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世は春、いわゆるひとつの春休みでして、旅行に、進学を機にPCを購入にと、みなさまお忙しいところと思います。
・ツイッター(2015年3月19日)
https://twitter.com/do_n_ko_/status/578748738463608833
https://twitter.com/do_n_ko_/status/578750302087565312
https://twitter.com/do_n_ko_/status/578752549861261312
> なんかATOSっぽい
> 企救丘って企救丘って読むのか…企救丘って読むかと思ってたぞ
> 改札機めっさ古い感じだった
どう転んでも読めませんでした。読めないと記憶にも残らない、といわれます(※)。(調べてみると)北九州モノレールの終点で車両基地の最寄り駅ですが、遠方から訪れた客には方向感覚がつかめない、厳しい駅名ですね。
※モノレールについて調べると必ず北九州モノレールを調べることになりますから、一度はきっと目にしているはずなのですが、それでもやはり覚えていませんでした。(自分だけを例にして恐縮ですが)読めないということは、ここまで影響が大きいことなのです。
単に読めないだけでなく、「企救」という地名の由来も(調べてみるとおわかりいただけるように)なかなかわかりません。Wikipediaでもすんなりとは答えにたどりつけない、近年まれにみる…とまでいっては「過言」とは思いますが、そういう「探し方が難しい問題」でした。
※主として、Wikipediaの編集者の「人口カバー率」の問題でしょう。
・個人のサイト?「福岡県北九州市小倉南区曽根地域の紹介」
http://www.geocities.jp/kikunosato2005/
山あり谷ありのごつごつした地形だというオノマトペ的なもので、音が先にあって文字に意味はないというソレでした。(またもや自分だけを例にして恐縮ですが)記憶できるはずがありません。
とはいえ、起点の小倉から乗り、目的地で降車するまでの間には、意識的に乗り場を選ぶ必要がありません。帰りは「小倉行き」を選べば間違いがなく、トータルにはたいへん間違いようのない状態になっています。むしろ、ナビタイムなどを使って初めて「企救丘行きっちゃ」と提示されて「え゛ー」(それどこ?、の意)となるという話です。
※成田空港駅を起点とする訪日客の感覚も、同じようなものかもしれません。
・個人のサイト?「関門の地名の由来」(2000年?※)
http://www.kiteyone.net/hayawakari/kanmonrekisi/kanmonnona.htm
※http://www.kiteyone.net/hayawakari/nandemorank/juudai2000keizai.htm
「企救」は「小倉」より古くからある地名で、「小倉」という地名自体が「企救浦」からなまってできたものという説があるようです。これだけ一連のエピソードが見えてくれば、それとなく記憶できそうな気がしてきます。余談でした。
※しかし、これがわかるとかえって、北九州モノレール沿線の一帯がそこら中、企救であり小倉(旧小倉市内、現在の北九州市小倉北区および小倉南区)であるということにもなり、地元の人にとっても方向感のない行先表示なのではないかと心配になります。…だから山のほうには「丘」がついているんですね、わかります。
・日立評論「鉄道トータルシステムの展開」(1986年)
http://digital.hitachihyoron.com/pdf/1986/03/1986_03_01.pdf
> 日立製作所は,鉄道トータルシステムの設計・製作の経験を生かし,信頼度の高い自律分散ループ伝送システムと16ビットマイクロコンピュータを中枢とした鉄道向け高性能駅制御装置を開発し,
> 北九州高速鉄道小倉線運輸管理システム
北九州モノレールは1985年開業、ATOSの最初の導入は1996年ですから、ATOSの開発に着手した段階(三井造船な方が「何をやってるんだ」[2929]といわれた時点)では既に「自律分散システム」(通信に「自律分散ループ伝送システム」を採用したシステムという狭い意味で)も「枯れた技術」だった、といえるのでしょうか。そうだとすれば、「何をやってるんだ」といわれてもいわれなくても遅からず導入されていたものが、一声で前倒しになったとか試験のスケジュールで無理をしたといった光景が浮かんできて、「何をやってるんだ」のエピソードにかかる印象が180度、変わるようにも思えます。(感想は個人です。)
・このサイト「埼京・川越線」(2005年8月12日)
http://atos.neorail.jp/atos2/state/saikyo.html
埼京線(赤羽−大宮間)の開業も1985年9月30日で、埼京線ではPRCが使用されていました。そのPRCも2005年7月、ATOSに置き換えられる形で「退役」しています。開業当初に構築されたPRCが20年にもわたって使われ続けたわけですが、1975年からの20年間ならともかく、1985年からの20年間となると、その期間の後期には部品の長期供給もどんどん難しくなってきていたはずです(※)。最近では「15年程度」と、システムのライフサイクル(更新までの期間)が5年ほど短縮されるに至っています。
みなさま、お手元の歴代PC(古くは「マイコン」)を思い出していただくだけでも、フロッピーが8インチから5インチ、3.5インチへ、そして「フロッピー1枚」(※)どころか0枚(FDDが内蔵されない)になりました。一番長生きしたのは、レガシーデバイスとされながらもいまだに完全にはなくなっていないシリアルポート(RS232C)でしょうか。90年代にはアナログモデムが普及しましたが、2000年以降にはLAN(Ethernet)が一般化し、一気にモデムは見かけなくなりました。
※私的には、20枚近くのフロッピーを使って半年に一度くらいWindowsを再インストールしていたころが、最も「(自分がPCを使うのでなく)PCに使われている感」の高い時期でした。もっとも、Windows Updateの適用で業務システムに問題が起きないかを気にされるような立場にあっては、いまでも「Windowsに使われている感」が高いことでしょう。
※ネットワークについては、10MbpsのEthernetの時代には触れる機会がなく、100Mbpsの「Fast Ethernet」があたりまえの時代になってから触れました…とすっきり言い切れるものでもなく、10Mbps専用の機器が1千円程度で「たたき売り」されながら100Mbps対応の機器もそこそこ値段が下がってきたという悩ましい時期に、悩んで100Mbpsの製品を選んだというのが正確です。少し前にはギガビット対応の製品について同じように悩みつつも手元の環境を一気にギガビットに置き換え、そしていま、無線LANを11acにするかどうかを悩んでいるというわけで、いつの時代にも悩みが絶えない…というより、悩まないと買えないような時期に新製品を買おうとする人だということです。
・インプレス「フロッピー1枚分に圧縮した映画「ローマの休日」がニコ動で無料公開中」(2013年11月19日)
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/20131119_624154.html
・「いいように使われる」
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E3%81%84%E3%81%84%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B
・インプレス「iMac to Go. iMacを外に連れ出そう」(1999年7月22日)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/990722/macw_03.htm
> iBookで新たに追加されたソリューションが、ワイヤレスLAN機能「AirPort」だ。オプションとして提供される「AirPort Card」(99ドル)をiBookに内蔵することによって、ワイヤレスLANを構築することができる。その中心となるのが、299ドルで発売される「AirPort Base Station」。
> このベースには、56Kモデムと10Base-T Ethernetインターフェイスが内蔵されており、電話回線や、Ethernetインターフェイスを経由して接続されるケーブルモデム、xDSLモデム、既存のLAN回線でインターネットへのアクセスやファイルの共有を実現する。
> iBookと,AirPort Base Stationの間は,最大11Mビット/秒の速度でデータを転送できる。転送可能な範囲は最大で150フィート(およそ45メートル)に及び、ひとつのAirPort Base Stationで、10台のiBookからワイヤレスによる接続が行なえる。
当時としてはたいへん仰々しく書かれていますが、いまとなってはなんということもない無線LANです。内蔵できるとはいえオプション(別売)で約1万円、いわゆる「親機」が約3万円で、そもそもこういう利用形態が実現できるのは「iBook」だけという状況です。業務用の製品と比べて、コンシューマー製品(の一部)のほうがよほど最先端であるということがあるのは、いまも昔も変わりません。
・インプレス「[Multimedia World '99] カメラ付きメール端末ほか」(1999年12月14日)
http://www.watch.impress.co.jp/mobile/news/1999/12/14/mmw99.htm
※この時代の人になったつもりで部品の選定などを含む仕様策定をば、と考えてみますと、なにしろJR電話もありますし、やはりシリアルポート接続のモデムか、がんばってISDNですね、とあいなります、たぶん。
・北九州高速鉄道「安全報告書」(2007年)
http://www.kitakyushu-monorail.co.jp/report/data/anzen07.pdf
> ア 設備の老朽化に伴う更新
> 運輸管理システム
> 平成18年度より3ヵ年計画
・北九州市「北九州高速鉄道株式会社」(2008年度)
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000017628.pdf
> 営業費は、車両改造や新運輸管理システム等の設備更新などの経費が増加したこと等により、18億8,945万円(前期比6,340万円、3.5%増)となり、当期の営業損益は、2億5,384万円の利益(前期比8,902万円、26.0%減)となりました。
北九州モノレールでは2006年度から3年かけてシステムを更新したとのことで、開業当初のシステムが2008年まで使われたとすれば使用期間は23年間になりますが、もともと20年目に更新する予定が、諸々の事情で経費の計上を複数年度に分散させたということであれば、クリティカルな部分(老朽化の著しい部分)は3年がかりの最初のほうで更新したのでしょうから、実質的に埼京線のPRCと同じ期間でライフサイクルを終えたとみることができます。
結局のところ、同じ時期に導入された同じようなシステムや装置であれば、ライフサイクルもだいたい同じだという、しごくまっとうな話なのでありました。
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