フォーラム - neorail.jp R16
2022年9月の話題
更新:2022/10/31

[4871]

アラマタの本懐で叡智と冒険を(後編)


「愛情をもって発信」の時代へ(再)
ちょっとだけ立ち上がるわれわれ(談)

(約19000字)

 「前編」([4873])、「中編」([4872])からの続きです。


☆「愛情をもって発信」の時代へ(再)


[4030]
 > 「シャープのマスク」という表現が2020年に湧いて出てくるとだれが予想しえたか。

・(2021年2月16日)
 https://webtan.impress.co.jp/e/2021/02/16/38864

 > > これからは、自分でも自社製品・サービスを使いこなして、悪いところも、足りないところも、スゲー良いところも、まんべんなく十分に知って、その体験を愛情をもって発信してほしいですね。

[4833]
 > 「愛情をもって発信」でも「体験」でも「まんべんなく」でも「十分」でもない情報発信が(消費者より優位に立つ側から)なされたときには、心ならずも幾ばくかの反発を感じるものである。

・(9月16日)
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220916/k10013821891000.html
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220916/K10013821891_2209162032_0916214358_01_03.jpg

 > インターネットなどで、広告主がみずからの広告であることを隠したまま宣伝する、いわゆる「ステルスマーケティング」について対応を検討する消費者庁の初会合が開かれました。SNSなどで影響力のある「インフルエンサー」のうち2割近くがステルスマーケティングを行ったことがあるというアンケート結果も報告され、今後、法律での規制を検討していくことになりました。

 > 現行の景品表示法は、消費者を著しく誤認させるなどの表示を規制しており、広告であることが隠されているステルスマーケティングは対象外になっている

 > 検討会では今後、景品表示法の対象の項目を追加するなどを視野に規制を検討し、年内をめどに報告書を取りまとめる方針です。

・(9月15日)
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220915/k10013818911000.html
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220915/K10013818911_2209151455_0915154940_01_02.jpg

 > ※取材に基づき再現

 > 絵文字を多用し句点が多い。
 > 唐突なカタカナや自分語りが入る。

・「実在車両に喜ぶ鉄道ファンたち。」(2022年9月17日)
 https://menmano.net/a-ressya_part6-7.html

 > ゲームメーカーにしては珍しくYouTubeのコメント欄がオープンされているので、実際のゲームファンや鉄道ファンの反応がわかりますよ。

 > コメ欄をさっと見たけど鉄道ファンの声が熱い。やっぱり『実在車両の追加』って、需要がある要素なんだな〜って思いました。

 > あと、ブログのコメントには『処理の重さを改善するのが先なんじゃないか』というコメが(コメントあざます🙇‍♀️)。それはたし🦀と思いました。

 …ォィ。(※まったく笑っていない)「唐突な自分語り」とは、「やっぱり〜って思いました」構文を「上から目線」で挟むことを含みます。言及する対象の「外側」にじぶんを置くことで、じぶんを大きく見せる。そこでいきなり矛盾する文に続く。「コメントあざます」とおっしゃる。これはメーカーじきじきの情報発信だったのだと理解しなおす。1文ごとに認識が改めさせられる。ゲームのメーカーが客を見るような目線だったのだとわかる。「ゲームメーカーにしては珍しく」と、メーカーがじぶんで言っているのだ。じぶんたちはいかに珍しいか(…しいたけ!)を自慢してくるのは30年来ずっと変わらないから、一瞬で「におい」がわかる。(※個人の感想です。)

※「しいたけ」:わざとヘンテコなIMEを使ってみせるというキャラづくりのようなもの。

 ものすごく厳密な読解をすれば、「やっぱり」と「それはたしかに」が矛盾することにも気づきますが、それはあくまで表面上の矛盾であって、「やっぱり」と書いてあるほうに字義通りの意味は実はなくて、単にくちぐせのようなもの、詠嘆や強調のはたらきしか持たせずに「やっぱり」と書いているのかなと思うわけです。嗚呼。

※「やっぱり」が字義通りであれば「予想していた」「予想できるほどじぶんはそれについて詳しい」ということを言ったことになるので、それなら予想できないはずがないことをコメント欄で指摘されたときに「それはたしかに」という応答には、なるはずがないんです。そっちも「やっぱり〜ですよねー」みたいになるところなんです。でもまあ、「それはたしかに」のほうが正直に書いてあるのかなと思う。だから「やっぱり」のほうはただのくちぐせなんだな、と。

 あと、▼この動き(Switch版での『実在車両の追加』)と、▼「あのウィキ。」の「要望」が「希望車両を書かれた場合は、上部にある項目、車両実装の要望(下のコメント欄から抜粋分と追加分)に追加させていただきます。」と注記して、わざわざ「希望車両」を書け、どんどん「希望車両」を書けとあおるように変わったのとは、連動しているのか。えー…(てんてんてん)。

 ちなみに、「やっぱり『実在車両の追加』って、需要がある要素なんだな〜って思いました」の文の「やっぱり」が字義通りに「やっぱり」なのであるとすると、これは「わたくしSwitch版とPC版の両方とも見てきているんですけれども」「PC版でも車両キットが2つも出ましたし」「(PC版でも車両キットを2つも出すほど=そういうものが単体で売れるほど)『実在車両の追加』って、需要がある要素なんだな〜って思いました」みたいな、ちょっと長くて“含みのある”文脈なんですね。じぶんは事情通ですよという、すごいアピールになっているんですね。なおさら「それはたしかに」という薄い反応とは落差があって不気味です。PC版の「車両キット」がどれだけ売れているのかは客にはまったくわからないので、そういう文脈で述べているのだとすれば、なぜかPC版の「車両キット」の売上も把握しているということになってしまう。(※反語)

[4832]
 > みんなが喜びそうなものをどんどん「追加」してきた「A列車で行こう9」が「なんかごちゃごちゃしてる」といって嫌われてしまう。更によりありそうな「A列車で行こう9」に絞り込む、リファインメントという手続きが待ったなしである。