・1975年 ・1966年・1971年 ・1979年 ・1984年 ・「夢の島」の地盤沈下と「新木場駅改良工事」
(約8000字)
「昔の○○」といって検索されて訪れるかたがちらほらいらっしゃいます。しかし、「昔」といっても幅があります。また、いま、なぜ「昔の○○」を参照するのかといって、そこには「いま」ならではの関心や着眼点があるはずです。
そうしたことを考えながら、国土地理院の門をギギィ…と開けて入ってみます。
※リンク先を参照するとき、最初に「同意」のボタンを押すなど、たいへん手間がかかります、の意。GoogleのAPIと同じ要領で、クレジット入りの画像への静的リンクができたいと「かつ望」いたします。
●1975年
・国土地理院「CKT7415-C32-49」(1975年1月6日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1001294
まさに「木場」、運河の水面に木材を浮かべて保管する「貯木場」が広がっているのが見えます。道路は、地上の道路はほとんど完成しているように見えます。そして、「新木場交差点」付近では、首都高速湾岸線の橋脚(横並びに4基ずつ)が立ち上がっているのが見えます。国道357号線の橋や橋脚は見えません。また、鉄道はまったく見られません。(有楽町線や、その車両基地を含め、線路はまったく見られません。)
・Google ストリートビュー 現在の「新木場交差点」付近
https://goo.gl/maps/5CvZ35Yv4Mp
・同 名称のわからない交差点付近
https://goo.gl/maps/5Q8zQrFuaUz
「新木場交差点」から海側へまっすぐのところの、この道路が、1975年には片側だけ整備され、中央分離帯と、その東側の車線がまだ造られていなかったようすが見えます。この豊かな植栽が、それなりに新しい時代の考えで施されたものだとうかがえそうです。
・同 「千石橋北交差点」〜「新木場駅前交差点」付近
https://goo.gl/maps/2C49nPPbRpq
この2つの交差点と、新木場駅の交通広場の用地、そして、三角形の緑地とも公園ともつかない土地などが、1975年の空中写真で、既にほとんど完成しているようすが見えます。(舗装や植栽、それに交通広場の整備はなされていません。完成しているように見えるのは道路のみです。)
・同 「菱大木材」付近
https://goo.gl/maps/Hpi85NSNSM62
Googleマップの航空写真で見る限りは、現在も水面に貯木されている材木屋さんが数軒、見られます。
また、1975年の時点で最も目を引くのは清掃工場で、新木場を含む地区を陸地側(砂町や深川、築地など)から見て、「あっちはアレ(**を埋めてできた埋立て地)だから」といって、その実、「夢の島」と呼ばれる埋立て地に対する、旧来の住民の「とってもむずかしいニュアンス(複雑な心情)」があったことが思い出されてきそうです。
・同 「夢の島」付近
https://goo.gl/maps/ExRgY3cCALT2
●1966年・1971年
「夢の島」としての、この地区のようすを見るため、1966年、1971年の空中写真も参照してみます。
・国土地理院「MKT663X-C8-1」(1966年8月24日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=445771
・国土地理院「MKT712X-C8-10」(1971年4月25日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1665618
1966年には「砂町運河」を形作るようにしての埋め立てが進められていく途中のようすと、深川、砂町に「貯木場」が広がっていたようすが見られます。これが、もともとの「木場」で、その沖合に移ったのが「新木場」だということで、こう、千葉市でいいますと「新稲毛」っぽいソレだといって、実感的に理解される気がしてまいります。
1971年の空中写真では、そうした貯木場が、「木場」から「新木場」へ移ったようすが見られます。それまで、材木屋さんとしては、(仮には)江戸時代からの「職住近接!」であったところ、家は深川、職場は新木場という近代化が迫られた、その際、新木場の土地の契約をするために初めて「会社化!」したという材木屋さんも多かったのではないかなぁ、と、立体的に推察されてまいります。
・Google ストリートビュー 2つの「新稲毛支店」
https://goo.gl/maps/QvzY5zWrVP62
「近代化」を(自分でなく)誰かがやってくれるというのは、それを享受しさえすればいいので割と簡単に「歓迎!」されるでしょうけれども、うちが、うちの店がソレを迫られるとなると、こう、きわめてたいへんなことです。
そのあたり、なぜ「成田新幹線」が反対されたのかといって、仮には、▼騒音の問題に対しては「速度を抑制して運転する」という消極的な解決策から、住宅に防音工事をするという積極的な解決策まで、いくらでも合理的な方法があったにもかかわらず、また、▼日照の問題に対しては、日照を云々する以前の問題として「木密」の解消が重要でありながら、そこは手つかずのまま新設線による日かげだけが問題視されたというバランスの悪さなど、いまとなっては、何がどうしてこうなったのかと、かなり理解が難しそうに思えましょう。
この時代、あらゆるものが急激に変化した中で、その変化そのものが大きなストレスとなり、中には、それによって(合理的に施策を吟味したうえでの反対ではなく)ストレスによって攻撃的になった人が反対したのではないかと、少し臨床的な側面からの考察も、できればなされたいところだと思われます。QOLにも直結するテーマです。まず本人が快適で楽しく生活できる、次に、周囲の人も同、そして地域で同、といって広げていく類の話でありましょう…たぶん。
・(参考)「攻撃性と心理生物学的ストレス反応性との関連性」別府大学紀要(2012年)
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/dk05307.pdf?file_id=6686
一般に、この分野でどのような関心がもたれているかということの参考として参照します。この資料がただちに有益であるとみなすものではありません。表情が乏しく怒りっぽい人に、いかにしてリラックスしてもらい、自然に笑ってもらおうか、というのが、なんと難しいことでしょう。たぶん。
・毎日新聞「保育園「子供うるさい」開園断念…全国から意見殺到」(2016年4月13日)
http://mainichi.jp/articles/20160413/k00/00m/040/115000c
> 予定地周辺の住民からは「市や事業者は建設ありきだった。もっと意見を聞いて決めるべきだった」と批判の声が上がっている。
> 周辺は一戸建てが中心の閑静な住宅街で、高齢世帯が多い。約30年前から住む男性(75)は「静かに暮らしたいと思ってここに家を買ったのに、いきなり保育園ができると言われて驚いたし、困った」と言う。事業者や市の説明については「建設ありきで話が始まった。市は待機児童を解消したくて、焦っていたのではないか。交通事情や周辺環境をもっと配慮すべきだった」と話した。
> 会見したこども施設計画課の小西啓仁課長は「防音ガラスの設置や、交通整理員を配置することなどを提案したが、条件交渉まで至らなかった」と説明。「(対策が住民に)十分に伝わっていたか確認が足りなかった」とした上で「100%の理解を得るのは難しいと思うが、待機児童を減らすために市としてできることをやっていきたい」と述べた。
▼『建設ありき』なのは、建設する(定員を増やす)のが仕事(「公共の要請」)なんですから、あたりまえです。そして、『建設ありき』という紋切型な表現を使わずに反対できるかどうか考えるのが、『エレガント』に反対するための最初の1歩です。自分が、なぜ、何を根拠に反対するのか、きちっとしていなければなりません。
▼この話、騒音も交通も問題ではなく、急に生活環境が変わることへの不安や、そのストレスこそが「真の問題」だと見受けました。本当でしょうか。これを緩和するには、例えば、保育園の外観を、極力、周囲と同じ住宅ふうにして違和感をなくす、「説明会」といって大げさな会を開かない(会そのものがストレスになる)、住宅街の外に「送迎場」のような場所(駐車場)を用意し、そこと園の間は、小人数ごとに園のスタッフが連れて歩く、といった工夫ができないでしょうか。
※「説明会のスクリプト」([3087],[3114])も参照ください。きっと参照してください、きっとですよ。
※特定のかたがどうこうというわけではなく一般論ですが、御年「75歳」のおひとの実感としては、「じぶんは60歳!(えいえんの60歳!)」という、60歳から後に15も齢を重ねたんだということが(個人差はありましょうが)実感されにくいということがあるはずです。行政としては、いかに高齢な人に対しても、「上限60歳!(この世の人は60歳より年を取ることはない!!)」という態度で、要は「大人扱い」で接するということが、ソンゲン的なものからも大事だと思われましょう。社会福祉法人の側のスタッフなどが安易に「高齢者扱い」をしてしまったのではないか、そこからこじれたのではないか、ということも疑ってみます。
騒音の受け止めかたのむずかしさ(もとよりイライラしていればささいな音もうるさい! 小さな音の積み上げでイライラしてくる! 両方とも影響し合っている!!)については[3195],[3194]でも紹介しています。あわせてご利用…いえ、あわせて参照いただきたくお願い申し上げます。(なるべく必ずあわせて読んでくださいというお願いです。いまや、記事1つだけ読んで「ハンコを押すような反応!」を示すのはアレです、と、東京大学の入学式でも言及されたとかなんとか。)
・読売新聞「東大生よ、新聞を読もう…入学式で五神学長」(2016年4月12日)
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160412-OYT1T50071.html
> ****学長は式辞で「うわべの知識をうのみにせず、情報の洪水にのみ込まれない『知のプロフェッショナル』になってほしい」と指摘。その上で、「(略)ヘッドラインだけでなく、記事の本文もきちんと読む習慣を身につけるべきです」と述べた。
> ****所長(57)も来賓として出席し、「学問や実社会の最先端に立つと、予期せぬことを問題としてとらえる力が必要になる。問題や課題を見つける意識を持ってほしい」と祝辞を述べた。
おお、「あわせて読む」までは言及されていませんでした。これは失礼をば。
●1979年
4年後に飛びましょう。
・国土地理院「CKT794-C14B-22」(1979年10月20日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1611854
貯木場がびっしり木材で埋まる光景は変わらないまま、ヘリポートが完成しています。そして、上述の「この道路」も、片側しかできていないままです。線路は…おお、この地区の東側の水面に、京葉線の橋梁のための橋脚が立ち上がっているではありませんか! 陸上では鉄道の工事は始まっていないように見えます。有楽町線もまったく見られません。
首都高速湾岸線の橋梁と、新木場駅より西側が完成しているように見えますが、出入口付近や、その立体交差部が、1979年には未完成であるように見えます。また、東側の国道357号線は、「新木場交差点」で行き止まりになっており、架橋が始まっていません。
・Google ストリートビュー 首都高速湾岸線「新木場出入口」付近
https://goo.gl/maps/8VYVbHmS3bL2
・首都高速道路「新木場」出入口
http://www.shutoko.jp/use/network/map/route-b/shinkiba/
●1984年
5年後に飛びましょう。
・国土地理院「CKT843-C14-38」(1984年10月31日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1027028
京葉線の高架橋が東側から順に完成しはじめており、新木場駅の躯体が、まず、2階ホームを支える高さまでのラーメン構造の柱でしょうか、それに鉄筋がびっしりと配され、コンクリートの打設が待たれているようすが見えます。
有楽町線についても、新木場駅の駅部の橋脚の基礎工事が始まっているように見えます。車両基地への線路や、車両基地本体の工事は始まっていないように見えます。
そして、西側を見ますと、(当時)京葉線として着工されていた「りんかい線」が、平行する有楽町線の地下から地上にあがってくるアプローチ部とともに、ほとんど完成しているようすが見えます。このあたりの土木が一体的に施工されたようすがよくわかるような気がします。しかし、「りんかい線」の高架橋の途中に、ぽかりと未完成の箇所があるのが見えます。
・Google ストリートビュー 「新大橋運輸」(江東区辰巳3丁目)付近
https://goo.gl/maps/sU7LdADgqVA2
ここの、いかにも都市計画道路が通りそうな幅員の広い用地(道路ではなく用地なので幅員とは呼ばないでしょうけれども)を、途中に橋脚なしで1スパンでまたぐ跨道橋の部分だけが、1984年には未完成だったのだとわかります。
そして、改めて新木場駅の有楽町線の駅部をみますと、目の錯覚でしょうか、基礎工事にしてはおおがかりに、地下が掘削されているかのように見えます。有害物質の除去(のための土砂のいれかえ)などされていたのでしょうか。ちょっと『謎』です。
●「夢の島」の地盤沈下と「新木場駅改良工事」
土木に詳しいかたのページを参照してみます。
・個人のブログ「新木場駅 - りんかい線東臨トンネル(3)」(2011年9月14日)
http://mirai-report.com/blog-entry-1052.html
図の「B断面」のあたりでしょうか。
> 新木場駅一帯は埋立地で地盤が極めて軟弱であることから、ラーメン式高架橋とトラス橋以外の桁橋の基礎杭はいずれもある程度の地盤沈下に追随できる設計となっている。
京葉線の駅部については、1984年の空中写真では既に躯体が見えているのでもはやわからないだけで、京葉線も有楽町線も、ともに、かなり掘り下げて基礎を構築したということでしょうか。
> 当地域はかつて天然ガスの採掘(南関東ガス田※)が行われていたことから、基礎杭の打ち込みに当たってはメタンガスの噴出対策を行う(溶接作業時の引火対策)など独特な工夫もなされている。
おお、これはとっても「難しい工事」だったろうと推察されてきそうです。御徒町で陥没した事故など思い出されますが、そちらはガスではなかったでしたっけ。
> りんかい線の各駅はいずれも最大10両編成を前提に構造物を建設しているため、今後ホームが15両分に延長される可能性は無い。
うそーん。大崎・渋谷・新宿に直通する15両編成(や、12両編成? 特急を含む)が新木場で(千葉方面へ)折り返しだと、そういう運用ができるようにしようといって、新木場駅の(2階の)ホームが15両化される可能性は残っておりましょう。そして、そのため、最初からこのような用意がなされているのでしょう。本当でしょうか。
…、などと、2016年になってから、一種「答え!」を先に見てから述べるのはイカンですが、しかし、2011年の段階で将来のことを「可能性は無い」と断言してしまっていたのは、これまたイカンのではないでしょうか。
それはともかく、1984年の空中写真で、地下を広く掘削していたように見えた箇所の最近のようすを見てみます。
・Google ストリートビュー 「高広木材」付近(2014年6月)
https://goo.gl/maps/VdBMSexsJnR2
2014年6月の画像では、高架下で何か工事をしているようすが見られます。JRやりんかい線(TWR)との関連はわかりませんが、JRでは新木場駅を改良すると明言([3211])されていますから、このあたりの空間を使ってコンコースの面積を大幅に拡大するような計画でもあるのかなぁ、と推測されそうです。(あくまで推測ですが、事実上、拡大するにはここを使うしかないと推定されます。)
また、地盤沈下(が不均一に進む等)の心配からは、輸送計画上の要請(乗り入れや増発など)があろうとなかろうと、土木構造物の定期的な補修(高さや歪みの補正など?)が必要とされる「難しい構造物」なのだろうとも思えてきそうです。
※ストリートビューで工事の標識を「(自称)高度な『超解像』テクノロジー!」といって「赤い目!」で見てみますと、おお、「有楽町線新木場駅付近高架橋柱耐震補強工事」「熊谷組」と読めてきます。ごしごし。2015年には、既に完了していたようです。
おお、なるほど、だから「ピカピカの新線!」だからといって「スラブ軌道!(コンクリート!)」だとは決まらず、特に、新木場駅付近では、JR線もりんかい線も有楽町線も「バラスト!(砂利!)」なのは、構造物の変位を路盤で吸収しようという「魂たん」ですね、と早合点してみました。本当でしょうか。
そうしてみると、総武線の津田沼−千葉間の線路も、絶妙に路盤が使い分けられているなぁ、と思えてきそうです。
・(参考)「軌道スラブ」
http://www.fujips.co.jp/technology/t-doboku/sub13020/1380
・鉄道・運輸機構「乗り心地の向上、環境にやさしい軌道構造の開発」
http://www.jrtt.go.jp/02Business/Construction/const-rtKido.html
そちら側からの説明を読むだけでは、いまいち、なぜ「ぜんぶスラブ軌道にならないのか?」がわからないという、そういうことから「あわせて読む」が必要になってくるんですよぉ。(恐縮です。)
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