|
(約8000字)
[4616],[4617]の補足です。
・[4613]
> 8月に書き始めた記事への追記が9月いっぱい続きます。
> 2022年度からの「歴史総合」のガイダンスである。アダムスの面目躍如である。○か×か。(違)ぬるい番組だと思ってぼーっと見ようと思ったのに2022年度からの「歴史総合」云々で目が覚める。
・(♪〜)
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/6e/9775d2a6431f7c303c13fec57eecca9d.jpg
・(2021年9月17日放送)
https://www4.nhk.or.jp/P6628/x/2021-09-17/44/31241/2866708/
https://www.shuminoengei.jp/?m=pc&a=page_tn_detail&target_xml_topic_id=engei_001918
> 幕末、日本を訪れた外国人も驚いた「園芸ブーム」。そのきっかけを作ったのは、意外にも徳川家康や秀忠だった!
> 熱狂とバブルを生んだ江戸の園芸。謎を探ると、コロナ禍に揺れる現代に通じ合うものが見えてくる!
「コロナ禍」という言葉を使いながら文末が感嘆符で終わる文への若干のモヤモヤ。
・[4616]
> 薬草園とか出てくるのかな。(※鼻歌)
> 薬草園が、出てこないじゃないかっ。(棒読み)
> 薬草園など描かれるはずがない。浮世絵に描かれないから「浮世絵ミステリー」と称する番組にも出て来ようがない。○か×か。
・(2016年3月)
https://www.japandesign.ne.jp/event/article9270/
> 薬草を主とした本草学が中国から渡来し盛んになった江戸時代。それは近代に向かって博物学へと発展していった。
> 本展では、江戸時代から続く森野旧薬園と当時描かれた薬草を中心とした植物図譜を通して、幅広い本草の世界とその魅力を紹介する。
浮世絵に描かれるものではなかった。先に「浮世絵ミステリー」という枠を決めてしまうことで見えなくなるものがある。
http://sakagakkai.org/edosaka/oyakuenzaka.html
「御薬園橋」とも呼ばれた「四の橋」と「御薬園坂」。
> 『江戸惣鹿子名所大全』が刊行されたとき御薬園はすでに小石川に移された後だが、実際に御薬園坂と呼ばれるようになった年代は、御薬園が麻布にあった時期と思われることから、寛永十五年(1638)から貞享元年(1684)までの間には御薬園坂と呼ばれるようになっていったものと思われる。御薬園坂の名は御薬園に由来する名ではあるが、薬園が移転した後も長くそう呼ばれ続けた。
…薬園台! 唐突に新京成線。(※恐縮です。)
https://www.shinkeisei.co.jp/official/wp-content/uploads/2020/03/21_yakuendai.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%86%86%E5%8F%B0
> 薬園台の地名は、江戸時代に小石川(養生所)の薬草園がこの地に作られたことに由来している。
それはだいぶあとのはなし。(※ひらがな)
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E8%96%AC%E5%9C%92-61269
> 初め1638年徳川家光が創設。
> 綱吉のとき,小石川白山に移し,名も小石川薬園とした。
> 8代将軍徳川吉宗のとき拡張整備し,養生所を園内に設ける。青木昆陽が園内で行なった甘藷試作は有名。のち御薬園奉行をおきこれを管理した。
http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/history/research/cp1/chapter1-4.html
> 日本での薬用植物園の起源は少なくとも飛鳥時代にまでさかのぼることができる。
> 江戸時代の末期はヨーロッパでくすりの成分が明らかにされ始めた時期と一致する。この頃出島から入ってきた植物の中には、こうした知見を伴って、日本の近代薬学の基盤づくりに貢献したものもあったと思われる。
> 江戸中期に至り、医療が一般の民衆にも普及するに従って、薬の原料となる薬草木の需要が高まった。輸入品だけではまかないきれない為、八代将軍吉宗は国内の有用植物を探索したり、外国産の種苗を入手して増殖させるなどの政策を押し進めた。
> 財政再建を主なねらいとして、江戸中期から幕末に至るまで、幕府や各藩により次々に薬園が設置され、薬草木の栽培と増産が行われて商品化された。
> 私製の薬園
> 商人(薬種商)が設置したものとして、享保七年(1722)に薬種商桐山太左衛門が幕府の許可を得て下総国千葉郡小金原に開設したこと、同じく享保年間に伊藤伊兵衛が巣鴨に薬園を設置したことが記録されている。
それを本当に「私」という概念で説明できるだろうか。
> 移転後もかなり長い間、長崎の人たちには十善寺の跡地も御薬園と思われていた
「御薬園」に関して、周知を図る必要などない&そういう場合にはあたらない。○か×か。
http://www.eisai.co.jp/museum/herb/familiar/arboretum.html
> 園内はまさに都会のオアシスといった感じで、多くの自然が残されており、お昼休みの散歩コースにもなります。でも330円の入園料がかかるため、ちょっと毎日というわけにはいきません。
> 114種類の薬用植物が江戸時代に栽培されていたとの記録が残されています。
https://www.ph-10.com/yakupresso/articles/389/
> おもむろに雑草を抜き始める教授。
> 「ここね、常勤の技術職員が6人しかいないんですよ。加えてアルバイトの人が1日平均3人くらい。草刈りとか全部その人数でやってるんです」
・[3931]
> これはフロリスじゃなくてベジフルなんですか。
・[4408]
> 出ましたフロリス。その発想はなかった。(※真顔)
・[4616]
> > 「切本帳」は現在、東京国立博物館をはじめ、長崎歴史文化博物館・長崎市教育委員会・九州国立博物館・九州大学九州文化史研究所・神戸市立博物館・関西大学図書館・杏雨書屋・京都工芸繊維大学美術工芸資料館・鶴見大学図書館・鶴見大学文学部文化財学科・東京大学史料編纂所・国立歴史民俗博物館等に所蔵されており、このほか、個人蔵を含めて各所に散在していると考えられる。
> 個々のトピックに深入りする前に、そこに列挙された機関等をなるべく正確かつ実感的に実感するのが先決。それを「実感」というのでは…(てんてんてん)。
> 京都工芸繊維大学は理系です。○か×か。(※恐縮です。)
地下鉄で行くと裏門みたいなところから入ることになるのが京都工芸繊維大学なんですけど、いきなり建屋の裏側の配管とかボンベみたいなのがどーんと目に入ってきて迫力がありますよ。ええ。すんごく理系のね。消防車が迅速に活動を開始できそうな施設配置でね。建物をギリシャ文字で呼ばないでください。(※表現は演出です。)
・[3654]
> 論文の書きかた(つまりは研究のしかた=お手本がなくても仕事できる力みたいなもの)を学部だけで身につけられるとは到底、思われませんので、非常に重要だと思います。
・[4603]
> 大学生になる“はるか前”と“かなり先まで”が重要という実感でございます。
・(再掲)京都工芸繊維大学 デザイン学専攻
http://www.kit.ac.jp/edu_index/sg-science-and-technology-color/g-design/
http://www.kit.ac.jp/edu_index/sg-science-and-technology-color/g-design2/
> これからのデザイナーには、社会の潜在的なニーズを明らかにする深い観察力と、多分野の知を活かして革新的なアイデアを生み出すことの出来る発想力、様々なアイデアから調和のとれた形態や経験を導くことの出来る統合力が、より高いレベルで要求されます。
> 海外のデザイン大学から世界的に活躍するデザイナーや研究者を招き、デザイン工房・研究施設で連携プロジェクトを実施することで、専門をデザインに置きながら、分野を超越する新たな理論と方法論を生み出していきます。
> 博士論文の作成と並行して、研究対象および研究成果をもっとも有効に示すことのできるキュレーション(展示企画)をおこない、そのためのカタログ作成を義務づけます。それにより、みずからの研究を客観視する能力と幅広い発信力を身につけることができます。
・[3803]
> この「カタログ作成を義務づけ」「みずからの研究を客観視する能力と幅広い発信力」あたりなんですよ!(※個人の感想です。)「どう受け取るかは見る人しだいです(※直訳)」みたいに作品だけぽーんと放ってじぶんは姿を現さずコメントすらしないという態度が許容されなくなっている。なるほどねぇ。…実になるほどねぇ。もともとは『言葉で』作品の説明を尽くして当然なんですけれど(⇔それを「お客さま」に見せるかどうかは別の話:内輪で反省会をしないわけがない、の意)、「言葉で説明するのは『作品力!』がない証拠」みたいに言われそうだからなんかヤダーみたいな空気がありませんでしたか。それを払拭していけるなら歓迎しようではありませんか。言葉で説明する能力を磨くということは作品の世界を広げこそすれ決して狭めることはないと信じます。(※見解です。)
> 2010年なら確かになんでもかんでも「『お答えいたしかねます』(=黙ってプレーしてればいいんだよ)」みたいにいばって…いえ、ゲームに収録する鉄道車両の選択基準など制作者の考えの説明をしなくても済んでいたけれど、いまはそうじゃない。
・(♪〜)
https://stat.ameba.jp/user_images/20210222/20/023637a/63/f2/j/o1080081014900417475.jpg
https://yamabiko.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_784/yamabiko/DSC00847-2-343b1.jpg
・(2020年8月29日)
https://www.townnews.co.jp/0607/2020/08/29/540286.html
> NHKBSプレミムの歴史番組「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城」に小田原城が登場する。
> 各地の個性と魅力にあふれる名城の秘密や謎を、「城マイスター」が解き明かしていく歴史番組。
…つくる人! 食べる人!(※ジト目)『城マイスター』にされてしまっておるー(↑)…にゅるん! マイスターがジンガーして(げふ)しつれいしました。「プレミム」って、何だ。(※白目)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E4%BD%9C%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%80%81%E5%83%95%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E4%BA%BA
> 娘が「テレビのCMのせいで、男の子が給食当番をやらなくなった」と話したことがきっかけ
https://youtu.be/VAmFU6OVDkA
とりあえず「利根川進」?(※疑問形)クボタとかの企業CMにありそうなやつ。(※個人の感想です。)
・「男女共同参画白書 令和元年版」
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/honpen/b1_s00_01.html
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/zuhyo/zuhyo_img/zuhyo01-00-01.gif
> 昭和50(1975)年度の大学(学部)への進学率を男女別に見ると,女子12.7%,男子41.0%と男子の方が28.3%ポイント高いが,女子は20.2%が短期大学(本科)へ進学しており,これを合わせると女子の大学等進学率は32.9%となる。昭和35(1960)年度時点と比較すると,女子の短期大学進学率は3.0%から上昇しており,この時期の女子の高等教育機会の拡充において短期大学が大きな役割を果たしていたと言える。一方,男子の大学進学率は13.7%から上昇しており,男子の高等教育機会の拡充においては,大学が大きな役割を果たしていたと言える。
> 昭和57(1982)年時点では,女性有業者において大学・大学院卒業者の割合は5%に満たなかった。一方,バブル経済崩壊後の平成4(1992)年には,女子の短期大学進学率の上昇も反映して短期大学・高専卒業者の割合が15%を超える水準に達するが,大学・大学院卒業者の割合は6%程度にとどまっていた。
> 女子に大学・大学院までの学歴を期待する親は,昭和51(1976)年時点では4人に1人程度であったが,バブル経済崩壊後の平成6(1994)年になると3人に1人が期待するようになる。そして平成26(2014)年になると,女子に対しても過半数の親が大学・大学院までの学歴を望むようになる。しかし男子に大学・大学院までの進学を期待する親の割合と比べると低い。
・[4279]
> > 大学生協(全国大学生活協同組合連合会)とのコラボレーション企画!!
> > 400名以上の大学生のアンケート
性別を問わず「大学生」と呼んでもらえるまでに時間を要した。
> 大学に行かなかった人が大学生を見下して30年。暇そうにしてる大学生がにくい。だから時間を奪ってやれ。ゲーム漬けにして人生を狂わせてやれ。これが「A列車で行こうシリーズ」の歴史ではなかったかと冷たく問うものです。
・[4284]
> 30年前の感覚でいえば、大学に行かなかったひとが大学生を見下していう感じである。大学に行ったひとの専門性が固まるには長い時間を要する。同じ年齢で見れば、大学生がすごく幼く見えるのは当然だ。
・[4317]
> その当時の多数派たる「庶民」(※じぶんでじぶんを「庶民」という者)の感覚としては、大学生というものはからかうものだということであったかもしれないけれど、進学率がずいぶん変わったので、いま同じことをすれば、むっとする人は昔よりずっと多いはずだ。もはや往時のように大学生だというだけでからかってよいとは思われないはずだ。○か×か。
> 一昔前の「なりたい職業!」のように中小零細すぎる小売店とほんのわずかのプロスポーツとせいぜい水族館や動物園しか見ないようなものと違って、いまは「なるにはなんとか」(※仮名)が充実しているから、▼大学を出ないと就けない職業や、▼専門学校を出ないと就けない職業、▼職業高校を出たらすぐ現場に入らないと一人前になれないよという職業など、職業と学校をちゃんと結び付けてとらえることが、昔より多くの人ができるようになっていると期待される。職業ごとに、選ぶべき学校がある。ほかの学校では代わりが利かぬ。成績を輪切りにして学校を決めると職業が決まるのではないのだ。
・(9月19日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210919/k10013267601000.html
> 昭和50年(1975年)サンヨー食品は、自社で初めてとなる即席カップめん、「カップスター」を発売しました。
> 調査会社では、お湯を注ぐだけで簡単に食べられるカップめんは、自宅で食べるほかアウトドアなど屋外で活動する際に購入する人も多く、災害時の備蓄用としての需要も根強いことなどから、少子高齢化が進む中でも成長する分野だとしていて、メーカー各社の激しい販売競争が今後も続くものとみられます。
「カップスター」もまた、大学生の男性を応援する(*)という非常に狭いコンテキストでつくられたイメージに基づくパッケージでありCMであった。○か×か。そもそも雪の中で機動隊員が食べるものだというイメージが先行していた。まずは非常食ではなくマイフォーク(しばらくお待ちください)ふつうに食べていい“平和な食べ物”ですよ(棒読み)というアピールが必要だと考えられた。もっと○か×か。えー…(てんてんてん)。
*なんとかリーグといったアメリカの名門大学のスポーツのイメージにあやかったもの。こんなもん食べるのは大学生くらいのもんじゃろ、といった、そういう方向から見下した感じもあった。えー…(てんてんてん)。
※この時代くらいのひとはいまでもインスタントやレトルトの食品を使うときに言い訳がましく「(ヨメにメシをつくってもらえないときの)非常食」といちいち言い、「(ヨメの)手料理」とかいう昭和時代の単語と対置する。さらに○か×か。(※遠い目)
・(9月22日)
https://digital.asahi.com/articles/ASP9P3VY0P93UCVL00Y.html
> 日清食品広報部の****次長によれば、カップヌードルのCMは、発売当初のCMから箸を使って食べるシーンは一度もないのだそう。
うー…「続きを読む」っ!(※ジト目)
※読んでません。
・不滅中の不滅「小田原城」の回(2020年9月4日放送)
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=25089
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/uploads/original/25089/fumetsu_inta_odawara_7.jpg
> お城が災害の被害を受けたという歴史を、ありのままに見ることができるのです。
・(8月31日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210831/k10013234261000.html
> 自治体は、国の防災基本計画に基づいて食品の備蓄を行っています。
> しかし、その多くを占めるのは、乳幼児や高齢者にはかたくて飲み込むのが難しい、乾パンやビスケットなどです。
> 国は東日本大震災や熊本地震を教訓に、すべての自治体に対して、食物アレルギーのある人でも食べられるアレルギー対応食を備蓄するよう求めていますが、多くの避難所で手に入りにくいのが実情です。
> 「流通備蓄で対応する」
申し出があり次第、個別に対応しますよ(取り寄せてよこしますよ)というのは平時にしか通用しない方法ではなかったか。最初の72時間に、そこにちゃんとある、というのを「備蓄」と呼ぶ。違いますか。
| |