(約11000字)
8月に書き始めた記事への追記が9月いっぱい続きます。ゆるりと「このフォーラム」本日は何日ですか。えー…(てんてんてん)。
・[4612]
> 一乗谷は何市ですか。
> 坂井市は何県ですか。
・[4604]
> 昭和63年は何年ですか。記憶にございません。
> 名古屋駅まで名鉄特急で約11分である。東横特急は何トンですか。
・[3875]
> 各駅停車電車は当駅には停車いたしません。いちばん右下は何番ですか。…はひ!?
・[4551]
> 次の電車をご利用ください。
・[4608]
> > 電柱に按針通りの名前がまだ残っており、これを見て何かホットした。
・[3652]
> …ハイジの村の方向にのろし確認っ!!
・[3716]
> 「高宮廃寺跡」あたりから馬だけ帰ってくるというオチで一席いかが。
・[4607]
> 夏休みにテレビの教養番組をぼーっと見たことがきっかけで調べていくというのは案外に正攻法
> 番組の中に出てきた何か1つの鋭く具体的なことについて
この記事はパスファインダーであります。あれとこれとがこういう点で関連がありますよという関連性をカタログのようにたくさん見せて、見る側が能動的に選んでいく手助けをしようというものです。ですから、1つ1つのことに深入りはしません。徹底的に広く。本日「このフォーラム」であります。
・[3581]
> > 「彼自身は自身の統計学的研究をあくまでも心理学研究の副産物と考えていた。」については[3524]を参照。
・[4309]
> 統計学も情報検索(探索)も、それそのものは研究の道具でしかない。
・[4265]
> 「とーすーけんがあざぶにあったころ」みたいな「ぼくがとうだいにいたとき」論法(違)
> 学術研究会議の建議に基づく統計数理研究所が「ゆりかご」になって大学入試センターができた。○か×か。(※恐縮です。)なにがいいたいかというと(※ひらがな)、どんな分野の研究室でも、研究者の卵たち(※意訳)に統計学の手ほどきをするのは大事だけど面倒なので外部化したい。そうしてできた統計数理研究所(寄り合いというか輪番というか)ならいいけれど、最初から「(ライバルが少ないと聞いて…きらーん☆)統計数理研究所に就職したいから統計学を専攻しました(キリッ」みたいな人が出てくるようになると「話が違う」ということである。
・[3952]
> スライドが100枚を超えるパワーポイントのファイルを1つ作っておいてどこに行ってもそれを開いて話にあわせてランダムな番号のスライドを(当人は暗記で)スムゥズに出してきてひょうひょうとしゃべる人!
じぶんはやらない&できないけれど、そういうひとを何人も見かけるのがふつうだ、の意。(※うつむいて棒読み)
・[4610]
> 思わぬところに思わぬ最新情報が…(てんてんてん)。
・(2021年9月11日放送)
https://www4.nhk.or.jp/P6640/x/2021-09-11/44/27424/2866700/
> のれんの奥の奥
・(2021年9月15日放送)
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/JVMZ24VZL6/
> 2020年5月、戦国史を揺るがす大発見があった。京都御苑の一角で、豊臣秀吉が亡くなるわずか一年前に築いた幻の城の遺構が姿を現したのだ。「京都新城」である。
知恵泉でオンライン飲み会の先生だー(ぐぇ)とことこ走り出す「京都御苑ツアー」とはいわないけれど(棒読み)不滅の城マスターがまじめにしゃべっておるー。(※ソコジャナイ。)さりげに出てくる「野面積(のづらづみ)」。(※体言止め)
・(2018年3月9日放送)
http://www.nhk.or.jp/fudoki/180309broadcast1.html
さりげに出てくる「野面積(のづらづみ)」そして「穴太衆(あのうしゅう)」。(※体言止め)ケーブルカーの線路沿いに延暦寺焼討(*)の歴史あり。
*平凡社「百科事典マイペディア」の見出し語にならった。言及する文脈や視点によって呼びかたは変わりうるし、心情や立場によっては言及してはならないということすらもあろう。
https://www.nhk.or.jp/fudoki-blog/100/291704.html
> 「比叡山」の回を担当しました、堀井です。
> 誰しもが教科書で一度は見たことがある、比叡山延暦寺。一体どんな場所なのか?
学校の授業だけではぜんぜんわからないよということを、学校の先生も前置きしてから授業していたという遠い記憶。なるほどしかし、学校から離れてじぶんで学んでいくときの手がかりがないとか順番がわからないといったこともあった。(※個人の感想です。)
> 番組内でも紹介した、千日回峰行を満行した釜堀浩元さん。
・「京都御所に「土足参内」 千日回峰行達成者のみに許し」(2017年10月16日)
https://www.asahi.com/articles/ASK9Y53SQK9YPTFC00G.html
> 戦後14人目。
> 土足参内は、回峰行を始めた相応和尚(そうおうかしょう)が858年、わらじ履きで御所に上がって祈ると、天皇の女御(にょご、高位の女官)の病が治ったという故事にちなむ。
> 「御所の中に入ると一層緊張したが、ご加持ができ、行者冥利(みょうり)につきるとつくづく思った」と話した。
その故事そのものを深く読み込んで深く理解するというのは別のテーマだが、すでに平易に解説されているので、それを読む限りにおいては、それほど高いハードルではない。電子辞書に内蔵された小百科の類で「土足参内とは」を引くだけで終わりにしたような記事を書くなかれ。せめて「相応和尚」をインターネットで検索するだけで、ウィキペディアが出てくるのだ。(※見解です。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E5%BF%9C_(%E5%83%A7)#%E4%BC%9D%E8%AA%AC
> 天安2年(858年)、右大臣・藤原良相の娘・多美子(のちに清和天皇の女御となる。西三条女御)が重病で瀕死の状態に陥った。良相はしきりに書状を送り相応の助けを求めたが、相応は天台宗で定められた得度後12ヶ年の篭山修行に入ってまだ4年目であり、本来、山門を出てはならない身の上であった。しかし、師・円仁は、良相が自分の身代わりに相応を得度させたのは、相応の祈念の力を頼るためであり、この急難に当って、良相の要請を断り篭山の誓いを守るのは、知恩の旨に背き、利生の意を違えるものであると諭し、速やかに良相邸に行くよう命じた。
「この急難に当って」という状況や心情が、これまでになく身につまされてわかる昨今。(※見解です。)
> 相応が良相邸に行くと、そこには各山各寺の名僧が所狭しと集り祈祷していた。粗末な布をまとった相応は下劣の者とみなされ、相応はへりくだって殿中には上がらず軒下に座って呪を唱えた。ほどなくして悪霊を呪縛したが、誰も彼も自らが呪縛したものと申し立て、誰の験かわからない。すると、その霊が几帳を飛び越え相応の前に来て踊りながら叫び声を上げた。相応が霊にもとの所に帰るよう命じると、また几帳の中に飛びかえり、しばらくして屈伏のことばを述べた。良相は感激歓喜し、居並ぶ人々は驚いて相応を見た。
> 『天台南山無動寺建立和尚伝』、『拾遺往生伝』巻下、『元亨釈書』巻十。
「わらじ履きで御所に上がって祈ると〜治った」などと短絡されては、わかるものがぜんぜんわからない。記事の文字数も改行位置も変えずに、もう少しはウィキペディアを読みましたという感じの記事にリライトしてみるというのも勉強になるだろう。○か×か。(※ジト目)
・(2021年9月15日放送)
https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/PV1GR4J9N4/
https://www.kawai-juku.ac.jp/highschool/analysis/geography-history/total/
> 「歴史総合」では「現代的な諸課題の形成に関わる歴史の大きな変化」(新学習指導要領)の理解が中心となる。
> 「歴史総合」は、世界の歴史と日本の歴史の相互関連性をいっそう重視している。
2022年度からの「歴史総合」のガイダンスである。アダムスの面目躍如である。○か×か。(違)ぬるい番組だと思ってぼーっと見ようと思ったのに2022年度からの「歴史総合」云々で目が覚める。えー…(てんてんてん)。
※表現は演出です。
・[4610]
> 「17世紀初頭の甘藷」とくればアダムス。(※体言止め)
> そのときアダムスは…(てんてんてん)、といった見かたもしていこう。
・[3298]
> どこを「1つの単元」とみなすかが、かわってくる
・[4608]
> この話が、どう「自由研究 数学」になってゆくのでしょうか。
・(2021年7月17日放送)
https://www.nhk.jp/p/buratamori/ts/D8K46WY9MZ/episode/te/M3123RG2J5/
> ▽野面積み・乱積み・布積み…石垣の奥深さを学ぶ!
数学でいう「組合せ」の単元である。「野面積」は充填問題である。(※そうともいう。)
・(2020年3月31日放送)
https://www.nhk.jp/p/chieizu/ts/R6Z2J4WP1Z/episode/te/X4PQKZ196Q/
https://www.tvu.co.jp/program/201812_chieizu/
> 明るさはろうそくの10倍で長時間点灯できる「無尽灯」
> 西洋時計と和時計の他、二十四節気まで表示できる、画期的な「万年時計」
> 国産初の実用蒸気船
きょうは佐賀で、…知恵泉。(※字足らず)“店主”がロケで佐賀へ飛ぶ、ちょっと見慣れぬ知恵泉のカタチ。(※カタカナ)それはともかく、1つのものを1人で仕上げるという面を強調する感じの「職人」という呼びかたと、同じ工学を学んだ者がチームで取り組む「エンジニア」という呼びかたを鮮やかに対置している番組ではあるけれど、そのことをあらかじめ知っていないとわからないのだ。知らない人にまでは教えてあげないよという一種のきびしいやさしさで視聴者を突き放す番組ではある。(※ほめてます。)そして「田中久重」と「東芝」が頭の中でつながっていたか。…ギクッ!! いえいえいえ、もちろん知っていましたよ。(※口笛)
・[3845]
> ▼「ビデオリサーチ@東芝さん納めの電子計算機」については[3395]、▼「東芝の事実上のAI」については[3676]を参照。
・[4222]
> ある話題が「理数探究」に匹敵する(「理数探究」の「やり方」をもってしなければ歯が立たぬ)という見極めが自分でできるようになる。これも必要です。
> あなたが高校を出たときには見逃してもらえたけれど、これからは見逃してもらえないということなのです。ええ。高校を出たときは雨が降っていたと思います。(違)
・[3477]
> 先に「考察」のしかたを考えておかないといけない。それを「予想」(「仮説」)ともいう
・[4221]
> 「理数探究=イコール=理科でしょ」などと思わせないように配慮を尽くしてほしい。
> > 「探究」というからには、じぶんでデータを加工したり整理したりして、じぶんが設定した課題や仮説に応じて、じぶんの責任で複数の私鉄を比較してほしい。
> データがないものは取り上げない。じぶんの意見など必要ない。
・[4609]
> 出ました「じぶんの意見など必要ない」まさに図書館に行って「図書館とは」というテーマで調べるような境地。
・[4088]
> 「じぶんがどう思うか」じゃなくて「公式の記事にどう書いてあるか」だけに依拠して見定めないといけません。
・[3382]
> 単純化しすぎた「村岡新駅に賛成or反対」との設定でのディベートや「メリット&デメリットの一覧」のような記事の作成(小論文など含む)は避けてくださいオネガイシマス
> ディベートに挑むには、その前提として、じぶんがじゅうぶんに専門家であらねばなりませんオネガイシマス
・[3764]
> 「ゲーム=イコール=勝ち負けと呼ばれる勝敗を決して勝ち誇るもの!」という思い込みも強い。
・[4397]
> 議論の相手方に「勝つ」ことにしかモチベーションがない(「勝ち」さえすれば、あとはどうでもいい)人とか、本気で『敵』をにくむような人が混ざってくると困る。
・[3345]
> 14歳や16歳で取り組むと、操作する前に考えすぎたり、間違えたら恥ずかしいとか、友だちより遅いとか速いとか、あらぬことばかり気にするんですよ。
・[3885]
> マージャンをすれば『漢字に強くなる』(※原文ママ)と真顔で言った人がいたとかいないとか。(※過去形)この「○○に強くなる」という言いかた自体が古い時代の遺物なんだね。そういう時代の人が言う「強い」とは「敵を負かす」ということだ。うん。「負けました」と宣言する(というルールに従う)棋士のどれだけ知的でかっこいいことよ。
> じぶんは強いから、弱いやつ(※直訳)をチームに入れていいハンデ(※原文ママ)だとか、弱いやつ(同)にも勝つ喜び(※意訳)をだなぁみたいに、どこまでも不遜である。
・[4403]
> > 私が小論文指導に携わっている受験生の多くが、小論文の内容うんぬん以前の問題として、そもそも「正しい文章が書けない」という壁にぶち当たっているからです。
> かなり厳しいものがある。さらに方言という事情が重なる場合すらある。東京で考えるよりはるかに深刻だと思っておく。おおかたの者は、小論文の『型』を覚えて小論文が書けるようになるだけで終わりである。応用が利かない。
・[3312]
> レクチャーなしにディベートしても、素朴すぎて意味が乏しいですし(※1)、自分の知っていることだけでディベートしていては=コロキーがなければ、発展も成熟もありません(※2)。コロキーなディベートに、いわば「酔っている」だけでは、それはあなた自身の利益(満足感や充足感、いわゆる「いま何かをしている感」)にしかならず、公共の、そして将来の利益のためにはフィルムから問題を発見していくことが重要といえます。さらに、フィルムばかり集めていても、そこから問題を発見したり、新しいレクチャーへとつながるようなコロキーをしていけない限り、これまた単なるコレクション自慢に陥ってしまいます。コロキーにしても、フィルムによる裏付けとディベートによる吟味がなければなりませんし、そうして確立したならば「秘蔵」「秘伝」していてはだめで、公開でレクチャーしていかなければいけません。
知っておくべきこと(それに取り組むときまでには知っていて当然とみなされること)が膨大なのが歴史であり地理である。ましてや「探究」や「総合」をや。(※詠嘆)
・(2015年8月)
https://ayaha.co.jp/spe-b55.htm
…14代目っ!(※恐縮です。)新日本風土記「比叡山」の回では15代目のお話が聞けます。
https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/04_vol_93/feature03.html
https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/04_vol_93/image/feature03_image.gif
> 司馬遼太郎著『叡山の諸道』(街道をゆく16)によれば(以下略)
(出典が)なにはなくとも司馬遼太郎というところで止まっている業界があった。風が吹くことはなかったのである。○か×か。(※表現は演出です。)
> 坂本の石垣を積み上げてきた穴太衆の末裔、粟田純司氏。
きちんと続いているのだから「末裔」と書かずに何代目なのか書け。二言はありません。ここまで「JR西日本」でした。(棒読み)
・ウィキペディア「穴太衆」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E5%A4%AA%E8%A1%86#%E7%A9%B4%E5%A4%AA%E7%A9%8D
> 滋賀県甲賀市甲南町から水口町にかけての県立自然公園を通る新名神高速道路で西日本高速道路大津工事事務所が、自然環境との調和などを狙い穴太積の採用を考えた際、現代建築に適用可能かどうかを試すための初実験として京都大学大学院による穴太衆積とコンクリートブロックによる擁壁を並べて最大荷重250トンをかけて実験した結果、荷重200トン時点でコンクリートブロックの方が先に亀裂が入り、荷重230トンでコンクリート崩壊のおそれがあり実験中止となる結果を示した。この結果を受けて、工事現場から出土した花崗岩などを再利用した高さ3.5m、長さ260mの石垣が同区間へ採用・新造されている。
> 京都新聞. (2008年2月3日)
思わぬところに思わぬ最新情報が…(てんてんてん)。
・(9月17日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210917/k10013263731000.html
> 細川忠興は戦国時代から江戸時代初期の武将で、豊臣秀吉などに仕え、細川家が九州の有力大名になる礎を築いたほか、茶道などにも通じた文化人としても知られています。
> 闘茶と呼ばれるお茶を飲んでその銘柄を当てる当時の遊びを行った際の記録
https://www.nhk.or.jp/pr-image/92d941c859e769af777a5675307216d4_ll.jpg
現在の当主も、実にへんてこな庵でへんてこなお茶をなさる。(※ジト目)
> 1586年ごろ、秀吉に一緒に仕えていた石田三成や古田織部が自筆で忠興に宛てた書状
1586年は何年ですか。…えっ。(※詠嘆)
> 石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて忠興に「自分たちは恵まれているのだから、金をため込むのではなく周りに配るよう」説いていて、専門家は押しつけがましいともとれるほど生真面目な三成の性格や人間性がよく表れているとしています。
> 三成の自筆の文字は黒くはっきりと記されていて、後段にいくにつれ書きたいことを詰め込むように行の間隔が狭くなっています。
変な親近感がわいて困る。(キリッ
> 秀吉配下の武将である蒲生氏郷や高山右近などと連れだって京都の相国寺に行く途中に、予定を変更して秀吉のところに行った
ぬふっ。(※個人の感想です。)
・(2020年4月28日放送)
https://www.nhk.jp/p/chieizu/ts/R6Z2J4WP1Z/episode/te/4MYXVK24N1/
> 細川ガラシャ
> 細川忠興に嫁ぐものの、明智光秀の娘に生まれたことで本能寺の変を境に、苦悩と苦境に苛(さいな)まれる人生がはじまった。
実質的な前編といえる「信長の妹・お市」(2020年4月21日放送)とあわせて見ないと話の流れがわかりませんよ、とだけ…(てんてんてん)。なぜか“店主”がロケで勝龍寺城。きょうは長岡京市で勝龍寺城。さらに大坂城どーん。大阪局に行く途中に、予定を変更して大坂城に行ったとでもいわんばかりに短いシーン。(※表現は演出です。)大坂城を抜け出して天満橋付近へ、という説明と、地図と、映像とが、まるで頭の中で1つになってくれない。じぶんは大阪の地理をわかっていないのだとわかる。プライスレス。(※恐縮です。)
※「逃げ込んだ勝龍寺城。…勝龍寺城!」と「抜け出した大坂城。…大坂城!」の“かけあい”。(※ジト目)
・[4039]
> きょうも長岡京市でおほほほほ。そこは京都なのか大阪なのか。(違)
・[4131]
> きょうはわざわざ長岡京市のほうからどうもありがとうございました。
・[4403]
> …お茶漬けこわい!(違)
番組にお茶漬けは出てきませんが梅干しが…(てんてんてん)。
・「勝竜寺城公園」(9月17日)
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000001/1138/Banner450th.gif
> 緊急事態宣言により閉鎖していましたが、市内の感染状況が減少傾向にあることを受けて、令和3年9月21日(火曜日)から利用を再開します。
「勝竜寺城公園」に関する最新の情報です。
> 近年の研究によって「天主」の存在が確認され、安土城に先行する「瓦・石垣・天主」を備えた「近世城郭の原点」とも言える先進的な城づくりが明らかになりました。
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000001/1138/ishigaki.JPG
> 城郭での本格的な瓦や石垣の使用は、天正4年(1576)の安土城築城が画期となると考えられていましたが、発掘調査の結果、勝龍寺城でもすでに使用されていたことが確認されました。
> また、近年発見された同時代史料(1573年)から、「天主」の存在も確認され、「瓦・石垣・天主」を備えた、当時最先端の近世城郭の原点ともいえる城づくりであったことがわかっています。
「長岡京市」の見解をそのままお伝えしました。(棒読み)
・[4579]
> とりあえず買わされるシクラメン。…シクラメン!(※卒業式のあれみたいに2回いう。)
・[4408]
> > 「おほほほほほほほほほほ」とは2014年度センター試験の国語の第2問の題材となった「快走」(著・岡本かの子)の終盤に登場するセリフである。
> > 「なぜ卒業式で呼びかけをするのか?」
> > 楽しかった林間学校、(全員)林間学校!という、
> > 卒業式での呼びかけは、群馬県の島小学校で
> > 昭和30年、斎藤喜博校長によりはじめられた。
> このあと卒業式が中止になって花屋が悲鳴を上げる([4092])ことになるとも知らずにのんきな話題をしてくれたもんだ。(※ソコジャナイ。)
・(2021年4月2日放送)
https://www.nhk.jp/p/ts/KNVRPJV3J3/episode/te/KQVLQP2X1Y/
https://img.hikaritv.net/thumbnail/VODPC854/1a1bb42.png
> 信長の安土城に似ているともいわれるが、その姿に秘められた意図とは?
岡山城がこんなにおもしろいとは思っていなかった。油断した。その「油断」という言葉については「比叡山」を参照のこと。(※諸説あり)
https://www.weblio.jp/content/%E6%B2%B9%E6%96%AD
> 未詳。日本以外の漢字文化圏では通用しない漢熟語。以下所説を列挙するが確たるものはない。
> 『北本涅槃経‐二二』の油鉢をめぐる話より(大般涅槃経#油断大敵)。
> 比叡山延暦寺根本中堂に灯される法灯は、開祖最澄の頃から消さないよう油を足し続けており、この油が断たれること無いよう戒めたことに由来。
だいたい同じ時代にどちらもあったのでは&菜種油はいつからあるんですか。えー…(てんてんてん)。
https://www.yoil.co.jp/column/416.php
> シベリア経由で中国には紀元前に既に伝播していたようであり、日本には大陸との交流も盛んになった五世紀後半頃(450年頃)には伝来して、飛鳥時代にはこれら食文化も既に伝わっていたと推測されます。
まずは食べる。(キリッ
> 安土・桃山時代に入ると、自由都市堺と九州博多等が海外貿易港として開け、朝鮮や中国からこれら油菜や綿花などの輸入と、その油脂原料としての利用方法が伝えられたと見受けられます。
> 織田信長による自由取引「楽市楽座の制度」により、寺社・公家の保護を受けていた大山崎の油座も衰退の運命となり、更に豊臣秀吉による天正11年(1583年)大坂城の築城とともに城下町の発展を図り、「遠里小野(おりおの)」の油商人を移住させ油絞所が出来ました。
> 菜種油が我国で搾油された年代は明確でなく
とってもむずかしいです。(※ひらがな)
https://www.city.okayama.jp/museum/inujima-story/okayama_01.htm
> 岡山城の石垣「3種類の積み方を確認」
これはあくまで岡山城だけを見ての話だから、ブラタモリでいうような積み方のバリエーションが揃うものではない。(※恐縮です。)
> 野面積み
> 安土城では、滋賀県坂本の穴太(あのう)の里の人が石垣を積みました。
> 立派な石垣が出来たそうで、岡山城も穴太の人が積んでいます。
> 宇喜多秀家は戦国の武将らしく、切り出した石にノミも当てないで荒々しい積み方をしています。
> 切り込みハギ
> 小早川秀秋時代に積んだものといわれています。
> 打ち込みハギ
> 宇喜多秀家が朝鮮半島での戦いに大勝利を収めた時、石工を連れて帰ってきたので、岡山では石垣積みの新しい技術が、他の地域より早く入ってきています。
「岡山シティミュージアム」の解説でした。
[4614]に続きます。
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