フォーラム - neorail.jp R16
発行:2019/6/17
更新:2022/5/26

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【多摩川越え】「蓄電池」あれば怖くない?(仮)【たまごっちCD-ROMあり】


(約21000字)

 記事を掲載できる枠(規定の文字数)が少なすぎると“消化不良!”な記事が量産されてまいります。(心構えとして&比ゆ的に)「中学生にもお年寄りにもわかるように書け!」とばかり教えられていると、それを『変に律義!』に守る(きわめて皮相的にいいつけを守るだけでじぶんでは考えない)ライターや記者があらわれ、やがて行政の実務など用語や手続きが膨大なところ(説明しようとすれば必ず長くなるし安易な言い換えはできない部分)にまったくフォーカスしない、誰のためにもならない(読んでも勉強にならない、読者が新しいことを知る機会にならない、ものごとの関連が見えてこない、ひいては書き手の成熟を促さない)記事ばかりが増えていくことになります。本当でしょうか。

・…ほとほと困りきった先生方のための落書きのようなもの(※恐縮です)
 https://arx.neorail.jp/

 > ラピエ・ドリーネ・ポドゾル!

 …ラピエ・ドリーネ・ポドゾルっ!(きらーん☆)

 https://aa1a5178aef33568e9c4-a77ea51e8d8892c1eb8348eb6b3663f6.ssl.cf5.rackcdn.com/p/full/3f7f7d1b-e07c-4350-a218-e86fc191b379.jpg

 「ラピエ・ドリーネ・ポドゾルっ!(きらーん☆)」みたいに書いていると「中学生とお年寄り」(※「と」に傍点)が怒るんですよ。こちらから能動的に読者を選んでいるようなものですね、わかります。

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 > 指を折りながら10進数で数え、0.5とは言わずに『5割!』と言い、2倍とは言わずに『倍!』と言うような(大巾に中略)2倍というものをすごく大きいと思って、仮に『3倍!』とか『4倍!』とか言えば、それは「激辛」だと思っているので、「アイテム数の上限を2〜3桁ほど増やしてほしい」みたいなことを言うひとを「…は?(笑)」みたいな顔で一蹴なさる(略)そういう態度が生々しく想像されるんですよ。ゾッとするね。こちらは対数で考えているのにそちらには対数で考えるという発想がないんですよ。ええ。(※表現は演出です。)

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 > > 毎日中学生新聞毎週水曜連載でした。しかし、低レベルのためにこんなもの書くなという批判が強く、断念しました。中学生新聞側は文句無かったんですけどね。

 > うわぁリアル14歳。14歳の読者がお怒りになられる。

 > > 1000倍くらい

 > 「くらい」ってなんだよぉ、『実数!』で示せよぉ&「コ***ウ!」…などといって、その実、「対数的」ということを示すには桁数だけ述べれば十分なんですよ。オトナには、「リアル14歳!」のお人が『14歳!』をこじらせないよう見守る責任があるとは思うんですけれど、他人のことやメディア越し(※ただしインターネットを含む)にそこまで責任もてませんといって、このフォーラムでは「16歳以上」としているのです。あしからず。

 > 増やしかたが「1, 2, 3, 5, 10, 20, 30, 50, 100, ...」みたいなのを「対数的」と言っています。「2〜3桁ほど」とは、具体的には「250倍〜700倍くらい」をイメージした表現です。…「くらい」ってなんだよぉ!!(棒読み)

 わずか3倍で「激辛」になるような事象もあるけれど、「250倍〜700倍くらい」というスケールで観察しないと意味がないものだってあるんだということを習うのは何年生ですか。…うわぁ「何年生ですか」!!(※恐縮です。ただの数字上の操作でなく切実なかたちで習うものとしては農業高校で農薬の希釈みたいなのが最も早く習う部類ではありませんか。本当でしょうか。)

・住友化学が誇る驚異の「i-農力」より本日は「1000倍液1リットルの作り方(農薬の希釈方法)」をご覧いただきます
 https://www.i-nouryoku.com/agora/kisyaku/index.html

・(♪〜)こちらはJA松任です
 http://www.is-ja.jp/matto/saien/kisyaku.html

 > 500倍
 > 600倍
 > 700倍
 > 750倍
 > 800倍
 > 1000倍
 > 1200倍
 > 1500倍
 > 2000倍
 > 2500倍
 > 3000倍
 > 4000倍
 > 5000倍

 500倍からのスタートです! いま絶妙に「対数的」に飛んでいるのがおわかりいただけるでしょうか。(棒読み)

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 > > 竹内さんはステレオタイプな発想を嫌い、仕事にも厳しい上司だったそうです。部下が提出する調査レポートの図表が役所などの図表のいわゆる「コピペ」だったような時はすぐさま突き返し、現場に行って調べてくるよう指導したそうです
 > > 「レポートの文章は何度も書き直させられました。『その主語、その述語を選んだのはなぜか』『その修飾語が最善なのか』。ひと言ひと言について理由の説明を求められ、正解は言わない。ことばを徹底的にそぎ落としエッセンスを残す。そして何より中学生やお年寄りにも分かってもらえる文章を書けないのなら、調査対象について本当の理解に達していないのだとおっしゃる」

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 > わずか2つの変数間の「一対一(いわゆるサシ)」の関係(※統計学でいう「単回帰」で得られる(数学でいう)一次方程式の形をした(統計学でいう)「回帰式」=数学としては中学校の水準)しか見ていないということが、場合によってはどれだけ「破壊的スポイル」のようなものを起こしてしまうだろうかということを、よくお考えになってください。

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 > 現在の水準でわたしたち、最初から多変量でいきましょう。このとき、(教科書やジャーナルに白黒で印刷できる図という意味で)“平面”の発想にしばられていると、(4次元以上の)多変量解析というものを過度にむずかしいものだと思ってしまいます。むずかしいと思うからむずかしくなるんですよ。

 > わたしたち、学習上の様々な段階で、それ以上の理解をあきらめるという局面に立たされてまいります。そのときあきらめるのが「多変量(を直感的に扱える)」なのか「回帰式(を手で描ける)」なのかに分かれるとあらば、断然、あきらめるのは後者にしておきなはれよと、こういうわけです。後者ができて前者ができないと(『多変量の時代!』には)致命的なのですよ。

 1例として、このフォーラムで取り上げた朝倉書店「多変量解析実例ハンドブック」の記事一覧は目次より参照のこと。わたしたちはそのような勉強を下敷きにして社会問題を読み解きたいのですよ。

・(再掲)東洋経済オンラインさん「西荻窪には、どうして「スタバ」がないのか?」(2016年3月9日)
 http://toyokeizai.net/articles/-/108373

 > 西荻窪駅にスタバがなぜできないのか、スターバックスコーヒージャパン株式会社に問い合わせてみた。

 > 「そのような理由に関してはお客様に開示しておりません」
 > 「今の所、予定はございません」

 まったくもって、相手方(スターバックスコーヒージャパン)からは「取材」という扱いを受けておられない。(※個人の感想です。)

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 媒体が東洋経済オンラインとはいっても記事の書き手が「漫画家」だから数理的な話題に進んでいかないのはしかたがない。…ええーっ。わたしたちはそんなことをいっていていいんでしょうか。このかたにはこのかたの持ち味があると同時にまわりを見渡せば理系の漫画家だってたくさんいるでしょ。適任者を選べとか担当者に合った話題にせよといったことを媒体に対して注文してみせるのが読者の務めではないのでしょうか。そういうことを考えもしないまま目先の記事のコメント欄で記事のあらすじみたいなことを書きながら安易に賛成だの反対だの著者が気に食わないだのみたいなことを(記事に向かって≒著者に向かって)書くようではいけないんだと思うんです。たぶんですけどね。媒体にも責任者や担当者がいる、そこのよしあしにも目を向けないと媒体が廃るとはよくいったもんだよ。(※非常に気をつかってやんわりと書いていますが厳然たる見解です。…じっ、じぶんで「気をつかって」とかいうなぁぁぁ!!)

 > 西荻窪と高円寺は何か共通点があるのではないか?