フォーラム - neorail.jp R16
発行:2017/4/25
更新:2018/3/17

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【オートメーションと鉄道】

〔フレッシュおはよう東日本〕9号:「国鉄西船橋駅」(1968年12月・1969年3月・1978年10月)を「幕張行き」で読み解く


西船橋駅4番線で「ベル」が使われていた
いま問う総武緩行線(1968年12月)・営団地下鉄東西線(1969年3月)・武蔵野線(1978年10月)のココロ
西船橋駅の中線を読み解く(折)
表 西船橋駅(「発車ベル使用状況」の記述による)

(約13000字)

 この一連の記事では、「じゅんふどうのあっとらんだむ」で「じどうほうそう(ただしはっしゃめろでぃーをふくむ)」を技術面で立体的に読み解くことを目指します。

 お好きな順番でお読みいただけるよう、1つの記事を短めに、そして細切れに掲載いたします。その分、1つの記事を読むだけではよくわからないということになるでしょう。

 とはいいましても、意味的な順序というものは、あるにはあるとの認識でございます。西船橋駅の話題としては[3321]の続きです。[3453],[3454]では、「営団ブザー」に視点を置いて西船橋駅を眺めてきました。改めて国鉄線の側に着目します。

※…といって、その実。[3321]の抜けを埋めながら、このサイト「総武線(各駅停車)」のページの記述へのコミットを目指そうかと、こういうわけです。(手前ミソな流れで恐縮ではございます。)

[3321]
 > たいていのことは既に十分、検討されていますってば@実務者はスゴイ! 実務者に「なるほど」と思っていただけるような「もう点!」などつける…くらいなら既に実務者になってますよね、スミマセン。

 実務者が何をどれだけ工夫して、(トレードオフとなる問題に対しては)何をあきらめて何をとったのかというようなことを、逐一正確に読み解きたいとの欲求があるわけでございます。(あくまで欲求です。小町的にカワサキくわしくわかった上で何かしたいというのでなく、そもそもわかりたいという欲求なのですよ、の意。)

 > がびーん。

 > ・JR側を含めての西船橋駅の連動装置の改修(線路切換工事もあった?)は1991年度中か、遅くとも1992年度の上半期に終える予定で取り組まれ、この工事は予定通りに完了したはずだ
 > ・1992年1月に「ボタン」を設置できたということは、少なくともJRと営団の論理部を分けるところまでは、1992年1月までに終わっていたはずだ
 > ・1992年1月の時点で、総武線各駅停車の連動駅で「詳しい自動放送」が使われていたケースがあったかどうか不明

 あくまで決めつけですので、あしからず。線路切換工事のお知らせなど、古い時刻表を参照すると載っているのかどうかといって、うーん。「東京時刻表」みたいなローカルなものは昔はなかった(※)ので(⇒全国版に国電の駅のソレなど載らないだろうと)、駅で掲示された以外には何も残っていないのかなぁと推定してみます。

※まったくなくもないですけど、比ゆ的には手帳についてくる路線図くらいの、国鉄(JR)との距離感の大きな「勝手編集!」っぽいソレで、工事のお知らせなど載るはずもないかなぁ、という感触です。

※船橋市の広報に残っていたりして。

・船橋市「広報ふなばし」のイメージです
 http://www.city.funabashi.lg.jp/shisei/kouhou/001/01/p022739.html
 http://www.city.funabashi.lg.jp/shisei/kouhou/001/01/p022739_d/fil/1966_0325.pdf

 > 4月から新局舎で 電報電話局営業窓口
 > 四月一日から電報電話局の営業窓口が湊町二丁目六番十号(市役所前)の新局舎に移ります。
 > 新電報電話局の建設工事は、八月末に開局ができるように現在自動交換機の新設工事をしていますが、局舎の方はほぼ完成したので開局にさきだち営業窓口の事務を行なうものです移転先の新しい電話番号はつぎのとおりです。

 > 習志野市谷津町二、三丁目地域には船橋局の電話がついていたが京葉港の建