(約22000字)
「前編」([4832])からの続きです。
・[4760]
> 「A列車で行こう9」は永遠に「10年前のゲーム」なんですよ。
> 「A列車で行こう9」は永遠に「10年前のゲーム」なんですよ。
A9V1が発売されたときのレビューで、すでに「10年前のゲーム」(※意訳)と呼ばれていたゲームだから、だてじゃない。(※ソコジャナイ。)
・(再掲)
https://www.4gamer.net/games/101/G010184/index_userreview.html
> 10年前のシムシティでさえ、道路を車が走る。
> 20年以上前のA3の仕様を今でも引きずっている仕様も改善されていない。
…さっすが「60代」、10年単位で大局的に述べておられる(※当時)。
> 2010年現在でお世辞にも凄いグラフィックとも言えないですし
> ゲームとして楽しめて、痒いところに手が届く様なものであれば
> グラフィックが少々お粗末な物でも十分世間では評価されるものです
ほかのひとのレビューを読んだ続きの頭で読んだときに頭の中でごっちゃになって「10年前のゲーム」(※意訳)と記憶される。わるぎはなかった。
> 20年前から進歩していないゲームデザイン。
> グラフィックスはせいぜい5年前の出来、ゲーム性にいたっては20年前のお粗末さ。
> 1990年代の亡霊のような作品です。
「10年前のゲーム」(※意訳)とは、本作を「今期新発売の新作ゲームの1つ」として見るのでなく「シリーズ最新作」として見る(古参の)客の間では「ふつう」の見方であって、それでも買って遊んだよ(とほほ)という、ちょっとした“同窓会!”みたいなトークなんである。なかば苦労自慢である。そういうレビューを読んでから書かれた新しいほうのレビューで「酷評が多いのにびっくり。」とおっしゃるけれど、必ずしも「酷評」というわけじゃない。…あそぶくるしみ!(ぐぇ)金を出して買ったたいへんさやつまらなさであるということをじゅうぶん承知の上で、いかにじぶんこそがとほほであるかを競うような(げふ)なんでもございません。じぶんは目利きだから「良作」とやらを見定めて買うことができるんだ、ぞい(※超意訳)みたいな自慢げなレビューよりは、レビューとしてのウケはよい。○か×か。(※あくまで考えかたです。)
> A4・A7・A8が好きな人は買う価値はあると思います。今作は細部の出来はともかく、A4系統の正統な進化系と言えると思います。DS版からA列車シリーズに入った人にはあまりお勧めできません。
古いほうのレビューに異論がなければ、そこは踏襲して「差分」を書くというスタイルがあるが、「酷評が多いのにびっくり。」と書いている人はそういう流れ(どのレビューがどのレビューのどこらへんを受けて書かれているか)が見えていなくて、レビュー1件ずつを愚直かつバイナリに「ポジ」「ネガ」と断定してその数を数え「ネガばかり!」と思ったのだろうとは思う。そういうところが未熟なのだ。「60代」だてじゃない。(棒読み)
https://kotobank.jp/word/%E9%80%A3%E6%AD%8C-152050
> 鎌倉時代以後は百韻(100句)が定型とされた。この百韻十巻を千句、千句十巻を万句といった。また、百韻に満たない、五十韻、世吉(よよし)(44句)、歌仙(かせん)(36句)などの形式の連歌もときおり行われていた。
よよし! かせん!! …ににんがし!(違)
> 百韻は数人から十数人の人数で制作するのが普通であるが、その参会者を会衆(かいしゅう)とか連衆(れんじゅう)という。
かいしゅう! れんじゅう! まさにそんなかんじ。(※ひらがな)「酷評が多いのにびっくり。」と書いている人は、じぶんは「百韻」に加わっていないわけである。そこで「百韻」が行なわれているとすら気づいていないから加わりようがない。これこそを未熟という。もっと○か×か。(※詠嘆)
> 最近のゲーム(価格と質)と比べて、
> 価格に対して内容があまりにも見合っていない
いちばん下にある、つまり最初に書かれたレビューの結論である。そういうレビューが最初に出てくるというところに、古参の客の一定の成熟を見る。
・[3894]
> > けいたさん
> > かりんさん
・[3901]
> 駅舎も含め、とにかく「車両」以外のものはすべからく、それら全体として「恩物」をなしていないと、プレーヤーは「あれもできない(それっぽく模すことすらできない)」という不満ばかりということになる。(現になっている。)
> このとき「全体として」というのは、どのような要素をどのような選択肢で選ばせて組み合わせさせるんだという「粒度」が、1つのゲームの中で揃っている(一貫している)ということなんですよ。そこがばらばらであったり、「あれがあるのにこれがない」「こちらはできるのにあちらはできない」という不整合があると、(動作するプログラムという意味ではなく、表現の粒度がよくコントロールされた一貫性や美しさのある作品という意味で)ゲームとして完成していない(完成させようという態度がない)とみなされるわけです。
未熟だの成熟だのとはいうけれど、到達すべき成熟が、とてつもなく遠いところにあるのではないとわかってほしい。
・[4279]
> > 大学生協(全国大学生活協同組合連合会)とのコラボレーション企画!!
・[4712]
> 「日経WinPC」の次に狙うべきは「大学生協(全国大学生活協同組合連合会)」という「でっかい大きな数字!」(※下品な直訳)だったはずなのに、どうしてこうなった。(ぶつぶつ)
> 「日経WinPC」が紹介すると他社の雑誌が追随する。
> 「日経WinPC」とはいえ日経なのだ。日経おそるべし。
> あのね(ぐぇ)この子がね(ぎゃふん)自動車や電機など(※)の企業城下町と工業高専と国立大学とその周辺で普及して、大都会の下町では普及しないの。これゼッタイ。だから「A列車で行こうシリーズ」に関する動画などで、大阪っぽい何かがあると、すごく違和感があるの。きみ、ただの雇われだね、ファンでもなんでもぜんぜんないね、ってね。もっとも動画でのしゃべりというと大阪のほうの制作をみんな真似するというのがあるというだけのことかもしれないんだけど、「A列車で行こうシリーズ」というコンテンツとは大いにミスマッチなのね。だからって、使いこなせていないよそよそしい標準語にしさえすれば東京のひとに響くなんて思ってもらっては困る。
> 「ベストヒットなんちゃらde賞」の類はセールス(売上)に基づくけれど、バンドルやプリインストールを含むんだよねとか、そういう受賞が先にあったから知名度があって「ゲームソフト部門最優秀賞」があるんだよね、というのはあります。…あります!(※熱弁)バンドルやプリインストールというかたちでパソコンの普及に貢献した。作品が優れていたかどうかはどうともいえない(決めようも比べようもない→ひとにいわれるのを待たずじぶんで誇ればそれでいい)けれど、数字は絶対です。パソコンについてくるけれどおとうさんは興味なしで子どもが遊ぶ&子どもが同級生を連れてくる&パソコンをねだる子どもが増える、ファミリーでカジュアルな光景がここに現出いたします。
> パソコンが20万円から40万円くらいの時代です。
> パソコンが20万円から40万円くらいの時代です。
・[4386]
> > BCN AWARDのデータ管理ソフト部門を7回獲得
> こういう客観的な事実がほしいね。「A列車」の御社にもね。交通新聞社の賞をね。
・[3732]
> 交通新聞社から賞がもらえるゲームになってほしいよね。賞というのは人や会社を育てるためにあるんだよね。新しく育てたい分野が見つかったら新しい賞をつくるんだよね。
・[4551]
> > 1993年に登場したスーパーファミコン用ソフト「トルネコの大冒険 不思議のダンジョン」(チュンソフト/現スパイク・チュンソフト)。
> > 「1000回遊べるRPG」
> > 主人公トルネコが挑む「不思議のダンジョン」は、入るたびにダンジョンの形状が変化。また、いくらレベルを上げても、地上に戻るとレベル1に戻ってしまうという不思議な性質がありました。これらのゲームシステムのおかげで、何度でも新鮮な気持ちで遊べることから、「1000回遊べるRPG」というコピーが採用されていました。
> メーカーにとって「A9」のバージョンアップにしり込みする理由の1つが、新規収録のシナリオマップをどうやってつくるんだ(たいていのテーマはすでにつくっちゃったよ)ということであると見受けられるので、これはもう他社人気ゲームでいう『不思議のA列車』にすればいい。シナリオマップは自動生成にする。もはや、これまでのように手間をかけたシナリオマップなど収録しなくていい。プレーヤーがソフトの中でするのと同じように自動生成して「これいいな」(=「いろいろなことができそう!」「見ているだけでいろいろな想像がわいてくる!」)と思うのを、メーカーもプレーヤーの1人として(※「模範演技」として)、ソフトの機能を使ってテキタウに見繕っておいてくれれば、それでじゅうぶんなのである。
・[4751]
> 「A列車で行こう9」という、それなりにかちっとつくられた製品はそのまま、その外側に「不思議のA列車」をば構築せん、というモチベーションにござりまする。(棒読み)世界各国のギークな諸兄がすなるファミコンの実機のコントローラーをPCにつないで画面をCVで画像認識しながらAIにプレーさせるような遊びの真似事でごぜーます。(※敬語)
・[4342]
> 「ブラッシュアップ」というものを、言葉だけ、ポ |