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ちょっと類例をいろいろと眺めてみます。
・[3234]
> そういう視点で見ますと、秋葉原、それに新小岩と、「大規模改良!」が進んできている(造られた年代の順を追っている)と早合点されます。
> …あのっ! 総武線ホームと「アトレ2」との間の連絡通路が外から見ると、ちょっとコワイでーす。
> 神田駅
> > 浅草橋駅のホームは豪快にせり出しております。
・[3239]
> ここの、いかにも都市計画道路が通りそうな幅員の広い用地(道路ではなく用地なので幅員とは呼ばないでしょうけれども)を、途中に橋脚なしで1スパンでまたぐ跨道橋の部分だけが、1984年には未完成だったのだとわかります。
・Google ストリートビュー 御徒町駅南側ほか
https://goo.gl/maps/sMqkowbAfUG2
https://goo.gl/maps/uqyHPeSqqjk
このあたりも順々に耐震補強が進められているようです。そして、東側の駐車場として使われていた土地に、(たぶん、この)工事の事務所と資材置き場(っぽいの)が置かれているように見受けられます。
・Google ストリートビュー 「同朋橋架道橋(東北線 同朋橋ガード)」(御徒町駅)付近
https://goo.gl/maps/rjbJqREFEN12
https://goo.gl/maps/nahNRVF1n9s
道路の幅員が広げられることを見越して架けられた感のある跨道橋(※)が、しかし、半分ほどは店舗になっています。うーん。
※いえ、お堀や水路などがあって、そこを埋めて道路や店ができたというソレでしょうか。架けられたときは本当に「同朋橋」と呼ばれる(水面にかかる)『橋』であったのでしょうか。
・Google 歴史☆通り「御徒町公園」
https://goo.gl/maps/cEpaxLGJmRC2
・台東区「区立公園の所在地、概要」(2015年6月26日)
http://www.city.taito.lg.jp/index/kurashi/kankyo/koen/shokai/koenshozaichi.html
> 御徒町(おかちまち)
> 台東4丁目13番3号
> 御徒町台東中学校に隣接する公園。流れのある池や大きなフジ棚がある。ナンジャモンジャと呼ばれるめずらしい樹木が植えられている。
…ナンジャモンジャっ! レッツナンジャモンジャ!! …わあぃナンジャモンジャ。***ナンジャモンジャだいすき。
御徒町の駅舎がキレイになりました! といって、そういうニュースが1本あると、もう、頭がそれだけになってしまうというのが「ヘッドライン」云々ということ(東大の入学式[3239])です。本来、「現地を歩いて考える」とは、そういうこと(周辺の未解決の課題を知る)であったはずが、いつのまにか、「プレスリリースに添付された写真だけでは物足りない!(自分ならもっといい写真が撮れる!)」といった方向へズレていったのではなかったか、といって、何か的なものをゲフン的に問うてみようかと思いましたがやめておきまーす。(イラッ☆)
そして、西側から順に、▼ローソン、▼すき家、▼てんや、▼LOAF、…「LOAF」とは何者ぞ?
・食べログ「Fresh Bakery LOAF」
http://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13058221/
> このお店は休業期間が未確定、移転・閉店の事実確認が出来ないなど、店舗の運営状況の確認が出来ておらず、掲載保留しております。
川崎にもあるそうで、どことなくJRっぽいソレだとうかがわれましたが、それ以上のことはわからず。
・個人のページ「同朋橋架道橋」
http://www.geocities.jp/yamanote_bridge/22okachi/03douho/dohou.htm
> 建設当時の名称は「同朋橋」であり、後年に それに架道橋を付け加えたために、「橋」が重複した名前となっている。
> 建設当時の付近の地名に由来する。
> 神田明神下に「神田明神下同朋町」があり、同じ由来と考えられるので、千代田区による旧町名案内板を参考にした。
> 同朋町の名前は、江戸時代に御坊主衆(オボウズシュウ) 別名 「同朋衆」が住む屋敷町だったことから名付けられた。
> その同朋衆とは「江戸城内で、将軍や大名など、身分の高い武士に付く法体姿の案内役」ということである。
おおー、スバラシイ。しかし、テナントへの言及はありません。「同朋衆」が育てたのではないかとすら思われてくる「ナンジャモンジャと呼ばれるめずらしい樹木」への言及もありません。
> 直交する道は幅が狭く、架道橋の幅20mの半分以下である。
> 反対側の道が当初から 斜めであったために、架道橋の下の道もそのまま斜めに付けられている。
「現地を歩いて」いながら、道路に関しての考察にスキがあるといえそうです。いえいえ、鉄道について述べるページだから道路は深く考察しなくていいんだとおっしゃいますか。うーん。社会科の勉強としては、そこはそんなに厳然とは分かれないんではないですかねぇ。(メッソウです! レッツナンジャモンジャっ!!)
・(参考)「法体姿」の上杉謙信
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/Uesugi_Kenshin.jpg
・ウィキペディア「同朋衆」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%9C%8B%E8%A1%86
> 1866年(慶応2年)に廃止された。
> 鎌倉時代末期から合戦に同行する陣僧の中に時衆(宗)の僧が多かったことから、武家との結び付きが強まり、平時においても芸能を活かして武士の慰めとするようになっていき、同時に側近、取次ぎ人としての役目も果たすようになった。
・個人のブログ「陣僧」(2009年6月7日)
http://tokyo-metanoia.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-ec61.html
> NHKで、この春「タイムスクープハンター」なる番組を、
> やっていたのを再放送で知る。
> 「戦国救急救命士」はちょっと面白かった。
> 戦場では、戦死者の供養や葬送、
> 臨終の際に念仏を勧めたりするのが主な仕事だが、
> 戦傷者の治療看護も行ったので、
> 「戦国救急救命士」という切り口になったのだろう。
> (十字軍の、オスピタル騎士団の仕事によく似ている)
・「ホスピタル騎士団(Knights Hospitaller)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3
> 11世紀に起源を持つ
いかなる経路かはともかく、何らかの文献や伝承など通じて、考えかたの(そのものの)伝来があったのか、近代化や合理化を進めていけば、いずれ自然発生的に同じ考えかたに至るのか、興味深いですね。…レッツナンジャモンジャ。
・gooテレビ番組「タイムスクープハンター セレクション「戦国救急救命士」」(2015年4月15日)
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/22720/847851/
…えっ。ここまでぜんぶ書いてしまうと「翻案権」を侵害しないかと心配されます。もっとも、テレビ番組の尺そのまま舞台用の台本にするくらいでないと「翻案」にはあたらないと判断されるかもしれませんね。ここまで書いてもなお、映像の内容を紹介した評論に過ぎず、映像によって表現された、実に膨大な情報量のソレ(効果音や衣装の色など含め)は、全然ちっとも、これっぽっちも文章の上では再現されていない(し、再現しようという意図もない)ということです…たぶん。
※おっと、社会科といって、その実、うっかり日本史と世界史まで勉強してしまいましたよっ。「あわせて読む」って、本質的に楽しいんですよぉ。ナ…ゲフンゲフン。(あなたはナンジャモンジャが気になって調べたくなーる、調べたくな〜るぅ、の意。)
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