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(約9000字)
この一連の記事では、「じゅんふどうのあっとらんだむ」で「じどうほうそう(ただしはっしゃめろでぃーをふくむ)」を技術面で立体的に読み解くことを目指します。
お好きな順番でお読みいただけるよう、1つの記事を短めに、そして細切れに掲載いたします。その分、1つの記事を読むだけではよくわからないということになるでしょう…といって、その実、いま何年でしたっけ? ほら、その、えーと、『昭和時代』([3102])…いえ、1992年くらい? …などと(略)。
※1992〜1996年の話題です、念のため。
・ウィキペディア「西船橋駅」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%88%B9%E6%A9%8B%E9%A7%85
> 1992年(平成4年)1月23日 - 一般利用者が使用可能な緊急列車停止装置を55ヵ所に設置し、供用開始。
> 1996年(平成8年)4月27日 - 東葉高速鉄道線が開業。営団地下鉄東西線との相互直通運転開始。
「お客さま扱い」のボタン([3171])の設置ということですね。これを実現するにも、前段として(連動駅の場合)信号システムが近代化されていなければならない(ボタンによる「割り込み」などできない)と早合点されます。本当でしょうか。
・船橋市(2013年)
http://www.city.funabashi.chiba.jp/kurashi/koutsu/0008/p009711.html
このページに何が書いてあったのかメモしておらず、もはやわからないのですが、たぶん、現在の以下のページにつながるような何かが書いてあったのかなぁ、と想像してみます。
…と思ったら、HTMLのファイル名だけはそのままでした。なんということでしょう!
・同「東葉高速線地域公共交通総合連携計画(素案)に対して寄せられたご意見と船橋市及び八千代市の考え方を公表します」(2009年6月)
http://www.city.funabashi.lg.jp/kurashi/koutsu/006/p009711.html
> 「東葉快速」の運行は速達性の向上がメリットでありますが、東葉快速通過駅においては、運転間隔の延長がデメリットとなります。
> 西船橋駅には、全ての列車の折り返しに伴う停車(特に朝夕のラッシュ時間帯)に対応できるだけのキャパシティがないことから、現状では難しいと考えております。
> JR総武線直通、東葉高速線直通の運行ダイヤに関しては、東葉高速鉄道株式会社、東京地下鉄株式会社、JRなどの西船橋駅に乗り入れている関係者が、利用人員等を勘案し、協議によりダイヤを設定しております。
たいていのことは既に十分、検討されていますってば@実務者はスゴイ! 実務者に「なるほど」と思っていただけるような「もう点!」などつける…くらいなら既に実務者になってますよね、スミマセン。
・船橋市「東葉高速線地域公共交通総合連携計画」(2013年1月10日)
http://www.city.funabashi.lg.jp/kurashi/koutsu/006/p009703.html
発車ベルなどとは直接には関係のない傍題ですが、レッツ答えあわせ!
・同「資料編」
http://www.city.funabashi.lg.jp/kurashi/koutsu/006/p009703_d/fil/siryouhenn.pdf#page=25
> (21ページ)
> ターミナル駅の乗換・乗降者状況
> 資料:平成17年大都市交通センサス
・[3262]
> 表3 もっともらしい西船橋駅(推定)
> 2009年度
がびーん。2005年の「ある日」のサンプルである大都市交通センサスと、2009年度の全期間を通しての全数データ(の平均値!)である「乗車人員」と、測りかたが違い過ぎて比べられないと思いまーす。(メッソウでーす!)
・「大都市交通センサスの調査概要」
http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/transport/sosei_transport_fr_000077.html
> 鉄道利用者調査:平成27年11月17日(火)〜19日(木)
> バス利用者調査:平成27年11月10日(火)〜12日(木)
> 鉄道事業者における調査員等が、調査票配布対象駅において、降車する旅客に対して調査票を配布します。
2015年の場合、この3日間が「ある日」であり、また、調査票に記入するときに利用者が具体的に思い浮かべる「ある日」であり…ということです。
※金曜日から月曜日までにしか鉄道を利用しない人は、調査票をもらう機会がゼロである、ということです。
西船橋駅について、連動装置の都合を考えてみますと、国鉄時代には当然、地平の線路はすべて単独の連動装置で制御されていたのだろうと推定したくなります。(だからこそ東西線と総武線の乗り入れができるんですよ&そのためにそういう装置構成にしたはずなんですよ、の意。)
しかし、そのままで東葉高速線が開業できるかといえば、無謀だと想像されてきます。そのため、総武線側と東西線側を別々に進路構成できるよう、連動装置(の論理部)を分けたのではないかと、「(貨)さいたま新都心駅」に関する想像(あくまで想像です[3318])を一種『援よう!』して想像してみようではありませんか。
※わあぃ想像の上に想像を重ねる***! これはひどい***ですね、わかりますわかります。恐縮ですが想像です!
ほら、最近できたアレ! …ではなくてですね。
東葉高速鉄道は工事が遅れて…と、最近もどこか横浜羽沢駅のほうで聞いたようなソレがアレで…ナニかねキミぃ(略)。記憶([3060])に頼らず、きちんと探してみます。
・千葉県議会会議録「平成5年9月定例会(第7日目) 本文」(1993年10月6日)
http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbgikai/dsweb.exe/curdocument!1!guest07!!5350!1!1!18,-1,18!2483!213838!18,-1,18!2483!213838!21,20,19!1!1!2180!3!1?DocumentType=text&DocumentSelect=
> 昭和六十年三月に工事着手以来、既に八年半が経過し、本年四月全線開業予定が二年おくれの平成七年四月開業予定へと大幅に延期されております。周辺沿線住民の足として利便の確保の面からも大きな期侍を持たれているものであり、一日も早い完成が望まれております。
http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbgikai/dsweb.exe/curdocument!1!guest08!!1157!1!1!530,-1,530!2517!221336!530,-1,530!2517!221336!533,532,531!12!13!2180!7!10?DocumentType=text&DocumentSelect=
> ◯説明者(****君)
> 私からは東葉高速鉄道について四点お答えをいたします。
> まず、未買収用地の地権者六名はどのような理由により買収に応じないのか、それぞれの理由をとの御質問でございますが、東葉高速鉄道の用地買収の状況につきましては、全地権者数七百名に対しまして未買収に係る地権者数は現在六名となっておりまして、面積では約二千九百平方メートルとなっているところでございます。
> 地区別では、船橋市の海神地区一名、夏見地区二名、飯山満地区二名、八千代市の萱田地区一名となっているところでございますが、この六名の買収に応じない理由を大別して見てみますと、一つには、補償金等の過大要求をしている者が三名で千八百十八平方メートル、二つに、地下化を要求している者二名で九百九十九平方メートル、三といたしまして、代替地の過大要求をしている者一名、六十三平方メートルであると、日本鉄道建設公団から聞いているところでございます。
> 次に、開業延期による事業費がどの程度になるのかとの御質問でございますが、平成七年四月に開業が変更されたことによりまして、東葉高速鉄道の建設費は平成五年四月開業予定の約二千百九十九億円から約百三十億円増加いたしまして、結果的には約二千三百二十九億円になる見込みであると東葉高速鉄道株式会社から聞いているところでございます。
> 三点目でございますが、開業延期による運賃への影響はどうかとの御質問でございます。鉄道の運賃につきましては、鉄道事業法に基づき運輸大臣が事業者の適正な原価及び利潤あるいは利用者の運賃負担能力などを勘案し、認可することとされているわけでございます。この開業延期に伴いまして事業費の増加により原価が上昇することから、運賃への影響も考えられるところでございますが、会社といたしましては具体的な運賃の決定につきましては、適正な運賃設定に向けて今後検討してまいりたいとしているところでございます。
> 最後でございますが、用地買収に対する今後の方針と見通しについての御質問でございます。これまで日本鉄道建設公団を初め、関係者の方々の大変な御努力によりまして、本年度に入り二名が解決したところでございますが、今後とも公団を初め関係者が一丸となりまして用地問題の解決に当たり、一日も早く開業できるよう努力していく必要があるものと考えております。
※地権者へのビスケットが足りない『えげつない質問』だなぁ、とは思いつつも、回答する側が回答しているので、問題ないものと考えております…などと(略)。公団や機構がすべての地権者に対して同じように対応する中で機械的に「過大要求」と見なされるメカニズムのようなものについては『ロッピャクマンエン!?』([3185])を参照しながら想像してみてください。ビスケット…いえ、望ましい『リスペクトあり方』については[3289]のほうなど参照しながら考えてみてください。答え? …定まったものなど、まだ、ないんではないですかい?(などと…略。)
・同「平成6年6月定例会(第1日目) 本文」(1994年6月24日)
http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbgikai/dsweb.exe/curdocument!1!guest08!!2768!1!1!542,-1,542!2517!221336!542,-1,542!2517!221336!545,544,543!12!13!3300!19!8?DocumentType=text&DocumentSelect=
> ◯知事(****君)
> 東葉高速鉄道は営団地下鉄東西線の延伸路線として計画された西船橋と勝田台を結ぶ延長十六・二キロメートルの新線で、沿線住民の通勤・通学の足として、また、周辺の街づくりにも大きく貢献する重要な鉄道であり、その完成により船橋市、八千代市の交通事情を大幅に改善することとなります。同鉄道は昭和五十九年に工事施行認可がなされ、日本鉄道建設公団により建設が進められてきましたが、用地買収の難航から過去二度にわたり開業が延期されてまいりました。沿線の皆様からも二十万人を超える早期開業を求める署名をいただくなど、開通への期待が高まっておりましたが、このたび関係者の皆様の御努力により、去る六月七日に最後の地権者から起工承諾を得、全線にわたり建設が進められることとなりました。県といたしましては、今後、残りの工事が円滑かつ迅速に進められ、一日も早く開業できるよう、事業の促進に積極的に協力してまいりたいと考えております。
とのことで、1993年4月に開業予定であったところ、1995年4月に延期、さらに、実際に開業した(≒できた)のは1996年4月だったという流れであったことが確かめられます。1996年4月に開業できる(=1995年4月には開業できない)という見通しは、1994年6月に固まったとみられます。
・JR側を含めての西船橋駅の連動装置の改修(線路切換工事もあった?)は1991年度中か、遅くとも1992年度の上半期に終える予定で取り組まれ、この工事は予定通りに完了したはずだ
・1992年1月に「ボタン」を設置できたということは、少なくともJRと営団の論理部を分けるところまでは、1992年1月までに終わっていたはずだ
※JRのホームで「ボタン」が押されて、東西線の上り電車まで止まっては困ります。
・1992年1月の時点で、総武線各駅停車の連動駅で「詳しい自動放送」が使われていたケースがあったかどうか不明
列車ごとに異なる行先を案内できる「詳しい自動放送」は、東成田駅、和歌山市駅、新幹線のコムトラックから始まり、同じ線路で快速と各駅停車の接続などがある埼京線、京葉線、それに特急停車駅(上野から松本まで)や総武快速線に普及してから、もっぱらATOSの導入によって、「(ほぼ)すべての駅」に普及して、いまや普及を終えようかというソレだと早合点できます。最初のうちは、「ややこしいから自動化する(働く人の責任の軽減である!)」「アナウンスすべき内容が増えるので機械化する(働く人の労力や疲労の軽減である!)」といった「名状しがたいタテマエのようなもの!」もあったはずです=たぶん。
・ましてや「ATOS」っぽいソレ(このサイトで「先行導入」と特記するソレ[3316])が1992年1月からただちに使われていたとまではいえない(時期が早すぎる=たぶん)
・「にしふなばしー、にしふなばし、です」のソレ
http://www.oriori.org/atos/renko/nishi-funabashiA.mp3
総武緩行線のほうから見ますと、ATS-Pの導入(1988年12月、事故を受けての前倒し[3103])もあり、1989〜1991年度の3年間、西船橋駅では▼連動装置、▼ATS-P、それに▼「ボタン」がまるっと『鉛筆』されて、手戻りなく進められたようすが浮かび上がってきます。
・ウィキペディア「205系」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84205%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A#.E4.B8.AD.E5.A4.AE.E3.83.BB.E7.B7.8F.E6.AD.A6.E7.B7.A9.E8.A1.8C.E7.B7.9A
> 中央・総武緩行線は1988年時点で205系投入計画になかった線区だが、東中野駅における追突事故で車両不足が発生し、翌1989年に本来埼京線用として製造中だった2本を多少仕様変更して投入した。
> 「銀色の電車は東西線」とアナウンスされていたが、同系就役により、その原則が崩されたうえに誤乗問題が多発したため、地下鉄直通301系・103系の帯を青色に変更した上で「青帯の電車は東西線」とアナウンスした。
※ひどい文章だなぁとは思いつつも原文ママ。⇒「中央・総武線では、1989年に2本が新製配置されている。これは東中野駅での追突事故により車両が不足したためで、埼京線用として製造中だった車両を中央・総武線に投入したものである。」とか、「それまで、東西線直通の電車は「銀色」と案内されていたが、205系の投入により誤乗が多発して問題化した。このため、東西線直通の国鉄車について、車体の帯の色を営団車にあわせた青色とし、「青帯の電車は東西線」と案内する措置が講じられた。」とかなんとか。京葉線も含め、「帯の色!」が旅客案内に活用されていく黎明期ならではの混乱と、それを乗り越えての案内方法の確立というものをだなぁキミぃ(略)。「帯の色!」については[3058]も参照。これ、現在進行形の話題ですよっ。レッツ具体的な計画等は未確認!(恐縮デース。)
・初代「黄色い電車(銀色)」のイメージです(2000年5月)
http://atos.neorail.jp/photos/images/atos0004.jpg
・(まったく参考)「海外邦人事件簿 日本語で話しかけられたら要注意!」(2006年11月6日)
http://www.anzen.mofa.go.jp/jikenbo/jikenbo53.html
※「オオー、『黄色い電車』、知ってるヨ!」的なソレが云々…などと(略)。
※営団のクルマ(=JR線に乗り入れ)にATS-Pを、というのは「前倒し」できたかどうかよくわからず、このため「(JR線の)中野−西船橋間」とそれ以外(三鷹や千葉までの区間)とでATS-Pの導入時期がずれたなど、あったでしょうか。
・[3103] 表2
> (1990年3月25日:中野−御茶ノ水−千葉間)
※おお、1990年3月の時点では、営団のクルマがじゃんじゃん走る三鷹−中野間は後回しにされていたようだとうかがえます。津田沼−千葉間への(東西線の)乗り入れは、JRのクルマ([3161])でまかなうなど工夫されたのかなぁ、とシノバレそうです。本当でしょうか。このあたり、ATACSの導入にあたっても踏襲されそうな一種「前例」(これを指して「第1種前例」などと…略)ではないでしょうか。もっと本当でしょうか。ちょうど、だいたい30年でのリプレースになりましょう。さらに本当でしょうか。(期待を込めた決めつけは個人です。)
1988年6月10日には「暫定整備!」([3183])のソレ(『鶴の1声!』)もあり、千葉の鉄道(の計画部門のようなもの!)はたいへんであっただろうとシノバレます。
※JRと京成の成田空港線は、1991年3月19日に運行を開始しています。JR線の成田−成田空港間で開業時からATS-Pを使うためには、そこら中の車両がATS-Pに対応しないといけないんですよ、の意。
※そして、おおー、1988年6月10日の『鶴の1声!』と、その14日後の認可(芝山鉄道の免許)とで『大きな矛盾!』があるのだけれど的な(略)。
※1991年3月19日からの成田エクスプレスに伴う都心側のソレについては、[3220],[3253]を参照。
私事で恐縮ですが、こう、「気がついたら西船橋駅は既にATOSであった(ATOSとはナンゾヤといって西船橋駅に行きさえすればよかった=当時の認識です)」というソレで、マコトに恐縮です。
・西船橋駅(1999年5月、2000年5月)
http://atos.neorail.jp/photos/images/atos0124.jpg
http://atos.neorail.jp/photos/images/atos0008.jpg
こう、東葉高速線の「1995年4月に開業予定!」というソレに基づいて(JR側の)スケジュールが動いていた段階であれば、おお、中央線と同じ駅装置(のうち、旅客案内装置)を西船橋駅の総武線ホーム(=「ホーム系」の電光掲示板を緩行線にも入れる、の意)にも入れればいいじゃない、というのは自然なことだといって、勝手に納得できそうです。(あくまで納得は個人です。)
そうしてホームの電光掲示板のほうなど思い浮かべますと、おお、三鷹駅の緩行線ホームのほうが古いでしょ(「新宿駅サイン計画」を「バババババ」する、ちょっと前くらいでしょ!)、西船橋は、中央線の「ふつうの駅!」と同じタイミングでATOSっぽいソレになったのではないか、これを「先行導入」と呼んでいいのかねぇ、と疑われてまいります。本当でしょうか。
ひいては、こう、実は中野駅とセットでおトク…いえ、東西線乗り入れのソレを東西の両方でうまく扱うため、実は中央線のATOS導入と同時に西船橋駅の進路も「東京の指令室!」で見えるようにしたんでしょ、とすら思えてきそうです。もっと本当でしょうか。
※総武緩行線としては、錦糸町駅の次は西船橋駅まで連動駅がありません。おおー、錦糸町もATOSっぽくなったのは早くなかったですかっ? これは中央線+錦糸町駅+西船橋駅までを「同じ目」で見たほうがよさそうだと…思えてきますよねぇ。(まったく決めつけです。)
・発車ベル使用状況「西船橋」
http://hassya.net/bell/eki.php?nishifunabashi
> 1995年頃〜
・同「幕張」
http://hassya.net/bell/eki.php?makuhari
> 1998/11/25以前はベルでした。
・同「根岸」
http://hassya.net/bell/eki.php?negishi
> 1996/9ごろにメロディー化しました。それ以前はベルでした。
線区へのATOS導入の具体的なソレが迫るまでベルでした(しかし、ベルはありました)、という点で、幕張駅(緩行線)と根岸駅(旅客)は位置づけが近そうに思えてきそうです。また、幕張駅の旅客ホームや駅舎などは、洋光台駅などと同じ時期のソレではないでしょうか。
・同「津田沼」
http://hassya.net/bell/eki.php?tsudanuma
> '91/6〜
・同「稲毛」
http://hassya.net/bell/eki.php?inage
> 1991/11頃〜1999/9/20まで
いわゆる「東海道型」([3202],[3267],[3269])、「総武快速TID装置」([2975],[3304])など参照しながら、1991年度に「詳しい自動放送」が入ったのは成田エクスプレスにあわせてのソレで、仮には、稲毛や船橋で成田エクスプレスの臨時停車などあれば列車名もアナウンスできたのかなぁ、などと生々しく想像できそうです。
・YouTube 「東海道型」
https://www.youtube.com/watch?v=hCFKjCmVZMc
おお、「エアポート成田号」といっているではありませんか。そして、レッツ相模線は「石○電気」っ([3206])。電化に際してのソレも、成田空港乗り入れに際してのソレも、結果として、同じ「東海道型」になるというところで共通項(進路制御の都合上!)が見えてきそうです。
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