・典拠いかにあるべきか ・歴史的・国際的な観点から記述したい ・当時「マウス」は難しかった(談) ・「コムトラック」の在来線への展開 ・ATOSの旅客案内装置における「新規性」はどこにあるか ・ATOSの「効果」とは ・ウィキペディアに載せるに値する公共性があるか(自分で自分に)問う必要あり
(約12000字)
「斬る」というのは字面的には語弊がありつつも、雑誌や週刊誌などイエローな方面ではいくらでも多用されている常套句に過ぎないと認識いたしております。
過去に「常磐ATOS」なるものを「斬ってみた」ことがございました。([2490]です。)
・[2631]
> 管理人のthtさんが[2490] 試しに「常磐ATOS」を斬ってみるにてまとめられておりますのでお読み下さい。
・[3061]
> TOEICにまつわる「幻想」を斬ってみる
次に「斬ってみた」のは、いきなり「TOEIC」でございました。ここで、話が飛んでいるとみるか、おお、この人はいつも同じようなことばかり「斬って」いるなぁ、と思われるか、難しいところかもしれないと思われてまいるのは事実でございます。
※というわけで、いまさら『宇都宮型ATOS』を「斬ってみる」必要もないかなぁ、と感じるのは事実でございます。
このサイトの古い記述も「斬る」つもりで、しかし、ウィキペディアを「斬って」みながら、(自分に)「斬られて」みようと思います。
※ここで述べたことは、時間がかかろうともサイトに反映させるつもりでございます。
・「Wikipedianに捧げる「百科事典の書きかた」」(2006年8月29日)
http://tht.sblo.jp/article/1199831.html
> 本題は「東京圏輸送管理システム(ATOS)」の説明である。一民間企業の中で完結している一システムに過ぎないのがATOSであり、そもそも百科事典の項目にはなじまない。載せる必要性がどこから生じるかといえば、中央線のトラブルの原因になって社会的に大きな影響を与えたという点である。いわば、ATOSというのは「時事問題」なのである。
> 「あの地震大国ニッポンで、どうしてあんなに高速な列車が長年無事故で運転できるのだろうか」という文脈の中で、ユレダスやATCを含めてシステムが説明されているわけだ。運行管理システムそのものはバックエンドのシステムであるから、一般の人には関係がない。しかし、安全を確保するための装置の一つとしては、一般の人にも大いに関係がある。その関係性に基づいて、関係する部分のみを簡潔に説明するというのが、百科事典の書き方なのである。
> 運行管理システムを独立した項目にして、運行管理システムとは何か…とだらだら説明していくというのは、レースのスタート地点で後ろを向いているようなものなのだ。これではどう頑張ってもまともなレースはできない。
基本的な考えかたはこの時と同じなんですが、▼まあ、書いてあっても無駄ではないかなぁ、▼ならばちゃんと書いてよ(「ちゃんと書く」ためのトレーニングの場として活用してほしいなぁ)、という気がしてきたわけでございます。
★典拠いかにあるべきか
まず、「○○鉄道殿」にシステムを納める、最上位のメーカー(SIer)の言い分だけをうのみにすることが、百科事典において妥当かというところから、そもそも疑われなければならないと感じます。
「技報」は、あくまで都合よく、差しさわりのないことを書いてあるんだ、などと、[3137]で決めつけてみました。(マコトに決めつけで恐縮ですが、そういう面があることもあるんだということは留意されたい、の意。)
また、技報では、SIerが『汗した』部分(がんばった部分、新しく実現したことなど)が述べられ、他方、買ってきて設定して納めただけのサブシステムについては、ほとんど書かれない(システム全体のブロック図を示しておしまい)ということがありましょう。
・ウィキペディア「新幹線運行管理システム」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E9%81%8B%E8%A1%8C%E7%AE%A1%E7%90%86%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
こちらでは、まさにそういうことになっているかと思います。
百科事典としては、あくまで自分たちが『セカイ』を切り取って(自分の手で)記述するんだという、中立で(多くの場合、匿名で)ありながらも、主体性のようなものが必要であるということ…があたりまえだと思っていたんですが、必ずしもそうは思われていないんでしょうか。
後述の、コムトラックに「音声ファイル装置」が採用されるまでの流れなど、丹念に追わなければ、すっぽり抜け落ちるというわけです。
また、多くのシステムは、ユーザー企業の側での「運用」もあってこそのものです。技報は、あくまで納めるまでの話しか書かれないものですから、運用については、当事者の側の出版物など参照する必要が出てまいります。
交通協力会の▼「交通技術」では、(国鉄や公団が)いかにしてメーカーに発注するかという側の立場から、▼「国鉄線」では、現場がどのように対応していったのかなど、子細に(≒率直に)記録されていると期待されます。
★歴史的・国際的な観点から記述したい
また、『国際的な観点!』からの記述も目指したいですよね、わかります!
CTCの導入にあっては、明らかに「輸入」であったといえましょうが(=当時の「交通技術」で、具体的な通信方式などがほとんど英語そのままのカタカナで記述されていることなどから)、新幹線のATC、コムトラックなどからは、かなり「わが国がセカイをリード!(日本のシステムがオリジナル!)」という部分も、いくらかは出てくるはずです。こうなると、セカイの読者から「ニッポンのアレについて知りたい」というニーズが出てくるわけですから、最初から英語版のWikipediaにコミットするつもりで執筆されるのが「最短の近道」ではないかと錯覚されそうです。(あくまで錯覚です。)
もっと一般的に、ICやLSIの実用化や低廉化など、世界的な動向(ただし開発競争も含む)も踏まえての記述も必要でしょう。
鉄道業界も、他の多くの業界と同じように、▼事務のOA化、▼機械のFA化という2面から、コンピューターの導入が進められてきたと読み解かれます。前者としては、最初のうちには「貨報集計用電子計算機」、後者としては、まず継電連動装置、そしてコムトラックへという流れでしょうか。
CTCは、遠隔操作のための通信の技術であって、FAではないといえます。しかし、後のFA(狭くはPRC)が、その通信の技術あってこそ実現されていったという観点では、CTCについても言及する必要が出てまいりましょう。
※「CTC駅装置と呼ばれるノード」([3200])も参照。
・JRC(日本無線)「日本初の反射板中継方式による「7GHz帯多重通信の電話伝搬実験」に成功。」(1953年7月)
http://www.jrc.co.jp/jp/100th/event-single/event37/index.html
※技術そのものは輸入であったのかな、ともうかがわれますが、実地で運用できるソレを(割と)自ら勝ち取ったという点で、国内のウィキペディア(日本語版)にあっては特筆されそうです。(既にされていますね。)
・「マイクロ波方式の夜明け前」
http://miyabi.ee.ehime-u.ac.jp/~tsuzuki/Class/OuyouTsushin/2009.12.4Internet/01/
> 昭和27年当時は停電が多く、3エンジンが実用化されていないので、ガソリン発動機と発電機からなる2エンジンの停電時電源を使用していた。停電してから自動起動する電源であり、停電即しばらく通信不能になった。
> これらの苦労はその後の無停電電源装置の開発に結びつき、また電界強度の高さによる変化のデータはダイバーシティ受信の方式に役立った。
国鉄へのマイクロ波の割当があってこそ「新幹線のCTC」が実現でき、「新幹線のCTC」が実現できたから「新幹線」が実現できた、と説明されることがあります。いま、まさにATACSやCBTCのための割当を「オネガイシマス」しているところ([3103])だといって、当時と同じくらい重要な局面だといえるでしょう。本当でしょうか。
そして、おお、このあたりから、日本で開発された「アンテナ3本!」(室田ら[3119])や、現在のバッテリーなどの開発にもつながっていくんだと理解されてくる気がします。
・Wikipedia「Shinkansen」
https://en.wikipedia.org/wiki/Shinkansen
> The Shinkansen employs an ATC (Automatic Train Control) system, eliminating the need for trackside signals. It uses a comprehensive system of Automatic Train Protection. Centralized traffic control manages all train operations, and all tasks relating to train movement, track, station and schedule are networked and computerized.
後半がコムトラックのことを述べていながら、CTCと区別されていません。(新幹線のCTCでは、新大阪までの開業当初は「computerized」とまでは言えない状態にあって※、博多延伸時のコムトラックによって、本格的に「computerized」された、の意。)このあたりにコミットしたく…なってきませんか?
※座席予約だって、アレですよ、といって「秋葉原ビル」([3236],[3247])が参照されます。
・Wikipedia「Automatic train control」
https://en.wikipedia.org/wiki/Automatic_train_control
> Japanese-style ATC indicator
え゛ー。…え゛ーッ!! …そのうち「チーン!」や「プー〜〜〜〜」「ジリリリ…ン」の音([3124])が「アップ!」されるんですね、わかります!
そして、これはひどい「かたろぐすぺっくっ!」ですね、といってみます。▼ATCがいかなる課題を解決したのか、▼いかなる発明がベースとなったのか、▼国際的にいかなる人的交流があったのか▼なかったのかなど、基本がまったく踏まえられていないまま、『型式!』ばかりが「これくしょん!」されているといって、とっても「ぜつ望!」しました。(これを指して『型これ!』などといって、こう、ボリボリと鉱物などバケツでかじるんでしょうか。うーん。)
「高校3年生の曽根センセイ(当時)」([3137])あたりのこと(交流電化とATCの電文の両立など)が、既に昔話として、子細に記述しても問題がなくなっていると思われます。(現行のシステムのセキュリティに影響を及ぼさない、の意。)
ほかに、「(***も黙る)MIT帰り!」なソレ([3089])も、典拠があって、言及できるならしてみたいものだと思わされます。(見解は個人ですがキボウです。)
※ATOSについては[3246]も。留学して帰ってこられたかたって、やっぱりスゴイと再認識されましょう。きちんとソンケイしたいですね、わかります!
★当時「マウス」は難しかった(談)
それはそれとしまして、具体的なところを見てまいりましょう。
・ウィキペディア「東京圏輸送管理システム」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%8F%E8%BC%B8%E9%80%81%E7%AE%A1%E7%90%86%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
> 輸送障害時の運行整理も、特殊なコマンド入力やキー操作を廃し、ダイヤ画面上での直観的なマウス操作が可能になり、イメージがつかみやすく、指令員の入力内容が自動反映されて、指令員の負担を軽減できることや、復旧の迅速化などにも寄与することを期待されて、ATOSは鳴り物入りで導入された。
1994〜1996年ごろには、まだまだ、マウスを使いこなせる人なんて、新しいもの好きの人と、子ども(子どものほうがかえって習得が早い)ぐらいだったはずです…たぶん。
※マウスについて[2945],[2949],[3035],[3036]などを参照。
・[3035]
> 信号扱い所の写真では、NECのFC-9801シリーズまたはFC-9821シリーズとみられるコンピューターが2台、置かれている様子が見えます。1台(写真1の右)には通常のキーボード、もう1台(写真1の左)には特注と見られる専用のキーボードが接続されています。モニタはFA用でなく一般の製品を使用していたようです(※1)。なお、マウスはありません(※2)。
> ※2 念のため、マウスはありません、と繰り返してみます。
・[3036]
> ATOSの情報端末
> 日立のPC「FLORAシリーズ」に、普通のキーボード、そして、なんとマウスがついています。
> ※くどいようですが、なんとマウスがついています、と繰り返してみます。
しかし、仮に「ATOSの導入でかえってもたつくようになったのは、マウスの操作に慣れていなかったから!」などということが実際にあったとしても、これ、とってもミットモナイことですから、当事者としては、どこにも書かない(表に出さない)話になってしまって、典拠がない以上はウィキペディアにも書けないという、そこで終わる話ではないかなぁ、と心配します。
もう少し技術的な話に絞るならば、『マウスドライバ』がアレだったとみられる話([2949],[3036])などでしょうか。
・[2920]
> 指令卓を、いまどきフツーのGUIにする(マウスでドラッグできるようになった?)
・[2945]
> 当時、マウスが使えたかは不明ですが、使えたとしても、ドラッグはできなかった(カーソルキーやタブキーの代わりにマウスでポイントして選択するのみ)とみられます。
※あくまで推定です。PC-9800シリーズでDOSやN88-BASICでのマウスの扱いを思い出しますと、そういう状況だったという、それだけのことで、ATOSの端末がそうであったとまで断定できるものではゴザイマセン。
※NECの場合ですと、「純正!」のマウスではボタンが固めで、おお、これはまさに「ポイントして(シングル)クリック」しか考慮されていなかっただろう(擬音としては「カチカチ」でなく「ポチッ」であった)と、いまにして思えば、思えてくるでしょう。かのマウスで「ドラッグ」しようものなら、指が「つる」んですよぉ。…(想像しただけで指が)いたたた。
・「NEC純正マウス」のイメージです
http://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/ra125/users/0/9/8/1/monokurocacao-img599x436-1462336863mqsufb26961.jpg
http://www.geocities.jp/mochan7jp/etc/mouse.htm
http://www.geocities.jp/mochan7jp/etc/mou4.jpg
・「社外品」のイメージです(=当時)
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0802/18/news064.html
・[2949]
> 鉄道に限らず、業務系のシステムではユーザーインターフェースの開発に専門のチームを置かない開発態勢となる(ならざるをえない)ことが多く、初期のATOSでの「ドラッグできないマウス」のような、その時点その時点での一般のパソコンにも劣るようなユーザーインターフェースしか実現できないことが、結構あります。(「ドラッグできないマウス」のケースでは、マウスのドライバーをきちんと扱えなければ、ポイントしてクリックという最低限の動作=旧来のジョイスティックに準じた動作しかサポートできなかったのです。)
・N88-BASICにおける「ドラッグできないマウス」のイメージです
http://www.geocities.jp/repuru_msp/02_programing/program/source/mspoint.htm
あくまで推定でしかなく、もう一段、確かな資料がほしいですね。
仮に「ドラッグできないマウス」が本当であれば、唯一、具体的で、ウィキペディアにも載せることができそうなことだと思われました。
★「コムトラック」の在来線への展開
・ウィキペディア「東京圏輸送管理システム」
> 列車の運行管理や旅客案内を総合的に管理する列車運行管理システム (PTC) の一種であり、現在日本国内で運用されているものの中で最も規模が大きい。
ATOSは、何のインスタンスであるか、という定義をされたいということですね。
国鉄・JRに限ってみる場合、1972年、山陽新幹線の開業時に東海道新幹線ともども構築された「コムトラック」が、直接の「ご先祖さま」であろうかと思われ始めています。「交通技術」「国鉄線」などが典拠になると思います。
それより前のものは、▼(CTCや変電所の遠隔管理など念頭に)電子計算機を使用していない(電気じかけの「装置」)、▼プログラム可能でない(少なくとも「さん孔テープ」、できれば磁気媒体を使うものでないと「情報システム」とは呼びがたい)などの観点で、現在「運行管理システム」といって一般に通じるものとの明確な区別ができようかと思われます。
・ウィキペディア「東京圏輸送管理システム」
> 乗客が実際に触れるATOSの機能としては行先・種別などの詳細な案内表示や自動放送などがあり、従来の案内システムからの変化を感じ取ることができる。
1972年から1975年にかけて段階的に構築された「コムトラック」で、最終的に、▼全駅でオンラインの旅客案内装置が稼働、▼駅での係員の操作が不要で自動で表示できる発車標の設置、▼行き先や発車時刻を音声で案内できる自動放送装置(音声ファイル装置)の採用と、現在の原型といえるシステムが一通り実現していました。
※1970年からの「音声ファイル装置」の動向については[3208],[3221]を参照。
1970年に大阪万博で試作、1971年に東成田線に採用(しかし開業が延期に)、1972年に和歌山市駅、そして1975年に新幹線の全駅(オンライン)と難波駅で本格的に採用という流れだとわかりました。実際に装置を製造したのはTOAですが、限りなく「公団のご指導のもと完成!」という気配が漂っている点について、確実に明らかにできる資料がほしいところです。東成田線にも工事誌ってあるんでしょうか。(駅に自動放送を採用していくという意思決定をした主体はどこか、を明らかにされたいということです。国鉄が国鉄の駅に導入することを決めるより「上」で、もっと源流での意思決定があったのではないか、ということです。)
コムトラックと同様の、オンラインの旅客案内装置を在来線でも備えようということは、直接には、東北新幹線と同時に整備された埼京線で、ええい、新幹線と同じにしてしまへ〜、ということだったかまでは確認できていませんが、かなりの部分で、コムトラックを踏襲して「埼京線のPRC!」が構築された(LED発車標の採用が始まっていながら埼京線では反転式が採用されるくらい、一種「枯れた技術」として採用された、の意)、というのが1985年(北九州モノレールと同年[3019])であり、コムトラックから10年で在来線にも展開されたとみたとき、さほど遅くはなかったと感じられそうです。
※そこから10年、1995年が中央線のATOSで、さらに20年が経って現在に至るというわけです。
ほとんどのことは、ATOSより前から実現していたのです。
★ATOSの旅客案内装置における「新規性」はどこにあるか
では、ATOSの旅客案内装置では、どんな「新規性」があるのでしょうか。
・徹底したコストダウンで「非連動駅」も含め、膨大な数の駅にオンラインの旅客案内装置を整備したこと
「コストダウン」という文脈の上で、さらに細かい事項等を挙げることができましょう。
・自動放送に用いる音声を当初、音声合成ソフトウェアにより作成していたとみられること
※「南東京行きの」([3034])を試聴の上、うーん、とうなってください。うーん。その後の展開としては、▼内房線([2878])、▼都営地下鉄での「中央音源方式」([2942])などにつながります。
※ゆりかもめの「まもなく」の自然さに驚き、そしてATOSの音声(いわゆる先行導入の駅で女声だけだったときのもの:大宮や川崎など)は、元の話者とは似ても似つかない音声になっているのだろうと認識したのでありました=当時。
・「まもなく/1番線に/有明行きが、まいります」ほか
http://melody.pos.to/page/private/yurikamome.htm
http://melody.pos.to/sound/yurikamome/aomi_1an.mp3
※いま、まさに「『ATOS放送』がゆりかもめ化!(肉声で録音!)」して、このクオリティが「東日本管内全駅!(1700!)」に…と思いきや、これまた、そう、すんなりとはいかない(古い音片も残っている)のが惜しまれます。本当に惜しまれます。どこまでいっても惜しいことをなさるんですねぇ…。
・「………1番線から、有明行きが、発車します」
http://melody.pos.to/sound/yurikamome/aomi_1dp.mp3
※「発車します」の、実につややかなこと。これが人間の声ですよ。合成か肉声(の録音)か、わからないほうがおかしいとすら言いきります。もちろん、そこそこのヘッドホン(4,000円くらいで十分)で聞いて評価するのですよ。いわゆる「マルチメディアスピーカー」で聞くだなんて、とんでもない!
※そういえば「(k)aわさきぃー/かわさきぃー//終点、/カ・ワ・サ・キ/デス」も、かなりのソレ(アレ)でした。
・「(k)aわさきぃー/かわさきぃー//終点、/カ・ワ・サ・キ/デス」
http://www.oriori.org/atos/renko/kawasakiS.wav
・「常陸の牛久」
http://www.oriori.org/atos/renko/hitachinoushikuA.mp3
※余談でした。思わず余談したくなるくらい、特徴的で衝撃的な「音声」であった(当時もいまも)といえそうです。
・「8桁1行」という最小限の表示領域しか持たない「LED発車標」が、導入開始からしばらくは広く採用されていたこと
とはいえ、大井町駅では、ATOSより前から「8桁1行」のLED発車標が設置されていたとみられ、これが、どのくらいATOSを念頭にしたものであったのか、可能であれば調べられたいと思うのですが、どうやって調べたらいいんでしょうか。
・大井町駅(2000年8月 撮影)※ATOS開発より前(1985〜1989年ごろ)に整備されたとみられます。
http://atos.neorail.jp/photos/led/led00261.jpg
・代々木駅(2000年4月 撮影)※中央線ATOS導入時(1994〜1995年)に整備されたとみられます。
http://atos.neorail.jp/photos/led/led00088.jpg
また、南武線以降で、(駅の建設時に)ホームへの発車標の設置が考慮されていなかった駅(ホームの屋根の低い駅)に発車標を設置するため、低背型の発車標が新規に開発されてまで設置された(設置が見送りとはならなかった)ことも、営業上の特筆すべき事項等ではあると思いますが、システムの特徴だとはいえませんですね。
そして、「コストダウン」で「非連動駅」という文脈では、駅の数からいっても、ATOSより「CS型」の発車標(松島海岸駅[3210])のほうがインパクトが大きいというところも悩まれようかと思えてまいります。そして、「CS型」は1993年で、ATOSの開発と同時期(1990年に最初のATOS導入計画を決定)で、ATOSの実運用の開始(1995年)より早いということから、うーん、「CS型」こそが特記されたいとも思えてくるかもしれません。
★ATOSの「効果」とは
当事者の言とはいえ、実際に導入後にいかなる「効果」があったのかも、公知となったソレがある限りは適切に載せないといけない(意図的に無視してはならない、「知らなかった」といってはいられない)と思われます。
・[2929]
> > このスライドはATOSを入れた効果を表わしてるグラフです。ATOSを導入した後は、非常に復旧が早くできるようになったということがお分かりになるかと。平均して3時間14分が、2時間34分になっています。
> > ここまでの話は信号制御システムあるいは運行管理システムとあわせた列車制御システムについてでした。こうしたもののおかげで、私どもの一本あたりの列車の遅れ時分は、在来線の場合ですと大体平均1分前後、新幹線の場合ですと、30秒ちょっとに抑えることができています。
> > 海外でこういう話をすると、台風とかそういうときのデータは入れてないんだろうと言われるんですが、実は全てのデータを入れたうえで、この遅れ時分になっています。
※「意図的に無視」[3052]も参照。
★ウィキペディアに載せるに値する公共性があるか(自分で自分に)問う必要あり
逆に、無視ということでなく、意図して「載せない」という判断をすべき内容もありましょう。
・ウィキペディア「東京圏輸送管理システム」
> 保守作業管理機能
> 出発時機表示器
> 自動放送アナウンサー
かなり悩みます。
保守作業に言及するのであれば、保守作業に限って、ATOSの新規性や貢献など明らかにしないといけなくなってきます。しかし、そこを詳しく根掘り葉掘り書き起こすというのは、ちょっとお行儀がわるいような気がして、気が引けます。
出発時機表示器も似たようなことですが、うーん。システムが主題である限りは、機能に関する記述でないと釣り合いが取れず、いかなる運転整理や時隔の調整が行なわれるのか、そちらに力点を置かないといけないのではないでしょうか。
▼運転整理については、ダイヤや運用、行路の上での具体的な工夫や(※1)、実際の事例(東海道貨物線の活用など※2)、▼時隔の調整については、そもそもの制約(時隔曲線[3089])、施設の旅客流動上の制約([2911])や、最適化問題([3139]、一般の読者がわかるレベルでのアルゴリズムの説明)などにも言及して基礎知識を丁寧に解説するような記述が期待されましょう。(いや、期待が高すぎますってば。…わかってはおります。それでも期待してしまいます。)
※1 ただし、雑誌などで公知になっていないといけないというハードルが高いですね。「鉄道ピクトリアル」誌など丹念に探せばいいんでしょうか。
※2 一般にも報道されるので探しやすいです。 http://atos.neorail.jp/atos3/news/news_130611.html
> 2013年4月8日に茅ヶ崎市内で起きた踏切事故では、不通となった旅客上り線に代わり、貨物上り線を使って上り旅客列車が運転された。貨物線では茅ケ崎に停車できないため、茅ケ崎では普通列車を含むすべての上り列車が通過となった。また、2010年5月22日から翌日にかけて行われた辻堂のホーム拡幅工事では、上り旅客列車が茅ケ崎発車後に貨物線に転線し、藤沢の貨物線ホームに停車、貨物駅である横浜羽沢、新鶴見信号場を経由し、新川崎付近で横須賀線に転線の上、武蔵小杉に停車、品川で東海道旅客線に戻るという経路で運転された。これに加え、藤沢駅の折り返し線を活用した横浜経由の列車も運転された。
出発時機表示器の設置の範囲は、重要な情報だと思いますが、システムの特徴ではなく、もはや「JRと呼ばれる会社」が自社の路線網をどう位置づけて、どのようにサービスしようとしているかという、システムとは別の話題になってしまうと思います。
※「50km圏」「70km圏」([2530],[2910])など参照。
アナウンサーが具体的にどこの事務所のどういうかたなのかというのは、わざわざ言及するほどのことかどうか、ウィキペディアに書くにあたっては悩んだほうがよいと思います。端的には、システムの特徴をなすものではまったくなく、誰でもいいんです。
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