・「PCM」と「CDクオリティ」で読み解く「元祖・発車音」(新宿駅・渋谷駅) ・音楽的に音楽性の違う音楽面の『闇』 ・実例に見る日英対訳(行列のできる出張所)・正しいCDの持ちかた
(約7000字)
この一連の記事では、「じゅんふどうのあっとらんだむ」で「じどうほうそう(ただしはっしゃめろでぃーをふくむ)」を技術面で立体的に読み解くことを目指します。
お好きな順番でお読みいただけるよう、1つの記事を短めに、そして細切れに掲載いたします。その分、1つの記事を読むだけではよくわからないということになるでしょう…といって、その実、「クリスタルマリンバ」の音色番号を選択しながら、千葉市と八街市にまたがる鹿島川流域の山林で「デンスケ!」してきた「環境音!」をバックグラウンドで再生するようなソレが浮かびます。(あくまで想像です。)
・「デンスケ」
http://web.thn.jp/wbf/history/pix/densuke.htm
☆「PCM」と「CDクオリティ」で読み解く「元祖・発車音」(新宿駅・渋谷駅)
音源については、古くは「メロディーIC」から始まって(駅でも「メリーさんの羊」「アマリリス」などが流れる装置のうち、かなり古いものは、メロディーICだろうと決めつけます)、楽曲の差し替えが云々というカラオケっぽい要求が出てくると「MIDIデータ」で「FM音源」だという時代になり、さて、音声の記録形式としては「PCM」しかなかった1990年代前半としては(86ボードですよ!)、たいへん大容量の記憶媒体がなければ対応できず、後に「MP3」だといって、おお、もはや容量の問題はほとんど解消されたのかなぁ、と想像してみます。
・「通称86ボード」(2015年4月4日)
http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/news/news/20150404_696259.html
http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/img/ah/docs/696/259/c865.jpg
PCMはよく理解していないのですが、FM音源のうち簡易なものは、それなりに簡単な回路で実現されていたのではないかと想像します。(大昔には音源ボードは雑誌の回路図を見て自作するものだったとかなんとか。)
・ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E8%BB%8A%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3#.E6.9D.B1.E6.97.A5.E6.9C.AC.E6.97.85.E5.AE.A2.E9.89.84.E9.81.93.EF.BC.88JR.E6.9D.B1.E6.97.A5.E6.9C.AC.EF.BC.89
> ヤマハに新しい発車メロディ放送システムの開発を依頼、1989年3月11日に新宿駅と渋谷駅に導入した。この際にピアノや鈴、ハープといった音色と人の心を落ち着かせる雰囲気のメロディを採用した。
(仮に)JRが発足した1987年4月以降の検討開始だとしまして(「901系」[3062]も参照)、そして1989年3月(1988年度)に導入ということで、1987〜1988年に発売の最新機種(=当時)が、豪勢に(駅で決まりきったメロディーをひたすら流すだけの箇所に、一種「フルスペック」の「シンセ」が)採用されたのかなぁ、と推測されます。(そうでなければ「ピアノや鈴、ハープといった音色」を使えるほどの音色の品質が得られなかったはずだと決めつけます。)
・ヤマハ「シンセ年表」
http://jp.yamaha.com/products/music-production/synthesizers/synth_40th/chronology/#chronology_1988
・YouTube ヤマハ 1986年発売のFM音源
https://www.youtube.com/watch?v=JSVM2CQOVKc
・YouTube ヤマハ 1987年発売のAWM音源
https://youtu.be/RK6BgwzicJA?t=9s
・ヤマハ「鳴るほど♪楽器解体全書 : デジタル・シンセサイザーの音の原理」
http://www2.yamaha.co.jp/u/naruhodo/18synthesizer/synthesizer3.html
> AWM音源方式の音づくり 【良い音を少ないデータで】
FM音源はどこまで行ってもFM音源で、(電話越しの保留音ならともかく)駅で公衆にお聞かせできる品質たりえることはないと、当時も、いまも、判断されそうだと感じます。新宿駅、渋谷駅での導入時には、きっとAWM音源が採用されたにチガイナイ! …と決めつけてみます。本当でしょうか。
そして、AWM音源とはいっても、やはり、音色によって自然さ(不自然さ)がかなりばらついていただろうと思い起こされましょう。ピアノ、ベルなど、金属をたたく系の音色は、それなりによくできていたと思い起こされますが、ハープはいかほどか、ちょっとわかりません。管弦楽の系はほぼ全滅で、ドラムやパーカッションも、いかにもシンセですという音しかしていなかった気が(いまとなっては)してきましょう。
※そういう「音色の完成度のばらつき」という事情が先にあって、いま、「レトロDTM!」といって、特定のメーカーの特定のシンセを「ビンテージ!」といって一種『祭り上げ』つつ、ある一定の範囲の音色(MIDIでいう音色番号、の意)だけを使うのが「DTM!」だという、ちょっと狭い「DTM」が、(音楽業界でなく、ゲームを中心とするソフトウェア業界で音楽をつくる人たちの間では)いまでもそれなりに続いているのかなぁ、とも想像されます。
・ウィキペディア「PCM音源」
https://ja.wikipedia.org/wiki/PCM%E9%9F%B3%E6%BA%90
> スーパーファミコンの64kバイト
> 単純な音声の再生(セリフの発音など)に関しては、PCM音源のバッファを一時バッファとして使い、DMA転送で連続してデータを送り込みながら再生することで、バッファ容量以上の時間の音声の再生を実現することが多かった。
うーん、新宿駅と渋谷駅での装置が、どういう再生方式だったのか気になります。ヤマハに発注したのだからヤマハのシンセだろうというのは思い込みで、実は▼専用のCDをプレスして、CDで再生していた?、▼PCMのデータを再生する専用の装置を起こした? …などとも想像できます。実際はどうだったのでしょうか。いよいよ気になります。
・ウィキペディア「YM2608」
https://ja.wikipedia.org/wiki/YM2608
> 「PC-9801-86」(略)については、外付けのPCM出力を行う回路が存在し、ADPCMバッファが割愛されている。
といって、「73ボード」と「86ボード」の差分(の基板面積、価格、部品点数)で、「外付けのPCM出力を行う回路」が実装できるということです。回路の中身までは理解が及びませんが、なるほど、「86ボード」を取り付けたFCな98を置けば「発車メロディー」が実現できたとも想像されてきます。
…と思いきや。
・個人のページ
http://www.retropc.net/yasuma/V2/PC/SOUND/pc-9801-86.html
> 1993年1月にPC-9821Ap/As/Aeシリーズ、つまり所謂初代Mate Aと同時に発表された、前年秋に先行デビューした初代PC-9821の内蔵音源と同等の機能を実装するPlug and Play非対応のCバス用サウンドボード。
そうでした。「86ボード」って、だいぶ新しいものだったのです。このあたりの時代の順序をすっかり忘れていることに気づいて、ゾッとしてみましょう。
1989年1月にPCM再生な基板をちょろっと作るには、「初代PC-9821」(1992年秋)を4年も先取りするようなソレがあったと推定されます。ちょっと無理があるかなぁ、と、外形的には感じられましょう。
☆音楽的に音楽性の違う音楽面の『闇』
…いえいえいえ、メッソウもございません。
・「元祖・発車音 新宿駅・渋谷駅の音」
http://elphonic.com/label/ringtone-hasshaon/
・「見えないデザイン サウンド・スペース・コンポーザーの仕事」(2009年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4636829441
見えないということを指して「闇」と表現するのは適切でないので「手探り」と言い換えればいいのかなぁ、と思いますが、音楽のむずかしいところは、直感的な可視化をするのがむずかしいというところにありましょう。譜面なんて、そんなの、演奏者がわかればいいんだ、そんなもの(※)、とまでは申しませんが、楽曲やサウンド作品(効果音やジングル、サウンドロゴなどを含む)の、尺の全体、パートぜんぶコミコミでの共通のイメージ(ビジュアル、の意≠ビジュアル系にあらず)を、担当の楽器や、音楽に関する知識や、そういうものにいっさい影響されず、検討するメンバー全員で一種「共有」するのは、至難の業であると想像します。
※ぱーっと、羽ばたくような感じで、透明度の高い遠浅の海みたいな、遠くも近くも間近に見ているような、空間を超越した近接性を追求! …などと(略)。「「バンダイナムコ」と男性の声で発声される構成」については[3176]を参照。
以下の「開発ストーリー」では、しかたないのでFFTするんです、と、そこまでは妥当な議論だと思いました。
・「元祖・発車音 開発ストーリー」(2011年)
http://idephon.com/idechan/wp-content/uploads/sites/2/2014/10/jrBooklet.pdf
> 鐘
> ピアノ
「鈴」ではなく「鐘」ではないですか&「鐘」が先で「ピアノ」が後ではないですか。
> ハードシステムにおいては、発音装置のクオリティをCDと同程度まで高めた。また、ホーム上の平均音圧レベルを一定にするため、スピーカーの設置においても、指向性に基づいて間隔と向きを設定した。
なんと、いわゆる「CDクオリティ」(当時の最大値っぽいソレ:16bit 44,100Hz)で、「同程度」とはいかなることかといえば、モノラルだということでしょうか。
> 最初に鐘の音色を参考にした「調和の法則」をつくって響きを共通化し、さまざまな楽器を使っても、また、隣のホームと重なり合っても、不快感が生まれないようにした。
> ・埼京線/中央本線特急/山手線:ピアノ中心
> ・中央線:ハープ中心
> ・総武線:鐘中心
> ・成田エクスプレス:クリスタルマリンバ
> Tr.5 4番線 成田エクスプレス 成田空港
> 1991年3月開通
> 楽器:クリスタルマリンバ
> クリスタルマリンバとは、ガラスメーカーが製作したクリスタル製のマリンバ。木のマリンバに比べて音の立ち上がりが速く、高い倍音を有するために使用した。隠し味として、成田エクスプレスの目的地・千葉県にある山の中で収録した鹿の鳴き声を混ぜた。鹿の鳴き声は発車時の笛の役割も果たしている。3番線に対して4番線は5度下である。
うーん。うーん…う? シカのいるような山って、どこですかねぇ。「成田空港」→「御料牧場」→「ウシ」→「シカ」などと、先に「あん易」なイメージをふくらませてしまって、そうなると「もはやシカしかいないっ!!」となって…しまったのではないですかねぇ。(「笛の役割」は、作曲者が自分で言っているだけで、JRとしては認めていないと思いまーす。)
☆実例に見る日英対訳(行列のできる出張所)・正しいCDの持ちかた
そして、なんと英訳がついています!
> また、繰り返しもスムーズすぎると音楽的に流れてしまうため、変拍子などを用いて微妙な間をつくり、少し引っかかる感じを含ませた。
> We also knew that departure sounds too easy to repeat would wind up to be listen as a music song, so we created delicate changes in the rhythm, introducing a gentle impressions of “bizarre”.
※bizarre:うそーん、ヤダー。([3059])
・出発する音…訳せませーん!
・→繰り返すフレーズのつながりがスムーズすぎると(続きのフレーズが容易に予想できるため)聴く者の注意を損なってしまう。これを防ぐため、変拍子にして不規則な休符を挿入し(続きのフレーズを予想しにくくして)、(聴く者の)メロディーへの注意が(鳴り終わりまで)持続するようにした。
ひどい日本語を書く人ですね、と思われました。他の人に「朱っ☆」してもらうまでは、あくまでドラフトなんだと、自分ひとりで文章を完成させるなんてありえないんだと自覚していなければなりません…たぶん。
・「房総半島におけるニホンジカの保護管理モデル」北海道大学
http://hosho.ees.hokudai.ac.jp/~makizoh/shika_nyumon/webenshu/enshurin.html
・千葉県「千葉県の鳥獣害被害状況とその対策2」
https://www.pref.chiba.lg.jp/ninaite/network/h21-fukyuu/choujuu-02.html
シカについては分布域が図示されていませんが、イノシシとほぼ同様であるとすれば、おお、千葉市の分校と八街市の分校が近接しているエリア([3183])など、シカがいそうです。ここ、成田エクスプレスは通りませんです。
CDについても、えっ! いまさらCD? とはいわずに参照しましょう。
・ウィキペディア「コンパクトディスク」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%AF
> 1983年、米国およびその他の市場でもハード、ソフト共に販売が開始された。
> 1986年、販売枚数ベースでCDがLPを追い抜いた。
> 1988年から次々とCDの定価を下げ
ということで、おお、よかった! 1987年(昭和62年)には既に「これからはCDの時代だっ! CDは中心部に指を入れて持ち上げるのだよ☆」を迎えていたとわかります。とはいえ、どこの職場にも学校にも「CDラジカセ」が置かれるようになるのは1990年代(いわゆる『バブカセ』っ!!)ですから、1989年3月(3月なので平成元年)の新宿駅と渋谷駅に向けてのソレ(「検討会」や「試聴する会」)では、ヤマハ側が毎度、プレーヤーご持参でJRのオフィスを訪れていたのではないかなぁ、と想像されました。まさか、宴会場や体育館のようなソレ(音響設備)のある大部屋で試聴したりはしていないだろうと…いえ、わかりません。
※そういう部分もきちんと想像しながら読みかえすと、いかに『意欲的な取り組み』(=当時)であったか、オボロゲに実感できそうな気がしてまいります。まあ、「平成っ!」といって、何でも新しく始めようという気概のようなものが渦巻いて…というよりは、そうして鼓舞することで停滞を免れた時代であった(かなり行き詰まり感はあった)のかなぁ、ともふり返られましょう。本当でしょうか。
・「正しいCDの持ちかた」
http://www.sharp.co.jp/support/av/dvd/dvqa/dv82_001.html
http://www.sharp.co.jp/support/av/dvd/dvqa/images/disc-02.gif
http://www.nishishi.com/blog/2008/08/rental_cd_shop.html
・「PC-9821」
http://121ware.com/navigate/application/history/20120911/index.html#PC9821
※当時の用語の説明がていねいだと感じました。
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