・和歌山市駅・東成田線・修善寺駅を読み解く ・「電子電鈴」を「電子サイレン」で読み解く ・電子電鈴は続くよ(御殿場駅・上野駅) ・千駄ケ谷駅の「電子電鈴」を読み解く ・表919-T 旅客案内の機械化・自動化 ・表22U(1) 上野駅の放送設備
(約12000字)
この一連の記事では、「じゅんふどうのあっとらんだむ」で「じどうほうそう(ただしはっしゃめろでぃーをふくむ)」を技術面で立体的に読み解くことを目指します。
お好きな順番でお読みいただけるよう、1つの記事を短めに、そして細切れに掲載いたします。その分、1つの記事を読むだけではよくわからないということになるでしょう。
とはいいながら、やはり、掲載順に読まれるでしょう。
ここで、一種「見取り図」とも「登場人物相関図」ともいいがたい「年表」をまとめてみます。(本稿の時点では未掲載の内容も含みます。あとから参照を追加する予定です。そして、ダイジェストをつくれば「このサイト」の「自動放送」のセクションが大幅に刷新されるという寸法です。…うまくまとまるといいなぁ、の意。)
■表919-T 旅客案内の機械化・自動化年月 | 記事 | 主な会社等 | 1927年 | 交流無接点電鈴で「乗客群の誘導に好果」 | 瀧川電機 (1975年に広告、 現存するかは不明) | 1927年 | 踏切に電動機付きの門扉(尼崎線) | | 1954年 | 踏切に列車進行方向指示器 | | 1958年 | 初の自動踏切 | | 1969年 | 非常用放送設備 | TOAなど([3221]) | 1970年 | 大阪万博でモノレール自動放送(音声ファイル装置) | TOA | 1971年 | 京成電鉄 成田駅に「自動案内放送システム」 | TOA | 1972年 | 南海電鉄 和歌山市駅に「自動案内放送システム」 | TOA | 1972年3月 1972年7月 | 新幹線岡山開業でコムトラック連動の反転式発車標 東京地下駅でテープリーダ式の軌道条件連動の発車標 (馬喰町駅・新日本橋駅も開業) | 国鉄 日本信号(CTC) 新陽社(反転式発車標) | 1975年 | 南海電鉄 難波駅に本格的な音声ファイル装置 | TOA | 1975年3月 | 新幹線博多開業でPICシステム (発車標と自動放送がコムトラックに連動) | | 1978年7月 | 世界初の電子発音装置(メロディーIC) | 精工舎(現EPSON) | 1984年 | 大船駅で全国初の3色表示のLED式発車標 | 新陽社 | 1985年3月14日 | 上野駅新幹線ホームにLED式発車標(16ドット) | | 1985年9月 | 埼京線でPRC連動発車標および自動放送 | 日立製作所(PRC) 新陽社(PRC連動発車標) | 1985年11月1日 | 伊豆箱根鉄道駿豆線でCTC導入 (1981年10月1日から特急〔踊り子〕運転開始) 修善寺駅に電子電鈴(駅舎は1983年4月に新築) | TOA(電子電鈴) ユニペックス(放送設備) | 1989年3月 | 新宿駅・渋谷駅で初の「発車メロディー」 CDクオリティの発音装置、指向性スピーカーの採用 | ヤマハ([3203]) |
※各社ホームページ、交通協力会「交通技術」、ウィキペディアほかを参考に作成。
・「踏切警報機・遮断機」鉄道総研 RRR(2014年1月)
http://bunken.rtri.or.jp/PDF/cdroms1/0004/2014/0004005981.pdf
※踏切と「列車が/きます」は同じしくみだといって「旅客案内の機械化」に踏切も含めて考えるとしっくりくるでしょう。新駅「小田栄」も、まさにそういう状況のようですね。踏切にかかる歴史的な話題としては、伊勢湾台風と踏切(?)について[3127],[3128]を参照。
★和歌山市駅・東成田線・修善寺駅を読み解く
・「和歌山市駅」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%E9%A7%85
> 1962年3月10日:当駅 - 東京間の急行「大和」(和歌山線・関西本線・東海道本線経由)が運行開始。
> 1968年10月1日:急行「大和」廃止。
> 1971年4月1日:南海和歌山軌道線が廃止。
> 1972年3月15日:紀和駅 - 和歌山市駅間が和歌山線から紀勢本線に移管。12月1日:駅ビル完成。2階にある駅舎部分供用開始。
> 1985年3月14日:南海線 - 国鉄線間直通旅客列車が廃止。
(まったく知らなかったのですが)和歌山市駅は南海線と国鉄線の「境界駅」で、半分は国鉄っぽい駅であるとのことで、おお、和歌山市駅に「自動案内放送システム」を導入といって、その実、これを「純粋に民鉄な導入事例」とみなすのは適切ではなく、国鉄としても興味津々で…というより、「万博で話題の『あの装置』を国鉄として試してみたいんだが、おお、ちょうどいいところに和歌山市駅がっ!」的なソレを感じ取ってしまいそうになります。イケマセンねぇ。
※新線や新駅の建設をあまねく「公団な案件」にする、その『前夜』くらいの時期とみられますから、和歌山市駅に「自動案内放送システム」を導入する意思決定をした主体は、公団であったのではないかとも推測されます。そのため、「東成田線」([3183])でも「自動案内放送システム」を採用した(京成電鉄が決めたのでなく公団が決めた?)と、さかのぼって推定されるわけです。もっと本当でしょうか。このようなことをネチネチと…いえ、「○○が導入されました!」と受動態で述べるのは避けられ、『誰が』というところを極力、具体的に明らかにしていくことが、ウィキペディアも含めて記事の執筆においてとっても大事なことだと痛感されましょう。(『誰によって?』)
※「官営模範工場」([3197])のソレとして、そもそも「公団の指導!」で(公団から見て)TOAさんに装置を開発『させ』、万博に出品『させた』と、そういう側面もありそうだなぁ、と推察されてまいります。いえ、そういう部分ではいまほど「上下」ががちっとしているとは限らず、「汽車のためにこういうのがほしいんだができるかね(特許は貴社で取つてくれたまへ)」事案といいましょうか、とってもフレンドリーなところでカジュアルに話が始まったのではないかなぁ、といって、『幻』の時代を勝手に懐かしんでみます。(そんな時代や社会がかつてあったかどうか定かではない、の意。…あっ、いま『伝説の記者』が*ダ*ー*に帰社しましたよっ! どこどこ? あー、もう、見えなくなっちゃったよ☆[3147])
※傍題ですが、「三菱のATO」が「東京都交通局の指導!」で完成したとの誇らしげな広告が見られます。(当時の三菱さんとしては何をどのくらい誇っているんでしょうかねぇ、の意。)「交通技術」は、広告も含めて情報の宝庫です!
「国鉄っぽい」かどうかを意識してみるという視点を持って、伊じゅ箱にぇ…いえ、伊豆箱根鉄道ずんずんずん…いえいえ、駿豆線のほうなど見てみましょう。(読みかたが覚えられません&発音がむずいっス、の意。…キヨシ!)
・「修善寺駅」
http://gotembaline.iza-yoi.net/shuzenji.html
実にバラバラで、実は場所ごとに微妙に違う音が出ていてもおかしくないのではないかと思えてきそうです。
・TOA
http://www.toa.co.jp/profile/history/1934.htm
「トランペットホーン」は、1930年代のものではないかとすら疑われます。おお、鳴らなくなってもそのまま放っておかれたのなら、残っていてもおかしくないかなぁ、などと邪推されました。本当でしょうか。
・TOA
http://www.toa.co.jp/profile/history/topics/page_01.htm#page01_03_d
> 1968年12月、東京府中市で起った3億円強奪事件。白バイ警官に変装した犯人が使用し、捜査のポイントとなったのが、TOAのメガホン ER-303 でした。
明記はされていないのですが、「トランジスタメガホン」に「電子サイレンを内蔵」といってパトカーや白バイに納めました的なソレが想像されました。
・TOA
http://www.toa.co.jp/profile/history/1960.htm
> 1969年 非常用放送設備開発
このころには、トランジスターをウヤウヤシク使って増幅をば、というだけでなく、何でもトランジスターで実現してしまへ〜といって「電子サイレン」や「電子ブザー」、それに「電子電鈴」といった、付加的な機能にもトランジスターが使われていったのではないかなぁ、と想像されます。いえ、使われていったのは確かだろうと思われても、具体的な時期や、会社間での温度差のようなものがわからない、ということです。1970年には「音声ファイル装置」の時代に入りますから、一種「あとがつかえて」います。電子電鈴がいつごろ普通になったものなのか、ぜひとも知りたいと思われてきます。
・よくわかる「電子ブザー」(1972年8月の書籍掲載の回路図)
http://www.nnc.or.jp/~a_iguchi/rika/kikyo03e.htm
http://www.nnc.or.jp/~a_iguchi/rika/buza01r.jpg
※「圧電ブザー」以前の、あくまで「電子ブザー」です。まさに1972年ですね。
・村田製作所「発音部品の種類」
http://www.murata.com/ja-jp/products/sound/sounder/basic/soundtype
・TDK「電磁ブザーは音質がソフトで広帯域」
http://www.tdk.co.jp/techmag/ninja/daa00951.htm
http://www.tdk.co.jp/techmag/ninja/daa00952.gif
> 多くの圧電ブザーが無機的な音がするのは、ある周波数を中心とする単音に近い音だからです。登場したころは新鮮な響きをもっていましたが、身の回りの電子機器に多用されると耳障りになり、メロディ音が好まれるようになりました。磁石を利用した電磁ブザー(マグネチック・サウンデューサ)は、圧電ブザーとくらべて高音圧の音を発し、音質も比較的ソフトで広帯域なので、メロディで知らせるアラーム用に適しています。
おおー、そういうこと(波形が違うのだよワトソン君[3206])だったんですねぇ。
★「電子電鈴」を「電子サイレン」で読み解く
サイレンのほうから探し直してみましょう。
・AFP-BB「映画『大脱走』モデルの元将校、101歳で死去 生存者1人に」(2015年8月28日)
http://www.afpbb.com/articles/-/3058659
…いえ、こう、左手でがしつと本体を押さえつけながら、右手でハンドルを勢いよく回し続けると、「ウー」と云ふ大音響が発せらるのがサイレンでございます。もはや映画でしか見ない存在でありましょう。私はといいますと、サイレンの実物を見たことはございません。
・大阪サイレン「会社案内」
http://www.siren.co.jp/corporate/
> 1960年 電子サイレンの開発を開始。
> 1963年 電子警鐘の開発を開始。
> 1965年 赤バイ用電子サイレン、回転灯を納入。警鐘付電子サイレンアンプ「TSK型」の製造を開始。
> 1967年 電子サイレンが緊急自動車用のサイレンとして認められる。救急自動車用のピーポーサイレンを開発。消防局の協力を得て実走テストを開始 。
> 1968年 ハンドサイレンの消防車両への装備が廃止された。
> 1970年 救急自動車用のサイレンがウー音からピーポー音への切替が決まり、昭和47年までに全国の救急自動車のサイレンが変更された。
おお、まさに、この時代(1960〜1967年)に「電子サイレン」そして消防車が鳴らす鐘(ウーでなくカンカンのほう)の電子化(脱・機械! 脱・可動部品! シリコン化! メンテナンスフリーで塗油も調整も清掃も不要だっ!!)としての「電子警鐘」が先導する形で「電子音」の開発が促されたと読み解かれましょう。そして、警察・消防としては1965〜1972年までの間にかっちりと「あまねく電子化」を達成されたということです。
※レッツチリコンカン! 食堂車の「マウント富士」を通して『見えない富士山』を見ようとしながら「オール電化」の料理を堪のうせよッ! 新幹線名物『ただいま240キロでゴザイマッス』はまだかっ、まだなのかっ!? シリコンでつくられたアイデア商品と電子レンジでシリコン調理だっ!! ガルバリウム鋼板やコーティングといいさえすればなんということでしょう! シリコンでできていさえすればアド街…いえ、例の紐…いえいえ、「まちかど情報室」っ!! わあぃSiC素子! SiC素子をふんだんに使った電車がブルーリボン賞を受賞だっ!! …トンチンカンで、あいスミマセぇ〜ん!
・JR東海「食堂車の「マウント富士計画」(1979年)」(2014年6月2日)
http://shinkansen50.jp/history/history_14.html
> 食堂車は車両を通り抜ける人が食事の邪魔にならないよう山側に通路があったのですが、その構造にはあるデメリットも生じていました。通路と食事スペースの間には壁があったため、富士山を眺めながら食事を楽しむことができなかったのです。
> これを解決するため、1979(昭和54)年から行われたのが「マウント富士計画」と呼ばれた改造です。壁に窓を設けることで、食事をしながら相模灘も富士山も楽しめるようになっています。
※文献「須田寛」をうのみにせず「交通技術」を参照しますと、この、通路は温存したまま(車内の)壁に設けた窓を指して「マウント富士」と呼ぶ用例が見られ…たように記憶しているのですが、読んだときにはどうでもいいと思って巻号をメモするのを忘れました。まだ「再発見」できません。(恐縮です。)
※最近読んだばかりの記憶を頼りにしますと、せっかく富士山のふもとを走りながら、窓を2枚も挟んでみる富士山、といって「(見たかどうかよくわからない)マウント富士(のようなもの)」といって、一種「やゆやゆ」されたのが「マウント富士」という(壁の窓を指しての)呼びかたであって、あたかも「マウント富士計画」などという「立派な計画!(当社比)」があったかのようなソレを、いくら後年とはいえ、当事者であるJR東海がお使いになるのは、…なんだかなぁ。そして、写真が本文と合っていないと指摘されましょう。いくら「昔話」でも、雰囲気だけで適当に写真を「チョイスして選択!」していてはだめなんですよぉ。なるほどなるほど、それで?(もぐもぐ…わあぃ富士山! 一瞬だったねぇ!! …もぐもぐ)…あざっす。
・『JR東海パック』(3,800円)
http://www.a-train9.jp/central/
※ジャリパック([3183])…いえいえいえ、便利でオトクなJR東海が3,800円で新登場ですっ!! …安くなったもんだなぁ。Σォィォィ(時代に鑑みオリジナルの表現を尊重しています。)
1964年の東海道新幹線(東京−新大阪間)では、開業当時には、まだ電子電鈴(電子ベル)はなく、従来のベル(可動部品がさびないように気を使いながら使うという意味での『古式ゆかしい電鈴』)だったのかなぁ、と想像されてきます。
しかし、その後、いつの間にか「ピピピピという電子音」になっていたことが知られています。
・朝日新聞「「駆け込み止めて」癒やしの駅メロ 東海道新幹線」(2008年12月15日)
http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY200812130136.html
> 発車ベルの代わりにオルゴール調のメロディーを流し始めた。
> 9月から実験的に行ったところ、駆け込みが約3割減った
> 従来の「ピピピピ」という電子音に代え、始発駅の発車後や終着駅の到着前に「のぞみ」の車内チャイムとして使っていたオルゴール調の電子音を約9秒間流し、新幹線の発車を知らせるようにしたという。
> 佐藤隆夫・東大大学院教授(知覚心理学)は「新しいメロディーがまだ発車音として認知されていないので、駆け込みが減っている可能性もある」と指摘する。
「発車音」として認知されたら元通りだとおっしゃってあられます。デスヨネェ…。そして、「従来のピピピピ」がいつから使われていたのかは言及されていません。
・ウィキペディア「発車メロディー」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E8%BB%8A%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3
> JR東日本
> 旧・日本国有鉄道(国鉄)時代の1970年代後半から電子音化したベル(「ピロピロピロ」という音)を使用していた
これ、あくまで在来線の話だろうと、そして、「発車メロディー」という見出し語であるので、東海道新幹線についてはほとんど何も書かれてあられないという、たいへんあられのないページになっているといえます。これはひどい「*****の登場人物一覧」ですね、わかります…などと「黄色い雷の人!(毎夏MM21に大発生!!)」のほうなど思い浮かべながら「素」でいってみようと思いまーす。(やだなぁ、恐縮に決まってるじゃないですかぁ。)
仮には、新幹線の1972年の岡山延伸にあわせてコムトラックph-1だといって、ピクトグラムを採用した「誘導標」(※)も含めて大々的に旅客案内の拡充が講じられたということで、当然ながら、このときに新幹線ではすべて電子電鈴あるいは「電子音」と呼ばれるもの(必ずしもベル音ではないかもですが、の意)になり、そして1975年の博多開業でコムトラックph-2だといって、全線で「PICシステム」として自動放送もコミコミで「完成」したと「交通技術」で説明されています。(「交通技術」を読み解く、は別途まとめます。)
※CTCと何の関係が…といって、ののんのん☆、ワトソン君、キミはなーんにもわかっちゃいないんだよ☆…といって、その実、電気局じゃないですかぁ、電気掲示器(誘導標、いまでいうサインシステム)のために電線の配線を考えるのも、CTCを構築して維持するのも、(国鉄としては)「電気」分野の「お仕事」なんですよぉ。(私、ワトソン君でしたっ! いまならわかりますっ!! …などと、『(典型)わかってない人』を演じてみます。マコトに恐縮でゴザイマッス。)
これを受けて、1975年以降に在来線にも「展開」されたとしますと、おお、ウィキペディアの説明と合致いたしてまいります。とりあえずは妥当な仮定なのではないかなぁ、といって勝手に安心してみます。
・YouTube 安心のカナロコ(2015年8月9日)
https://www.youtube.com/watch?v=tLIGez_kiLA
★電子電鈴は続くよ(御殿場駅・上野駅)
・「御殿場駅」
http://gotembaline.iza-yoi.net/gotemba.html
特急「あさぎり」のために設備され、「あさぎり」とともに運用を終えたかのように読める「メイツー電子工業」の電子電鈴が見られます。「あさぎり」云々という理由づけ的なソレが本当かどうかはわかりませんが参考まで。
・「あさぎり」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%8E%E3%82%8A_%28%E5%88%97%E8%BB%8A%29
> 1955年に小田急から日本国有鉄道(国鉄)御殿場線への直通列車として、新宿駅と御殿場駅を結ぶ特別準急2往復の運行が開始されたのが始まりである
> この運転のために、新松田駅-松田駅間に連絡線が設けられた。
> 1968年には御殿場線の電化
> 御殿場線では1989年に富士岡駅と岩波駅に行き違い施設が新設された
> 1991年3月16日からは特急「あさぎり」として相互直通運転が開始された
1989年から1991年くらいに設置された電子電鈴なのかなぁ、と仮に想像してみます。
・本当の意味での「発車ベル使用状況」
http://hassya.net/bell/kyoku.php?bell
> 上野
> 茅ヶ崎
> 南酒々井・榎戸・日向
> 本千葉・永田・新茂原・行川アイランド
> 上越新幹線 大宮〜新潟
> 千駄ヶ谷
> 馬喰町・新日本橋
> 倉賀野
> 東京(7・8)
> 東北新幹線 東京〜新白河・白石蔵王・古川・一ノ関・盛岡
> 新大久保
・「上野駅」
http://utsunomiya-line.at.webry.info/200809/article_33.html
> 1・2・3・4番線
> 大VOSS・電子電鈴です。発車ベルは電子電鈴、自動放送は大VOSSから流れます。
> 5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・15番線
> UNI-PEX箱型・UNI-PEX大型です。UNI-PEX箱型がない番線もあります。
> 16・17番線
> National横長型・UNI-PEX箱型です。UNI-PEX箱型は赤羽・北千住寄りにしかないようです。
> 19・20・21・22番線
> UNI‐PEX天井型です。高い位置にあります。
おお、以下のように読み取れますね。
■表22U(1) 上野駅の放送設備年月 | ホーム | ベル(電子電鈴) | 自動放送設備 (スピーカー) | | 電車線ホーム(1〜4番線) | 電子電鈴 | 大VOSS | | 列車線高架ホーム(5〜10番線) | UNI-PEX大型? | UNI-PEX箱型 | 1968年9月30日 | 列車線高架ホーム(11・12番線) | UNI-PEX大型? | UNI-PEX箱型 | 1958年10月10日? | 列車線地平ホーム(13〜15番線) | UNI-PEX大型? | UNI-PEX箱型 | 1989年3月11日? | 特急ホーム(16・17番線) | なし? | UNI-PEX箱型 National横長型(増設?) | 1985年3月14日 | 新幹線地下ホーム(19〜22番線) | なし? | UNI‐PEX天井型 |
「UNI-PEX大型」と呼ばれるソレは、形状がラッパ型であるため、おお、これは電子電鈴のホーンを現代のスピーカーふうに化粧した(『前面グリルつき』そしてオシャレな「塗色で塗装」!)ソレかなぁ、と想像されました。出てくる音が「拡声」でなく「ベル音」だけだという前提で、思い切った発想で安く大音量が得られるソレ(再生できる周波数特性を人の声でなくベル音に最適化した形状?)と読み解かれます。本当でしょうか。この形状で人の声を流したら、かなりキンキンになりそうな気が…しませんか。そうですか。
・「UNI-PEX大型」と呼ばれるソレ
http://art52.photozou.jp/pub/521/1445521/photo/126143673_624.v1458965457.jpg
…あのっ! 電話機のような太めのカールコードが意味深ですっ。「75Vくらい16Hz」で「リング」していてもおかしくないとすら思えてきそうです…などと早合点しかけましたが、よく見ればカールコードほどの光沢はなく、外側も「ら旋」ではなく「蛇ばら」で、アレですね、配線用の樹脂製のチューブですねっ。あとからわかりました。(古いものばかり見ていた目の続きで見たので間違えましたっ、の意。レッツ連続視効果!)
・「英語放送」と「テプラ」された「UNI-PEX小丸型」と呼ばれるソレ
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/n/naoki1998923/20121101/20121101201517.jpg
…あのっ! 「小丸型」って、どう読むんですかぁ…などと、「素」でたずねてみます。やだなぁ、「***がた」に決まってるじゃないですかぁ。そして、いかにも「マルチメディアスピーカー!」なソレには、きっと「スーパーバス!」の赤いLEDがついて…ないですねぇ。ゴシゴシ。
・Tメディカルパッケージ(TMP)「小丸棒」
http://tmp.tak.co.jp/products/comaru.php
※「UNI-PEX箱型がない番線」はどういうことでしょうか。その実、島式ホームで2線分を1系統の「自動放送用スピーカー」でまかなっているということかなぁ、と想像されました。詳しいかたあられましたら、ぜひフォローください。そして、かように電気的な「使い分け」がなされていることを知らないうちは、『ダミー!!』だのといって「録音できなかったじゃないかどうしてくれる!?」と一種「憤がい」なさるというソレが生じえます。うーん。
▼1968年は「常磐快速線」を見据えての立体交差化によるものです。
▼1985年は東北新幹線の上野開業によるものです。
▼1986年に「常磐快速線」が15両化されていますが、このタイミングで上野駅でも工事などがあったのかは不明です。
このほか、▼1932年4月3日に新駅舎、▼1951年12月に猪熊弦一郎作の壁画『自由』、▼1958年10月10日に初の東北特急「はつかり」運転開始といった『歴史的日付』が散見されます。
また、▼1969年10月に常磐線の気動車特急「ひたち」、▼1972年7月・10月に「ひたち」電車化、▼1989年3月11日に「スーパーひたち」の運転開始と続きます。
★千駄ケ谷駅の「電子電鈴」を読み解く
応用編として千駄ケ谷駅をば…大幅に端折ります。(ウィキペディアにたいていのことは書いてあり、そこはさすがなんですが、ぜんぶ混ぜこぜで書いてあるものをどう読めばいいのかが難しいと思います。)
▼1956年3月に『補強コンクリートブロック造』で新築。「モデル駅に指定」とのこと。
▼1958年1月「アジア競技大会開催」のため改築、▼1964年9月「東京オリンピック」のため改築(臨時ホーム新設)との、「ともなう」を「のため」と読み替えて、予算の出どころに思いをはせてみます。すると、おお、国や東京都などの「外部資金」で改築されたので、建物や電気設備がまるっと、「JRのものではない」かのようなソレが推察されてまいりましょう。道路の敷地に駅本屋や臨時ホームが造られていたり、しないでしょうか。
・Google ストリートビュー 「千駄ヶ谷駅 臨時ホーム階段」付近
https://goo.gl/maps/brmpdZB2pxP2
まさに、▼高速道路と▼街路(?)、それに▼駅舎の3者(すべて事業者が異なる)が、土地を共有しているかのような「三ツ境!」…いえ、「三ノ輪!」的なソレがうかがえます。
※渋谷駅については、まさにそのような事情からの費用負担で、国鉄としては費用の負担はなく工事だけ実施するというソレであったと「交通技術」の1964年9月増刊号に明記されています。千駄ケ谷駅も似たようなものでございましょう。
だからといって「ただちに発車メロディーが導入できない」とまでは断じられないわけですが(渋谷駅は「元祖・発車音」と呼ばれる発車メロディーが導入されたじゃないですかぁ)、こう、いろいろな事情やタイミングのズレなど積み上がって、現状のようになっているのだろうと、ナマアタタカクみようではありませんか。
・YouTube 千駄ケ谷駅までナマアタタカク歩く(2015年2月28日)
https://youtu.be/nNtmidNfN-4?t=12m40s
※こういう、ありのまま(っぽい)映像こそが後世、たくさん参照されそうな気がして…きますよねぇ。
・JR東日本「都区内パス」
https://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?GoodsCd=2091
http://livedoor.blogimg.jp/yosi44125/imgs/4/3/43f0966b.jpg
※750円で「各駅下車の旅!」ができますっ! 安いよ安いよっ! きっぷがよれよれになるまで自動改札機に投入だっ!! (テッポウ…いえ、突放…いえいえ、水濡れ厳禁ですぞ!)
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