フォーラム - neorail.jp R16
発行:2016/9/12
更新:2022/4/26

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【オートメーションと鉄道】

〔フレッシュおはよう東日本〕83号:「総武快速TID装置(SN95)」を読み解くために「PC-9801-107」(1995年1月)を読み解く(仮)


「既設のシステムとの連携をはかった総武快速TID装置(SN95)」を(12年後に)読み解く
いまさら「10BASE2」を読み解く(しかもCバス)
いまさら『1995〜1996年ごろの成田エクスプレス』を読み解く

(約16000字)

 補足と訂正でございます。内容としては[3200],[3242],[3321]などの続きです。

・「総武快速,緩行線」
 http://melody.pos.to/page/jreast/sobu.htm

 > 馬喰町駅
 > この駅の放送は旧国鉄時代のまま残っているもので、「白線の内側まで」と言う言い回しや独特の音色のベルが、国鉄時代の名残を思わせます。

 > 錦糸町駅
 > この駅を含め、浅草橋〜本八幡の間ではベル(メロディ)は柱に付いている小型のラッパ型のスピーカーから流れ、放送は普通のボックス型スピーカーから流れるという、国鉄の基本スタイルを踏襲した物になっています。

 だいぶ忘れているソレを思い出させてくれます。

[3206]
 > 馬喰町駅などについては「『国鉄時代』からの『懐かしい』自動放送が健在」といったような紹介のされかた(≒情緒的で情報量に乏しい&趣味なんですからいいんですけれども、後の時代の者が後から詳しいことを知りたいと思うと参考になりません、の意)がされるばかりで、「国鉄時代」を高い分解能で解き明かそうというソレは、(1998年くらいまでの)当時なかったと思い返されます。
 > 他のかたのページでの言及と記憶が混ざってございます。たいへん失礼をば。そして「近道でごんす」のドロップダウンリストが懐かしいっ! 懐かしすぎるっ!!

 上掲リンク先での記述でございました。二重、三重に失礼をば。

・「市川駅」
 http://www.oriori.org/line/sukasobu/ichikawa.shtml

 1999年8月25日より前は、高架化・複々線化で事実上、駅舎が「新築」された際(1972年7月)に整備されたとみられる電子電鈴(※遅くとも1975年か[3208])と、後に(現在の)東京支社管内で整備された早口な自動放送(ROMが小さい[3263],[3221])が使われていたということだったかと思います。これ、見落としていたことですが、構内にポイントがあっても「詳しい自動放送」はなかったということです。ポイントの制御を(ATOS導入前は)千葉駅から行なっていたのではないかとも思えてきそうです(=後述)。

・YouTube 立川駅(1980年ごろとのこと)
 https://youtu.be/7MwvsfDeZ38?t=3m16s




 「けたたましい発車ベル」とは、これのことです。電鈴は、早い時期に電子電鈴に置き換えられたものと、1990年代になってから発車メロディーに置き換えられたものとに分かれたとみられます。

※みなさま「発車メロディー」をヨロコび、「発車ベル」をキラう、そして「自動放送」は新しくなりさえすればとりあえずヨロコブ(その上でケチケチとネチをつける…オーディオやカメラ、それにゲーム機などの新機種のように)というフーチョー的なものにシハイされていますので、従前の放送が、いかなる経緯でそのような放送であったのかを詳細に読み解こうという発想はこれまでほとんどありませんでした。…たぶん。

・(参考)消防防災科学センター「特異火災事例」
 http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index2.cgi?ac1=B312&ac2=&ac3=2461&Page=hpd2_view

・(参考)「防火規定と既存建築物に対する行政的対策の変遷のまとめ」
 http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0369pdf/ks0369005.pdf

 > 1980〜1986年
 > 自火報の規格省令改正

 > 1984年
 > 自動火災報知設備の規格省令の一部改正

 このあたりの改正の、既存建築物への適用の猶予期間がいつまでだったのかなど調べないとわかりませんが、千葉駅で「けたたましいベル」を取り急ぎ廃止しなければならなかった直接の事情はこれかなぁ、とも推測できそうです。きわめて単純には「火災でもないのにベルを延々と鳴らしてはいけなくなった!」と早合点してみます。ジリリン([3237],[3316])。

※さりとて、千葉駅で新たに電子電鈴を入れるのも、なんだかなぁ、という微妙な時期であったのが1988年8月なのではないでしょうか。

 そして、いろいろとまわり道をしながらドーロムービー…いえ、「公団のにおい!」や「大阪万博!」など踏まえまして、いま端的に、にじょー!

[3221]
 > 「成田空港駅」としては開業が遅れた(1978年)ので「成田駅」だけでの「導入事例」と記されるわけですが、その実、「東成田線」にかかるシステムの整備だと読み解かれましょう。万博のモノレール(1970年)の次が京成で「私鉄初!」「(モノレールを除く)鉄道初!」だとわかります。

[3304]