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A9V2「村の架け橋鉄道」は「1960年」から始まるシナリオマップです。開始直後に「DD51形」(※全角)で貨物列車を([4541])…ちょっと待〜った!(※表現は演出です。)
・ウィキペディア「DD51形ディーゼル機関車(DD51がたディーゼルきかんしゃ)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84DD51%E5%BD%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
> DD51形ディーゼル機関車(DD51がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)によって1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)にかけて製造された液体式ディーゼル機関車である。
「1960年」から走らせちゃ、だめだったんですか。えー…(てんてんてん)。「OpenTTD」もとい「トランスポートタイクーン」のように車両の「製造開始(登場)年」と「製造終了年」が設定されていればよかった。それがふつうの実装であって、そこから公然の隠しコマンド『「A」「R」「T」「D」「I」「N」「K」キーを順番に押す!(半笑い)』を入力すると年代に関係なく全形式がいつでも使える、みたいにしていくのがふつうではないかとは思った。現在の「A列車で行こう9」の実装は、最初から公然の隠しコマンド『「A」「R」「T」「D」「I」「N」「K」キーを順番に押す!(半笑い)』を入力しちゃってあるような、興ざめな状態だとは思っていた。(ぶつぶつ)いわゆる「ドクターイエロー問題」(実車は1編成しかないのを300編成おけちゃう)を回避すべく実装を見直される機会があったら、そのときに「製造開始(登場)年」と「製造終了年」の設定もたのんます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84DF50%E5%BD%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
> 非電化亜幹線の無煙化のため、1957年(昭和32年)に先行試作車が製造され、以後1963年(昭和38年)まで増備されたディーゼル機関車である。国鉄で初めて本格的に量産されたディーゼル機関車であった。
> エンジン音はメーカー別に特徴があり、気筒数が少ない中速機関のズルツァー型は焼玉エンジンのような「ポンポンポンポン」というリズミカルな音、同じく中速機関ながら気筒数が多く、ズルツァー型よりやや高速な機関を搭載するMAN型は「ドドドドド」と連続した低音である。
それはさすがに…(てんてんてん)。
・[3956]
> さっすが井伏鱒二先生。「もっかいプリーズ」みたいな会話(※「応酬」とも「悶着」とも)ができないんである。
> 坪内逍遥先生は「悶着」できるよ。(※…ソコジャナイ。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84EF81%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
> EF81形は、日本国有鉄道(国鉄)が1968年(昭和43年)から製造した交流直流両用電気機関車である。国鉄分割民営化後にも、日本貨物鉄道(JR貨物)が1989年(平成元年)から追加製造した。
「EF81形」(※全角)が、すごく新しい最新式に思えてくるぞ。…お、おぅ。
・[3922]
> 近年「多様性に配慮するわたくしども」というニュアンスで安直に「レインボー」という色やデザインや言葉が使われるきらいがありますが、そんな生易しいものじゃないと思う、というシリアスな話題です。
> 単に▼「横須賀色」、▼「特急色」、それに▼「E653系」などの車両が単発で「色がおかしい」ということにはとどまりません。▼「EF66形」の色までおかしくなり、▼「EF81形」と同じ形をした「EF64形」などの直流機が本件ゲームにはまったく収録されないというところにまで響くのです。
> 「EF81形」と「EF64形」は単なる色違いではなく、国鉄の電化の歴史に照らして重要な「色分け」です
> 「EF81形」を収録したから直流機は「EF66形」でいい、ということではないのです
> 色に対する適切な態度が形成されないままでは、ゲームの中で色を適切に扱う仕様を決めていくこともままらないと指摘してきています。
・(再掲)
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-20-61/r32t67/folder/474088/18/13043818/img_1
(鉄道模型のカタログの判型が大きいからというのもあるが=視線を動かすのが億劫とか筋力がとか!)ページを開いて真ん中しか見ない人(…『ページを開いて真ん中しか見ない人』!!)が「A列車で行こう9」の機関車のラインアップを決めたとしたら、なるほど真ん中にある、その人の理屈で言わせれば「いちばんふつうのやつでいいから」ということ。機関車の成り立ちや、直流機と交流機の色の塗り分けも理解しない。グラフィックとして「銀色」のは難しいかな([3802])とか、この時点では考えていない。そこに、色の判別ができないという事情(色覚特性)も重なったとしたら。なおさら、カタログのこのページに並ぶ機関車の違いが乏しく思えて、似たようなのが並んでいるんだから真ん中の、いちばんふつうっぽいやつ1つでいいじゃないかと、誰にも相談しないで勝手に決めてしまいそう。(※勝手な想像ですが、ラインアップは現にそうなっているという指摘です。)
※「真ん中しか見ない人」:能動的に見ようとしていない、見る気がない、興味がない! 機関車はぜんぶ横長で、機関車に沿って目が左右方向に強く誘導される。ぼんやり見れば、左ページの真ん中の機関車から、そのまま右ページの機関車に目が動いて、それで…それで、おしまい。(※ジト目)
じぶんが子どものころの鉄道模型のカタログをぼろぼろになってもバイブルにし続けるといったペルソナも生々しく想像されるけれど、さすがに現行の総合カタログあるいは総合ガイドを見ているとはして、それはそれでかえって、直流機を無視する原因になりそうなことが紙面にあったはずだ。
https://www.1999.co.jp/itbig24/10246983a.jpg
(ページが)なんかごちゃごちゃしている。色を判別しない限りは、機関車の塗装は模様のパターンである。このとき交流機は1色がベタで、直流機は前面につけたしのクリーム色がある。そのクリーム色という繊細な色味がわからない(赤という色が見えないとわからない)となおさら、直流機は「赤いピーマン!」「青いバラ!」(※意訳)みたいなもの、要するに「ふつうのやつでいいから」と思ったその人にとっては、収録しなくていいもの(変わり種)と誤認されうる。なんてこったい。
https://www.1999.co.jp/itbig10/10102634a.jpg
もはや毎年のカタログは見ていないので恐縮ですが、きっとだいたい同じだろうと思いながら「DD51形」(※全角)。「DD51形」のバリエーションの1つ1つが大きな写真での掲載である。色の塗り分けについては、交流機に対する直流機のような違いはない(目立たない)ので、このページぜんぶ、同じようなのがずらりと並んでいると、色を判別しない限りはそのように見えるということ。圧倒的じゃないか。(棒読み)ここはひとつ、このページで見てすごく、すごーく基本の何かというふうに見える「DD51形」1つを収録しておけば、あとからどうにでもできそうだ、みたいに思えるだろう。…あとからどうにかなんて、ぜんぜんしないんだけどね!(きらーん
https://twitter.com/niko9_niku9/status/1367761478468595712
https://pbs.twimg.com/media/ExQTrYKWEAM01c2.png
こんな顔で。(違)
・[4514]
> まつだひかり先生のぜんぶのせ。(※ジト目)
http://kawaturu-tetudouroku.hatenablog.com/entry/2019/03/17/203650
> こちらは貨物時刻表の冒頭にある、機関車の紹介ページ。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kawaturu/20190317/20190317154731.jpg
先述の通り、本件ゲームこと「A列車で行こう9」に収録する機関車について「どー・れー・にー・(以下略)」するときに参照すべきはトミックスの総合カタログではなく「貨物時刻表」なのであります。そこを間違えるとぜんぶおかしくなるぞ!(※現におかしいけど!!)そして「冒頭」ではなく「巻頭カラー!」といって喜んでほしいな。(※ソコジャナイ。)
http://ef8181tetubun.blog.fc2.com/blog-entry-1714.html
https://blog-imgs-102.fc2.com/e/f/8/ef8181tetubun/P1230955.jpg
https://blog-imgs-102.fc2.com/e/f/8/ef8181tetubun/P1230959.jpg
うひょー。(※擬音)
・[4538]
> 並べると身もフタもないとはこのことだ。
そちらでは私鉄の電気機関車の古いのを愛でたところでした。
https://www.chichibu-railway.co.jp/chichibu-railway-train.html
https://www.chichibu-railway.co.jp/wp-content/uploads/2020/04/el103_blue.jpg
> 秩父鉄道で一番古いのがデキ100形で、1950年代から製造されたデッキ付きの箱型機関車です。
電子部品を使ってあるでもなし、長距離や高速の運転で酷使されるでもなし、本当に長持ちしますね。(※恐縮です。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E5%B1%B1%E6%B8%93%E9%89%84%E9%81%93ED500%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9e/Nagano_ED5101.jpg
> 定山渓鉄道ED500形電気機関車(じょうざんけいてつどうED500がたでんききかんしゃ)は、定山渓鉄道(現、じょうてつ)が1957年(昭和32年)に新製した直流用電気機関車である。
> 1918年(大正7年)10月に非電化路線として開業した定山渓鉄道線は、1929年(昭和4年)10月に架線電圧1,500V規格によって電化され、旅客運輸が従来の蒸気機関車牽引による客車列車から電車に切り替えられたが、貨物輸送については開業当初から戦後に至るまで蒸気機関車牽引列車によって運行されていた。
> 1955年(昭和30年)頃より、沿線を流れる豊平川上流においてダム(豊平峡ダム)の建設が計画され、定山渓鉄道が建設資材の輸送を担うこととなった。しかし、最急勾配25‰の区間が点在する定山渓鉄道線において重量貨物列車を運用した場合、従来在籍した蒸気機関車各形式では牽引力が不足することが明らかとなった。資材輸送列車の運行に際しては日本国有鉄道(国鉄)より自社保有の蒸気機関車と比較して牽引力の大きい9600形蒸気機関車を借り入れる案も検討されたが、最終的には電気機関車を自社発注することとなり、ED500形(以下「本形式」)ED5001・5002の2両が1957年(昭和32年)3月4日付設計認可・同年4月12日付竣功届で新製・導入された。製造は電気部品を三菱電機が、車体その他を新三菱重工業が担当し、新三菱重工業三原製作所において組立が実施された。
> 本形式は1969年(昭和44年)の定山渓鉄道線の全廃に際して長野電鉄へ譲渡され、長野電鉄における貨物輸送が廃止となった1979年(昭和54年)には越後交通へ再び譲渡され、同社長岡線が廃線となった1995年(平成6年)まで運用された。
国鉄だけで考えず、こういうひと(※機関車)がいると、すごくユーティリティだと思う。もっとも、機関車のメーカーでの設計には国鉄も私鉄もなく、外観も技術も似通ったものではあった。(※恐縮です。)
https://travel.watch.impress.co.jp/img/trw/docs/697/347/22.jpg
そのわりには、何とも似ていない機関車も、ときどきある。屋内でそんな照明だとチョコレートにしか見えない。ちょっと『ウシ分!』が多めの。(※恐縮です。)
https://www.jalan.net/news/img/2020/02/20200227_yurakuseika_5.jpg
出ました『エメラルドグリーンの使い方』。(※言いかた)
https://www.torepa21.com/pic/g/g3tef55xxxx2e2.jpeg
https://stat.ameba.jp/user_images/20190908/09/lunchapi/b2/76/j/o0480036014580250999.jpg
https://ameblo.jp/lunchapi/entry-12522462889.html
> 交通博物館はこうあるべきだ!
いま「交通博物館」があつい!(※ひらがな)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84EF58%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
> 32号機から34号機は半製品状態だったものを設計変更して、貨物用機関車のEF18形電気機関車として就役した。
> 東芝府中工場で製造されていた32号機から34号機の3両は1949年(昭和24年)初頭には完成間近の状態だったが、ドッジ・ラインの影響で就役が保留された。その後2年間に渡って東芝でデッドストック状態に置かれることになった3両は、貨物用機関車として転用されることになった。
出ました「ドッジ・ライン」。これにはさすがのウッドストックもたじたじです。(違)
> 1952年4月の高崎線電化に伴い高崎・上越線に就役し、相前後して東海道本線にも進出した。
> 東海道本線電化は1953年7月に名古屋、1955年7月には米原へと西進した。そして1956年11月、最後の区間である米原 - 京都間の電化完成で、全線電化を達成する。また東北本線も1958年4月に大宮 - 宇都宮間が電化され、翌1959年5月には黒磯までが直流電化区間となった。
> EF58形はこのような情勢下で1958年まで大量増備され、1950年代後半の最盛期には、東海道本線の特急・急行列車、普通列車を問わず、客車列車のほとんどを牽引するまでに至った。
「1960年」から始まる「村の架け橋鉄道」も、ほかの大都市(「隣町」)から、このマップまで来る幹線は電化され、当然のように「EF58形」(※全角)に牽引された貨車や客車がまずは走ると、たぶんこういうわけです。
・[3699]
> 血が通ったダイヤといいましょうか、生き生きとしてまいりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E3%82%AD%E3%83%8F20%E7%B3%BB%E6%B0%97%E5%8B%95%E8%BB%8A#%E3%82%AD%E3%83%8F52%E5%BD%A2
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/7/77/Kiha52_127_syanai.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/db/JNR111-1_ROOM.jpg
113系とあまり変わらない内装じゃないかというのは現代っ子すぎる感想でしょうか。(※落成時からこの内装なのかわからず。)逆にいえば、あー、ナニかね。21世紀になってから20年も生きているわれわれ、つま先から首まで銀色のつなぎみたいな服を着て卵みたいな形の椅子に腰かけ(大巾に中略)あつあつのホットコーヒーを半透明の白いチューブで注がれ傍らのロボットハンドみたいのが次はブロッコリーを食べさそうと手ぐすね引いてないといけないとでもいうのかね。えー…(てんてんてん)。
https://agrijournal.jp/wp-content/uploads/2021/01/AJ_FIR20210107_03.png
https://pbs.twimg.com/media/EZ5X4KuUYAEqPEa.png
https://twitter.com/hiiro_now/status/1300046558101041153
> ぶっころりサラダにあったかいアイスコーヒー
https://img.aucfree.com/f398197359.1.jpg
http://3.bp.blogspot.com/-kvjCIjaHzCM/VRPVnXoBUfI/AAAAAAAAHPE/zPdEYF10F1M/s1600/FH000007.JPG
http://4.bp.blogspot.com/-3F-lPq4jWUQ/VRPYFf1CnSI/AAAAAAAAHQQ/dEdaOwRPYso/s1600/1225-002.jpg
http://4.bp.blogspot.com/--YNROK_7fp0/VRPVbcoL9BI/AAAAAAAAHOc/EkgJL0rH_Ko/s1600/FH000012.JPG
・[4532]
> あついホットコーヒーである。あつあつである。そのあつあつのあついホットコーヒーがこぼれない乗り心地を自慢する。
https://beauty-cdn.oricon.co.jp/special_img/100000/100426/detail/img660/1512099122401.jpg
https://rimage.gnst.jp/rest/img/ptwh08zu0000/s_0n74.jpg
http://www.aoki-design.com/wp-content/uploads/MG_7446-1.jpg
http://www.aoki-design.com/wp-content/uploads/MG_7326.jpg
※「好ましい内装」というものには普遍性がある、の意。
・(再掲)国鉄70系電車のインテリア
http://blog.goo.ne.jp/terunao920/e/af67b19358805405f663a526750714cb
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/48/7478d0b358a2662887725821e316198a.jpg
> 70系 0番台 木造車の車内
> アンティークな高級家具を思わせる車内 ニス塗りの座席&壁板、つり革、網棚、灰皿、扇風機すべてが使い込まれ独特の雰囲気と心地よさ・・・
> また、今の電車では到底味わえない不思議に落ち着くあの匂いがありましたね。
・[3108]
> いま、再び不燃の木質系内装材が電車に使えるようになりつつ、しかし、木質系を採用してもやはり車内を明るく感じさせることが優先されて(材質を問わず白っぽい材料が好まれ)、いまから「アンティークな高級家具」のテイストを採用しようとは、なかなかなりそうもないですね。でも、遠距離の通勤なら電車で朝食、せめてコーヒーを楽しめるくらいに「高い居住性(おうち電車)」とでも呼んで実現を目指していくというのも不可能ではないでしょう。
再びウィキペディアです。
> 急勾配のローカル線用車両として本州・四国・九州各地で重用された。
> 1958年から1962年に製造された。
それはあくまで「村の架け橋鉄道」のマップ内の路線のこと。「なになに本線」は客車を連ねた長編成でないと! 111系には「サハ」がなかったが113系には「サハ111形」があるのだ。(ばーん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84113%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A#111%E7%B3%BB
> 1962年に登場した111系の出力強化版として、113系の0番台が1963年に登場した。
実は同じ年代だから内装は同じで当然だった。E217系とE231系の違いくらいのものであった。しつれいしました。
> 1955年より使用されていた東海道本線名古屋地区の80系は、1978年より113系の新製投入で置き換えられることとなり、
地味に「1960年」から始まる「村の架け橋鉄道」では何を走らせたらいいのかすごく困る。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0b/Jnr-Moha80001-3_inside.jpg
その「80系」の内装がこれだ。(ばーん
> サハ111形
> 長編成での運用の減少と共に廃車が進み、2007年5月28日にJR西日本で保留車となっていた最後の6両が吹田工場へ回送されて同年5月30日付けで廃車となり、形式消滅となった。
・「サハ111形」(※模型です)
https://www.tomytec.co.jp/tomix/products/img/HO-255.jpg
「サハ111形」の何がいいって、このすかすかの床下だよ!(※個人の感想です。)電車編成だけど客車だよね。(※あくまで考えかたです。)
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tamazotamazo/20201203/20201203000028.jpg
「サハ111形」が「弱冷房車」に設定されてございます。ただいまの「弱冷房車」、「弱冷房車」は「サハ111形」、編成中の8号車、であります。「サハ111形」なーんてものがあって、あまつさえ「弱冷房車」なんです。これを大都会と形容せずにおられましょうか。(※反語)
https://stat.ameba.jp/user_images/20101226/18/nagisa04/22/07/j/o0800053610942112578.jpg
大都会でなければ、8両編成といえども「サハ111形」などなかった。(※過去形)
[4552]に続きます。
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