・予備知識編:「蘇我駅」はいくつある? ・蘇我駅の案内放送を探る(1989年・2013年) ・蘇我駅のLED発車標いろいろ(マルチカラー) ・ATOSへの期待とは(利用者は何を期待するべきか)
(約8000字)
京葉線に関して注目が集まっているようですが、(私の)予習がまにあっておりません。恐縮ですが、いまから勉強させてください。
●予備知識編:「蘇我駅」はいくつある?
・このサイト「蘇我駅」(2005年7月12日)
http://atos.neorail.jp/atos3/topics/topics_27.html
http://atos.neorail.jp/atos3/topics/images/led_soga1l.jpg
![http://atos.neorail.jp/atos3/topics/images/led_soga1l.jpg]()
> 蘇我駅では京葉線内と同様の24ドットタイプの電光掲示板が使用されていたが、2004年10月、一般的な16ドットタイプの電光掲示板に交換された。表示内容がATOS線区と同様であるという大きな特徴がある。
> 蘇我駅の場合は、京葉線を基準にした運行管理体制から、蘇我駅単独、あるいは内房線側に軸足を置いた体制へと移行しつつあるのではないかと推測することができる。
http://atos.neorail.jp/atos3/topics/images/soga1.jpg
![http://atos.neorail.jp/atos3/topics/images/soga1.jpg]()
> 利用者にとってはあまり関係のない話に思われるかも知れないが、この区間の輸送管理が完全ではなくともいくらか自動化されれば、総武線(快速)越しに横須賀線や湘南新宿ラインにまで良い影響を与える(少なくとも悪い影響を与えにくくできる)ことになる。想像以上に千葉駅近辺は東京圏の安定輸送を実現する上での肝なのかも知れない。
「駅」というのは、ダイヤの編成(計画と要員の配置)や実施(日々の運行)、そのためのポイントや信号機の切り替えのための、抽象的な「機能」であると理解することが、最初の「1歩」です。
目の前の駅舎や駅名標、きっぷに印字される駅名、時刻表のソレからは、すっかり離れて考えましょう。
そうすると、「蘇我駅」などという単一の駅があたかも存在しているかのような幻想は、まさに(利用者にとっての)『幻』であったとわかってきます。
▼(A)内房線と外房線の分岐のために時間調整をしながら列車の受け渡しを行なうための蘇我駅
(房総西線・東線の時代=1972年より前からのソレ)
▼(B)京葉臨海鉄道と総武線または武蔵野線との間での貨物列車の受け渡しを行なうための蘇我駅
(ヤードや、千葉みなと寄りにある渡り線など)
(京葉臨海鉄道開業以来のソレ)
▼(C)京葉線の普通電車を東京方面に向かって高頻度に折り返すための蘇我駅
(3・4番線)
(京葉線の旅客開業以来のソレ)
▼(D)内房線・外房線の旅客列車の一部を京葉線に直通させるための蘇我駅
(京葉線の東京開業以来のソレ)
蘇我駅は4つの機能に分解できると錯覚されてきます。あくまで理解のための錯覚ですが、きわめて比ゆ的には、これ、それぞれがかなり別々の仕事であるんだ(頭の使いかたが違う:同時にやっていると間違えそう)と納得されましょう。蘇我駅で信号を切り換える詰め所に、AからDまで4人の担当者がいて、それぞれ、交替制で働いていて、全体として、とってもたくさんの人が働いている、という理解をすればよいと思われます。
歴史的にも、AからDの順に実現されてきたといえます。ウィキペディアの蘇我駅や京葉線の年表がよくまとまっていると思います。(が、年表だけから上述の4つに分けて見ようというのは難しいかと思います。)
・ウィキペディア「京葉線」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E8%91%89%E7%B7%9A
> 1986年(昭和61年)3月3日 第1期線の西船橋駅 - 千葉貨物ターミナル駅間が旅客線として開業。
> 1988年(昭和63年)12月1日 第2期の新木場駅 - 南船橋駅間、市川塩浜駅 - 西船橋駅間が開業し、JRで初めてATS-P型の本格運用を開始。千葉港駅 - 蘇我駅間の旅客営業を開始。
> 1990年(平成2年)3月10日 第3期の東京駅 - 新木場駅間が開業し全通。全線で列車集中制御装置 (CTC) が導入。
・京葉臨海鉄道「会社のあゆみ」
http://www.rintetu.co.jp/company/c_ayumi.html
※西暦を補います。
> 昭和38年(1963年)9月 蘇我〜浜五井間 運輸営業開始
> 昭和48年(1973年)3月 袖ヶ浦〜京葉久保田間運輸営業開始 蘇我〜前川間タブレット閉塞方式
> 昭和50年(1975年)5月 千葉貨物ターミナル〜食品南・北間運輸営業開始
> 平成元年(1989年)3月 CTC(列車集中制御装置)導入
> 平成12年(2000年)12月 武蔵野線・京葉線ルート開設
後述しますが、仮に、旅客ホームで見ても5・6番線だけ設備が違うなどあれば、それは案外、武蔵野線・京葉線ルートのための新港信号場([3149],[3150])の開設(2000年12月)あたりからの「更新サイクル(15年! または30年!)のズレ」を引き継いだものかもしれませんね、などと『したり顔』で…ゲフンゲフン。
※「蘇我駅は4つある!」…きょうはこれだけ覚えて帰ってください…などというセンセイ、いますよねぇ。まだ続きます。
●蘇我駅の案内放送を探る(1989年・2013年)
・YouTube 蘇我駅4番線(2013年6月1日24時)
https://youtu.be/0p64-PwaZtA?t=17s
> 平成25年(2013年)3月中旬頃より、戸閉放送が「4番線から電車が発車します...」に固定されました。
> 放送装置が更新される前の音声です。
・YouTube 蘇我駅4番線(2016年2月17日)
https://youtu.be/jdBmes36IUQ?t=2m2s
> 2016年1月頃に1〜4番線の放送装置が更新されまして、メロディーの音質が向上されました。
現地の状況がわからないのですが、これは、▼1〜4番線で、スピーカー(およびアンプ)が、番線ごと独立になるよう更新され、▼5・6番線ではもとからスピーカーが番線ごとに独立であった(特急や上り快速のため、設備の時期が異なる?)、という理解でよろしいでしょうか。
▼2013年3月(の、おそらくはダイヤ改正から?):3・4番線の旅客案内装置が、蘇我駅のPRC装置(蘇我駅の構内で、京葉臨海鉄道を含め、ポイントを切り換えるため、蘇我駅の扱い者が操作するもの)から切り離された?(このため、少なくとも自動放送装置が、蘇我駅のPRCの配下の装置ではなく、比ゆ的には「押せば鳴るだけ」の簡易な装置に置き換えられた?)→自動放送が詳しくなくなったのはこのためではないか。
※「押せば鳴るだけ」については[3219]を参照。ここに、永楽電気でいう「ATOSユニット」を増設して、そこにATOS側の自動放送装置からの音声出力と制御信号(? 入力があればアンプをオンにするというくらい単純か?)をつないで…などと想像されました。永楽電気については永楽電気のページの記述の通りで、それ以外の部分は想像です。あしからず。
1989年にさかのぼります。もしもし、1989年ですか?
はい、こちら『冷めたピザといわれるひと』が…ゲフンゲフン。時代は『平成』だっ! これからは平成の時代だ、といって、ヘヘー。なんでも頭に平成ってつければいいといわんばかりのネーミングが街にあふれたのです。
・YouTube 蘇我駅(1989年8月20日)
https://www.youtube.com/watch?v=7gj1q6DxNoY
> 京葉線蘇我〜新木場間にSLコニカ号が走りました。
> 当時の京葉線は、東京〜新木場間は、まだ工事中で開通していません。
> 当時、8mmビデオで撮影したものです。
「『発車メロディー』と呼ばれる発車音」がないのは当然(1989年3月から新宿駅と渋谷駅で試行され始めたばかり[3208])ですが、おお、千葉支社ではさすがに自動放送(いわゆる「接近放送」)もなかったかなぁ(山手線にはあった=東京はすごいなぁ新しいなぁ感があった)、とうかがわれます。なお、映像の4:42で電子電鈴が聴こえます。いい音(確かに「電子」電鈴だとわかるトゥルルル、純音っぽい電子音:ジリリンではない)ですね、わかります! 4:52に鳴るジリリンは、発車合図器ですね。
※電子電鈴の音色(周波数つき! これで電子電鈴を完ぺきに再現できるぞっ! レッツ半田ごてを握りしめてあちちちちっ!! PICやラズベリーなど使わずに再現してみたいですね、の意)などについては[3206]、電気設備としての面については[3208]を参照。
※1989年3月に、京葉臨海鉄道としてはCTCが導入されていますが、蘇我駅構内については、1990年3月の京葉線のCTCを待って、装置が導入されたはずだと決めつけます。さすがに、1990年3月には、蘇我駅でも自動放送が導入されていたはずだと思うのですが、明示的に示された資料などありますでしょうか?
※傍題ですが、ホームに屋根がないっ!! 「ホーム上屋の延伸」と「自動放送の導入(指向性スピーカーの採用)」は、それなりに一体的に進められたのではなかったかなあ、と思われてきて、なるほど、ホームの屋根に関する資料を(自治体や議会のソレなど含めて)探せば、間接的にいろいろわかりそうだと直感されます。なるほど。
・YouTube 東京駅ほか(1990年3月10日)
https://youtu.be/0vJI2Y7UUQk?t=3m54s
おお、東京駅の京葉線ホームでは確かに、開業時から『発車メロディー』そして「自動放送」が使用されていたと確認できます。しかし、新木場駅(とみられる)では、いっさい確認できません。撮影者にとって『撮るに足らない』、すなわち、ありふれた「電子電鈴」だったのかなぁ、と推測されます。
> (映像の10:01)
> 総武線には強いインパクトが必要な時期なんですよ
> へー…
こっ、これはッ! …にょほほほっ。「リアルたぬき親分!」事案だといって…ゲフンゲフン。インパクト。インパクトとねぇ。…ぎゃふん([3172])。
●蘇我駅のLED発車標いろいろ(マルチカラー)
・YouTube 蘇我駅コンコース(2013年1月27日)
https://www.youtube.com/watch?v=_OCoaNTLGkk
> 2番線側の表示は正常なのに対して、1番線側は朝の表示で固まっていました。
なんと、スクロール表示も途中のまま(16ドットの全角文字の単位でなくピクセル単位でも途中、の意:「錦糸町」の「糸」の字が真っ二つ!)、2行の画面全体が固まっています。2番線については「18:05」の列車が案内される左で、「7:44」の総武快速のまま固まっております。
何かバックヤードでシステムをいじっていたのかなぁ、と想像されてしまいます。おお、***、この想像をとめることができようかっ。やだなぁ、現にとまってるじゃないですかぁ。
・YouTube 蘇我駅2番線(2014年4月28日)
https://youtu.be/ckwuh4ifYe0?t=19s
記憶が定かではないのですが、「電車がまいります」「列車がまいります」の点滅表示は、1〜6番線を通して、いっさいないですよね。そうしますと、LED発車標がホームに設置されていようとも、蘇我駅ではすべて「改札系」([2946])なんだと理解すれば納得できそうです。
つまり、LED発車標の制御装置としては、軌道回路も列番も知らないと、単に、仮には八高線の北八王子駅や、仙石線の松島海岸駅([3210])と同じように、事務用のLAN(いたってフツーのイントラネット=比ゆ的には、高額なLTEしないで、おうちでWiFiしているようなものだと思えばいいんです)から案内用の情報を取得してパッシブに(=駅での駅員の操作が不要で)表示しているんだと理解していいんでしょうか。
※松島海岸駅について「CS型LED発車標」という記載が新陽社さんにおいてあられます([3210])。それ以上の詳しい説明が見つけられないので、ここ([3210])では仮に「CS」とは「C/S」のことだろうと早合点したのですが、ソレだと。本当でしょうか。
・YouTube 蘇我駅1・2番線(2012年10月12日)
https://www.youtube.com/watch?v=iOwkb_X2GRc
> JR蘇我駅1・2番線ホームに設置されている電光掲示板のLED部分が更新されました。
おおー、白色と消灯を含めて8色の「マルチカラー」ができそうなソレになったということですね。そのあたりは[3209],[3210]であーでもないと推測しています。(あくまで推測です。)
そして、マルチカラーになったのはホームだけなんですか? コンコースのほうは…といって、おお、駅舎が改装されるんですね。
・JR東日本 千葉支社「舞浜駅・蘇我駅がリニューアルオープンします!!」(2016年2月29日)
http://www.jreast.co.jp/chiba/news/pdf/pre1602_maihama_soga_open.pdf
まったく余談ですが、プレスリリースのタイトルも感嘆符(!)が一種「インフレ」してますねぇ。プレスリリースで「!!!」だとか「!?」だとか「だっ!!」などといわれるようになる時代もすぐそこだっ!!!
・ツイッター(2016年4月10日PST)
https://twitter.com/ZR1000RR/status/719191991897190401
> (写真より)
> 「回送」
> 「運 転 終 了」
3・4番線のホームのLED発車標で、「運 転 終 了」との表示が見られます。これ、フォントとスクロール表示だけATOSっぽいだけで、かなり独特な制御装置なんではないかと…いえ、こう、ダミーのデータ(「運 転 終 了」といって発車時刻は非表示にする、仮には2:00まで表示できるよう、ダミーの発車時刻を2:00にしたようなデータ)を駅で付加していたりするのかなぁ、と勝手に想像してみました。この表示をシステムがシステムの機能として実現している(システムが運転終了だとわかって、その旨、表示している)かまでは、表示を見ただけではわからないということです。ATOSであれば、線路閉鎖の管理のため24時間稼働で、「運転終了」という概念は設けられていないと推定できましょう。([2511]も参照。)
・ツイッター(2016年4月7日PST)
https://twitter.com/fykdnct9/status/718204884646907904
> 蘇我駅壊れてるんだけど
千葉駅の「ホーム系」と同じ、デジタルデータが化けました系の乱れかた([3070])ですね。しかし、2行表示の画面全体が一様に乱れているのが、千葉駅とは異なります。
・[3070]
> 「ホーム系」のLED発車標(ホーム上や、ホームにつながる階段の至近に設置されたもの)では、先頭から8文字分だけの表示が乱れており、いかにもデジタルなデータ(の先頭の何ビットか)が化けました、と見えます。
千葉駅とは年代が違うので、こう、デジタルっぽく化けるとしても画面全体が化けるんだと、おお、画面全体のデータを「1パケット!(仮)のようなもの」でバババババと送りつけるような(CRCもなければ再送もしない)制御になっているのではないかと推測してみたくなりますね、わかります! そして、なるほど、固まるとあらばスクロールの途中だろうが何だろうが、1画面まるごと固まるんだと理解してもよさそうな気がしてきます。(あくまで気分です。)
●ATOSへの期待とは(利用者は何を期待するべきか)
・ツイッター(2016年4月5日PST)
https://twitter.com/NECITSU/status/717358877562376193
> 蘇我駅。謎のマスキングテープ。
ぬおー! …「謎」です。1番線の「内房線」、2番線の「外房線」がマスクされています。ダイヤは変わらないまま、案内のしかたの基準が改訂されたのかなぁ的なソレを推察してみたくなります。きっと、「現状を変更するココロミ」はしないで現状をよりよくご案内しようと、がんばっていらっしゃるんですよ…たぶん。
・ツイッター(2016年4月5日PST)
https://twitter.com/yoshiyoshi209/status/717331399615746048
> 蘇我駅2番線にいる総武線快速もあまり見ないような気がする…
おお、このあたりで、1番線と2番線のどちらに入ろうとも案内上、問題ないようにして、つまり融通が利くようにして(空いているほうにどんどん入線させればいいっ!)時隔(※)を詰めて増発だっ…となるといいんですけれども、どうなのでしょうか。ホームの中間に「第2場内」や「第3場内」がっ!([3160],[324]) …などということは、さすがにないでしょうか。(もとからあったなら失礼、お忘れください。)
※…あっ、いまポイントを切り換えますんで、ちょっと駅の手前で待っててね☆ …的なことが1日を通して延々と繰り返され、全体として、とっても(後の列車が)待たされる(間隔があかざるをえない)、という意味です。「(連動駅なので)時隔が大きい」という言いかたもされるんでしょうか。実際の現場のことまではわかりかねます。(あくまで書籍や技報などからわかる範囲でしかわかっていません、の意。)
蘇我駅を通過するわけにはいかないとあらば、ほぼ全列車が停車しなければならないわけですが、停車するということは線路を占有して、こう、単純には本数は減っていくという、逃すと待たされる、というソレになるんだということです。その、こう、いま軽妙に「次の電車を、ご利用ください。」といわれるソレが蘇我駅でも適用される(≒しても利用者が怒りださない)くらい、短い間隔で次々に電車が来てほしいものだと思われましょう。
そうした要求に対して、PRCやATOSは応えるものでなくてはいけないと思うんですよぉ。なるほどなるほど、それで?(もしゃもしゃ)…あざっす。(「たぬき親分」[3174]は、聞くだけ聞いてくれますが、聞くだけなんですよぉ。いつぞやの豆腐屋ののれんが馬の耳で当店イチオシ…レッツ大豆!)
※「千葉駅を待とう、『話はそれからだ』!」などと…(略)。蘇我駅だけ、京葉線のATOSだけでは、まだ「何か」が足りません…たぶん。(『誰によって?』)
・(参考)歴代の「次の電車を、ご利用ください。」いろいろ
http://sci-tech.jugem.jp/?eid=2354
http://www.tackns.net/hara/tsugi.html
http://okwave.jp/qa/q2626711.html
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