(約13000字)
最初は[4626]に載せてあったけれど、冗長だとか話の腰を折るだとかいう内容は、こちらへ移そうというものです。過度な期待はしないでください。それではさっそく(…コホン!)、▼「山本如春斎」については[3472]を参照。
・[3472]
> > 名は勝部如春斎(じょしゅんさい)(1721〜84年)。兵庫・西宮の裕福な醸造家の次男に生まれ、大坂で狩野派を学んだ。没後、誤って「山本如春斎」の名が伝わり、今に至るまで美術史家の間ではそう認識されてきたという。
> 「〇〇さんちの次男坊が「絵師」になったってよ! 『如春斎』とかいったっけ。」みたいなソレ
…JYO! JYO! プロトコルを日本語でいえますか。(違)
・[4403]
> スクロールを日本語で言えますか。
それはさすがに…(てんてんてん)。
・(10月18日)
https://www.asahi.com/articles/DA3S15079329.html
> この里にはいつも霜が降るのか、夏の野に私が見た草は、秋のモミジのように黄葉していたよ
> 冷夏で枯れた病葉(わくらば)を哀れんだ歌かと思っていた
・大阪府立大学大学院 生命環境科学研究科 応用生命科学専攻 植物生体防御学グループ「植物病と万葉集」
http://www.biosci.osakafu-u.ac.jp/plantpath/topics/hiyodoribana/
> この歌は、西暦752年の東大寺大仏開眼供養の行事後に孝謙天皇が平城京の藤原仲麻呂の屋敷に立ち寄った時に見かけたヒヨドリバナを見て詠まれたものと言われています。孝謙天皇が夏に見た色づいたヒヨドリバナはジェミニウイルスに感染して黄化症状を示していた植物であり、ヒヨドリバナのウイルス病を詠ったこの歌は、世界で最も古い植物ウイルスの記録であるとされています。
http://www.biosci.osakafu-u.ac.jp/osakafu-content/uploads/sites/296/geminivirus.jpg
・[4640]
> > 知ったかぶりの横丁の先生。金さんに、百人一首の在原業平の歌「千早振る神代もきかず竜田川からくれないに水くぐるとは」は、どういう意味なのかと聞かれて、困ったあげく…
> もう「千早振る神代もきかず竜田川からくれないに水くぐるとは」しか浮かばんでありんす。一晩で千両、ラジオは30万円、テレビジョンは1500万円でありんす。
・[4427]
> 落語の乗船名簿には住友とか三井とか書いておけ。(違)
・[4426]
> ラジオでたまたま聴いたときには、そこが住友さんや三井さんにしてあるやつをやっていた。長閑な時代であった。
https://kyoetsu-gion.com/wp-content/uploads/togetsu3.jpg
※画像はイメージです。本文とは無関係です。
・[4626]
> 「大首絵」に着目させる話の流れ
・[3780]
> 絵本みたいに幼稚でチープな雑誌の表紙みたいな電車の写真(みたいに大写しにした&しかしあなたが撮ると広角で歪んだ)みたいな写真
「浮世絵 顔 同じ」というGoogleサジェストもあるけれど「大首絵」とチープな鉄道雑誌の表紙の「電車の顔」をあざやかに結びつけてみせる画期的な新説が誕生した瞬間である。(違)
・[4028]
> Googleサジェストの限界を見る気がするよ。
・「日本画とは」山種美術館の説明です
http://www.yamatane-museum.jp/nihonga/
> 現在では、伝統にもとづく技法、感覚や美意識、表現などは時代とともに変化し、つねに日本画とは何か、また日本画と洋画の区別がはたして絵画表現にとって有効なのか、と問われ続けています。
> 素材がどうあれ、日本人が描く絵は皆日本画であるという意見
> 素材がどうあれ、日本人が描く絵は皆日本画であるという意見
・[3711]
> 素材というものは、ある時代や経済や体制のもとでは「それしかない」というものですから、誰が何を考えて何を描くかというのが本質ではありませんか。「日本画」と呼ぶかどうかとは独立に、そのような本質に着目させる鑑賞の教育が大切ではありませんか。もちろん、そのためには素材についての正確な理解も必須であります。
・(再掲)キヤノンです
https://cweb.canon.jp/eos/special/beginner/column16/
> 一つの構図にこだわらずに色々と試す!
> こだわらず
> こだわらず
・[3780]
> ものすごくあたりまえのことなのだけれど、きっとこれができない(※「こだわらず」ということができない)から「電車の顔」ばかり撮り続ける人になっちゃうのよ。そして、『いつも通りの写真(※意訳)』が撮れなかったなどといって当たり散らすんですよ。
・「一つの構図にこだわらずに色々と試す!」のイメージです
https://dc.watch.impress.co.jp/img/dcw/docs/725/413/67.jpg
・『いつも通りの写真(※意訳)』のイメージです
https://www.gk-graphics.jp/wp-content/uploads/works/078/works078_b.jpg
・[4298]
> きょうは中央本線で夏目漱石。(違)清少納言が自動改札で戸惑うのもかわいいじゃないですか。(もっと違)
https://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1908/23/l_oiz_jr_sign_02.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DypX9UlUcAQxSUT.png
・[3513]
> > 「納言ちゃん」が自動改札機を珍しがるやつ(!)
・(10月18日)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15079256.html
> 日本の女子団体スポーツでは珍しいプロリーグが設立された理由の一つは、日本代表(なでしこジャパン)の低迷だ。
・[4272]
> (♪〜)なぜか回りながらリプレイ。(違)
…じゃなくてですね。
・[4052]
> > 余裕派という名称は、漱石が虚子の小説『鶏頭』の序文で「余裕のある小説と、余裕のない小説」と書いたことに由来する。
『余裕派』夏目漱石にならっていえば、電光掲示板に近づきすぎて首を痛くして見上げて撮ったような「余裕のない写真」はだめだね。プラチナだめだね。(※表現は演出です。)
・[4377]
> > 「左を見ろ」→「右を見ろ」→「上を見ろ」→「バカが見るー!」的なイタズラかもしれないと警戒しつつ
> 「指令書」に次の指令書のありかが書いてある。木の枝に結んであったり、ネコが運んできたりする。プライスレス。よーしここは裏をかいて最初から野球いってみよっか。ぶぶー!! 正解は「夏休みの宿題をいっしょにやる」、でしたー。(違)
・[4054]
> どうしてそのような行動になってしまうのか。すぐそこに関連情報をいろいろ集めてあるというのに、まったく見ないで帰ってしまうのか。
> あなたは何歳なのか。(※反語)「気になるウェブサイトを見つけたので、余裕を持っていろいろなものを見渡すじぶん」という自画像を持ってほしい。じぶんはウェブサイトを訪問しているんだという、一定の長さで継続するセッションを意識してほしい。ステートフルであってほしい。
> 「なになにサイト」というのは、「なになにするならここでしてねと囲った場所」の意味。そういうわかりやすい、しかし、あまりにも初歩的な(=ICT技術ではなく英語、語学として初歩的な=)説明を誰もしてくれないのよ。「カッコ悪いことをちゃんとやれるひとってカッコ良い」とは、こういうことをいうのではないかしら。えー…(てんてんてん)。かっこつけると、簡単なことややさしいことをやさしい言葉で説明することができなくなる。…じぶんが初心者みたいに見えてかっこわるいと思ってるから!
・[4626]
> > 研究発表において、数式をばんばん出して、わけわからないことを淡々と話す人たちがいます。ほとんどの場合は深く理解していません。学生であれば、教員に言われたことをそのままやっているため本質的な部分を理解できていません。また、ちょっと角度を変えて眺めることすらできていません。
・[3407]
> あなた、何も考えず自動的に撮ってるでしょ。
> あなた、何も考えず自動的に撮ってるでしょ。
・[4064]
> 「Pythonでなになにする」という実装のイメージしか涵養されず、多変量解析の全般について見通しを得るという高等教育に期待される何か的なものを全うできない感じであるとでも言えばよいか。
・[3138]
> 技術者やそのタマゴにあって、真っ先に落ちる『落とし穴』的なものとして、技術面だけ(いわゆるICT技術だけ、その次には、鉄道車両の技術だけ)に視野が狭まってしまう、ということがあろうかと思います。
・[3583]
> > サポートベクターマシンはLIBSVMをラップするCythonで実装されておりロジスティック回帰や線型サポートベクターマシンはLIBLINEARの同様なラッパーで実装されている。
> おぬしPythonと呼ばれるこたつから出ずにミカンを引き寄せる方法ばかり考えておるじゃろ。
・[3636]
> Pythonでぜんぶ済ませるひととRを対話的に使うひととMathWorksなどの製品をヘルプを読みながら使うひとの間で何か優劣があると決めつけるわけにはいかず、あえていえば『御社!』の現場と同じならすぐに仕事していただけるよねくらいのことでしかないわけですよ。
・[4626]
> 高校生に主成分分析の操作方法だけを教えて暗記させよう(マークシートで出題できるような内容だけ覚えさせておしまい)あるいはRを使わせずPythonで何でもゴリゴリ書かせようというのはやめていただきたい。自然にRを使い自然なかたちで主成分分析を使いこなしていくユースケースを豊富に紹介するような授業(※)になってほしい。
・これを5秒で読めますか(※反語)
https://arx.neorail.jp/units/
> 装置やガスや試薬を使わず「データを用いた実験」(多変量解析)に取り組もう(そこだけをやろう)という「理数探究」を、装置やガスや試薬を使わないというだけで見下した態度を取ったり、単なるパズルや謎解きのように思ってしまうことがないようにすることが大切である。
・[4157]
> 開いて5秒で去った人がいた。…「3DS」のブラウザなんですけど&それならしかたない。(ぶつぶつ)
・…超! 211系(※貫通幌あり)
http://blog-imgs-36.fc2.com/y/a/z/yazaemon23/211-kantsuhoro.jpg
http://3.bp.blogspot.com/-dkvw_oa-rbk/UEwDncYb6aI/AAAAAAAAKZY/KxI5fLmSZwY/s1600/1.JPG
https://pbs.twimg.com/media/DVBpFmaU8AAOBOA.png
※本文とは無関係です。
・[4158]
> 「ゲームに遊ばされるのでなく、主体的に遊べるようにします」みたいな文脈で「ARXがらがらフィーバー」が出てくる。大音量で煙の中(げふ)「ARXがらがらフィーバー」気づいたらン万円…みたいなことにならないように正気を保って遊ぼう。
・(再掲)
https://arx.neorail.jp/experiment/?R%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
> 高等学校の新科目「理数探究」は、これまでの学習指導要領では理数科の高校とスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校で行なわれてきた「課題研究」などの探究活動を行う学習活動を、普通科の文系にも広げようというものです。じゅうぶんな台数のコンピューターを備えた「コンピューター室」さえあれば、新たな費用なしで統計解析環境「R」を導入できるのです。「理数探究」といいますと、とかく「テーマの決め方がわからない」とか「教科書がない」あまつさえ「それでもやらなきゃいけない」といったネガティブで否定的な嘆きの声が先立つところではございますが、「Rを使って多変量解析をして考察し、ポスターとペーパーの2種類の発表のしかたを体験する」ことを学習活動のコアにすべきです。データの採り方(集め方)と、そのデータに対して最も適切で妥当で標準の解析の方法を見定めるのが(広義の)「実験計画」であり(狭義の)「研究計画」であります。それがダンゴムシであるか、あるいは別のものであるかという違いはどうでもよいのです。言い換えれば、「テーマ選び」とは『データ選び』にほかならず、「教科書」としては「多変量解析の教科書」「データマイニングに関する副教材の類」がそのまま使えるのです。テーマのよしあしや発表の調子のよさを評価の対象にしてはいけません。やった・やってない・できた・てきてないがはっきりする(ごまかしようのない)「Rを使って多変量解析する」という具体的なことだけを評価の対象とすべきなのです。フリーの統計解析環境「R」は、生徒が自宅のPCにじぶんで導入することができ、この点でいかなる商用の数値計算・統計解析ソフトウェアにも自動的に勝るといえます。
・[3339]
> ▼大人(大学などの研究室にいる人)しか使えない「すごい道具」(分析法や装置)は、そういうものだとあきらめて、▼英語の勉強は別口で取り組むとして後回しにしつつ、▼参考文献の数の多さを喜びながら、『いまのじぶん!』にわかるのは2〜3つくらいかなぁ、などと端折りながら、しかし実際の論文を読んで、形をお手本にするのが近道です。(個人の見解です。)
Rを使うということについては制約や格差が生じない…はずなんだけど。(もごもご)
・[4626]
> > scaleのあとのピリオドに注意。
> 番組に出てくる先生のPCの画面にRが開いていて
> 「scale=T」であります。これはたいへんだ一時停止がとまらない。
・(2020年12月2日)
http://minky.sblo.jp/article/188184615.html
> ピリオドありとなしの違いですが、英語のヘルプを見ても両方ありました。
> どちらも同じ結果となっています。
こういうところがいかにもRだなぁとは強く思うけれど、それでも過去の特定のバージョンで何か困ったことがあったのかなど関知しない。(キリッ
・[4626]
> 花や種子の形状を測定して多変量解析にかける、「ド」がつくほど定番の授業だと聞きます。(※伝聞)
> 「花や種子の形状を測定して多変量解析にかける、「ド」がつくほど定番の授業」を伝聞で仕入れるしかない文系の者としては、それと同じ発想で浮世絵の画像上に18個の点をとり、そこから3個の点をとってきて、その成す角(しばらくお待ちください)
・[3436]
> 品種改良を含めたバイオ系の研究では、その成否がはっきりわかる「答えあわせ!」ができる(≒生物や物質そのものが『答え』となる)という特性があって、そのため、ほかの分野のようには「じぶんで吟味する」「疑い尽くす」という態度が涵養されずとも研究が遂行できてしまうという弱点があろうかということです。
> 国産どぉー!!(国産ですから安全です!)…じゃなくて、ダイオウイカどぉー!!(ダイオウイカが捕れたので業績です!)…とはいいませんけれども、品種改良では「新品種どぉー!!」(現に実った作物が新品種です!)という…まあ、そういう分野ですよね。
「花や種子の形状を測定して多変量解析にかける、「ド」がつくほど定番の授業」は「花や種子」という『動かぬ正解!』(※意訳)があるからいいものの…(てんてんてん)。
・[3885]
> ところで「針葉樹の紅葉」というのが、そこにすごく目立つ形で書いてある(「広葉樹の紅葉」と『2項対立!』させてある)と、すごく気になっちゃって…(てんてんてん)。分布域や樹種でいうと、すごく少ない、そんなものは意識しない人のほうが人口の内訳で言うと多いのではないかなとも思えます。本当でしょうか。
・[4635]
> 人口が足りないまま政令市の重荷にあえぐ千葉市
・(再掲)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E4%BB%A4%E6%8C%87%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82
> 2021年(令和3年)7月現在、全20指定都市の推計人口は約2777万人であり、国民の5人に1人は指定都市に居住していることになる。
なるほど「国民の5人に1人は指定都市に居住」しているのだから「針葉樹の紅葉」になじみのある人はすごく割合が小さいんじゃないか。(※考えかた)…おうけいおうけい、仙台市、京都市の山奥はもとより、新潟市、相模原市、静岡市、神戸市、広島市などの山奥はどんな樹種が生えているというんだ。えー…(てんてんてん)。
・[3162]
> 「ブナブナっとしているんです」
・[3778]
> わたしはもっと針葉樹林について知らないと何もできないと思いました。
・(2021年1月5日放送)
https://www4.nhk.or.jp/P5870/x/2021-01-05/44/8781/2869817/
https://r.gnavi.co.jp/miyamaso/
> 京都の北、花脊の深山にある旅館「美山荘」一番の名物「摘草料理」は、主人が里山に出て摘んだ野草や木の実が素材。
> 美山荘は、かつては峰定寺の宿坊だったとこ。
> 京都市左京区
> 地下鉄 北大路駅 車50分
> 出町柳駅 京都バス90分 大悲山口下車
これでも京都市内である。…もっとも、「国民の5人に1人は指定都市に居住」という割合で概算したときの数字がおおかた含まれるところの人口というものは政令指定都市の中でも都心部に集中している。もっと○か×か。京都市の山奥に「針葉樹の紅葉」があっても、京都市民のほとんど(=「国民の5人に1人」)にとってなじみがあるというものではまったくないのだ。(※考えかた)
・[3721]
> > 時間によって変化する街の表情に風情を感じることでしょう。
> 「赤い紅葉」がなく「雪景色」も「逆さ富士」もいまいちな本件ゲーム、季節によって変化する街の表情には風情が感じられないと言い切りました!(…と読めます。)
・「おけいはん.ねっと」は京阪電気鉄道から!(※無駄にキラキラしながら)
https://www.okeihan.net/navi/kyoto_tsu/tsu201301.php
> 約800年前、ある歌会に出席した定家は、主人の宇都宮蓮生(れんじょう)から「100首の和歌を書いた色紙で部屋を飾りたいので選んで欲しい」と頼まれました。定家は約1カ月もの時間をかけ、『古今和歌集』や『新古今和歌集』などから100首を選んだと言われています。
部屋に飾って見栄えのする、絵としての文字であった。約800年前は何年ですか。言いかたを変えれば、何年になったら表記の数字を変える必要がありますか。えー…(てんてんてん)。
> 定家の山荘は、嵯峨にある小倉山のふもとにあったと言われ、その場所は常寂光寺や二尊院など諸説あります。常寂光寺には定家の像がまつられていますが、現在も特定はされていません。
・[3399]
> フジワラノカタマリ
・[4208]
> ある情報を「正解」「真実」と「誤解」「誤報」「ウソ」に色分けするような態度もまた即物的にすぎるのである。
特定の(ひいきの、あるいはたまたま注目した1つの)作品の真贋だけを気にするという極端な態度は美術商だけでいい。贋作の歴史も興味深い。当時の“庶民”(※多少の購買力がある、そこそこの町人)が真贋を気にしていたのかどうかということも。写本の写し間違いはどのくらいあるのか。(※体言止め)
・[4302]
> その程度のものを金を出して買おうという気持ちには、いくらワンコインであってもならない。ワンコインはいくらですか。えー…(てんてんてん)。
・[3950]
> あまり安いと客もいい加減である。…ひとのことはいえないけど。(※真顔)
・(♪〜)
https://jice.homemate-research.com/pubuser1/pubuser_facility_img/3/1/8/46000000000000002813/0000004804/46000000000000002813_0000004804_2.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/trainanime/imgs/5/e/5e167505.jpg
・[3044]
> 福生(フッサ)の地名の話や、多摩川の「タマ」が「トマ」からなまったものだとする説もあるにはあるが他にもいろいろな説があることがまとめられています。時代時代によって、異なる由来の「タマ」が入れ代わり立ち代わり出てきては廃れ、というのが真相かもしれません。由来が一つだなどとは断定できません。
・[4469]
> ゲームの中で「用意された正解」を探そうとする態度が、小さい子ほどあると思います。
正解は用意されていて、それは1個で、絶対にゆるぎないものだと、そこまで具体的・論理的に順を追って考えたこともないまま無邪気にとらえるようすを「ゲーム」という状況に重ねてみる。そのように素朴で原始的で未熟な態度を「小さい子」という表現に仮託する。
・[4065]
> 「諸説ある」と書いてあると、「どれが正解かわからない」「あやふやな説しかない」という意味で書いてあると思いこむ者が出るから要注意だ。
> > > 名前の由来については、諸説あるが定説はありません。
> 「諸説ある」状態こそが正解だと思っておくのが最も合理的である。どれか1つの由来だけが(「正統な」という意味合いで)『正解!』だと決めつける態度を合理的といえるだろうか。
・「かふくはあざなえるなわのごとし」とは
https://kotobank.jp/word/%E7%A6%8D%E7%A6%8F%E3%81%AF%E7%B3%BE%E3%81%88%E3%82%8B%E7%B8%84%E3%81%AE%E5%A6%82%E3%81%97-465785
> わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸はなわをより合わせたように表裏をなすものであるの意。
・[3330]
> 「で、結局のところ、AとBはどのくらい関係があるの? ないの?」
「どのくらい」といいながら「あるの? ないの?」とバイナリな答えを要求するという矛盾にお気づきだろうか。(※詠嘆)学術に興味のあるふうをよそおって専門家の説明に耳を傾けるが2分と聞いていられないような人の“たちの悪さ”よ。まったく興味なくて聞き流してくれるほうがまだ実害がない。○か×か。(※暴論)マックシェイクをぶくぶくしながら(違)かふくはあざなえるなわのごとしといって悠久の何かを想って目を細めていたら「それは福なのかわざわいなのか」いますぐどちらかだと言えと迫られる&間違ってたらただじゃおかないぞと脅されるようなもの。いま何時ですか。
https://pbs.twimg.com/media/E-5vZaDXoAEv1in.png
https://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2018050200056.html
> 蕎麦屋にお世辞ばかり言っています。
> 途中で「何どきだい?」と時間を聞いて、巧みに一文ごまかしたのです。
・「多変量解析実例ハンドブック」(889ページ)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784254121940
https://www.kinokuniya.co.jp/images/goods/ar2/web/imgdata2/large/42541/4254121946.jpg
・[3521]
> 本書では,72件の分析事例が800ページにわたって紹介されているわけで,それを一言二言で理解しようなんて土台無理な話である.
・[4382]
> 一言で言えないことを一言で言ってはいけない。二言はない。
・[4516]
> たいていのものは、読むだけでいいようにするものである。読むだけでいいのに、無理に一言二言で何か言おうとするとか、そこで何も言わないことがいけないことだというような風潮にはまったく感心しない。
・(再掲)「教育講座 研究方法論 第7回 質的研究方法論 〜質的データを科学的に分析するために〜」日本放射線技術学会雑誌(2011年4月)
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/45662/3/terashita0608.pdf
> 質的研究は仮説生成(仮説がない状態から仮説を作る),対象の理論化(質的データを抽象化して得られる概念を組み合わせ,対象を表現する理論を構築する),要素の抽出(量的研究では黙殺されてしまう少数の意見にも注目し,項目のバリエーションを確認する)に用いられる.
・[3717]
> 目先の記事のコメント欄で記事のあらすじみたいなことを書きながら安易に賛成だの反対だの著者が気に食わないだのみたいなことを(記事に向かって≒著者に向かって)書くようではいけない
・[3803]
> 誰の許諾も要らない題材が無数にあるのに無視して、許諾を得るほうに心血を注ぐ。じぶんの責任で自然や物を観察するのでなく、何もかも判断を仰ぐような顔で他人の顔ばかり見ている人なのではあるまいか。
> じぶんの責任で自然や物を観察
> じぶんの責任で自然や物を観察
・[4185]
> 幼稚園と保育園の違いである。…たぶん。上の学校でどんなに「しつけ」られても、それはうわべの「しつけ」でしかない。じぶんから興味を持って追求していく、だからといって執着するのでなく、だいたいわかったらよしとする(それもまたじぶんの責任で決める)、というような態度をちっとも備えていないということになっていないか。
・[4601]
> > 相手と1対1で会話する感覚になるな
> > じぶんのサイトやブログで、1つの記事として自立したかたちで述べること
・[4406]
> > 質感
> > タイプ0
> > タイプ1
> > タイプ2
> > タイプ3
> 「質感」を「タイプ0」みたいなラベルで選ばせるとはどういうことよ。かなりカチンときた。(※真顔)
・[3382]
> 単純化しすぎた「村岡新駅に賛成or反対」との設定でのディベートや「メリット&デメリットの一覧」のような記事の作成
・[3383]
> じぶんの意見や見解はまったく述べないまま、他人の意見に対する賛否を示しただけで、あたかもじぶんの意見を述べたかのようにふるまうひといませんか?
> 1つのまとまった意見や見解を述べるには、ぼう大な調査や考察が必要なのですよ。
・[3520]
> 自治体のCIブームみたいなの(!)の時分に茨城県がCMを流していたんですよ。…い・ば・ら…きーっ!! あなたもわたしもいばらっきー! 観光名所みたいなのが2秒ずつくらいで目まぐるしくたくさん出てきながら、その各々でいかにもな観光客役みたいなひと(いまでいうことりっぷ的なやつ! …ゲフンゲフン)がいばらっきーと言わされてるアレですよ。うん。で、結局、どれが何の名所でどこにあるのかとか、ぜーんぜんわかんないんですよ。これっぽっちもね。
ブラックバスは何センチですか。(※言いかた)
https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2021/03/20210328_210328_1-e1617085909965.jpg
https://m.media-amazon.com/images/I/71Wkn-Nu7bL._AC_SX466_.jpg
…おしい!(違)
・[4626]
> 研究の限界を知るということが大切です。新たな史料の発見がなければ、いままでにわかっていることや有力な仮説として挙がってきていることを超えることは見えてくるはずもない。
> なかなか際どい研究分野であり研究方法であるという自覚は常に必要だ。
http://blog-imgs-44.fc2.com/s/i/n/sinplelove/HNI_0083_20121118232023.jpg
・[3340]
> 実際の研究で、「実物」そのものが研究成果とみなされる例はきわめて限定される。例えば、深海に生息するダイオウイカの捕獲について、捕獲されたダイオウイカ(実物)を成果物とみなすのは誤りであり、いつでも誰でも(別の海洋学者が、同規模の予算や人員で、同等の資機材を用いて)ダイオウイカを捕獲できるための「捕獲の方法」が論文にまとめられて初めて成果物とみなすことができる。また、ダイオウイカの形質や生態について、ダイオウイカの標本がありさえすればいいというものではなく、ほかの種類のイカとの違いが分析され、また、予想されていた違いを生体や標本で確かめたということがあって初めて研究成果とみなすことができる。
・[4626]
> > 文献収集も研究活動です。
> もっと前から始まっている。本当でしょうか。
・朝日新聞「マンガで研究に憧れた森さん 「面白い」で学部変えて挑んだ先に」(9月30日)
https://digital.asahi.com/articles/ASP9Z3DKNP9RPLBJ018.html
> 中学生のとき、新聞で素粒子の記事を読んだ。
> 中学3年生のときの1973年、京都大の助手だった小林誠さん、益川敏英さんが、当時は3種類しか知られていなかったクォークが6種類以上あるという理論を発表。クォーク研究が真っ盛りだった。いずれもノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士や朝永振一郎博士のいた京都大理学部で、素粒子物理学を学ぶことにあこがれた。
> 暗記が多い生物学は「とても嫌い」で、高校2年からは生物の授業を選ばなかった。「高3のころ、理学部は無理かなと思って、京大工学部の化学系に入学しました」
・[3161]
> 結果を見てから予想まで書き換えてしまう人や、結果が出るまで何も言わず、結果が出てから「予想通りだった」と言ってのける人、いませんか?
・[4036]
> 再現性の危機なのだ!
・[3091]
> 学習や実験の目的は、「でんじろうセンセイ」が繰り広げるアレやソレが、特別なものではなく、ありふれたもの、自分が意識して見たときだけ目の前で起こるのでなく、誰も見ていなくても自然に起こっているのだという「世界観」のようなものを身に着けることにあります。
「それぞれ語りたいことは本当はたくさんあります」とは、まさにこのことだ。(棒読み)
|