における生活の洋風化の中で発売したものの、当初はマヨネーズの馴染みのなさや価格の高さから売れ行きは芳しくなく、ポマードと間違えられることもあったという。当時の日本にはまだ野菜を生で食べる習慣はなかった。キユーピー・アヲハタグループは缶詰メーカーでもあったので、カニやホタテ の缶詰につけて食べる試食販売を行って味を知ってもらおうとした。さらに、当時は卵自体が高級品であり、マヨネーズの価格も高く、128g入りが50銭、現在(2016年)の貨幣価値に換算して約1700円という、高級デパートでしか手に入らない高嶺の花だった。初年度の売り上げはわずか600kgだったという。それでも当時から積極的な広告宣伝を展開したこともあって認知度は高まり、売り上げを伸ばしていく。1941年の年間出荷量は500トン近くまで達した。ただしこの年に太平洋戦争がぼっ発。原材料が入手困難となり製造を中止し、再開は終戦から3年後の1948年のことだった。

 https://youtu.be/EAcA3uGOQQ4?t=7




 ウインズ佐世保と京王閣がマヨネーズでつながった瞬間である。(違)

 > 昭和初期に陸軍糧秣本廠が編纂した陸軍公式レシピ集『軍隊調理法』では「軟食」の分類にて卵黄・西洋酢・サラダ油を主体とするマヨネーズの製法が記されている。

 それより前からある程度は広がっていなければ、そこに載ることもない。○か×か。そもそも、マヨネーズとは、その場でつくるものであって「マヨネーズの価格」という概念はなかった。いわば「大根おろしの価格」である。その場でつくる大根おろしに「大根おろしの価格」という確たる概念などあるものか。もっと○か×か。

・(9月8日)
 https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210908/1000069963.html

 > 国内で消費される小麦のおよそ9割は海外産です。
 > 政府は安定的に確保するため一括して輸入し、製粉会社などへの売り渡し価格を半年ごとに見直しています。

 社会科のおさらいみたいなニュース。…GJです!(※恐縮です。)

 > 主な産地のアメリカ北部やカナダ南部の高温や乾燥の影響で生産量が減少し、国際的な取引価格が値上がりしていることに加え、新型コロナの影響で船舶での輸送費用が上昇していることがあります。

 > 最近では、マヨネーズや砂糖といった一部の原材料の仕入れ値も上昇し(以下略)

[4437]
 > いきなりマヨネーズ。ポテトサラダでもいい。コンビニのおにぎりでもよかった。

・(再掲)「じゃがいもとマヨネーズが入ったパン」のイメージです
 http://tnc.co.jp/store/files/photo/20300_2.jpg

・(再掲)
 https://pbs.twimg.com/media/EAWo-y3UIAA4dRl.png

[4190]
 > この形式のパンの元祖というか正式な呼びかたみたいなのあるなら知りたい。ただしジャガイモとマヨネーズを使うレシピに限る。

[3873]
 > > 山田SA下り
 > > 新作パン(7)
 > > まるごとポテト 145円(税込)

 > それ、マロンドにむかしからあるやつ。

 > マロンドがオリジナルとも思えない。もっとどこかに源流がありませんか。じゃがいもとマヨネーズを使うので大正時代から(軍隊のレシピとしては)あってもおかしくない。本当でしょうか。

・「川島屋」雄弁に語りき
 http://www.marond.com/company.html

 > 大正5年 千葉市稲毛にて川島屋菓子舗開業。
 > 大正12年 新たに製パン業を開始。店頭販売。

 > 店舗(千葉県9市町村:千葉、成田、佐倉、四街道、習志野、八千代)

[4509]
 > > 千葉市内では最大級の戦争遺跡だった旧陸軍「気球連隊」の格納庫の解体が今月から始まった。戦後は民間で倉庫として活用されていたが、老朽化が進み保存が難しくなっていた。戦後75年が過ぎ、軍都だった市内でも往時を感じる建造物は少なくなっている。

 「川島屋」が展開した「千葉、成田、佐倉、四街道、習志野、八千代」というのが思いっきり『軍都』なのでした。(※恐縮です。)


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