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「理数探究」とは何か。[4220]と[4221]にまたがっての、少し補足です。
・(再掲)東洋経済オンラインさん「西荻窪には、どうして「スタバ」がないのか?」(2016年3月9日)
http://toyokeizai.net/articles/-/108373
> 西荻窪駅にスタバがなぜできないのか、スターバックスコーヒージャパン株式会社に問い合わせてみた。
> 「そのような理由に関してはお客様に開示しておりません」
> 「今の所、予定はございません」
・[3717]
> まったくもって、相手方(スターバックスコーヒージャパン)からは「取材」という扱いを受けておられない。
> 媒体が東洋経済オンラインとはいっても記事の書き手が「漫画家」だから数理的な話題に進んでいかないのはしかたがない。…ええーっ。わたしたちはそんなことをいっていていいんでしょうか。このかたにはこのかたの持ち味があると同時にまわりを見渡せば理系の漫画家だってたくさんいるでしょ。適任者を選べとか担当者に合った話題にせよといったことを媒体に対して注文してみせるのが読者の務めではないのでしょうか。そういうことを考えもしないまま目先の記事のコメント欄で記事のあらすじみたいなことを書きながら安易に賛成だの反対だの著者が気に食わないだのみたいなことを(記事に向かって≒著者に向かって)書くようではいけないんだと思うんです。たぶんですけどね。媒体にも責任者や担当者がいる、そこのよしあしにも目を向けないと媒体が廃るとはよくいったもんだよ。
べんきょーしたくないからえんぴつをげーじつてきにけずる。(※ひらがな)
・[4221]
> 幼稚園を2年で卒業…じゃなくて、少なくとも高校を出ていれば「理数探究」を履修したとみなされる時代を迎える。これはすごいことだ。「理数探究」とは、じぶんで(※漫画家が)それができるようになるということじゃない。ほかのひと(※スターバックスコーヒージャパン)が使いこなしている数理的な手法について、だいたいわかるようになるということなのだ。(※「だいたい」に傍点。)
似たような話が最近もありましてね。うちのサイトの「ニュース」なんですがね。(ぶつぶつ)
・[4208]
> 千葉駅で「地中障害物」という報に5年遅れで接して、さっきどこかで見たマンモスの骨を思い浮かべながら、ナニが埋まっていたのかという、いわば固有名詞だけに拘泥する態度を即物的という。「地中障害物」とは「だいたいこういうもの」だという常識を獲得するのが先だ。千葉日報でも、そこにニュースバリューはないと判断し、「予想外」という『量』(「想定を上回る量」)ということに絞ってニュースとしている。これを、「じゃあナニが出たんだ」と、そのモノ(ブツ)の写真を見るまで引き下がらないような態度を即物的という。それは大人の態度じゃない。そこまで具体的な態度だとわかりやすいけれど、暗にそういう認識だということにじぶんでも気づいていないみたいに、ある情報を「正解」「真実」と「誤解」「誤報」「ウソ」に色分けするような態度もまた即物的にすぎるのである。常識の獲得という基本の段階はじぶんでやれということにほかならない。
そもそも「出店計画」に使う数理的手法はだいたいどんなものか(※「だいたい」に傍点)を知ろうとする態度が必要なのです。これと同様に、そもそも「地中障害物」とはだいたいどんなものか(※「だいたい」に傍点)を知ろうとする態度が必要なのです。この「だいたい」という感覚を、高校を卒業した者の全員に備えさせるのが「理数探究」の目先での究極の目標なのです。違いますか。(ぴしゃり
「リサーチクエスチョン」として「西荻窪駅にスタバがなぜできないのか」という問いを立ててはいけないのです。あなたが高校を出たときには見逃してもらえたけれど、これからは見逃してもらえないということなのです。ええ。高校を出たときは雨が降っていたと思います。(違)
・[4220]
> じぶんにとっては遊び(エンタメ)でも、その話題(テーマ)はプロフェッショナルだと認識すること
ある話題が「理数探究」に匹敵する(「理数探究」の「やり方」をもってしなければ歯が立たぬ)という見極めが自分でできるようになる。これも必要です。
> 2014年9月16日からずっと掲載されている(古い)「ニュース」をたまたまさっき初めて読んだ自分、という構図を「初耳」とは言わない。
・[3894]
> 北海道新聞は「箱ダイヤ」を知らない素人で、素人が自分なりに工夫した図表がたまたま「箱ダイヤ」と同じになった(すべてを知っているわれわれとしてはニヤリとせざるをえない)、とでもいわんばかりである。
たまたまじぶんが気になった「西荻窪」だけにとらわれ「西荻窪駅にスタバがなぜできないのか」という問いを立ててしまう。われわれはどこまで尊大で不遜なのか。だからといって、じぶんでじぶんを「×ァカだから」「××だから」と免罪符のように書きさえすればというのもとんでもない態度なのだが…(てんてんてん)。
・ツイッター(2020年8月7日)
https://twitter.com/westantenna/status/1291724883102019584
> 2012年4月からTwitterを利用しています
新しすぎるので信用は半分半分である。新しいから信用したい(今後の活躍に期待したい)というのが半分、新しすぎるから信用しない(青すぎる)というのが半分ということである。(※個人の感想です。)
> このツイッターアカウントを作った当初は、文字・フォントだったはずなんだけど、地理とか交通の色が強くなり、マストドンに引きこもりと、長い時間を感じます。
> 仕事も変わったことだし、このツイッターアカウントは少しデザインの色を強くしていきますか。
卒論だか卒業制作だか判然としない(*)が「シームレス路線図」をつくって学校を出ました(わたしはこれで卒業を勝ち取りました)みたいなひとのようでございます。見える範囲ではフォントとグラフの描きかたにしか興味のない、興味が狭すぎる人に見えてしまっていますけれど、そんなつまらない人ではあるまい。うん。学校で持たされたのはデザイン(の技能)だけ。そこで扱う内容(コンテンツの本体・データ)はあなたの専門じゃない(=専門外のことをしてはいけない)。そこは峻別しないといけません。だから「文字・フォント」のままでいいんじゃないですか。(棒読み)しかし、「フォントデザイナーごっこ」になってはいけない。書道もやらないと。これはたいへんだ書道もやらないと!(違)
*卒業制作としては実技が見えてこない。卒論としてはサイエンスが見えてこない。
※グラフィックデザインを修めたら書道は修めようがない。何かを修めるのは1人、人生で1つきりだ。いくつか取り組んだとしたら、いちばん成績が良かったやつ1つだけだ。そうでないと、「修めた」とはみなされない。○か×か。
・[3587]
> 心理学を修めていない者が、Rの操作だけを覚えて「因子分析」を行なってはならない(無資格××である)
> 経済学を修めていない者が、Rの操作だけを覚えて「時系列分析」を、実経済のデータを題材として行なってはならない(無資格××である)
> ここでいう「〜を修めた者」とは、修士論文が合格して修士号を得た者以上とする…みたいにいっちゃうと、専門職大学院の『みなし修士!(修士論文なし)』はどうなのかといって、うーん。そっちは『AT限定!』で、(後からでも)修士論文を書けば『限定解除!(MTもいけます!)』でしょ。
> 当然ながら、若いうちにフルセット(『ぜんぶ載せ!』)の勉強や訓練を受けていないと、あとから『限定解除!』なんて、とても無理ですってば!(※あくまでイメージです。)新しいことや難しいこと(…新しいことはたいてい難しいんですけど)は若い者に頼る。
55歳以上で論文博士という博士の信用は半分半分である。(※見解です。)長年の社会経験で補ってギブギブ(違)の論文博士にまで頼らないと博士が足りないほど博士は足りないのである。
https://chojugiga.com/c/choju36_0023/choju36_0023.png
https://chojugiga.com/c/choju47_0029/choju47_0029.png
・[3676]
> そういう意味では工学部の者はダミーデータを使わなければならないのではないんですかねぇ。社会学を修めていない者が、自作のプログラムで実社会のデータを直接さわるのは無資格××ではないか(そういう注文を受けてから初めて、発注者からデータを与えられて初めてさわることが許される立場ではないか)ということも、ちょっと考えます。
・[4130]
> 同様に、プログラミングを教えてよいのは、理学部でプログラミング言語などを卒論のテーマにして合格して卒業した者に限る。単にじぶんが習いましたというだけでは、人に教える資格までは備えていないのだ。▼(公財)阿蘇火山博物館「夏休み自由研究スーパー相談会」については[3476]、▼筑波大学全学技術委員会「教員の監督を受けもせず技術職員だけで」については[3520]を参照。
そういう認識をしているとわかるような話題が出てこないなら卒論は書いてない(≒書いたうちに入らない)ひとなんだなと思わざるを得ないが、それがいけないというのではもちろんない。立場が違う。
https://www.webcartop.jp/2018/08/269099/
> MTでなければ運転できないというユーザーも一定数存在する
> 日本専用の軽自動車でもMTは幅広く設定されている。ホンダの軽商用バン「N-VAN」に専用変速比を持つ6速MTが与えられたことも記憶に新しい。
> ロジカルに考えるとMTが残っていく理由はなくなりつつある。
> ロジカルには不要でも、エモーショナルには必要。それがMTである。
> 実際にMTでなければ運転できないと感じている人は、高齢ドライバーを中心に見受けられる。そうしたドライバーの居住地域が、クルマがなければ生活が成り立たないようなエリアであれば、世の中がAT車だけになってしまうと生活が立ち行かなくなる。
それは「ロジカル」じゃないか。(※ジト目)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1506/19/news043.html
> 「ほげぇー。先生のオリジナルの愉快な単語だと思っていたよ。」
・[3864]
> 「佐々木マキ」27歳である。27歳までは何をしても勉強である。…そういうことだったのか!(※考えかたはいろいろあります。)
・[4147]
> オムハヤシはデミグラス天津飯である。「あの情報とこの情報がつながる」とはこのことだ。「佐々木マキ」27歳である。
> トマトチキンはチキン酢豚である。「そういうことだったのか!!」と目からウロコの体験とはこのことだ。「佐々木マキ」27歳である。
> これはなんだろう。…実に、これはなんだろう。(※詠嘆)
> 水中でも宇宙でも(違)われら小松菜兄弟である。
https://youtu.be/MF1aYlsAxzM
・ツイッター(2016年6月30日)
https://twitter.com/westantenna/status/748463379535147009
> 何言ってんだかよくわからないけど
> よくもまあこの人は
じぶんがまだ知らない隠語みたいなので“空中戦”するなよ(この年寄りめ!)、みたいな非難の声をアリガトウ。(違)2016年に「何言ってんだか」「よくもまあ」という古風な言い回しをじぶんでする若者はいないだろうから、あなたの学校の先生の口癖のコピーなのだろう。2020年になって「長い時間を感じます」みたいに一見まともに書けているように見えても、それは職場での“しつけ”によるものとしか思えない。ツイッターのむこうであなたのツイートを読む人を人とも思っていない(数で数えるヒツジのよう!)「〜ことだし〜していきますか」構文のふてぶてしさよ。こちらこそが2020年のあなた自身なのだろう。これは2024年のあなたにむかって言っておく。だから2024年になってから読んでほしい。
・[3187]
> 「「ドスパラ調査」を読み解く(仮)」([3088],[3142])も事前に参照ください。本件ヤフーでは(単独の)調査が行われていないので、単に「報告」(データを用いた評論:レビューの類)だと位置づけられましょう。
この冒頭部分がわからなかったというギブアップの声である。門前払いである。もっとくやしがるがよい。くやしい扱いを受けたとも気づかなかった(くやしがりそびれた)ことをくやしがるのだ。きょうは門前仲町でちかてつそば。…2階もあるよ!(違)
https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/89351/640x640_rect_89351660.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20090702/22/hotcake-remix/4f/b8/j/o0639046810206715112.jpg
https://img.officee.jp/9/986730.jpg
> 自分が今やっていることとほど近い「ヤフー報告」の批評、的な。
違う。2020年のあなたにはわかるはずだから、いまだからいう。(ばーん
・多重括弧注意©『「報告」(データを用いた評論:レビューの類)』の意味するところがわからないので、とりあえずわかる「批評、的な」と理解した2016年のあなた。(※体言止め)
・「本件ヤフーでは〜位置づけられ」の文が読めていないので、「「ヤフー報告」の批評」と取り違えた2016年のあなた。(※体言止め)
多重括弧もパースできないでやんの、とまではいわないが(…いってるし!!)、(ヤフーのは)単なる評論、いわばポエムだよ、と、(ヤフーを)こきおろしているのです。二言目には「AIが書いた」と言い張る。(違)
・「評論」なのは「FORUM×ATOS」ではなく「ヤフー」
・「投資集団と技術集団のシナジー(笑)」たる「ヤフー」と「評論」の不釣り合いよ(※ここがこきおろしポイント)
・「FORUM×ATOS」は「評論」という中立ぶったものでなく、主観を述べる場
それを読み取れないとはなさけない。いいぞもっとくやしがるがよい。そういうことだから、記事の見出しの「ヤフー報告」というのは、これだけで相当な嫌味なのだ。それを読み取れないとはなさけない。いいぞさらにくやしがるがよい。
※「当社調べ」みたいな、なんか勝手に言ってる、という扱いをして突き放すのが「ヤフー報告」という呼び方だ、の意。
※ヤフーが自前で取ったデータじゃないから「当社調べ」ですらない。「ドスパラ調査」は、どんなデータであれ、そのデータはドスパラが自前で取ったものだから敬意を表するよ、の意。そのデータの『原作者!』は誰かを確かめようという態度である。これは労力への敬意ではない。自前でデータを取るには、そのデータの取り方への習熟が必要なので、最終的に「勝手のわかったデータ」になっていると期待されるが、データだけをもらってきた(金に糸目をつけず買い付けてきて下品に笑いながら乗り回す!)のでは、そういう習熟は起きないよ、だからよほど自力で勉強しないといけないけれど、それをしていますか、という見方である。データと筆者の不釣り合いなさまを嘲笑するものである。このとき、使うデータは無料のものでも、使う側が「金に糸目をつけず買い付けて」に相当する横柄な態度(データの信頼性と不釣り合いな態度で臨み、データの信頼性まで疑われてしまうようなことを引き起こす)があることに注意。
※本当は「ヤフーポエム」なんだけど、その努力だけは買ってやる、みたいに、むこうが自称してくる「報告」くらいには呼んでやってもいい、の意。当然ながら、これぜんぶ演出です。ヤフーが出してるからというだけで内容をうのみにするんじゃないよ、くらいのニュアンスしかないんですよ。わあぃゆるふわ。このフォーラムの記事の矛先は、ヤフーではなく読者のほうを向いている。ヤフーが何してもヤフーだけど、わたしたちはどうあるべきか、という話題なんです。技術者にありがちな、出典もエビデンスレベルも確かめず、何か具体的でおもしろそうなデータが見えれば飛びつく態度をいさめるものです。どんなにおもしろくても、よからぬ者が発信した情報なら無視しないといけないし、その逆であれば、無視してはいけないのである。おもしろいデータなのに扱いがひどければ、そこをちゃんと怒らないといけないのである。データのむこうには人がいるんですよ。人へのリスペクトなしでデータだけを転がす態度は許さない。うん。
…みたいなことを人に聞かなくてもわかるようになっていないと、読解にかかる時間が指数関数的に増加するように仕込んであるのだ。出ました『指数関数的』本日のフォーラムであります。(違)
> 何言ってんだかよくわからないけど
省略されているが、その前に「じぶんは××だからわからなくて当然」という開き直りがある。(※正しく開き直ることはとても大切です。開き直らないと勉強できるものもできなくなる。勉強には開き直りが大切です。)「××」には「まだ勉強中だし」みたいな謙虚なものから「どうせ××だし」という(本人にとって)絶望的なものまで、ありとあらゆる言い訳が入る。無数の言い訳があるうちのどれが最大のファクターだとかすらも考えるのがめんどい。めんどいと言うと語弊があるなら、考える余力がないと言おうか。(※そのほうがもっとひどい言いかたなんですけど!!)だから省略する。…みたいなロジックである。ま、みんなそうですよ。うん。
> よくもまあこの人は、こんな(わざと)難しくしたような感もある文章を、十数年にわたって何千も書けるものだ
内容だけがむき出しでそこにあって、文章も何もあったもんじゃない、みたいにしていきたいのが「このフォーラム」なのだ。うん。文章は気にせず、内容だけを持ち帰って自力で検討しておくんなまし。…みたいなことを、記事と独立して説明のページに書いたとしても、その説明のページを読んでもらえないから、問答無用で、記事そのものを、そういうふうにしか利用できないようにしておくのだ。コピー機にかけると「複写」という文字が浮かび上がるのだ。これもなにかの…じゃなくて、これもひとつのアフォーダンス。(※体言止め)文章は無意味にしておくのだ。イスがあったら座るしかない。えー…(てんてんてん)。
・[4212]
> 考えて泳いでるとか、泳ぎたいから泳ぐというのじゃない。なんか歩いて行ったら水だったので泳ぐしかない、みたいな顔で泳ぐのである。
https://youtu.be/PKy9N-O3M3M?t=5
> ふてぶてしくてかわいい♪
・[3520]
> 生徒としては口を開けて待っていさえすればせんせいが「プリントみたいなの」を持ってきて配ってくれる
・[3907]
> 何か配られたら、自動的に取り組んじゃう。(にやり
https://thesaurus.weblio.jp/content/%E5%B0%8A%E5%A4%A7%E3%81%AA
> 過信した
> 慢心から
> ふてぶてしい
https://thesaurus.weblio.jp/content/%E4%B8%8D%E9%81%9C%E3%81%AA
> 年齢の低い人が不相応な態度をとるさま
> 人の言動や振る舞いに礼儀が足りていないさま
> ふてぶてしい
> ぶしつけな
・ツイッター(2020年10月8日)
https://twitter.com/Kai_inamoto/status/1314033751328845825
> A列車で行こう5というゲームがありまして、この中にモノレールがあるんですが、そのうち低速の車両モデルがどう見てもゆりかもめ7000系なんすよね
> モノレール−車両リスト− https://artdink.co.jp/japanese/title/a5pc/mono.html
> ご丁寧にタイヤまで描画されているがお前モノレールちゃうんかいって話
それ、本当にじぶんで見つけてじぶんの言葉で語った話題だと胸を張れますか。
・[3840]
> おっと、そんなところにそんなコンテンツがあったとは…(てんてんてん)。
2019年11月17日のことでした。(棒読み)
・[3873]
> じぶんよりひどい態度の者を軽蔑し(教育や説得をあきらめ)、あえて不相応に高度な物を与え、じぶんから遠ざける。やっかい払い。
与えられたものが高度だとも気づかず使い方に失敗して自滅したまへ。(違)
・[3734]
> なぜか本件ゲームをプレーしたキッズ(違)「モノレール!」は要望するけれど「新交通システムの類!」は要望しないんだなこれがっ。古参のプレーヤーがいう「いつかどこかで5番線からモノレール」という言説になびいているだけで、じぶんで考えた(主体的な・自発的な)要望だとは認められないんだなこれがっ。(※見解です。)
どこまでいってもキッズたち「モノレール!」という頭なので、当該のページを見てもなお「モノレールちゃうんかいって話」にしてしまう。「新交通システムの類!」という言葉は出てこない。じぶんで何かを考えたという形跡を、そのツイートに認めることはできないのだ。…くっ!! 残念だが、ここまでだ。(※表現は演出です。)
・栃木県総合教育センター「自己指導能力育成 LHR活動プログラム(全21時間)」
http://www.tochigi-edu.ed.jp/hiroba/plan/detail.php?plan=C016-0001
「LHR」(※全角)がいっぱい。…「LHR」(※全角)がいっぱい!
> 指導案は、自己指導能力育成の留意点等に配慮しながら、「危機管理」「法律等」「自己理解」「判断力育成」「ボランティア」「進路」「規範意識」の領域で、学校、学年、クラスで必要に応じて実施できるもの、また、問題行動が発生した時にすべての生徒に対して実施できるものなど、21時間分を作成しました。
・[4208]
> > (♪〜)きょうのカラフルは、セルビアから。
> …のノリで!
・[4220]
> Eテレの「カラフル!」は「道徳」なんですって。…あらあら! ……まあまあ!!(※真顔)
やっぱり「道徳」なんですね。「理数探究」ってね。「LHR」(※全角)のノリで「担任」がね。(※表現は演出です。)
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